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遂に引鉄は引かれた ~治済は全ての「冥途の土産話」を語り終えると、まず清水重好に連発銃を向けた~

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 倫子ともこつづいて萬壽姫ますひめまでが毒殺どくさつされるや、萬壽姫ますひめ附属ふぞくしていた女中じょちゅうたちは各々おのおのほかの「部署ぶしょ」へと異動いどうたした。

 すなわち、上臈じょうろう年寄どしより岩橋いわはし家基附いえもとづき上臈じょうろう年寄どしよりへと異動いどう横滑よこすべり、また武家ぶけけい年寄としより小枝さえだおなじく家基附いえもとづき武家ぶけけい年寄としよりとして異動いどう横滑よこすべりをたした。

 一方いっぽう中年寄ちゅうどしよりであった梅岡うめおか家基附いえもとづき武家ぶけけい年寄としよりとして昇格しょうかくたし、これで家基附いえもとづき武家ぶけけい年寄としより先任せんにん初崎はつざき小枝さえだ梅岡うめおか二人ふたりあらたにくわわり、3人となった。

 またおなじく中年寄ちゅうどしより類津るいつ将軍しょうぐん家治附いえはるづき御客応答おきゃくあしらいへと、山野やまの家基附いえもとづき御客応答おきゃくあしらいへと夫々それぞれ異動いどう昇格しょうかくたした。

 姫君ひめぎみにだけ附属ふぞくする中年寄ちゅうどしより若君わかぎみにだけ附属ふぞくする御客応答おきゃくあしらいとでは御客応答おきゃくあしらいほうがやや格上かくうえであり、しかも若君わかぎみ大奥おおおくにて御客応答おきゃくあしらい毒見どくみにない、姫君ひめぎみ食事しょくじ毒見どくみをもにな中年寄ちゅうどしより職掌しょくしょうかぶっていた。

 そして唯一人ただひとり廣瀬ひろせだけは大奥おおおく退職たいしょくし、田安館たやすやかたへと再就職さいしゅうしょくたした。

「いや、それにしても類津るいつしいことをいたした…」

 治済はるさだ意知おきとも連発銃れんぱつじゅうけつつ、じつにしみじみとした口調くちょうでそうげた。

「そは…、如何いか意味いみぞ…」

 意知おきとも背後はいごひかえていた家治いえはるこえふるわせてたずねた。

 すると治済はるさだ冷笑れいしょうかべたかとおもうと、

類津るいつには萬壽ますつづいて、家治いえはるよ、貴様きさまいのちをもうばわせようと、御客応答おきゃくあしらいとして送込おくりこんだのに…、それが去年きょねん歿ぼっしてしまうとは…」

 不遜ふそんにもそう言放いいはなったのである。

 もっとも、治済はるさだのその不遜ふそん態度たいどかく類津るいつ去年きょねんの天明3(1783)年8月に病歿びょうぼつしたことを家治いえはるおもした。

類津るいつは…、うぬが送込おくりこみし刺客しかくであったともうすか…」

 家治いえはるはやはりこえふるわせつつ、治済はるさだうた。

 それにたいして治済はるさだはそんな家治いえはる様子ようす面白おもしろがりつつ、「如何いかにも」とやはり不遜ふそんにも勝誇かちほこった様子ようすこたえた。

「まぁ…、類津るいつなれたとしても、にはすでぜん奉行ぶぎょうをも手駒てごまとしていたゆえに、貴様きさま毒殺どくさつには差支さしつかえはないともうすものにて…」

 治済はるさだはそう補足ほそくして、家治いえはる愕然がくぜんとさせた。

 家治いえはるにはいま、3人のぜん奉行ぶぎょう附属ふぞくしており、家治いえはる食事しょくじ毒見どくみになっているのだが、そのぜん奉行ぶぎょうにまで治済はるさだ触手しょくしゅばしていたと言うのである。

 たして何人なんにんぜん奉行ぶぎょう治済はるさだいきがかかっているのか、家治いえはるには想像そうぞうかなかった。あるいは全員ぜんいん治済はるさだいきがかかっているのやもれぬ。

 家治いえはる最早もはや、それをたしかめる気力きりょくもなく項垂うなだれ、意知おきとも背後はいごからそうとさっすると、家治いえはるわって|治済はるさだにそのてんを、つまりは何人なんにんぜん奉行ぶぎょう手懐てなずけたのか尋《たず》ねた。

 だが治済はるさだ意知おきとものそのいにこたえることはなかった。

今更いまさら、それをっても詮無せんないことであろう…、なにしろみずか貴様きさまらををかけるのだからな…、いやとしてもまさかに斯様かようなる仕儀しぎ相成あいなろうとは予想よそうだにせず…」

 たしかにぜん奉行ぶぎょうりて家治いえはるをも毒殺どくさつしようとかんがえていた治済はるさだみずからのよごすことになろうとは、それも射殺しゃさつという手法しゅほうもちようとは治済はるさだ自身じしん予想よそうしていなかったであろう。

大納言だいなごんさま…、家基公いえもとこうにはすでに、花川はなかわがおりましたが…」

 意知おきともおもしたようにそう切出きりだすと、

「そこへさら山野やまのくわわった、と?」

 治済はるさだたしかめるようたずねた。

 花川はなかわ家基附いえもとづき御客応答おきゃくあしらいとして附属ふぞくするまえ倫子ともこづき中年寄ちゅうどしよりとして附属ふぞくしており、倫子ともこあと―、正確せいかくには治済はるさだ使嗾しそうされて大崎おおさき高橋たかはしとみとも倫子ともこ砒素ひそによって、

「じわじわと…」

 責殺せめころしたのち花川はなかわだけは家基附いえもとづき御客応答おきゃくあしらいとして異動いどう昇格しょうかくたしていた。

 その家基附いえもとづき御客応答おきゃくおうとう萬壽姫ますひめづき中年寄ちゅうどしよりであった山野やまのくわわったのかと、意知おきとも治済はるさだたしかめたのであった。

左様さよう…、いや山野やまのだけではないぞ?そこへさら砂野いさの笹岡ささおかくわわったのだ…」

「されば…、花川はなかわ山野やまの、そして砂野いさの笹岡ささおかがその御客応答おきゃくあしらいとしての職権しょっけん濫用らんようして家基公いえもとこう一服いっぷくった、と…」

左様さよう…、もっと正確せいかくには家基いえもとめに一服いっぷくりしはその前日ぜんじつ薩摩島津さつましまづ女中じょちゅう平野ひらのより河豚毒ふぐどく附子ぶす、このふたつのどく混入こんにゅうせし小壜こびん受取うけとりし砂野いさのであるがのう…、それに職権しょっけん濫用らんようせしは家基附いえもどづき上臈じょうろう岩橋いわはし西之丸にしのまるおお上臈じょうろう梅薗うめぞのにしてもおなじよ…」

 かつて、倫子ともこつづいて萬壽姫ますひめ上臈じょうろう年寄どしよりとして附属ふぞくしていた岩橋いわはし萬壽姫ますひめあとには家基附いえもとづき上臈じょうろう年寄どしよりとして異動いどう横滑よこづべりをたし、するとすで家基附いえもとづき上臈じょうろう年寄どしよりであった梅薗うめぞの西之丸にしのまるおお上臈じょうろうへと異動いどう昇格しょうかくたした。

 西之丸にしのまるおお上臈じょうろうとはようするに西之丸にしのまる大奥おおおく頂点トップであった。

 治済はるさだ梅薗うめぞのをも取込とりこもうと、そこでやはり稲葉いなば正明まさあきらちからりて梅薗うめぞの西之丸にしのまるおお上臈じょうろうへと祭上まつりあげたのであった。

 すると梅薗うめぞの治済はるさだおおいに感謝かんしゃし、治済はるさだ取込とりこまれた格好かっこうとなり、それは家基暗殺計画いえもとあんさつけいかくへの協力きょうりょくというかたち見事みごと花開はなひらいた。

 すなわち、家基いえもと鷹狩たかがりのあさ大奥おおおくにて婚約者こんやくしゃ種姫たねひめ朝餉あさげともにしたさい家基いえもと自分じぶんぜんを―、砂野いさのによって河豚ふぐどく附子ぶし、トリカブトのどく混入こんにゅうあれたぜん種姫たねひめにもあたようとしたことがあり、これを無作法ぶさほうであるとしてめたのが岩橋いわはし梅薗うめぞのであったのだ。

 これでかり岩橋いわはしだけならば、いやさら実権じっけんのある武家ぶけけい年寄としより初崎はつざき小枝さえだ梅岡うめおかまでが岩橋いわはし加勢かせいしたとしても、家基いえもとのその行動こうどう制止せいし出来できなかったやもれぬ。

朝餉あさげぐらいはおのきにさせてくれ…」

 家基いえもとにそう言われては岩橋いわはしにしろ小枝さえだにしろめられなかったであろう。

 だがそこへ西之丸にしのまる大奥おおおく取仕切とりしき梅薗うめぞのまでが加勢かせいしたことから、家基いえもと引下ひきさがらざるをなかった。

 なにしろ梅薗うめぞの吉宗よしむね西之丸にしのまるにて隠居生活いんきょせいかつおくっていたころより、その西之丸にしのまる大奥おおおくにて吉宗附よしむねづき上臈じょうろう年寄どしよりとしてつかえていたであり、家治いえはるでさえもこの梅薗うめぞのにはあたまがらず、そうであれば家基いえもとなど梅薗うめぞのてきではなかった。

 かくして種姫たねひめ家基いえもとぜんを、すなわち、毒入どくいりのぜんらずにんだのであった。

 いや治済はるさだとしては種姫たねひめにもんでもらっても一向いっこうかまわなかったが、しかし、家基いえもと毒殺どくさつしようとする種姫たねひめまでいやっては如何いかにもまずい。

 家基いえもとつづいて種姫たねひめまでがおなたおれたとあれば当然とうぜん大奥おおおくにて家基いえもと種姫たねひめ朝餉あさげともにしたさい、その朝餉あさげなに毒物どくぶつでも混入こんにゅうしていたのではないかとうたがわれることになる。

 そうなれば家基いえもと鷹狩たかがりの帰途きと発病はつびょう、それもしかしたら鷹狩たかがりの帰途きと一服いっぷくられたのやもれぬと、周囲しゅういにそう誤解ごかいさせようとほっする治済はるさだ計画けいかくおおいに支障ししょうきたすことになる。

 それゆえ種姫たねひめには家基いえもと毒入どくいぜんくちにしてもらってはこまり、梅薗うめぞの家基いえもとの「無作法ぶさほう」をめてもらったのだ。

「さて…、冥途めいど土産みやげも、もうこのへんはら一杯いっぱいとなったであろう?」

 治済はるさだ引鉄ひきがねこうとしたので、すると家治いえはる意知おきともしに、「て」とそれをせいした。

意知おきとも暗殺あんさつ…、未遂みすいけんについてもうておきたい…、西之丸にしのまる家斉いえなり将来しょうらいそなえて若年寄わかどしよりから進講しんこうをと…、それも意知暗殺計画おきともあんさつけいかく一環いっかんであったか?」

 家治いえはるがそうたずねるや、治済はるさだうなずいた。

殿中でんちゅうにて若年寄わかどしより山城やましろめを暗殺あんさつしようとおもうても、若年寄わかどしより一人ひとりになる機会きかいすくなく、つね若年寄わかどしより一堂いちどうかいしており…、されば山城暗殺やましろあんさつにはほか若年寄わかどしより居合いあわせることとなり、なれどそれでは若年寄わかどしよりなかでも唯一ゆいいつ山城やましろめが味方みかた加納かのう遠江とおとうみ阻止そしされるやもれず…」

 そこで次期じき将軍しょうぐん家斉いえなりたいして本丸ほんまる若年寄わかどしより交代こうたい進講しんこう、それも昼前ひるまえ西之丸にしのまるへとあしはこばせることにし、今日きょうよう加納かのう久堅ひさかた昼前ひるまえ西之丸にしのまるへと追払おいはらったときを、それも老中ろうじゅうひるまわりがわり昼餉ひるげため若年寄わかどしより一党いっとうしも部屋べやへとかうときねらい、佐野さの善左衛門ぜんざえもんおそわせたのだと、治済はるさだはやはり得々とくとく意知おきともに、そして意知おきとも背後はいごひかえる家治いえはるへもかたってかせたのであった。

「されば…、かる進言しんげんいたせし若年寄わかどしより酒井石見さかいいわみめは治済はるさだ取込とりこまれておったともうすか?」

 家治いえはるはそのてん治済はるさだたしかめた。

左様さよう…、いや酒井石見さかいいわみだけではないぞ?太田備後おおたびんごにしてもそうだ…」

米倉よねくら丹後たんごは?」

米倉よねくら丹後たんご別段べつだん取込とりこまれておったわけではないが、さりとて加納かのう遠江とおとうみごとく、山城やましろめが味方みかたというわけでもなく…」

 治済はるさだにそうかされて成程なるほど合点がてんがいった。

 たしかに、意知おきとも佐野さの善左衛門ぜんざえもんおそわれたとき米倉昌晴よねくらまさはる酒井さかい忠休ただよし太田おおた資愛すけよしともにそのそばにいたにもかかわらず、身体からだってまで意知おきともたすようとはせず、それどころか忠休ただよし資愛すけよし引張ひっぱられる格好かっこう奥右筆詰所おくゆうひつつめしょへと逃込にげこんだのであった。

 いや米倉昌晴よねくらまさはる本気ほんきせば、つまりは奥右筆詰所おくゆうひつつめしょへとうなが忠休ただよし資愛すけよしほどいて意知おきともたすけることも出来できはずであった。

 だが実際じっさいには米倉昌晴よねくらまさはるはそうはせず、忠休ただよし資愛すけよしとによってうながされるままに奥右筆詰所おくゆうひつつめしょ逃込にげこんだということは加納かのう久堅ひさかたよう身体からだってまで意知おきともまもるつもりもなかったということだ。

「それに…、留守居るすい太田駿河おおたするが大目付おおめつけ松平まつだいら對馬つしま、それと目附めつけ井上いのうえ圖書ずしょ末吉すえよし善左衛門ぜんざえもんにしてそうだ…、目附めつけなかでも山城やましろめとしたしい安藤あんどう郷右衛門ごうえもんめが山城やましろめをたすけるべく駆付かけつようとするやもれず、そこでこれを阻止そしせんがために…、また太田駿河おおたするが松平まつだいら對馬つしまにも同様どうように…」

 ほか大目付おおめつけあるいは非番ひばん町奉行まちぶぎょう公事くじがた勘定かんじょう奉行ぶぎょう作事さくじ普請ふしん小普請こぶしん下三しもさん奉行ぶぎょうなかからも意知おきともたすようとするものあらわれたならば、これを阻止そしさせようとしていたのだと、治済はるさだ打明うちあけた。

 治済はるさださらに、小笠原おがさわら信喜のぶよし縁者えんじゃである小普請こぶしんぐみ支配しはい中坊なかのぼう金蔵きんぞうをも取込とりこみ、留守居るすいばん堀内内膳ほりうちないぜんや、あるいは新番しんばんがしら飯田いいだ易信かねのぶ意知おきともたすようとしたならば、これを阻止そしさせようとしていたことも打明うちあけたのであった。

「そしてかりに…、いまがそうだが、佐野さの善左衛門ぜんざえもんめが意知おきとも討洩うちもらせしときにはばん医師いし使嗾しそうして、治療ちりょうもと意知おきともいき今度こんどこそめる算段さんだんであったか…」

 家治いえはるのそのいかけに治済はるさだうなずくと、「もうんだか?」と今度こんどこそ引鉄ひきがねこうとしたので、

最後さいごにもうひとつだけ…」

 意知おきともはどこぞの名刑事めいけいじよろしく、そんな台詞セリフいて治済はるさだくと、

田安たやすやかた侍女じじょ廣瀬ひろせや、あるいは池原良誠いけはらよしのぶそく良明よしあきら、それに戸田とだ要人かなめや、さらには深谷ふかや盛朝もりともいのちまでうばいしも、やはり一橋ひとつばし民部卿殿みんぶのきょうどの画策かくさくにて?」

 意知おきとものそのいかけにたいして、治済はるさだはしかし、くびかしげ、なにこたようとしたそのときであった。

 それまで入頬いりがわひかえていた重好しげよしうごこうとし、そうとさっした治済はるさだ意知おきとも返事へんじをするのを中止ちゅうしして、重好しげよしじゅうけた。

うごくな…」

 治済はるさだじゅうひとけたものはっする「おまり」のフレーズをくちにした。

 だが重好しげよしじゅうけられているというのにいささかもひる様子ようすうかがわせず、それどころか、

つならまず、この重好しげよしからつがかろう…」

 治済はるさだたいして勇敢ゆうかんにもそう言放いいはなったのであった。

「ほほう…、汚名おめい返上へんじょうもうわけか?山城やましろめにさきされたために…」

 先程さきほど治済はるさだ家治いえはる連発銃れんぱつじゅうけたさい真先まっさき家治いえはるぜんへと駆付かけつけた意知おきともたいして、重好しげよしはと言うと、側用人そばようにん水野みずの忠友共々ただともともども恐怖きょうふあまうごけず、その立尽たちつくすのみであったので、その汚名おめい返上へんじょうとばかり、そのよういさましいことを言うのかと、治済はるさだ重好しげよし挑発ちょうはつ気味ぎみたずねていたのだ。

 一方いっぽう重好しげよしもそうとかっていたものの、しかし治済はるさだのそんなやすっぽい挑発ちょうはつせられる様子ようすはやはり微塵みじんうかがわせず、冷静れいせいに、いや治済はるさだのそのやすっぽい挑発ちょうはつ冷笑れいしょうするかのごとく、「如何いかにもそのとおりぞ」と平然へいぜんみとめたことから、治済はるさだ重好しげよしのその反応はんのうには心底しんそこ激昂げっこうさせられた。おのれ予想よそう期待きたいしていたのとは正反対せいはんたい反応はんのうだからだ。

「それほどまでににたいのなら、まず重好しげよし貴様きさまからころしてやる…」

 治済はるさだはそうげると、重好しげよしけた連発銃れんぱつじゅう引鉄ひきがねこうとした。

 それゆえ家治いえはる意知おきともは「めろぉっ!」とこえを、怒声どせいそろわせたが、しかし治済はるさだはその怒声どせいには一切いっさいられることなく、つい引鉄ひきがねいたのであった。
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