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佐野善左衛門は松平定信に扮した一橋治済の仕掛けた「ワナ」に更に嵌まる~天明3年12月24日の「密会」篇~
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佐野善左衛門は暮六つ(午後6時頃)の少し前に御城に着くと、新番所へと足を伸ばした。
宵番の勤務が始まるのは宵五つ(午後8時頃)であり、それまでの一刻(約2時間)程、新番士の詰所である新番所にて待機することになる。
新番所には佐野善左衛門と同じく、宵番の同僚たちが待機しており、思い思い、雑談に興じていた。
佐野善左衛門は妻女・伊佐のおかげで少しは気が紛れたとは言え、流石に雑談の輪に入る気にはなれず、一人、
「捏ねんと…」
座っていた。
すると同じく宵番の同僚、矢部主膳が「おお、佐野…」と声をかけてきた。
矢部主膳は佐野善左衛門とは「同期の櫻」、共に5年前の安永7(1778)年6月5日に新番、それも3番組に番入、就職を果たした。
尤も、齢は矢部主膳の方が佐野善左衛門よりも4つ程、上であった。
それ故、佐野善左衛門は矢部主膳に対しては、「殿」という敬称を付けて呼んでいた。
「ああ、これは…、矢部殿…」
「如何致した?顔色が勝れぬ様だが…」
どうやら妻女だけでなく、相役にまでいつもとは違う様子であることを悟られてしまったらしい…、佐野善左衛門は内心、そう思いつつも、しかし馬鹿正直に「はい、そうです」と応える訳にもゆかず、
「いえ、何でも…」
無難にそう応えた。
「左様か…、それなら良いがの…」
矢部主膳はそう応ずると、「いやぁ…」と声を上げ、
「田沼様には真に困ったものよ…」
思い出したかの様にそう漏らしたので、佐野善左衛門は直ぐに反応した。
「困ったとは如何に?」
佐野善左衛門は即座にそう問返した。
「いやぁ…、先日、田沼様に…、御若年寄様の山城守様の許へと陳情に出向いたのだがな…、それが山城守様には逢えなくてのう…」
己と同じだ…、佐野善左衛門はそう思いつつも、「そはまた何故に?」と尋ねた。
「いやぁ…、その時は分からなかったのだがな、後で…、これは人伝で知れたことなのだがな、どうやら挨拶料が必要らしいのだ…」
「挨拶料…」
「左様…、それも取次の村上半左衛門への挨拶料がの…」
佐野善左衛門は矢部主膳よりそう聞かされて、村上半左衛門の顔を思い浮かべた。
「その…、村上半左衛門に挨拶料を包まぬことには、山城守様には逢わせては貰えぬと?」
佐野善左衛門は声を震わせながらそう確かめる様に尋ねた。
「左様…、否、昔はそうではなかったのだがのう…、なれど山城守様は御父君の主殿頭様同様、大の賂好きにて…、それが家来にも伝播したものと見ゆる…、否、主が主なら、家来も家来というやつよ…」
矢部主膳は如何にもやれやれといった口調であった。
「して…、その挨拶料だが、如何程にて?」
佐野善左衛門は恐る恐る尋ねた。
「それがの、どうも…、最低でも10両は包まねばならぬらしいのだ…」
「10両…」
「左様…、それ故、この俺は田沼様への陳情は諦めたわ…」
矢部主膳はそう自嘲してみせた。
確かに10両は大金である。矢部主膳が諦めるのも無理はなかった。
だが佐野善左衛門は諦めたくはなかった。
それに矢部主膳が諦めたということは、佐野善左衛門にしてみれば、
「競争相手が一人減った…」
それを意味していたからだ。
矢部主膳が若年寄の田沼意知に如何なる陳情をするつもりであったのか、それは分からぬが、しかし大方、己の出世を陳情するつもりであったに違いない。
そうだとするならば、矢部主膳は出世を諦めたことを意味していた。今、矢部主膳は自嘲して見せたことからも、それは間違いあるまい。
佐野善左衛門はそう判断するや、
「愈愈もって…」
諦められぬ…、ここは何としてでも意知に逢って、
「再び鷹狩りの供弓に、それも正月の鷹狩始における供弓に己を推挙して貰わねば…」
そう意を強くした。これもまた佐野善左衛門にとっては出世に繋がる陳情であったからだ。
だがその為には村上半左衛門への挨拶料が、それも10両もの大金が必要であり、しかし知行取とは申せ、たかだか500石取の中堅旗本に過ぎぬ佐野善左衛門には10両もの大金を用立てるのは容易いことではなかった。
それこそ手持ちの武具などを質にでも入れなければ用立てられない程の大金であった。
「否…、もしかしたら越中様なれば何とか、お力添えを…」
定信なら10両を貸してくれるやも知れぬと、佐野善左衛門は、その様なはしたない期待を抱いた。
23日の宵五つ(午後8時頃)より勤務に入った佐野善左衛門たち宵番の新番士はそれから日付が変わった24日の暁八つ(午前2時頃)まで勤めた。
新番士は殿中警備を主たる職掌としており、しかも夜半ということで警備員宜しく表向を見廻った。
暁八つ(午前2時頃)まで宵番を勤めた佐野善左衛門たち新番士は、暁八つ(午前2時頃)より勤務に入る不寝番の新番士と交代、すると再び詰所である新番所へと赴き、そこで御城の諸門、所謂、「三十六見附」が開くまでの明六つ(午前6時頃)まで仮眠を取った。
こうして24日の明六つ(午前6時頃)まで御城の新番所にて仮眠を取った佐野善左衛門は「三十六見附」の開門と同時に下城し、御厩谷にある屋敷へと帰邸に及んだ。
佐野善左衛門は屋敷においても仮眠を取った。
善左衛門は昼の四つ半(午前11時頃)までの凡そ一刻(約2時間)程、仮眠を取ると、身形を整えて再び、屋敷を出ると今度もまた、四谷大木戸にある田安家下屋敷へと足を伸ばした。
前回、前々回は四谷大木戸にて定信と―、正確には定信に扮した一橋治済に拝謁した善左衛門であり、今回もまた面会場所が四谷大木戸が面会場所となったのは偏に治済の申出による。
「いつもいつもここ、四谷大木戸の下屋敷にて逢うのも芸がないが…、否、これは戯れと申すものにて…、宵番明けでは日本橋箱崎の下屋敷や、或いは深川高橋にある下屋敷へと足を伸ばすのは、そこもとにとっては難儀であろうぞ…」
前回―、12月21日の面会の折、治済は善左衛門の為にそう配慮を示してくれたのであった。
確かに、宵番を終えてからでは如何に仮眠を取ったとしても、日本橋や、ましてや深川に足を伸ばすのは如何にも難儀であったからだ。
それ故、善左衛門は定信こと治済の「配慮」に素直に感謝した。
尤も、この「配慮」も実際には治済のやはり「懐刀」とも申すべき雛の描いた台本による。
即ち、雛が予め治済に対して、
「いつもいつも、四谷大木戸の下屋敷へと佐野善左衛門殿を、お召しあそばされましては上様が真、越中様なのかと佐野善左衛門が疑うやも知れず…」
そこで斯かる「配慮」を示してやれば、つまりは前々回、前回と続いて今度もまた四谷大木戸にある下屋敷にて逢う理由について、それが佐野善左衛門の為であると、善左衛門に囁いてやれば、善左衛門は、
「愈愈もって…」
治済を定信だと信ずる、否、妄信するに違いないと、雛は治済にそう進言したのであった。
治済も雛のこの進言に素直に耳を傾け、その進言に従った次第である。
尤も、面会時刻については善左衛門の意思が反映された。
前回、治済は善左衛門に、
「昼八つ(午後2時頃)か、昼の八つ半(午後3時頃)…」
その頃に逢おうと持掛けたのだが、それに対して善左衛門が、
「善は急げと申しまするによって…」
昼九つ(正午頃)に逢いたいと、定信こと治済にそう願出たのであった。
これで今日、12月24日が治済に随い、平日登城に及ぶ家老が水谷勝富の番であれば、治済も躊躇したやも知れぬ。
昼九つ(正午頃)に四谷大木戸にある田安家の下屋敷にて佐野善左衛門と逢うともなれば、千代田の御城へと登った治済は遅くとも、それより半刻(約1時間)以上前の昼の四つ半(午前11時頃)前には下城しなければならないからだ。
だがそれでは水谷勝富に不審に思われるやも知れぬ。
何しろ、治済は平日登城の折にはどんなに早くとも、その下城は昼九つ(正午頃)過ぎであったからだ。
それが今日、24日に限ってそれよりも半刻(約1時間)以上も早い昼の四つ半(午前11時頃)前に下城するともなれば、家老の水谷勝富から不審に思われるのは間違いなかろう。
否、その場合には治済としては適当な口実をもうけて登城しなければ良いだけの話であった。
仮令、治済が登城せずとも、それで水谷勝富も登城しないという訳にはゆかないからだ。
治済が登城する、しないにかかわらず、家老は登城の当番日には絶対に登城しなければならないからだ。
それ故、治済はこれで今日24日が水谷勝富が登城の当番日であったならば、今日は登城せず、水谷勝富がいない間に屋敷を脱出し、四谷大木戸にある田安家下屋敷へと足を運べば良いだけの話であった。
だが幸いにも今日は治済の忠実なる番犬と化した林忠篤が登城する日であり、それ故、治済は気兼ねなく、いつもよりも早くに下城することが出来た。
否、それどころか忠篤に対しては、
「そなたはいつもと同じく…、否…、いつもよりも遅い、左様、昼の八つ半(午後3時頃)まで御城に居残って欲しい…、昼の八つ半(午後3時頃)になったならば下城して平川門外にて落合おうぞ…」
治済はそう命じて下城すると、しかし一橋屋敷へと帰邸には及ばず、しかも駕籠まで平川御門外に残すと僅かな従者―、「懐刀」の久田縫殿助と岩本喜内の二人のみを随えて四谷大木戸にある田安家下屋敷へと足を運んだのであった。
宵番の勤務が始まるのは宵五つ(午後8時頃)であり、それまでの一刻(約2時間)程、新番士の詰所である新番所にて待機することになる。
新番所には佐野善左衛門と同じく、宵番の同僚たちが待機しており、思い思い、雑談に興じていた。
佐野善左衛門は妻女・伊佐のおかげで少しは気が紛れたとは言え、流石に雑談の輪に入る気にはなれず、一人、
「捏ねんと…」
座っていた。
すると同じく宵番の同僚、矢部主膳が「おお、佐野…」と声をかけてきた。
矢部主膳は佐野善左衛門とは「同期の櫻」、共に5年前の安永7(1778)年6月5日に新番、それも3番組に番入、就職を果たした。
尤も、齢は矢部主膳の方が佐野善左衛門よりも4つ程、上であった。
それ故、佐野善左衛門は矢部主膳に対しては、「殿」という敬称を付けて呼んでいた。
「ああ、これは…、矢部殿…」
「如何致した?顔色が勝れぬ様だが…」
どうやら妻女だけでなく、相役にまでいつもとは違う様子であることを悟られてしまったらしい…、佐野善左衛門は内心、そう思いつつも、しかし馬鹿正直に「はい、そうです」と応える訳にもゆかず、
「いえ、何でも…」
無難にそう応えた。
「左様か…、それなら良いがの…」
矢部主膳はそう応ずると、「いやぁ…」と声を上げ、
「田沼様には真に困ったものよ…」
思い出したかの様にそう漏らしたので、佐野善左衛門は直ぐに反応した。
「困ったとは如何に?」
佐野善左衛門は即座にそう問返した。
「いやぁ…、先日、田沼様に…、御若年寄様の山城守様の許へと陳情に出向いたのだがな…、それが山城守様には逢えなくてのう…」
己と同じだ…、佐野善左衛門はそう思いつつも、「そはまた何故に?」と尋ねた。
「いやぁ…、その時は分からなかったのだがな、後で…、これは人伝で知れたことなのだがな、どうやら挨拶料が必要らしいのだ…」
「挨拶料…」
「左様…、それも取次の村上半左衛門への挨拶料がの…」
佐野善左衛門は矢部主膳よりそう聞かされて、村上半左衛門の顔を思い浮かべた。
「その…、村上半左衛門に挨拶料を包まぬことには、山城守様には逢わせては貰えぬと?」
佐野善左衛門は声を震わせながらそう確かめる様に尋ねた。
「左様…、否、昔はそうではなかったのだがのう…、なれど山城守様は御父君の主殿頭様同様、大の賂好きにて…、それが家来にも伝播したものと見ゆる…、否、主が主なら、家来も家来というやつよ…」
矢部主膳は如何にもやれやれといった口調であった。
「して…、その挨拶料だが、如何程にて?」
佐野善左衛門は恐る恐る尋ねた。
「それがの、どうも…、最低でも10両は包まねばならぬらしいのだ…」
「10両…」
「左様…、それ故、この俺は田沼様への陳情は諦めたわ…」
矢部主膳はそう自嘲してみせた。
確かに10両は大金である。矢部主膳が諦めるのも無理はなかった。
だが佐野善左衛門は諦めたくはなかった。
それに矢部主膳が諦めたということは、佐野善左衛門にしてみれば、
「競争相手が一人減った…」
それを意味していたからだ。
矢部主膳が若年寄の田沼意知に如何なる陳情をするつもりであったのか、それは分からぬが、しかし大方、己の出世を陳情するつもりであったに違いない。
そうだとするならば、矢部主膳は出世を諦めたことを意味していた。今、矢部主膳は自嘲して見せたことからも、それは間違いあるまい。
佐野善左衛門はそう判断するや、
「愈愈もって…」
諦められぬ…、ここは何としてでも意知に逢って、
「再び鷹狩りの供弓に、それも正月の鷹狩始における供弓に己を推挙して貰わねば…」
そう意を強くした。これもまた佐野善左衛門にとっては出世に繋がる陳情であったからだ。
だがその為には村上半左衛門への挨拶料が、それも10両もの大金が必要であり、しかし知行取とは申せ、たかだか500石取の中堅旗本に過ぎぬ佐野善左衛門には10両もの大金を用立てるのは容易いことではなかった。
それこそ手持ちの武具などを質にでも入れなければ用立てられない程の大金であった。
「否…、もしかしたら越中様なれば何とか、お力添えを…」
定信なら10両を貸してくれるやも知れぬと、佐野善左衛門は、その様なはしたない期待を抱いた。
23日の宵五つ(午後8時頃)より勤務に入った佐野善左衛門たち宵番の新番士はそれから日付が変わった24日の暁八つ(午前2時頃)まで勤めた。
新番士は殿中警備を主たる職掌としており、しかも夜半ということで警備員宜しく表向を見廻った。
暁八つ(午前2時頃)まで宵番を勤めた佐野善左衛門たち新番士は、暁八つ(午前2時頃)より勤務に入る不寝番の新番士と交代、すると再び詰所である新番所へと赴き、そこで御城の諸門、所謂、「三十六見附」が開くまでの明六つ(午前6時頃)まで仮眠を取った。
こうして24日の明六つ(午前6時頃)まで御城の新番所にて仮眠を取った佐野善左衛門は「三十六見附」の開門と同時に下城し、御厩谷にある屋敷へと帰邸に及んだ。
佐野善左衛門は屋敷においても仮眠を取った。
善左衛門は昼の四つ半(午前11時頃)までの凡そ一刻(約2時間)程、仮眠を取ると、身形を整えて再び、屋敷を出ると今度もまた、四谷大木戸にある田安家下屋敷へと足を伸ばした。
前回、前々回は四谷大木戸にて定信と―、正確には定信に扮した一橋治済に拝謁した善左衛門であり、今回もまた面会場所が四谷大木戸が面会場所となったのは偏に治済の申出による。
「いつもいつもここ、四谷大木戸の下屋敷にて逢うのも芸がないが…、否、これは戯れと申すものにて…、宵番明けでは日本橋箱崎の下屋敷や、或いは深川高橋にある下屋敷へと足を伸ばすのは、そこもとにとっては難儀であろうぞ…」
前回―、12月21日の面会の折、治済は善左衛門の為にそう配慮を示してくれたのであった。
確かに、宵番を終えてからでは如何に仮眠を取ったとしても、日本橋や、ましてや深川に足を伸ばすのは如何にも難儀であったからだ。
それ故、善左衛門は定信こと治済の「配慮」に素直に感謝した。
尤も、この「配慮」も実際には治済のやはり「懐刀」とも申すべき雛の描いた台本による。
即ち、雛が予め治済に対して、
「いつもいつも、四谷大木戸の下屋敷へと佐野善左衛門殿を、お召しあそばされましては上様が真、越中様なのかと佐野善左衛門が疑うやも知れず…」
そこで斯かる「配慮」を示してやれば、つまりは前々回、前回と続いて今度もまた四谷大木戸にある下屋敷にて逢う理由について、それが佐野善左衛門の為であると、善左衛門に囁いてやれば、善左衛門は、
「愈愈もって…」
治済を定信だと信ずる、否、妄信するに違いないと、雛は治済にそう進言したのであった。
治済も雛のこの進言に素直に耳を傾け、その進言に従った次第である。
尤も、面会時刻については善左衛門の意思が反映された。
前回、治済は善左衛門に、
「昼八つ(午後2時頃)か、昼の八つ半(午後3時頃)…」
その頃に逢おうと持掛けたのだが、それに対して善左衛門が、
「善は急げと申しまするによって…」
昼九つ(正午頃)に逢いたいと、定信こと治済にそう願出たのであった。
これで今日、12月24日が治済に随い、平日登城に及ぶ家老が水谷勝富の番であれば、治済も躊躇したやも知れぬ。
昼九つ(正午頃)に四谷大木戸にある田安家の下屋敷にて佐野善左衛門と逢うともなれば、千代田の御城へと登った治済は遅くとも、それより半刻(約1時間)以上前の昼の四つ半(午前11時頃)前には下城しなければならないからだ。
だがそれでは水谷勝富に不審に思われるやも知れぬ。
何しろ、治済は平日登城の折にはどんなに早くとも、その下城は昼九つ(正午頃)過ぎであったからだ。
それが今日、24日に限ってそれよりも半刻(約1時間)以上も早い昼の四つ半(午前11時頃)前に下城するともなれば、家老の水谷勝富から不審に思われるのは間違いなかろう。
否、その場合には治済としては適当な口実をもうけて登城しなければ良いだけの話であった。
仮令、治済が登城せずとも、それで水谷勝富も登城しないという訳にはゆかないからだ。
治済が登城する、しないにかかわらず、家老は登城の当番日には絶対に登城しなければならないからだ。
それ故、治済はこれで今日24日が水谷勝富が登城の当番日であったならば、今日は登城せず、水谷勝富がいない間に屋敷を脱出し、四谷大木戸にある田安家下屋敷へと足を運べば良いだけの話であった。
だが幸いにも今日は治済の忠実なる番犬と化した林忠篤が登城する日であり、それ故、治済は気兼ねなく、いつもよりも早くに下城することが出来た。
否、それどころか忠篤に対しては、
「そなたはいつもと同じく…、否…、いつもよりも遅い、左様、昼の八つ半(午後3時頃)まで御城に居残って欲しい…、昼の八つ半(午後3時頃)になったならば下城して平川門外にて落合おうぞ…」
治済はそう命じて下城すると、しかし一橋屋敷へと帰邸には及ばず、しかも駕籠まで平川御門外に残すと僅かな従者―、「懐刀」の久田縫殿助と岩本喜内の二人のみを随えて四谷大木戸にある田安家下屋敷へと足を運んだのであった。
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