137 / 169
長谷川平蔵の勘働き(インスピレイション) ~完璧過ぎる「現場不在証明(アリバイ)」への疑念、そして清水重好の遠大な計画~
しおりを挟む
「平蔵さん…、急にどうしたんです?」
平蔵が唐突に、「あっ」と声を上げたことから意知が声をかけた。
「いえ…、何でもありません…」
実際は大有りであった。
家基が毒殺される前、安永4(1775)年に発生した田安大奥侍女の廣瀬縊死事件、そして家基が毒殺された後に連続して発生した池原良明、戸田要人、深谷盛朝ら殺害事件の黒幕が清水重好だと仮定すると全ての辻褄が合う。
清水重好は若しかしたら、田安家上屋敷に己が息のかかった者を潜り込ませているのやも知れぬ。
所謂、清水家所縁の田安家臣である。
重好はその清水家所縁の田安家臣より廣瀬の件を伝えられたのではあるまいか。
即ち、将軍・家治の愛娘・萬壽姫が歿した後、田安大奥に再就職を果たした廣瀬の件である。
廣瀬が何故に御城大奥を退職して、御三卿の田安大奥へと再就職を果たしのか、その理由を清水家所縁の田安家臣が傍受し、それを重好に内報したものと思われる。
「廣瀬は己が中年寄として仕えていた萬壽姫の死が病死ではなく、毒殺であると疑っており、そうだとしたら毒見役として萬壽姫の命を守るべき立場にあり乍、萬壽姫を守りきれず、廣瀬はそのことを悔やんで御城大奥を退職し、田安大奥に再就職を果たした…」
しかも廣瀬は萬壽姫の前に歿した家治の御台所、倫子のその死についても毒殺ではないかと疑っているらしい―、清水家所縁の田安家臣は斯かる情報を密かに重好へと流したのではないか。
重好は恐く、倫子や萬壽姫の死が廣瀬が疑う様に、その死が毒殺ではないかと確信すると同時に、
「倫子や萬壽姫の毒殺の黒幕は一橋治済に相違あるまい…」
そうも確信したに相違あるまい。
そこで重好は廣瀬に将軍・家治に告発させることを思いついたのではあるまいか。
「倫子や萬壽姫の死が毒殺であり、しかもその黒幕が一橋治済である…、廣瀬にはそう信じ込ませ、その上で上様へと告発させるよう、廣瀬を唆せ…」
重好は己が所縁の田安家臣にやはり密かにその様な指令、正に「密命」を与えたのではないか。
否、実際、倫子や萬壽姫の死は毒殺であり、しかもその黒幕が一橋治済であるのは間違いなく、だとしたら重好が廣瀬にその旨、将軍・家治へと告発させるべく、己が所縁の田安家臣を使嗾、嗾けたとしても、それ自体は特に責められるべき筋合はないだろう。
だが問題はその後である。
重好は廣瀬には家治に告発する前に寶蓮院にもその旨、伝えるよう仕向けたのだ。
田安大奥の侍女である廣瀬が直接に将軍・家治に告発するのは中々に難しい。事実上、不可能だと断言しても良かろう。
将軍家である御三卿の田安家に仕える侍女であるならば、
「公儀奥女遣…」
御城大奥への「パスポート」が与えられ、その立場で御城大奥へと上がることが出来るが、そこまでである。
如何に将軍家の御三卿に仕える侍女と雖も、畑違いの御城大奥にて将軍・家治に逢うことは不可能である。
そのことは嘗て、御城大奥にて仕えていた廣瀬が一番良く自覚するところであろう。
仮に重好の思惑通りに廣瀬が将軍・家治への告発を決意したならば、廣瀬は畢竟、寶蓮院を頼るに違いない。
田安家の女主たる寶蓮院なれば、「公儀奥女遣」という御城大奥へと通ずる「パスポート」なしに自由に御城大奥へと上がることが出来、のみならず、その御城大奥にて将軍・家治に逢うことも可能だからだ。
そこで廣瀬は寶蓮院を介して将軍・家治へと告発して貰うか、或いは寶蓮院と共に御城大奥へと上がり、そこで寶蓮院の仲立ちにより自ら将軍・家治へと告発するか、何れにしろ寶蓮院に事の次第を打明け、すると寶蓮院は後者を選択、即ち、己と共に御城大奥へと上がり、廣瀬の口から家治へと告発させる道を選択した。
廣瀬は勿論、諒承すると同時に、そのことを彼の田安家臣―、己に将軍・家治への告発を勧めてくれた清水家所縁の田安家臣に打明けてしまったのではないか。
するとその田安家臣はその直後、廣瀬を絞殺し、自殺に見せかけたのだろう。
無論、それもまた重好の「密命」による。
そうすることで、さも一橋治済の息がかかった田安家臣が廣瀬を絞殺し、自殺に見せかけたのではないか―、寶蓮院や更には将軍・家治にそう思わせることが出来るからだ。
実際、寶蓮院はそう早合点し、家治にもその旨、伝えて家治までそう信じ込んだ。
また、家基が治済によって毒殺された後に連続して発生した件の殺害事件についても同じであった。
即ち、さも一橋治済が黒幕であるかの様に見せかけて、その実、清水重好が黒幕であったのだ。
だが平蔵はそこまで考えて、一つの壁にぶち当たった。
それは池原良明刺殺事件における清水家臣の「現場不在証明」の存在である。
池原良明が愛宕山権現社の總門へと通ずる橋にて刺殺されたと思われる4月9日の暮六つ(午後6時頃)、清水家においては一橋治済の息がかかっていると思しき黒川久左衛門と小笠原主水の二人を除いて、全ての家臣の「現場不在証明」の裏が取れていた。
無論、治済当人の「現場不在証明」も確認済みである。
それにひきかえ一橋家においてはと言うと、清水家とは真逆に、家臣の「現場不在証明」はあやふやなものであった。
否、だからこそ平蔵は池原良明刺殺事件においては一橋治済の潔白を確信した。
何しろ治済は「策略家」、それも大層な「現場不在証明」造りの名手である。
事実、治済はその「能力」は家基毒殺の折に遺憾なく発揮された。
一時とは言え、治済の思惑通り、家基が生前、最期の鷹狩りに扈従した清水家所縁の者や、或いは田沼家所縁の者が家基の死に責任があるかの様に見せかけることに成功したからだ。
それ程の「現場不在証明」造りの名手の治済のこと、仮に池原良明刺殺事件の黒幕であったならば、やはり大層な「現場不在証明」を用意していたに違いない。
だが実際には池原良明刺殺事件においては治済のその「能力」が発揮されることはなかった。
だとしたら池原良明刺殺事件に関しては治済は潔白と考えるのが自然ではなかろうか。
しかもその直後、池原良明を刺殺した実行犯の小笠原主水が欲をかいた為に一橋家臣の岩本喜内にその口を塞がれ、その遺体は全裸にされた上、その場に埋められ、脱がした衣服は兇器の刀と共に、やはり邸内の庭の池に沈めるという杜撰さである。
雛がその様に自供しているそうだが、平蔵に言わせれば、治済が黒幕であるかの様に見せかける為の三文芝居に過ぎない。
無論、雛もその三文芝居に関与、それも「主演女優」であった。
何しろ、ここまでは全て雛の「台本」によるからだ。
無論、雛はあくまで「台本」通りに「芝居」をしているに過ぎず、「芝居」の「脚本家」は別にいる。
その「脚本家」は清水重好を措いて外にはいない。
だとしたら雛は重好が治済の許へと放った間者ということになる。
その場合、雛もまた清水家所縁の者と考えるのが自然であろう。
雛は若しかして清水家所縁の者ではありませんか―、平蔵は意知にそう問おうとしたが止めた。
意知が果たして雛の血縁についてまで把握しているかどうか、何とも分からなかったからだ。
仮に把握していたとしても、平蔵は何故に斯様なことを尋ねるのかと、意知が疑問に思うのは間違いなく、これで逆に把握していなければ、意知に疑念を抱かせるだけという、最悪の結果に終わることが予期されたからだ。
そこで平蔵は取敢えず雛の件は脇に置き、もう一つの「現場不在証明」へと考えを巡らせた。
もう一つの「現場不在証明」、それは治済の「危険な遊戯」時《じ》における本物の定信の「現場不在証明」である。
治済は将軍・家治が鷹狩りで御城を留守にする機会を捉えて、定信に扮して田安家下屋敷にて佐野善左衛門に初めて逢った訳だが、その頃、家治はと言うと、清水家下屋敷にて本物の定信や意知と逢っていたのだ。
治済が定信に扮して田安家下屋敷にて佐野善左衛門に逢ったのはちょうど、家治が鷹狩りの帰途に当たり、それも清水家下屋敷入りを果たした頃であった。
その頃には既に、本物の定信は重好と共に清水家下屋敷にて家治の到着を待受けていたのだ。
だからこそ家治も田安家下屋敷にて佐野善左衛門が逢っていたとする定信は偽者、それも治済であると気付いた訳で、してみると本物の定信にとって清水家下屋敷にて家治に逢えたことは、佐野善左衛門には逢っていない、もっと言えば、
「佐野善左衛門に意知暗殺を嗾けたのは定信ではない…」
正に完璧な「現場不在証明」と言えた。
だが平蔵はこの「現場不在証明」にも首を傾げざるを得なかった。
それはまるで治済の行動を事前に把握していたかの様な見事な「現場不在証明」であったからだ。
否、事実、重好は治済の行動を事前に把握していたに違いない。
即ち、治済が家治が鷹狩りで御城を留守にする機会を捉えて定信に扮して田安家下屋敷にて佐野善左衛門に逢う、それも佐野善左衛門に意知の暗殺を嗾ける為だと、重好はやはり一橋家に潜り込ませた己が所縁―、清水家所縁の一橋家臣よりその情報を入手、そこで適当な口実をもうけては将軍・家治に鷹狩りの帰途、清水家下屋敷にて定信と、本物の定信と逢うことを提案したのではないか。
そうすることで重好は本物の定信の為に大層な「現場不在証明」を拵えた訳だが、それはあくまで己の為に過ぎない。
治済にはその「危険な遊戯」が重好に筒抜けであることにも気付かせずに、「危険な遊戯」を続けさせた―、つまりは佐野善左衛門を嗾けての意知暗殺計画を治済に遂行させたのだ。
その結果、意知の暗殺が成功しようが失敗しようが、重好にはどちらでも良い話であった。
大事なのは重好が最期の最期で全ての謎、即ち、治済の「謀叛を白日の下に晒すことにあった。
即ち、倫子や萬壽姫を毒殺し、それを告発しようとしていた田安家侍女の廣瀬を絞殺し、更には家基をも毒殺し、その家基毒殺事件の探索に乗出した池原良明や戸田要人、深谷盛朝たちまで殺した全ての黒幕は一橋治済であると、重好は治済の「謀叛」を白日の下に晒すことが目的であったのだ。
そうすれば治済の実子にして今は将軍・家治の養嗣子、
「将軍家御養君」
次期将軍として認知されている家斉が失脚、その地位を奪われるのは間違いないからだ。
そしてその場合、家斉に替わる次期将軍はと言えば、それは清水重好を措いて外にはいないだろう。
そう。全ては清水重好が己が将軍になるべく敷いた遠大な計画であったのだ。
無論、倫子と萬壽姫の死に関しては重好は完全に潔白に違いない。
廣瀬より倫子や萬壽姫の死が毒殺ではないかと、清水家所縁の田安家臣より内報があるまでは重好も病死であると信じていただろう。
だが倫子や萬壽姫の死が毒殺ではないかと、重好がその情報を入手してから、今回の遠大な計画を敷くことを思い付いたのではないか。
「治済は次に必ずや家基の命を狙う…」
重好は若しかしたら、否、絶対に家基が治済に狙われていると分かっていた筈に違いない。
にもかかわらず重好は己が将軍になる為に、治済の家基暗殺を黙認したのだろう。
一方、治済はそうとも気付かずに、家基暗殺に邁進した。正に重好の敷いたその計画にそうとも気付かずに乗せられた訳である。
無論、その治済が家基暗殺に際して遅効性の毒を用いることなど、そこまでは重好も予期しなかったであろう。
それも家基の死の責任を清水重好、若しくは田沼意次に被こうなどとは、重好も想定外であっただろう。
否、やはり一橋家に潜り込ませた清水家所縁の一橋家臣よりそのことを―、遅効性の毒物が何であるのかまで含めて、重好は治済の描いた家基暗殺計画の全容を事前に入手していたに違いない。
幸いに、と言うべきか遅効性の毒物の正体が何であるのか、即ち、
「河豚毒と附子、トリカブトの毒…」
この二つの毒を家基に同時に摂取させたことを平蔵が突止めて見せたものの、仮に平蔵が突止められなかった場合でも、その折には重好が自ら、遅効性の毒の正体について「解明」してみせたに違いない。
そして今、重好の思惑通りに「事」が運ぼうとしていた。
「家斉公に替わる次期将軍はやはり…、清水宮内卿様で決まりでしょうなぁ…」
平蔵は極力、何気ない口調で意知に尋ねた。
すると意知も平蔵の胸中には気付かずに、「でしょうね」と即答すると、更に驚くべき見通しを口にした。
「来月…、と言ってももう、一週間もありませんが、4月の朔日、月次御礼に合わせて、上様は若しかしたら清水宮内卿様を新たに将軍家御養君として…、次期将軍として西之丸に迎えられるかも…」
平蔵が唐突に、「あっ」と声を上げたことから意知が声をかけた。
「いえ…、何でもありません…」
実際は大有りであった。
家基が毒殺される前、安永4(1775)年に発生した田安大奥侍女の廣瀬縊死事件、そして家基が毒殺された後に連続して発生した池原良明、戸田要人、深谷盛朝ら殺害事件の黒幕が清水重好だと仮定すると全ての辻褄が合う。
清水重好は若しかしたら、田安家上屋敷に己が息のかかった者を潜り込ませているのやも知れぬ。
所謂、清水家所縁の田安家臣である。
重好はその清水家所縁の田安家臣より廣瀬の件を伝えられたのではあるまいか。
即ち、将軍・家治の愛娘・萬壽姫が歿した後、田安大奥に再就職を果たした廣瀬の件である。
廣瀬が何故に御城大奥を退職して、御三卿の田安大奥へと再就職を果たしのか、その理由を清水家所縁の田安家臣が傍受し、それを重好に内報したものと思われる。
「廣瀬は己が中年寄として仕えていた萬壽姫の死が病死ではなく、毒殺であると疑っており、そうだとしたら毒見役として萬壽姫の命を守るべき立場にあり乍、萬壽姫を守りきれず、廣瀬はそのことを悔やんで御城大奥を退職し、田安大奥に再就職を果たした…」
しかも廣瀬は萬壽姫の前に歿した家治の御台所、倫子のその死についても毒殺ではないかと疑っているらしい―、清水家所縁の田安家臣は斯かる情報を密かに重好へと流したのではないか。
重好は恐く、倫子や萬壽姫の死が廣瀬が疑う様に、その死が毒殺ではないかと確信すると同時に、
「倫子や萬壽姫の毒殺の黒幕は一橋治済に相違あるまい…」
そうも確信したに相違あるまい。
そこで重好は廣瀬に将軍・家治に告発させることを思いついたのではあるまいか。
「倫子や萬壽姫の死が毒殺であり、しかもその黒幕が一橋治済である…、廣瀬にはそう信じ込ませ、その上で上様へと告発させるよう、廣瀬を唆せ…」
重好は己が所縁の田安家臣にやはり密かにその様な指令、正に「密命」を与えたのではないか。
否、実際、倫子や萬壽姫の死は毒殺であり、しかもその黒幕が一橋治済であるのは間違いなく、だとしたら重好が廣瀬にその旨、将軍・家治へと告発させるべく、己が所縁の田安家臣を使嗾、嗾けたとしても、それ自体は特に責められるべき筋合はないだろう。
だが問題はその後である。
重好は廣瀬には家治に告発する前に寶蓮院にもその旨、伝えるよう仕向けたのだ。
田安大奥の侍女である廣瀬が直接に将軍・家治に告発するのは中々に難しい。事実上、不可能だと断言しても良かろう。
将軍家である御三卿の田安家に仕える侍女であるならば、
「公儀奥女遣…」
御城大奥への「パスポート」が与えられ、その立場で御城大奥へと上がることが出来るが、そこまでである。
如何に将軍家の御三卿に仕える侍女と雖も、畑違いの御城大奥にて将軍・家治に逢うことは不可能である。
そのことは嘗て、御城大奥にて仕えていた廣瀬が一番良く自覚するところであろう。
仮に重好の思惑通りに廣瀬が将軍・家治への告発を決意したならば、廣瀬は畢竟、寶蓮院を頼るに違いない。
田安家の女主たる寶蓮院なれば、「公儀奥女遣」という御城大奥へと通ずる「パスポート」なしに自由に御城大奥へと上がることが出来、のみならず、その御城大奥にて将軍・家治に逢うことも可能だからだ。
そこで廣瀬は寶蓮院を介して将軍・家治へと告発して貰うか、或いは寶蓮院と共に御城大奥へと上がり、そこで寶蓮院の仲立ちにより自ら将軍・家治へと告発するか、何れにしろ寶蓮院に事の次第を打明け、すると寶蓮院は後者を選択、即ち、己と共に御城大奥へと上がり、廣瀬の口から家治へと告発させる道を選択した。
廣瀬は勿論、諒承すると同時に、そのことを彼の田安家臣―、己に将軍・家治への告発を勧めてくれた清水家所縁の田安家臣に打明けてしまったのではないか。
するとその田安家臣はその直後、廣瀬を絞殺し、自殺に見せかけたのだろう。
無論、それもまた重好の「密命」による。
そうすることで、さも一橋治済の息がかかった田安家臣が廣瀬を絞殺し、自殺に見せかけたのではないか―、寶蓮院や更には将軍・家治にそう思わせることが出来るからだ。
実際、寶蓮院はそう早合点し、家治にもその旨、伝えて家治までそう信じ込んだ。
また、家基が治済によって毒殺された後に連続して発生した件の殺害事件についても同じであった。
即ち、さも一橋治済が黒幕であるかの様に見せかけて、その実、清水重好が黒幕であったのだ。
だが平蔵はそこまで考えて、一つの壁にぶち当たった。
それは池原良明刺殺事件における清水家臣の「現場不在証明」の存在である。
池原良明が愛宕山権現社の總門へと通ずる橋にて刺殺されたと思われる4月9日の暮六つ(午後6時頃)、清水家においては一橋治済の息がかかっていると思しき黒川久左衛門と小笠原主水の二人を除いて、全ての家臣の「現場不在証明」の裏が取れていた。
無論、治済当人の「現場不在証明」も確認済みである。
それにひきかえ一橋家においてはと言うと、清水家とは真逆に、家臣の「現場不在証明」はあやふやなものであった。
否、だからこそ平蔵は池原良明刺殺事件においては一橋治済の潔白を確信した。
何しろ治済は「策略家」、それも大層な「現場不在証明」造りの名手である。
事実、治済はその「能力」は家基毒殺の折に遺憾なく発揮された。
一時とは言え、治済の思惑通り、家基が生前、最期の鷹狩りに扈従した清水家所縁の者や、或いは田沼家所縁の者が家基の死に責任があるかの様に見せかけることに成功したからだ。
それ程の「現場不在証明」造りの名手の治済のこと、仮に池原良明刺殺事件の黒幕であったならば、やはり大層な「現場不在証明」を用意していたに違いない。
だが実際には池原良明刺殺事件においては治済のその「能力」が発揮されることはなかった。
だとしたら池原良明刺殺事件に関しては治済は潔白と考えるのが自然ではなかろうか。
しかもその直後、池原良明を刺殺した実行犯の小笠原主水が欲をかいた為に一橋家臣の岩本喜内にその口を塞がれ、その遺体は全裸にされた上、その場に埋められ、脱がした衣服は兇器の刀と共に、やはり邸内の庭の池に沈めるという杜撰さである。
雛がその様に自供しているそうだが、平蔵に言わせれば、治済が黒幕であるかの様に見せかける為の三文芝居に過ぎない。
無論、雛もその三文芝居に関与、それも「主演女優」であった。
何しろ、ここまでは全て雛の「台本」によるからだ。
無論、雛はあくまで「台本」通りに「芝居」をしているに過ぎず、「芝居」の「脚本家」は別にいる。
その「脚本家」は清水重好を措いて外にはいない。
だとしたら雛は重好が治済の許へと放った間者ということになる。
その場合、雛もまた清水家所縁の者と考えるのが自然であろう。
雛は若しかして清水家所縁の者ではありませんか―、平蔵は意知にそう問おうとしたが止めた。
意知が果たして雛の血縁についてまで把握しているかどうか、何とも分からなかったからだ。
仮に把握していたとしても、平蔵は何故に斯様なことを尋ねるのかと、意知が疑問に思うのは間違いなく、これで逆に把握していなければ、意知に疑念を抱かせるだけという、最悪の結果に終わることが予期されたからだ。
そこで平蔵は取敢えず雛の件は脇に置き、もう一つの「現場不在証明」へと考えを巡らせた。
もう一つの「現場不在証明」、それは治済の「危険な遊戯」時《じ》における本物の定信の「現場不在証明」である。
治済は将軍・家治が鷹狩りで御城を留守にする機会を捉えて、定信に扮して田安家下屋敷にて佐野善左衛門に初めて逢った訳だが、その頃、家治はと言うと、清水家下屋敷にて本物の定信や意知と逢っていたのだ。
治済が定信に扮して田安家下屋敷にて佐野善左衛門に逢ったのはちょうど、家治が鷹狩りの帰途に当たり、それも清水家下屋敷入りを果たした頃であった。
その頃には既に、本物の定信は重好と共に清水家下屋敷にて家治の到着を待受けていたのだ。
だからこそ家治も田安家下屋敷にて佐野善左衛門が逢っていたとする定信は偽者、それも治済であると気付いた訳で、してみると本物の定信にとって清水家下屋敷にて家治に逢えたことは、佐野善左衛門には逢っていない、もっと言えば、
「佐野善左衛門に意知暗殺を嗾けたのは定信ではない…」
正に完璧な「現場不在証明」と言えた。
だが平蔵はこの「現場不在証明」にも首を傾げざるを得なかった。
それはまるで治済の行動を事前に把握していたかの様な見事な「現場不在証明」であったからだ。
否、事実、重好は治済の行動を事前に把握していたに違いない。
即ち、治済が家治が鷹狩りで御城を留守にする機会を捉えて定信に扮して田安家下屋敷にて佐野善左衛門に逢う、それも佐野善左衛門に意知の暗殺を嗾ける為だと、重好はやはり一橋家に潜り込ませた己が所縁―、清水家所縁の一橋家臣よりその情報を入手、そこで適当な口実をもうけては将軍・家治に鷹狩りの帰途、清水家下屋敷にて定信と、本物の定信と逢うことを提案したのではないか。
そうすることで重好は本物の定信の為に大層な「現場不在証明」を拵えた訳だが、それはあくまで己の為に過ぎない。
治済にはその「危険な遊戯」が重好に筒抜けであることにも気付かせずに、「危険な遊戯」を続けさせた―、つまりは佐野善左衛門を嗾けての意知暗殺計画を治済に遂行させたのだ。
その結果、意知の暗殺が成功しようが失敗しようが、重好にはどちらでも良い話であった。
大事なのは重好が最期の最期で全ての謎、即ち、治済の「謀叛を白日の下に晒すことにあった。
即ち、倫子や萬壽姫を毒殺し、それを告発しようとしていた田安家侍女の廣瀬を絞殺し、更には家基をも毒殺し、その家基毒殺事件の探索に乗出した池原良明や戸田要人、深谷盛朝たちまで殺した全ての黒幕は一橋治済であると、重好は治済の「謀叛」を白日の下に晒すことが目的であったのだ。
そうすれば治済の実子にして今は将軍・家治の養嗣子、
「将軍家御養君」
次期将軍として認知されている家斉が失脚、その地位を奪われるのは間違いないからだ。
そしてその場合、家斉に替わる次期将軍はと言えば、それは清水重好を措いて外にはいないだろう。
そう。全ては清水重好が己が将軍になるべく敷いた遠大な計画であったのだ。
無論、倫子と萬壽姫の死に関しては重好は完全に潔白に違いない。
廣瀬より倫子や萬壽姫の死が毒殺ではないかと、清水家所縁の田安家臣より内報があるまでは重好も病死であると信じていただろう。
だが倫子や萬壽姫の死が毒殺ではないかと、重好がその情報を入手してから、今回の遠大な計画を敷くことを思い付いたのではないか。
「治済は次に必ずや家基の命を狙う…」
重好は若しかしたら、否、絶対に家基が治済に狙われていると分かっていた筈に違いない。
にもかかわらず重好は己が将軍になる為に、治済の家基暗殺を黙認したのだろう。
一方、治済はそうとも気付かずに、家基暗殺に邁進した。正に重好の敷いたその計画にそうとも気付かずに乗せられた訳である。
無論、その治済が家基暗殺に際して遅効性の毒を用いることなど、そこまでは重好も予期しなかったであろう。
それも家基の死の責任を清水重好、若しくは田沼意次に被こうなどとは、重好も想定外であっただろう。
否、やはり一橋家に潜り込ませた清水家所縁の一橋家臣よりそのことを―、遅効性の毒物が何であるのかまで含めて、重好は治済の描いた家基暗殺計画の全容を事前に入手していたに違いない。
幸いに、と言うべきか遅効性の毒物の正体が何であるのか、即ち、
「河豚毒と附子、トリカブトの毒…」
この二つの毒を家基に同時に摂取させたことを平蔵が突止めて見せたものの、仮に平蔵が突止められなかった場合でも、その折には重好が自ら、遅効性の毒の正体について「解明」してみせたに違いない。
そして今、重好の思惑通りに「事」が運ぼうとしていた。
「家斉公に替わる次期将軍はやはり…、清水宮内卿様で決まりでしょうなぁ…」
平蔵は極力、何気ない口調で意知に尋ねた。
すると意知も平蔵の胸中には気付かずに、「でしょうね」と即答すると、更に驚くべき見通しを口にした。
「来月…、と言ってももう、一週間もありませんが、4月の朔日、月次御礼に合わせて、上様は若しかしたら清水宮内卿様を新たに将軍家御養君として…、次期将軍として西之丸に迎えられるかも…」
1
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
保健室の秘密...
とんすけ
大衆娯楽
僕のクラスには、保健室に登校している「吉田さん」という女の子がいた。
吉田さんは目が大きくてとても可愛らしく、いつも艶々な髪をなびかせていた。
吉田さんはクラスにあまりなじめておらず、朝のHRが終わると帰りの時間まで保健室で過ごしていた。
僕は吉田さんと話したことはなかったけれど、大人っぽさと綺麗な容姿を持つ吉田さんに密かに惹かれていた。
そんな吉田さんには、ある噂があった。
「授業中に保健室に行けば、性処理をしてくれる子がいる」
それが吉田さんだと、男子の間で噂になっていた。
小沢機動部隊
ypaaaaaaa
歴史・時代
1941年4月10日に世界初の本格的な機動部隊である第1航空艦隊の司令長官が任命された。
名は小沢治三郎。
年功序列で任命予定だった南雲忠一中将は”自分には不適任”として望んで第2艦隊司令長官に就いた。
ただ時局は引き返すことが出来ないほど悪化しており、小沢は戦いに身を投じていくことになる。
毎度同じようにこんなことがあったらなという願望を書き綴ったものです。
楽しんで頂ければ幸いです!
徳川家基、不本意!
克全
歴史・時代
幻の11代将軍、徳川家基が生き残っていたらどのような世の中になっていたのか?田沼意次に取立てられて、徳川家基の住む西之丸御納戸役となっていた長谷川平蔵が、田沼意次ではなく徳川家基に取り入って出世しようとしていたらどうなっていたのか?徳川家治が、次々と死んでいく自分の子供の死因に疑念を持っていたらどうなっていたのか、そのような事を考えて創作してみました。
よあけまえのキミへ
三咲ゆま
歴史・時代
時は幕末。二月前に父を亡くした少女、天野美湖(あまのみこ)は、ある日川辺で一枚の写真を拾った。
落とし主を探すべく奔走するうちに、拾い物が次々と縁をつなぎ、彼女の前にはやがて導かれるように六人の志士が集う。
広がる人脈に胸を弾ませていた美湖だったが、そんな日常は、やがてゆるやかに崩れ始めるのだった。
京の町を揺るがす不穏な連続放火事件を軸に、幕末に生きる人々の日常と非日常を描いた物語。
色は変わらず花は咲きけり〜平城太上天皇の変
Tempp
歴史・時代
奈良の都には梅が咲き誇っていた。
藤原薬子は小さい頃、兄に会いに遊びに来る安殿親王のことが好きだった。当時の安殿親王は皇族と言えども身分は低く、薬子にとっても兄の友人という身近な存在で。けれども安殿親王が太子となり、薬子の父が暗殺されてその後ろ盾を失った時、2人の間には身分の差が大きく隔たっていた。
血筋こそが物を言う貴族の世、権謀術数と怨念が渦巻き血で血を洗う都の内で薬子と安殿親王(後の平城天皇)が再び出会い、乱を起こすまでの話。
注:権謀術数と祟りと政治とちょっと禁断の恋的配分で、壬申の乱から平安京遷都が落ち着くまでの歴史群像劇です。
//
故里となりにし奈良の都にも色はかはらず花は咲きけり
(小さな頃、故郷の平城の都で見た花は今も変わらず美しく咲いているのですね)
『古今和歌集』奈良のみかど
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる