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宣戦布告 ~将軍・家治と一橋治済との「前哨戦」~
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将軍・家治が表向における変事を知り、側用人や御側御用取次らを随い、慌しく表向へと足を運んだ折、御三卿にその姿を目撃されていた。
家治一行は中奥から表向へと急いだ際、中奥においては御膳建入頬から笹之間廊下を通ったのだが、その道筋は御三卿詰所の御控座鋪から小庭を挟んで臨むことが出来たからだ。
御控座鋪もまた、平素、襖や障子といった遮蔽物の類は一切なく、開け放たれた状態であるので、その御控座鋪に詰めている御三卿は家治一行が表向へと急ぐ姿を窺うことが出来た。
「何やら慌しい御様子でしたなぁ…」
一橋治済は素知らぬ顔でそう呟いた。無論、今しがた清水重好と共に目撃した家治一行を捉えての呟きであった。
すると治済のその呟きを耳にした重好も、「左様」と応ずるや、
「方角からして、どうやら表向に急がれた様ですな…」
重好はそう言葉を重ねた。
「されば…、表向にて何か異変があったのやも…」
その「異変」の正体が何であるのか、治済には勿論、見当が付いていたものの、しかしここで治済が自らの口で「異変」の正体を明らかにする訳にはゆかず、そこで替わりに御三卿家老に表向の様子を探らせることにした。
今日3月24日、一橋家においては御城に登城する家老は水谷勝富であり、今、中奥にある御三卿家老の詰所には勝富の姿があった。
そこで治済は席を立ち、御控座鋪より御三卿家老の詰所へと足を運ぶと、そこに詰めていた勝富に対して、家治一行の件を伝えた上で、表向の様子を探ってくれる様、頼んだ。
御三卿家老は一応、表向役人ではあるが、ここ中奥に詰所が与えられていることもあり、表向役人の中でも旗本役であるこの御三卿家老は唯一、中奥と表向とを自由に往来することが許されており、表向の様子を探らせるにはうってつけと言えよう。
その御三卿家老は御三卿の監視役としての側面があり、殊に水谷勝富はその意識が強かったが、しかしだからと言って、御三卿の家臣としての側面は全くないという訳ではなかった。
無論、御三卿が家老に対して無体な求めをすれば、家老はそれを撥ね退けることが出来たが、しかしそうでない場合、即ち、真っ当な求めであればこれに応じなければならない。
そして表向の様子を探って欲しい、との治済の求めは至極、真っ当な部類に属するので、水谷勝富としてもこれに応じざるを得なかった。
だが生憎と、水谷勝富は表向に伝手がなく、如何にして表向の情報を仕入れるか呻吟していると、清水家の家老、本多讃岐守昌忠がそうと察して、「それなれば…」と自らが表向の様子を探ると、治済に申出たのであった。
本多昌忠の息・彌三郎忠幹は本丸小姓組番士、つまりは表向の殿中を警備するのを職掌としており、しかも都合の良いことに本多彌三郎の今日の勤務は朝五つ(午前8時頃)から昼八つ(午後2時頃)までの朝番であり、そうであれば昼の九つ半(午後1時頃)を四半刻も過ぎようとしていた今は正に勤務の最中であり、その様な彌三郎であれば表向において何があったのか知っているやもしれなかった。
治済もそこで本多昌忠を頼ることにし、「それなれば宜しく頼む」と昌忠を送出し、御控座鋪へと戻ると、重好にもその旨、伝えた。本多昌忠は重好が主を務める清水家に仕える家老だからだ。
その本多昌忠は表向へと足を運ぶと、倅・彌三郎が詰めているに違いない紅葉之間へと足を運んだ。
その際、紅葉之間とは小十人番所と共に入頬を挟んだ医師溜には家治一行の姿が窺えた。
だとすると、家治が自ら足を運ばせる程の御仁が、それも表向にいた者が患者として医師溜に運び込まれたことを示唆しており、その御仁が誰なのか、相当、絞られる。
「御老中の田沼様か、或いは息にして御若年寄の山城守様が医師溜に運び込まれたのではあるまいか?」
昌忠は紅葉之間に入り、倅・彌三郎を掴まえると、彌三郎にそうぶつけた。
すると彌三郎より、左肩より出血する若年寄の意知が医師溜へと入ったことが告げられたのだ。
左肩より出血していたとなれば、それは誰かに斬られたことを意味していた。
尤も、意知は自力歩行で医師溜に入ったとのことで、命に別状はないらしい。
昌忠は倅・彌三郎より若年寄の田沼意知が斬られたとの情報を仕入れるや、再び、中奥へと急ぎ戻り、御控座鋪に詰める治済と、それに重好に対してその旨、伝えたのであった。
ちなみに家治が医師溜において、治療の名の下に意知を殺害に及ぼうとした峰岸瑞興と關本壽熈、両名の逮捕を指示したのはその直後―、昌忠が中奥へと急いだ直後のことであった。
家治も昌忠の後を追う様に中奥へと戻り、その際、家治は御控座鋪の方へと目をやり、すると御控座鋪においては清水家老の本多昌忠が一橋治済と清水重好を相手に何か話している様子が窺えた。
一体、何を話しているのか、家治には見当も付かなかったが、しかし立止まらずに真直ぐ御休息之間へと戻ると、政務を執っていた下段ではなく上段に鎮座し、その後を追って来た側用人の水野忠友に対して、一橋治済をここ御休息之間のそれも下段ではなく、下段に面した入頬に召出す様、命じた。
それだけでも家治の怒りが感じ取られた。いつもの気さくな家治なれば上段ではなく下段にて「面会人」と逢う筈であったからだ。
それが今は己は上段に鎮座し、面会人たる一橋治済には下段に立入ることは許さず、その入頬に控えさせようとは、如何に治済に対する怒りが深いか、忠友には容易に感じ取られた。
兎も角、忠友は家治の怒りの炎のその火の粉が己にまで降掛からぬうち、急ぎ御控座鋪へと向かった。
御控座鋪においては幸い、未だ、治済の姿があり、忠友は治済に対して、
「上様が御逢いになりたいそうです…」
そう告げて、治済を御休息之間へと案内した。
治済は忠友の案内により萩之御廊下を通って御休息之間下段に面した入頬に足を踏み入れ、すると下段を挟んで上段には将軍・家治の姿があったので、治済は当然の如く、入頬より下段へと足を伸ばそうとしたその時であった。
「許さぬっ!」
家治の大音声が御休息之間に轟き、これにはさしもの治済もビクつかせた。
ここまで治済を案内し、その上で既に入頬に控えていた忠友も勿論、家治の大音声にはビクつかされたが、それでも何とか平静を取戻すと、治済に入頬に控えるよう伝えた。
次期将軍・家斉の岳父に当たる己を下段ではなく、その入頬に控えさせようとは、治済にとっては大いなる屈辱であった。
無論、入頬とは言え、板敷ではなく、きちんと畳が敷詰められてはいるものの、それでも上段に家治がいるならば、治済は下段に控えさせるべきであろう。それを入頬に控えさせようとは、粗略な扱いに外ならない。
それでも、それが将軍・家治の意向であるならば、如何に治済と雖も、これに従わざるを得ず、治済は屈辱感と闘いつつ、入頬に控えた。
すると家治はそんな治済に更に追撃ちを掛ける様に、治済の背後に控えていた忠友に対して、下段に控える様、命じたのであった。
これは治済を忠友の下に位置付けることを意味しており、治済にとってはこの上ない屈辱であった。
忠友も治済を差置いて下段に控えれば、治済に逆怨みされる可能性が高かったからだ。
否、間違いなく逆怨みされるであろう。そうなれば粘着質な治済のことである。今日、己が受けた仕打ち、屈辱は終生、忘れ得ぬであろう。
そして家斉が家治の後を襲い、将軍となった暁には治済は今日のこの仕打ち、屈辱の怨みを晴らさんとするに違いない。
つまりは忠友に対して罰を与えるに違いない。
それ故、忠友は治済を差置いて下段へと足を踏み入れることを躊躇したのだが、しかしそれが将軍・家治の意向であるならば、やはりこれに従わざるを得ず、足取り重く、下段へと移った。
こうして家治は下段に忠友を控えさせた上で、その忠友よりも更に上段から離れた入頬に控える治済に対して、
「治済よ…、そなた、意知を殺そうとしたな?」
そう単刀直入にぶつけた。
これに対して治済は家治から斯かる仕打ち、屈辱を与えられた時から半ば、家治からそう問われるのを予期していたので、
「一体、何のことで?」
そう惚けてみせた。
「惚けるでない…、意知暗殺に失敗せし折には表番医師の峰岸春庵めと關本春臺めを使嗾して、治療の名の下に意知を殺させようとしたではあるまいか…、峰岸春庵めと關本春臺めが、そなたにそう命じられたと白状に及んだぞ…」
「峰岸某や關本某やらが何を申立てようとも、この治済、一切、関わりなきこと故…」
治済がそう白を切るであろうことは家治も予期していたので、「まぁ良い」と家治はその場においてはそう引取って見せた。
家治はその上で治済に対して、
「いずれ、意知に刃傷に及びし番士よりも、そなたの名が聞かれるに相違あるまいて…」
その時こそ、お前の息の根が止まる時だと、そう示唆したのであった。
だが治済はやはり慌てた素振りを見せず、それどころかむしろそれを望んでいるかの様な素振りさえ覗かせた程であった。
家治はそれを治済の虚勢だと誤解した。
無論、それは治済の虚勢などではなく、実際、治済は意知に刃傷に及んだ番士、もとい新番士の佐野善左衛門の詮議を心待ちにしていたのだ。
「田沼山城めに刃傷に及びしは番士でござりましたか…」
治済は大仰なまでにそう驚いてみせた。
家治は内心、「この野郎…」と毒づいたものの、それでも口には出さず、
「太刀にて斬り付けられたとのこと…、されば番士と視て間違いなかろう…」
そう応じたのであった。
「成程…、殿中に太刀を帯びることが許されしは番士のみにて…、してその番士が身柄は今は目附が?」
「否、目附は意知が番士に襲われる現場に際会せしも、これを助けず、それどころか傍観しており…、されば斯かる目附に番士の身柄を預ける訳にはゆかず…」
「成程…、監察対象となるやも知れぬ目附に番士の身柄を預ける訳にはゆかぬ、と…、盗人に盗人を捕えさせる訳にはゆかぬ、と…」
随分な比喩であったが、しかし間違ってはいなかった。
「左様…、否、今頃は別の目附が…、当番の目附の山川貞幹と池田長惠が芙蓉之間にて彼の番士を取調べている頃であろうが…」
意知を見殺しにしようとした目附は朝五つ(午前8時頃)から昼八つ(午後2時頃)までの勤務の朝番であり、そこで昼八つ(午後2時頃)から宵五つ(午後8時頃)までの勤務の当番の目附が彼の番士、即ち、新番士の佐野善左衛門の取調べに当たっている頃であった。
「芙蓉之間と申さば、奏者番やその筆頭の寺社奉行、それに留守居や大目付らの殿中席ではござりませぬか…」
その様な格式のある座敷において罪人の取調べをさせているのかと、治済は家治の処置を非難した。
「されば意知を番士の兇刃より救いし中奥小姓の津田信久と菊間縁頬の峯山藩主の京極高久の両名より、彼の番士の身柄を引受けしが奏者番の松平忠福と松平乗完の両名なれば…」
松平忠福と松平乗完は羽目之間より己の殿中席へと彼の番士、もとい佐野善左衛門を芙蓉之間へと引っ立て、その際、羽目之間の直ぐ隣の中之間に向かって、これより若年寄に刃傷に及びし狼藉者を芙蓉之間へと引っ立てる旨、鬨を上げたそうな。
中之間や、更にその先の桔梗之間や、或いは焼火之間には未だ目附が―、意知を見殺しにしようとした朝番の目附がいるものと、忠福はそう見越して鬨を上げたのであった。
すると忠福が予期した通り、中之間には松平田宮と跡部大膳が、その先の桔梗之間には井上正在と安藤郷右衛門、末吉善左衛門と柳生久通がおり、彼等、意知を見殺しにしようとした6人の朝番の目附は忠福の斯かる鬨を耳にするや、その中の一人である安藤郷右衛門が目附部屋へと走り、そこに既に詰めていた当番の山川下總守貞幹と池田修理長惠の二人の目附に事件の顚末の第一報を入れたのであった。
安藤郷右衛門に限らず、意知が襲われる現場に際会しながらも、意知を助けずに見殺しにしようとした目附はその非違により、これより己が監察対象になることを覚悟しており、そうであれば到底、佐野善左衛門の取調べなどに当たれるものではないとも覚悟していた。
安藤郷右衛門も勿論、そうであり、その場合、外の目附に佐野善左衛門の取調べを任せることになる。
そしてその外の目附は既に目附部屋に詰めていたが、しかし、事件の現場には際会しなかった当番の目附を措いて外にはおらず、その当番目附こそが山川貞幹と池田修理であった。
そこで安藤郷右衛門は目附部屋へと急ぎ、そこで山川貞幹と池田修理の二人を掴まえると、事件の第一報を入れた上で、意知に刃傷に及んだ狼藉者、こと佐野善左衛門の身柄が芙蓉之間へと移されたことをも伝えたのであった。
山川貞幹と池田修理もそれを受けて芙蓉之間へと急ぎ、そこで佐野善左衛門を捉えた。
斯かる狼藉者が誰なのか、山川貞幹にしろ、池田修理にしろ、勿論、見当も付かなかったが、しかし芙蓉之間においては相変わらず松平忠福と松平乗完とによって両腕を押さえられたままの者がいたので、その者こそが若年寄の意知に刃傷に及んだ狼藉者、こと佐野善左衛門だと察せられた。
否、本来ならば忠福自らが目附部屋へと走り、当番の目附に事件の第一報を入れたいところであった。
忠福にしてもまた、意知を見殺しにしようとした朝番の目附には取調べに当たれないだろうと察していたからだ。
しかし、忠福では無理であった。それと言うのも目附部屋に入れるのは目附当人を除いては配下の徒目附と小人目附、それに奥・表の両右筆と坊主以外は入室を許されてはいなかったからだ。
目附の直属の上司である若年寄は元より、老中さえも目附部屋へは入れず、そうであれば一介の奏者番の忠福は勿論、目附部屋へは入れず、そこで彼の番士の身柄を芙蓉之間へと移送することを意知を見殺しにしようとした朝番より、当番の目附へと伝えて貰おうと、斯かる鬨を上げたのであった。
意知を見殺しにしようとした目附の中でも一人ぐらいは、せめてもの罪滅ぼしにという訳でもなかろうが、目附部屋へと走ってくれるに違いないと、忠福はそうも期待しており、結果、その期待は当たり、当番目附の山川貞幹と池田修理の二人が安藤郷右衛門よりの報せを受けて芙蓉之間へと足を運んだのであった。
このことは家治は中奥へと急ぎ戻る際、その手前、焼火之間において芙蓉之間より出てきた忠福より伝えられたのであった。
家治一行が医師溜へと急ぐ姿を忠福は芙蓉之間より覗き見ており、それも焼火之間を通ったので、それならばもう一度、焼火之間を通って中奥へと戻るに相違あるまいと、忠福はそう当たりを付け、そこで佐野善左衛門の取調べは山川貞幹と池田修理に任せて、己は焼火之間において家治一行が再び、姿を見せるのを待機していたという訳だ。
結果、またしても忠福のその読みは当たり、忠福は焼火之間において急ぎ中奥へと戻る将軍・家治を掴まえると、今、芙蓉之間において当番目附の山川貞幹と池田修理の二人が意知に刃傷に及んだ狼藉者こと佐野善左衛門の取調べに当たっていることを伝えたのであった。
「さればその取調べにおいて、そなたの名が出るのも時間の問題であろうぞ…」
家治は治済に対して死刑を宣告するかの様な口調でそう告げた。
それは治済も勿論、分かっており、否、だからこそ些かも動ずる気配を見せなかった。何故なら佐野善左衛門の口から己の名が出ることはないことは明らかであったからだ。
「成程…、否、実に楽しみでござりまするなぁ…」
治済は不敵な笑みを浮かべつつ、そう応じたのであった。
家治一行は中奥から表向へと急いだ際、中奥においては御膳建入頬から笹之間廊下を通ったのだが、その道筋は御三卿詰所の御控座鋪から小庭を挟んで臨むことが出来たからだ。
御控座鋪もまた、平素、襖や障子といった遮蔽物の類は一切なく、開け放たれた状態であるので、その御控座鋪に詰めている御三卿は家治一行が表向へと急ぐ姿を窺うことが出来た。
「何やら慌しい御様子でしたなぁ…」
一橋治済は素知らぬ顔でそう呟いた。無論、今しがた清水重好と共に目撃した家治一行を捉えての呟きであった。
すると治済のその呟きを耳にした重好も、「左様」と応ずるや、
「方角からして、どうやら表向に急がれた様ですな…」
重好はそう言葉を重ねた。
「されば…、表向にて何か異変があったのやも…」
その「異変」の正体が何であるのか、治済には勿論、見当が付いていたものの、しかしここで治済が自らの口で「異変」の正体を明らかにする訳にはゆかず、そこで替わりに御三卿家老に表向の様子を探らせることにした。
今日3月24日、一橋家においては御城に登城する家老は水谷勝富であり、今、中奥にある御三卿家老の詰所には勝富の姿があった。
そこで治済は席を立ち、御控座鋪より御三卿家老の詰所へと足を運ぶと、そこに詰めていた勝富に対して、家治一行の件を伝えた上で、表向の様子を探ってくれる様、頼んだ。
御三卿家老は一応、表向役人ではあるが、ここ中奥に詰所が与えられていることもあり、表向役人の中でも旗本役であるこの御三卿家老は唯一、中奥と表向とを自由に往来することが許されており、表向の様子を探らせるにはうってつけと言えよう。
その御三卿家老は御三卿の監視役としての側面があり、殊に水谷勝富はその意識が強かったが、しかしだからと言って、御三卿の家臣としての側面は全くないという訳ではなかった。
無論、御三卿が家老に対して無体な求めをすれば、家老はそれを撥ね退けることが出来たが、しかしそうでない場合、即ち、真っ当な求めであればこれに応じなければならない。
そして表向の様子を探って欲しい、との治済の求めは至極、真っ当な部類に属するので、水谷勝富としてもこれに応じざるを得なかった。
だが生憎と、水谷勝富は表向に伝手がなく、如何にして表向の情報を仕入れるか呻吟していると、清水家の家老、本多讃岐守昌忠がそうと察して、「それなれば…」と自らが表向の様子を探ると、治済に申出たのであった。
本多昌忠の息・彌三郎忠幹は本丸小姓組番士、つまりは表向の殿中を警備するのを職掌としており、しかも都合の良いことに本多彌三郎の今日の勤務は朝五つ(午前8時頃)から昼八つ(午後2時頃)までの朝番であり、そうであれば昼の九つ半(午後1時頃)を四半刻も過ぎようとしていた今は正に勤務の最中であり、その様な彌三郎であれば表向において何があったのか知っているやもしれなかった。
治済もそこで本多昌忠を頼ることにし、「それなれば宜しく頼む」と昌忠を送出し、御控座鋪へと戻ると、重好にもその旨、伝えた。本多昌忠は重好が主を務める清水家に仕える家老だからだ。
その本多昌忠は表向へと足を運ぶと、倅・彌三郎が詰めているに違いない紅葉之間へと足を運んだ。
その際、紅葉之間とは小十人番所と共に入頬を挟んだ医師溜には家治一行の姿が窺えた。
だとすると、家治が自ら足を運ばせる程の御仁が、それも表向にいた者が患者として医師溜に運び込まれたことを示唆しており、その御仁が誰なのか、相当、絞られる。
「御老中の田沼様か、或いは息にして御若年寄の山城守様が医師溜に運び込まれたのではあるまいか?」
昌忠は紅葉之間に入り、倅・彌三郎を掴まえると、彌三郎にそうぶつけた。
すると彌三郎より、左肩より出血する若年寄の意知が医師溜へと入ったことが告げられたのだ。
左肩より出血していたとなれば、それは誰かに斬られたことを意味していた。
尤も、意知は自力歩行で医師溜に入ったとのことで、命に別状はないらしい。
昌忠は倅・彌三郎より若年寄の田沼意知が斬られたとの情報を仕入れるや、再び、中奥へと急ぎ戻り、御控座鋪に詰める治済と、それに重好に対してその旨、伝えたのであった。
ちなみに家治が医師溜において、治療の名の下に意知を殺害に及ぼうとした峰岸瑞興と關本壽熈、両名の逮捕を指示したのはその直後―、昌忠が中奥へと急いだ直後のことであった。
家治も昌忠の後を追う様に中奥へと戻り、その際、家治は御控座鋪の方へと目をやり、すると御控座鋪においては清水家老の本多昌忠が一橋治済と清水重好を相手に何か話している様子が窺えた。
一体、何を話しているのか、家治には見当も付かなかったが、しかし立止まらずに真直ぐ御休息之間へと戻ると、政務を執っていた下段ではなく上段に鎮座し、その後を追って来た側用人の水野忠友に対して、一橋治済をここ御休息之間のそれも下段ではなく、下段に面した入頬に召出す様、命じた。
それだけでも家治の怒りが感じ取られた。いつもの気さくな家治なれば上段ではなく下段にて「面会人」と逢う筈であったからだ。
それが今は己は上段に鎮座し、面会人たる一橋治済には下段に立入ることは許さず、その入頬に控えさせようとは、如何に治済に対する怒りが深いか、忠友には容易に感じ取られた。
兎も角、忠友は家治の怒りの炎のその火の粉が己にまで降掛からぬうち、急ぎ御控座鋪へと向かった。
御控座鋪においては幸い、未だ、治済の姿があり、忠友は治済に対して、
「上様が御逢いになりたいそうです…」
そう告げて、治済を御休息之間へと案内した。
治済は忠友の案内により萩之御廊下を通って御休息之間下段に面した入頬に足を踏み入れ、すると下段を挟んで上段には将軍・家治の姿があったので、治済は当然の如く、入頬より下段へと足を伸ばそうとしたその時であった。
「許さぬっ!」
家治の大音声が御休息之間に轟き、これにはさしもの治済もビクつかせた。
ここまで治済を案内し、その上で既に入頬に控えていた忠友も勿論、家治の大音声にはビクつかされたが、それでも何とか平静を取戻すと、治済に入頬に控えるよう伝えた。
次期将軍・家斉の岳父に当たる己を下段ではなく、その入頬に控えさせようとは、治済にとっては大いなる屈辱であった。
無論、入頬とは言え、板敷ではなく、きちんと畳が敷詰められてはいるものの、それでも上段に家治がいるならば、治済は下段に控えさせるべきであろう。それを入頬に控えさせようとは、粗略な扱いに外ならない。
それでも、それが将軍・家治の意向であるならば、如何に治済と雖も、これに従わざるを得ず、治済は屈辱感と闘いつつ、入頬に控えた。
すると家治はそんな治済に更に追撃ちを掛ける様に、治済の背後に控えていた忠友に対して、下段に控える様、命じたのであった。
これは治済を忠友の下に位置付けることを意味しており、治済にとってはこの上ない屈辱であった。
忠友も治済を差置いて下段に控えれば、治済に逆怨みされる可能性が高かったからだ。
否、間違いなく逆怨みされるであろう。そうなれば粘着質な治済のことである。今日、己が受けた仕打ち、屈辱は終生、忘れ得ぬであろう。
そして家斉が家治の後を襲い、将軍となった暁には治済は今日のこの仕打ち、屈辱の怨みを晴らさんとするに違いない。
つまりは忠友に対して罰を与えるに違いない。
それ故、忠友は治済を差置いて下段へと足を踏み入れることを躊躇したのだが、しかしそれが将軍・家治の意向であるならば、やはりこれに従わざるを得ず、足取り重く、下段へと移った。
こうして家治は下段に忠友を控えさせた上で、その忠友よりも更に上段から離れた入頬に控える治済に対して、
「治済よ…、そなた、意知を殺そうとしたな?」
そう単刀直入にぶつけた。
これに対して治済は家治から斯かる仕打ち、屈辱を与えられた時から半ば、家治からそう問われるのを予期していたので、
「一体、何のことで?」
そう惚けてみせた。
「惚けるでない…、意知暗殺に失敗せし折には表番医師の峰岸春庵めと關本春臺めを使嗾して、治療の名の下に意知を殺させようとしたではあるまいか…、峰岸春庵めと關本春臺めが、そなたにそう命じられたと白状に及んだぞ…」
「峰岸某や關本某やらが何を申立てようとも、この治済、一切、関わりなきこと故…」
治済がそう白を切るであろうことは家治も予期していたので、「まぁ良い」と家治はその場においてはそう引取って見せた。
家治はその上で治済に対して、
「いずれ、意知に刃傷に及びし番士よりも、そなたの名が聞かれるに相違あるまいて…」
その時こそ、お前の息の根が止まる時だと、そう示唆したのであった。
だが治済はやはり慌てた素振りを見せず、それどころかむしろそれを望んでいるかの様な素振りさえ覗かせた程であった。
家治はそれを治済の虚勢だと誤解した。
無論、それは治済の虚勢などではなく、実際、治済は意知に刃傷に及んだ番士、もとい新番士の佐野善左衛門の詮議を心待ちにしていたのだ。
「田沼山城めに刃傷に及びしは番士でござりましたか…」
治済は大仰なまでにそう驚いてみせた。
家治は内心、「この野郎…」と毒づいたものの、それでも口には出さず、
「太刀にて斬り付けられたとのこと…、されば番士と視て間違いなかろう…」
そう応じたのであった。
「成程…、殿中に太刀を帯びることが許されしは番士のみにて…、してその番士が身柄は今は目附が?」
「否、目附は意知が番士に襲われる現場に際会せしも、これを助けず、それどころか傍観しており…、されば斯かる目附に番士の身柄を預ける訳にはゆかず…」
「成程…、監察対象となるやも知れぬ目附に番士の身柄を預ける訳にはゆかぬ、と…、盗人に盗人を捕えさせる訳にはゆかぬ、と…」
随分な比喩であったが、しかし間違ってはいなかった。
「左様…、否、今頃は別の目附が…、当番の目附の山川貞幹と池田長惠が芙蓉之間にて彼の番士を取調べている頃であろうが…」
意知を見殺しにしようとした目附は朝五つ(午前8時頃)から昼八つ(午後2時頃)までの勤務の朝番であり、そこで昼八つ(午後2時頃)から宵五つ(午後8時頃)までの勤務の当番の目附が彼の番士、即ち、新番士の佐野善左衛門の取調べに当たっている頃であった。
「芙蓉之間と申さば、奏者番やその筆頭の寺社奉行、それに留守居や大目付らの殿中席ではござりませぬか…」
その様な格式のある座敷において罪人の取調べをさせているのかと、治済は家治の処置を非難した。
「されば意知を番士の兇刃より救いし中奥小姓の津田信久と菊間縁頬の峯山藩主の京極高久の両名より、彼の番士の身柄を引受けしが奏者番の松平忠福と松平乗完の両名なれば…」
松平忠福と松平乗完は羽目之間より己の殿中席へと彼の番士、もとい佐野善左衛門を芙蓉之間へと引っ立て、その際、羽目之間の直ぐ隣の中之間に向かって、これより若年寄に刃傷に及びし狼藉者を芙蓉之間へと引っ立てる旨、鬨を上げたそうな。
中之間や、更にその先の桔梗之間や、或いは焼火之間には未だ目附が―、意知を見殺しにしようとした朝番の目附がいるものと、忠福はそう見越して鬨を上げたのであった。
すると忠福が予期した通り、中之間には松平田宮と跡部大膳が、その先の桔梗之間には井上正在と安藤郷右衛門、末吉善左衛門と柳生久通がおり、彼等、意知を見殺しにしようとした6人の朝番の目附は忠福の斯かる鬨を耳にするや、その中の一人である安藤郷右衛門が目附部屋へと走り、そこに既に詰めていた当番の山川下總守貞幹と池田修理長惠の二人の目附に事件の顚末の第一報を入れたのであった。
安藤郷右衛門に限らず、意知が襲われる現場に際会しながらも、意知を助けずに見殺しにしようとした目附はその非違により、これより己が監察対象になることを覚悟しており、そうであれば到底、佐野善左衛門の取調べなどに当たれるものではないとも覚悟していた。
安藤郷右衛門も勿論、そうであり、その場合、外の目附に佐野善左衛門の取調べを任せることになる。
そしてその外の目附は既に目附部屋に詰めていたが、しかし、事件の現場には際会しなかった当番の目附を措いて外にはおらず、その当番目附こそが山川貞幹と池田修理であった。
そこで安藤郷右衛門は目附部屋へと急ぎ、そこで山川貞幹と池田修理の二人を掴まえると、事件の第一報を入れた上で、意知に刃傷に及んだ狼藉者、こと佐野善左衛門の身柄が芙蓉之間へと移されたことをも伝えたのであった。
山川貞幹と池田修理もそれを受けて芙蓉之間へと急ぎ、そこで佐野善左衛門を捉えた。
斯かる狼藉者が誰なのか、山川貞幹にしろ、池田修理にしろ、勿論、見当も付かなかったが、しかし芙蓉之間においては相変わらず松平忠福と松平乗完とによって両腕を押さえられたままの者がいたので、その者こそが若年寄の意知に刃傷に及んだ狼藉者、こと佐野善左衛門だと察せられた。
否、本来ならば忠福自らが目附部屋へと走り、当番の目附に事件の第一報を入れたいところであった。
忠福にしてもまた、意知を見殺しにしようとした朝番の目附には取調べに当たれないだろうと察していたからだ。
しかし、忠福では無理であった。それと言うのも目附部屋に入れるのは目附当人を除いては配下の徒目附と小人目附、それに奥・表の両右筆と坊主以外は入室を許されてはいなかったからだ。
目附の直属の上司である若年寄は元より、老中さえも目附部屋へは入れず、そうであれば一介の奏者番の忠福は勿論、目附部屋へは入れず、そこで彼の番士の身柄を芙蓉之間へと移送することを意知を見殺しにしようとした朝番より、当番の目附へと伝えて貰おうと、斯かる鬨を上げたのであった。
意知を見殺しにしようとした目附の中でも一人ぐらいは、せめてもの罪滅ぼしにという訳でもなかろうが、目附部屋へと走ってくれるに違いないと、忠福はそうも期待しており、結果、その期待は当たり、当番目附の山川貞幹と池田修理の二人が安藤郷右衛門よりの報せを受けて芙蓉之間へと足を運んだのであった。
このことは家治は中奥へと急ぎ戻る際、その手前、焼火之間において芙蓉之間より出てきた忠福より伝えられたのであった。
家治一行が医師溜へと急ぐ姿を忠福は芙蓉之間より覗き見ており、それも焼火之間を通ったので、それならばもう一度、焼火之間を通って中奥へと戻るに相違あるまいと、忠福はそう当たりを付け、そこで佐野善左衛門の取調べは山川貞幹と池田修理に任せて、己は焼火之間において家治一行が再び、姿を見せるのを待機していたという訳だ。
結果、またしても忠福のその読みは当たり、忠福は焼火之間において急ぎ中奥へと戻る将軍・家治を掴まえると、今、芙蓉之間において当番目附の山川貞幹と池田修理の二人が意知に刃傷に及んだ狼藉者こと佐野善左衛門の取調べに当たっていることを伝えたのであった。
「さればその取調べにおいて、そなたの名が出るのも時間の問題であろうぞ…」
家治は治済に対して死刑を宣告するかの様な口調でそう告げた。
それは治済も勿論、分かっており、否、だからこそ些かも動ずる気配を見せなかった。何故なら佐野善左衛門の口から己の名が出ることはないことは明らかであったからだ。
「成程…、否、実に楽しみでござりまするなぁ…」
治済は不敵な笑みを浮かべつつ、そう応じたのであった。
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