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暴発
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治済は重好の顔に狙いを定めて連発銃の引鉄を引いた。
その刹那、御休息之間は轟音と硝煙に包まれ、しかし、重好は無事であった。
その代わりに治済が右手を喪った。
どうやら連発銃が暴発したらしい。
治済が引鉄を引いたと同時に連発銃は弾が発射される代わりに暴発し、治済の右手を直撃した。
暴発の直撃を受けた治済は銃を持っていた右手を畳に落とした。その際、連発銃も右手に握られたまま畳に落下した。
治済は一瞬、我が身に降りかかった出来事に理解が追着かなかった。
が、直ぐに理解するや、猛烈な痛みに襲われ、治済は痛さの余り、雄叫びを上げた。
治済は右手を喪ったことにより、手首はまるで切株の切断面を髣髴とさせ、出血夥しかった。
治済は足許の畳に連発銃を握った右手ごと落下させると同時に、右手を捩じ切られた手首からは血を滴り落ちさせた。
治済は痛さの余り、雄叫びを上げたものの、それも暫くすると止んだ。
己の身体から―、手首から血が流れ出すのを見るにつけ、治済は痛さよりも死への恐怖が勝り、その恐怖が更に貧血を引起こさせて、治済は膝から崩れ落ちた。
そして治済は遂に失神した。
だが治済は失神する直前、
「雛に…、謀られたようだ…」
そう言残し、意知はその言葉を聞き逃さなかった。
さて治済が失神すると、予想だにせぬ展開に我を忘れていた家治も漸くに正気を取戻すや、
「この狼藉者めを、ひっ捕えぇっ!」
意知の背中越しにそう命じたのであった。
すると失神している治済の一番近くにいた定信がここぞとばかり、真先に動いた。
即ち、治済に馬乗りになり、一応、捕える姿勢を取った。
先に治済が家治に連発銃を向けた折、定信は重好や忠友共々、動けずにいたところを意知だけが真先に家治の許へと駆付け、そして治済の兇弾から家治を守ろうとした。
次いで意知に先を越された格好の一人である重好も汚名返上とばかり、家治を守る意知に連発銃を向けていた治済に対して、撃つならまず己から撃つ様、治済を促した。
そうすることで重好は意知、ひいては家治を守ろうとしたのであり、正に、
「身を挺して…」
守ろうとした訳だ。
斯かる経緯から定信にしてみれば意知や、更には重好にまで先を越された格好であり、それ故、この辺でそろそろ、己も働きぶりを示しておかねばと、つまりは家治に己の働きぶりを「アピール」しておかねばと、そこで真先に治済に馬乗りになった次第である。
否、意知や重好に先を越されたのは側用人の水野忠友もそうであり、忠友も定信同様、己の働きぶりを家治に「アピール」すべく、
「とりあえず治済の応急処置を…」
家治にそう提案したのであった。
治済は家治たちに「冥途の土産」に家基毒殺事件の真相や、倫子や萬壽姫の毒殺事件の真相に加えて、意知暗殺未遂事件の真相までベラベラと自慢気に語ってみせた。
幸いにも連発銃は暴発し、その御蔭で家治たちの身体に風穴が空くことはなかった。
それ故、家治としてはこれから更に一連の毒殺事件の探索に着手するものと思われた。
何しろ事件は大奥にまで亘る広範囲なものであり、全容解明ともなると今の治済の自白だけでは如何にも弱い。
今の治済の自白を基にして事件の関係者の身柄を拘束し、取調べる必要があった。
尤も、その為にも治済にはここで死んで貰っては困る。ここで黒幕とも言うべき治済に死なれては、治済に唆されて斯かる事件に手を染めた関係者、否、犯罪に「知らぬ存ぜぬ」の言逃れを許巣ことにもなりかねなかったからだ。
そこで忠友は家治に対して治済の応急処置を提案したのであり、その際、
「断腸の思いではござりましょうが…」
そう付加えることも忘れなかった。
治済に愛妻や愛娘、更には側室との間にもうけた嫡子まで治済に毒殺された家治としては、そんな治済を助けてやらねばならないとは、
「断腸の思い…」
それに外ならず、忠友はそんな家治を慮ってそう付加えたのであった。
家治も忠友の進言に耳を傾け、直ちに奥医師に、それも外科医に治済の応急処置に当たらせることにし、忠友にその旨、命じた。
ここ本丸中奥においては将軍・家治に近侍する奥医師の中でも外科医は3人であり、桂川甫周國瑞と津軽良策季詮、津軽意伯健壽の3人がそうで皆、法眼であった。
奥医師にも宿直はあり、3人しかいない外科医にしてもその例外ではない。
但し、津軽季詮だけは73という齢の為に宿直は免除されており、桂川國瑞と津軽健壽の2人が交代で宿直を勤め、一方、津軽季詮は宿直を免除されている代わりに毎日、日中、ここ中奥の朝五つ(午前8時頃)から夕七つ(午後4時頃)までの四刻(約8時間)勤務であった。
今宵は津軽健壽が夕七つ(午後4時頃)から暁九つ(午前0時頃)までの宿直を勤める日であり、今は既に夜の四つ半(午後11時頃)を回ったところであり、津軽健壽はここ中奥にある御側御用取次衆の詰所である御談部屋の次之間2階に詰めていた。
御側御用取次は平素、将軍に近侍しては将軍の政務を助けるが、四六時中、将軍に近侍している訳ではない。
将軍が例えば大奥に出向いたり、或いは馬場で馬を駈る時など、御側御用取次が近侍しない場合もあり、その様な場合には御側御用取次は詰所である御談部屋に詰めて執務を執り、次之間において休息を取ることもある。
その御側御用取次の休息場所とも言うべき次之間2階に奥医師が詰めていたのだ。
否、奥医師だけでなく小姓もそこには詰めていたのだ。
水野忠友は自らその2階へと足を運び、そこに詰めていた津軽健壽に事の次第を伝え、すると健壽も「救急セット」を手にして御休息之間へと急いだ。
否、津軽健壽だけではない。桂川國瑞にしてもそうであった。
桂川國瑞は明日、といってももう、四半刻(約30分)もないが、暁九つ(午前0時頃)から朝五つ(午前8時頃)までの宿直に備えて仮眠を取っており、それが時刻が宿直が始まる暁九つ(午前0時頃)に近付いたこともあり目を覚ましており、忠友が津軽健壽に話をするのを耳にすると國瑞も起上がり、やはり「救急セット」を手にして忠友と健壽を追いかける様にして御休息之間へと急いだのであった。
こうして御休息之間に忠友に伴われて津軽健壽に加えて桂川國瑞までが姿を見せると、家治は治済への治療は桂川國瑞に任せて、津軽健壽には意知の治療を任せた。
意知は佐野善左衛門に斬られた左肩の疵は既に外科医の岡田一虎の縫合によりその疵口が塞がったかに思われたが、ここへ来て再び、縫合した疵口を保護する為の包帯から赤いものが滲み出ていたので、そこで津軽健壽に意知の治療を任せたのであった。
家治としては別段、津軽健壽に治済の治療を任せても良かったのだが、しかしその場合、意知の治療は桂川國瑞に任さざるを得ず、それは家治としては避けたいところであったので、治済の治療は桂川國瑞に任せることにしたのだ。
それと言うのも桂川國瑞は、と言うよりは桂川家は代々、竹姫の輿入先の薩摩藩島津家にも出入りが許されており、それ故、この桂川國瑞も薩摩藩島津家の上屋敷に出向いては在府中―、重豪が江戸にいる折には重豪を診察することも度々であり、その様な経緯から桂川國瑞は重豪と親しくしており、そうであれば重豪を介して一橋治済とも親しくしている可能性があった。
無論、桂川國瑞が治済と親しく付合っているという確たる証はない。
だが今の家治としてはその様な、一橋治済とも親しい可能性があるだけでも、不安でならなかった。
つまりは一橋治済と親しく付合っているという可能性のある桂川國瑞には意知の治療を任せたくはなかったのだ。
否、家治もよもや桂川國瑞程の外科医までが意知を治療の名の下に意知を殺害に及ぼうなどとは思わなかった。
だが僅かでもその危険性があるならば避けたいというのが家治の偽らざる心境であった。
かくして桂川國瑞と津軽健壽は夫々、治済と意知に治療を施し、その甲斐あって、治済にしろ意知にしろ、止血に成功した。
その刹那、御休息之間は轟音と硝煙に包まれ、しかし、重好は無事であった。
その代わりに治済が右手を喪った。
どうやら連発銃が暴発したらしい。
治済が引鉄を引いたと同時に連発銃は弾が発射される代わりに暴発し、治済の右手を直撃した。
暴発の直撃を受けた治済は銃を持っていた右手を畳に落とした。その際、連発銃も右手に握られたまま畳に落下した。
治済は一瞬、我が身に降りかかった出来事に理解が追着かなかった。
が、直ぐに理解するや、猛烈な痛みに襲われ、治済は痛さの余り、雄叫びを上げた。
治済は右手を喪ったことにより、手首はまるで切株の切断面を髣髴とさせ、出血夥しかった。
治済は足許の畳に連発銃を握った右手ごと落下させると同時に、右手を捩じ切られた手首からは血を滴り落ちさせた。
治済は痛さの余り、雄叫びを上げたものの、それも暫くすると止んだ。
己の身体から―、手首から血が流れ出すのを見るにつけ、治済は痛さよりも死への恐怖が勝り、その恐怖が更に貧血を引起こさせて、治済は膝から崩れ落ちた。
そして治済は遂に失神した。
だが治済は失神する直前、
「雛に…、謀られたようだ…」
そう言残し、意知はその言葉を聞き逃さなかった。
さて治済が失神すると、予想だにせぬ展開に我を忘れていた家治も漸くに正気を取戻すや、
「この狼藉者めを、ひっ捕えぇっ!」
意知の背中越しにそう命じたのであった。
すると失神している治済の一番近くにいた定信がここぞとばかり、真先に動いた。
即ち、治済に馬乗りになり、一応、捕える姿勢を取った。
先に治済が家治に連発銃を向けた折、定信は重好や忠友共々、動けずにいたところを意知だけが真先に家治の許へと駆付け、そして治済の兇弾から家治を守ろうとした。
次いで意知に先を越された格好の一人である重好も汚名返上とばかり、家治を守る意知に連発銃を向けていた治済に対して、撃つならまず己から撃つ様、治済を促した。
そうすることで重好は意知、ひいては家治を守ろうとしたのであり、正に、
「身を挺して…」
守ろうとした訳だ。
斯かる経緯から定信にしてみれば意知や、更には重好にまで先を越された格好であり、それ故、この辺でそろそろ、己も働きぶりを示しておかねばと、つまりは家治に己の働きぶりを「アピール」しておかねばと、そこで真先に治済に馬乗りになった次第である。
否、意知や重好に先を越されたのは側用人の水野忠友もそうであり、忠友も定信同様、己の働きぶりを家治に「アピール」すべく、
「とりあえず治済の応急処置を…」
家治にそう提案したのであった。
治済は家治たちに「冥途の土産」に家基毒殺事件の真相や、倫子や萬壽姫の毒殺事件の真相に加えて、意知暗殺未遂事件の真相までベラベラと自慢気に語ってみせた。
幸いにも連発銃は暴発し、その御蔭で家治たちの身体に風穴が空くことはなかった。
それ故、家治としてはこれから更に一連の毒殺事件の探索に着手するものと思われた。
何しろ事件は大奥にまで亘る広範囲なものであり、全容解明ともなると今の治済の自白だけでは如何にも弱い。
今の治済の自白を基にして事件の関係者の身柄を拘束し、取調べる必要があった。
尤も、その為にも治済にはここで死んで貰っては困る。ここで黒幕とも言うべき治済に死なれては、治済に唆されて斯かる事件に手を染めた関係者、否、犯罪に「知らぬ存ぜぬ」の言逃れを許巣ことにもなりかねなかったからだ。
そこで忠友は家治に対して治済の応急処置を提案したのであり、その際、
「断腸の思いではござりましょうが…」
そう付加えることも忘れなかった。
治済に愛妻や愛娘、更には側室との間にもうけた嫡子まで治済に毒殺された家治としては、そんな治済を助けてやらねばならないとは、
「断腸の思い…」
それに外ならず、忠友はそんな家治を慮ってそう付加えたのであった。
家治も忠友の進言に耳を傾け、直ちに奥医師に、それも外科医に治済の応急処置に当たらせることにし、忠友にその旨、命じた。
ここ本丸中奥においては将軍・家治に近侍する奥医師の中でも外科医は3人であり、桂川甫周國瑞と津軽良策季詮、津軽意伯健壽の3人がそうで皆、法眼であった。
奥医師にも宿直はあり、3人しかいない外科医にしてもその例外ではない。
但し、津軽季詮だけは73という齢の為に宿直は免除されており、桂川國瑞と津軽健壽の2人が交代で宿直を勤め、一方、津軽季詮は宿直を免除されている代わりに毎日、日中、ここ中奥の朝五つ(午前8時頃)から夕七つ(午後4時頃)までの四刻(約8時間)勤務であった。
今宵は津軽健壽が夕七つ(午後4時頃)から暁九つ(午前0時頃)までの宿直を勤める日であり、今は既に夜の四つ半(午後11時頃)を回ったところであり、津軽健壽はここ中奥にある御側御用取次衆の詰所である御談部屋の次之間2階に詰めていた。
御側御用取次は平素、将軍に近侍しては将軍の政務を助けるが、四六時中、将軍に近侍している訳ではない。
将軍が例えば大奥に出向いたり、或いは馬場で馬を駈る時など、御側御用取次が近侍しない場合もあり、その様な場合には御側御用取次は詰所である御談部屋に詰めて執務を執り、次之間において休息を取ることもある。
その御側御用取次の休息場所とも言うべき次之間2階に奥医師が詰めていたのだ。
否、奥医師だけでなく小姓もそこには詰めていたのだ。
水野忠友は自らその2階へと足を運び、そこに詰めていた津軽健壽に事の次第を伝え、すると健壽も「救急セット」を手にして御休息之間へと急いだ。
否、津軽健壽だけではない。桂川國瑞にしてもそうであった。
桂川國瑞は明日、といってももう、四半刻(約30分)もないが、暁九つ(午前0時頃)から朝五つ(午前8時頃)までの宿直に備えて仮眠を取っており、それが時刻が宿直が始まる暁九つ(午前0時頃)に近付いたこともあり目を覚ましており、忠友が津軽健壽に話をするのを耳にすると國瑞も起上がり、やはり「救急セット」を手にして忠友と健壽を追いかける様にして御休息之間へと急いだのであった。
こうして御休息之間に忠友に伴われて津軽健壽に加えて桂川國瑞までが姿を見せると、家治は治済への治療は桂川國瑞に任せて、津軽健壽には意知の治療を任せた。
意知は佐野善左衛門に斬られた左肩の疵は既に外科医の岡田一虎の縫合によりその疵口が塞がったかに思われたが、ここへ来て再び、縫合した疵口を保護する為の包帯から赤いものが滲み出ていたので、そこで津軽健壽に意知の治療を任せたのであった。
家治としては別段、津軽健壽に治済の治療を任せても良かったのだが、しかしその場合、意知の治療は桂川國瑞に任さざるを得ず、それは家治としては避けたいところであったので、治済の治療は桂川國瑞に任せることにしたのだ。
それと言うのも桂川國瑞は、と言うよりは桂川家は代々、竹姫の輿入先の薩摩藩島津家にも出入りが許されており、それ故、この桂川國瑞も薩摩藩島津家の上屋敷に出向いては在府中―、重豪が江戸にいる折には重豪を診察することも度々であり、その様な経緯から桂川國瑞は重豪と親しくしており、そうであれば重豪を介して一橋治済とも親しくしている可能性があった。
無論、桂川國瑞が治済と親しく付合っているという確たる証はない。
だが今の家治としてはその様な、一橋治済とも親しい可能性があるだけでも、不安でならなかった。
つまりは一橋治済と親しく付合っているという可能性のある桂川國瑞には意知の治療を任せたくはなかったのだ。
否、家治もよもや桂川國瑞程の外科医までが意知を治療の名の下に意知を殺害に及ぼうなどとは思わなかった。
だが僅かでもその危険性があるならば避けたいというのが家治の偽らざる心境であった。
かくして桂川國瑞と津軽健壽は夫々、治済と意知に治療を施し、その甲斐あって、治済にしろ意知にしろ、止血に成功した。
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