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宣戦布告 ~将軍・家治と一橋治済との「前哨戦」~

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 将軍しょうぐん家治いえはる表向おもてむきにおける変事へんじり、側用人そばようにんそば用取次ようとりつぎらをしたがい、あわただしく表向おもてむきへとあしはこんだおり三卿さんきょうにその姿すがた目撃もくげきされていた。

 家治一行いえはるいっこう中奥なかおくから表向おもてむきへといそいださい中奥なかおくにおいては膳建入頬ぜんだていりがわから笹之間ささのま廊下ろうかとおったのだが、その道筋ルート三卿さんきょう詰所つめしょひかえ座鋪ざしきから小庭こにわはさんでのぞむことが出来できたからだ。

 ひかえ座鋪ざしきもまた、平素へいそふすま障子しょうじといった遮蔽物しゃへいぶつたぐい一切いっさいなく、はなたれた状態じょうたいであるので、そのひかえ座鋪ざしきめている三卿さんきょう家治一行いえはるいっこう表向おもてむきへといそ姿すがたうかがうことが出来できた。

なにやらあわただしい様子ようすでしたなぁ…」

 一橋ひとつばし治済はるさだ素知そしらぬかおでそうつぶやいた。無論むろんいましがた清水しみず重好しげよしとも目撃もくげきした家治一行いえはるいっこうとらえてのつぶやきであった。

 すると治済はるさだのそのつぶやきをみみにした重好しげよしも、「左様さよう」とおうずるや、

方角ほうがくからして、どうやら表向おもてむきいそがれたようですな…」

 重好しげよしはそう言葉ことばかさねた。

「されば…、表向おもてむきにてなに異変いへんがあったのやも…」

 その「異変いへん」の正体しょうたいなんであるのか、治済はるさだには勿論もちろん見当けんとういていたものの、しかしここで治済はるさだみずからのくちで「異変いへん」の正体しょうたいあきらかにするわけにはゆかず、そこでわりに三卿さんきょう家老かろう表向おもてむき様子ようすさぐらせることにした。

 今日きょう3月24日、一橋家ひとつばしけにおいては御城えどじょう登城とじょうする家老かろう水谷勝富みずのやかつとみであり、いま中奥なかおくにある三卿さんきょう家老かろう詰所つめしょには勝富かつとみ姿すがたがあった。

 そこで治済はるさだせきち、ひかえ座鋪ざしきより三卿さんきょう家老かろう詰所つめしょへとあしはこぶと、そこにめていた勝富かつとみたいして、家治一行いえはるいっこうけんつたえたうえで、表向おもてむき様子ようすさぐってくれるようたのんだ。

 三卿さんきょう家老かろう一応いちおう表向おもてむき役人やくにんではあるが、ここ中奥なかおく詰所つめしょあたえられていることもあり、表向おもてむき役人やくにんなかでも旗本役はたもとやくであるこの三卿さんきょう家老かろう唯一ゆいいつ中奥なかおく表向おもてむきとを自由じゆう往来ゆききすることがゆるされており、表向おもてむき様子ようすさぐらせるにはうってつけと言えよう。

 その三卿さんきょう家老かろう三卿さんきょう監視役かんしやくとしての側面そくめんがあり、こと水谷勝富みずのやかつとみはその意識いしきつよかったが、しかしだからと言って、三卿さんきょう家臣かしんとしての側面そくめんまったくないというわけではなかった。

 無論むろん三卿さんきょう家老かろうたいして無体むたいもとめをすれば、家老かろうはそれを退けることが出来できたが、しかしそうでない場合ばあいすなわち、とうもとめであればこれにおうじなければならない。

 そして表向おもてむき様子ようすさぐってしい、との治済はるさだもとめは至極しごくとう部類ぶるいぞくするので、水谷勝富みずのやかつとみとしてもこれにおうじざるをなかった。

 だが生憎あいにくと、水谷勝富みずのやかつとみ表向おもてむき伝手ツテがなく、如何いかにして表向おもてむき情報じょうほう仕入しいれるか呻吟しんぎんしていると、清水家しみずけ家老かろう本多ほんだ讃岐守さぬきのかみ昌忠まさただがそうとさっして、「それなれば…」とみずからが表向おもてむき様子ようすさぐると、治済はるさだ申出もうしでたのであった。

 本多ほんだ昌忠まさただそく彌三郎やさぶろう忠幹ただもと本丸ほんまる小姓こしょう組番ぐみばん、つまりは表向おもてむき殿中でんちゅう警備けいびするのを職掌しょくしょうとしており、しかも都合つごういことに本多ほんだ彌三郎やさぶろう今日きょう勤務シフトは朝五つ(午前8時頃)から昼八つ(午後2時頃)までの朝番あさばんであり、そうであればひるの九つ半(午後1時頃)を四半刻しはんときぎようとしていたいままさ勤務シフト最中さなかであり、そのよう彌三郎やさぶろうであれば表向おもてむきにおいてなにがあったのかっているやもしれなかった。

 治済はるさだもそこで本多ほんだ昌忠まさただたよることにし、「それなればよろしくたのむ」と昌忠まさただ送出おくりだし、ひかえ座鋪ざしきへともどると、重好しげよしにもそのむねつたえた。本多ほんだ昌忠まさただ重好しげよしあるじつとめる清水家しみずけつかえる家老かろうだからだ。

 その本多ほんだ昌忠まさただ表向おもてむきへとあしはこぶと、せがれ彌三郎やさぶろうめているにちがいない紅葉之間もみじのまへとあしはこんだ。

 そのさい紅葉之間もみじのまとは小十人こじゅうにん番所ばんしょとも入頬いりがわはさんだ医師いしだまりには家治一行いえはるいっこう姿すがたうかがえた。

 だとすると、家治いえはるみずかあしはこばせるほど御仁ごじんが、それも表向おもてむきにいたもの患者かんじゃとして医師いしだまりはこまれたことを示唆しさしており、その御仁ごじんだれなのか、相当そうとうしぼられる。

老中ろうじゅう田沼たぬまさまか、あるいはそくにしておん若年寄わかどしより山城守やましろのかみさま医師いしだまりはこまれたのではあるまいか?」

 昌忠まさただ紅葉之間もみじのまはいり、せがれ彌三郎やさぶろうつかまえると、彌三郎やさぶろうにそうぶつけた。

 すると彌三郎やさぶろうより、左肩ひだりかたより出血しゅっけつする若年寄わかどしより意知おきとも医師いしだまりへとはいったことがげられたのだ。

 左肩ひだりかたより出血しゅっけつしていたとなれば、それはだれかにられたことを意味いみしていた。

 もっとも、意知おきとも自力歩行じりきほこう医師いしだまりはいったとのことで、いのち別状べつじょうはないらしい。

 昌忠まさただせがれ彌三郎やさぶろうより若年寄わかどしより田沼たぬま意知おきともられたとの情報じょうほう仕入しいれるや、ふたたび、中奥なかおくへといそもどり、ひかえ座鋪ざしきめる治済はるさだと、それに重好しげよしたいしてそのむねつたえたのであった。

 ちなみに家治いえはる医師いしだまりにおいて、治療ちりょうもと意知おきとも殺害さつがいおよぼうとした峰岸瑞興みねぎしよしおき關本壽熈せきもととしてる両名りょうめい逮捕たいほ指示しじしたのはその直後ちょくご―、昌忠まさただ中奥なかおくへといそいだ直後ちょくごのことであった。

 家治いえはる昌忠まさただあとよう中奥なかおくへともどり、そのさい家治いえはるひかえ座鋪ざしきほうへとをやり、するとひかえ座鋪ざしきにおいては清水家老しみずかろう本多ほんだ昌忠まさただ一橋ひとつばし治済はるさだ清水しみず重好しげよし相手あいてなにはなしている様子ようすうかがえた。

 一体いったいなにはなしているのか、家治いえはるには見当けんとうかなかったが、しかし立止たちどまらずに真直まっす休息之間きゅうそくのまへともどると、政務せいむっていた下段げだんではなく上段じょうだん鎮座ちんざし、そのあとって側用人そばようにん水野みずの忠友ただともたいして、一橋ひとつばし治済はるさだをここ休息之間きゅうそくのまのそれも下段げだんではなく、下段げだんめんした入頬いりがわ召出めしだようめいじた。

 それだけでも家治いえはるいかりがかんられた。いつものさくな家治いえはるなれば上段じょうだんではなく下段げだんにて「面会人めんかいにん」とはずであったからだ。

 それがいまおのれ上段じょうだん鎮座ちんざし、面会人めんかいにんたる一橋ひとつばし治済はるさだには下段げだん立入たちいることはゆるさず、その入頬いりがわひかえさせようとは、如何いか治済はるさだたいするいかりがふかいか、忠友ただともには容易よういかんられた。

 かく忠友ただとも家治いえはるいかりのほのおのそのおのれにまで降掛ふりかからぬうち、いそひかえ座鋪ざしきへとかった。

 ひかえ座鋪ざしきにおいてはさいわい、いまだ、治済はるさだ姿すがたがあり、忠友ただとも治済はるさだたいして、

上様うえさま御逢おあいになりたいそうです…」

 そうげて、治済はるさだ休息之間きゅうそくのまへと案内あんないした。

 治済はるさだ忠友ただとも案内あんないにより萩之御廊下はぎのおろうかとおって休息之間きゅうそくのま下段げだんめんした入頬いりがわあしれ、すると下段げだんはさんで上段じょうだんには将軍しょうぐん家治いえはる姿すがたがあったので、治済はるさだ当然とうぜんごとく、入頬いりがわより下段げだんへとあしばそうとしたそのときであった。

ゆるさぬっ!」

 家治いえはる大音声だいおんじょう休息之間きゅうそくのまとどろき、これにはさしもの治済はるさだもビクつかせた。

 ここまで治済はるさだ案内あんないし、そのうえすで入頬いりがわひかえていた忠友ただとも勿論もちろん家治いえはる大音声だいおんじょうにはビクつかされたが、それでもなんとか平静へいせい取戻とりもどすと、治済はるさだ入頬いりがわひかえるようつたえた。

 次期じき将軍しょうぐん家斉いえなり岳父がくふたるおのれ下段げだんではなく、その入頬いりがわひかえさせようとは、治済はるさだにとってはおおいなる屈辱くつじょくであった。

 無論むろん入頬いりがわとは言え、板敷いたじきではなく、きちんとたたみ敷詰しきつめられてはいるものの、それでも上段じょうだん家治いえはるがいるならば、治済はるさだ下段げだんひかえさせるべきであろう。それを入頬いりがわひかえさせようとは、粗略そりゃくあつかいにほかならない。

 それでも、それが将軍しょうぐん家治いえはる意向いこうであるならば、如何いか治済はるさだいえども、これにしたがわざるをず、治済はるさだ屈辱感くつじょくかんたたかいつつ、入頬いりがわひかえた。

 すると家治いえはるはそんな治済はるさださら追撃おいうちをけるように、治済はるさだ背後はいごひかえていた忠友ただともたいして、下段げだんひかえるようめいじたのであった。

 これは治済はるさだ忠友ただともした位置付いちづけることを意味いみしており、治済はるさだにとってはこのうえない屈辱くつじょくであった。

 忠友ただとも治済はるさだ差置さしおいて下段げだんひかえれば、治済はるさだ逆怨さかうらみされる可能性かのうせいたかかったからだ。

 いや間違まちがいなく逆怨さかうらみされるであろう。そうなれば粘着質ねんちゃくしつ治済はるさだのことである。今日きょうおのれけた仕打しうち、屈辱くつじょく終生しゅうせいわすぬであろう。

 そして家斉いえなり家治いえはるあとおそい、将軍しょうぐんとなったあかつきには治済はるさだ今日きょうのこの仕打しうち、屈辱くつじょくうらみをらさんとするにちがいない。

 つまりは忠友ただともたいしてペナルティあたえるにちがいない。

 それゆえ忠友ただとも治済はるさだ差置さしおいて下段げだんへとあしれることを躊躇ちゅうちょしたのだが、しかしそれが将軍しょうぐん家治いえはる意向いこうであるならば、やはりこれにしたがわざるをず、足取あしどおもく、下段げだんへとうつった。

 こうして家治いえはる下段げだん忠友ただともひかえさせたうえで、その忠友ただともよりもさら上段じょうだんからはなれた入頬いりがわひかえる治済はるさだたいして、

治済はるさだよ…、そなた、意知おきともころそうとしたな?」

 そう単刀直入たんとうちょくにゅうにぶつけた。

 これにたいして治済はるさだ家治いえはるからかる仕打しうち、屈辱くつじょくあたえられたときからなかば、家治いえはるからそうわれるのを予期よきしていたので、

一体いったいなんのことで?」

 そうとぼけてみせた。

とぼけるでない…、意知暗殺おきともあんさつ失敗しっぱいせしおりにはおもてばん医師いし峰岸みねぎし春庵しゅんあんめと關本せきもと春臺しゅんだいめを使嗾しそうして、治療ちりょうもと意知おきともころさせようとしたではあるまいか…、峰岸みねぎし春庵しゅんあんめと關本せきもと春臺しゅんだいめが、そなたにそうめいじられたと白状はくじょうおよんだぞ…」

峰岸みねぎしなにがし關本せきもとなにがしやらがなに申立もうしたてようとも、この治済はるさだ一切いっさいかかわりなきことゆえ…」

 治済はるさだがそうシラるであろうことは家治いえはる予期よきしていたので、「まぁい」と家治いえはるはそのにおいてはそう引取ひきとってせた。

 家治いえはるはそのうえ治済はるさだたいして、

「いずれ、意知おきとも刃傷にんじょうおよびし番士ばんしよりも、そなたのかれるに相違そういあるまいて…」

 そのときこそ、おまえいきまるときだと、そう示唆しさしたのであった。

 だが治済はるさだはやはりあわてた素振そぶりをせず、それどころかむしろそれをのぞんでいるかのよう素振そぶりさえのぞかせたほどであった。

 家治いえはるはそれを治済はるさだ虚勢きょせいだと誤解ごかいした。

 無論むろん、それは治済はるさだ虚勢きょせいなどではなく、実際じっさい治済はるさだ意知おきとも刃傷にんじょうおよんだ番士ばんし、もとい新番しんばん佐野さの善左衛門ぜんざえもん詮議せんぎ心待こころまちにしていたのだ。

田沼たぬま山城やましろめに刃傷にんじょうおよびしは番士ばんしでござりましたか…」

 治済はるさだ大仰おおぎょうなまでにそうおどろいてみせた。

 家治いえはる内心ないしん、「この野郎やろう…」とどくづいたものの、それでもくちにはさず、

太刀たちにてけられたとのこと…、されば番士ばんし間違まちがいなかろう…」

 そうおうじたのであった。

成程なるほど…、殿中でんちゅう太刀たちびることがゆるされしは番士ばんしのみにて…、してその番士ばんし身柄みがらいま目附めつけが?」

いや目附めつけ意知おきとも番士ばんしおそわれる現場げんば際会さいかいせしも、これをたすけず、それどころか傍観ぼうかんしており…、さればかる目附めつけ番士ばんし身柄みがらあずけるわけにはゆかず…」

成程なるほど…、監察かんさつ対象たいしょうとなるやもれぬ目附めつけ番士ばんし身柄みがらあずけるわけにはゆかぬ、と…、盗人ぬすっと盗人ぬすっととらえさせるわけにはゆかぬ、と…」

 随分ずいぶん比喩ひゆであったが、しかし間違まちがってはいなかった。

左様さよう…、いや今頃いまごろべつ目附めつけが…、当番とうばん目附めつけ山川貞幹やまかわさだもと池田いけだ長惠ながしげ芙蓉之間ふようのまにて番士ばんし取調とりしらべているころであろうが…」

 意知おきとも見殺みごろしにしようとした目附めつけは朝五つ(午前8時頃)から昼八つ(午後2時頃)までの勤務シフト朝番あさばんであり、そこで昼八つ(午後2時頃)から宵五つ(午後8時頃)までの勤務シフト当番とうばん目附めつけ番士ばんしすなわち、新番しんばん佐野さの善左衛門ぜんざえもん取調とりしらべにたっているころであった。

芙蓉之間ふようのまもうさば、奏者番そうじゃばんやその筆頭ひっとう寺社じしゃ奉行ぶぎょう、それに留守居るすい大目付おおめつけらの殿中でんちゅうせきではござりませぬか…」

 そのよう格式かくしきのある座敷ざしきにおいて罪人ざいにん取調とりしらべをさせているのかと、治済はるさだ家治いえはる処置しょち非難ひなんした。

「されば意知おきとも番士ばんし兇刃きょうじんよりすくいし中奥小姓なかおくこしょう津田つだ信久のぶひさ菊間縁頬きくのまえんがわづめ峯山藩主みねやまはんしゅ京極きょうごく高久たかひさ両名りょうめいより、番士ばんし身柄みがら引受ひきうけしが奏者番そうじゃばん松平まつだいら忠福ただよし松平まつだいら乗完のりさだ両名りょうめいなれば…」

 松平まつだいら忠福ただよし松平まつだいら乗完のりさだ羽目之間はめのまよりおのれ殿中でんちゅうせきへと番士ばんし、もとい佐野さの善左衛門ぜんざえもん芙蓉之間ふようのまへとて、そのさい羽目之間はめのまとなり中之間なかのまかって、これより若年寄わかどしより刃傷にんじょうおよびし狼藉者ろうぜきもの芙蓉之間ふようのまへとてるむねときげたそうな。

 中之間なかのまや、さらにそのさき桔梗之間ききょうのまや、あるいは焼火之間たきびのまにはいま目附めつけが―、意知おきとも見殺みごろしにしようとした朝番あさばん目附めつけがいるものと、忠福ただよしはそう見越みこしてときげたのであった。

 すると忠福ただよし予期よきしたとおり、中之間なかのまには松平まつだいら田宮たみや跡部あとべ大膳だいぜんが、そのさき桔梗之間ききょうのまには井上正在いのうえまさあり安藤あんどう郷右衛門ごうえもん末吉すえよし善左衛門ぜんざえもん柳生久通やぎゅうひさみちがおり、彼等かれら意知おきとも見殺みごろしにしようとした6人の朝番あさばん目附めつけ忠福ただよしかるときみみにするや、そのなか一人ひとりである安藤あんどう郷右衛門ごうえもん目附めつけ部屋べやへとはしり、そこにすでめていた当番とうばん山川やまかわ下總守しもうさのかみ貞幹さだもと池田修理いけだしゅり長惠ながしげ二人ふたり目附めつけ事件じけん顚末てんまつ第一報だいいっぽうれたのであった。

 安藤あんどう郷右衛門ごうえもんかぎらず、意知おきともおそわれる現場げんば際会さいかいしながらも、意知おきともたすけずに見殺みごろしにしようとした目附めつけはその非違ひいにより、これよりおのれ監察かんさつ対象たいしょうになることを覚悟かくごしており、そうであれば到底とうてい佐野さの善左衛門ぜんざえもん取調とりしらべなどにたれるものではないとも覚悟かくごしていた。

 安藤あんどう郷右衛門ごうえもん勿論もちろん、そうであり、その場合ばあいほか目附めつけ佐野さの善左衛門ぜんざえもん取調とりしらべをまかせることになる。

 そしてそのほか目附めつけすで目附めつけ部屋べやめていたが、しかし、事件じけん現場げんばには際会さいかいしなかった当番とうばん目附めつけいてほかにはおらず、その当番とうばん目附めつけこそが山川貞幹やまかわさだもと池田修理いけだしゅりであった。

 そこで安藤あんどう郷右衛門ごうえもん目附めつけ部屋べやへといそぎ、そこで山川貞幹やまかわさだもと池田修理いけだしゅり二人ふたりつかまえると、事件じけん第一報だいいっぽうれたうえで、意知おきとも刃傷にんじょうおよんだ狼藉者ろうぜきもの、こと佐野さの善左衛門ぜんざえもん身柄みがら芙蓉之間ふようのまへとうつされたことをもつたえたのであった。

 山川貞幹やまかわさだもと池田修理いけだしゅりもそれをけて芙蓉之間ふようのまへといそぎ、そこで佐野さの善左衛門ぜんざえもんとらえた。

 かる狼藉者ろうぜきものだれなのか、山川貞幹やまかわさだもとにしろ、池田修理いけだしゅりにしろ、勿論もちろん見当けんとうかなかったが、しかし芙蓉之間ふようのまにおいては相変あいかわらず松平まつだいら忠福ただよし松平まつだいら乗完のりさだとによって両腕りょううでさえられたままのものがいたので、そのものこそが若年寄わかどしより意知おきとも刃傷にんじょうおよんだ狼藉者ろうぜきもの、こと佐野さの善左衛門ぜんざえもんだとさっせられた。

 いや本来ほんらいならば忠福ただよしみずからが目附めつけ部屋べやへとはしり、当番とうばん目附めつけ事件じけん第一報だいいっぽうれたいところであった。

 忠福ただよしにしてもまた、意知おきとも見殺みごろしにしようとした朝番あさばん目附めつけには取調とりしらべにたれないだろうとさっしていたからだ。

 しかし、忠福ただよしでは無理むりであった。それと言うのも目附めつけ部屋べやはいれるのは目附めつけ当人とうにんのぞいては配下はいか徒目附かちめつけ小人目附こびとめつけ、それにおくおもてりょう右筆ゆうひつ坊主以外ぼうずいがい入室にゅうしつゆるされてはいなかったからだ。

 目附めつけ直属ちょくぞく上司じょうしである若年寄わかどしよりもとより、老中ろうじゅうさえも目附めつけ部屋べやへははいれず、そうであれば一介いっかい奏者番そうじゃばん忠福ただよし勿論もちろん目附めつけ部屋べやへははいれず、そこで番士ばんし身柄みがら芙蓉之間ふようのまへと移送いそうすることを意知おきとも見殺みごろしにしようとした朝番あさばんより、当番とうばん目附めつけへとつたえてもらおうと、かるときげたのであった。

 意知おきとも見殺みごろしにしようとした目附めつけなかでも一人ひとりぐらいは、せめてもの罪滅つみほろぼしにというわけでもなかろうが、目附めつけ部屋べやへとはしってくれるにちがいないと、忠福ただよしはそうも期待きたいしており、結果けっか、その期待きたいたり、当番とうばん目附めつけ山川貞幹やまかわさだもと池田修理いけだしゅり二人ふたり安藤あんどう郷右衛門ごうえもんよりのしらせをけて芙蓉之間ふようのまへとあしはこんだのであった。

 このことは家治いえはる中奥なかおくへといそもどさい、その手前てまえ焼火之間たきびのまにおいて芙蓉之間ふようのまよりてきた忠福ただよしよりつたえられたのであった。

 家治一行いえはるいっこう医師いしだまりへといそ姿すがた忠福ただよし芙蓉之間ふようのまよりのぞており、それも焼火之間たきびのまとおったので、それならばもう一度いちど焼火之間たきびのまとおって中奥なかおくへともどるに相違そういあるまいと、忠福ただよしはそうたりをけ、そこで佐野さの善左衛門ぜんざえもん取調とりしらべは山川貞幹やまかわさだもと池田修理いけだしゅりまかせて、おのれ焼火之間たきびのまにおいて家治一行いえはるいっこうふたたび、姿すがたせるのを待機たいきしていたというわけだ。

 結果けっか、またしても忠福ただよしのそのみはたり、忠福ただよし焼火之間たきびのまにおいていそ中奥なかおくへともど将軍しょうぐん家治いえはるつかまえると、いま芙蓉之間ふようのまにおいて当番とうばん目附めつけ山川貞幹やまかわさだもと池田修理いけだしゅり二人ふたり意知おきとも刃傷にんじょうおよんだ狼藉者ろうぜきものこと佐野さの善左衛門ぜんざえもん取調とりしらべにたっていることをつたえたのであった。

「さればその取調とりしらべにおいて、そなたのるのも時間じかん問題もんだいであろうぞ…」

 家治いえはる治済はるさだたいして死刑しけい宣告せんこくするかのよう口調くちょうでそうげた。

 それは治済はるさだ勿論もちろんかっており、いや、だからこそいささかもどうずる気配けはいせなかった。何故なぜなら佐野さの善左衛門ぜんざえもんくちからおのれることはないことはあきらかであったからだ。

成程なるほど…、いやじつたのしみでござりまするなぁ…」

 治済はるさだ不敵ふてきみをかべつつ、そうおうじたのであった。
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