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田沼意知暗殺への大詰め ~太田資愛への「手入」、そして資愛は意知暗殺の具体的な段取りについて一橋治済にアドバイスを送る~

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 ちょうどそのころ―、佐野さの善左衛門ぜんざえもん一橋ひとつばし治済はるさだ仕掛しかけたわなまり、総計そうけい620両もの金子きんすくわえて系図けいずまで掠奪りゃくだつされたころとう治済はるさだ今度こんど若年寄わかどしより太田おおた備後守びんごのかみ資愛すけよしへの「手入ていれ」に乗出のりだした。

 それは恒例こうれい上巳じょうし節句せっくの2日後―、天明4(1784)年3月5日のことであった。

 その前日ぜんじつの4日に酒井さかい忠休ただよし太田おおた資愛すけよしたいして、

一橋ひとつばし民部卿様みんぶのきょうさまが、そこもとに御逢おあいしたいそうな…」

 治済はるさだいたがっているとそうささやき、今日きょうの「面会デート」にけたのであった。

 太田おおた資愛すけよし西之丸にしのまるした上屋敷かみやしきかまえていたので、そこで下城げじょうにいったん西之丸にしのまるしたにある上屋敷かみやしきへと帰宅後きたくごふたた上屋敷かみやしきて、それも今度こんど従者じゅうしゃけずに一人ひとり屋敷やしき大手おおて門外もんそとにて酒井さかい忠休ただよし落合おちあった。

 酒井さかい忠休ただよしもまた一人ひとりだけであり、二人ふたりだけで治済はるさだ福井ふくいはん上屋敷かみやしきおとずれたのであった。

 重富しげとみ治済はるさだ兄弟きょうだいは、とりわけ治済はるさだ忠休ただよし資愛すけよし歓迎かんげいした。

 もっとも、治済はるさだはそのにおいては資愛すけよしたいして「本題ほんだい」を切出きりだすことはなかった。

 治済はるさだ資愛すけよしとははじめての「面会デート」であり、

たりさわりのない…」

 雑談ざつだんきょうじただけであり、田沼たぬま意知おきともおきさなかった。

 その治済はるさだはじめて意知おきともしたのがはじめての「面会デート」の翌々日よくよくじつの3月7日であった。

 この資愛すけよしにとっては對客たいきゃくたる。

 今月こんげつ3月は若年寄わかどしよりにおいては加納かのう久堅ひさかた月番つきばんであり、それゆえ久堅ひさかた以外いがい若年寄わかどしより非番月ひばんづきということになり、太田おおた資愛すけよし勿論もちろん、そのなか一人ひとりであった。

 そして非番ひばんづきにおいては非番月ひばんづき對客たいきゃく―、登城前とじょうまえ陳情ちんじょうきゃく相手あいてをしてやらなければならない月番つきばんにおける用番月ようばんづき對客たいきゃくとはべつにもうけられていた。

 この非番月ひばんづき對客たいきゃくだが、資愛すけよし場合ばあいは7日と23日であり、3月7日の今日きょうまさにその對客たいきゃくたる。

 だが資愛すけよし忠休同様ただよしどうよう意知おきともあらたに中奥兼帯なかおくけんたい若年寄わかどしよりいてからというもの、とんと陳情ちんじょうきゃくめぐまれなくなった。

 それはほかでもない、それまで忠休ただよし資愛すけよしもとへとあしはこんでいた陳情ちんじょうきゃく意知おきとももとへとあしはこようになったためであり、資愛すけよし現職げんしょく若年寄わかどしより、それも筆頭ひっとうである忠休ただよし位置いちにいながらも、その門前もんぜんにおいては閑古鳥かんこどりいていた。

 治済はるさだはそのことを忠休ただよしより耳打みみうちされていたので、そこで7日の2回目の「面会デート」において治済はるさだはじめて資愛すけよしたいして意知おきともしたのであった。

 もっとも、意知おきともの「専横せんおうぶり」について資愛すけよし同意どういもとめただけであり、意知暗殺計画おきともあんさつけいかくまでは打明うちあけなかった。

 治済はるさだ資愛すけよし意知暗殺計画おきともあんさつけいかく打明うちあけたのは3月9日、3回目の「面会デート」においてであった。

 資愛すけよしはじめは流石さすがおどろいてみせたものの、しかし最終的さいしゅうてきには意知暗殺計画おきともあんさつけいかく同意どういした。

 いや三卿さんきょうたる一橋ひとつばし治済はるさだより意知暗殺計画おきともあんさつけいかく打明うちあけられながら、これを拒否きょひしようものならいのちはないと、資愛すけよしはそうおそれたためであった。

 それに資愛すけよしもまた、忠休ただよし同様どうよう意知おきとも目障めざわりにおもっていたところで、治済はるさだ意知暗殺計画おきともあんさつけいかくの「絵図えず」をいてくれるのなら、わたりにふねであった。

 問題もんだい加納かのう久堅ひさかた存在そんざいであった。久堅ひさかたなれば意知おきとも佐野さの善左衛門ぜんざえもんなる新番しんばんからやいばけられれば、つ、その居合いあわせようものなら、それこそ、

身体からだってでも…」

 意知おきともまもろうとするであろう。

 いや、だからこそ治済はるさだ意知暗殺計画おきともあんさつけいかく実行じっこううつつきとして、久堅ひさかた月番つきばんつとめる今月こんげつ3月をえらんだのであろう。月番つきばんともなればなにかといそがしく、久堅ひさかた意知おきともからはなすきしょうずる。

 だがそれよりも確実かくじつなのは久堅ひさかた御城えどじょう本丸ほんまるにいないことである。

 久堅ひさかたがそもそも御城えどじょう本丸ほんまるにいないおり見計みはからい、佐野さの善左衛門ぜんざえもん意知おきともへとやいばけさせれば、若年寄わかどしよりなかには久堅ひさかたように、

身体からだって…」

 意知おきともまもろうとするものだれもおらず、確実かくじつ佐野さの善左衛門ぜんざえもん意知おきとも仕留しとめさせることが出来できる。

 そこで資愛すけよしはそのための「手筈てはず」についてかんがえ、11日の4回目の「面会デート」のおり治済はるさだつたえたのであった。

「さればその―、佐野さの善左衛門ぜんざえもんなる新番しんばん田沼たぬま山城やましろめを討果うちはたさせるおりには加納かのう遠江とおとうみ西之丸にしのまるへとさせて如何いかがでござりましょう…」

 資愛すけよし治済はるさだに、それに陪席ばいせきする忠休ただよしにもそう切出きりだすと、さらくわしい段取だんどりについてかたってかせた。

 すなわち、佐野さの善左衛門ぜんざえもんには老中ろうじゅうが「まわり」をえ、若年寄わかどしより昼飯ひるめしるべくしも部屋べやへとかううま下刻げこくすなわち、ひるの九つ半(午後1時頃)に意知おきとも仕留しとめさせることにする。

 そのさいしも部屋べやへとかう若年寄わかどしより一党いっとうなか標的ターゲットである田沼たぬま山城守やましろのかみ意知おきともとも加納かのう遠江守とおとうみのかみ久堅ひさかた姿すがたもあろうが、しかしその加納かのう久堅ひさかただけを本丸ほんまるにて老中ろうじゅうの「まわり」がはじまる昼九つ(正午頃)よりまえ昼前ひるまえ西之丸にしのまるへと召出めしだし、そしてひるの九つ半(午後1時頃)ぎまで西之丸にしのまるにてその身柄みがら拘束こうそくさせるのである。

 資愛すけよしのその計画プランについて治済はるさだ忠休ただよしもまずは「成程なるほど」とこえげた。

 成程なるほど加納かのう久堅ひさかたひるの九つ半(午後1時頃)ぎまで西之丸にしのまる留置とめおけば、本丸ほんまるへともどるのはどんなにはやくともひるの九つ半(午後1時頃)を四半刻しはんとき(約30分)もまわったころであろう。

 そのときにはすで佐野さの善左衛門ぜんざえもん意知おきとも討果うちはたしえているころちがいない。

 ひるの九つ半(午後1時頃)、意知おきともほか若年寄わかどしより、と言っても意知暗殺おきともあんさつたくら忠休ただよし資愛すけよし、それに意知暗殺計画おきともあんさつけいかくとは無関係むかんけいだが、さりとて久堅ひさかたごと意知おきとも身体からだってまでまもることもないであろう米倉よねくら丹後守たんごのかみ昌晴まさはるの3人ととも昼飯ひるめしるべくしも部屋べやへとかうところを佐野さの善左衛門ぜんざえもんおそわせるからだ。

 だが問題もんだい如何いかにしてその時分じぶん―、意知暗殺おきともあんさつまえ加納かのう久堅ひさかた西之丸にしのまるへと召出めしだし、そして佐野さの善左衛門ぜんざえもん意知おきとも討果うちはたすまでのあいだにかけて久堅ひさかた西之丸にしのまる留置とめおくかであり、治済はるさだはそのてん資愛すけよしただした。

 すると資愛すけよしはそのてんについてもかりはなかった。

 すなわち、次期じき将軍しょうぐん家斉いえなり将来しょうらいそなえて―、将軍しょうぐんしょくぐにたり、いまうちから政事まつりごとについて勉強べんきょうしたいので、ついては若年寄わかどしより意見いけんきたい―、かる名目めいもく若年寄わかどしより召出めしだすことにすれば、それには月番つきばん若年寄わかどしよりが「家庭かてい教師きょうし」としてえらばれ、つ、昼前ひるまえから昼過ひるすぎにかけてが「勉強べんきょう時間じかん」に割当わりあてられる。

 そうすれば今月こんげつで言えば月番つきばん加納かのう久堅ひさかた西之丸にしのまるへと、意知おきとも暗殺前あんさつまえからその直後ちょくごにかけて西之丸にしのまるにて留置とめおくことが出来できる。

 資愛すけよしえがいたこの計画プランにはさしもの治済はるさだもとより、忠休ただよしうならされたものである。

 だがそれでも今度こんど西之丸にしのまる事情じじょうにはうと忠休ただよしがもうひとつの疑問ぎもん、それも最後さいごにして最大さいだい問題もんだい気付きづき、そのてん資愛すけよしただした。

 すなわち、如何いかにして家斉いえなりにそう言わせるか―、若年寄わかどしよりから政事まつりごとについてまなびたいと言わせるかであった。

 いや家斉いえなりにそう言わせるのは比較的ひかくてき容易よういであった。

 なにしろ家斉いえなり治済はるさだ実子じっしであり、しかも治済はるさだ三卿さんきょうとして西之丸にしのまるへの登城とじょうゆるされていた。

 そこで治済はるさだ西之丸にしのまるへと登城とじょうし、治済はるさだみずかである家斉いえなり将来しょうらいそなえていまうちから政事まつりごとについて若年寄わかどしよりからまなんではどうかと、そうすすめれば、ちち治済はるさだ言付いいつけならばなんでもしたが家斉いえなりのことである、家斉いえなりかならずやそれにもしたがい、若年寄わかどしよりから政事まつりごとについてまなびたいと言うことであろう。

 だが問題もんだいそば用取次ようとりつぎ存在そんざいであった。

 如何いか家斉いえなりがそう申出もうしでたところでそば用取次ようとりつぎ反対はんたいされれば、本丸ほんまる若年寄わかどしよりを、それも加納かのう久堅ひさかた西之丸にしのまるへとまねくことは容易よういではない。

 無論むろん最終的さいしゅうてきには次期じき将軍しょうぐんたる家斉いえなり意向いこう優先ゆうせんするが、しかしそば用取次ようとりつぎ意向いこうはんしてまで本丸ほんまる若年寄わかどしより西之丸にしのまるへとまねこうとすれば、だれにするか、その人選じんせんそば用取次ようとりつぎゆだねられることとなり、その場合ばあい加納かのう久堅ひさかたではなくべつ若年寄わかどしよりが「家庭かてい教師きょうし」にえらばれ、つまりは西之丸にしのまるまねかれるおそれもあり、そうなれば意知暗殺計画おきともあんさつけいかくはおじゃんである。

 そこで忠休ただよしそば用取次ようとりつぎ存在そんざいについて資愛すけよしただしたのであったが、資愛すけよし相変あいかわらず余裕よゆう表情ひょうじょうであった。いや、それは治済はるさだ同様どうようであった。それもそのはず

「さればおそおおくも大納言だいなごんさま側近そばちかくにつかたてまつりし用取次ようとりつぎ一人ひとり佐野さの右兵衛尉うひょうえのじょう茂承もちつぐ叔父おじ日向守ひゅうがのかみ茂幸もちゆき養父ようふなれば…」

 資愛すけよしはそうこたえてみせると、じつ叔父おじである茂幸もちゆきかいして、その養父ようふにして家斉いえなりそば用取次ようとりつぎつとめる佐野さの茂承もちつぐより家斉いえなりへとそうすすめることさえも可能かのうであることをにおわせた。

 いや、それだけではない。資愛すけよしは、それに忠休ただよしにもまることだが、家斉いえなり側近そばちかくにつかえる用取次ようとりつぎには今一人いまひとりかつ治済はるさだそそのかされて家基暗殺いえもとあんさつした小笠原おがさわら若狭守わかさのかみ信喜のぶよしもいるのである。

 そこでこの佐野さの茂承もちつぐ小笠原おがさわら信喜のぶよし二人ふたりそば用取次ようとりつぎより家斉いえなりへと、

政事まつりごとについていまうちから若年寄わかどしよりからまなばれては…」

 ついては今月こんげつ3月が月番つきばん加納かのう久堅ひさかたよりまなばれてはと、そうすすめさせることも可能かのうであり、そうすればやはり家斉いえなりはそれにもしたがはずであった。

 いや家斉いえなりつかえる西之丸にしのまるそば用取次ようとりつぎには今一人いまひとり田沼たぬま能登守のとのかみ意致おきむねがいたが、佐野さの茂承もちつぐ小笠原おがさわら信喜のぶよし二人ふたり意見いけんおなじくすれば、田沼たぬま意致おきむねなにえようとも、それは所詮しょせんいぬ遠吠とおぼえにぎまい。

 ともあれ治済はるさだ資愛すけよしとそれに忠休ただよしたいして小笠原おがさわら信喜のぶよしとはしたしいとだけつたえ、そこで佐野さの茂承もちつぐへの「手入ていれ」については資愛すけよしまかせることにし、小笠原おがさわら信喜のぶよしへの「手入ていれ」についてはおのれほう引受ひきうけると、資愛すけよし約束やくそくした。

成程なるほど…、なれど本丸ほんまる若年寄わかどしより西之丸にしのまるへとまねくには今一人いまひとり上様うえさま…、家治公いえはるこうゆるしがなくば、不可能ふかのうでは?」

 忠休ただよしさらにそう疑問ぎもんていした。

 成程なるほど本丸ほんまる若年寄わかどしより本丸ほんまる盟主めいしゅたる将軍しょうぐん家治いえはる家臣かしんであるので、その本丸ほんまる若年寄わかどしより西之丸にしのまるへとまねこうとすれば、将軍しょうぐんたる家治いえはるゆるしが必要ひつようであった。

「さればいまうちから政事まつりごとまなびたい、ついては若年寄わかどしよりからまなびたいので、若年寄わかどしより西之丸にしのまるへとまねきたい、との家斉いえなり申出もうしで自体じたい家治公いえはるこうとて至当しとうみとめざるをず、その場合ばあい家治公いえはるこうのこと、かならずや若年寄わかどしより意見いけんもとめるであろうから、そのさい、そなたたちより、それなればと、月番つきばん若年寄わかどしよりを…、つまりは加納かのう遠江とおとうみめを推挙すいきょしてもらいたい…」

 若年寄わかどしより筆頭ひっとう酒井さかい忠休ただよしとそれに太田おおた資愛すけよしそろって月番つきばん若年寄わかどしよりを、つまりは加納かのう久堅ひさかたを「家庭かてい教師きょうし」に推挙すいきょすれば家治いえはるもこれをみとめざるをまいと、治済はるさだはそんな見立みたてをくちにし、今度こんどこそ忠休ただよし納得なっとくした。
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