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銃口 ~進退窮まった一橋治済は侍女の雛より持たされた連発銃を取出し、将軍・家治に銃口を向けるも、意知が家治の前に立ちはだかる~

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上様うえさま…、面通めんとおしをいたしましては如何いかが御座ござりましょう…」

 重好しげよし休息之間きゅうそくのま一瞬いっしゅん静寂せいじゃくつつまれた機会きかいとらえて、まえ上段じょうだんにて鎮座ちんざするあに家治いえはるたいしてそう提案ていあんした。

面通めんとおし、とな?」

 家治いえはるがそう問返といかえすや、重好しげよしも「御意ぎょい」とこたえたうえで、ここ休息之間きゅうそくのまのそれもいまおのれ意知おきともひかえる下段げだん一橋ひとつばし治済はるさだ松平まつだいら定信さだのぶ二人ふたりならべて佐野さの善左衛門ぜんざえもん面通めんとおしさせることを提案ていあんしたのであった。

成程なるほどのう…、それで佐野さの善左衛門ぜんざえもんめが一橋ひとつばし治済はるさだ定信さだのぶだと指示さししめさば、治済はるさだ定信さだのぶふんせしことが…、そして定信さだのぶとして佐野さの善左衛門ぜんざえもん密会みっかいかさね、意知暗殺おきともあんさつけしかけしことがほぼ…、いや完全かんぜんしょうされるというわけだの?」

 家治いえはるたしかめるようにそうたずねたので、重好しげよしも「御意ぎょい」とおうじた。

 それから重好しげよし意知おきともまじえて、面通めんとおしの具体的ぐたいてき段取だんどりについて四半刻しはんとき(約30分)ほど家治いえはる打合うちあわせた。

 暮六つ(午後6時頃)をぎたいまそばしゅう詰所つめしょにはいまだ、用取次ようとりつぎ姿すがたがあった。

 そばしゅう詰所つめしょとはそばしゅうなかでも筆頭ひっとう用取次ようとりつぎ詰所つめしょであるので、そこに彼等かれら用取次ようとりつぎめていたとしても一見いっけん不思議ふしぎではない。

 ただし、それは昼八つ(午後2時頃)まで、おそくとも夕七つ(午後4時頃)までのはなしであった。

 用取次ようとりつぎひらそばとはことなり、宿直とのいがなく、おそくとも夕七つ(午後4時頃)には下城げじょうする。

 それゆえ普段ふだんならば暮六つ(午後6時頃)ぎの今時分いまじぶんまで用取次ようとりつぎ詰所つめしょであるそのそばしゅう詰所つめしょのこっていることはなかった。

 だが今日きょう、3月24日は表向おもてむきにおいて若年寄わかどしよりが、それも将軍しょうぐん家治いえはるもっと寵愛ちょうあいする田沼たぬま意知おきともおそわれるという大事件だいじけん際会さいかいして、用取次ようとりつぎいま下城げじょうせずに詰所つめしょにて待機たいきしていたのだ。

 そこへ側用人そばようにん水野みずの忠友ただとも姿すがたせた。

 いや忠友ただともだけではない。忠友ただとも真横まよこには三卿さんきょう清水しみず重好しげよし姿すがたもあり、それゆえ用取次ようとりつぎみな威儀いぎただして重好しげよし出迎でむかえた。用取次ようとりつぎならば将軍しょうぐんかお無論むろんのこと、三卿さんきょうかお把握はあくしていたからだ。

 側用人そばようにん忠友ただともがそんな用取次ようとりつぎなかでも稲葉いなば正明まさあきら指名しめいすると、

「これよりただちに清水宮内しみずくないきょうさまとも一橋様ひとつばしさまもとへとまいり、民部卿様みんぶのきょうさま休息之間きゅうそくのままでれてまいれ…」

 正明まさあきらにそうめいじたことから、正明まさあきら流石さすがおどろいた。

 三卿さんきょう清水しみず重好しげよしそば用取次ようとりつぎともに、おなじく三卿さんきょう一橋ひとつばし治済はるさだもとへとあしはこび、治済はるさだ御城えどじょうはここ中奥なかおく休息之間きゅうそくのままでれてるなど前代未聞ぜんだいみもんであったからだ。

 忠友ただとももそうとさっしてか、

「それがおそおおくも上様うえさま御旨ぎょしである…」

 間髪かんぱつれず、そうつづけたことから、稲葉いなば正明まさあきらとしても拒否きょひゆるされず、大人おとなしくその「御旨ぎょし」にしたがい、重好しげよしとも御城えどじょう中奥なかおくをあとにした。

 こうして稲葉いなば正明まさあきら中奥なかおくよりらせてから忠友ただとも今度こんどのこ二人ふたり用取次ようとりつぎ横田よこた準松のりとし本郷泰行ほんごうやすゆきこえけた。

「そなたらはこれよりただちに、この忠友ただともともきた八丁堀はっちょうぼり越中えっちゅうさまもとへといそぎ、越中えっちゅうさまれてまいるぞ…」

 忠友ただともくちにした「きた八丁堀はっちょうぼり越中えっちゅうさま」とはきた八丁堀はっちょうぼり上屋敷かみやしきかまえる白河藩しらかわはん当主とうしゅ松平まつだいら越中守えっちゅうのかみ定信さだのぶいてほかにはなく、その定信さだのぶをもやはり休息之間きゅうそくのままでれてくるべく、側用人そばようにんとそれに二人ふたり用取次ようとりつぎまでがみずかあしはこぶとは、こちらもまた「前代未聞ぜんだいみもん」と言えた。

 この「前代未聞ぜんだいみもん」の提案者ていあんしゃ清水しみず重好しげよしであった。

「暮六つ(午後6時頃)をぎた今時分いまじぶん一橋ひとつばし治済はるさだ確実かくじつ御城えどじょうへと召喚しょうかんするには治済はるさだおなじく三卿さんきょうたるこの重好しげよしれてるのがなによりともうすものにて…、治済はるさだめもこの重好しげよしが…、治済はるさだめとは同格どうかくのこの重好しげよしみずかあしはこんだとなれば、流石さすが仮病けびょうでももちいて御城えどじょうへと同道どうどうするのを拒否きょひいたさぬものかと…」

 そのさい治済はるさだとは「ツーカー」の間柄あいだがらである用取次ようとりつぎ稲葉いなば正明まさあきらをも同行どうこうさせれば、治済はるさだすこしは油断ゆだんさせられるかもれなかった。

 一方いっぽう松平まつだいら定信さだのぶたいしては定信さだのぶとは同格どうかく従四位下じゅしいのげ諸大夫しょだいぶ所謂いわゆる四品しほん官位かんいにある側用人そばようにん水野みずの忠友ただともれてさせるのが上策じょうさくであった。

 それと言うのも定信さだのぶ自尊心じそんしんたかく、しかしそれゆえに、その自尊心じそんしんさえ粗略そりゃくあつかわずに慰撫いぶしてやれば、こちらのおもどおりにうごくという単純たんじゅんさをも持合もちあわせていた。

 わるく言えば単細胞たんさいぼうであり、そのよう単細胞たんさいぼうなる定信さだのぶもとへと定信さだのぶとは同格どうかくにして、将軍しょうぐん家治いえはる最側近さいそっきん側用人そばようにん水野みずの忠友ただとも差向さしむければ、そこへさらに、側用人そばようにん将軍しょうぐん家治いえはる側近そっきんである用取次ようとりつぎ横田よこた準松のりとし本郷泰行ほんごうやすゆきをもしたがわせ、その忠友ただともより定信さだのぶたいして、

上様うえさま御城えどじょうにておちですので、一緒いっしょください…」

 そうつたえれば、単細胞たんさいぼう定信さだのぶのことである、

上様うえさまはそれほどまでにこの定信さだのぶ大事だいじおもうてくださっているのか…」

 そう感激かんげきし、嬉々ききとして召喚しょうかんおうずるにちがいない。

 重好しげよし家治いえはるたいしてかる「見立みたて」をし、家治いえはるもその「見立みたて」にはしたくと同時どうじに、これをみとめた次第しだいであった。

 一橋ひとつばし治済はるさだもとへは清水しみず重好しげよし用取次ようとりつぎ稲葉いなば正明まさあきらが、一方いっぽう松平まつだいら定信さだのぶもとへは側用人そばようにん水野みずの忠友ただともとそれに用取次ようとりつぎ横田よこた準松のりとし本郷泰行ほんごうやすゆき夫々それぞれあしはこぶにいたったのはかる事情じじょうによる。

 さて、最初さいしょに「目的地もくてきち」に辿たどいたのは清水しみず重好しげよし稲葉いなば正明まさあきらの「ペア」であった。

 清水しみず重好しげよし稲葉いなば正明まさあきらくれの六つ半(午後7時頃)まえ一橋家ひとつばしけ上屋敷かみやしき門前もんぜん辿たどいた。

 そのとき治済はるさだ大奥おおおくにて側妾そくしょうらとたわむれており、そこへ岩本いわもと喜内きない血相けっそうえて飛込とびこんでた。

 その岩本いわもと喜内きないより清水しみず重好しげよし稲葉いなば正明まさあきら訪問ほうもんげられた治済はるさだ流石さすがおどろいたものの、しかし正明まさあきらがいることからすこしくは安堵あんどもした。

 治済はるさだはとりあえず表向おもてむき座敷ざしきにて重好しげよし正明まさあきら二人ふたり面会めんかいし、すると重好しげよしから将軍しょうぐん家治いえはるいたがっているむねつたえられたのであった。

上様うえさまがのう…、それで態々わざわざ清水しみず殿どの差向さしむけられたか?」

おそらくは…、いや上様うえさまとしては確実かくじつに、そこもとをびたいのであろうぞ…」

 重好しげよしはそうあけすけにこたえてみせ、治済はるさだ苦笑くしょうさせた。

「それではまるでこの治済はるさだ居留守いるす…、は無理むりとしても仮病けびょうでも使つこうて登城とじょうおうぜぬ可能性かのうせいもあるかのようくちぶりだの…」

「そうであろう?」

 重好しげよしにしてはめずらしく挑発ちょうはつするようにそうこたえたことから、治済はるさだ流石さすがかお強張こわばらせると、重好しげよしにらんだ。

 すると重好しげよしけじとにらかえしたことから、そこで稲葉いなば正明まさあきらかせて咳払せきばらいをひとつしたかとおもうと、治済はるさだたいして、「支度したくを…」とうながした。

 このままでは延々えんえんいや永遠えいえんと「ガンのばしい」が繰広くりひろげられるやもれぬと、正明まさあきらはそうさっしたからである。

 治済はるさだもすると重好しげよしから視線しせんらすと、

しばて…」

 如何いかにも不機嫌ふきげん調子ちょうし正明まさあきらたいしてそうおうずると、大奥おおおくへと引込ひっこんだ。

如何いかがなされましたので?」

 支度したくためにいったん大奥おおおくへと引込ひっこんだ治済はるさだたいして、そう出迎でむかえたのは侍女じじょひなであった。

「どうやら上様うえさまが…、家治いえはるめが今時分いまじぶんにこの治済はるさだを、おびだそうだ…」

 治済はるさだほか侍女じじょ着替きがえを手伝てつだわせつつ、ひなにそうこたえた。

「やはり…、若年寄わかどしより暗殺あんさつのことで?」

正確せいかくには暗殺あんさつ未遂みすい、だがの…」

なにか…、いや予感よかんいたしまする…」

いや予感よかん、とな?」

御意ぎょい…」

「まさかに…、この治済はるさだ定信さだのぶめにけて山城暗殺おきともあんさつ佐野さの善左衛門ぜんざえもんめにけしかけしことが家治いえはるめにバレたとでももうすのではあるまいの?ひなは…」

「その可能性かのうせいけっしてきにしもあらず、かと…」

「されば…、この治済はるさだ断罪だんざいすべく御城えどじょうへとまねいたともうすか?家治いえはるめは…」

 治済はるさだ着替きがえのめ、ひな凝視ぎょうしした。

 するとひな治済はるさだ見返みかえしつつ、「御意ぎょい…」とこたえるや、なん懐中かいちゅうより連発銃れんぱつじゅう取出とりだしてみせ、治済はるさだ心底しんそこ仰天ぎょうてんさせた。

ひな…、まさか…」

まんいち場合ばあいはこれで…、5連発れんぱつゆえ上様うえさまもとより、清水宮内しみずくないきょうさまやそれに意知殿おきともどのあるいは田沼たぬま殿どの味方みかたせし側用人そばようにん水野みずの殿どのなどをこれで…、さすれば家斉公いえなりこう天下てんがもうすものにて…」

 たしかにひなの言うとおりであった。家治いえはるたちを抹殺まっさつし、次期じき将軍しょうぐんたる家斉いえなり将軍しょうぐん宣下せんげけさせれば治済はるさだつみ、それも謀叛むほん同然どうぜん大罪たいざいさばかれることはない。

 乱暴らんぼうだが、まんいち場合ばあいはそれしかあるまい。

 治済はるさだひなよりその5連発れんぱつじゅう受取うけとると、懐中かいちゅうしのばせた。



 一方いっぽう側用人そばようにん水野みずの忠友ただともとそれに用取次ようとりつぎ横田よこた準松のりとし本郷泰行ほんごうやすゆききた八丁堀はっちょうぼり上屋敷かみやしき辿たどいたのはそれよりも―、清水しみず重好しげよし稲葉いなば正明まさあきら一橋家ひとつばしけ上屋敷かみやしきいたよりもおそい宵五つ(午後8時頃)のことであった。

 重好しげよしの「見立みたてどおり、定信さだのぶ将軍しょうぐん家治いえはる御城えどじょうへと召出めしだすべく、おのれとは同格どうかく側用人そばようにん水野みずの忠友ただともとそれに二人ふたり用取次ようとりつぎをも差向さしむけてくれたことにおおいに自尊心じそんしんたされたらしく、即座そくざ同道どうどうおうじた。

 刻限こくげんすでに暮六つ(午後6時頃)をぎており、それゆえ所謂いわゆる三十六さんじゅうろく見附みつけとおるには脇門わきもんよりとおるしかない。

 一橋ひとつばし治済はるさだ場合ばあい一橋家ひとつばしけ上屋敷かみやしき自体じたい内郭ないかくにあり、それゆえ平河ひらかわもんくぐるだけで御城えどじょう辿たどく。

 一方いっぽう定信さだのぶ場合ばあいきた八丁堀はっちょうぼりおのれ当主とうしゅつとめる白河藩しらかわはん上屋敷かみやしきがあるために、御城えどじょう辿たどくには呉服橋ごふくばしもんと、それに大手おおてもんくぐ必要ひつようがあった。

 いずれも脇門わきもんよりの通行つうこうとなり、そのさい駕籠かごではとおれなかった。

 かり駕籠かごもんまで乗付のりつけたとしても、脇門わきもんよりくぐさいにはいったん駕籠かごからりて、徒歩とほにてくぐらねばならず、六尺かごかきカラ駕籠かごかついで脇門わきもんくぐることになる。

 それは三卿さんきょうもとより、御三家ごさんけいえども、その例外れいがいではなかった。

 治済はるさだにしろ定信さだのぶにしろ、それがかっていたので、それで駕籠かご使つかわずに徒歩とほにて御城えどじょうへとかった。

 最初さいしょ御城えどじょう中奥なかおく休息之間きゅうそくのま、それも下段げだんいたのは治済はるさだであった。治済はるさだは宵五つ(午後8時頃)まえには御城えどじょう中奥なかおくりをたすと、重好しげよし正明まさあきら案内あんないにより休息之間きゅうそくのま下段げだんへととおされた。

 すると重好しげよし正明まさあきうながして、いったん下段げだんをあとにし、治済はるさだ一人ひとり下段げだんに、いや休息之間きゅうそくのま全体ぜんたい取残とりのこされた格好かっこうとなった。

 休息之間きゅうそくのまはそれほどひろくはなく、応接間おうせつまである御座之間ござのまくらべれば手狭てぜまほどであったが、しかしこうして一人ひとり取残とりのこされるとひろかんじられ、そしてなんとも居心地いごこちわるかった。

 それが四半刻しはんとき(約30分)ほどつづいたころであろうか、今度こんどなん定信さだのぶ下段げだん姿すがたせたことから、治済はるさだ内心ないしん連発銃れんぱつじゅう使つかうのを覚悟かくごした。

 そしてそれからさら四半刻しはんとき(約30分)ほど経過けいかしたよいの五つ半(午後9時頃)をぎたころ家治いえはる姿すがたせ、上段じょうだん鎮座ちんざし、下段げだんひかえる定信さだのぶ治済はるさだかいった。

 すで時刻じこくよいの五つ半(午後9時頃)をぎていたので、あかりがなければ真暗闇まっくらやみである。

 さいわい、ここ休息之間きゅうそくのまにおいては数多あまた蠟燭ろうそくてられておりあかるかった。

「いや…、斯様かようなるおそ時分じぶん呼立よびたててまなんだな…」

 家治いえはるはまずはきゅう呼立よびたてたことをびた。

二人ふたりんだはほかでもない…、奇怪きっかいはなしなのだが…、このには定信さだのぶ二人ふたりいるらしいのだ…」

 家治いえはるのその言葉ことば治済はるさだ愈々いよいよ連発銃れんぱつじゅう使つか覚悟かくごかためた。

 一方いっぽう定信さだのぶは―、本物ほんもの定信さだのぶ家治いえはるのその言葉ことば意味いみかいしかね、「はぁっ?」と疑問ぎもんこえはっした。

 家治いえはるはそんな二人ふたり横目よこめに、下段げだんとその入頬いりがわとをへだてるふすまかって「これへ」とこえけた。

 その瞬間しゅんかんふすま両脇りょうわきからひらかれたかとおもうと、なかから佐野さの善左衛門ぜんざえもん姿すがたあらわれた。

 このとき定信さだのぶ治済はるさだじつ好対照こうたいしょう反応はんのうしめした。

 下段げだんとその入頬いりがわとをへだてるふすま、それも斜向はすむかいのふすまひらかれ、佐野さの善左衛門ぜんざえもん姿すがたせると、定信さだのぶ佐野さの善左衛門ぜんざえもんへと視線しせんけたが、しかしそれがだれなのかはからなかった。

 定信さだのぶは―、本物ほんもの定信さだのぶ佐野さの善左衛門ぜんざえもんとはこれが初対面しょたいめんであるので、それも当然とうぜんであった。

 いや一度いちどだけここ御城えどじょう表向おもてむきにて「ニアミス」したことはあるが、しかしそれだけであったので、最早もはや忘却ぼうきゃく彼方かなたであった。

 一方いっぽう治済はるさだ佐野さの善左衛門ぜんざえもん姿すがたせた途端とたん善左衛門ぜんざえもんからかおらした。

定信さだのぶよ…、佐野さの善左衛門ぜんざえもん…、このもの佐野さの善左衛門ぜんざえもんもう新番しんばんなのだが、定信さだのぶはじめてだの?」

 家治いえはるにそういかけられた定信さだのぶまさしくそのとおりであったので、家治いえはる真意しんいはかりかねつつも、「御意ぎょい…」とこたえた。

 家治いえはるは「うむ」とうなずいてみせると、つづいて治済はるさだたいしてたずねた。

治済はるさだはどうだの?佐野さの善左衛門ぜんざえもんとははじめてか?」

 家治いえはるのそのいかけにはどこか、嘲笑ちょうしょうするひびきがかんじられた。

 おもいやりのある家治いえはるにはめずらしいことであり、定信さだのぶなど、「おや?」と不思議ふしぎおもった。

 一方いっぽう治済はるさだはそれではまず、家治いえはるいかけにもこたえられずにいた。

 家治いえはるもそうとさっしてか、

「どうやらこたえがないようだの…、されば佐野さの善左衛門ぜんざえもんはどうだ?そこな一橋ひとつばし治済はるさだ見覚みおぼえはあるか?」

 佐野さの善左衛門ぜんざえもんたずねた。

 すると佐野さの善左衛門ぜんざえもんも、「ははっ」とおうじたうえで、「まぎれもなき松平まつだいら越中守えっちゅうのかみ定信様さだのぶさまにて…」と治済はるさだしょうしてそうこたえた。

 これには定信さだのぶ心底しんそこおどろいた様子ようすであった。当然とうぜん反応はんのうと言えた。

 そこで家治いえはるはここで定信さだのぶために「ネタらし」をした。

 すなわち、いままえにいる佐野さの善左衛門ぜんざえもん田安家たやすけ下屋敷しもやしきにて定信さだのぶふんした治済はるさだ密会みっかいかさねては、善左衛門ぜんざえもんけしかけて意知おきとも討果うちはたさんとした一件いっけんつたえたのであった。

「さればこのもの意知おきともを…」

 定信さだのぶおどろきのこえげるとあらためて佐野さの善左衛門ぜんざえもんながめた。

 定信さだのぶ平日登城へいじつとじょうゆるされぬ帝鑑間ていかんのまづめ大名だいみょうであるために、

「リアルタイムで…」

 意知暗殺おきともあんさつ未遂事件みすいじけん把握はあくしていたわけではない。

 だが江戸えど留守居るすい高松八郎たかまつはちろうよりらされており、意知暗殺おきともあんさつ未遂事件みすいじけんがあったことは把握はあくしていた。

 平日登城へいじつとじょうゆるされぬ大名だいみょう場合ばあい江戸留守居えどるすい所謂いわゆる御城使おしろづかいがそんな主君しゅくん成代なりかわり、平日へいじつ毎日登城まいにちとじょうしては蘇鉄之間そてつのまめ、他藩たはん江戸留守居えどるすい情報じょうほう交換こうかんいそしむ。

 定信さだのぶ当主とうしゅつとめる白河藩しらかわはん場合ばあい高松八郎たかまつはちろう日下部くさかべ武右衛門ぶえもんがそうで、二人ふたり平日へいじつ毎日まいにち交代こうたい登城とじょうする。このあたり、三卿さんきょう家老かろうているが、それはかく今日きょう3月24日においては高松八郎たかまつはちろう登城とじょうするであり、高松八郎たかまつはちろうはそれゆえ意知暗殺おきともあんさつ未遂事件みすいじけん際会さいかいし、下城げじょうし、白河藩しらかわはん上屋敷かみやしきへと帰邸きていおよぶや、ただちにこの一件いっけん主君しゅくん定信さだのぶみみれたのであった。

 もっとも、高松八郎たかまつはちろう仕入しいれたのは、

意知おきともおそわれたものの、なんとかいのち取留とりとめそうだ…」

 それだけであり、いつ、どこで、だれおそわれたのか、そこまでくわしい事情じじょう仕入しいれられなかった。

 定信さだのぶ意知暗殺おきともあんさつ未遂事件みすいじけん存在そんざいそのものは把握はあくしていたのはかる事情じじょうにより、家治いえはる今時分いまじぶんおのれ御城えどじょうへと召出めしだしたのも意知暗殺おきともあんさつ未遂事件みすいじけんかんしてだろうと、そうたりをつけてはいたものの、しかしそれが佐野さの善左衛門ぜんざえもんなる新番しんばんによる兇行きょうこうであることまではらず、それゆえいま家治いえはるよりそうかされておどろいた。

 いや、それ以上いじょうおどろいたのは治済はるさだおのれふんして佐野さの善左衛門ぜんざえもんけしかけて意知おきとも討果うちはたさせようとはかったことであった。

民部卿殿みんぶのきょうどの…、何故なにゆえ左様さようなる真似まねを?」

 定信さだのぶ治済はるさだの「動機どうき」がからなかった。それは生来せいらいそだちのゆえか、あるいは単細胞たんさいぼうであるためか、ともあれ家治いえはる治済はるさだわってこたえた。

「さればまっておろう?かり佐野さの善左衛門ぜんざえもん意知おきとも暗殺あんさつ失敗しくじったときのことをおそれてよ…、そしてそれは現実げんじつのものと相成あいなったが…、そのおりには佐野さの善左衛門ぜんざえもんきびしい穿鑿せんさくけ、その結果けっかおのれ意知暗殺おきともあんさつへとけしかけしもの自白じはくするやもれず、そこで…」

 家治いえはるにここまで「絵解えとき」をされれば、如何いかにぶ定信さだのぶとて気付きづいた。

「そこで、民部卿殿みんぶのきょうどのはこの定信さだのぶふんして、そこな佐野さの善左衛門ぜんざえもん意知暗殺おきともあんさつけしかけたと?まんいち場合ばあいでもそのつみは…、意知暗殺おきともあんさつけしかけしそのつみがこの定信さだのぶへとように…、つまりはこの定信さだのぶつみかずけるために…」

 定信さだのぶ家治いえはる言葉ことば引取ひきとってみせると、家治いえはるうなずいた。

一方いっぽう治済はるさだはそれでもなお

なんのことかさっぱりかりもうさず…」

 相変あいかわらずシラ切通きりとおした。

 これには流石さすが家治いえはるごうやし、

「このおよんでもまだ、シラるつもりかっ!」

 家治いえはる治済はるさだたいしてそう一喝いっかつした。

 だがそれで治済はるさだひるむことはなく、

なんもうされてもらぬものはらぬとしか…、それにそこな佐野さの善左衛門ぜんざえもんめは場所柄ばしょがらわきまえず鞘走さやはしらせては若年寄わかどしよりりかかりし狼藉者ろうぜきものなれば、かる狼藉者ろうぜきもの証言しょうげんなど、アテにはなりもうさず…」

 佐野さの善左衛門ぜんざえもんの「証言能力しょうげんのうしょく」を疑問視ぎもんししたのであった。

 成程なるほど佐野さの善左衛門ぜんざえもんの「証言しょうげん」だけでは、治済はるさだ定信さだのぶふんしたと認定にんていするにはいささよわいやもれぬ。

 そこで家治いえはるは「現場不在証明アリバイ」を持出もちだした。

 偽定信にせさだのぶこと定信さだのぶふんした治済はるさだ佐野さの善左衛門ぜんざえもんっていた時分じぶん家治いえはる重好しげよしまじえて清水家しみずけ下屋敷しもやしきにて本物ほんもの定信さだのぶっていたくだんの「現場不在証明アリバイ」を持出もちだしたのであった。

 そのさい家治いえはる治済はるさだ油断ゆだんさせるためもあって、えて興奮こうふんした面持おももちで、それもどもりながら「現場不在証明アリバイ」を持出もちだしたのであった。

 すると治済はるさだ家治いえはる期待きたいしたとおりの反応はんのうしめしてくれた。

 すなわち、治済はるさだ家治いえはる持出もちだした「現場不在証明アリバイ」を家治いえはるの「創作そうさく」、もっと言えば「悪足掻わるあがき」と誤解ごかいしたらしく、

「いやいや、左様さようなことは御座ござるまい…」

 治済はるさだ余裕よゆう表情ひょうじょうでそう「現場不在証明アリバイ」の存在そんざい否定ひていしてみせたかとおもうと、

「されば田安たやすやかたにて佐野さの善左衛門ぜんざえもんめとうていたのはまごうことなき、松平まつだいら越中守えっちゅうのかみ定信さだのぶにて…」

 ついにそうくちすべらせてくれたのであった。

 家治いえはる一転いってん、ニヤリとじつ底意地そこいじわるみをかべると、

田安たやすやかたにて、のう…、一度いちどたりとも、どこで佐野さの善左衛門ぜんざえもん定信さだのぶうていたのか、くちにはせなんだ…、にもかかわらず治済はるさだよ、そなたは何故なにゆえにそれが田安たやすやかたであると断言だんげん出来できたのだ?」

 家治いえはるにそうわれた治済はるさだなにこたえられなかった。

なにこたえられまい…、佐野さの善左衛門ぜんざえもんとどこでうていたのか、それをもの佐野さの善左衛門ぜんざえもんうていたものいてほかにはいないのだからな…」

 所謂いわゆる、「秘密ひみつ暴露ばくろ」というやつである。

 この「秘密ひみつ暴露ばくろ」だけでも治済はるさだ有罪ギルティうごくまい。

 それでも家治いえはるさら畳掛たたみかけた。

「いや…、治済はるさだのことよ…、それはあくまでおのれ定信さだのぶふんして佐野さの善左衛門ぜんざえもんめにうていたことをしょうするにぎず、佐野さの善左衛門ぜんざえもんめに意知暗殺おきともあんさつけしかけたことまでしょうするものではない…、左様さよう言逃いいのがれをしたいのではあるまいか?」

 家治いえはる治済はるさだ退路たいろふさようにそう畳掛たたみかけるや、

「さればこれはなん言逃いいのがれる?」

 懐中かいちゅうより田沼家臣たぬまかしん村上むらかみ勝之進かつのしんより提出ていしゅつけたくだんの「依頼書いらいしょ」を治済はるさだへとかかげてせた。

 一方いっぽう事情じじょうからぬ定信さだのぶ当然とうぜん、「それは…」とたずねた。

 そこで家治いえはる定信さだのぶためにその「依頼書いらいしょ」について説明せつめいした。

 すなわち、村上むらかみ勝之進かつのしんちち村上むらかみ半左衛門はんざえもんたいして150両の報酬ほうしゅうで、佐野さの善左衛門ぜんざえもんより200両のまいない意知おきとも受取うけとったするニセ受領書じゅりょうしょつくってくれるよう依頼いらいする治済直筆はるさだじきひつ依頼書いらいしょであると、定信さだのぶ説明せつめいしたのであった。

 これは治済はるさだ定信さだのぶふんして佐野さの善左衛門ぜんざえもん意知暗殺おきともあんさつけしかけた有力ゆうりょく傍証ぼうしょういや最早もはやかくたる物証ブツんでも差支さしつかえなかった。

「さぁ、治済はるさだよ、つぎなん言逃いいのがれる?申開もうしひらきがまだあるともうすのならば、遠慮えんりょのうもうすがいぞ?すべ聞届ききとどけてやろう…」

 家治いえはる両眼りょうがんをギラつかせながら治済はるさだにそうげた。

 すると治済はるさだはいきなり、ガバッと家治いえはるたいして平伏へいふくしてみせたかとおもうと、

申訳もうしわけ御座ござりませぬっ!この治済はるさだ、ただただ公儀こうぎ行末ゆくすえおもえばこそ、田沼たぬま山城やましろめを取除とりのぞかんと…」

 意知おきとも存在そんざい幕府ばくふ行末ゆくすえ悪影響あくえいきょうおよぼすからと、そこで佐野さの善左衛門ぜんざえもん意知暗殺おきともあんさつけしかけたのだと、臆面おくめんもなくそう言訳いいわけしたのであった。

 これにはさしもの家治いえはる心底しんそこあきてた。いや、このおよんでも平然へいぜんとそのよう虚言きょげんろうすることの出来でき治済はるさだというおとこにはあるしゅ感動かんどうすらおぼえたほどであった。

 だからと言って無論むろん家治いえはる治済はるさだゆるすつもりは毛頭もうとうなかった。

 家治いえはる呵呵大笑かかたいしょうしたうえで、

「そうではあるまい…、治済はるさだよ…、そなたが意知おきともころそうとほっせしまこと理由わけは、おのつみ意知おきとも愈愈いよいよあばかれるやもれぬと、それをおそれたからであろうぞ…」

 まずはそう投掛なげかけた。治済はるさだ平伏へいふくしたまま、微動びどうだにしなかった。

治済殿はるさだどのつみとは?」

 事情じじょうらぬ定信さだのぶ治済はるさだの「つみ」の正体しょうたいについて家治いえはるたずねたので、そこで家治いえはるつい爆弾ばくだん炸裂さくれつさせた。

「されば家基いえもと毒殺どくさつせしつみよ…」

 家治いえはるしずかなる口調くちょうでそうげるや、「意知おきともっ!」とこえ張上はりあげた。

 すると入頬いりがわ佐野さの善左衛門ぜんざえもんつづいて上半身じょうはんしん羽織はおりだけを羽織はおった意知おきとも姿すがたせた。

 いや意知おきともだけではない。意知おきとも両側りょうがわには清水しみず重好しげよし水野みずの忠友ただとも姿すがたもあった。

 意知おきとものそのだらしない姿すがた定信さだのぶ流石さすがまゆひそめ、するとそうとさっした家治いえはるが、

意知おきとも身形みなりゆるしたのだ…」

 定信さだのぶにそうげ、定信さだのぶ納得なっとくさせた。

 家治いえはるはそのうえで、意知おきともめいじて治済はるさだの「つみ」について定信さだのぶにもくわしく説明せつめいさせた。

 すなわち、治済はるさだ鷹狩たかがまえ家基いえもと遅効性ちこうせい毒物どくぶつ―、河豚ふぐどく附子ぶす(トリカブト)のどくとを同時どうじ摂取せっしゅさせることで、鷹狩たかがりの最中さなかどく効目ききめあらわれるよう画策かくさく、しかもその鷹狩たかがりにおいてはおも清水家しみずけ所縁ゆかりものとそれに田安家たやすけおよ田沼家たぬまけ所縁ゆかりもの扈従こしょうさせ、ぎゃく一橋家ひとつばしけ所縁ゆかりものはなるべく扈従こしょうさせないことで、まんいち家基いえもと死因しいん病死びょうしではなく毒殺どくさつであると判明はんめいした場合ばあいでも、そのつみ清水しみず重好しげよしや、あるいは田沼たぬま意次おきつぐさらには田安家たやすけ定信さだのぶかうよう画策かくさくもした―、意知おきとも治済はるさだのそのつみ定信さだのぶ簡潔かんけつ説明せつめいしたのであった。

 いや意知おきともにとってそれは二度目にどめ説明せつめいであり、これよりまえ、ここ休息之間きゅうそくのまにおいて定信さだのぶ治済はるさだとも将軍しょうぐん家治いえはる出御しゅつぎょするまでの四半刻しはんとき(約30分)ほどあいだ水野みずの忠友ただともにも説明せつめいしたのであった。

 家治いえはる愛息あいそく家基いえもと真相しんそう意知おきともさぐらせるべく、いま部屋へやずみぎぬ意知おきとも奏者番そうじゃばんより若年寄わかどしよりへとすすませたわけだが、忠友ただともにはいまいままでかくしていた。

 いや側用人そばようにん忠友ただともだけではない。そば用取次ようとりつぎらないことであった。

 それは家治いえはる意知おきともたいしてかた口止くちどめしていたからであり、しかし愈愈いよいよ治済はるさだ断罪だんざいするにあたり、家治いえはる意知おきともたいして、忠友ただともにだけはそれを打明うちあけることをゆるし、そこで家治いえはる休息之間きゅうそくのま出御しゅつぎょする四半刻しはんとき(約30分)ほど時間じかん利用りようして、意知おきとも忠友ただともたいしていま部屋へやずみぎぬおのれ若年寄わかどしよりすすんだまこと理由わけについて打明うちあけたうえで、治済はるさだ如何いかなるトリックをもちいて家基いえもと毒殺どくさつしたのか、それも説明せつめいしたのであった。

 無論むろん忠友ただともにしてみればいずれも初耳はつみみであり、心底しんそこおどろかされたが、しかし事情じじょう事情じじょうなだけに納得なっとくした。

 なによりここ中奥なかおくにおいては側用人そばようにんたるおのれもとより、そば用取次ようとりつぎをはじめとするだれもがらないことであり、それを意知おきともおのれにだけまずはじめに打明うちあけてくれたことで、忠友ただともおおいに自尊心じそんしんたされた。

「いや…、家基いえもとだけではない…、そのまえにはしつであった倫子ともこ倫子ともことのあいだした萬壽ますまでも毒殺どくさつせしうたがいがある…、しかもその探索たんさくせし田安家たやすけ侍女じじょ廣瀬ひろせおく医師いし池原良誠いけはらよしのぶそく良明よしあきら、そして目附めつけ深谷ふかや盛朝もりともまでも自害じがいせかけてころしたのであろうがっ!」

 家治いえはるのその糾弾きゅうだん治済はるさだかおげるや、さもわけからないといった表情ひょうじょうのぞかせたので、家治いえはるいかりは頂点ちょうてんたっした。

 このおよんでも治済はるさだはまだシラっているものと、そうおもったからであり、そこで家治いえはるさらつづけて、

「いやいや…、家基いえもと遅効性ちこうせい毒物どくぶつもちいて毒殺どくさつすべく、そこでおのれいきのかかりし医師いし遅効性ちこうせい毒物どくぶつ開発かいはつさせんがため人体実験じんたいじっけん繰広くりひろげさせ、結果けっか数多あまた無辜むこ無宿人むしゅくにんいのちをもにじったであろう…、貴様きさまというヤツ一体いったいひといのちなんだとおもっておるのだっ!」

 治済はるさだをそう糾弾きゅうだんするや、

治済はるさだよ…、そなたが如何いか三卿さんきょういえども、最早もはやまぬがれぬものとおもえよ…、精精せいぜいたまわることだけをねがうのだな…」

 うんければ武士ぶしれいをもってたまわることが、すなわち、切腹せっぷくゆるされるであろうと、治済はるさだとどめをした。

 どうやら治済はるさだにはひなあんじていた「まんいち」の事態じたいおとずれたようで、それにそなえて懐中かいちゅう仕舞しまっておいた連発銃れんぱつじゅう使つか出番でばんようだ。

 治済はるさだは、懐中かいちゅうより連発銃れんぱつじゅう取出とりだすや、家治いえはるにその銃口じゅうこうけた。

 すると意知おきとも条件じょうけん反射的はんしゃてき飛出とびだし、家治いえはるまえった。
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