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銃口 ~進退窮まった一橋治済は侍女の雛より持たされた連発銃を取出し、将軍・家治に銃口を向けるも、意知が家治の前に立ちはだかる~
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「上様…、面通しを致しましては如何で御座りましょう…」
重好は御休息之間が一瞬、静寂に包まれた機会を捉えて、直ぐ目の前の上段にて鎮座する兄・家治に対してそう提案した。
「面通し、とな?」
家治がそう問返すや、重好も「御意」と応えた上で、ここ御休息之間のそれも今、己や意知も控える下段に一橋治済と松平定信の二人を並べて佐野善左衛門に面通しさせることを提案したのであった。
「成程のう…、それで佐野善左衛門めが一橋治済を定信だと指示さば、治済が定信に扮せしことが…、そして定信として佐野善左衛門と密会を重ね、意知暗殺を嗾けしことがほぼ…、否、完全に証されるという訳だの?」
家治は確かめる様にそう尋ねたので、重好も「御意」と応じた。
それから重好は意知も交えて、面通しの具体的な段取りについて四半刻(約30分)程、家治と打合わせた。
暮六つ(午後6時頃)を過ぎた今、御側衆詰所には未だ、御用取次の姿があった。
御側衆詰所とは御側衆の中でも筆頭の御用取次の詰所であるので、そこに彼等、御用取次が詰めていたとしても一見、不思議ではない。
但し、それは昼八つ(午後2時頃)まで、遅くとも夕七つ(午後4時頃)までの話であった。
御用取次は平御側とは異なり、宿直がなく、遅くとも夕七つ(午後4時頃)には下城する。
それ故、普段ならば暮六つ(午後6時頃)過ぎの今時分まで御用取次が詰所であるその御側衆詰所に残っていることはなかった。
だが今日、3月24日は表向において若年寄が、それも将軍・家治が最も寵愛する田沼意知が襲われるという大事件に際会して、御用取次も未だ下城せずに詰所にて待機していたのだ。
そこへ側用人の水野忠友が姿を見せた。
否、忠友だけではない。忠友の真横には御三卿の清水重好の姿もあり、それ故、御用取次は皆、威儀を正して重好を出迎えた。御用取次ならば将軍の顔は無論のこと、御三卿の顔も把握していたからだ。
側用人の忠友がそんな御用取次の中でも稲葉正明を指名すると、
「これより直ちに清水宮内卿様と共に一橋様の許へと参り、民部卿様を御休息之間まで連れて参れ…」
正明にそう命じたことから、正明も流石に驚いた。
御三卿の清水重好が御側御用取次と共に、同じく御三卿の一橋治済の許へと足を運び、治済を御城はここ中奥の御休息之間まで連れて来るなど前代未聞であったからだ。
忠友もそうと察してか、
「それが畏れ多くも上様が御旨である…」
間髪を入れず、そう続けたことから、稲葉正明としても拒否は許されず、大人しくその「御旨」に従い、重好と共に御城は中奥をあとにした。
こうして稲葉正明を中奥より去らせてから忠友は今度は残る二人の御用取次、横田準松と本郷泰行に声を掛けた。
「そなたらはこれより直ちに、この忠友と共に北八丁堀の越中様の許へと急ぎ、越中様を連れて参るぞ…」
忠友が口にした「北八丁堀の越中様」とは北八丁堀に上屋敷を構える白河藩の当主、松平越中守定信を措いて外にはなく、その定信をもやはり御休息之間まで連れてくるべく、側用人とそれに二人の御用取次までが自ら足を運ぶとは、こちらもまた「前代未聞」と言えた。
この「前代未聞」の提案者は清水重好であった。
「暮六つ(午後6時頃)を過ぎた今時分、一橋治済を確実に御城へと召喚するには治済と同じく三卿たるこの重好が連れて来るのが何よりと申すものにて…、治済めもこの重好が…、治済めとは同格のこの重好が自ら足を運んだとなれば、流石に仮病でも用いて御城へと同道するのを拒否は致さぬものかと…」
その際、治済とは「ツーカー」の間柄である御用取次の稲葉正明をも同行させれば、治済を少しは油断させられるかも知れなかった。
一方、松平定信に対しては定信とは同格、従四位下諸大夫、所謂、四品の官位にある側用人の水野忠友に連れて来させるのが上策であった。
それと言うのも定信は自尊心が高く、しかしそれ故に、その自尊心さえ粗略に扱わずに慰撫してやれば、こちらの思い通りに動くという単純さをも持合わせていた。
悪く言えば単細胞であり、その様な単細胞なる定信の許へと定信とは同格にして、将軍・家治の最側近の側用人の水野忠友を差向ければ、そこへ更に、側用人に次ぐ将軍・家治の側近である御用取次の横田準松と本郷泰行をも従わせ、その忠友より定信に対して、
「上様が御城にてお待ちですので、一緒に来て下さい…」
そう伝えれば、単細胞な定信のことである、
「上様はそれ程までにこの定信を大事に思うて下さっているのか…」
そう感激し、嬉々として召喚に応ずるに違いない。
重好は家治に対して斯かる「見立」をし、家治もその「見立」には舌を巻くと同時に、これを認めた次第であった。
一橋治済の許へは清水重好と御用取次の稲葉正明が、一方、松平定信の許へは側用人の水野忠友とそれに御用取次の横田準松と本郷泰行が夫々、足を運ぶに至ったのは斯かる事情による。
さて、最初に「目的地」に辿り着いたのは清水重好と稲葉正明の「ペア」であった。
清水重好と稲葉正明は暮の六つ半(午後7時頃)前に一橋家上屋敷の門前に辿り着いた。
その時、治済は大奥にて側妾らと戯れており、そこへ岩本喜内が血相を変えて飛込んで来た。
その岩本喜内より清水重好と稲葉正明の訪問を告げられた治済は流石に驚いたものの、しかし正明がいることから少しくは安堵もした。
治済はとりあえず表向の座敷にて重好と正明の二人と面会し、すると重好から将軍・家治が逢いたがっている旨、伝えられたのであった。
「上様がのう…、それで態々、清水殿を差向けられたか?」
「恐らくは…、否、上様としては確実に、そこもとを呼びたいのであろうぞ…」
重好はそうあけすけに応えてみせ、治済を苦笑させた。
「それではまるでこの治済が居留守…、は無理としても仮病でも使うて登城に応ぜぬ可能性もあるかの様な口ぶりだの…」
「そうであろう?」
重好にしては珍しく挑発する様にそう応えたことから、治済も流石に顔を強張らせると、重好を睨んだ。
すると重好も負けじと睨み返したことから、そこで稲葉正明は気を利かせて咳払いを一つしたかと思うと、治済に対して、「御支度を…」と促した。
このままでは延々、否、永遠と「ガンの飛ばし合い」が繰広げられるやも知れぬと、正明はそう察したからである。
治済もすると重好から視線を逸らすと、
「暫し待て…」
如何にも不機嫌な調子で正明に対してそう応ずると、大奥へと引込んだ。
「如何なされましたので?」
支度の為にいったん大奥へと引込んだ治済に対して、そう出迎えたのは侍女の雛であった。
「どうやら上様が…、家治めが今時分にこの治済を、お呼びだそうだ…」
治済は外の侍女に着替えを手伝わせつつ、雛にそう応えた。
「やはり…、若年寄暗殺のことで?」
「正確には暗殺未遂、だがの…」
「何か…、嫌な予感が致しまする…」
「嫌な予感、とな?」
「御意…」
「まさかに…、この治済が定信めに化けて山城暗殺を佐野善左衛門めに嗾けしことが家治めにバレたとでも申すのではあるまいの?雛は…」
「その可能性も決して無きにしも非ず、かと…」
「されば…、この治済を断罪すべく御城へと招いたと申すか?家治めは…」
治済は着替えの手を止め、雛を凝視した。
すると雛も治済を見返しつつ、「御意…」と応えるや、何と懐中より連発銃を取出してみせ、治済を心底、仰天させた。
「雛…、まさか…」
「万が一の場合はこれで…、5連発故、上様は元より、清水宮内卿様やそれに意知殿、或いは田沼殿に味方せし側用人の水野殿などをこれで…、さすれば家斉公が天下と申すものにて…」
確かに雛の言う通りであった。家治たちを抹殺し、次期将軍たる我が子、家斉に将軍宣下を受けさせれば治済が罪、それも謀叛も同然の大罪も裁かれることはない。
乱暴だが、万が一の場合はそれしかあるまい。
治済は雛よりその5連発の銃を受取ると、懐中に忍ばせた。
一方、側用人の水野忠友とそれに御用取次の横田準松と本郷泰行が北八丁堀の上屋敷に辿り着いたのはそれよりも―、清水重好と稲葉正明が一橋家上屋敷に着いたよりも遅い宵五つ(午後8時頃)のことであった。
重好の「見立」通り、定信は将軍・家治が御城へと召出すべく、己とは同格の側用人、水野忠友とそれに二人の御用取次をも差向けてくれたことに大いに自尊心が満たされたらしく、即座に同道に応じた。
刻限は既に暮六つ(午後6時頃)を過ぎており、それ故、所謂、三十六見附を通るには脇門より通るしかない。
一橋治済の場合、一橋家上屋敷自体が内郭にあり、それ故、平河御門を潜るだけで御城に辿り着く。
一方、定信の場合、北八丁堀に己が当主を務める白河藩上屋敷がある為に、御城に辿り着くには呉服橋御門と、それに大手御門を潜る必要があった。
何れも脇門よりの通行となり、その際、駕籠では通れなかった。
仮に駕籠で門まで乗付けたとしても、脇門より潜る際にはいったん駕籠から降りて、徒歩にて潜らねばならず、六尺も空の駕籠を担いで脇門を潜ることになる。
それは御三卿は元より、御三家と雖も、その例外ではなかった。
治済にしろ定信にしろ、それが分かっていたので、それで駕籠は使わずに徒歩にて御城へと向かった。
最初に御城は中奥の御休息之間、それも下段に着いたのは治済であった。治済は宵五つ(午後8時頃)前には御城中奥入りを果たすと、重好と正明の案内により御休息之間下段へと通された。
すると重好は正明を促して、いったん下段をあとにし、治済が一人、下段に、否、御休息之間全体に取残された格好となった。
御休息之間はそれ程、広くはなく、応接間である御座之間と較べれば手狭な程であったが、しかしこうして一人、取残されると広く感じられ、そして何とも居心地が悪かった。
それが四半刻(約30分)程も続いた頃であろうか、今度は何と定信が下段に姿を見せたことから、治済は内心、連発銃を使うのを覚悟した。
そしてそれから更に四半刻(約30分)程が経過した宵の五つ半(午後9時頃)を過ぎた頃、家治も姿を見せ、上段に鎮座し、下段に控える定信、治済と向かい合った。
既に時刻は宵の五つ半(午後9時頃)を過ぎていたので、灯りがなければ真暗闇である。
幸い、ここ御休息之間においては数多の蠟燭が立てられており明るかった。
「いや…、斯様なる遅い時分に呼立てて済まなんだな…」
家治はまずは急に呼立てたことを詫びた。
「二人を呼んだは外でもない…、奇怪な話なのだが…、この世には定信が二人いるらしいのだ…」
家治のその言葉で治済も愈々、連発銃を使う覚悟を固めた。
一方、定信は―、本物の定信は家治のその言葉の意味を解しかね、「はぁっ?」と疑問の声を発した。
家治はそんな二人を横目に、下段とその入頬とを隔てる襖に向かって「これへ」と声を掛けた。
その瞬間、襖が両脇から開かれたかと思うと、中から佐野善左衛門の姿が現れた。
この時、定信と治済は実に好対照な反応を示した。
下段とその入頬とを隔てる襖、それも斜向かいの襖が開かれ、佐野善左衛門が姿を見せると、定信も佐野善左衛門へと視線を向けたが、しかしそれが誰なのかは分からなかった。
定信は―、本物の定信は佐野善左衛門とはこれが初対面であるので、それも当然であった。
否、一度だけここ御城は表向にて「ニアミス」したことはあるが、しかしそれだけであったので、最早、忘却の彼方であった。
一方、治済は佐野善左衛門が姿を見せた途端、善左衛門から顔を逸らした。
「定信よ…、佐野善左衛門…、この者は佐野善左衛門と申す新番士なのだが、定信は初めてだの?」
家治にそう問いかけられた定信は正しくその通りであったので、家治の真意を測りかねつつも、「御意…」と応えた。
家治は「うむ」と頷いてみせると、続いて治済に対して尋ねた。
「治済はどうだの?佐野善左衛門とは初めてか?」
家治のその問いかけにはどこか、嘲笑する響きが感じられた。
思いやりのある家治には珍しいことであり、定信など、「おや?」と不思議に思った。
一方、治済はそれでは済まず、家治の問いかけにも応えられずにいた。
家治もそうと察してか、
「どうやら応えがない様だの…、されば佐野善左衛門はどうだ?そこな一橋治済に見覚えはあるか?」
佐野善左衛門に尋ねた。
すると佐野善左衛門も、「ははっ」と応じた上で、「紛れもなき松平越中守定信様にて…」と治済を称してそう応えた。
これには定信も心底、驚いた様子であった。当然の反応と言えた。
そこで家治はここで定信の為に「ネタ晴らし」をした。
即ち、今、目の前にいる佐野善左衛門は田安家下屋敷にて定信に扮した治済と密会を重ねては、善左衛門を嗾けて意知を討果たさんとした一件を伝えたのであった。
「さればこの者が意知を…」
定信は驚きの声を上げると改めて佐野善左衛門を眺めた。
定信は平日登城は許されぬ帝鑑間詰の大名である為に、
「リアルタイムで…」
意知暗殺未遂事件を把握していた訳ではない。
だが江戸留守居の高松八郎より知らされており、意知暗殺未遂事件があったことは把握していた。
平日登城が許されぬ大名の場合、江戸留守居、所謂、御城使がそんな主君に成代わり、平日は毎日登城しては蘇鉄之間に詰め、他藩の江戸留守居と情報交換に勤しむ。
定信が当主を務める白河藩の場合、高松八郎と日下部武右衛門がそうで、二人は平日は毎日、交代で登城する。この辺り、御三卿家老と似ているが、それは兎も角、今日3月24日においては高松八郎が登城する日であり、高松八郎はそれ故、意知暗殺未遂事件に際会し、下城し、白河藩上屋敷へと帰邸に及ぶや、直ちにこの一件を主君・定信の耳に入れたのであった。
尤も、高松八郎が仕入れたのは、
「意知は襲われたものの、何とか命を取留めそうだ…」
それだけであり、いつ、どこで、誰に襲われたのか、そこまで詳しい事情は仕入れられなかった。
定信が意知暗殺未遂事件の存在そのものは把握していたのは斯かる事情により、家治が今時分に己を御城へと召出したのも意知暗殺未遂事件に関してだろうと、そう当たりをつけてはいたものの、しかしそれが佐野善左衛門なる新番士による兇行であることまでは知らず、それ故、今、家治よりそう聞かされて驚いた。
否、それ以上に驚いたのは治済が己に扮して佐野善左衛門を嗾けて意知を討果たさせようと謀ったことであった。
「民部卿殿…、何故に左様なる真似を?」
定信は治済の「動機」が分からなかった。それは生来の育ちの良さ故か、或いは単細胞である為か、ともあれ家治が治済に代わって応えた。
「されば決まっておろう?仮に佐野善左衛門が意知の暗殺に失敗った時のことを恐れてよ…、そしてそれは現実のものと相成ったが…、その折には佐野善左衛門は厳しい穿鑿を受け、その結果、己を意知暗殺へと嗾けし者の名を自白するやも知れず、そこで…」
家治にここまで「絵解き」をされれば、如何に鈍い定信とて気付いた。
「そこで、民部卿殿はこの定信に扮して、そこな佐野善左衛門に意知暗殺を嗾けたと?万が一の場合でもその罪は…、意知暗殺を嗾けしその罪がこの定信へと向く様に…、つまりはこの定信に罪を被ける為に…」
定信が家治の言葉を引取ってみせると、家治も頷いた。
一方、治済はそれでも尚、
「何のことかさっぱり分かり申さず…」
相変わらず白を切通した。
これには流石に家治も業を煮やし、
「この期に及んでもまだ、白を切るつもりかっ!」
家治は治済に対してそう一喝した。
だがそれで治済が怯むことはなく、
「何と申されても知らぬものは知らぬとしか…、それにそこな佐野善左衛門めは場所柄も弁えず鞘走らせては若年寄に斬りかかりし狼藉者なれば、斯かる狼藉者が証言など、アテにはなり申さず…」
佐野善左衛門の「証言能力」を疑問視したのであった。
成程、佐野善左衛門の「証言」だけでは、治済が定信に扮したと認定するには些か弱いやも知れぬ。
そこで家治は「現場不在証明」を持出した。
偽定信こと定信に扮した治済が佐野善左衛門と逢っていた時分、家治は重好を交えて清水家下屋敷にて本物の定信と逢っていた件の「現場不在証明」を持出したのであった。
その際、家治は治済を油断させる為もあって、敢えて興奮した面持ちで、それもどもりながら「現場不在証明」を持出したのであった。
すると治済は家治が期待した通りの反応を示してくれた。
即ち、治済は家治が持出した「現場不在証明」を家治の「創作」、もっと言えば「悪足掻き」と誤解したらしく、
「いやいや、左様なことは御座るまい…」
治済は余裕の表情でそう「現場不在証明」の存在を否定してみせたかと思うと、
「されば田安館にて佐野善左衛門めと逢うていたのは紛うことなき、松平越中守定信にて…」
遂にそう口を滑らせてくれたのであった。
家治は一転、ニヤリと実に底意地の悪い笑みを浮かべると、
「田安館にて、のう…、余は一度たりとも、どこで佐野善左衛門が定信に逢うていたのか、口にはせなんだ…、にもかかわらず治済よ、そなたは何故にそれが田安館であると断言出来たのだ?」
家治にそう問われた治済は何も応えられなかった。
「何も応えられまい…、佐野善左衛門とどこで逢うていたのか、それを知る者は佐野善左衛門と逢うていた者を措いて外にはいないのだからな…」
所謂、「秘密の暴露」というやつである。
この「秘密の暴露」だけでも治済の有罪は動くまい。
それでも家治は更に畳掛けた。
「いや…、治済のことよ…、それはあくまで己が定信に扮して佐野善左衛門めに逢うていたことを証するに過ぎず、佐野善左衛門めに意知暗殺を嗾けたことまで証するものではない…、左様に言逃れをしたいのではあるまいか?」
家治は治済の退路を塞ぐ様にそう畳掛けるや、
「さればこれは何と言逃れる?」
懐中より田沼家臣・村上勝之進より提出を受けた件の「依頼書」を治済へと掲げて見せた。
一方、事情が分からぬ定信は当然、「それは…」と尋ねた。
そこで家治は定信の為にその「依頼書」について説明した。
即ち、村上勝之進が父、村上半左衛門に対して150両の報酬で、佐野善左衛門より200両の賂を意知が受取ったする偽の受領書を造ってくれるよう依頼する治済直筆の依頼書であると、定信に説明したのであった。
これは治済が定信に扮して佐野善左衛門に意知暗殺を嗾けた有力な傍証、否、最早、確たる物証と呼んでも差支えなかった。
「さぁ、治済よ、次は何と言逃れる?申開きがまだあると申すのならば、遠慮のう申すが良いぞ?全て聞届けてやろう…」
家治は両眼をギラつかせながら治済にそう告げた。
すると治済はいきなり、ガバッと家治に対して平伏してみせたかと思うと、
「申訳御座りませぬっ!この治済、ただただ公儀の行末を思えばこそ、田沼山城めを取除かんと…」
意知の存在は幕府の行末に悪影響を及ぼすからと、そこで佐野善左衛門に意知暗殺を嗾けたのだと、臆面もなくそう言訳したのであった。
これにはさしもの家治も心底、呆れ果てた。否、この期に及んでも平然とその様な虚言を弄することの出来る治済という男にはある種の感動すら覚えた程であった。
だからと言って無論、家治は治済を許すつもりは毛頭なかった。
家治は呵呵大笑した上で、
「そうではあるまい…、治済よ…、そなたが意知を殺そうと欲せし真の理由は、自が罪が意知に愈愈、暴かれるやも知れぬと、それを恐れたからであろうぞ…」
まずはそう投掛けた。治済は平伏したまま、微動だにしなかった。
「治済殿が罪とは?」
事情を知らぬ定信が治済の「罪」の正体について家治に尋ねたので、そこで家治も遂に爆弾を炸裂させた。
「されば家基を毒殺せし罪よ…」
家治は静かなる口調でそう告げるや、「意知っ!」と声を張上げた。
すると入頬に佐野善左衛門に続いて上半身は羽織だけを羽織った意知が姿を見せた。
否、意知だけではない。意知の両側には清水重好と水野忠友の姿もあった。
意知のそのだらしない姿に定信は流石に眉を顰め、するとそうと察した家治が、
「意知が身形は余が許したのだ…」
定信にそう告げ、定信を納得させた。
家治はその上で、意知に命じて治済の「罪」について定信にも詳しく説明させた。
即ち、治済は鷹狩り前の家基に遅効性の毒物―、河豚毒と附子(トリカブト)の毒とを同時に摂取させることで、鷹狩りの最中に毒の効目が表れる様、画策、しかもその鷹狩りにおいては主に清水家所縁の者とそれに田安家及び田沼家所縁の者を扈従させ、逆に一橋家と所縁の者はなるべく扈従させないことで、万が一、家基の死因が病死ではなく毒殺であると判明した場合でも、その罪が清水重好や、或いは田沼意次や更には田安家の血を引く定信に向かう様に画策もした―、意知は治済のその罪を定信に簡潔に説明したのであった。
否、意知にとってそれは二度目の説明であり、これより前、ここ御休息之間において定信が治済と共に将軍・家治が出御するまでの四半刻(約30分)程の間に水野忠友にも説明したのであった。
家治は愛息・家基の死の真相を意知に探らせるべく、未だ部屋住の身に過ぎぬ意知を奏者番より若年寄へと進ませた訳だが、忠友には今の今まで隠していた。
否、側用人の忠友だけではない。御側御用取次も知らないことであった。
それは家治が意知に対して堅く口止めしていたからであり、しかし愈愈、治済を断罪するにあたり、家治は意知に対して、忠友にだけはそれを打明けることを許し、そこで家治が御休息之間に出御する四半刻(約30分)程の時間を利用して、意知は忠友に対して未だ部屋住の身に過ぎぬ己が若年寄へ進んだ真の理由について打明けた上で、治済が如何なるトリックを用いて家基を毒殺したのか、それも説明したのであった。
無論、忠友にしてみれば何れも初耳であり、心底、驚かされたが、しかし事情が事情なだけに納得した。
何よりここ中奥においては側用人たる己は元より、御側御用取次をはじめとする誰もが知らないことであり、それを意知が己にだけまず初めに打明けてくれたことで、忠友は大いに自尊心が満たされた。
「いや…、家基だけではない…、その前には余が室であった倫子や倫子との間に生した萬壽までも毒殺せし疑いがある…、しかもその死を探索せし田安家の侍女の廣瀬や奥医師、池原良誠が息の良明、そして目附の深谷盛朝までも自害に見せかけて殺したのであろうがっ!」
家治のその糾弾に治済は顔を上げるや、さも訳が分からないといった表情を覗かせたので、家治の怒りは頂点に達した。
この期に及んでも治済はまだ白を切っているものと、そう思ったからであり、そこで家治は更に続けて、
「いやいや…、家基を遅効性の毒物を用いて毒殺すべく、そこで己が息のかかりし医師に遅効性の毒物を開発させんが為に人体実験を繰広げさせ、結果、数多の無辜の無宿人の命をも踏み躙ったであろう…、貴様という奴は一体、人の命を何だと思っておるのだっ!」
治済をそう糾弾するや、
「治済よ…、そなたが如何に三卿と雖も、最早、死は免れぬものと思えよ…、精精、死を賜ることだけを願うのだな…」
運が良ければ武士の礼をもって死を賜ることが、即ち、切腹が許されるであろうと、治済に止めを刺した。
どうやら治済には雛が案じていた「万が一」の事態が訪れた様で、それに備えて懐中に仕舞っておいた連発銃を使う出番が来た様だ。
治済は、懐中より連発銃を取出すや、家治にその銃口を向けた。
すると意知が条件反射的に飛出し、家治の前に立った。
重好は御休息之間が一瞬、静寂に包まれた機会を捉えて、直ぐ目の前の上段にて鎮座する兄・家治に対してそう提案した。
「面通し、とな?」
家治がそう問返すや、重好も「御意」と応えた上で、ここ御休息之間のそれも今、己や意知も控える下段に一橋治済と松平定信の二人を並べて佐野善左衛門に面通しさせることを提案したのであった。
「成程のう…、それで佐野善左衛門めが一橋治済を定信だと指示さば、治済が定信に扮せしことが…、そして定信として佐野善左衛門と密会を重ね、意知暗殺を嗾けしことがほぼ…、否、完全に証されるという訳だの?」
家治は確かめる様にそう尋ねたので、重好も「御意」と応じた。
それから重好は意知も交えて、面通しの具体的な段取りについて四半刻(約30分)程、家治と打合わせた。
暮六つ(午後6時頃)を過ぎた今、御側衆詰所には未だ、御用取次の姿があった。
御側衆詰所とは御側衆の中でも筆頭の御用取次の詰所であるので、そこに彼等、御用取次が詰めていたとしても一見、不思議ではない。
但し、それは昼八つ(午後2時頃)まで、遅くとも夕七つ(午後4時頃)までの話であった。
御用取次は平御側とは異なり、宿直がなく、遅くとも夕七つ(午後4時頃)には下城する。
それ故、普段ならば暮六つ(午後6時頃)過ぎの今時分まで御用取次が詰所であるその御側衆詰所に残っていることはなかった。
だが今日、3月24日は表向において若年寄が、それも将軍・家治が最も寵愛する田沼意知が襲われるという大事件に際会して、御用取次も未だ下城せずに詰所にて待機していたのだ。
そこへ側用人の水野忠友が姿を見せた。
否、忠友だけではない。忠友の真横には御三卿の清水重好の姿もあり、それ故、御用取次は皆、威儀を正して重好を出迎えた。御用取次ならば将軍の顔は無論のこと、御三卿の顔も把握していたからだ。
側用人の忠友がそんな御用取次の中でも稲葉正明を指名すると、
「これより直ちに清水宮内卿様と共に一橋様の許へと参り、民部卿様を御休息之間まで連れて参れ…」
正明にそう命じたことから、正明も流石に驚いた。
御三卿の清水重好が御側御用取次と共に、同じく御三卿の一橋治済の許へと足を運び、治済を御城はここ中奥の御休息之間まで連れて来るなど前代未聞であったからだ。
忠友もそうと察してか、
「それが畏れ多くも上様が御旨である…」
間髪を入れず、そう続けたことから、稲葉正明としても拒否は許されず、大人しくその「御旨」に従い、重好と共に御城は中奥をあとにした。
こうして稲葉正明を中奥より去らせてから忠友は今度は残る二人の御用取次、横田準松と本郷泰行に声を掛けた。
「そなたらはこれより直ちに、この忠友と共に北八丁堀の越中様の許へと急ぎ、越中様を連れて参るぞ…」
忠友が口にした「北八丁堀の越中様」とは北八丁堀に上屋敷を構える白河藩の当主、松平越中守定信を措いて外にはなく、その定信をもやはり御休息之間まで連れてくるべく、側用人とそれに二人の御用取次までが自ら足を運ぶとは、こちらもまた「前代未聞」と言えた。
この「前代未聞」の提案者は清水重好であった。
「暮六つ(午後6時頃)を過ぎた今時分、一橋治済を確実に御城へと召喚するには治済と同じく三卿たるこの重好が連れて来るのが何よりと申すものにて…、治済めもこの重好が…、治済めとは同格のこの重好が自ら足を運んだとなれば、流石に仮病でも用いて御城へと同道するのを拒否は致さぬものかと…」
その際、治済とは「ツーカー」の間柄である御用取次の稲葉正明をも同行させれば、治済を少しは油断させられるかも知れなかった。
一方、松平定信に対しては定信とは同格、従四位下諸大夫、所謂、四品の官位にある側用人の水野忠友に連れて来させるのが上策であった。
それと言うのも定信は自尊心が高く、しかしそれ故に、その自尊心さえ粗略に扱わずに慰撫してやれば、こちらの思い通りに動くという単純さをも持合わせていた。
悪く言えば単細胞であり、その様な単細胞なる定信の許へと定信とは同格にして、将軍・家治の最側近の側用人の水野忠友を差向ければ、そこへ更に、側用人に次ぐ将軍・家治の側近である御用取次の横田準松と本郷泰行をも従わせ、その忠友より定信に対して、
「上様が御城にてお待ちですので、一緒に来て下さい…」
そう伝えれば、単細胞な定信のことである、
「上様はそれ程までにこの定信を大事に思うて下さっているのか…」
そう感激し、嬉々として召喚に応ずるに違いない。
重好は家治に対して斯かる「見立」をし、家治もその「見立」には舌を巻くと同時に、これを認めた次第であった。
一橋治済の許へは清水重好と御用取次の稲葉正明が、一方、松平定信の許へは側用人の水野忠友とそれに御用取次の横田準松と本郷泰行が夫々、足を運ぶに至ったのは斯かる事情による。
さて、最初に「目的地」に辿り着いたのは清水重好と稲葉正明の「ペア」であった。
清水重好と稲葉正明は暮の六つ半(午後7時頃)前に一橋家上屋敷の門前に辿り着いた。
その時、治済は大奥にて側妾らと戯れており、そこへ岩本喜内が血相を変えて飛込んで来た。
その岩本喜内より清水重好と稲葉正明の訪問を告げられた治済は流石に驚いたものの、しかし正明がいることから少しくは安堵もした。
治済はとりあえず表向の座敷にて重好と正明の二人と面会し、すると重好から将軍・家治が逢いたがっている旨、伝えられたのであった。
「上様がのう…、それで態々、清水殿を差向けられたか?」
「恐らくは…、否、上様としては確実に、そこもとを呼びたいのであろうぞ…」
重好はそうあけすけに応えてみせ、治済を苦笑させた。
「それではまるでこの治済が居留守…、は無理としても仮病でも使うて登城に応ぜぬ可能性もあるかの様な口ぶりだの…」
「そうであろう?」
重好にしては珍しく挑発する様にそう応えたことから、治済も流石に顔を強張らせると、重好を睨んだ。
すると重好も負けじと睨み返したことから、そこで稲葉正明は気を利かせて咳払いを一つしたかと思うと、治済に対して、「御支度を…」と促した。
このままでは延々、否、永遠と「ガンの飛ばし合い」が繰広げられるやも知れぬと、正明はそう察したからである。
治済もすると重好から視線を逸らすと、
「暫し待て…」
如何にも不機嫌な調子で正明に対してそう応ずると、大奥へと引込んだ。
「如何なされましたので?」
支度の為にいったん大奥へと引込んだ治済に対して、そう出迎えたのは侍女の雛であった。
「どうやら上様が…、家治めが今時分にこの治済を、お呼びだそうだ…」
治済は外の侍女に着替えを手伝わせつつ、雛にそう応えた。
「やはり…、若年寄暗殺のことで?」
「正確には暗殺未遂、だがの…」
「何か…、嫌な予感が致しまする…」
「嫌な予感、とな?」
「御意…」
「まさかに…、この治済が定信めに化けて山城暗殺を佐野善左衛門めに嗾けしことが家治めにバレたとでも申すのではあるまいの?雛は…」
「その可能性も決して無きにしも非ず、かと…」
「されば…、この治済を断罪すべく御城へと招いたと申すか?家治めは…」
治済は着替えの手を止め、雛を凝視した。
すると雛も治済を見返しつつ、「御意…」と応えるや、何と懐中より連発銃を取出してみせ、治済を心底、仰天させた。
「雛…、まさか…」
「万が一の場合はこれで…、5連発故、上様は元より、清水宮内卿様やそれに意知殿、或いは田沼殿に味方せし側用人の水野殿などをこれで…、さすれば家斉公が天下と申すものにて…」
確かに雛の言う通りであった。家治たちを抹殺し、次期将軍たる我が子、家斉に将軍宣下を受けさせれば治済が罪、それも謀叛も同然の大罪も裁かれることはない。
乱暴だが、万が一の場合はそれしかあるまい。
治済は雛よりその5連発の銃を受取ると、懐中に忍ばせた。
一方、側用人の水野忠友とそれに御用取次の横田準松と本郷泰行が北八丁堀の上屋敷に辿り着いたのはそれよりも―、清水重好と稲葉正明が一橋家上屋敷に着いたよりも遅い宵五つ(午後8時頃)のことであった。
重好の「見立」通り、定信は将軍・家治が御城へと召出すべく、己とは同格の側用人、水野忠友とそれに二人の御用取次をも差向けてくれたことに大いに自尊心が満たされたらしく、即座に同道に応じた。
刻限は既に暮六つ(午後6時頃)を過ぎており、それ故、所謂、三十六見附を通るには脇門より通るしかない。
一橋治済の場合、一橋家上屋敷自体が内郭にあり、それ故、平河御門を潜るだけで御城に辿り着く。
一方、定信の場合、北八丁堀に己が当主を務める白河藩上屋敷がある為に、御城に辿り着くには呉服橋御門と、それに大手御門を潜る必要があった。
何れも脇門よりの通行となり、その際、駕籠では通れなかった。
仮に駕籠で門まで乗付けたとしても、脇門より潜る際にはいったん駕籠から降りて、徒歩にて潜らねばならず、六尺も空の駕籠を担いで脇門を潜ることになる。
それは御三卿は元より、御三家と雖も、その例外ではなかった。
治済にしろ定信にしろ、それが分かっていたので、それで駕籠は使わずに徒歩にて御城へと向かった。
最初に御城は中奥の御休息之間、それも下段に着いたのは治済であった。治済は宵五つ(午後8時頃)前には御城中奥入りを果たすと、重好と正明の案内により御休息之間下段へと通された。
すると重好は正明を促して、いったん下段をあとにし、治済が一人、下段に、否、御休息之間全体に取残された格好となった。
御休息之間はそれ程、広くはなく、応接間である御座之間と較べれば手狭な程であったが、しかしこうして一人、取残されると広く感じられ、そして何とも居心地が悪かった。
それが四半刻(約30分)程も続いた頃であろうか、今度は何と定信が下段に姿を見せたことから、治済は内心、連発銃を使うのを覚悟した。
そしてそれから更に四半刻(約30分)程が経過した宵の五つ半(午後9時頃)を過ぎた頃、家治も姿を見せ、上段に鎮座し、下段に控える定信、治済と向かい合った。
既に時刻は宵の五つ半(午後9時頃)を過ぎていたので、灯りがなければ真暗闇である。
幸い、ここ御休息之間においては数多の蠟燭が立てられており明るかった。
「いや…、斯様なる遅い時分に呼立てて済まなんだな…」
家治はまずは急に呼立てたことを詫びた。
「二人を呼んだは外でもない…、奇怪な話なのだが…、この世には定信が二人いるらしいのだ…」
家治のその言葉で治済も愈々、連発銃を使う覚悟を固めた。
一方、定信は―、本物の定信は家治のその言葉の意味を解しかね、「はぁっ?」と疑問の声を発した。
家治はそんな二人を横目に、下段とその入頬とを隔てる襖に向かって「これへ」と声を掛けた。
その瞬間、襖が両脇から開かれたかと思うと、中から佐野善左衛門の姿が現れた。
この時、定信と治済は実に好対照な反応を示した。
下段とその入頬とを隔てる襖、それも斜向かいの襖が開かれ、佐野善左衛門が姿を見せると、定信も佐野善左衛門へと視線を向けたが、しかしそれが誰なのかは分からなかった。
定信は―、本物の定信は佐野善左衛門とはこれが初対面であるので、それも当然であった。
否、一度だけここ御城は表向にて「ニアミス」したことはあるが、しかしそれだけであったので、最早、忘却の彼方であった。
一方、治済は佐野善左衛門が姿を見せた途端、善左衛門から顔を逸らした。
「定信よ…、佐野善左衛門…、この者は佐野善左衛門と申す新番士なのだが、定信は初めてだの?」
家治にそう問いかけられた定信は正しくその通りであったので、家治の真意を測りかねつつも、「御意…」と応えた。
家治は「うむ」と頷いてみせると、続いて治済に対して尋ねた。
「治済はどうだの?佐野善左衛門とは初めてか?」
家治のその問いかけにはどこか、嘲笑する響きが感じられた。
思いやりのある家治には珍しいことであり、定信など、「おや?」と不思議に思った。
一方、治済はそれでは済まず、家治の問いかけにも応えられずにいた。
家治もそうと察してか、
「どうやら応えがない様だの…、されば佐野善左衛門はどうだ?そこな一橋治済に見覚えはあるか?」
佐野善左衛門に尋ねた。
すると佐野善左衛門も、「ははっ」と応じた上で、「紛れもなき松平越中守定信様にて…」と治済を称してそう応えた。
これには定信も心底、驚いた様子であった。当然の反応と言えた。
そこで家治はここで定信の為に「ネタ晴らし」をした。
即ち、今、目の前にいる佐野善左衛門は田安家下屋敷にて定信に扮した治済と密会を重ねては、善左衛門を嗾けて意知を討果たさんとした一件を伝えたのであった。
「さればこの者が意知を…」
定信は驚きの声を上げると改めて佐野善左衛門を眺めた。
定信は平日登城は許されぬ帝鑑間詰の大名である為に、
「リアルタイムで…」
意知暗殺未遂事件を把握していた訳ではない。
だが江戸留守居の高松八郎より知らされており、意知暗殺未遂事件があったことは把握していた。
平日登城が許されぬ大名の場合、江戸留守居、所謂、御城使がそんな主君に成代わり、平日は毎日登城しては蘇鉄之間に詰め、他藩の江戸留守居と情報交換に勤しむ。
定信が当主を務める白河藩の場合、高松八郎と日下部武右衛門がそうで、二人は平日は毎日、交代で登城する。この辺り、御三卿家老と似ているが、それは兎も角、今日3月24日においては高松八郎が登城する日であり、高松八郎はそれ故、意知暗殺未遂事件に際会し、下城し、白河藩上屋敷へと帰邸に及ぶや、直ちにこの一件を主君・定信の耳に入れたのであった。
尤も、高松八郎が仕入れたのは、
「意知は襲われたものの、何とか命を取留めそうだ…」
それだけであり、いつ、どこで、誰に襲われたのか、そこまで詳しい事情は仕入れられなかった。
定信が意知暗殺未遂事件の存在そのものは把握していたのは斯かる事情により、家治が今時分に己を御城へと召出したのも意知暗殺未遂事件に関してだろうと、そう当たりをつけてはいたものの、しかしそれが佐野善左衛門なる新番士による兇行であることまでは知らず、それ故、今、家治よりそう聞かされて驚いた。
否、それ以上に驚いたのは治済が己に扮して佐野善左衛門を嗾けて意知を討果たさせようと謀ったことであった。
「民部卿殿…、何故に左様なる真似を?」
定信は治済の「動機」が分からなかった。それは生来の育ちの良さ故か、或いは単細胞である為か、ともあれ家治が治済に代わって応えた。
「されば決まっておろう?仮に佐野善左衛門が意知の暗殺に失敗った時のことを恐れてよ…、そしてそれは現実のものと相成ったが…、その折には佐野善左衛門は厳しい穿鑿を受け、その結果、己を意知暗殺へと嗾けし者の名を自白するやも知れず、そこで…」
家治にここまで「絵解き」をされれば、如何に鈍い定信とて気付いた。
「そこで、民部卿殿はこの定信に扮して、そこな佐野善左衛門に意知暗殺を嗾けたと?万が一の場合でもその罪は…、意知暗殺を嗾けしその罪がこの定信へと向く様に…、つまりはこの定信に罪を被ける為に…」
定信が家治の言葉を引取ってみせると、家治も頷いた。
一方、治済はそれでも尚、
「何のことかさっぱり分かり申さず…」
相変わらず白を切通した。
これには流石に家治も業を煮やし、
「この期に及んでもまだ、白を切るつもりかっ!」
家治は治済に対してそう一喝した。
だがそれで治済が怯むことはなく、
「何と申されても知らぬものは知らぬとしか…、それにそこな佐野善左衛門めは場所柄も弁えず鞘走らせては若年寄に斬りかかりし狼藉者なれば、斯かる狼藉者が証言など、アテにはなり申さず…」
佐野善左衛門の「証言能力」を疑問視したのであった。
成程、佐野善左衛門の「証言」だけでは、治済が定信に扮したと認定するには些か弱いやも知れぬ。
そこで家治は「現場不在証明」を持出した。
偽定信こと定信に扮した治済が佐野善左衛門と逢っていた時分、家治は重好を交えて清水家下屋敷にて本物の定信と逢っていた件の「現場不在証明」を持出したのであった。
その際、家治は治済を油断させる為もあって、敢えて興奮した面持ちで、それもどもりながら「現場不在証明」を持出したのであった。
すると治済は家治が期待した通りの反応を示してくれた。
即ち、治済は家治が持出した「現場不在証明」を家治の「創作」、もっと言えば「悪足掻き」と誤解したらしく、
「いやいや、左様なことは御座るまい…」
治済は余裕の表情でそう「現場不在証明」の存在を否定してみせたかと思うと、
「されば田安館にて佐野善左衛門めと逢うていたのは紛うことなき、松平越中守定信にて…」
遂にそう口を滑らせてくれたのであった。
家治は一転、ニヤリと実に底意地の悪い笑みを浮かべると、
「田安館にて、のう…、余は一度たりとも、どこで佐野善左衛門が定信に逢うていたのか、口にはせなんだ…、にもかかわらず治済よ、そなたは何故にそれが田安館であると断言出来たのだ?」
家治にそう問われた治済は何も応えられなかった。
「何も応えられまい…、佐野善左衛門とどこで逢うていたのか、それを知る者は佐野善左衛門と逢うていた者を措いて外にはいないのだからな…」
所謂、「秘密の暴露」というやつである。
この「秘密の暴露」だけでも治済の有罪は動くまい。
それでも家治は更に畳掛けた。
「いや…、治済のことよ…、それはあくまで己が定信に扮して佐野善左衛門めに逢うていたことを証するに過ぎず、佐野善左衛門めに意知暗殺を嗾けたことまで証するものではない…、左様に言逃れをしたいのではあるまいか?」
家治は治済の退路を塞ぐ様にそう畳掛けるや、
「さればこれは何と言逃れる?」
懐中より田沼家臣・村上勝之進より提出を受けた件の「依頼書」を治済へと掲げて見せた。
一方、事情が分からぬ定信は当然、「それは…」と尋ねた。
そこで家治は定信の為にその「依頼書」について説明した。
即ち、村上勝之進が父、村上半左衛門に対して150両の報酬で、佐野善左衛門より200両の賂を意知が受取ったする偽の受領書を造ってくれるよう依頼する治済直筆の依頼書であると、定信に説明したのであった。
これは治済が定信に扮して佐野善左衛門に意知暗殺を嗾けた有力な傍証、否、最早、確たる物証と呼んでも差支えなかった。
「さぁ、治済よ、次は何と言逃れる?申開きがまだあると申すのならば、遠慮のう申すが良いぞ?全て聞届けてやろう…」
家治は両眼をギラつかせながら治済にそう告げた。
すると治済はいきなり、ガバッと家治に対して平伏してみせたかと思うと、
「申訳御座りませぬっ!この治済、ただただ公儀の行末を思えばこそ、田沼山城めを取除かんと…」
意知の存在は幕府の行末に悪影響を及ぼすからと、そこで佐野善左衛門に意知暗殺を嗾けたのだと、臆面もなくそう言訳したのであった。
これにはさしもの家治も心底、呆れ果てた。否、この期に及んでも平然とその様な虚言を弄することの出来る治済という男にはある種の感動すら覚えた程であった。
だからと言って無論、家治は治済を許すつもりは毛頭なかった。
家治は呵呵大笑した上で、
「そうではあるまい…、治済よ…、そなたが意知を殺そうと欲せし真の理由は、自が罪が意知に愈愈、暴かれるやも知れぬと、それを恐れたからであろうぞ…」
まずはそう投掛けた。治済は平伏したまま、微動だにしなかった。
「治済殿が罪とは?」
事情を知らぬ定信が治済の「罪」の正体について家治に尋ねたので、そこで家治も遂に爆弾を炸裂させた。
「されば家基を毒殺せし罪よ…」
家治は静かなる口調でそう告げるや、「意知っ!」と声を張上げた。
すると入頬に佐野善左衛門に続いて上半身は羽織だけを羽織った意知が姿を見せた。
否、意知だけではない。意知の両側には清水重好と水野忠友の姿もあった。
意知のそのだらしない姿に定信は流石に眉を顰め、するとそうと察した家治が、
「意知が身形は余が許したのだ…」
定信にそう告げ、定信を納得させた。
家治はその上で、意知に命じて治済の「罪」について定信にも詳しく説明させた。
即ち、治済は鷹狩り前の家基に遅効性の毒物―、河豚毒と附子(トリカブト)の毒とを同時に摂取させることで、鷹狩りの最中に毒の効目が表れる様、画策、しかもその鷹狩りにおいては主に清水家所縁の者とそれに田安家及び田沼家所縁の者を扈従させ、逆に一橋家と所縁の者はなるべく扈従させないことで、万が一、家基の死因が病死ではなく毒殺であると判明した場合でも、その罪が清水重好や、或いは田沼意次や更には田安家の血を引く定信に向かう様に画策もした―、意知は治済のその罪を定信に簡潔に説明したのであった。
否、意知にとってそれは二度目の説明であり、これより前、ここ御休息之間において定信が治済と共に将軍・家治が出御するまでの四半刻(約30分)程の間に水野忠友にも説明したのであった。
家治は愛息・家基の死の真相を意知に探らせるべく、未だ部屋住の身に過ぎぬ意知を奏者番より若年寄へと進ませた訳だが、忠友には今の今まで隠していた。
否、側用人の忠友だけではない。御側御用取次も知らないことであった。
それは家治が意知に対して堅く口止めしていたからであり、しかし愈愈、治済を断罪するにあたり、家治は意知に対して、忠友にだけはそれを打明けることを許し、そこで家治が御休息之間に出御する四半刻(約30分)程の時間を利用して、意知は忠友に対して未だ部屋住の身に過ぎぬ己が若年寄へ進んだ真の理由について打明けた上で、治済が如何なるトリックを用いて家基を毒殺したのか、それも説明したのであった。
無論、忠友にしてみれば何れも初耳であり、心底、驚かされたが、しかし事情が事情なだけに納得した。
何よりここ中奥においては側用人たる己は元より、御側御用取次をはじめとする誰もが知らないことであり、それを意知が己にだけまず初めに打明けてくれたことで、忠友は大いに自尊心が満たされた。
「いや…、家基だけではない…、その前には余が室であった倫子や倫子との間に生した萬壽までも毒殺せし疑いがある…、しかもその死を探索せし田安家の侍女の廣瀬や奥医師、池原良誠が息の良明、そして目附の深谷盛朝までも自害に見せかけて殺したのであろうがっ!」
家治のその糾弾に治済は顔を上げるや、さも訳が分からないといった表情を覗かせたので、家治の怒りは頂点に達した。
この期に及んでも治済はまだ白を切っているものと、そう思ったからであり、そこで家治は更に続けて、
「いやいや…、家基を遅効性の毒物を用いて毒殺すべく、そこで己が息のかかりし医師に遅効性の毒物を開発させんが為に人体実験を繰広げさせ、結果、数多の無辜の無宿人の命をも踏み躙ったであろう…、貴様という奴は一体、人の命を何だと思っておるのだっ!」
治済をそう糾弾するや、
「治済よ…、そなたが如何に三卿と雖も、最早、死は免れぬものと思えよ…、精精、死を賜ることだけを願うのだな…」
運が良ければ武士の礼をもって死を賜ることが、即ち、切腹が許されるであろうと、治済に止めを刺した。
どうやら治済には雛が案じていた「万が一」の事態が訪れた様で、それに備えて懐中に仕舞っておいた連発銃を使う出番が来た様だ。
治済は、懐中より連発銃を取出すや、家治にその銃口を向けた。
すると意知が条件反射的に飛出し、家治の前に立った。
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