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天明3年12月7日の臨時の朝會、そして一橋治済の「憎悪」
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その翌日の12月7日、臨時の朝會が催され、定信も勿論、登城して帝鑑間に詰めた。
その頃、中奥にては家治は治済を相手にしていた。
否、治済一人ではない。背後には家老の水谷勝富と林忠篤の両名が控えていた。
「いや、昨日は治済には悪いことをしたのう…」
家治は治済にそう語りかけ、治済を些か困惑させた。まさかに家治から詫びられるとは予期していなかったからだ。
それでも如何に将軍家―、将軍・家治に列なる家族の一員である御三卿と雖も、将軍の臣下であることに変わりはない。
それ故、将軍・家治の臣下である治済としては、家治より詫びられれば、何に対する詫びなのか、いまいち事情が呑込めずとも、
「滅相もござりませぬ…」
とりあえずはそう応じて平伏するのが将軍の臣下としての最低限の礼儀、否、義務であった。
「いや、重好と二人きりで逢うてしまい…、まるでそなたを除者にするかの如く…」
家治が平伏する治済にそう説明したので、それで治済も事情が呑込めた。
「されば重好とは茶屋にて…、楓之間にて庭なぞ見ながら昼餉に舌鼓を打ってのう…」
家治は相変わらず治済を平伏させたまま、そう説明を続けた。
「いや、余が申すことが嘘だと思うのであらば、そなたが親しくしておる取次の稲葉正明にでも確かめてみるが良いぞ…」
家治は治済にその様にも告げたので、やはり治済としては、
「滅相もござりませぬ…」
そう応えるより外になかった。
「左様か…、いや、余が申すこと、信じてくれて嬉しく思うぞ…」
家治の言葉の響きからはしかし、嬉しさは感じられず、それどころかその言葉とは裏腹に冷たい響きしか感じられず、それを裏付ける様に家治は治済を未だ、平伏させたままであった。
「されば治済よ、次はそなたと昼餉を共にしたいと思うが、どうだの?」
家治は平伏させたままの治済にそんな提案をした。無論、そのつもりはなかった。
一方、治済も家治のその様な胸のうちには勿論、気付いていたものの、
「ははぁっ、有難く…」
やはりそう応えるより外になかった。
それから家治は治済を相手に実に、
「他愛もない…」
その様な話に興じ続けた。無論、治済を平伏させたままであり、その光景はまるで、
「じっくりと猫を甚振る…」
その様を髣髴とさせた。
否、家治は実際、長い時間をかけて治済を甚振っていた訳だが、しかしそれだけが目的ではなかった。
ここ御座之間にて治済を「足止め」させることが目的―、主目的であった。
ここ御座之間に治済を「足止め」させれば畢竟、家老である水谷勝富と林忠篤も同時に「足止め」させることが出来、裏を返せば御三卿家老の詰所から一橋家老である水谷勝富と林忠篤の姿が消える訳で、やはり御三卿家老に詰めている清水家老の本多昌忠としてはその分、松平定信への「工作」がやり易くなる。
即ち、表向の帝鑑間に詰めている定信へと書状を―、将軍・家治直筆の書状とそれにやはり重好直筆の「招待状」のこの二通の書状を届ける役目は本多昌忠が担うことになった訳だが、その場合、当たり前だが昌忠は御三卿家老の詰所を出なければならず、しかしその際、一橋家老の水谷勝富と林忠篤がいたのでは、殊に今や治済の「忠実なる番犬」と化している忠篤ならば、昌忠が一体、何処へ足を運ぶつもりかと、執拗に誰何するに違いない。
無論、治済に「ご注進」に及ぶ為である。
そうすることで治済の「覚え」を目出度くしようとの魂胆であった。
その様な忠篤に対しては、
「ちと、厠へ…」
などと、「ありきたり」な言訳は通用しないだろう。
仮にその様な「ありきたり」な言訳を用いようものなら、
「されば身共も…」
真、厠へ行くつもりかと、忠篤はその後をついて来ようとするであろう。
家治はそれを防ぐべく、即ち、本多昌忠に松平定信への斯かる「工作」をやり易くさせるべく、御座之間にて治済を「足止め」させることで、家老の水谷勝富と林忠篤をも「足止め」させたのだ。
否、御三卿家老の詰所には今一人、田安家老の戸川山城守逵和も詰めていたものの、しかし戸川逵和は御三卿家老という地位、それも何かと、
「実入りの良い…」
その地位に安住し、しかも当主不在であるので、林忠篤の様に当主に取入る必要もないので、外の御三卿―、一橋家と清水家の両家の家老の動静には一切、興味がないと断言出来た。
家治もそれは承知していたので、戸川逵和については何ら不安はなかった。
即ち、本多昌忠が席を立ったところで、逵和は一切、興味を示さぬであろうし、仮に興味を示したところで、
「ちと、厠へ…」
その「ありきたり」な言訳で乗切れるであろうと、家治は見切っていた。
事実、その通りで、戸川逵和は本多昌忠が席を立っても一切、興味を示さなかった。正に、
「目もくれず…」
もう一人の清水家老、吉川從弼を相手に「孫自慢」に興じていたのだ。
田安家老の戸川逵和の「唯一」とも言える趣味が「孫自慢」であることは御三卿家老ならば皆、知っており、その余りの「孫自慢」に家老は皆、辟易させられていた。
吉川從弼もその一人であったが、しかし、今日に限ってはそれ程、辟易させられることはなかった。
何しろそれで―、戸川逵和に、
「心行くまで…」
孫自慢をさせることで、その間、それも仮令、長い間、本多昌忠が詰所を留守にしても、孫自慢に熱中する逵和に怪しまれずに済むのなら、安いものであった。
そこで吉川從弼は戸川逵和に対して、
「ときに…、亀太郎殿はもう、随分と大きゅうなられましたかな…」
そう水を向けたのであった。
亀太郎逵䚮―、それが逵和の嫡孫であり、嫡子にして小姓組番士の戸川大學逵旨のこれまた嫡子であった。
すると從弼の思惑通り、逵和は良くぞ訊いてくれたと言わんばかり、
「嬉々として…」
從弼を相手に孫自慢を始めたのであった。
その間、昌忠が立上がっても逵和は孫自慢に熱中する余り、それには見向きもせず、それ故、昌忠が詰所を出ても、それにも気付きもしない様子であった。
こうして本多昌忠は中奥と表向とを隔てる時斗之間を越えて表向へと出ると、そこで旧知の表坊主を掴まえて、その「袖の下」にそっと、脹らみのある「切餅」を忍び込ませるや、帝鑑間にて控えているであろう松平定信を呼んで来てくれる様、頼んだのであった。
するとその表坊主も心得たもので、ただ定信を連れて来るだけでなく、密会にはうってつけの場所―、表坊主部屋の角部屋まで用意してくれた。
そこで本多昌忠は松平定信と向かい合うと挨拶もそこそこ、懐中より件の二通の書状を取出して、それを定信へと差出した。
定信もその二通の書状を受取るや、まずは将軍・家治直筆の書状から目を通し、次いで清水重好直筆の「招待状」に目を通した。
「されば…、畏れ多くも上様におかせられましては越中様の御身をご案じあそばされ…、一橋民部卿様に担がれはしまいかと…」
本多昌忠は主君・重好より承った話として、定信にそう伝えた。
それに対して定信も家治直筆の書状に目を通してそうだろうと、即ち、
「己が一橋治済に嗾けられて軽挙妄動…、意知の暗殺に走るのを上様は案じられておるのであろう…」
そうと察したので、昌忠の言葉に頷いてみせると、
「されば謹んで、お招きに預かろうぞ…」
招待を受けることを承知した。
定信はその上で、
「なれど…、当家にも…、家中にもよもやとは思うが…」
そう切出すと、家臣の中にも一橋治済の息のかかっている者が紛れ込んでいるやも知れず、その様な者をそうとは知らずに蠣殻町にある清水家の下屋敷へと随えよものなら、やはり下屋敷における将軍・家治との「密会」が治済に「筒抜け」となる危険性について触れた。
否、これで一人でフラリと外出出来れば何ら問題はなかったのだが、生憎と定信の様な大名ともなると、それは不可能であった。
そこで定信は一橋治済に絶対に悟られぬ様、蠣殻町にある清水家の下屋敷へと向かう段取りについて、少しだけだが長い時間をかけて昌忠と詰めた。
こうして昌忠は定信と「詰めの協議」を終えるや、再び、中奥へと、御三卿家老の詰所へと戻った訳だが、そこでは未だ、戸川逵和が吉川從弼を相手に「孫自慢」を続けており、また、幸いにも水谷勝富と林忠篤の姿もなかった。
さて治済は家治より受けた冷遇、否、仕打ちに正に、
「憤懣遣る方無い…」
その様な思いを抱えたまま下城に及び、屋敷へと帰り着いた。
この「憤懣」は意知だけではない、家治の息の根も止めないことには晴れない。
否、意知の息の根に関しては間もなく止められそうであり、その時、家治は寵臣を喪ったことで大いに悲歎に暮れるのは間違いなく、治済はその様を想起することで、憤懣を鎮めた。
するとその治済に嬉しい「報」が届いた。
その「報」は久田縫殿助と岩本喜内より齎され、田安家の3人の下屋敷奉行への「手入」が功を奏し、
「これでいつにても、下屋敷が…、寶蓮院様や、その側近くに仕えし者に気付かれることなく、自由に使えまする…」
岩本喜内が治済にそう報告したのであった。
無論、大奥においてであり、そこにはやはり「知恵袋」とも言うべき侍女の雛が控えていた。
「されば…、後は松平忠香より佐野善左衛門へと、定信が逢いたがっておると、伝えて貰い…」
治済は先日の新番頭・松平忠香への「手入」の際、木下川の畔における鷹狩りにて、見事、雁を仕留めた4人の番士にその褒美として将軍・家治より時服が下賜されるであろうその日に、忠香より佐野善左衛門へとその旨、伝えて貰うことを頼んでいたのだ。
「鷹狩りが行われしは12月3日…、大抵はその5日後に時服が下賜される故、されば明日の8日にも時服が下賜されるであろう…」
つまりは明日にも松平忠香から佐野善左衛門へと「声」を掛けて貰う。
「されば、何時、田安舘…、下屋敷にて上様…、いえ、定信様が佐野殿にお逢いあそばされるか、でござりまするな?」
雛がそう先を続けたので、治済も苦笑しつつ頷いた。
「されば…、上様…、家治公が次の
御放鷹の折が宜しいかと…」
雛のその提案に、治済は「ほう…」と声を上げ、その「提案理由」について雛を促した。
「家治公が千代田の御城におわせば…、それこそ千代田の御城より目を光らせている中では、仮令、田安家の下屋敷とは申せ、中々に立入った話も出来ますまいて…、その点、家治公が御放鷹へと出向かれれば…」
「その間、家治は御城を留守に…、要は鬼の居ぬ間に洗濯という訳だの?」
治済がそう引取って見せると、雛は「御意…」と応じた。
「それに家治公が御城を留守に致しますれば、御家老も…、田安家老の戸川殿も態々、将軍不在の御城へと出仕には及ばず…」
雛の言う通りであった。
即ち、定員が二人の御三卿家老は平日は毎日、交代で御城に登城するが、しかし、田安家の場合、当主不在の明屋形ということもあり、田安舘にて起居する謂わば「専属」の家老は戸川殿こと戸川山城守逵和一人しかおらず、畢竟、戸川逵和が一人で「平日登城」の役目を担わなければならないことになる。
だがそれでは大変と、家治は左様、思召されて、こと戸川逵和に限っては「平日登城」が免除されていた。
否、正確には、
「登城は勝手次第…」
つまりは平日は登城したい時にだけ登城すれば良いと、逵和は家治よりそう命じられていたのだ。
尤も、そうは言っても戸川逵和としては外の、一橋家や清水家、両家の家老は登城していると言うに、己一人、登城しないのは、
「何とも居心地が悪い…」
要は疎外感、更に噛砕けば、
「仲間外れ…」
その様な思いに苛まれ、結局、将軍・家治の折角の思召し、もとい心遣いにもかかわらず、引続き、一人で「平日登城」に及んでいた。
だが流石に将軍・家治が鷹狩りで御城に不在ともなると話は別であった。
戸川逵和が将軍・家治の心遣いにもかかわらず、一人で「平日登城」を担っているのにはもう一つ、
「己の存在を将軍・家治にアピールする…」
その目的があった。
否、それこそが主目的であり、仲間外れれ云々はさしずめ、「添物」に過ぎない。
戸川逵和は実入りの良い御三卿家老、田安家老の地位に安住してはいたものの、しかし、「平日登城」を繰返すことで、己の存在を将軍・家治にアピールすることが出来れば、そしてそのことが更なる出世へと繋がれば、それはそれで「目っけ物」にして「安い物」でもあるので、その思惑もあって、「平日登城」を繰返していたのだ。
それ故、戸川逵和も将軍・家治が御城不在の折にまで、態々、登城には及ばず、そこが当主を戴く一橋家老や清水家老との違いであった。
即ち、御三卿家老が平日は毎日、交代で登城するのは、
「情報収集…」
一つにはその目的があった。
御三卿に関わる政策について将軍が何か考えていないかどうか、御三卿家老はそれを把握すべく、例えば将軍の最側近として中奥を取仕切る御側御用取次から聞出したりして、それを御三卿に伝えるのを任務としていた。
表向役人である御三卿家老の詰所が中奥にあるのは一つには登城した御三卿を監視するという、本来任務の為であったが、しかしそれだけではなく、斯かる事情も含まれていた。
それ故、当主を戴く御三卿家老は平日は仮令、将軍が鷹狩りなどで御城を留守にしていようとも登城は欠かせなかった。
将軍は不在であっても、留守を預かる御側御用取次などが将軍の意を受けて、御三卿に関わる政策を話合っている可能性もあり得たからだ。
だが戸川逵和の様に仕えるべき、或いは監視対象とも言うべき御三卿がいないのでは、監視は元より、斯かる情報収集すら不要であり、そこで逵和が「平日登城」に及ぶのはあくまで己の栄達に過ぎず、将軍が御城に不在の折にまで態々登城しないのは当然であった。
そして家老の戸川逵和が御城に登城せず田安舘、それも上屋敷にいるとなれば、同じく上屋敷にて仕える田安家臣も、例えば番頭や用人も気軽に上屋敷を脱出る訳にはゆかず、
「上様が定信様として田安家の下屋敷にて佐野善左衛門殿と、お逢いあそばされていたとしても、愈々もって上屋敷にて仕えし家臣たち…、それも此度の計画とは無関係の家臣たちに気付かれる恐れが低減、いえ、完全に失くすることが出来まする…」
つまりは安心して田安家の下屋敷を勝手に使えると、雛は治済にその様な「提案理由」も告げた。
それで治済も腹が固まった。
「相分かった…、されば家治が次の鷹狩りの折に佐野善左衛門に逢おうぞ…」
治済はそう宣すると、
「定信としてな…」
口元を歪めてそう補足した。
その頃、中奥にては家治は治済を相手にしていた。
否、治済一人ではない。背後には家老の水谷勝富と林忠篤の両名が控えていた。
「いや、昨日は治済には悪いことをしたのう…」
家治は治済にそう語りかけ、治済を些か困惑させた。まさかに家治から詫びられるとは予期していなかったからだ。
それでも如何に将軍家―、将軍・家治に列なる家族の一員である御三卿と雖も、将軍の臣下であることに変わりはない。
それ故、将軍・家治の臣下である治済としては、家治より詫びられれば、何に対する詫びなのか、いまいち事情が呑込めずとも、
「滅相もござりませぬ…」
とりあえずはそう応じて平伏するのが将軍の臣下としての最低限の礼儀、否、義務であった。
「いや、重好と二人きりで逢うてしまい…、まるでそなたを除者にするかの如く…」
家治が平伏する治済にそう説明したので、それで治済も事情が呑込めた。
「されば重好とは茶屋にて…、楓之間にて庭なぞ見ながら昼餉に舌鼓を打ってのう…」
家治は相変わらず治済を平伏させたまま、そう説明を続けた。
「いや、余が申すことが嘘だと思うのであらば、そなたが親しくしておる取次の稲葉正明にでも確かめてみるが良いぞ…」
家治は治済にその様にも告げたので、やはり治済としては、
「滅相もござりませぬ…」
そう応えるより外になかった。
「左様か…、いや、余が申すこと、信じてくれて嬉しく思うぞ…」
家治の言葉の響きからはしかし、嬉しさは感じられず、それどころかその言葉とは裏腹に冷たい響きしか感じられず、それを裏付ける様に家治は治済を未だ、平伏させたままであった。
「されば治済よ、次はそなたと昼餉を共にしたいと思うが、どうだの?」
家治は平伏させたままの治済にそんな提案をした。無論、そのつもりはなかった。
一方、治済も家治のその様な胸のうちには勿論、気付いていたものの、
「ははぁっ、有難く…」
やはりそう応えるより外になかった。
それから家治は治済を相手に実に、
「他愛もない…」
その様な話に興じ続けた。無論、治済を平伏させたままであり、その光景はまるで、
「じっくりと猫を甚振る…」
その様を髣髴とさせた。
否、家治は実際、長い時間をかけて治済を甚振っていた訳だが、しかしそれだけが目的ではなかった。
ここ御座之間にて治済を「足止め」させることが目的―、主目的であった。
ここ御座之間に治済を「足止め」させれば畢竟、家老である水谷勝富と林忠篤も同時に「足止め」させることが出来、裏を返せば御三卿家老の詰所から一橋家老である水谷勝富と林忠篤の姿が消える訳で、やはり御三卿家老に詰めている清水家老の本多昌忠としてはその分、松平定信への「工作」がやり易くなる。
即ち、表向の帝鑑間に詰めている定信へと書状を―、将軍・家治直筆の書状とそれにやはり重好直筆の「招待状」のこの二通の書状を届ける役目は本多昌忠が担うことになった訳だが、その場合、当たり前だが昌忠は御三卿家老の詰所を出なければならず、しかしその際、一橋家老の水谷勝富と林忠篤がいたのでは、殊に今や治済の「忠実なる番犬」と化している忠篤ならば、昌忠が一体、何処へ足を運ぶつもりかと、執拗に誰何するに違いない。
無論、治済に「ご注進」に及ぶ為である。
そうすることで治済の「覚え」を目出度くしようとの魂胆であった。
その様な忠篤に対しては、
「ちと、厠へ…」
などと、「ありきたり」な言訳は通用しないだろう。
仮にその様な「ありきたり」な言訳を用いようものなら、
「されば身共も…」
真、厠へ行くつもりかと、忠篤はその後をついて来ようとするであろう。
家治はそれを防ぐべく、即ち、本多昌忠に松平定信への斯かる「工作」をやり易くさせるべく、御座之間にて治済を「足止め」させることで、家老の水谷勝富と林忠篤をも「足止め」させたのだ。
否、御三卿家老の詰所には今一人、田安家老の戸川山城守逵和も詰めていたものの、しかし戸川逵和は御三卿家老という地位、それも何かと、
「実入りの良い…」
その地位に安住し、しかも当主不在であるので、林忠篤の様に当主に取入る必要もないので、外の御三卿―、一橋家と清水家の両家の家老の動静には一切、興味がないと断言出来た。
家治もそれは承知していたので、戸川逵和については何ら不安はなかった。
即ち、本多昌忠が席を立ったところで、逵和は一切、興味を示さぬであろうし、仮に興味を示したところで、
「ちと、厠へ…」
その「ありきたり」な言訳で乗切れるであろうと、家治は見切っていた。
事実、その通りで、戸川逵和は本多昌忠が席を立っても一切、興味を示さなかった。正に、
「目もくれず…」
もう一人の清水家老、吉川從弼を相手に「孫自慢」に興じていたのだ。
田安家老の戸川逵和の「唯一」とも言える趣味が「孫自慢」であることは御三卿家老ならば皆、知っており、その余りの「孫自慢」に家老は皆、辟易させられていた。
吉川從弼もその一人であったが、しかし、今日に限ってはそれ程、辟易させられることはなかった。
何しろそれで―、戸川逵和に、
「心行くまで…」
孫自慢をさせることで、その間、それも仮令、長い間、本多昌忠が詰所を留守にしても、孫自慢に熱中する逵和に怪しまれずに済むのなら、安いものであった。
そこで吉川從弼は戸川逵和に対して、
「ときに…、亀太郎殿はもう、随分と大きゅうなられましたかな…」
そう水を向けたのであった。
亀太郎逵䚮―、それが逵和の嫡孫であり、嫡子にして小姓組番士の戸川大學逵旨のこれまた嫡子であった。
すると從弼の思惑通り、逵和は良くぞ訊いてくれたと言わんばかり、
「嬉々として…」
從弼を相手に孫自慢を始めたのであった。
その間、昌忠が立上がっても逵和は孫自慢に熱中する余り、それには見向きもせず、それ故、昌忠が詰所を出ても、それにも気付きもしない様子であった。
こうして本多昌忠は中奥と表向とを隔てる時斗之間を越えて表向へと出ると、そこで旧知の表坊主を掴まえて、その「袖の下」にそっと、脹らみのある「切餅」を忍び込ませるや、帝鑑間にて控えているであろう松平定信を呼んで来てくれる様、頼んだのであった。
するとその表坊主も心得たもので、ただ定信を連れて来るだけでなく、密会にはうってつけの場所―、表坊主部屋の角部屋まで用意してくれた。
そこで本多昌忠は松平定信と向かい合うと挨拶もそこそこ、懐中より件の二通の書状を取出して、それを定信へと差出した。
定信もその二通の書状を受取るや、まずは将軍・家治直筆の書状から目を通し、次いで清水重好直筆の「招待状」に目を通した。
「されば…、畏れ多くも上様におかせられましては越中様の御身をご案じあそばされ…、一橋民部卿様に担がれはしまいかと…」
本多昌忠は主君・重好より承った話として、定信にそう伝えた。
それに対して定信も家治直筆の書状に目を通してそうだろうと、即ち、
「己が一橋治済に嗾けられて軽挙妄動…、意知の暗殺に走るのを上様は案じられておるのであろう…」
そうと察したので、昌忠の言葉に頷いてみせると、
「されば謹んで、お招きに預かろうぞ…」
招待を受けることを承知した。
定信はその上で、
「なれど…、当家にも…、家中にもよもやとは思うが…」
そう切出すと、家臣の中にも一橋治済の息のかかっている者が紛れ込んでいるやも知れず、その様な者をそうとは知らずに蠣殻町にある清水家の下屋敷へと随えよものなら、やはり下屋敷における将軍・家治との「密会」が治済に「筒抜け」となる危険性について触れた。
否、これで一人でフラリと外出出来れば何ら問題はなかったのだが、生憎と定信の様な大名ともなると、それは不可能であった。
そこで定信は一橋治済に絶対に悟られぬ様、蠣殻町にある清水家の下屋敷へと向かう段取りについて、少しだけだが長い時間をかけて昌忠と詰めた。
こうして昌忠は定信と「詰めの協議」を終えるや、再び、中奥へと、御三卿家老の詰所へと戻った訳だが、そこでは未だ、戸川逵和が吉川從弼を相手に「孫自慢」を続けており、また、幸いにも水谷勝富と林忠篤の姿もなかった。
さて治済は家治より受けた冷遇、否、仕打ちに正に、
「憤懣遣る方無い…」
その様な思いを抱えたまま下城に及び、屋敷へと帰り着いた。
この「憤懣」は意知だけではない、家治の息の根も止めないことには晴れない。
否、意知の息の根に関しては間もなく止められそうであり、その時、家治は寵臣を喪ったことで大いに悲歎に暮れるのは間違いなく、治済はその様を想起することで、憤懣を鎮めた。
するとその治済に嬉しい「報」が届いた。
その「報」は久田縫殿助と岩本喜内より齎され、田安家の3人の下屋敷奉行への「手入」が功を奏し、
「これでいつにても、下屋敷が…、寶蓮院様や、その側近くに仕えし者に気付かれることなく、自由に使えまする…」
岩本喜内が治済にそう報告したのであった。
無論、大奥においてであり、そこにはやはり「知恵袋」とも言うべき侍女の雛が控えていた。
「されば…、後は松平忠香より佐野善左衛門へと、定信が逢いたがっておると、伝えて貰い…」
治済は先日の新番頭・松平忠香への「手入」の際、木下川の畔における鷹狩りにて、見事、雁を仕留めた4人の番士にその褒美として将軍・家治より時服が下賜されるであろうその日に、忠香より佐野善左衛門へとその旨、伝えて貰うことを頼んでいたのだ。
「鷹狩りが行われしは12月3日…、大抵はその5日後に時服が下賜される故、されば明日の8日にも時服が下賜されるであろう…」
つまりは明日にも松平忠香から佐野善左衛門へと「声」を掛けて貰う。
「されば、何時、田安舘…、下屋敷にて上様…、いえ、定信様が佐野殿にお逢いあそばされるか、でござりまするな?」
雛がそう先を続けたので、治済も苦笑しつつ頷いた。
「されば…、上様…、家治公が次の
御放鷹の折が宜しいかと…」
雛のその提案に、治済は「ほう…」と声を上げ、その「提案理由」について雛を促した。
「家治公が千代田の御城におわせば…、それこそ千代田の御城より目を光らせている中では、仮令、田安家の下屋敷とは申せ、中々に立入った話も出来ますまいて…、その点、家治公が御放鷹へと出向かれれば…」
「その間、家治は御城を留守に…、要は鬼の居ぬ間に洗濯という訳だの?」
治済がそう引取って見せると、雛は「御意…」と応じた。
「それに家治公が御城を留守に致しますれば、御家老も…、田安家老の戸川殿も態々、将軍不在の御城へと出仕には及ばず…」
雛の言う通りであった。
即ち、定員が二人の御三卿家老は平日は毎日、交代で御城に登城するが、しかし、田安家の場合、当主不在の明屋形ということもあり、田安舘にて起居する謂わば「専属」の家老は戸川殿こと戸川山城守逵和一人しかおらず、畢竟、戸川逵和が一人で「平日登城」の役目を担わなければならないことになる。
だがそれでは大変と、家治は左様、思召されて、こと戸川逵和に限っては「平日登城」が免除されていた。
否、正確には、
「登城は勝手次第…」
つまりは平日は登城したい時にだけ登城すれば良いと、逵和は家治よりそう命じられていたのだ。
尤も、そうは言っても戸川逵和としては外の、一橋家や清水家、両家の家老は登城していると言うに、己一人、登城しないのは、
「何とも居心地が悪い…」
要は疎外感、更に噛砕けば、
「仲間外れ…」
その様な思いに苛まれ、結局、将軍・家治の折角の思召し、もとい心遣いにもかかわらず、引続き、一人で「平日登城」に及んでいた。
だが流石に将軍・家治が鷹狩りで御城に不在ともなると話は別であった。
戸川逵和が将軍・家治の心遣いにもかかわらず、一人で「平日登城」を担っているのにはもう一つ、
「己の存在を将軍・家治にアピールする…」
その目的があった。
否、それこそが主目的であり、仲間外れれ云々はさしずめ、「添物」に過ぎない。
戸川逵和は実入りの良い御三卿家老、田安家老の地位に安住してはいたものの、しかし、「平日登城」を繰返すことで、己の存在を将軍・家治にアピールすることが出来れば、そしてそのことが更なる出世へと繋がれば、それはそれで「目っけ物」にして「安い物」でもあるので、その思惑もあって、「平日登城」を繰返していたのだ。
それ故、戸川逵和も将軍・家治が御城不在の折にまで、態々、登城には及ばず、そこが当主を戴く一橋家老や清水家老との違いであった。
即ち、御三卿家老が平日は毎日、交代で登城するのは、
「情報収集…」
一つにはその目的があった。
御三卿に関わる政策について将軍が何か考えていないかどうか、御三卿家老はそれを把握すべく、例えば将軍の最側近として中奥を取仕切る御側御用取次から聞出したりして、それを御三卿に伝えるのを任務としていた。
表向役人である御三卿家老の詰所が中奥にあるのは一つには登城した御三卿を監視するという、本来任務の為であったが、しかしそれだけではなく、斯かる事情も含まれていた。
それ故、当主を戴く御三卿家老は平日は仮令、将軍が鷹狩りなどで御城を留守にしていようとも登城は欠かせなかった。
将軍は不在であっても、留守を預かる御側御用取次などが将軍の意を受けて、御三卿に関わる政策を話合っている可能性もあり得たからだ。
だが戸川逵和の様に仕えるべき、或いは監視対象とも言うべき御三卿がいないのでは、監視は元より、斯かる情報収集すら不要であり、そこで逵和が「平日登城」に及ぶのはあくまで己の栄達に過ぎず、将軍が御城に不在の折にまで態々登城しないのは当然であった。
そして家老の戸川逵和が御城に登城せず田安舘、それも上屋敷にいるとなれば、同じく上屋敷にて仕える田安家臣も、例えば番頭や用人も気軽に上屋敷を脱出る訳にはゆかず、
「上様が定信様として田安家の下屋敷にて佐野善左衛門殿と、お逢いあそばされていたとしても、愈々もって上屋敷にて仕えし家臣たち…、それも此度の計画とは無関係の家臣たちに気付かれる恐れが低減、いえ、完全に失くすることが出来まする…」
つまりは安心して田安家の下屋敷を勝手に使えると、雛は治済にその様な「提案理由」も告げた。
それで治済も腹が固まった。
「相分かった…、されば家治が次の鷹狩りの折に佐野善左衛門に逢おうぞ…」
治済はそう宣すると、
「定信としてな…」
口元を歪めてそう補足した。
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