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遂に引鉄は引かれた ~治済は全ての「冥途の土産話」を語り終えると、まず清水重好に連発銃を向けた~
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倫子に続いて萬壽姫までが毒殺されるや、萬壽姫に附属していた女中たちは各々、外の「部署」へと異動を果たした。
即ち、上臈年寄の岩橋は家基附の上臈年寄へと異動、横滑り、また武家系の年寄の小枝も同じく家基附の武家系の年寄として異動、横滑りを果たした。
一方、中年寄であった梅岡は家基附の武家系の年寄として昇格を果たし、これで家基附の武家系の年寄は先任の初崎に小枝と梅岡の二人が新たに加わり、3人となった。
また同じく中年寄の類津は将軍・家治附の御客応答へと、山野は家基附の御客応答へと夫々、異動、昇格を果たした。
姫君にだけ附属する中年寄と若君にだけ附属する御客応答とでは御客応答の方がやや格上であり、しかも若君が大奥にて御客応答が毒見を担い、姫君の食事の毒見をも担う中年寄と職掌が被っていた。
そして唯一人、廣瀬だけは大奥を退職し、田安館へと再就職を果たした。
「いや、それにしても類津は惜しいことを致した…」
治済は意知に連発銃を向けつつ、実にしみじみとした口調でそう告げた。
「そは…、如何な意味ぞ…」
意知の背後に控えていた家治は声を震わせて尋ねた。
すると治済は冷笑を浮かべたかと思うと、
「類津には萬壽に続いて、家治よ、貴様の命をも奪わせようと、御客応答として送込んだのに…、それが去年に歿してしまうとは…」
不遜にもそう言放ったのである。
尤も、治済のその不遜な態度は兎も角、類津が去年の天明3(1783)年8月に病歿したことを家治は思い出した。
「類津は…、うぬが送込みし刺客であったと申すか…」
家治はやはり声を震わせつつ、治済に問うた。
それに対して治済はそんな家治の様子を面白がりつつ、「如何にも」とやはり不遜にも勝誇った様子で応えた。
「まぁ…、類津に死なれたとしても、余には既に御膳奉行をも手駒としていた故に、貴様の毒殺には差支えはないと申すものにて…」
治済はそう補足して、家治を愕然とさせた。
家治には今、3人の御膳奉行が附属しており、家治の食事の毒見を担っているのだが、その御膳奉行にまで治済は触手を伸ばしていたと言うのである。
果たして何人の御膳奉行が治済の息がかかっているのか、家治には想像も付かなかった。或いは全員が治済の息がかかっているのやも知れぬ。
家治は最早、それを確かめる気力もなく項垂れ、意知は背後からそうと察すると、家治に代わって|治済にその点を、つまりは何人の御膳奉行を手懐けたのか尋《たず》ねた。
だが治済が意知のその問いに応えることはなかった。
「今更、それを知っても詮無いことであろう…、何しろ余が自ら貴様らを手をかけるのだからな…、いや余としてもまさかに斯様なる仕儀に相成ろうとは予想だにせず…」
確かに御膳奉行の手を借りて家治をも毒殺しようと考えていた治済が自らの手を汚すことになろうとは、それも射殺という手法を用い様とは治済自身、予想していなかったであろう。
「大納言様…、家基公には既に、花川がおりましたが…」
意知は思い出した様にそう切出すと、
「そこへ更に山野が加わった、と?」
治済に確かめる様に尋ねた。
花川は家基附の御客応答として附属する前は倫子附の中年寄として附属しており、倫子亡き後―、正確には治済に使嗾されて大崎や高橋、富と共に倫子を砒素によって、
「じわじわと…」
責殺した後、花川だけは家基附の御客応答として異動、昇格を果たしていた。
その家基附の御客応答に萬壽姫附の中年寄であった山野が加わったのかと、意知は治済に確かめたのであった。
「左様…、否、山野だけではないぞ?そこへ更に砂野や笹岡も加わったのだ…」
「されば…、花川や山野、そして砂野や笹岡がその御客応答としての職権を濫用して家基公に一服盛った、と…」
「左様…、尤も正確には家基めに一服盛りしはその前日に薩摩島津の女中、平野より河豚毒と附子、この二つの毒が混入せし小壜を受取りし砂野であるがのう…、それに職権を濫用せしは家基附の上臈の岩橋や西之丸大上臈の梅薗にしても同じよ…」
嘗て、倫子、続いて萬壽姫に上臈年寄として附属していた岩橋は萬壽姫亡き後には家基附の上臈年寄として異動、横滑りを果たし、すると既に家基附の上臈年寄であった梅薗は西之丸大上臈へと異動、昇格を果たした。
西之丸大上臈とは要するに西之丸大奥の頂点であった。
治済は梅薗をも取込もうと、そこでやはり稲葉正明の力を借りて梅薗を西之丸大上臈へと祭上げたのであった。
すると梅薗も治済に大いに感謝し、治済に取込まれた格好となり、それは家基暗殺計画への協力という形で見事、花開いた。
即ち、家基が鷹狩りの朝、大奥にて婚約者の種姫と朝餉を共にした際、家基が自分の膳を―、砂野によって河豚毒と附子、トリカブトの毒が混入あれた膳を種姫にも分け与え様としたことがあり、これを無作法であるとして止めたのが岩橋と梅薗であったのだ。
これで仮に岩橋だけならば、否、更に実権のある武家系の年寄の初崎や小枝、梅岡までが岩橋に加勢したとしても、家基のその行動を制止出来なかったやも知れぬ。
「朝餉ぐらいは自が好きにさせてくれ…」
家基にそう言われては岩橋にしろ小枝にしろ止められなかったであろう。
だがそこへ西之丸大奥を取仕切る梅薗までが加勢したことから、家基も引下がらざるを得なかった。
何しろ梅薗は吉宗が西之丸にて隠居生活を送っていた頃より、その西之丸大奥にて吉宗附の上臈年寄として仕えていた身であり、家治でさえもこの梅薗には頭が上がらず、そうであれば家基など梅薗の敵ではなかった。
かくして種姫は家基の膳を、即ち、毒入りの膳を摂らずに済んだのであった。
否、治済としては種姫にも死んで貰っても一向に構わなかったが、しかし、家基を毒殺しようとする日に種姫まで死に追いやっては如何にも拙い。
家基に続いて種姫までが同じ日に斃れたとあれば当然、大奥にて家基が種姫と朝餉を共にした際、その朝餉に何か毒物でも混入していたのではないかと疑われることになる。
そうなれば家基は鷹狩りの帰途に発病、それも若しかしたら鷹狩りの帰途に一服盛られたのやも知れぬと、周囲にそう誤解させようと欲する治済の計画に大いに支障を来すことになる。
それ故、種姫には家基の毒入り御膳を口にして貰っては困り、梅薗に家基の「無作法」を止めて貰ったのだ。
「さて…、冥途の土産も、もうこの辺で腹一杯となったであろう?」
治済が引鉄を引こうとしたので、すると家治が意知越しに、「待て」とそれを制した。
「意知の暗殺…、未遂の件についても問うておきたい…、西之丸の家斉に将来に備えて若年寄から進講をと…、それも意知暗殺計画の一環であったか?」
家治がそう尋ねるや、治済は頷いた。
「殿中にて若年寄の山城めを暗殺しようと思うても、若年寄が一人になる機会は少なく、常に若年寄は一堂に会しており…、されば山城暗殺の場には外の若年寄も居合わせることとなり、なれどそれでは若年寄の中でも唯一、山城めが味方の加納遠江に阻止されるやも知れず…」
そこで次期将軍・家斉に対して本丸若年寄が交代で進講、それも昼前に西之丸へと足を運ばせることにし、今日の様な加納久堅が昼前に西之丸へと追払った時を、それも老中の昼の廻りが終わり昼餉の為に若年寄一党が下部屋へと向かう時を狙い、佐野善左衛門に襲わせたのだと、治済はやはり得々と意知に、そして意知に背後に控える家治へも語って聞かせたのであった。
「されば…、余に斯かる進言を致せし若年寄の酒井石見めは治済に取込まれておったと申すか?」
家治はその点を治済に確かめた。
「左様…、否、酒井石見だけではないぞ?太田備後にしてもそうだ…」
「米倉丹後は?」
「米倉丹後は別段、余に取込まれておった訳ではないが、さりとて加納遠江が如く、山城めが味方という訳でもなく…」
治済にそう聞かされて成程と合点がいった。
確かに、意知が佐野善左衛門に襲われた時、米倉昌晴は酒井忠休や太田資愛と共にその直ぐ傍にいたにもかかわらず、身体を張ってまで意知を助け様とはせず、それどころか忠休や資愛に引張られる格好で奥右筆詰所へと逃込んだのであった。
否、米倉昌晴が本気を出せば、つまりは奥右筆詰所へと促す忠休と資愛を振り解いて意知を助けることも出来た筈であった。
だが実際には米倉昌晴はそうはせず、忠休と資愛とによって促されるままに奥右筆詰所に逃込んだということは加納久堅の様に身体を張ってまで意知を守るつもりもなかったということだ。
「それに…、留守居の太田駿河や大目付の松平對馬、それと目附の井上圖書や末吉善左衛門にしてそうだ…、目附の中でも山城めと親しい安藤郷右衛門めが山城めを助けるべく駆付け様とするやも知れず、そこでこれを阻止せんが為に…、また太田駿河や松平對馬にも同様に…」
外の大目付や或いは非番の町奉行、公事方勘定奉行や作事・普請・小普請の下三奉行の中からも意知を助け様とする者が現れたならば、これを阻止させようとしていたのだと、治済は打明けた。
治済は更に、小笠原信喜の縁者である小普請組支配の中坊金蔵をも取込み、留守居番の堀内内膳や、或いは新番頭の飯田易信が意知を助け様としたならば、これを阻止させようとしていたことも打明けたのであった。
「そして仮に…、今がそうだが、佐野善左衛門めが意知を討洩らせし時には番医師を使嗾して、治療の名の下に意知が息の根を今度こそ止める算段であったか…」
家治のその問いかけに治済は頷くと、「もう気が済んだか?」と今度こそ引鉄を引こうとしたので、
「最後にもう一つだけ…」
意知はどこぞの名刑事宜しく、そんな台詞を吐いて治済の気を引くと、
「田安館の侍女の廣瀬や、或いは池原良誠が息の良明、それに戸田要人や、更には深谷盛朝の命まで奪いしも、やはり一橋民部卿殿が画策にて?」
意知のその問いかけに対して、治済はしかし、首を傾げ、何を応え様としたその時であった。
それまで入頬に控えていた重好が動こうとし、そうと察した治済は意知に返事をするのを中止して、重好に銃を向けた。
「動くな…」
治済は銃を人に向けた者が発する「お決まり」のフレーズを口にした。
だが重好は銃を向けられているというのに些かも怯む様子は窺わせず、それどころか、
「撃つならまず、この重好から撃つが良かろう…」
治済に対して勇敢にもそう言放ったのであった。
「ほほう…、汚名返上と申す訳か?山城めに先を越された為に…」
先程、治済が家治に連発銃を向けた際、真先に家治の御前へと駆付けた意知に対して、重好はと言うと、側用人の水野忠友共々、恐怖の余り動けず、その場に立尽くすのみであったので、その汚名返上とばかり、その様な勇ましいことを言うのかと、治済は重好に挑発気味に尋ねていたのだ。
一方、重好もそうと分かっていたものの、しかし治済のそんな安っぽい挑発に乗せられる様子はやはり微塵も窺わせず、冷静に、否、治済のその安っぽい挑発を冷笑するかの如く、「如何にもその通りぞ」と平然と認めたことから、治済も重好のその反応には心底、激昂させられた。己が予想、期待していたのとは正反対の反応だからだ。
「それ程までに死にたいのなら、まず重好、貴様から殺してやる…」
治済はそう告げると、重好に向けた連発銃の引鉄を引こうとした。
それ故、家治と意知は「止めろぉっ!」と声を、怒声を揃わせたが、しかし治済はその怒声には一切、気を取られることなく、遂に引鉄を引いたのであった。
即ち、上臈年寄の岩橋は家基附の上臈年寄へと異動、横滑り、また武家系の年寄の小枝も同じく家基附の武家系の年寄として異動、横滑りを果たした。
一方、中年寄であった梅岡は家基附の武家系の年寄として昇格を果たし、これで家基附の武家系の年寄は先任の初崎に小枝と梅岡の二人が新たに加わり、3人となった。
また同じく中年寄の類津は将軍・家治附の御客応答へと、山野は家基附の御客応答へと夫々、異動、昇格を果たした。
姫君にだけ附属する中年寄と若君にだけ附属する御客応答とでは御客応答の方がやや格上であり、しかも若君が大奥にて御客応答が毒見を担い、姫君の食事の毒見をも担う中年寄と職掌が被っていた。
そして唯一人、廣瀬だけは大奥を退職し、田安館へと再就職を果たした。
「いや、それにしても類津は惜しいことを致した…」
治済は意知に連発銃を向けつつ、実にしみじみとした口調でそう告げた。
「そは…、如何な意味ぞ…」
意知の背後に控えていた家治は声を震わせて尋ねた。
すると治済は冷笑を浮かべたかと思うと、
「類津には萬壽に続いて、家治よ、貴様の命をも奪わせようと、御客応答として送込んだのに…、それが去年に歿してしまうとは…」
不遜にもそう言放ったのである。
尤も、治済のその不遜な態度は兎も角、類津が去年の天明3(1783)年8月に病歿したことを家治は思い出した。
「類津は…、うぬが送込みし刺客であったと申すか…」
家治はやはり声を震わせつつ、治済に問うた。
それに対して治済はそんな家治の様子を面白がりつつ、「如何にも」とやはり不遜にも勝誇った様子で応えた。
「まぁ…、類津に死なれたとしても、余には既に御膳奉行をも手駒としていた故に、貴様の毒殺には差支えはないと申すものにて…」
治済はそう補足して、家治を愕然とさせた。
家治には今、3人の御膳奉行が附属しており、家治の食事の毒見を担っているのだが、その御膳奉行にまで治済は触手を伸ばしていたと言うのである。
果たして何人の御膳奉行が治済の息がかかっているのか、家治には想像も付かなかった。或いは全員が治済の息がかかっているのやも知れぬ。
家治は最早、それを確かめる気力もなく項垂れ、意知は背後からそうと察すると、家治に代わって|治済にその点を、つまりは何人の御膳奉行を手懐けたのか尋《たず》ねた。
だが治済が意知のその問いに応えることはなかった。
「今更、それを知っても詮無いことであろう…、何しろ余が自ら貴様らを手をかけるのだからな…、いや余としてもまさかに斯様なる仕儀に相成ろうとは予想だにせず…」
確かに御膳奉行の手を借りて家治をも毒殺しようと考えていた治済が自らの手を汚すことになろうとは、それも射殺という手法を用い様とは治済自身、予想していなかったであろう。
「大納言様…、家基公には既に、花川がおりましたが…」
意知は思い出した様にそう切出すと、
「そこへ更に山野が加わった、と?」
治済に確かめる様に尋ねた。
花川は家基附の御客応答として附属する前は倫子附の中年寄として附属しており、倫子亡き後―、正確には治済に使嗾されて大崎や高橋、富と共に倫子を砒素によって、
「じわじわと…」
責殺した後、花川だけは家基附の御客応答として異動、昇格を果たしていた。
その家基附の御客応答に萬壽姫附の中年寄であった山野が加わったのかと、意知は治済に確かめたのであった。
「左様…、否、山野だけではないぞ?そこへ更に砂野や笹岡も加わったのだ…」
「されば…、花川や山野、そして砂野や笹岡がその御客応答としての職権を濫用して家基公に一服盛った、と…」
「左様…、尤も正確には家基めに一服盛りしはその前日に薩摩島津の女中、平野より河豚毒と附子、この二つの毒が混入せし小壜を受取りし砂野であるがのう…、それに職権を濫用せしは家基附の上臈の岩橋や西之丸大上臈の梅薗にしても同じよ…」
嘗て、倫子、続いて萬壽姫に上臈年寄として附属していた岩橋は萬壽姫亡き後には家基附の上臈年寄として異動、横滑りを果たし、すると既に家基附の上臈年寄であった梅薗は西之丸大上臈へと異動、昇格を果たした。
西之丸大上臈とは要するに西之丸大奥の頂点であった。
治済は梅薗をも取込もうと、そこでやはり稲葉正明の力を借りて梅薗を西之丸大上臈へと祭上げたのであった。
すると梅薗も治済に大いに感謝し、治済に取込まれた格好となり、それは家基暗殺計画への協力という形で見事、花開いた。
即ち、家基が鷹狩りの朝、大奥にて婚約者の種姫と朝餉を共にした際、家基が自分の膳を―、砂野によって河豚毒と附子、トリカブトの毒が混入あれた膳を種姫にも分け与え様としたことがあり、これを無作法であるとして止めたのが岩橋と梅薗であったのだ。
これで仮に岩橋だけならば、否、更に実権のある武家系の年寄の初崎や小枝、梅岡までが岩橋に加勢したとしても、家基のその行動を制止出来なかったやも知れぬ。
「朝餉ぐらいは自が好きにさせてくれ…」
家基にそう言われては岩橋にしろ小枝にしろ止められなかったであろう。
だがそこへ西之丸大奥を取仕切る梅薗までが加勢したことから、家基も引下がらざるを得なかった。
何しろ梅薗は吉宗が西之丸にて隠居生活を送っていた頃より、その西之丸大奥にて吉宗附の上臈年寄として仕えていた身であり、家治でさえもこの梅薗には頭が上がらず、そうであれば家基など梅薗の敵ではなかった。
かくして種姫は家基の膳を、即ち、毒入りの膳を摂らずに済んだのであった。
否、治済としては種姫にも死んで貰っても一向に構わなかったが、しかし、家基を毒殺しようとする日に種姫まで死に追いやっては如何にも拙い。
家基に続いて種姫までが同じ日に斃れたとあれば当然、大奥にて家基が種姫と朝餉を共にした際、その朝餉に何か毒物でも混入していたのではないかと疑われることになる。
そうなれば家基は鷹狩りの帰途に発病、それも若しかしたら鷹狩りの帰途に一服盛られたのやも知れぬと、周囲にそう誤解させようと欲する治済の計画に大いに支障を来すことになる。
それ故、種姫には家基の毒入り御膳を口にして貰っては困り、梅薗に家基の「無作法」を止めて貰ったのだ。
「さて…、冥途の土産も、もうこの辺で腹一杯となったであろう?」
治済が引鉄を引こうとしたので、すると家治が意知越しに、「待て」とそれを制した。
「意知の暗殺…、未遂の件についても問うておきたい…、西之丸の家斉に将来に備えて若年寄から進講をと…、それも意知暗殺計画の一環であったか?」
家治がそう尋ねるや、治済は頷いた。
「殿中にて若年寄の山城めを暗殺しようと思うても、若年寄が一人になる機会は少なく、常に若年寄は一堂に会しており…、されば山城暗殺の場には外の若年寄も居合わせることとなり、なれどそれでは若年寄の中でも唯一、山城めが味方の加納遠江に阻止されるやも知れず…」
そこで次期将軍・家斉に対して本丸若年寄が交代で進講、それも昼前に西之丸へと足を運ばせることにし、今日の様な加納久堅が昼前に西之丸へと追払った時を、それも老中の昼の廻りが終わり昼餉の為に若年寄一党が下部屋へと向かう時を狙い、佐野善左衛門に襲わせたのだと、治済はやはり得々と意知に、そして意知に背後に控える家治へも語って聞かせたのであった。
「されば…、余に斯かる進言を致せし若年寄の酒井石見めは治済に取込まれておったと申すか?」
家治はその点を治済に確かめた。
「左様…、否、酒井石見だけではないぞ?太田備後にしてもそうだ…」
「米倉丹後は?」
「米倉丹後は別段、余に取込まれておった訳ではないが、さりとて加納遠江が如く、山城めが味方という訳でもなく…」
治済にそう聞かされて成程と合点がいった。
確かに、意知が佐野善左衛門に襲われた時、米倉昌晴は酒井忠休や太田資愛と共にその直ぐ傍にいたにもかかわらず、身体を張ってまで意知を助け様とはせず、それどころか忠休や資愛に引張られる格好で奥右筆詰所へと逃込んだのであった。
否、米倉昌晴が本気を出せば、つまりは奥右筆詰所へと促す忠休と資愛を振り解いて意知を助けることも出来た筈であった。
だが実際には米倉昌晴はそうはせず、忠休と資愛とによって促されるままに奥右筆詰所に逃込んだということは加納久堅の様に身体を張ってまで意知を守るつもりもなかったということだ。
「それに…、留守居の太田駿河や大目付の松平對馬、それと目附の井上圖書や末吉善左衛門にしてそうだ…、目附の中でも山城めと親しい安藤郷右衛門めが山城めを助けるべく駆付け様とするやも知れず、そこでこれを阻止せんが為に…、また太田駿河や松平對馬にも同様に…」
外の大目付や或いは非番の町奉行、公事方勘定奉行や作事・普請・小普請の下三奉行の中からも意知を助け様とする者が現れたならば、これを阻止させようとしていたのだと、治済は打明けた。
治済は更に、小笠原信喜の縁者である小普請組支配の中坊金蔵をも取込み、留守居番の堀内内膳や、或いは新番頭の飯田易信が意知を助け様としたならば、これを阻止させようとしていたことも打明けたのであった。
「そして仮に…、今がそうだが、佐野善左衛門めが意知を討洩らせし時には番医師を使嗾して、治療の名の下に意知が息の根を今度こそ止める算段であったか…」
家治のその問いかけに治済は頷くと、「もう気が済んだか?」と今度こそ引鉄を引こうとしたので、
「最後にもう一つだけ…」
意知はどこぞの名刑事宜しく、そんな台詞を吐いて治済の気を引くと、
「田安館の侍女の廣瀬や、或いは池原良誠が息の良明、それに戸田要人や、更には深谷盛朝の命まで奪いしも、やはり一橋民部卿殿が画策にて?」
意知のその問いかけに対して、治済はしかし、首を傾げ、何を応え様としたその時であった。
それまで入頬に控えていた重好が動こうとし、そうと察した治済は意知に返事をするのを中止して、重好に銃を向けた。
「動くな…」
治済は銃を人に向けた者が発する「お決まり」のフレーズを口にした。
だが重好は銃を向けられているというのに些かも怯む様子は窺わせず、それどころか、
「撃つならまず、この重好から撃つが良かろう…」
治済に対して勇敢にもそう言放ったのであった。
「ほほう…、汚名返上と申す訳か?山城めに先を越された為に…」
先程、治済が家治に連発銃を向けた際、真先に家治の御前へと駆付けた意知に対して、重好はと言うと、側用人の水野忠友共々、恐怖の余り動けず、その場に立尽くすのみであったので、その汚名返上とばかり、その様な勇ましいことを言うのかと、治済は重好に挑発気味に尋ねていたのだ。
一方、重好もそうと分かっていたものの、しかし治済のそんな安っぽい挑発に乗せられる様子はやはり微塵も窺わせず、冷静に、否、治済のその安っぽい挑発を冷笑するかの如く、「如何にもその通りぞ」と平然と認めたことから、治済も重好のその反応には心底、激昂させられた。己が予想、期待していたのとは正反対の反応だからだ。
「それ程までに死にたいのなら、まず重好、貴様から殺してやる…」
治済はそう告げると、重好に向けた連発銃の引鉄を引こうとした。
それ故、家治と意知は「止めろぉっ!」と声を、怒声を揃わせたが、しかし治済はその怒声には一切、気を取られることなく、遂に引鉄を引いたのであった。
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その結果、本能寺の信長、そして妙覚寺の織田信忠は、抵抗の暇もなく首級を挙げられる。
両名の首級を四条河原にさらした光秀は、織田政権の崩壊を満天下に明らかとし、畿内にて急速に地歩を固めていく。
一方、近江国日野の所領にいた蒲生賦秀(のちの氏郷)は、信長の悲報を知るや、亡き信長の家族を伊勢国松ヶ島城の織田信雄の元に送り届けるべく安土城に迎えに走る。
だが、瀬田の唐橋を無傷で確保した明智秀満の軍勢が安土城に急速に迫ったため、女子供を連れての逃避行は不可能となる。
かくなる上は、戦うより他に道はなし。
信長の遺した安土城を舞台に、若き闘将・蒲生賦秀の活躍が始まる。
空母鳳炎奮戦記
ypaaaaaaa
歴史・時代
1942年、世界初の装甲空母である鳳炎はトラック泊地に停泊していた。すでに戦時下であり、鳳炎は南洋艦隊の要とされていた。この物語はそんな鳳炎の4年に及ぶ奮戦記である。
というわけで、今回は山本双六さんの帝国の海に登場する装甲空母鳳炎の物語です!二次創作のようなものになると思うので原作と違うところも出てくると思います。(極力、なくしたいですが…。)ともかく、皆さまが楽しめたら幸いです!
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