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閑話 領主として領民を慈しむ佐野善左衛門政言はそれゆえにドツボにハマる。そして偽造受領書…。

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 そのころ佐野さの善左衛門ぜんざえもん播磨屋はりまや奥座敷おくざしきにて七草粥ななくさがゆ舌鼓したつづみっていた。

 そして新右衛門しんえもん一橋家ひとつばしけ上屋敷かみやしきよりたなへともどり、ふたた佐野さの善左衛門ぜんざえもんのいる奥座敷おくざしきへとあしはこぶと、ちょうど善左衛門ぜんざえもん七草粥ななくさがゆたいらげたところであった。

「あっ、これは播磨屋はりまや殿どの…」

 善左衛門ぜんざえもんはしくと、新右衛門しんえもん見上みあげた。

七草粥ななくさがゆあじ如何いかがでござりましたかな?」

 新右衛門しんえもん善左衛門ぜんざえもんかいうなり、そうたずねた。

大変たいへん美味おいしくいただき…、馳走ちそうになりもうした…」

 善左衛門ぜんざえもんはそう感謝かんしゃ言葉ことばくちにすると新右衛門しんえもんあたまげたので、これには新右衛門しんえもんおおいに恐縮きょうしゅくさせられた。

 それから新右衛門しんえもん女中じょちゅうめいじて善左衛門ぜんざえもんぜんげさせると、「ときに佐野さのさま…」と切出きりだした。

商人あきんど分際ぶんざい差出さしでがましゅうはござりまするが…、豊作ほうさくおりなどには五公五民ごこうごみんあるいは六公四民ろくこうしみんになされましては如何いかがでござりましょう…」

 年貢ねんぐ徴収ちょうしゅうりつげてはどうかと、新右衛門しんえもん善左衛門ぜんざえもんにそう進言アドバイスをしたのであった。

 成程なるほど、それは善左衛門ぜんざえもんかんがえぬではなかった。

 いまよりも年貢ねんぐ徴収ちょうしゅうりつげれば、この播磨屋はりまやへの「積立貯蓄つみたてちょちく」もたとえばねん10両から20両へと、ばいがく積立つみたてることが可能かのうとなろう。

 善左衛門ぜんざえもん政言まさことりょうする都賀つがぐん肥沃ひよくであり、こめあじく、ほか一般的いっぱんてき産地さんちこめくらべて若干じゃっかんだが、高値たかね取引とりひきされていた。

 ならせば1石につき1両2分といったところであろうか。だからこそ、善左衛門ぜんざえもん政言まさことは、いや佐野さの善左衛門家ぜんざえもんけにおいては豊作ほうさくおりにもかた四公六民しこうろくみんまもることが出来できたのだ。

 豊作ほうさくおりには流石さすがこめがると言っても、それでも佐野さの善左衛門家ぜんざえもんけりょうする都賀つがより収穫しゅうかくされるこめかぎって言えば1石1両をくだることはないからだ。

 そしてぎゃく一昨年おととしの天明2(1782)年から去年きょねんの天明3(1783)年にかけての飢饉ききん所謂いわゆる、「天明てんめい飢饉ききん」のおりには、

零公十民れいこうとうみん

 つまりは年貢ねんぐ徴収ちょうしゅうせずとも家計かけい維持出来いじでき、のみならず10両の「積立貯蓄つみたてちょちく」へとまわ余裕よゆうもまった。

 だがそれを、ほか旗本はたもと同様どうよう豊作ほうさくおりには領民りょうみんからいままで以上いじょう年貢ねんぐ取立とりたてれば、毎年まいとし10両ずつの「積立貯蓄つみたてちょちくについても、いままで以上いじょうに、それもばいの20両を積立つみたてることが出来できよう

 そして毎年まいとし積立額つみたてがくえれば、それはそのまま利息りそく反映はんえいされる。

 いま善左衛門ぜんざえもんは「積立貯蓄つみたてちょちく」のうちから200両を取崩とりくずしたために、のこりの「積立貯蓄つみたてちょちく」のがくは366両にってしまい、そこに10両を積立つみたてれば376両となり、そこに1割の利息りそくいて今年ことし年末ねんまつには元利がんり合計ごうけい414両にける。

 だがそれがかりに20両を積立つみたてることが出来できればどうなるか。

 その場合ばあいには386両に1割の利息りそくき、すると年末ねんまつける元利がんり合計ごうけいは425両となり、1両も利息りそくちがってくる。

 新右衛門しんえもんはそれゆえ善左衛門ぜんざえもん年貢ねんぐ徴収ちょうしゅうりつげることをすすめたのだ。そこには、

年貢ねんぐ徴収ちょうしゅうりつげることで財産ざいさんやせば、田沼たぬま意知様おきともさまへのまいないまわすおかねもそれだけやすことが出来できますよ…」

 そんな思惑おもわくめられてもいた。

 それは善左衛門ぜんざえもんかんがえたことであり、のみならず、その誘惑ゆうわくられもしたことであった。

 たしかに財産ざいさんやすことで、いままで以上いじょう多額たがく贈賄ぞうわいをすれば―、意知おきともへとかねをばらけば、より確実かくじつ立身出世りっしんしゅっせたせよう。

 だがそのために―、おの野望やぼうため領民りょうみんにじよう真似まねすくなくとも善左衛門ぜんざえもんには出来できなかった。

 年貢ねんぐ徴収ちょうしゅうりつげるということはひとえに、領民りょうみんから年貢ねんぐ収奪しゅうだつすることに、つまりは領民りょうみんにじることにほかならず、それはくにたからである領民りょうみん大事だいじにせよとの佐野家さのけ家訓かくんはんすることであったからだ。

播磨屋はりまや殿どの進言しんげん有難ありがたいが…、なれどそれだけは出来できぬ…」

 善左衛門ぜんざえもん新右衛門しんえもんからの進言アドバイス謝絶しゃぜつした。

 それから善左衛門ぜんざえもんは200両―、切餅きりもち8つがくるまれた風呂敷ふろしきかかえてせきった。

「まだひるの九つ半(午後1時頃)でござりまするが…」

 意知おきとも神田橋かんだばし門内もんない上屋敷かみやしきもどるにはまだ、一刻いっとき(約2時間)ほどあるが、と新右衛門しんえもん善左衛門ぜんざえもん見上みあげつつ、そう示唆しさした。

いや…、屋敷やしきにてゆえに…」

 善左衛門ぜんざえもんはそうこたえた。それはうそではないが、正確性せいかくせいにはけていた。

 善左衛門ぜんざえもんがこれからおうとしているのは意知おきともではなく新番頭しんばんがしら松平まつだいら忠香ただよしだからだ。

 そして忠香ただよしならばひるの九つ半(午後1時頃)の今時分いまじぶんならばすで下谷したや廣小路ひろこうじにある屋鋪やしき帰宅きたくしているにちがいなく、かり帰宅きたくしていなかったとしても新右衛門しんえもんこたえたように、屋鋪やしきにてつつもりであった。

「さればこれにて…」

 善左衛門ぜんざえもん新右衛門しんえもんにそう挨拶あいさつして播磨屋はりまやをあとにした。

 日本橋にほんばし金吹かなふきちょうにある播磨屋はりまやをあとにした善左衛門ぜんざえもんはそれから、筋違すじかい御門ごもん目指めざしてあるき、そうして筋違すじかいもんくぐると、その門外もんそとへとつうずるはしわたり、筋違すじかい門外もんそとへとると、そこからさら下谷したや成街道なりかいどう真直まっすぐにすすんだ。

 そして下谷したや成街道なりかいどうすすむと、下谷したや廣小路ひろこうじ突当つきあたる。そこには忠香ただよし屋鋪やしきがあり、善左衛門ぜんざえもんかる道順ルート辿たとって忠香ただよし屋鋪やしきいたのは播磨屋はりまやてから四半刻しはんとき(約30分)程後ほどあとのことであった。

 その四半刻しはんとき程前ほどまえすなわち、善左衛門ぜんざえもん播磨屋はりまやひるの九つ半(午後1時頃)、忠香ただよし屋鋪やしきには先客せんきゃくがあった。

 ほかならぬ一橋ひとつばし治済はるさだが「懐刀ふところがたな」の岩本いわもと喜内きないであったが、無論むろん善左衛門ぜんざえもんはそんなことはよしもない。

 善左衛門ぜんざえもんなにらずに忠香ただよし屋鋪やしきもんくぐり、そんな善左衛門ぜんざえもん忠香ただよし歓待かんたいし、奥座敷おくざしきへと案内あんないした。

 その奥座敷おくざしきとなり別間べつまにおいては岩本いわもと喜内きないひかえていたわけだが、やはり善左衛門ぜんざえもんはそんなことはよしもない。

 こうして善左衛門ぜんざえもんとなり岩本いわもと喜内きない聞耳ききみみてているなか挨拶あいさつもそこそこ、大事だいじかかえてあつみのある風呂敷ふろしきまえ忠香ただよしへと差出さしだした。

「これは…」

 それが200両―、切餅きりもち8つがくるまれた風呂敷ふろしきであろうことは忠香ただよしにもかっていた。岩本いわもと喜内きないより事前じぜんに―、善左衛門ぜんざえもん直前ちょくぜん忠香ただよしたずねては、

今日きょうたり佐野さの善左衛門ぜんざえもんがまたまいないを…、意知おきともとどけてしいと、200両もの金子きんすとどけるであろう…」

 岩本いわもと喜内きない忠香ただよしにそうおしえていたからだ。

 それでも忠香ただよし素知そしらぬかおで、「これは?」とまえかれた風呂敷ふろしき中身なかみについて善左衛門ぜんざえもんたずねた。

 すると善左衛門ぜんざえもん忠香ただよし予期よきしたとおりのこたえを寄越よこした。

「されば山城守やましろのかみさまへと…」

 意知おきともわたしてしいと、善左衛門ぜんざえもん忠香ただよしにそう示唆しさしつつ、風呂敷ふろしきつつみをいた。

 つつみのなかからは忠香ただよしあらかじめ、岩本いわもと喜内きないよりおしえられたとおり、切餅きりもち8個、すなわち200両もの金子きんすかおのぞかせた。

「これは…、200両もあるではないか…」

 忠香ただよし一応いちおう善左衛門ぜんざえもん手前てまえおどろいてせた。

左様さよう…、さればその金子きんすにてなんとしてでも供弓ともゆみ推挙すいきょしていただたく…」

 しんばん3番組ばんぐみと4番組ばんぐみ参加さんかするつぎ鷹狩たかがりにおいて、そのうち、3番組ばんぐみぞくするおのれがまた供弓ともゆみえらばれるよう意知おきとも推挙すいきょしてしいと、善左衛門ぜんざえもん忠香ただよしにそうたのんでいたのだ。

承知しょうちつかまつった…、いや、200両もあれば間違まちがいなく供弓ともゆみ推挙すいきょされるであろうぞ…」

 忠香ただよし善左衛門ぜんざえもんにそう請合うけあってみせた。

 これで善左衛門ぜんざえもん自信じしん意気揚々いきようよう忠香ただよし屋鋪やしきをあとにした。

 それと同時どうじ別間べつまより岩本いわもと喜内きない奥座敷おくざしきへとかおのぞかせると、いましがた善左衛門ぜんざえもんいていった切餅きりもち8つのうち6つ、つまりは200両のうち150両を召上めしあげたのであった。

 忠香ただよしとしては150両も召上めしあげられていささ納得なっとく出来できおもいであった。

 しかし前回ぜんかい―、善左衛門ぜんざえもんより50両を巻上まきあげたさいには本来ほんらい村上むらかみ半左衛門はんざえもんとその50両を折半せっぱんすべきところ、忠香ただよしひとめにしたという「弱味よわみ」があったので、今回こんかいは150両を召上めしあげられてもいたかたないと、忠香ただよしおのれ納得なっとくさせた。

 一方いっぽう岩本いわもと喜内きないは150両をかかえて忠香ただよし屋鋪やしきをあとにすると、しかし一橋ひとつばし上屋敷かみやしきにはもどらずに本郷ほんごう御茶之水おちゃのみずへとかった。

 本郷ほんごう御茶之水おちゃのみずには宇田川うたがわ平七へいしち屋鋪やしきがあり、岩本いわもと喜内きない宇田川うたがわ平七へいしちたずねるべく、同所どうしょへとあしけたのであった。

 岩本いわもと喜内きない忠香ただよしから召上めしあげた150両だが、これは田沼家臣たぬまかしん、それも意知おきとも附属ふぞくする村上むらかみ半左衛門はんざえもん勝之進かつのしん父子ふしわたすべき金子きんすであった。

 前回ぜんかい引続ひきつづいて今回こんかいもまた、意知おきとも右筆ゆうひつつとめる村上むらかみ勝之進かつのしんには受領書じゅりょうしょを、それも今回こんかいは、

田沼たぬま意知おきともたしかに佐野さの善左衛門ぜんざえもん政言まさことより200両の金子きんす受領じゅりょうしました…」

 その受領書じゅりょうしょ偽造ぎぞうしてもらわねばならず、150両はそのための「報酬ほうしゅう」であった。

 前回ぜんかい―、佐野さの善左衛門ぜんざえもんより50両を巻上まきあげたさいには村上むらかみ半左衛門はんざえもん勝之進かつのしん父子ふしには、こと勝之進かつのしんには「ただばたらき」をさせてしまい、今回こんかいもまた「ただばたらき」をさせるわけにはいかない。

 今回こんかい佐野さの善左衛門ぜんざえもんから前回ぜんかいの4倍の金子きんす、200両も巻上まきあげておきながら、村上むらかみ半左衛門はんざえもん勝之進かつのしん父子ふしには今回こんかいもまた、

「びた一文いちもん…」

 はらわずに、せがれ勝之進かつのしんかる受領書じゅりょうしょ偽造ぎぞうさせようなどとは到底とうてい不可能ふかのうというものであろう。

 如何いか村上むらかみ半左衛門はんざえもん女婿じょせい宇田川うたがわ平七へいしちの「立身出世りっしんしゅっせ」をえさにしようとも、それでられるのは岳父がくふ村上むらかみ半左衛門はんざえもんであり、実際じっさい受領書じゅりょうしょ偽造ぎぞうする、わばあぶないはしわた勝之進かつのしんはそんなえさにはられまい。

 村上むらかみ勝之進かつのしんにとっては宇田川うたがわ平七へいしちはあくまで義兄ぎけいあねおっとぎず、岳父がくふたる村上むらかみ半左衛門はんざえもんくらべた場合ばあい宇田川うたがわ平七へいしちとのえんうすく、そのよう村上むらかみ勝之進かつのしんたいしては義兄ぎけい宇田川うたがわ平七へいしちの「立身出世りっしんしゅっせ」というえさ通用つうようしないであろう。

 それよりも150両という金子きんすなによりのえさちがいない。

 そうであれば岩本いわもと喜内きないとしてはいま村上むらかみ半左衛門はんざえもん勝之進かつのしん父子ふしわたすべき150両もの金子きんすかかえているわけだから、このまま神田橋かんだばし門内もんないにある田沼家たぬまけ上屋敷かみやしきへとあしはこび、そこでつとめている村上むらかみ半左衛門はんざえもんか、あるいはそのせがれ勝之進かつのしんにでも150両をわたすのが合理的ごうりてきと言えた。

 だがそれは出来できない相談そうだんというものであった。

 一橋ひとつばし家臣かしんである岩本いわもと喜内きないってみれば、

敵陣てきじん…」

 そうもしょうせられる田沼家たぬまけ上屋敷かみやしきへとノコノコと出向でむいて村上むらかみ半左衛門はんざえもんか、あるいはせがれ勝之進かつのしんなにがしかの「贈物おくりもの」をしようものなら、あっというに、

村上むらかみ半左衛門はんざえもん勝之進かつのしん父子ふし一橋家ひとつばしけ家臣かしんしたしい…」

 田沼たぬま家中かちゅうにそうとわたり、そうなれば意次おきつぐ意知おきとも父子ふしみみとどくのも時間じかん問題もんだいであろう。

 そしてその場合ばあいかん意次おきつぐ意知おきとものことである。村上むらかみ半左衛門はんざえもん勝之進かつのしん父子ふし一橋ひとつばし家臣かしん岩本いわもと喜内きないかいして、一橋家ひとつばしけ当主とうしゅたる治済はるさだしたしいと、そのことにまでおもいたるにちがいなく、だがそれは治済はるさだとしては、無論むろん、その「懐刀ふところがたな」の岩本いわもと喜内きないにとってもはなは都合つごうわるかった。

 なにしろ、村上むらかみ半左衛門はんざえもん勝之進かつのしん父子ふし一橋ひとつばし治済はるさだしたしいことは、それも治済はるさだいきかっていることは田沼家たぬまけには秘密ひみつであったからだ。

 かる次第しだい岩本いわもと喜内きないとしては田沼家たぬまけ上屋敷かみやしきへとあしはこわけにはゆかず、そこで宇田川うたがわ平七へいしち屋鋪やしきへとあしはこんだのであった。

 おのれわりに宇田川うたがわ平七へいしち田沼家たぬまけ上屋敷かみやしきへとあしはこんでもらためであった。

 すなわち、宇田川うたがわ平七へいしちより岳父がくふ村上むらかみ半左衛門はんざえもんへと150両をわたしてもらい、そのうえ宇田川うたがわ平七へいしちにとっては義弟ぎていたる村上むらかみ勝之進かつのしんくだん受領書じゅりょうしょ偽造ぎぞうたのんでもらためである。

 宇田川うたがわ平七へいしちならば村上むらかみ半左衛門はんざえもん勝之進かつのしん父子ふし接触せっしょくったところであやしまれず、ひいては治済はるさだいきかっているものと勘付かんづかれることもないからだ。

 かくして岩本いわもと喜内きない宇田川うたがわ平七へいしちかる依頼いらいをすべく本郷ほんごう御茶之水おちゃのみずにある宇田川うたがわ平七へいしち屋鋪やしきへとあしはこんだのであった。

 宇田川うたがわ平七へいしち西之丸にしのまる書院番しょいんばんであり、それゆえ、「勤務シフト次第しだい在宅ざいたくしていない可能性かのうせいもありた。

 いますでひるの八つ半(午後3時頃)をまわろうかという頃合ころあいであり、これでかり宇田川うたがわ平七へいしち今日きょうの「勤務シフト」が昼八つ(午後2時頃)よりはじまる当番とうばんであったならば、宇田川うたがわ平七へいしち今頃いまごろすで西之丸にしのまるにて「勤務シフト」にはいっているからだ。

 その場合ばあいには岩本いわもと喜内きないとしては宇田川うたがわ平七へいしち妻女さいじょである椿つばきたのむつもりであった。

 椿つばきならば村上むらかみ半左衛門はんざえもんにとっては実娘じつじょう村上むらかみ勝之進かつのしんにとっては実姉じっしたり、ある意味いみ宇田川うたがわ平七へいしちたのむよりも「効果的こうかてき」と言えた。

 そしてこの椿つばきにしてもまた、治済はるさだいきかっていた。

 だがさいわいにして宇田川うたがわ平七へいしち在宅ざいたくしていた。今日きょう宇田川うたがわ平七へいしち非番ひばんであったからだ。

 岩本いわもと喜内きない宇田川うたがわ平七へいしち面会めんかいすると、まずは懐中かいちゅうより治済直筆はるさだじきひつ書状しょじょう取出とりだし、それを宇田川うたがわ平七へいしちわたした。

 そこには田沼家たぬまけ上屋敷かみやしきへとあしはこび、村上むらかみ半左衛門はんざえもんに150両の報酬ほうしゅう引換ひきかえに、そのせがれである勝之進かつのしん意知おきとも佐野さの善左衛門ぜんざえもん政言まさことより200両の金子きんす受取うけとったとする受領書じゅりょうしょ偽造ぎぞうしてもらいたいと、そうしたためられていたのだ。

 岩本いわもと喜内きない宇田川うたがわ平七へいしちがその書状しょじょうえるのを見計みはからい、懐中かいちゅうよりいで切餅きりもち6つ、150両がくるまれたつつみ取出とりだし、それを宇田川うたがわ平七へいしちへと差出さしだした。

 宇田川うたがわ平七へいしちは「委細いさい承知しょうち…」とおうずるや、切餅きりもち6つのつつみとも治済直筆はるさだじきじつ書状しょじょうをもたずさえて田沼家たぬまけ上屋敷かみやしきへといそいだ。

 岩本いわもと喜内きないとしては主君しゅくん治済はるさだ直筆じきひつ書状しょじょうについては出来できればそのにて破棄はきしてもらいたいところであったが、しかしその書状しょじょうがなければ村上むらかみ半左衛門はんざえもん勝之進かつのしん父子ふしとしても、とりわけ実際じっさい受領書じゅりょうしょ偽造ぎぞうする村上むらかみ勝之進かつのしん義兄ぎけい宇田川うたがわ平七へいしちはなしだけでは受領書じゅりょうしょ偽造ぎぞうしてはくれないであろう。

 そのことは宇田川うたがわ平七へいしちもとより、岩本いわもと喜内きないにもかっていたので、そこで喜内きない宇田川うたがわ平七へいしちくだん書状しょじょうただちにやぶてずに、村上むらかみ半左衛門はんざえもん勝之進かつのしん父子ふしもとへと150両もの金子きんすとも持込もちこむことを黙過もっかしたのであった。

 こうして宇田川うたがわ平七へいしち神田橋かんだばし門内もんないにある上屋敷かみやしきへとあしはこんだ。

 今月こんげつ―、天明4(1784)年正月しょうがつ老中ろうじゅうにおいては田沼たぬま意次おきつぐ月番つきばんであり、しかも今日きょう7日は意次おきつぐにとっては、

用番月ようばんづき對客日たいきゃくび…」

 登城とじょうまえ陳情ちんじょうきゃく相手あいてをしてやらなければならない指定していされていたので、田沼家たぬまけ上屋敷かみやしき門前もんぜんはそれこそ誇張こちょうではなし、

黒山くろやまひとだかり…」

 その表現ひょうげんがピタリとほど陳情ちんじょうきゃくくされており、神田橋かんだばしもんまで陳情ちんじょうきゃくれつしていた。

 いや下城げじょう所謂いわゆる逢客ほうきゃくについてはとく規制きせいはないものの、それでも今日きょう正規せいきの「對客日たいきゃくび」ということもあって、陳情ちんじょうきゃくもそれならばと、なん遠慮えんりょもなしに意次おきつぐもとへと押掛おしかけたのであった。

 いや、そのうち半分はんぶん程度ていど意次おきつぐではなく、そのそく意知おきとも目当めあてとおもわれた。ちち意次おきつぐくらべて、そのそく意知おきともほう将来性しょうらいせいがあるからだ。

 この陳情ちんじょうきゃくの「交通こうつう整理せいり」にたっていたのはヒラ取次とりつぎ石原いしはら茂七もしちであった。

 宇田川うたがわ平七へいしち田沼家たぬまけの、それも意知おきとも附属ふぞくする取次頭取とうりぎとうどりつとめる村上むらかみ半左衛門はんざえもん女婿じょせいということもあり、田沼家たぬまけおもだった家臣かしんとはみな顔見知かおみしりであった。

 石原いしはら茂七もしちもその一人ひとりであり、宇田川うたがわ平七へいしち石原いしはら茂七もしち背後はいごからこえけるや、

「あっ、これは宇田川うたがわさま…」

 石原いしはら茂七もしち振向ふりむいてそうおうじた。

「ちと、義父上ちちうえ用事ようじがあっての…」

 宇田川うたがわ平七へいしちがそうげるや、石原いしはら茂七もしちも、「あっ、それなれば…」と交通こうつう整理せいり職務しょくむ放棄ほうきし、宇田川うたがわ平七へいしち邸内ていないへと案内あんないした。陳情ちんじょうきゃく行列ぎょうれつ尻目しりめに、である。

 それゆえ宇田川うたがわ平七へいしちよりもはやくに田沼家たぬまけ上屋敷かみやしき門前もんぜんいたにもかかわらず、いま邸内ていないはいれずに門外もんそとにてれつしていた陳情ちんじょうきゃくみな宇田川うたがわ平七へいしち羨望せんぼう嫉妬しっと入混いりまじった視線しせん投掛なげかけたものである。

 いや、これで交通こうつう整理せいりたっていたのが硬骨漢こうこつかん黒澤くろさわ市郎右衛門いちろうえもんあたりだったらこうはゆくまい。

 黒澤くろさわ市郎右衛門いちろうえもんならば仮令たとえ相手あいて取次頭取とりつぎとうどり村上むらかみ半左衛門はんざえもんそく宇田川うたがわ平七へいしちであったとしても、あくまで陳情ちんじょうきゃく一人ひとりとしてあつかい、つまりはれつならぶようめいじたはずだ。

 そのてん石原いしはら茂七もしち黒澤くろさわ市郎右衛門いちろうえもんとは正反対せいはんたいおとこであり、しかも都合つごういことに村上むらかみ半左衛門はんざえもん手懐てなずけられていた。

 かくして宇田川うたがわ平七へいしち石原いしはら茂七もしち案内あんないにより一切いっさいたされることなく岳父がくふである村上むらかみ半左衛門はんざえもんもとへととおされたのであった。

 そのとき村上むらかみ半左衛門はんざえもんおなじく意知おきとも取次頭取とりつぎとうどりとして附属ふぞくする伊勢いせ十郎右衛門じゅうろうえもんとも意知おきとも陳情ちんじょうきゃくとの取次とりつぎ従事じゅうじしていた。

 そこへ女婿じょせい宇田川うたがわ平七へいしち姿すがたせたので、村上むらかみ半左衛門はんざえもんも「これは…」とピンとるものがあった。

 そこで村上むらかみ半左衛門はんざえもん伊勢いせ十郎右衛門じゅうろうえもん一人ひとり取次とりつぎまかせると、宇田川うたがわ平七へいしち別室べっしつへと案内あんないした。

 その別室べっしつ宇田川うたがわ平七へいしち岳父がくふ村上むらかみ半左衛門はんざえもん二人ふたりきりになると、懐中かいちゅうよりくだん書状しょじょうと150両を取出とりだし、村上むらかみ半左衛門はんざえもんへと差出さしだした。

 村上むらかみ半左衛門はんざえもんはまずはその書状しょじょうとおして150両の意味いみさとると、

委細いさい承知しょうち…、しばらくつがいぞ…」

 宇田川うたがわ平七へいしちにそう言残いいのこして、書状しょじょう金子きんすかかえていったん別室べっしつ脱出ぬけだした。

 宇田川うたがわ平七へいしち一人ひとり別室べっしつのこされ、それから本当ほんとうしばらくたされたのち村上むらかみ半左衛門はんざえもん偽造ぎぞう受領書じゅりょうしょたずさえてもどってた。

 宇田川うたがわ平七へいしち村上むらかみ半左衛門はんざえもんより偽造ぎぞう受領書じゅりょうしょ受取うけとるや、

「ときに…、書状しょじょうは…」

 一橋ひとつばし治済直筆はるさだじきひつ書状しょじょうはどうしたのかと、村上むらかみ半左衛門はんざえもんたずねた。

 すると村上むらかみ半左衛門はんざえもんは「すではいよ」とこたえたので、それで宇田川うたがわ平七へいしち安堵あんどし、田沼家たぬまけ上屋敷かみやしきをあとにした。

 それから宇田川うたがわ平七へいしちふたたび、本郷ほんごう御茶之水おちゃのみずにある屋鋪やしきへといそもどった。岩本いわもと喜内きない宇田川うたがわ平七へいしちかえりを、と言うよりは偽造ぎぞう受領書じゅりょうしょ待受まちうけていたからだ。

 宇田川うたがわ平七へいしき屋鋪やしき辿たどいたのは夕七つ(午後4時頃)をまわっており、岩本いわもと喜内きないくびながくしてっていた。

 宇田川うたがわ平七へいしちはその岩本いわもと喜内きないに「所望しょもう」の偽造ぎぞう受領書じゅりょうしょわたすと、

「して、書状しょじょうは…」

 岩本いわもと喜内きないもまた、治済直筆はるさだじきひつ書状しょじょうがどうなったのか、そのことがになっていたようで、宇田川うたがわ平七へいしち村上むらかみ半左衛門はんざえもんたいしてしたのとおなといはっした。

「さればすではいに…」

 宇田川うたがわ平七へいしちがそうこたえると、岩本いわもと喜内きないようやくにホッとした様子ようすかべた。

 岩本いわもと喜内きないはこのあとただちに宇田川うたがわ平七へいしち屋鋪やしきるとふたたび、下谷したや廣小路ひろこうじにある忠香ただよし屋鋪やしきへとあしはこび、忠香ただよし偽造ぎぞう受領書じゅりょうしょわたした。

今日きょう佐野さの善左衛門ぜんざえもんめは非番ひばんとのこと…、なれば明日あす朝番あさばんなれば、松平まつだいらさまつとめをおなじくすれば御城おしろにてわたされては如何いかが…」

 岩本いわもと喜内きない忠香ただよしにそう進言アドバイスした。

 成程なるほど松平まつだいら忠香ただよしつとめる新番頭しんばんがしら平日へいじつ毎日まいにち朝番あさばんであり、明日あす朝番あさばんの「勤務シフト」であるヒラ新番士しんばんし佐野さの善左衛門ぜんざえもんとは御城えどじょうでの「勤務シフト」がかぶることになるので、そこで御城えどじょうにて佐野さの善左衛門ぜんざえもん偽造ぎぞう受領書じゅりょうしょわたすのが合理的ごうりてきであるし、佐野さの善左衛門ぜんざえもん感激かんげきさせることにもつながる。

松平まつだいらさま昨日きのう早速さっそくにも山城守やましろのかみさまもとへとあしはこんでくださり、この善左衛門ぜんざえもんがことを…、つぎ鷹狩たかがりにおける供弓ともゆみ推挙すいきょなさってくださったのか…」

 善左衛門ぜんざえもんにそうおもわせる。いや誤解ごかいさせることが出来できるからだ。

 岩本いわもと喜内きない進言アドバイスたいして忠香ただよしもまた、「委細いさい承知しょうち」とおうじたのであった。

 こうして岩本いわもと喜内きないすべての「細工さいく」をえて一橋ひとつばし上屋敷かみやしきもどったのはゆうの七つ半(午後5時頃)をぎた時分じぶんであり、岩本いわもと喜内きない治済はるさだ今日きょうの「細工さいく」の首尾しゅびについて報告ほうこくした。

 これにたいして治済はるさだもその首尾しゅびおおいに満足まんぞくした。
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