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一橋家の侍女・雛の「捜査協力」 ~雛は田安家侍女の廣瀬の死の真相を探るべく、田安大奥へと再就職を果たす~
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「そなた…、一橋民部卿殿が謀叛を把握しているとな?」
大番頭の水野忠韶は雛にそう問返すと雛も頷いたので、
「それを真、包隠さずに話してくれると申すのだな?」
忠韶は念押しする様に重ねて問返し、すると雛はやはり頷いた。
それから雛は忠韶を池に浮かぶ茶屋へと案内した。
「話が長くなります故…、さりとて大奥では外の侍女の目もあります故…」
そこで雛は池に浮かぶ茶屋にて存分に治済の「謀叛」の数々について申立てたいと、忠韶に願出たのであった。
成程、雛の「職場」である大奥には侍女がいた。否、侍女だけではない。治済の愛妾やその子女、それも幼子もおり、彼等は「逮捕予定者」のリストにはなく、それ故、彼等は、否、彼女等は身柄拘束は受けずに大奥にて留まることが許されていたのだ。
だがその様な中で、つまりは「逮捕」こそ免れたものの、主・治済を喪った愛妾や侍女たちの目がある大奥にては流石に雛も「捜査協力」などし難かろう。
何しろそれは治済を裏切ることを意味していたからであり、畢竟、「捜査協力」を、即ち治済の謀叛の数々について供述する雛に対して彼女等―、治済の愛妾や侍女たちが厳しい視線を投掛けるのは間違いない。
その点、池に浮かぶ茶屋ならば、彼女等の目も届かないので、雛も思う存分、「捜査協力」が、つまり治済の謀叛の数々を申立てられることが出来るというものである。
こうして雛は水野忠韶を池に浮かぶ茶屋へと案内した。
否、忠韶だけではない。永井直温や大久保忠恕、それに杉浦正勝ら全ての大番頭を茶屋へと案内したのだ。
忠韶一人に対して供述したのでは間違いがあるかも知れないからだ。
雛の供述に対して忠韶が聞間違いをしたり、或いは意味を取違えたりしたら大変である。
そこで雛は忠韶の外にも永井直温ら全ての大番頭を誘ったのである。
否、忠韶にしても元よりそのつもりであったので、そこで忠韶たち4人の大番頭は雛の案内により池に浮かぶ茶屋へと足を運び、そこで雛から「捜査協力」を、即ち、自供を受けた。
雛の自供だが、治済が家治たちに「冥途の土産」として得々と語ったのと寸分違わぬものであった。
それどころか治済の話を補強するものであり、治済が謀叛を練る場として治済の実兄である松平重富が主を務める福井藩上屋敷が使われたことも雛は供述した。
ここ一橋家上屋敷の大奥は内濠である一橋濠に面しており、そこで治済は大奥より船着場を設えさせ、そこから船で同じく内濠に面している福井藩上屋敷へと向かうのを常としていたそうな。
そうすれば何かと口喧しい家老に、とりわけ水谷勝富に気付かれずに、一橋家上屋敷を脱出すことが出来るからだ。
それ故、治済が船を使うのは実兄の許へと足を運ぶ際に止まらない。
水谷勝富に気付かれずに一橋家上屋敷を脱出そうと思えば必ず船を使ったそうな。
ともあれ、治済は「冥途の土産話」の際には実兄・松平重富については何も触れなかったが、それでも家治は重富ならば治済の実兄故、治済の謀叛に何らかの関与をしているに違いないと、そう考えて「逮捕予定者」のリストに含め、津山松平家の上屋敷にその身柄を預けた訳だが、どうやらそれは正解だったらしい。
さて、雛の供述は更に、池原良明刺殺事件、それに続く小笠原主水刺殺事件、戸田要人水死事件、更には深谷盛朝の「自害」にまで及んだ。
池原良誠が息、良明を殺害、刺殺したのはやはり、逐電した清水用人の小笠原主水であった。
それも清水家老の本多昌忠の犯行に見せかける為に、かねて昌忠が西川伊兵衛方に注文しておいた印籠を良明の手に握らせたそうな。
この印籠だがやはり清水家にて小十人頭を勤め、そして小笠原主水と同じ日に逐電した黒川久左衛門が昌忠の代理で西川伊兵衛より昌忠が注文しておいた印籠と根付を受取るや、清水家へと戻ることなく、一橋家の下屋敷へと駆込み、それから時を置かずして小笠原主水も駆込み、そうして黒川久左衛門は小笠原主水と落合うと、小笠原主水に昌忠が注文した印籠と根付を渡したそうな。それが安永8(1779)年の4月4日のことであった。
それから犯行当日の4月9日まで、小笠原主水は黒川久左衛門と共に一橋家の下屋敷―、向築地にある下屋敷にて寄宿していたそうな。
そして4月9日、小笠原主水はその印籠と根付を携えて犯行現場である、そして池原良誠の屋鋪からも程近い、愛宕山権現社の總門へと通ずる橋のたもとで池原良明が帰宅するのを待っていたそうな。
小笠原主水は池原良明とは会ったことはない。
だが医師ともなるど、その風体は独特のものであり、直ぐに判別がつく。
その橋のたもとからは池原家の屋鋪の門が良く窺えたので、そこで医師らしき風体の男が池原家の門前を通りかかれば、その者は間違いなく池原良明と見て差支えなかった。
否、もしかしたら親父の池原良誠である可能性も高かったが、それでも良かった。
それと言うのも池原良明を殺害する目的だが、それは良明が戸田要人と共に家基の死の真相の探索に乗出したからであった。
それこそが池原良明を殺害する目的、即ち、動機であり、それは一橋治済の動機と言えた。
つまり小笠原主水は清水家の用人であり乍、一橋治済に通じていたのだ。
それは「共犯者」である黒川久左衛門にも当て嵌まることであり、治済は己の犯罪―、「謀叛」と呼んでも差支えない家基毒殺、この真相の探索に乗出した池原良明が邪魔になり、小笠原主水と黒川久左衛門の両名に池原良明の「始末」を命じたとのことであった。
だが仮に池原良明ではなく、間違って親父の良誠を始末してしまったとしても、それで良明が親父の死は己の責任と気に病んでくれれば、治済としてはそれはそれで構わなかったそうな。
それで池原良明が探索を諦めるやも知れなかったからだ。
だが結果から言えば、小笠原主水は池原良明を仕留めることに成功し、その手に昌忠が注文、受取る筈であった印籠を握らせたそうな。
ちなみにそうまでして本多昌忠に池原良明殺しの濡れ衣を着せようとしたのはやはり「個人的な怨み」からであった。
即ち、小笠原主水は用人から側用人への昇格を望んでいたにもかかわらず、これを家老の本多昌忠に阻まれたことで、一方、黒川久左衛門は久左衛門で目附より小十人頭へと降格させられたのは家老の本多昌忠の所為であるとして、各々、昌忠を怨んでいたそうな。
かくして小笠原主水は愛宕山権現社の總門へと通ずる橋において池原良明を刺殺後、それが清水家老の本多昌忠の犯行であるかの様に見せかけると、黒川久左衛門が待つ向築地にある一橋家下屋敷へと戻ったそうな。
だがここでまさかの誤算が発生した。
何と、小笠原主水は池原良誠の手に印籠を握らせただけで、根付は持帰って来たのだ。
印籠と根付はセットである。池原良明が今わの際、下手人である本多昌忠の印籠を掴み、そして息絶えた―、そういう物語にする為には根付が犯行現場に、それも骸の直ぐ傍に落ちていなければならない。
それが根付だけは持帰って来るとは、斯かる物語に破綻を来す。
当然、黒川久左衛門は小笠原主水を難詰したそうだが、それに対して小笠原主水は何と、一橋治済を脅しにかかったのだ。
小笠原主水とて現場に根付が落ちていなければ物語に破綻を来すことぐらい承知していた。
にもかかわらず敢えて根付を持帰ったのは、これを治済への脅しの材料にする為であったそうな。
「この根付を然るべきところに御畏れながらと訴え出れば一橋様も終わりでござろう…」
小笠原主水は黒川久左衛門と共に小笠原主水を出迎えた治済の寵臣の岩本喜内をそう脅したそうな。
そこで岩本喜内は隙を見て小笠原主水を殺害、背中から脇差にて一突きにし、その遺骸を下屋敷の庭にて埋めたそうな。
ところで池原良明が刺殺され、その実行犯である小笠原主水までが口を塞がれた4月9日、向築地にある下屋敷にて、それも夜半に岩本喜内までがいたのは、治済の愛妾の喜志が懐妊、それも出産間近の為に、
「産穢を避ける為…」
その名目で4月1日より喜志が男児を出産した19日までの間、その向築地にある下屋敷へと足を運んでは、「どんちゃん騒ぎ」に興じていたそうだが、これもまた口実に過ぎず、
「一仕事終えた小笠原主水を出迎える為…」
それこそが岩本喜内が夜半であるにもかかわらず、上屋敷ではなく下屋敷に詰めていた真の理由であり、この時、岩本喜内だけが詰めていたのでは如何にも不自然と、そこで喜内の外にも目附や岩本喜内とは相役、同僚の徒頭が4月1日より19日までの間、毎日、下屋敷へと足を運び、また侍女にまで酌婦としてやはり毎日、下屋敷へと足を運ばせたそうで、その侍女の中には勿論、雛も含まれており、だからこそ雛は斯様に詳細な証言が可能であったのだ。
ちなみに外の家臣については交代で下屋敷へと足を運んだそうな。
そして雛の詳細な証言はこれに止まらなかった。
岩本喜内は小笠原主水を刺殺後、その骸を庭に埋めるに際して着物と大小二本を剥ぎ取ると、それらに重石を括り付けて池に沈めると同時に、全裸となった小笠原主水を庭に埋めたそうで、黒川久左衛門がこれを手伝ったそうな。
ちなみにこの時、件の根付は岩本喜内が回収したそうだが、これが後に命取りとなる。
岩本喜内は止せば良いのにその根付を我物としたのだ。余程に細工が気に入ったらしい。
ところがそれを岩本喜内は間抜けにも次の犯罪の折に犯行現場に落としてしまったのだ。
次の犯罪、それは戸田要人水死事件であり、一橋家上屋敷がその犯行現場であった。
池原良明亡き後も、戸田要人がその遺志を継いで家基の死の真相の探索を続け、治済はそこで岩本喜内と黒川久左衛門に戸田要人の始末を指示したそうな。
黒川久左衛門は岩本喜内が小笠原主水の口を封じた直後、用人の杉山嘉兵衛の許へと逃込んだそうな。
一橋家の家臣の中でも用人の杉山嘉兵衛だけは家基の縁者でもあるということで、
「杉山嘉兵衛だけは一橋用人であり乍、例外的に治済の息がかかっていないに相違あるまい…」
家治からはそう見られていた。否、それは大いなる誤解というものだが、しかし治済にしてみれば好都合であった。
治済も家治のその大いなる誤解には勿論気付いており、そこでそれを逆手に取ることにしたのであった。
即ち、黒川久左衛門の身柄を杉山嘉兵衛の許に預けることであった。
黒川久左衛門は本多昌忠の名代として西川伊兵衛方より印籠と根付を受取ったことはいずれ明らかとなり、その場合、黒川久左衛門もまた池原良明殺しに何らかの関係があるのではないかと、そう辿り着くのにそう時間は要さないであろう。
その場合、家治のことである、黒川久左衛門を見つけるべく一橋家の屋敷という屋敷を、上屋敷、下屋敷を問わずに徹底的に捜索させるに相違ない―、治済はそう予期して黒川久左衛門を杉山嘉兵衛の屋鋪にて匿わせたそうな。
杉山嘉兵衛自身は一橋用人ということもあり、一橋家上屋敷の組屋敷にて起居していたものの、それとは別に本所南割下水に屋鋪を構えており、そこでは嫡子にして今は小姓組番士の杉山又四郎義制が起居しており、そこへ黒川久左衛門を匿わせたそうな。
そしてそれから4ヵ月後の8月2日、杉山又四郎がさも、戸田要人の味方のフリをして、それも家基の縁者であったことを強調して、
「この杉山又四郎もまた家基公の死の真相に大いに興味がある…」
戸田要人にそう刷込ませ、その上で言葉巧みに一橋家上屋敷へと誘き寄せ、そこで、それも邸内の池にて戸田要人を水死させたのであった。
実際には黒川久左衛門と杉山又四郎が池の手前で戸田要人の身体を押さえ付け、その上で岩本喜内が戸田要人の顔を池の水に漬けて窒息死させたのであった。
そして戸田要人の水死体は例の如く、大奥へと通ずる船着場へと運び、そして船に乗せては一橋濠にて投棄したのであった。
そうすることで、さも戸田要人が足でも滑らせて濠に落ちたかの様に見せかける為であったが、しかし実際には大いに滑ったのは治済の方であった。
即ち、戸田要人の口には多量の水草が含まれており、池の水で窒息死させられたことを示していた。
しかもそれで家治が一橋家の上屋敷、それも池の周囲の捜索に踏切ったところ、件の根付が落ちていたのだから目も当てられない。
どうやら岩本喜内が戸田要人を池の水に漬けて窒息死させる際に落としてしまったらしい。
だがそれでも戸田要人を水死させたとする決定的な証拠は出てこず、さりとてこのまま黒川久左衛門を杉山又四郎方に匿わせるのも危険であると、そこで治済は黒川久左衛門をどこぞへと移したそうだが、そこが果たして何処なのか、そこまでは雛にも分からぬそうだ。
さて、池原良明に続いて戸田要人まで殺害、その口を封じたことで、
「これで最早、家基の死の真相を探る輩はおるまい…」
治済がそう安心していたところ、案に相違して西之丸目附の深谷盛朝が探索を引継いだことから、治済は盛朝の殺害まで計画、そこで家臣の横山善太郎直重を使ったそうな。
深谷盛朝には本家筋に当たる深谷喜四郎忠囿なる者があり、この深谷喜四郎の実妹を娶っていたのが一橋家臣の横山善太郎であった。
そこで深谷盛朝と横山善太郎とは顔見知りであったが、その程度であった。
互いにこれといって感慨はなく、だからこそ横山善太郎も縁者である深谷盛朝の殺害には躊躇なかった。
尤も、だからと言って簡単に殺せるものではない。ましてや自害に見せかけるとなれば尚更であろう。
池原良明、戸田要人に続いて深谷盛朝まで始末するとなれば、絶対に自害に見せかけることが必要であった。
これで殺しともなれば、流石に治済も無事では済まないやも知れず、治済自身がそれを恐れていたからだそうな。
そこで治済はまず横山善太郎を深谷盛朝へと近付けさせることから始めたそうな。即ち、
「己が仕える治済がどうやら家基公を毒殺した可能性があり、一橋家臣としてどう振舞えば良いのか悩んでいる…」
横山善太郎には深谷盛朝にそう囁かせて盛朝へと近付けさせたのであった。
これには深谷盛朝もコロリと騙されてしまい、すっかり横山善太郎に気を許したそうな。
横山善太郎は戸田要人が始末された後、安永8(1779)年9月より深谷盛朝と「交際」を始め、それが翌年の11月まで続いた。
その頃になると横山善太郎は深谷盛朝とは互いの屋鋪を往来する程に盛朝からの信頼を勝ち得ていた。横山善太郎もまた、一橋家上屋敷の組屋敷にて起居していたのだが、それとは別に屋鋪を構えており、そこで深谷盛朝を招くこともあったそうな。
そして11月8日に横山善太郎は愈々、「決行」に移ったそうな。
11月8日も横山善太郎は深谷盛朝の屋鋪に招かれ、予め用意しておいた眠り薬を盛朝の隙を見て盛朝の茶に混入、そうして盛朝を眠らせたところで、自害に見せかけて殺害したそうな。
屋鋪には当然、家族や家族などの家人がいた。
だがこの日に限っては盛朝は家人を全員、外出させた上で横山善太郎を迎えたのであった。
何しろそれが横山善太郎の希望であり、
「治済が家基公を毒殺したカラクリが漸くに分かりましたので、ついては二人だけで逢いたい…」
横山善太郎よりそう耳打ちされては、己が屋鋪にて逢うのが一番安全と、そこでその日に限って盛朝は家族とその家臣や更にはその家族をも皆、外出させた上で横山善太郎を出迎えたのだが、結果から言えばそれが盛朝の命取りとなってしまった。
横山善太郎は深谷盛朝を眠り薬で眠らせてから、盛朝の脇差を抜き、そしてその脇差で盛朝の心の臓を一突きにしたそうな。
横山善太郎はそれから更に予め用意しておいた遺書まで骸となった盛朝の傍に置いたのであった。
横山善太郎は右筆として治済に仕えており、他人の筆跡を真似るのが得意なそうで、深谷盛朝とは文通も交わして、盛朝の筆跡を修得し、それを遺書の偽造に反映させたそうな。
以上が雛の知り得る治済の謀叛の数々であり、しかし田安家侍女の廣瀬が不審死を遂げた一件については流石の雛も知らない様子であった。
だがこれより前―、池原良明は元より、家基も殺害される前、つまりはまだ存命であった安永4(1775)年に謎の死を遂げた廣瀬の一件については雛も把握しておらず、そこで雛は驚くべき提案をした。
「さればこの雛めを田安家にて…、その大奥にて召抱えられる様、便宜を図っては下さいませぬか?」
田安家上屋敷の大奥に再就職、というのは名目で、その実、廣瀬の死の一件について探索したいと、雛はそう申出ていたのだ。
これには水野忠韶たち大番頭も大いに驚かされたものの、
「悪い考えではない…」
その様にも思えた。
廣瀬の死にもやはり治済が絡んでいると見て間違いなかった。
何しろ廣瀬は寶蓮院を介して―、寶蓮院と共に本丸大奥へと登り、そこで倫子や己が中年寄として仕えていた萬壽姫の死が実は病死などではなく毒殺されたのではないかと、そう家治に告発しようとした矢先に謎の死を、それも縊死を遂げたからだ。
だとしたら田安家上屋敷に仕える者の中にも一橋治済の息がかかっている者が潜んでおり、廣瀬はその者の手にかかって死を遂げた、つまりは殺された可能性が高かった。
だがこれを解明するのは中々に難しい。
何しろ、廣瀬の死から既に9年が経過していたからだ。
それでも廣瀬の死の真相を解明かそうとするならば、つまりは治済の謀叛の一端を白日の下に晒そうとするならば、誰かが田安家上屋敷の大奥へと潜り込み、その者に探索させるのが早道と言えた。
その役目を雛が担おうと言うのである。水野忠韶たち大番頭が「悪い考えではない…」とそう思ったのも当然であった。
それに雛にしてもこのまま一橋家上屋敷の大奥にて仕え続けるのは難しかろう。
何しろ、同僚とも言うべき一橋家臣の「逮捕」を防ぐべく水野忠韶を人質に取ってまで、「逮捕」に抵抗した茜を雛が斃してしまったのである。
その様な雛はこの先、ここ一橋家上屋敷の大奥にて仕え続けるというのは正に針の莚に等しい。
一橋家においては男の家臣は家老の水谷勝富を除いて、それに今もまだ御城に残っているやはり家老の林忠篤をも除いて皆、「逮捕」されてしまった。
だが女については、つまりは大奥にて仕える侍女や或いは治済の愛妾に限ってはその子女と共に「逮捕予定者」には含まれておらず、それ故、引続き大奥にて暮らすことが許されていた。
尤も、それでは一橋家上屋敷は女しかいないことになってしまい、それでは如何にも無用心という訳で、一橋家上屋敷へと「逮捕」に差向けられた4つの大番組―、1番組と6番組、4番組と8番組の4大番組が交代で一橋家上屋敷の警衛に当たることになっていた。
今後、一橋家が取潰されるのかどうか、それはまだ分からぬが、それでも何らかの沙汰が下されるのは間違いなく、それまでの間はこの4大番組が交代で一橋家上屋敷の警衛に当たる。
そしてそれは一橋家上屋敷の大奥にて仕える侍女や、或いは愛妾やその家族にも当て嵌まる。
雛も勿論、引続き一橋家上屋敷の大奥にて侍女として仕え続けることは出来るものの、しかしそれでは針の莚と、そこで新天地を求めたのであろう。
つまりは廣瀬の死の探索というのは口実で、田安家上屋敷の大奥に再就職を果たすこと、それ自体が目的であったのやも知れぬ。
尤も、だからと言ってそれが悪い訳ではなかろう。何しろ雛はここまで捜査協力をしたのだ。それぐらいの余得に与からせても問題はあるまい。
それに廣瀬の死の探索というのも、あながち口実とも言切れまい。雛のことである。真、探索に乗出すことが期待出来た。
斯かる次第で水野忠韶たち大番頭は皆、雛のその願を聞届けてやることで衆議一決、しかし最終的な決裁権者である将軍・家治の協力は得なければならず、そこで忠韶とそれに永井直温の二人が大番頭を代表して急ぎ御城へと戻ると、将軍・家治に対して「逮捕」の報告と共に、雛の「捜査協力」についても併せて語って聞かせたのであった。
それに対して家治は雛の願出を許した。
成程、雛は治済の共犯者であったやも知れぬが、前非を悔いてここまで「捜査協力」をしてくれた以上、その程度の願は聞届けてやらねばなるまい。
否、その願にしても治済の謀叛の一端を明らかにするものであるならば、尚の事、聞届けねばなるまい。
そこで家治は今度は御側御用取次見習の松平忠寄を田安家上屋敷へと差向けた。
「一橋家の侍女の雛を田安家大奥にて召抱えて欲しい…」
家治は田安家の女主である寶蓮院にそう頼むべく、そこで松平忠寄を使者として立てたのであった。
本来ならば家治自身が田安家上屋敷へと足を運びたいところであったが、将軍ともなると、そうもゆくまい。
そこで御側衆の中でもとりわけ高い家格を誇る、御用取次見習いの松平忠寄を寶蓮院の許へと遣わしたのであった。
松平忠寄は由緒正しき五井松平のそれも嫡流であり、家柄という点では忠寄は御側衆の中でも一頭地を抜いていた。
そして由緒という点では寶蓮院にしても同様であった。
何しろ寶蓮院は前の太政大臣、近衛家久の息女にして、御三卿筆頭の田安家の始祖である宗武の室でもあったという由緒を誇る。
それ程の由緒を誇る寶蓮院に対して使者を差向けるともなれば、それも寶蓮院に「再就職」の陳情の為の使者ともなれば、由緒正しき者を使者に立てる必要があった。
家治は基本的には祖父・吉宗譲りの実力主義者ではあったが、さりとて家柄や由緒といったものを全く無視するアナーキストでもなかった。
実力があるが、しかし由緒という点では松平忠寄よりも劣る、例えば御用取次の横田準松や、或いは本郷泰行を寶蓮院の許へと差向けて、
「御側衆の中には最も由緒正しき松平忠寄がおろうに…」
にもかかわらず敢えて、その忠寄よりも由緒の劣る横田準松、或いは本郷泰行を差向けるとは、
「上様はこの寶蓮院を見くびられておいでか…」
寶蓮院に斯かる邪推をさせる恐れがあり得た。
否、寶蓮院の人柄からして、それは到底あり得ないであろうことは家治も承知していたが、しかし少しでもその危険性があるのならば、その芽は摘み取っておくのが賢明であろう。
斯かる次第で家治は忠寄を使者に立てたのであり、それに対して寶蓮院も雛の「再就職」の件を快諾したのであった。
その際、身元保証人、所謂、宿元が必要となり、それは大番頭の杉浦正勝が引受けた。
雛の「再就職」が叶った件は―、寶蓮院にそれを認めて貰った件については将軍・家治より大番頭の水野忠韶を介して雛へと伝えられると、その場にいた杉浦正勝が、「それなれば…」と雛の宿元になることを申出たのであった。
杉浦正勝が雛の宿元になると申出たのには理由があり、縁者の杉浦猪兵衛良昭の存在がその理由であった。
杉浦猪兵衛は杉浦正勝の縁者にして、田安家上屋敷にて廣敷用人として寶蓮院に仕えていたのだ。
そこで杉浦正勝が雛の宿元になることとし、雛はこうしてその日の内に田安大奥に「再就職」を果たしたのであった。
その折―、それも田安家の門を潜る直前、雛は見送りに訪れた杉浦正勝に対して、「そうそう…」と何かを思い出したかの様に切出すと、
「治済めは島津重豪より密かに連発銃を買求め、その連発銃を一橋家の大奥にて保管しておりまして、治済は最期の登城の折にその連発銃を出す様、この雛に命じたのでござりまする…」
実にとんでもないことを思い出したのであった。
大番頭の水野忠韶は雛にそう問返すと雛も頷いたので、
「それを真、包隠さずに話してくれると申すのだな?」
忠韶は念押しする様に重ねて問返し、すると雛はやはり頷いた。
それから雛は忠韶を池に浮かぶ茶屋へと案内した。
「話が長くなります故…、さりとて大奥では外の侍女の目もあります故…」
そこで雛は池に浮かぶ茶屋にて存分に治済の「謀叛」の数々について申立てたいと、忠韶に願出たのであった。
成程、雛の「職場」である大奥には侍女がいた。否、侍女だけではない。治済の愛妾やその子女、それも幼子もおり、彼等は「逮捕予定者」のリストにはなく、それ故、彼等は、否、彼女等は身柄拘束は受けずに大奥にて留まることが許されていたのだ。
だがその様な中で、つまりは「逮捕」こそ免れたものの、主・治済を喪った愛妾や侍女たちの目がある大奥にては流石に雛も「捜査協力」などし難かろう。
何しろそれは治済を裏切ることを意味していたからであり、畢竟、「捜査協力」を、即ち治済の謀叛の数々について供述する雛に対して彼女等―、治済の愛妾や侍女たちが厳しい視線を投掛けるのは間違いない。
その点、池に浮かぶ茶屋ならば、彼女等の目も届かないので、雛も思う存分、「捜査協力」が、つまり治済の謀叛の数々を申立てられることが出来るというものである。
こうして雛は水野忠韶を池に浮かぶ茶屋へと案内した。
否、忠韶だけではない。永井直温や大久保忠恕、それに杉浦正勝ら全ての大番頭を茶屋へと案内したのだ。
忠韶一人に対して供述したのでは間違いがあるかも知れないからだ。
雛の供述に対して忠韶が聞間違いをしたり、或いは意味を取違えたりしたら大変である。
そこで雛は忠韶の外にも永井直温ら全ての大番頭を誘ったのである。
否、忠韶にしても元よりそのつもりであったので、そこで忠韶たち4人の大番頭は雛の案内により池に浮かぶ茶屋へと足を運び、そこで雛から「捜査協力」を、即ち、自供を受けた。
雛の自供だが、治済が家治たちに「冥途の土産」として得々と語ったのと寸分違わぬものであった。
それどころか治済の話を補強するものであり、治済が謀叛を練る場として治済の実兄である松平重富が主を務める福井藩上屋敷が使われたことも雛は供述した。
ここ一橋家上屋敷の大奥は内濠である一橋濠に面しており、そこで治済は大奥より船着場を設えさせ、そこから船で同じく内濠に面している福井藩上屋敷へと向かうのを常としていたそうな。
そうすれば何かと口喧しい家老に、とりわけ水谷勝富に気付かれずに、一橋家上屋敷を脱出すことが出来るからだ。
それ故、治済が船を使うのは実兄の許へと足を運ぶ際に止まらない。
水谷勝富に気付かれずに一橋家上屋敷を脱出そうと思えば必ず船を使ったそうな。
ともあれ、治済は「冥途の土産話」の際には実兄・松平重富については何も触れなかったが、それでも家治は重富ならば治済の実兄故、治済の謀叛に何らかの関与をしているに違いないと、そう考えて「逮捕予定者」のリストに含め、津山松平家の上屋敷にその身柄を預けた訳だが、どうやらそれは正解だったらしい。
さて、雛の供述は更に、池原良明刺殺事件、それに続く小笠原主水刺殺事件、戸田要人水死事件、更には深谷盛朝の「自害」にまで及んだ。
池原良誠が息、良明を殺害、刺殺したのはやはり、逐電した清水用人の小笠原主水であった。
それも清水家老の本多昌忠の犯行に見せかける為に、かねて昌忠が西川伊兵衛方に注文しておいた印籠を良明の手に握らせたそうな。
この印籠だがやはり清水家にて小十人頭を勤め、そして小笠原主水と同じ日に逐電した黒川久左衛門が昌忠の代理で西川伊兵衛より昌忠が注文しておいた印籠と根付を受取るや、清水家へと戻ることなく、一橋家の下屋敷へと駆込み、それから時を置かずして小笠原主水も駆込み、そうして黒川久左衛門は小笠原主水と落合うと、小笠原主水に昌忠が注文した印籠と根付を渡したそうな。それが安永8(1779)年の4月4日のことであった。
それから犯行当日の4月9日まで、小笠原主水は黒川久左衛門と共に一橋家の下屋敷―、向築地にある下屋敷にて寄宿していたそうな。
そして4月9日、小笠原主水はその印籠と根付を携えて犯行現場である、そして池原良誠の屋鋪からも程近い、愛宕山権現社の總門へと通ずる橋のたもとで池原良明が帰宅するのを待っていたそうな。
小笠原主水は池原良明とは会ったことはない。
だが医師ともなるど、その風体は独特のものであり、直ぐに判別がつく。
その橋のたもとからは池原家の屋鋪の門が良く窺えたので、そこで医師らしき風体の男が池原家の門前を通りかかれば、その者は間違いなく池原良明と見て差支えなかった。
否、もしかしたら親父の池原良誠である可能性も高かったが、それでも良かった。
それと言うのも池原良明を殺害する目的だが、それは良明が戸田要人と共に家基の死の真相の探索に乗出したからであった。
それこそが池原良明を殺害する目的、即ち、動機であり、それは一橋治済の動機と言えた。
つまり小笠原主水は清水家の用人であり乍、一橋治済に通じていたのだ。
それは「共犯者」である黒川久左衛門にも当て嵌まることであり、治済は己の犯罪―、「謀叛」と呼んでも差支えない家基毒殺、この真相の探索に乗出した池原良明が邪魔になり、小笠原主水と黒川久左衛門の両名に池原良明の「始末」を命じたとのことであった。
だが仮に池原良明ではなく、間違って親父の良誠を始末してしまったとしても、それで良明が親父の死は己の責任と気に病んでくれれば、治済としてはそれはそれで構わなかったそうな。
それで池原良明が探索を諦めるやも知れなかったからだ。
だが結果から言えば、小笠原主水は池原良明を仕留めることに成功し、その手に昌忠が注文、受取る筈であった印籠を握らせたそうな。
ちなみにそうまでして本多昌忠に池原良明殺しの濡れ衣を着せようとしたのはやはり「個人的な怨み」からであった。
即ち、小笠原主水は用人から側用人への昇格を望んでいたにもかかわらず、これを家老の本多昌忠に阻まれたことで、一方、黒川久左衛門は久左衛門で目附より小十人頭へと降格させられたのは家老の本多昌忠の所為であるとして、各々、昌忠を怨んでいたそうな。
かくして小笠原主水は愛宕山権現社の總門へと通ずる橋において池原良明を刺殺後、それが清水家老の本多昌忠の犯行であるかの様に見せかけると、黒川久左衛門が待つ向築地にある一橋家下屋敷へと戻ったそうな。
だがここでまさかの誤算が発生した。
何と、小笠原主水は池原良誠の手に印籠を握らせただけで、根付は持帰って来たのだ。
印籠と根付はセットである。池原良明が今わの際、下手人である本多昌忠の印籠を掴み、そして息絶えた―、そういう物語にする為には根付が犯行現場に、それも骸の直ぐ傍に落ちていなければならない。
それが根付だけは持帰って来るとは、斯かる物語に破綻を来す。
当然、黒川久左衛門は小笠原主水を難詰したそうだが、それに対して小笠原主水は何と、一橋治済を脅しにかかったのだ。
小笠原主水とて現場に根付が落ちていなければ物語に破綻を来すことぐらい承知していた。
にもかかわらず敢えて根付を持帰ったのは、これを治済への脅しの材料にする為であったそうな。
「この根付を然るべきところに御畏れながらと訴え出れば一橋様も終わりでござろう…」
小笠原主水は黒川久左衛門と共に小笠原主水を出迎えた治済の寵臣の岩本喜内をそう脅したそうな。
そこで岩本喜内は隙を見て小笠原主水を殺害、背中から脇差にて一突きにし、その遺骸を下屋敷の庭にて埋めたそうな。
ところで池原良明が刺殺され、その実行犯である小笠原主水までが口を塞がれた4月9日、向築地にある下屋敷にて、それも夜半に岩本喜内までがいたのは、治済の愛妾の喜志が懐妊、それも出産間近の為に、
「産穢を避ける為…」
その名目で4月1日より喜志が男児を出産した19日までの間、その向築地にある下屋敷へと足を運んでは、「どんちゃん騒ぎ」に興じていたそうだが、これもまた口実に過ぎず、
「一仕事終えた小笠原主水を出迎える為…」
それこそが岩本喜内が夜半であるにもかかわらず、上屋敷ではなく下屋敷に詰めていた真の理由であり、この時、岩本喜内だけが詰めていたのでは如何にも不自然と、そこで喜内の外にも目附や岩本喜内とは相役、同僚の徒頭が4月1日より19日までの間、毎日、下屋敷へと足を運び、また侍女にまで酌婦としてやはり毎日、下屋敷へと足を運ばせたそうで、その侍女の中には勿論、雛も含まれており、だからこそ雛は斯様に詳細な証言が可能であったのだ。
ちなみに外の家臣については交代で下屋敷へと足を運んだそうな。
そして雛の詳細な証言はこれに止まらなかった。
岩本喜内は小笠原主水を刺殺後、その骸を庭に埋めるに際して着物と大小二本を剥ぎ取ると、それらに重石を括り付けて池に沈めると同時に、全裸となった小笠原主水を庭に埋めたそうで、黒川久左衛門がこれを手伝ったそうな。
ちなみにこの時、件の根付は岩本喜内が回収したそうだが、これが後に命取りとなる。
岩本喜内は止せば良いのにその根付を我物としたのだ。余程に細工が気に入ったらしい。
ところがそれを岩本喜内は間抜けにも次の犯罪の折に犯行現場に落としてしまったのだ。
次の犯罪、それは戸田要人水死事件であり、一橋家上屋敷がその犯行現場であった。
池原良明亡き後も、戸田要人がその遺志を継いで家基の死の真相の探索を続け、治済はそこで岩本喜内と黒川久左衛門に戸田要人の始末を指示したそうな。
黒川久左衛門は岩本喜内が小笠原主水の口を封じた直後、用人の杉山嘉兵衛の許へと逃込んだそうな。
一橋家の家臣の中でも用人の杉山嘉兵衛だけは家基の縁者でもあるということで、
「杉山嘉兵衛だけは一橋用人であり乍、例外的に治済の息がかかっていないに相違あるまい…」
家治からはそう見られていた。否、それは大いなる誤解というものだが、しかし治済にしてみれば好都合であった。
治済も家治のその大いなる誤解には勿論気付いており、そこでそれを逆手に取ることにしたのであった。
即ち、黒川久左衛門の身柄を杉山嘉兵衛の許に預けることであった。
黒川久左衛門は本多昌忠の名代として西川伊兵衛方より印籠と根付を受取ったことはいずれ明らかとなり、その場合、黒川久左衛門もまた池原良明殺しに何らかの関係があるのではないかと、そう辿り着くのにそう時間は要さないであろう。
その場合、家治のことである、黒川久左衛門を見つけるべく一橋家の屋敷という屋敷を、上屋敷、下屋敷を問わずに徹底的に捜索させるに相違ない―、治済はそう予期して黒川久左衛門を杉山嘉兵衛の屋鋪にて匿わせたそうな。
杉山嘉兵衛自身は一橋用人ということもあり、一橋家上屋敷の組屋敷にて起居していたものの、それとは別に本所南割下水に屋鋪を構えており、そこでは嫡子にして今は小姓組番士の杉山又四郎義制が起居しており、そこへ黒川久左衛門を匿わせたそうな。
そしてそれから4ヵ月後の8月2日、杉山又四郎がさも、戸田要人の味方のフリをして、それも家基の縁者であったことを強調して、
「この杉山又四郎もまた家基公の死の真相に大いに興味がある…」
戸田要人にそう刷込ませ、その上で言葉巧みに一橋家上屋敷へと誘き寄せ、そこで、それも邸内の池にて戸田要人を水死させたのであった。
実際には黒川久左衛門と杉山又四郎が池の手前で戸田要人の身体を押さえ付け、その上で岩本喜内が戸田要人の顔を池の水に漬けて窒息死させたのであった。
そして戸田要人の水死体は例の如く、大奥へと通ずる船着場へと運び、そして船に乗せては一橋濠にて投棄したのであった。
そうすることで、さも戸田要人が足でも滑らせて濠に落ちたかの様に見せかける為であったが、しかし実際には大いに滑ったのは治済の方であった。
即ち、戸田要人の口には多量の水草が含まれており、池の水で窒息死させられたことを示していた。
しかもそれで家治が一橋家の上屋敷、それも池の周囲の捜索に踏切ったところ、件の根付が落ちていたのだから目も当てられない。
どうやら岩本喜内が戸田要人を池の水に漬けて窒息死させる際に落としてしまったらしい。
だがそれでも戸田要人を水死させたとする決定的な証拠は出てこず、さりとてこのまま黒川久左衛門を杉山又四郎方に匿わせるのも危険であると、そこで治済は黒川久左衛門をどこぞへと移したそうだが、そこが果たして何処なのか、そこまでは雛にも分からぬそうだ。
さて、池原良明に続いて戸田要人まで殺害、その口を封じたことで、
「これで最早、家基の死の真相を探る輩はおるまい…」
治済がそう安心していたところ、案に相違して西之丸目附の深谷盛朝が探索を引継いだことから、治済は盛朝の殺害まで計画、そこで家臣の横山善太郎直重を使ったそうな。
深谷盛朝には本家筋に当たる深谷喜四郎忠囿なる者があり、この深谷喜四郎の実妹を娶っていたのが一橋家臣の横山善太郎であった。
そこで深谷盛朝と横山善太郎とは顔見知りであったが、その程度であった。
互いにこれといって感慨はなく、だからこそ横山善太郎も縁者である深谷盛朝の殺害には躊躇なかった。
尤も、だからと言って簡単に殺せるものではない。ましてや自害に見せかけるとなれば尚更であろう。
池原良明、戸田要人に続いて深谷盛朝まで始末するとなれば、絶対に自害に見せかけることが必要であった。
これで殺しともなれば、流石に治済も無事では済まないやも知れず、治済自身がそれを恐れていたからだそうな。
そこで治済はまず横山善太郎を深谷盛朝へと近付けさせることから始めたそうな。即ち、
「己が仕える治済がどうやら家基公を毒殺した可能性があり、一橋家臣としてどう振舞えば良いのか悩んでいる…」
横山善太郎には深谷盛朝にそう囁かせて盛朝へと近付けさせたのであった。
これには深谷盛朝もコロリと騙されてしまい、すっかり横山善太郎に気を許したそうな。
横山善太郎は戸田要人が始末された後、安永8(1779)年9月より深谷盛朝と「交際」を始め、それが翌年の11月まで続いた。
その頃になると横山善太郎は深谷盛朝とは互いの屋鋪を往来する程に盛朝からの信頼を勝ち得ていた。横山善太郎もまた、一橋家上屋敷の組屋敷にて起居していたのだが、それとは別に屋鋪を構えており、そこで深谷盛朝を招くこともあったそうな。
そして11月8日に横山善太郎は愈々、「決行」に移ったそうな。
11月8日も横山善太郎は深谷盛朝の屋鋪に招かれ、予め用意しておいた眠り薬を盛朝の隙を見て盛朝の茶に混入、そうして盛朝を眠らせたところで、自害に見せかけて殺害したそうな。
屋鋪には当然、家族や家族などの家人がいた。
だがこの日に限っては盛朝は家人を全員、外出させた上で横山善太郎を迎えたのであった。
何しろそれが横山善太郎の希望であり、
「治済が家基公を毒殺したカラクリが漸くに分かりましたので、ついては二人だけで逢いたい…」
横山善太郎よりそう耳打ちされては、己が屋鋪にて逢うのが一番安全と、そこでその日に限って盛朝は家族とその家臣や更にはその家族をも皆、外出させた上で横山善太郎を出迎えたのだが、結果から言えばそれが盛朝の命取りとなってしまった。
横山善太郎は深谷盛朝を眠り薬で眠らせてから、盛朝の脇差を抜き、そしてその脇差で盛朝の心の臓を一突きにしたそうな。
横山善太郎はそれから更に予め用意しておいた遺書まで骸となった盛朝の傍に置いたのであった。
横山善太郎は右筆として治済に仕えており、他人の筆跡を真似るのが得意なそうで、深谷盛朝とは文通も交わして、盛朝の筆跡を修得し、それを遺書の偽造に反映させたそうな。
以上が雛の知り得る治済の謀叛の数々であり、しかし田安家侍女の廣瀬が不審死を遂げた一件については流石の雛も知らない様子であった。
だがこれより前―、池原良明は元より、家基も殺害される前、つまりはまだ存命であった安永4(1775)年に謎の死を遂げた廣瀬の一件については雛も把握しておらず、そこで雛は驚くべき提案をした。
「さればこの雛めを田安家にて…、その大奥にて召抱えられる様、便宜を図っては下さいませぬか?」
田安家上屋敷の大奥に再就職、というのは名目で、その実、廣瀬の死の一件について探索したいと、雛はそう申出ていたのだ。
これには水野忠韶たち大番頭も大いに驚かされたものの、
「悪い考えではない…」
その様にも思えた。
廣瀬の死にもやはり治済が絡んでいると見て間違いなかった。
何しろ廣瀬は寶蓮院を介して―、寶蓮院と共に本丸大奥へと登り、そこで倫子や己が中年寄として仕えていた萬壽姫の死が実は病死などではなく毒殺されたのではないかと、そう家治に告発しようとした矢先に謎の死を、それも縊死を遂げたからだ。
だとしたら田安家上屋敷に仕える者の中にも一橋治済の息がかかっている者が潜んでおり、廣瀬はその者の手にかかって死を遂げた、つまりは殺された可能性が高かった。
だがこれを解明するのは中々に難しい。
何しろ、廣瀬の死から既に9年が経過していたからだ。
それでも廣瀬の死の真相を解明かそうとするならば、つまりは治済の謀叛の一端を白日の下に晒そうとするならば、誰かが田安家上屋敷の大奥へと潜り込み、その者に探索させるのが早道と言えた。
その役目を雛が担おうと言うのである。水野忠韶たち大番頭が「悪い考えではない…」とそう思ったのも当然であった。
それに雛にしてもこのまま一橋家上屋敷の大奥にて仕え続けるのは難しかろう。
何しろ、同僚とも言うべき一橋家臣の「逮捕」を防ぐべく水野忠韶を人質に取ってまで、「逮捕」に抵抗した茜を雛が斃してしまったのである。
その様な雛はこの先、ここ一橋家上屋敷の大奥にて仕え続けるというのは正に針の莚に等しい。
一橋家においては男の家臣は家老の水谷勝富を除いて、それに今もまだ御城に残っているやはり家老の林忠篤をも除いて皆、「逮捕」されてしまった。
だが女については、つまりは大奥にて仕える侍女や或いは治済の愛妾に限ってはその子女と共に「逮捕予定者」には含まれておらず、それ故、引続き大奥にて暮らすことが許されていた。
尤も、それでは一橋家上屋敷は女しかいないことになってしまい、それでは如何にも無用心という訳で、一橋家上屋敷へと「逮捕」に差向けられた4つの大番組―、1番組と6番組、4番組と8番組の4大番組が交代で一橋家上屋敷の警衛に当たることになっていた。
今後、一橋家が取潰されるのかどうか、それはまだ分からぬが、それでも何らかの沙汰が下されるのは間違いなく、それまでの間はこの4大番組が交代で一橋家上屋敷の警衛に当たる。
そしてそれは一橋家上屋敷の大奥にて仕える侍女や、或いは愛妾やその家族にも当て嵌まる。
雛も勿論、引続き一橋家上屋敷の大奥にて侍女として仕え続けることは出来るものの、しかしそれでは針の莚と、そこで新天地を求めたのであろう。
つまりは廣瀬の死の探索というのは口実で、田安家上屋敷の大奥に再就職を果たすこと、それ自体が目的であったのやも知れぬ。
尤も、だからと言ってそれが悪い訳ではなかろう。何しろ雛はここまで捜査協力をしたのだ。それぐらいの余得に与からせても問題はあるまい。
それに廣瀬の死の探索というのも、あながち口実とも言切れまい。雛のことである。真、探索に乗出すことが期待出来た。
斯かる次第で水野忠韶たち大番頭は皆、雛のその願を聞届けてやることで衆議一決、しかし最終的な決裁権者である将軍・家治の協力は得なければならず、そこで忠韶とそれに永井直温の二人が大番頭を代表して急ぎ御城へと戻ると、将軍・家治に対して「逮捕」の報告と共に、雛の「捜査協力」についても併せて語って聞かせたのであった。
それに対して家治は雛の願出を許した。
成程、雛は治済の共犯者であったやも知れぬが、前非を悔いてここまで「捜査協力」をしてくれた以上、その程度の願は聞届けてやらねばなるまい。
否、その願にしても治済の謀叛の一端を明らかにするものであるならば、尚の事、聞届けねばなるまい。
そこで家治は今度は御側御用取次見習の松平忠寄を田安家上屋敷へと差向けた。
「一橋家の侍女の雛を田安家大奥にて召抱えて欲しい…」
家治は田安家の女主である寶蓮院にそう頼むべく、そこで松平忠寄を使者として立てたのであった。
本来ならば家治自身が田安家上屋敷へと足を運びたいところであったが、将軍ともなると、そうもゆくまい。
そこで御側衆の中でもとりわけ高い家格を誇る、御用取次見習いの松平忠寄を寶蓮院の許へと遣わしたのであった。
松平忠寄は由緒正しき五井松平のそれも嫡流であり、家柄という点では忠寄は御側衆の中でも一頭地を抜いていた。
そして由緒という点では寶蓮院にしても同様であった。
何しろ寶蓮院は前の太政大臣、近衛家久の息女にして、御三卿筆頭の田安家の始祖である宗武の室でもあったという由緒を誇る。
それ程の由緒を誇る寶蓮院に対して使者を差向けるともなれば、それも寶蓮院に「再就職」の陳情の為の使者ともなれば、由緒正しき者を使者に立てる必要があった。
家治は基本的には祖父・吉宗譲りの実力主義者ではあったが、さりとて家柄や由緒といったものを全く無視するアナーキストでもなかった。
実力があるが、しかし由緒という点では松平忠寄よりも劣る、例えば御用取次の横田準松や、或いは本郷泰行を寶蓮院の許へと差向けて、
「御側衆の中には最も由緒正しき松平忠寄がおろうに…」
にもかかわらず敢えて、その忠寄よりも由緒の劣る横田準松、或いは本郷泰行を差向けるとは、
「上様はこの寶蓮院を見くびられておいでか…」
寶蓮院に斯かる邪推をさせる恐れがあり得た。
否、寶蓮院の人柄からして、それは到底あり得ないであろうことは家治も承知していたが、しかし少しでもその危険性があるのならば、その芽は摘み取っておくのが賢明であろう。
斯かる次第で家治は忠寄を使者に立てたのであり、それに対して寶蓮院も雛の「再就職」の件を快諾したのであった。
その際、身元保証人、所謂、宿元が必要となり、それは大番頭の杉浦正勝が引受けた。
雛の「再就職」が叶った件は―、寶蓮院にそれを認めて貰った件については将軍・家治より大番頭の水野忠韶を介して雛へと伝えられると、その場にいた杉浦正勝が、「それなれば…」と雛の宿元になることを申出たのであった。
杉浦正勝が雛の宿元になると申出たのには理由があり、縁者の杉浦猪兵衛良昭の存在がその理由であった。
杉浦猪兵衛は杉浦正勝の縁者にして、田安家上屋敷にて廣敷用人として寶蓮院に仕えていたのだ。
そこで杉浦正勝が雛の宿元になることとし、雛はこうしてその日の内に田安大奥に「再就職」を果たしたのであった。
その折―、それも田安家の門を潜る直前、雛は見送りに訪れた杉浦正勝に対して、「そうそう…」と何かを思い出したかの様に切出すと、
「治済めは島津重豪より密かに連発銃を買求め、その連発銃を一橋家の大奥にて保管しておりまして、治済は最期の登城の折にその連発銃を出す様、この雛に命じたのでござりまする…」
実にとんでもないことを思い出したのであった。
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