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天明の大獄 ~津山藩主の松平康致は福井藩主の松平重富を、仙台藩主の伊達重村は薩摩藩主の島津重豪を夫々、預けられ、狂喜乱舞す~
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翌、3月25日、稲葉正明は登城すると、宿直を終えたばかりの伊丹雅楽助から声を掛けられ、一橋治済がここ中奥にて「逮捕」されたことを耳打ちした。
稲葉正明は当然、仰天した。
何しろ一橋治済が「逮捕」された以上、治済の「共犯者」である己の「逮捕」も「時間の問題」と言えたからだ。
だがその様な稲葉正明とは正反対に、伊丹雅楽助は至って落着きを払っており、
「されば…、上様が死ねば事は解決です…」
実に恐ろしいことを正明に耳打ちした。
それから伊丹雅楽助は将軍・家治が己が田沼家と所縁の者として、治済とは所縁なき者と誤信、家治は雅楽助唯一人に御休息之間下段にて治済の監視を命じ、今の今まで治済の監視をしていた訳だが、その折、治済より家治の毒殺を命じられたことも正明に打明けたのであった。
「上様を…、毒殺…」
「左様…、この雅楽助、御膳番の小納戸なれば…」
「成程…、その上、膳奉行も上村彌三郎を除いて…、高尾惣十郎と山木次郎八の二人は一橋民部卿様が息のかかりし者なれば…」
高尾惣十郎、或いは山木次郎八が当番―、まず初めに将軍・家治の食事の毒見を担う時、即ち、御膳番の小納戸による2回目の毒見を監視する時に、その食事に毒を入れるつもりだなと、正明は雅楽助にそう示唆し、雅楽助を頷かせた。
「なれど…、御膳番の小納戸はそなたの外にもおろう?」
御膳奉行による最初の毒見だが、御膳奉行は定員が3人ということもあり、朝昼晩、各一人が担う。
一方、御膳番の小納戸による2回目の毒見だが、御膳番の小納戸は5人おり、2人が交代で毒見を担う訳だが、この5人の御膳番の小納戸の中でも治済の息がかかっているのはこの伊丹雅楽助唯一人であり、残る4人は治済の息はかかっていなかった。
それどころか清水重好、或いは田沼家所縁の者たちばかりで、仮に2回目の毒見の際に伊丹雅楽助が食事に毒を混入、それを毒見の監視役である筈の御膳奉行の高尾惣十郎か、或いは山木次郎八が黙認したとしても、伊丹雅楽助と共に2回目の毒見を担う御膳番の小納戸―、治済の息がかかっていない小納戸がそれを許さず、必ずや見咎める筈であった。
稲葉正明は伊丹雅楽助にその点を糺した。
それに対して、御膳番の小納戸である伊丹雅楽助もそのことならば稲葉正明に態々、指摘されずとも良く自覚しているところであり、それでも尚、慌てた様子を見せなかったのには理由があった。
「上様は余程にこの伊丹雅楽助めを信頼しているらしく…」
伊丹雅楽助はそう前置きしてから、宿直が明ける、と言うよりは治済の「監視役」の当番が明けた直後―、今より少し前のことだが、家治より御膳番の小納戸の増員を持掛けられたことを正明に打明けた。
御膳番の小納戸をあと1人、増やして6人体制としたいが、一体、誰に御膳番を兼ねさせれば良いものかと、家治は雅楽助に相談を持掛けたそうな。
何しろ将軍の食事の毒見をも担う御膳番である、実は治済の息がかかっている小納戸であるにもかかわらず、そうとも気付かずに下手にその様な者に御膳番を兼ねさせたりしたら目も当てられない。否、文字通り、命にかかわる。
そこで伊丹雅楽助が「これは…」と思う者を推挙して欲しいとも、家治は雅楽助に打診したのだ。
「何と…、上様はそれ程までに…」
伊丹雅楽助がそれ程までに将軍・家治から信頼されていることに、稲葉正明は驚いた。
「左様…、それもこれもこの雅楽助めが田沼家所縁の者でござろうが…」
その実、一橋治済の息がかかっていようなどとは、上様もよもや思わなんでござろうと、雅楽助はクックッと笑いを洩らした。
さてそこで御膳番の推挙を任された伊丹雅楽助としてはもう一人、治済の息がかかっている者を御膳番に推挙するつもりだとも、正明に打明けたのであった。
「無論、だからと申して、流石に岩本正五郎めを推挙する訳にはゆかず…」
雅楽助は冗談交じりにそう告げた。
確かに、岩本正五郎では如何にも拙い。
成程、岩本正五郎は治済が愛称にして次期将軍・家斉が母堂の富の実弟、即ち家斉の叔父であり、その点、治済の息がかかっていると断言出来たが、しかし家治にもそうと気付かれてしまう。
大事なのは治済の息がかかっていながらも、家治にはそうとは気付かれない、正に伊丹雅楽助の様な人材を新たに御膳番に推挙することであった。
「左様な…、都合の良い人材がそなたの外にもおると申すか?」
稲葉正明は首を傾げた。
稲葉正明は小納戸や、或いは小姓を事実上、支配する御側御用取次の役職にあったが、それでも全ての小納戸について把握している訳ではなかった。
「されば大井庄三郎なれば…」
大井庄三郎昌富―、伊丹雅楽助と同じく、3年前の天明元(1781)年4月のそれも21日に本丸小納戸に取立てられた所謂、「同期の櫻」であった。
否、それ以上に大井庄三郎は平塚喜右衛門爲善の長女を娶っていたのだ。
この平塚喜右衛門と言えば、西之丸大奥にて次期将軍・家斉附の武家系の年寄である高橋の実兄にも当たる。
高橋と言えば今でこそ西之丸大奥にて年寄として次期将軍・家斉に仕えているものの、その昔、家治が御台所の倫子に中年寄として仕えていた、あの高橋である。
御台所の食事の毒見をも担う中年寄のその職権を濫用、毒見に託けては砒素を食事に混入、砒素中毒によって倫子を死に至らしめた高橋の実兄が平塚喜右衛門であり、つまり大井庄三郎は高橋の姪を娶っていたのだ。
それ故、この大井庄三郎もまた、高橋、更には平塚喜右衛門を介して治済の息がかかっていたのだ。
そこで伊丹雅楽助は将軍・家治に対して、この大井庄三郎の名を挙げるや、
「雅楽助が推挙せし者なれば…」
家治は大井庄三郎を新たに御膳番に召加えることにしたそうな。
のみならず、今日の夕餉より伊丹雅楽助と共に大井庄三郎に毒見を担わせようとも、家治は命じたそうな。
「されば…、今日中にも上様の御命を?」
稲葉正明は流石に驚き、その余り、声を潜ませて尋ね、すると伊丹雅楽助も「左様…」と声を潜ませて応えた。
「して毒は…、如何なる毒を盛る所存か?」
「されば…、最早、即効性の毒に限ります故に、斑猫の毒を…」
「斑猫と申さば、あの家基公の御命を奪いし?」
「左様…」
「斯かる毒を雅楽助よ、そなた所持していると申すのか?」
「いえ…、流石にこの雅楽助は…、なれど膳奉行は…、それも高尾惣十郎と山木次郎八なれば所持しておりまする…」
「そは…、この時に…、上様が御命を頂戴せし時を見越して高尾惣十郎と山木次郎八、この二人に日頃より斑猫の毒を持たせていたと申すのか?民部卿様は…」
稲葉正明は恐る恐る尋ねた。
正明は一橋治済の「共犯者」であると自認していた。
倫子や萬壽姫、そして家基の毒殺に手を貸し、更には意知暗殺にも手を貸した。
尤も、意知暗殺については未遂に終わったものの、ともあれ「共犯者」であることに違いはなかった。
だがその正明をしても、まさかに治済が家治暗殺にも備えて、高尾惣十郎と山木次郎八の二人の御膳奉行に日頃より斑猫の毒を所持させていたとは初耳であった。
「されば今宵…、夕餉の毒見を担いし膳奉行は都合の良いことに高尾惣十郎なれば…」
これより直ちに高尾惣十郎の屋鋪へと足を運んでは在宅しているであろう主の高尾惣十郎に対して、斑猫を使う時が来たことを伝える所存であると、伊丹雅楽助は更に小声で稲葉正明に打明けたのであった。
「されば稲葉様…、稲葉様も今日にも召捕らえられることに相成りましょうが、それも少しの辛抱にて…」
成程、「主犯」である一橋治済が「逮捕」された上は、治済が企てた謀叛とも呼べる一連の事件全てに関与した「共謀共同正犯」たる稲葉正明の「逮捕」も時間の問題であろう。
が、「逮捕」を指揮する将軍・家治が今日に死ねばまだ、十分に逆転可能であった。
仮令、逮捕されたとしても、将軍・家治が死んだとなれば、将軍職を継ぐのは次期将軍たる家斉を措いて外にはいないからだ。
無論、家治はやはり今日中にも家斉の廃嫡、つまりは家斉との養子縁組を解消して、家斉を次期将軍職より廃すると、そう宣言するであろうが、しかし実際に家斉を西之丸から追出すともなれば、その手続きには時間がかかり、その最中、否、その手続きに入る前に家治が死んだとなれば、家斉の廃嫡も有耶無耶にすることが出来る。
家斉は引続き次期将軍として西之丸に居座り続け、そして時を置いて将軍職を襲い、本丸へと乗込むことが可能であった。
それ故、伊丹雅楽助は稲葉正明に、「少しの辛抱…」と言ったのだ。
そしてそれは治済にも当て嵌まることであった。
さて、将軍・家治は大奥にて朝の「総触れ」を終えると御休息之間に戻り、御側御用取次を召出した。
御側御用取次が御休息之間へと足を運ぶとそこには既に側用人の水野忠友の姿があり、家治はそこで、
「臨時の朝會を執り行う…」
諸大名を緊急召集する旨、御側御用取次に申渡したのであった。
但し、全ての諸大名ではなく、松之大廊下詰、溜間詰、大廣間詰、帝鑑間詰の諸侯に限るというものであった。。
それも松之大廊下詰の諸侯とそれに溜間詰、大廣間詰の諸侯については在府中―、この江戸にいる大名であればその全員を登城させ、更に将軍・家治への御目見得を済ませている嫡子もあればその嫡子も共に登城させることとし、仮に国許に帰国中で、且つ御目見得済みの嫡子がいれば、その嫡子だけを登城させることとした。
一方、帝鑑間詰の諸侯に関してはその一部だけを登城させることとし、やはり在府中の大名に限り、しかも成人嫡子がいればその嫡子も共に登城させ、そうではなく国許に帰国中でもやはり成人嫡子がいればその嫡子を登城させるというものであった。
そしてその「臨時の朝会」だが、表向の白書院にて執り行い、その間―、「臨時の朝会議」の最中においては諸役人は各々、殿中席にて心静かに控える様にとも併せて命じた。
家治のこの命に対して御側御用取次の中でも横田準松と本郷泰行の二人が戸惑いの表情を浮かべて見せたのとは好対照に、稲葉正明は何もかも察している風であった。
事実、稲葉正明は「臨時の朝會」の意味するところを察していた。
「治済の謀叛に加担した俺たちを逮捕する為の臨時の朝會だな…」
正明はそう察していた。
その「逮捕」の会場として白書院が選ばれたに相違ない。
そこで恐らくは今は御小座敷之間にて身柄を押さられているであろう治済も「スペシャルゲスト」として登場、引っ立てられるに違いない。
治済は伊丹雅楽助の宿直が明けるまではここ御休息之間にて雅楽助の「監視下」に置かれ、その後は何と、この中奥は御小座敷之間にて一泊したらしい清水重好と松平定信、そして田沼意知へと治済の「監視」が引継がれ、その際、治済には家治の命により縄が打たれたそうな。
尤も、如何に将軍・家治の命とは申せ、御三卿の一橋治済に縄を打つことには意知は元より定信さえも躊躇し、そこで同じ御三卿の清水重好が治済に縄を打ったそうな。
その上で治済は重好の手により御小座敷之間へと引っ立てられ、定信と意知がその後を付いて行ったそうな。このことは伊丹雅楽助より聞かされたことであった。
さて、家治の「臨時の朝會」の命令に対して、御側御用取次の直属の上司に当たる側用人の水野忠友が真先に、「畏まりましてござりまする…」と応じたことから、御側御用取次としても、それに続いて「畏まりましてござりまする」と応えるより外になかった。
こうして直ちに「臨時の朝會」の為の諸々の手続きが取られ、白書院のそれも下段に斯かる大名諸侯、或いはその成人嫡子が集められたのは昼の九つ半(午後1時頃)のことであった。
ちなみにこの間も重好と定信、そして意知はずっと、御休息之間よりも更に奥の御小座敷之間にて縄目の治済を監視していた。
そして家治が白書院のそれも下段に大名諸侯、及びその成人嫡子が集まったと、その旨、御側御用取次より報せが入るや、御側御用取次には、とりわけ稲葉正明には先に白書院の上段にて控えている様に命じた。
こうして家治は稲葉正明を外の横田準松や本郷泰行、それに松平忠寄と共にここ中奥より表向の白書院へと追いやると、水野忠友を御三卿家老の詰所へと差向け、治済が将軍・家治を狙撃しようとした件の「証拠品」を抱えて不寝番を勤めていた一橋家老の林忠篤と、その忠篤が証拠湮滅を謀らぬ様にと、やはり不寝番を勤めていた清水家老の本多昌忠の二人を御小座敷之間へと連れて来させたのだ。
家治自身は忠友を御三卿家老の詰所へと差向るや、その間に御小座敷之間へと足を運び、そこで重好と定信、そして意知の3人、否、縄目の治済を含めれば4人と合流した。
そしてそこへ忠友が「証拠品」を抱えた一橋家老の林忠篤とそれを監視していた清水家老の本多昌忠、この二人の家老を伴い、姿を見せ、家治は縄目の治済を先頭に、表向の白書院へと向かった。これで治済を後ろに置こうものなら刺されるやも知れなかったからだ。
一方、この時、白書院の下段においては松之大廊下の中でも上之部屋に詰める御三家を筆頭とする大名諸侯、及びその嫡子が控えていた。
即ち、尾張大納言宗睦とその嫡子の中将治行、紀伊中納言治貞が嫡子の中将治寶、水戸宰相治保の御三家が真前に控え、その真後ろには松之大廊下の下之部屋に詰める福井藩主の松平越前守重富とその嫡子の伊豫守治好、矢田藩主の松平左兵衛督信成の大名諸侯及びその嫡子が控えていた。
この松之大廊下の下之部屋詰に続いて居並ぶのは彦根藩主の井伊掃部頭直幸とその嫡子の玄蕃頭直富、高松藩主の松平讃岐守頼起、会津藩主の松平肥後守容頌が嫡子の駿河守容詮の溜間詰の大名諸侯及びその嫡子であった。
それから更に、高須藩主の松平摂津守義裕、津山藩主の松平越後守康致、河越藩主の松平大和守直恒、明石藩主の松平左兵衛督直泰、薩摩藩主の松平薩摩守重豪、仙台藩主の松平陸奥守重村、宇和島藩主の伊達遠江守村候が嫡子の大膳大夫村壽、熊本藩主の細川越中守重賢とその嫡子の中務大輔治年、萩藩主の松平大膳大夫治親、鳥取藩主の松平相模守治道、岡山藩主の松平内蔵頭治政、徳嶋藩主の松平阿波守治昭、久留米藩主の有馬中務大輔頼貴、米澤藩主の上杉弾正大弼治憲が嫡子の治廣、柳河藩主の立花左近将監鑑通が嫡子の丹後守鑑門、二本松藩主の丹羽加賀守長貴、及び定府―、常にこの江戸にいる西條藩主の松平左京大夫頼謙、田村郡守山藩主の松平大學頭頼亮、新治郡府中藩主の松平播磨守頼済とその嫡子の雅楽頭頼勇といった大廣間詰の大名諸侯及びその嫡子が溜間詰の真後ろに控え、そして最後に一部の帝鑑間詰、即ち、保科弾正忠正率、松代藩主の眞田伊豆守幸弘、今治藩主の松平河内守定奉、郡山藩主の松平甲斐守保明、高田藩主の榊原式部大輔政一が嫡子の兵部大輔政敦、松本藩主の松平若狭守光悌、府内藩主の松平長門守近儔、上田藩主の松平伊賀守忠済、挙母藩主の内藤右近将監學文、新庄藩主の戸澤主計頭正良、中村藩主の相馬因幡守祥胤、亀山藩主の石川日向守總博、龍野藩主の脇坂淡路守安親、岸和田藩主の岡部美濃守長備、三春藩主の秋田信濃守干季、沼田藩主の土岐美濃守定吉、横須賀藩主の西尾隠岐守忠移、高取藩主の植村右衛門佐家利、田原藩主の三宅備前守康武、それにやはり定府である松平大炊頭頼救、糸魚川藩主の松平日向守直紹、松平兵庫頭直行、蒲原郡黒川藩主の柳澤伊勢守信有、三日市藩主の柳澤信濃守里光、三草藩主の丹羽長門守氏福、堅田藩主の堀田若狭守正富、宮川藩主の堀田豊前守正穀といった大名諸侯及びその嫡子が控えていた。
家治一行はその様な彼等が下段に居並ぶ中で縄目の治済を引っ立てて上段に登場したことから、下段に居並ぶ彼等が驚いたのは言うまでもない。
そこで家治は自らの口から治済のこれまでの「謀叛」の数々について説明すると、治済の御預先として尾張家を指定、一方、「共犯者」である御側御用取次の稲葉正明の御預先として紀伊家を指定した。
大名である、それも大大名である島津重豪を筆頭に、松平重富や稲葉正明といった、
「名だたる…」
大名に加えて、家禄が500石を超える旗本が多数、治済の「謀叛」に加担しており、その場合、彼等は小傳馬町の牢屋敷ではなく、大名屋敷にその身柄が預けられることになる。
しかも事件の重大性に鑑みれば、お預け先の大名屋敷にしてももそれに相応しいものでなければならない。
即ち、御三家を筆頭とする松之大廊下詰や、幕府の政治顧問格の溜間詰、或いは有力大名で占められる大廣間詰や古来御譜代の大名で占められる帝鑑間詰といった諸侯の屋敷が「お預先」に相応しい。
さて、白書院の上段にては御側御用取次が控えており、その中でも稲葉正明が斯かる「謀叛」に加担していたとあって―、将軍・家治よりそう聞かされて、外の横田準松や本郷泰行が仰天したのは言うまでもない。
横田準松にしろ、本郷泰行にしろ、稲葉正明をまじまじと見詰めたものである。
下段においてもそれは同様であった。
下段に召集された大名諸侯の中にも治済の謀叛に加担した者がおり、それも福井藩主の松平重富と薩摩藩主の島津重豪とあっては、下段が騒然となったのは言うまでもない。
そんな中、将軍・家治はまず、松平重富については津山藩松平家をお預先とし、一方、島津重豪については仙台藩伊達家をお預け先として夫々、指定した。
これに対して津山藩主の松平康致にしろ、仙台藩主の伊達重村にしろ、勿論、あくまで内心においてだが、狂喜乱舞したことは言うまでもない。
何、松平康致は松平重富の、伊達重村は島津重豪の、夫々、ライバルであったからだ。
即ち、松平康致は松平重富とは、
「どちらが越前松平家の宗家か…」
つまりは康致が当主を務める津山松平家こそが越前松平家の宗家であるか、それとも重富が当主を務める福井松平家こそが越前松平家の宗家であるか、それを巡って争っていたのだ。
また伊達重村は島津重豪とは家格を巡って熾烈な競争、否、狂騒を演じていた。
かくして松平康致にしろ伊達重村にしろ失脚、否、失脚などとその様な生易しい言葉では済まされない、死を賜るのは間違いないライバルの身柄を預かれるとあっては、二人が狂喜乱舞するのも当然であった。
また諸悪の根源とも言うべき「大罪人」の一橋治済の身柄については尾張家にて預かって貰うこととした。
何しろ治済は天下の将軍家、御三卿であり、その様な治済の身柄を預かれるのは御三家筆頭たる尾張家を措いて外にはいないであろう。
また御側御用取次の稲葉正明の身柄については紀伊家にて預かって貰うこととした。
稲葉正明は治済の企てた全ての「謀叛」に加担しており、その様な正明の身柄を預けるとしたならば、尾張家に次ぐ御三家の紀伊家を措いて外にはない。
それから意知暗殺に手を貸した―、佐野善左衛門に確実に意知を仕留めさせるべく、立回った若年寄筆頭の酒井忠休の身柄は水戸家に、同じく若年寄の太田資愛の身柄は矢田松平家に夫々、預けることとした。
更に意知暗殺に手を貸した留守居の太田資倍の身柄は彦根井伊家に、大目付の松平忠郷の身柄は高松松平家に夫々、預けることとした。
既に老中の昼の廻りは終え、留守居の太田資倍は昼の廻りにおける殿中席である中之間に詰めていた。
将軍・家治の命により中之間には外にも大目付や町奉行、勘定奉行やそれに作事・普請・小普請奉行が詰めたままであった。
家治はその中之間へと小姓組番士、及び書院番士を差向けては大目付の松平忠郷を「逮捕」させた。
そしてこの時、中之間にて「逮捕」されたのは松平忠郷に留まらない。
普請奉行の岩本正利も「逮捕」された。
ちなみに同じく意知暗殺に手を貸した留守居の太田資倍だが、今日は宿直ということで、まだ登城しておらず、そこで同じく留守居にして日勤、それも朝番の高井土佐守直熈を資倍の屋鋪へと差向けた。
留守居には夫々、與力10騎、同心50人が配されており、そこで将軍・家治より直々に相役、同僚の留守居の太田資倍の「逮捕」を命ぜられた高井直熈は與力50騎、同心50人を随えて、資倍の屋鋪へと「逮捕」に向かったのだった。
このことは小普請組支配の中坊金蔵にも当て嵌まり、家治は小姓組4番組を束ねる番頭の松平志摩守乗展に中坊金蔵の「逮捕」を命じ、すると松平乗展もそれを受けて與力10騎、同心20人を随えて中坊金蔵の屋鋪へと「逮捕」に向かったのであった。
また意知暗殺に手を貸した目附の井上正在や末吉善左衛門にしても今はまだ登城しておらず、そこで家治はこの二人の目附については先手鉄砲頭の杉浦長門守勝興と土方宇源太勝芳に夫々、「逮捕」を命《めい》じ、杉浦勝興は井上正在の屋鋪へと與力10騎、同心50人を随えて、一方、土方宇源太は末吉善左衛門の屋鋪へと與力7騎、同心30人を随えて、夫々、「逮捕」に向かった。
ところで先手頭と言えば人体実験に協力した先手弓頭の市岡左大夫に関しては、持筒頭の水野弾正勝羨にその「逮捕」を命じ、水野弾正は完全武装の上、與力10騎、同心50人を随えて、役宅を兼ねた市岡左大夫の屋鋪へと「逮捕」に向かった。
ちなみに同じく人体実験に協力した先手弓頭の飯塚勘解由と先手鉄砲頭の中島久右衛門の二人はこの時、既に歿していたので、「被疑者死亡」の扱いせざるを得なかった。
それから意知暗殺に協力した新番頭の松平忠香に関しては、全ての罪を認めていることから、とりあえず「逮捕」はせずに謹慎、在宅での捜査とした。
そして外にも治済の「謀叛」に加担した者がおり、彼等は外の書院番頭や小姓組番頭、或いは百人組之頭や持筒頭などの手によって―、実際にはその配下の與力、同心の手によって「逮捕」されたのであった。
ところで治済の「謀叛」に加担した者は西之丸にも多くおり、例えば西之丸御用取次の小笠原信喜がそうであった。
小笠原信喜は稲葉正明に次いで治済の「|謀叛{むほん》」に加担していた。
信喜は倫子、及び萬壽姫の毒殺事件こそ関与してはいなかったが、しかしその後の家基毒殺事件、並びに意知暗殺未遂事件には関与していた。
また西之丸大奥には次期将軍・家斉の母堂の富、及び次期将軍・家斉附の武家系の年寄である大崎と高橋を筆頭に、倫子、及び萬壽姫の毒殺に関与した奥女中が多数おり、そこで家治は彼等、彼女等の「逮捕」については大目付の久松筑前守定愷に「逮捕」の指揮を執らせることとした。
それと言うのも今日、3月25日は西之丸に詰める大目付は久松定愷であるからだ。
その上で小笠原信喜に関しては西之丸書院番頭の水谷伊勢守勝久に「逮捕」させ、一方、西之丸大奥へは西之丸留守居の牧野長門守成久の先導の下、旗奉行の安藤弾正少弼惟要、鎗奉行の渡邊圖書頭貞綱、そして持弓頭の秋山十右衛門正直が夫々、配下の與力や同心を随えて大奥へと立入った。
それだけでも大奥は騒乱状態であったが、しかしそれが将軍・家治の「御意」ともなれば、大奥を守るべき男子役人、それも番方、武官である廣敷番之頭やその配下にしても彼等の「逮捕」に手出しは出来ず、家斉母堂の富やそれに大崎や高橋たち奥女中―、倫子や萬壽姫の毒殺に関与した奥女中は抵抗虚しく「逮捕」された。
否、まだ一箇所、「逮捕」に向かわねばならない場所があった。
それは一橋家上屋敷であり、そこには治済の謀叛に加担したと思われる家臣が多数いるに違いなかった。
否、家老を除いた全ての一橋家臣が治済の「謀叛」に関与しているに違いなく、そこで家治は大番組を一橋上屋敷へと差向けることにした。
即ち、1番組を束ねる大久保下野守忠恕と、その「相棒」の6番組を束ねる杉浦出雲守正勝、並びに4番組を束ねる永井信濃守直温とやはりその「相棒」の8番組を束ねる水野壱岐守忠韶、この4人の大番頭に対して家治は家老を除く全ての一橋家臣の逮捕を命じたのであった。
大番組には旗本の組頭4人に、同じく旗本の番士50人、それに御家人の與力10騎に同心20人が配されており、それを4組も一橋家へと差向けたのであった。
それもこれも偏に「不測の事態」に備えてのものである。
何しろ相手は将軍家の御三卿たる一橋家の家臣である。
如何に将軍・家治の命により「逮捕」、召捕るといっても、いざ「逮捕」、召捕りの段になって抵抗するとも限らない。
そこで家治は4組もの大番組を、しかも今度は旗本の番士までも一橋家へと差向けたのであった。
稲葉正明は当然、仰天した。
何しろ一橋治済が「逮捕」された以上、治済の「共犯者」である己の「逮捕」も「時間の問題」と言えたからだ。
だがその様な稲葉正明とは正反対に、伊丹雅楽助は至って落着きを払っており、
「されば…、上様が死ねば事は解決です…」
実に恐ろしいことを正明に耳打ちした。
それから伊丹雅楽助は将軍・家治が己が田沼家と所縁の者として、治済とは所縁なき者と誤信、家治は雅楽助唯一人に御休息之間下段にて治済の監視を命じ、今の今まで治済の監視をしていた訳だが、その折、治済より家治の毒殺を命じられたことも正明に打明けたのであった。
「上様を…、毒殺…」
「左様…、この雅楽助、御膳番の小納戸なれば…」
「成程…、その上、膳奉行も上村彌三郎を除いて…、高尾惣十郎と山木次郎八の二人は一橋民部卿様が息のかかりし者なれば…」
高尾惣十郎、或いは山木次郎八が当番―、まず初めに将軍・家治の食事の毒見を担う時、即ち、御膳番の小納戸による2回目の毒見を監視する時に、その食事に毒を入れるつもりだなと、正明は雅楽助にそう示唆し、雅楽助を頷かせた。
「なれど…、御膳番の小納戸はそなたの外にもおろう?」
御膳奉行による最初の毒見だが、御膳奉行は定員が3人ということもあり、朝昼晩、各一人が担う。
一方、御膳番の小納戸による2回目の毒見だが、御膳番の小納戸は5人おり、2人が交代で毒見を担う訳だが、この5人の御膳番の小納戸の中でも治済の息がかかっているのはこの伊丹雅楽助唯一人であり、残る4人は治済の息はかかっていなかった。
それどころか清水重好、或いは田沼家所縁の者たちばかりで、仮に2回目の毒見の際に伊丹雅楽助が食事に毒を混入、それを毒見の監視役である筈の御膳奉行の高尾惣十郎か、或いは山木次郎八が黙認したとしても、伊丹雅楽助と共に2回目の毒見を担う御膳番の小納戸―、治済の息がかかっていない小納戸がそれを許さず、必ずや見咎める筈であった。
稲葉正明は伊丹雅楽助にその点を糺した。
それに対して、御膳番の小納戸である伊丹雅楽助もそのことならば稲葉正明に態々、指摘されずとも良く自覚しているところであり、それでも尚、慌てた様子を見せなかったのには理由があった。
「上様は余程にこの伊丹雅楽助めを信頼しているらしく…」
伊丹雅楽助はそう前置きしてから、宿直が明ける、と言うよりは治済の「監視役」の当番が明けた直後―、今より少し前のことだが、家治より御膳番の小納戸の増員を持掛けられたことを正明に打明けた。
御膳番の小納戸をあと1人、増やして6人体制としたいが、一体、誰に御膳番を兼ねさせれば良いものかと、家治は雅楽助に相談を持掛けたそうな。
何しろ将軍の食事の毒見をも担う御膳番である、実は治済の息がかかっている小納戸であるにもかかわらず、そうとも気付かずに下手にその様な者に御膳番を兼ねさせたりしたら目も当てられない。否、文字通り、命にかかわる。
そこで伊丹雅楽助が「これは…」と思う者を推挙して欲しいとも、家治は雅楽助に打診したのだ。
「何と…、上様はそれ程までに…」
伊丹雅楽助がそれ程までに将軍・家治から信頼されていることに、稲葉正明は驚いた。
「左様…、それもこれもこの雅楽助めが田沼家所縁の者でござろうが…」
その実、一橋治済の息がかかっていようなどとは、上様もよもや思わなんでござろうと、雅楽助はクックッと笑いを洩らした。
さてそこで御膳番の推挙を任された伊丹雅楽助としてはもう一人、治済の息がかかっている者を御膳番に推挙するつもりだとも、正明に打明けたのであった。
「無論、だからと申して、流石に岩本正五郎めを推挙する訳にはゆかず…」
雅楽助は冗談交じりにそう告げた。
確かに、岩本正五郎では如何にも拙い。
成程、岩本正五郎は治済が愛称にして次期将軍・家斉が母堂の富の実弟、即ち家斉の叔父であり、その点、治済の息がかかっていると断言出来たが、しかし家治にもそうと気付かれてしまう。
大事なのは治済の息がかかっていながらも、家治にはそうとは気付かれない、正に伊丹雅楽助の様な人材を新たに御膳番に推挙することであった。
「左様な…、都合の良い人材がそなたの外にもおると申すか?」
稲葉正明は首を傾げた。
稲葉正明は小納戸や、或いは小姓を事実上、支配する御側御用取次の役職にあったが、それでも全ての小納戸について把握している訳ではなかった。
「されば大井庄三郎なれば…」
大井庄三郎昌富―、伊丹雅楽助と同じく、3年前の天明元(1781)年4月のそれも21日に本丸小納戸に取立てられた所謂、「同期の櫻」であった。
否、それ以上に大井庄三郎は平塚喜右衛門爲善の長女を娶っていたのだ。
この平塚喜右衛門と言えば、西之丸大奥にて次期将軍・家斉附の武家系の年寄である高橋の実兄にも当たる。
高橋と言えば今でこそ西之丸大奥にて年寄として次期将軍・家斉に仕えているものの、その昔、家治が御台所の倫子に中年寄として仕えていた、あの高橋である。
御台所の食事の毒見をも担う中年寄のその職権を濫用、毒見に託けては砒素を食事に混入、砒素中毒によって倫子を死に至らしめた高橋の実兄が平塚喜右衛門であり、つまり大井庄三郎は高橋の姪を娶っていたのだ。
それ故、この大井庄三郎もまた、高橋、更には平塚喜右衛門を介して治済の息がかかっていたのだ。
そこで伊丹雅楽助は将軍・家治に対して、この大井庄三郎の名を挙げるや、
「雅楽助が推挙せし者なれば…」
家治は大井庄三郎を新たに御膳番に召加えることにしたそうな。
のみならず、今日の夕餉より伊丹雅楽助と共に大井庄三郎に毒見を担わせようとも、家治は命じたそうな。
「されば…、今日中にも上様の御命を?」
稲葉正明は流石に驚き、その余り、声を潜ませて尋ね、すると伊丹雅楽助も「左様…」と声を潜ませて応えた。
「して毒は…、如何なる毒を盛る所存か?」
「されば…、最早、即効性の毒に限ります故に、斑猫の毒を…」
「斑猫と申さば、あの家基公の御命を奪いし?」
「左様…」
「斯かる毒を雅楽助よ、そなた所持していると申すのか?」
「いえ…、流石にこの雅楽助は…、なれど膳奉行は…、それも高尾惣十郎と山木次郎八なれば所持しておりまする…」
「そは…、この時に…、上様が御命を頂戴せし時を見越して高尾惣十郎と山木次郎八、この二人に日頃より斑猫の毒を持たせていたと申すのか?民部卿様は…」
稲葉正明は恐る恐る尋ねた。
正明は一橋治済の「共犯者」であると自認していた。
倫子や萬壽姫、そして家基の毒殺に手を貸し、更には意知暗殺にも手を貸した。
尤も、意知暗殺については未遂に終わったものの、ともあれ「共犯者」であることに違いはなかった。
だがその正明をしても、まさかに治済が家治暗殺にも備えて、高尾惣十郎と山木次郎八の二人の御膳奉行に日頃より斑猫の毒を所持させていたとは初耳であった。
「されば今宵…、夕餉の毒見を担いし膳奉行は都合の良いことに高尾惣十郎なれば…」
これより直ちに高尾惣十郎の屋鋪へと足を運んでは在宅しているであろう主の高尾惣十郎に対して、斑猫を使う時が来たことを伝える所存であると、伊丹雅楽助は更に小声で稲葉正明に打明けたのであった。
「されば稲葉様…、稲葉様も今日にも召捕らえられることに相成りましょうが、それも少しの辛抱にて…」
成程、「主犯」である一橋治済が「逮捕」された上は、治済が企てた謀叛とも呼べる一連の事件全てに関与した「共謀共同正犯」たる稲葉正明の「逮捕」も時間の問題であろう。
が、「逮捕」を指揮する将軍・家治が今日に死ねばまだ、十分に逆転可能であった。
仮令、逮捕されたとしても、将軍・家治が死んだとなれば、将軍職を継ぐのは次期将軍たる家斉を措いて外にはいないからだ。
無論、家治はやはり今日中にも家斉の廃嫡、つまりは家斉との養子縁組を解消して、家斉を次期将軍職より廃すると、そう宣言するであろうが、しかし実際に家斉を西之丸から追出すともなれば、その手続きには時間がかかり、その最中、否、その手続きに入る前に家治が死んだとなれば、家斉の廃嫡も有耶無耶にすることが出来る。
家斉は引続き次期将軍として西之丸に居座り続け、そして時を置いて将軍職を襲い、本丸へと乗込むことが可能であった。
それ故、伊丹雅楽助は稲葉正明に、「少しの辛抱…」と言ったのだ。
そしてそれは治済にも当て嵌まることであった。
さて、将軍・家治は大奥にて朝の「総触れ」を終えると御休息之間に戻り、御側御用取次を召出した。
御側御用取次が御休息之間へと足を運ぶとそこには既に側用人の水野忠友の姿があり、家治はそこで、
「臨時の朝會を執り行う…」
諸大名を緊急召集する旨、御側御用取次に申渡したのであった。
但し、全ての諸大名ではなく、松之大廊下詰、溜間詰、大廣間詰、帝鑑間詰の諸侯に限るというものであった。。
それも松之大廊下詰の諸侯とそれに溜間詰、大廣間詰の諸侯については在府中―、この江戸にいる大名であればその全員を登城させ、更に将軍・家治への御目見得を済ませている嫡子もあればその嫡子も共に登城させることとし、仮に国許に帰国中で、且つ御目見得済みの嫡子がいれば、その嫡子だけを登城させることとした。
一方、帝鑑間詰の諸侯に関してはその一部だけを登城させることとし、やはり在府中の大名に限り、しかも成人嫡子がいればその嫡子も共に登城させ、そうではなく国許に帰国中でもやはり成人嫡子がいればその嫡子を登城させるというものであった。
そしてその「臨時の朝会」だが、表向の白書院にて執り行い、その間―、「臨時の朝会議」の最中においては諸役人は各々、殿中席にて心静かに控える様にとも併せて命じた。
家治のこの命に対して御側御用取次の中でも横田準松と本郷泰行の二人が戸惑いの表情を浮かべて見せたのとは好対照に、稲葉正明は何もかも察している風であった。
事実、稲葉正明は「臨時の朝會」の意味するところを察していた。
「治済の謀叛に加担した俺たちを逮捕する為の臨時の朝會だな…」
正明はそう察していた。
その「逮捕」の会場として白書院が選ばれたに相違ない。
そこで恐らくは今は御小座敷之間にて身柄を押さられているであろう治済も「スペシャルゲスト」として登場、引っ立てられるに違いない。
治済は伊丹雅楽助の宿直が明けるまではここ御休息之間にて雅楽助の「監視下」に置かれ、その後は何と、この中奥は御小座敷之間にて一泊したらしい清水重好と松平定信、そして田沼意知へと治済の「監視」が引継がれ、その際、治済には家治の命により縄が打たれたそうな。
尤も、如何に将軍・家治の命とは申せ、御三卿の一橋治済に縄を打つことには意知は元より定信さえも躊躇し、そこで同じ御三卿の清水重好が治済に縄を打ったそうな。
その上で治済は重好の手により御小座敷之間へと引っ立てられ、定信と意知がその後を付いて行ったそうな。このことは伊丹雅楽助より聞かされたことであった。
さて、家治の「臨時の朝會」の命令に対して、御側御用取次の直属の上司に当たる側用人の水野忠友が真先に、「畏まりましてござりまする…」と応じたことから、御側御用取次としても、それに続いて「畏まりましてござりまする」と応えるより外になかった。
こうして直ちに「臨時の朝會」の為の諸々の手続きが取られ、白書院のそれも下段に斯かる大名諸侯、或いはその成人嫡子が集められたのは昼の九つ半(午後1時頃)のことであった。
ちなみにこの間も重好と定信、そして意知はずっと、御休息之間よりも更に奥の御小座敷之間にて縄目の治済を監視していた。
そして家治が白書院のそれも下段に大名諸侯、及びその成人嫡子が集まったと、その旨、御側御用取次より報せが入るや、御側御用取次には、とりわけ稲葉正明には先に白書院の上段にて控えている様に命じた。
こうして家治は稲葉正明を外の横田準松や本郷泰行、それに松平忠寄と共にここ中奥より表向の白書院へと追いやると、水野忠友を御三卿家老の詰所へと差向け、治済が将軍・家治を狙撃しようとした件の「証拠品」を抱えて不寝番を勤めていた一橋家老の林忠篤と、その忠篤が証拠湮滅を謀らぬ様にと、やはり不寝番を勤めていた清水家老の本多昌忠の二人を御小座敷之間へと連れて来させたのだ。
家治自身は忠友を御三卿家老の詰所へと差向るや、その間に御小座敷之間へと足を運び、そこで重好と定信、そして意知の3人、否、縄目の治済を含めれば4人と合流した。
そしてそこへ忠友が「証拠品」を抱えた一橋家老の林忠篤とそれを監視していた清水家老の本多昌忠、この二人の家老を伴い、姿を見せ、家治は縄目の治済を先頭に、表向の白書院へと向かった。これで治済を後ろに置こうものなら刺されるやも知れなかったからだ。
一方、この時、白書院の下段においては松之大廊下の中でも上之部屋に詰める御三家を筆頭とする大名諸侯、及びその嫡子が控えていた。
即ち、尾張大納言宗睦とその嫡子の中将治行、紀伊中納言治貞が嫡子の中将治寶、水戸宰相治保の御三家が真前に控え、その真後ろには松之大廊下の下之部屋に詰める福井藩主の松平越前守重富とその嫡子の伊豫守治好、矢田藩主の松平左兵衛督信成の大名諸侯及びその嫡子が控えていた。
この松之大廊下の下之部屋詰に続いて居並ぶのは彦根藩主の井伊掃部頭直幸とその嫡子の玄蕃頭直富、高松藩主の松平讃岐守頼起、会津藩主の松平肥後守容頌が嫡子の駿河守容詮の溜間詰の大名諸侯及びその嫡子であった。
それから更に、高須藩主の松平摂津守義裕、津山藩主の松平越後守康致、河越藩主の松平大和守直恒、明石藩主の松平左兵衛督直泰、薩摩藩主の松平薩摩守重豪、仙台藩主の松平陸奥守重村、宇和島藩主の伊達遠江守村候が嫡子の大膳大夫村壽、熊本藩主の細川越中守重賢とその嫡子の中務大輔治年、萩藩主の松平大膳大夫治親、鳥取藩主の松平相模守治道、岡山藩主の松平内蔵頭治政、徳嶋藩主の松平阿波守治昭、久留米藩主の有馬中務大輔頼貴、米澤藩主の上杉弾正大弼治憲が嫡子の治廣、柳河藩主の立花左近将監鑑通が嫡子の丹後守鑑門、二本松藩主の丹羽加賀守長貴、及び定府―、常にこの江戸にいる西條藩主の松平左京大夫頼謙、田村郡守山藩主の松平大學頭頼亮、新治郡府中藩主の松平播磨守頼済とその嫡子の雅楽頭頼勇といった大廣間詰の大名諸侯及びその嫡子が溜間詰の真後ろに控え、そして最後に一部の帝鑑間詰、即ち、保科弾正忠正率、松代藩主の眞田伊豆守幸弘、今治藩主の松平河内守定奉、郡山藩主の松平甲斐守保明、高田藩主の榊原式部大輔政一が嫡子の兵部大輔政敦、松本藩主の松平若狭守光悌、府内藩主の松平長門守近儔、上田藩主の松平伊賀守忠済、挙母藩主の内藤右近将監學文、新庄藩主の戸澤主計頭正良、中村藩主の相馬因幡守祥胤、亀山藩主の石川日向守總博、龍野藩主の脇坂淡路守安親、岸和田藩主の岡部美濃守長備、三春藩主の秋田信濃守干季、沼田藩主の土岐美濃守定吉、横須賀藩主の西尾隠岐守忠移、高取藩主の植村右衛門佐家利、田原藩主の三宅備前守康武、それにやはり定府である松平大炊頭頼救、糸魚川藩主の松平日向守直紹、松平兵庫頭直行、蒲原郡黒川藩主の柳澤伊勢守信有、三日市藩主の柳澤信濃守里光、三草藩主の丹羽長門守氏福、堅田藩主の堀田若狭守正富、宮川藩主の堀田豊前守正穀といった大名諸侯及びその嫡子が控えていた。
家治一行はその様な彼等が下段に居並ぶ中で縄目の治済を引っ立てて上段に登場したことから、下段に居並ぶ彼等が驚いたのは言うまでもない。
そこで家治は自らの口から治済のこれまでの「謀叛」の数々について説明すると、治済の御預先として尾張家を指定、一方、「共犯者」である御側御用取次の稲葉正明の御預先として紀伊家を指定した。
大名である、それも大大名である島津重豪を筆頭に、松平重富や稲葉正明といった、
「名だたる…」
大名に加えて、家禄が500石を超える旗本が多数、治済の「謀叛」に加担しており、その場合、彼等は小傳馬町の牢屋敷ではなく、大名屋敷にその身柄が預けられることになる。
しかも事件の重大性に鑑みれば、お預け先の大名屋敷にしてももそれに相応しいものでなければならない。
即ち、御三家を筆頭とする松之大廊下詰や、幕府の政治顧問格の溜間詰、或いは有力大名で占められる大廣間詰や古来御譜代の大名で占められる帝鑑間詰といった諸侯の屋敷が「お預先」に相応しい。
さて、白書院の上段にては御側御用取次が控えており、その中でも稲葉正明が斯かる「謀叛」に加担していたとあって―、将軍・家治よりそう聞かされて、外の横田準松や本郷泰行が仰天したのは言うまでもない。
横田準松にしろ、本郷泰行にしろ、稲葉正明をまじまじと見詰めたものである。
下段においてもそれは同様であった。
下段に召集された大名諸侯の中にも治済の謀叛に加担した者がおり、それも福井藩主の松平重富と薩摩藩主の島津重豪とあっては、下段が騒然となったのは言うまでもない。
そんな中、将軍・家治はまず、松平重富については津山藩松平家をお預先とし、一方、島津重豪については仙台藩伊達家をお預け先として夫々、指定した。
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また諸悪の根源とも言うべき「大罪人」の一橋治済の身柄については尾張家にて預かって貰うこととした。
何しろ治済は天下の将軍家、御三卿であり、その様な治済の身柄を預かれるのは御三家筆頭たる尾張家を措いて外にはいないであろう。
また御側御用取次の稲葉正明の身柄については紀伊家にて預かって貰うこととした。
稲葉正明は治済の企てた全ての「謀叛」に加担しており、その様な正明の身柄を預けるとしたならば、尾張家に次ぐ御三家の紀伊家を措いて外にはない。
それから意知暗殺に手を貸した―、佐野善左衛門に確実に意知を仕留めさせるべく、立回った若年寄筆頭の酒井忠休の身柄は水戸家に、同じく若年寄の太田資愛の身柄は矢田松平家に夫々、預けることとした。
更に意知暗殺に手を貸した留守居の太田資倍の身柄は彦根井伊家に、大目付の松平忠郷の身柄は高松松平家に夫々、預けることとした。
既に老中の昼の廻りは終え、留守居の太田資倍は昼の廻りにおける殿中席である中之間に詰めていた。
将軍・家治の命により中之間には外にも大目付や町奉行、勘定奉行やそれに作事・普請・小普請奉行が詰めたままであった。
家治はその中之間へと小姓組番士、及び書院番士を差向けては大目付の松平忠郷を「逮捕」させた。
そしてこの時、中之間にて「逮捕」されたのは松平忠郷に留まらない。
普請奉行の岩本正利も「逮捕」された。
ちなみに同じく意知暗殺に手を貸した留守居の太田資倍だが、今日は宿直ということで、まだ登城しておらず、そこで同じく留守居にして日勤、それも朝番の高井土佐守直熈を資倍の屋鋪へと差向けた。
留守居には夫々、與力10騎、同心50人が配されており、そこで将軍・家治より直々に相役、同僚の留守居の太田資倍の「逮捕」を命ぜられた高井直熈は與力50騎、同心50人を随えて、資倍の屋鋪へと「逮捕」に向かったのだった。
このことは小普請組支配の中坊金蔵にも当て嵌まり、家治は小姓組4番組を束ねる番頭の松平志摩守乗展に中坊金蔵の「逮捕」を命じ、すると松平乗展もそれを受けて與力10騎、同心20人を随えて中坊金蔵の屋鋪へと「逮捕」に向かったのであった。
また意知暗殺に手を貸した目附の井上正在や末吉善左衛門にしても今はまだ登城しておらず、そこで家治はこの二人の目附については先手鉄砲頭の杉浦長門守勝興と土方宇源太勝芳に夫々、「逮捕」を命《めい》じ、杉浦勝興は井上正在の屋鋪へと與力10騎、同心50人を随えて、一方、土方宇源太は末吉善左衛門の屋鋪へと與力7騎、同心30人を随えて、夫々、「逮捕」に向かった。
ところで先手頭と言えば人体実験に協力した先手弓頭の市岡左大夫に関しては、持筒頭の水野弾正勝羨にその「逮捕」を命じ、水野弾正は完全武装の上、與力10騎、同心50人を随えて、役宅を兼ねた市岡左大夫の屋鋪へと「逮捕」に向かった。
ちなみに同じく人体実験に協力した先手弓頭の飯塚勘解由と先手鉄砲頭の中島久右衛門の二人はこの時、既に歿していたので、「被疑者死亡」の扱いせざるを得なかった。
それから意知暗殺に協力した新番頭の松平忠香に関しては、全ての罪を認めていることから、とりあえず「逮捕」はせずに謹慎、在宅での捜査とした。
そして外にも治済の「謀叛」に加担した者がおり、彼等は外の書院番頭や小姓組番頭、或いは百人組之頭や持筒頭などの手によって―、実際にはその配下の與力、同心の手によって「逮捕」されたのであった。
ところで治済の「謀叛」に加担した者は西之丸にも多くおり、例えば西之丸御用取次の小笠原信喜がそうであった。
小笠原信喜は稲葉正明に次いで治済の「|謀叛{むほん》」に加担していた。
信喜は倫子、及び萬壽姫の毒殺事件こそ関与してはいなかったが、しかしその後の家基毒殺事件、並びに意知暗殺未遂事件には関与していた。
また西之丸大奥には次期将軍・家斉の母堂の富、及び次期将軍・家斉附の武家系の年寄である大崎と高橋を筆頭に、倫子、及び萬壽姫の毒殺に関与した奥女中が多数おり、そこで家治は彼等、彼女等の「逮捕」については大目付の久松筑前守定愷に「逮捕」の指揮を執らせることとした。
それと言うのも今日、3月25日は西之丸に詰める大目付は久松定愷であるからだ。
その上で小笠原信喜に関しては西之丸書院番頭の水谷伊勢守勝久に「逮捕」させ、一方、西之丸大奥へは西之丸留守居の牧野長門守成久の先導の下、旗奉行の安藤弾正少弼惟要、鎗奉行の渡邊圖書頭貞綱、そして持弓頭の秋山十右衛門正直が夫々、配下の與力や同心を随えて大奥へと立入った。
それだけでも大奥は騒乱状態であったが、しかしそれが将軍・家治の「御意」ともなれば、大奥を守るべき男子役人、それも番方、武官である廣敷番之頭やその配下にしても彼等の「逮捕」に手出しは出来ず、家斉母堂の富やそれに大崎や高橋たち奥女中―、倫子や萬壽姫の毒殺に関与した奥女中は抵抗虚しく「逮捕」された。
否、まだ一箇所、「逮捕」に向かわねばならない場所があった。
それは一橋家上屋敷であり、そこには治済の謀叛に加担したと思われる家臣が多数いるに違いなかった。
否、家老を除いた全ての一橋家臣が治済の「謀叛」に関与しているに違いなく、そこで家治は大番組を一橋上屋敷へと差向けることにした。
即ち、1番組を束ねる大久保下野守忠恕と、その「相棒」の6番組を束ねる杉浦出雲守正勝、並びに4番組を束ねる永井信濃守直温とやはりその「相棒」の8番組を束ねる水野壱岐守忠韶、この4人の大番頭に対して家治は家老を除く全ての一橋家臣の逮捕を命じたのであった。
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それもこれも偏に「不測の事態」に備えてのものである。
何しろ相手は将軍家の御三卿たる一橋家の家臣である。
如何に将軍・家治の命により「逮捕」、召捕るといっても、いざ「逮捕」、召捕りの段になって抵抗するとも限らない。
そこで家治は4組もの大番組を、しかも今度は旗本の番士までも一橋家へと差向けたのであった。
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五、ロシアは関東州(旅順・大連を含む遼東半島南端部)の租借権を日本へ譲渡する。
六、ロシアは沿海州沿岸の漁業権を日本人に与える。
そして、1907年7月30日のことである。
東洲斎写楽の懊悩
橋本洋一
歴史・時代
時は寛政五年。長崎奉行に呼ばれ出島までやってきた江戸の版元、蔦屋重三郎は囚われの身の異国人、シャーロック・カーライルと出会う。奉行からシャーロックを江戸で世話をするように脅されて、渋々従う重三郎。その道中、シャーロックは非凡な絵の才能を明らかにしていく。そして江戸の手前、箱根の関所で詮議を受けることになった彼ら。シャーロックの名を訊ねられ、咄嗟に出たのは『写楽』という名だった――江戸を熱狂した写楽の絵。描かれた理由とは? そして金髪碧眼の写楽が江戸にやってきた目的とは?
吉宗のさくら ~八代将軍へと至る道~
裏耕記
歴史・時代
破天荒な将軍 吉宗。民を導く将軍となれるのか
―――
将軍?捨て子?
貴公子として生まれ、捨て子として道に捨てられた。
その暮らしは長く続かない。兄の不審死。
呼び戻された吉宗は陰謀に巻き込まれ将軍位争いの旗頭に担ぎ上げられていく。
次第に明らかになる不審死の謎。
運命に導かれるようになりあがる吉宗。
将軍となった吉宗が隅田川にさくらを植えたのはなぜだろうか。
※※
暴れん坊将軍として有名な徳川吉宗。
低迷していた徳川幕府に再び力を持たせた。
民の味方とも呼ばれ人気を博した将軍でもある。
徳川家の序列でいくと、徳川宗家、尾張家、紀州家と三番目の家柄で四男坊。
本来ならば将軍どころか実家の家督も継げないはずの人生。
数奇な運命に付きまとわれ将軍になってしまった吉宗は何を思う。
本人の意思とはかけ離れた人生、権力の頂点に立つのは幸運か不運なのか……
突拍子もない政策や独創的な人事制度。かの有名なお庭番衆も彼が作った役職だ。
そして御三家を模倣した御三卿を作る。
決して旧来の物を破壊するだけではなかった。その効用を充分理解して変化させるのだ。
彼は前例主義に凝り固まった重臣や役人たちを相手取り、旧来の慣習を打ち破った。
そして独自の政策や改革を断行した。
いきなり有能な人間にはなれない。彼は失敗も多く完全無欠ではなかったのは歴史が証明している。
破天荒でありながら有能な将軍である徳川吉宗が、どうしてそのような将軍になったのか。
おそらく将軍に至るまでの若き日々の経験が彼を育てたのだろう。
その辺りを深堀して、将軍になる前の半生にスポットを当てたのがこの作品です。
本作品は、第9回歴史・時代小説大賞の参加作です。
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