67 / 169
プロデューサー、一橋治済。
しおりを挟む
佐野善左衛門は幸田源之助との「歓談」を終えるや、共に従者を随えて雉子橋御門の脇門より橋に出、そして橋を渡って御門外へと出た。
刻限は既に暮の六つ半(午後7時頃)をとうに過ぎており、将軍・家治も鷹狩りから帰って来たとあって、当然、雉子橋御門は堅く閉じられていた。
だが佐野善左衛門は、それに幸田源之助も、
「将軍・家治の鷹狩りへの扈従…」
つまりは公用にて御城への帰着が遅くなった訳で、それも御城の諸門が閉じられる暮六つ(午後6時頃)を過ぎての鷹狩りよりの帰着となり、雉子橋御門の門番もそれは承知していたので、佐野善左衛門と幸田源之助は共に従者を随えて脇門より御門を抜けることが許されたのであった。
佐野善左衛門は御厩谷に屋敷を構えているので雉子橋御門が所謂、
「最寄の…」
駅ならぬ御門であるのだが、幸田源之助にとってもまた、
「奇しくも…」
この雉子橋御門が最寄の御門であったのだ。
即ち、裏四番町に屋敷を構えていたのだ。
裏四番町と言えば佐野善左衛門が屋敷を構える御厩谷とも近く、それ故に佐野善左衛門は益々、この幸田源之助という男に親近感を覚えたのであった。
佐野善左衛門は幸田源之助と、
「近々…」
再会を約して、田安御門外の九段坂にて別れた。
雉子橋御門外を進むと、田安御門外の九段坂に突当たり、そこから更に真直ぐに進むと御厩谷へと通ずる道に突当たる。
それ故、佐野善左衛門主従は幸田源之助主従に見送られる格好で真直ぐに進んだ。
一方、幸田源之助が屋敷を構える裏四番町へは九段坂を右折しなければならず、それ故に幸田源之助主従は佐野善左衛門主従を見送る格好となったのだ。
その幸田源之助が佐野善左衛門の背中に向けて、それも、
「意気揚々…」
歩く佐野善左衛門の後姿に侮蔑の眼差しを向けていたとは、佐野善左衛門もよもや思いもせぬことであった。
さて、幸田源之助が屋敷に辿り着くと、そこには実の叔父―、父にして田安家にて用人格の郡奉行を勤める幸田友之助が実弟の幸田孫十郎親房が甥である源之助の帰りを待っていた。
幸田孫十郎は幸田源之助にとってはただの叔父に非ず、一橋家臣、それも馬役として主君、一橋治済の御側近くに仕える身であったのだ。
それ故、治済が松平定信に成済まして、田安家の下屋敷にて佐野善左衛門に逢う―、治済その計画、もとい「危険な遊戯」に幸田源之助の叔父である幸田孫十郎にも大いに「活躍」して貰っていた。
即ち、その「危険な遊戯」には欠かせない「協力者」の一人、用人格郡奉行の幸田友之助への「手入」をこの幸田孫十郎にも担って貰っていたのだ。
田安家の、それも女主である寶蓮院とその周辺の者に、
「気付かれることなく…」
田安家の下屋敷を勝手に使うには番頭や用人の協力が欠かせず、そこで一橋治済は彼等、田安家の番頭や用人への「手入」に関して基本的には側近中の側近である久田縫殿助や岩本喜内に担って貰っていたものの、更に、
「念には念を…」
幸田友之助への「手入」にはその実弟にして、治済が股肱の臣とも言うべき幸田孫十郎にも担って貰っていたのだ。
その幸田孫十郎は今日は休暇を取り、実家であるここ裏四番町にある屋敷に帰省していたのは外でもない、今日の鷹狩りにおける「首尾」を甥である幸田源之助より聞出す為であった。
幸田源之助は帰宅早々、奥座敷にて叔父・幸田孫十郎と二人きりになると、今日の鷹狩りにおける「あらまし」を語って聞かせた。
否、それだけではない、佐野善左衛門への「手入」の「あらまし」についても語って聞かせ、すると幸田孫十郎はその「上首尾」に大いに満足した様子であった。
「されば…、上手く事が成就せし暁には真、この源之助めを家斉公が御側近くに仕えし小納戸に、お取立て下さりますので?」
幸田源之助は叔父、孫十郎にすっかり語り終えるや、期待を込めて確かめる様にそう尋ね、すると叔父、孫十郎も深々と頷いてみせた。
翌12月4日、幸田孫十郎は一橋屋敷へと戻ると、己の縄張とも言うべき厩舎にて主君、一橋治済に逢い、そこで昨日、甥・幸田源之助より聞いた話をそのまま伝えた。
すると治済もまた、幸田孫十郎と同様、否、それ以上にその「上首尾」ぶりを喜んだ。
治済はそれから大奥へと向かい、久田縫殿助と岩本喜内、それにもう一人の側近中の側近である用人の杉山嘉兵衛と紅一点、侍女の雛をも交えて更に「謀議」を凝らした。
治済は彼等にも今しがた幸田孫十郎を介して伝えられた昨日の鷹狩りの「首尾」、それも「上首尾」ぶりを語って聞かせた。
否、それならば幸田孫十郎を大奥へと呼寄せて治済やそれに杉山嘉兵衛らの前でその「上首尾」ぶりを語って貰った方が合理的と言えたが、しかし馬役に過ぎぬ幸田孫十郎まで大奥へと招けば流石に、
「何かと小煩い…」
家老の水谷勝富に怪しまれるというものであり、そこで二度手間ではあるものの、まず治済が厩舎にて幸田孫十郎より話を―、昨日の鷹狩りの「首尾」について聞いて、次いで治済はそれをそのまま大奥へと招いた―、大奥へと招いても然程、水谷勝富からは怪しまれぬ杉山嘉兵衛らに語って聞かせたのであった。
「そこまで上手く事が運び申しましたのなら、いっそのこと幸田源之助殿より定信様の御名を出させましても宜しかったのではござりますまいか?」
まずは侍女の雛がそう口火を切った。
「定信もまた、田安家出身の者として、田安家を我物にせんと欲する田沼意知には憂慮しており、この際、元兇とも言うべき田沼意知を取除く必要がある…」
つまりは昨日の段階で幸田源之助に佐野善左衛門に対してそう語らせて、意知暗殺を嗾けさせても良かったのではないかと、雛はそう示唆したのであった。
これにはさしもの治済も苦笑させられた。
「相変わらず恐ろしい女子よのう、雛は…」
治済はまずは苦笑交じりにそう応ずると、
「昨日の段階でそこまで先走っては流石に佐野善左衛門めを尻込みさせるであろうし、何より、幸田源之助の真意を…、己に山城暗殺を嗾けんと欲せしその真意を疑うであろうぞ…」
諭す様な口調で雛にそう告げた。
「確かに…、今は…、昨日の段階では佐野善左衛門めには田沼山城殿への殺意…、とまでは行かずとも、悪感情を植付けられれば充分でござりましょう…」
用人の杉山嘉兵衛がそう口を挟み、治済を頷かせ、そして雛を納得させた。
「それにしても…、大田善大夫らは真、良き仕事をしてくれたものよ…」
治済はしみじみとそう口にすると、「クックッ」と嗤ってみせた。
昨日の鷹狩りにおける騒動―、木下川村の淨光寺における昼餉の騒動だが、将軍・家治はこの騒動について、
「これもまた、一橋治済めが仕業か…」
一瞬、そう思った。
しかし家治は直ぐに、
「牽強付会…」
何もかも、治済の所為にするのは良くないと、そう思い直すと、「下衆の勘繰り」であったと、そうも反省した。
だが実際にはそれは「牽強付会」でもなくば、「下衆の勘繰り」でもなかった。
即ち、
「これもまた、一橋治済めが仕業か…」
家治のその第一印象こそが正しかったのだ。
何しろ、昨日の騒ぎはあくまで「芝居」に過ぎず、その「芝居」の「脚本」から「演出」に至るまで、要は「プロデューサー」の役目を担ったのが外ならぬ一橋治済であるからだ。
騒動の元兇とも言うべき小姓組番士の大田善大夫だが、実は密かに―、家治も与り知らぬところで一橋治済と意を通じていたのだ。
それと言うのも大田善大夫には安次郎好行なる嫡子がおり、この安次郎が妻女はやはり一橋治済と意を通じている、と言うよりは治済の「共犯者」とも言うべき西之丸大奥老女の初崎の養女を―、初崎の姪孫を娶っており、しかもその間に初五郎好長なる子、善大夫にとっては嫡孫までもうけていたのだ。
それ故、大田善大夫は初崎を介して一橋治済と意を通ずる様になったのだ。
その大田善大夫が「騒動」を起こしたのは、即ち、
「四羽目の雁は佐野善左衛門が仕留めたもの…」
そう騒ぎ立てたのも勿論、一橋治済に嗾けられてのものである。
その大田善大夫に味方をしたのが小納戸にして次期将軍・家斉の叔父である岩本正五郎であり、これで終わっていれば、家治も或いは、
「やはり…、この騒動は一橋治済が仕業によるものか…」
再び、その様な「牽強付会」、「下衆の勘繰り」を復活させていたやも知れぬ。
だがここで、やはり一見、治済とは無関係と思しき同じく小姓組番士の戸田次郎左衛門が反対の声を上げ、それに小納戸の黒川内匠が与したことから、家治を困惑させた。
「四羽目の雁は佐野善左衛門が仕留めたものではなく、目附の池田修理が当初の見立て通り、澤吉次郎が仕留めしもの…」
戸田次郎左衛門がそう反論すれば、それに岩本正利の三女―、岩本正五郎の直ぐ上の姉を娶ってもいる黒川内匠も同調したのだ。
黒川内匠は岩本正五郎とは義理の兄弟に当たり、にもかかわらず、今回の「騒動」においては二手に分かれて争う格好となり、それ故、家治を困惑させたのだ。
何故なら、黒川内匠と岩本正五郎の義兄弟が争うということは一橋派内の争いに外ならず、家治もそれ故に、
「今回の騒ぎは一橋治済とは無関係…」
改めてその思いを強くした訳だが、しかし、それこそが治済の「狙い」であった。
実は大田善大夫・岩本正五郎の謂わば「連合軍」に最初に反論の「狼煙」を上げた戸田次郎左衛門もまた、一橋治済と意を通じていたのだ。
戸田次郎左衛門は嘗て西之丸新番士であった本多半三郎敏之が三男であり、それが嘗て西之丸小姓組番士であった戸田藤四郎光直の養嗣子に迎えられ、次郎左衛門は養父・藤四郎より戸田家の家督を継いで今に至るのだが、この戸田次郎左衛門の直ぐ上の実姉―、本多半三郎の一人娘こそが何を隠そう、今ここにいる―、一橋治済の側近中の側近、久田縫殿助長考の実母であるのだ。
戸田次郎左衛門が直ぐ上の実姉はやはりここ一橋家にて物頭を勤めていた久田縫殿助宣如に嫁ぎ、その間に久田縫殿助長考をもうけたのだ。
それ故、戸田次郎左衛門と久田縫殿助長考とは叔父と甥の関係にあり、
「一橋治済との所縁…」
その観点からすれば、戸田次郎左衛門は大田善大夫よりも、
「遥かに…」
一橋治済との所縁が深かった。
その戸田次郎左衛門が一橋治済の為に動くのは当然であり、戸田次郎左衛門が大田善大夫・岩本正五郎の「連合軍」に反論の「狼煙」を上げたのも勿論、一橋治済に嗾けられてのことであった。
大田善大夫と岩本正五郎の「連合軍」に対してまず、戸田次郎左衛門に反論の「狼煙」を上げさせ、その直後、岩本正五郎とは義兄弟の黒川内匠を戸田次郎左衛門に与させることで、家治を完全に困惑させ、ひいては、
「今回の騒ぎは一橋治済とは無関係…」
家治をそう誤導させるのが狙いであった。
治済としてはこの騒動をきっかけとして、佐野善左衛門に意知を討果たさせるつもりでおり、その様な治済にとって、
「これもまた、一橋治済めが仕業か…」
家治にそう気付かれるのは如何にも拙い。
そこで治済は「一橋派」である黒川内匠と岩本正五郎の義兄弟をも、敢えて争わせることで、
「今回の騒ぎは一橋治済とは無関係…」
家治をそう誤導させたのだ。
家治はその意味で治済の仕掛けた「罠」、もとい「芝居」にまんまと嵌められたと言えよう。
「否、我が愚息めも上様の為に働きとう存じまする…」
杉山嘉兵衛は同じく用人の久田縫殿助に対抗すべく、治済にそう主張するのを忘れなかった。
用人としての経歴で言えば杉山嘉兵衛の方が久田縫殿助よりも遥かに長い。だが、
「一橋治済の寵愛…」
それは久田縫殿助の方が杉山嘉兵衛よりも勝っており、そのことは杉山嘉兵衛自身が良く自覚するところであった。
何しろ杉山嘉兵衛はその身一代で一橋家に仕えているのに対して、久田縫殿助の場合―、縫殿助長考の場合、父・縫殿助宣如に続いて、つまりは、
「親子二代…」
一橋家に仕えていたのだ。
それ故、その身一代で一橋家に仕える杉山嘉兵衛よりも、父・縫殿助宣如に続いて一橋家に仕える久田縫殿助長考の方が治済の寵愛が篤いのも当然であった。
否、杉山嘉兵衛はだからこそ、久田縫殿助長考に、
「負けじと…」
治済に己の存在を主張することに余念がなかった。
治済もその様な杉山嘉兵衛の胸のうちは分かっており、杉山嘉兵衛のその「必死さ」には内心、苦笑を禁じ得なかったが、しかし、己の寵愛を巡って杉山嘉兵衛と久田縫殿助長考が互いに競い合うのは治済にとっては理想的とも言えた。
それ故、治済は久田縫殿助長考にも緊張感を持たせる意味から、敢えて杉山嘉兵衛の存在を、否、その息である杉山又四郎義制の存在を取上げ、持上げてみせた。
「分かっておるわ…、そなたが息、義制は余にとっては最後の砦であるによって、今はまだ温存しておきたいのよ…」
治済は敢えて杉山又四郎の諱を口にしてそう持上げた。
杉山嘉兵衛は大番家筋出身の旗本であり、本来ならば大番組か、或いは新番組に番入り、就職を果たすのが仕来りであり、実際、杉山嘉兵衛は一橋家にて、一橋家の始祖である宗尹に近習番として仕えるまでは大番士であった。
それは嫡子である杉山又四郎も同様であり、しかしその後、父・杉山嘉兵衛が一橋家にて順調に昇進を重ね、そして今から14年前の明和6(1769)年に遂に従六位布衣役である用人へと昇進を遂げるや、その子である杉山又四郎も、
「父の蔭により…」
大番より両番、それも小姓組番へと番替え、栄転を果たしたのであった。
杉山又四郎は小姓組番の中でも2番組に属しており、それ故、昨日の鷹狩りには扈従していなかったのだ。
昨日の鷹狩りには小姓組番よりは1番組と4番組が扈従した為に、それ故、2番組に属する杉山又四郎は昨日の鷹狩りにおいては「活躍」する余地がなかったのだ。
「否、杉山義制には最後の大一番にて活躍して貰わねばならぬ故、そなたも義制にも左様、心得ておく様に…」
治済は杉山嘉兵衛にそう囁くことで、杉山嘉兵衛を狂喜乱舞させた。
刻限は既に暮の六つ半(午後7時頃)をとうに過ぎており、将軍・家治も鷹狩りから帰って来たとあって、当然、雉子橋御門は堅く閉じられていた。
だが佐野善左衛門は、それに幸田源之助も、
「将軍・家治の鷹狩りへの扈従…」
つまりは公用にて御城への帰着が遅くなった訳で、それも御城の諸門が閉じられる暮六つ(午後6時頃)を過ぎての鷹狩りよりの帰着となり、雉子橋御門の門番もそれは承知していたので、佐野善左衛門と幸田源之助は共に従者を随えて脇門より御門を抜けることが許されたのであった。
佐野善左衛門は御厩谷に屋敷を構えているので雉子橋御門が所謂、
「最寄の…」
駅ならぬ御門であるのだが、幸田源之助にとってもまた、
「奇しくも…」
この雉子橋御門が最寄の御門であったのだ。
即ち、裏四番町に屋敷を構えていたのだ。
裏四番町と言えば佐野善左衛門が屋敷を構える御厩谷とも近く、それ故に佐野善左衛門は益々、この幸田源之助という男に親近感を覚えたのであった。
佐野善左衛門は幸田源之助と、
「近々…」
再会を約して、田安御門外の九段坂にて別れた。
雉子橋御門外を進むと、田安御門外の九段坂に突当たり、そこから更に真直ぐに進むと御厩谷へと通ずる道に突当たる。
それ故、佐野善左衛門主従は幸田源之助主従に見送られる格好で真直ぐに進んだ。
一方、幸田源之助が屋敷を構える裏四番町へは九段坂を右折しなければならず、それ故に幸田源之助主従は佐野善左衛門主従を見送る格好となったのだ。
その幸田源之助が佐野善左衛門の背中に向けて、それも、
「意気揚々…」
歩く佐野善左衛門の後姿に侮蔑の眼差しを向けていたとは、佐野善左衛門もよもや思いもせぬことであった。
さて、幸田源之助が屋敷に辿り着くと、そこには実の叔父―、父にして田安家にて用人格の郡奉行を勤める幸田友之助が実弟の幸田孫十郎親房が甥である源之助の帰りを待っていた。
幸田孫十郎は幸田源之助にとってはただの叔父に非ず、一橋家臣、それも馬役として主君、一橋治済の御側近くに仕える身であったのだ。
それ故、治済が松平定信に成済まして、田安家の下屋敷にて佐野善左衛門に逢う―、治済その計画、もとい「危険な遊戯」に幸田源之助の叔父である幸田孫十郎にも大いに「活躍」して貰っていた。
即ち、その「危険な遊戯」には欠かせない「協力者」の一人、用人格郡奉行の幸田友之助への「手入」をこの幸田孫十郎にも担って貰っていたのだ。
田安家の、それも女主である寶蓮院とその周辺の者に、
「気付かれることなく…」
田安家の下屋敷を勝手に使うには番頭や用人の協力が欠かせず、そこで一橋治済は彼等、田安家の番頭や用人への「手入」に関して基本的には側近中の側近である久田縫殿助や岩本喜内に担って貰っていたものの、更に、
「念には念を…」
幸田友之助への「手入」にはその実弟にして、治済が股肱の臣とも言うべき幸田孫十郎にも担って貰っていたのだ。
その幸田孫十郎は今日は休暇を取り、実家であるここ裏四番町にある屋敷に帰省していたのは外でもない、今日の鷹狩りにおける「首尾」を甥である幸田源之助より聞出す為であった。
幸田源之助は帰宅早々、奥座敷にて叔父・幸田孫十郎と二人きりになると、今日の鷹狩りにおける「あらまし」を語って聞かせた。
否、それだけではない、佐野善左衛門への「手入」の「あらまし」についても語って聞かせ、すると幸田孫十郎はその「上首尾」に大いに満足した様子であった。
「されば…、上手く事が成就せし暁には真、この源之助めを家斉公が御側近くに仕えし小納戸に、お取立て下さりますので?」
幸田源之助は叔父、孫十郎にすっかり語り終えるや、期待を込めて確かめる様にそう尋ね、すると叔父、孫十郎も深々と頷いてみせた。
翌12月4日、幸田孫十郎は一橋屋敷へと戻ると、己の縄張とも言うべき厩舎にて主君、一橋治済に逢い、そこで昨日、甥・幸田源之助より聞いた話をそのまま伝えた。
すると治済もまた、幸田孫十郎と同様、否、それ以上にその「上首尾」ぶりを喜んだ。
治済はそれから大奥へと向かい、久田縫殿助と岩本喜内、それにもう一人の側近中の側近である用人の杉山嘉兵衛と紅一点、侍女の雛をも交えて更に「謀議」を凝らした。
治済は彼等にも今しがた幸田孫十郎を介して伝えられた昨日の鷹狩りの「首尾」、それも「上首尾」ぶりを語って聞かせた。
否、それならば幸田孫十郎を大奥へと呼寄せて治済やそれに杉山嘉兵衛らの前でその「上首尾」ぶりを語って貰った方が合理的と言えたが、しかし馬役に過ぎぬ幸田孫十郎まで大奥へと招けば流石に、
「何かと小煩い…」
家老の水谷勝富に怪しまれるというものであり、そこで二度手間ではあるものの、まず治済が厩舎にて幸田孫十郎より話を―、昨日の鷹狩りの「首尾」について聞いて、次いで治済はそれをそのまま大奥へと招いた―、大奥へと招いても然程、水谷勝富からは怪しまれぬ杉山嘉兵衛らに語って聞かせたのであった。
「そこまで上手く事が運び申しましたのなら、いっそのこと幸田源之助殿より定信様の御名を出させましても宜しかったのではござりますまいか?」
まずは侍女の雛がそう口火を切った。
「定信もまた、田安家出身の者として、田安家を我物にせんと欲する田沼意知には憂慮しており、この際、元兇とも言うべき田沼意知を取除く必要がある…」
つまりは昨日の段階で幸田源之助に佐野善左衛門に対してそう語らせて、意知暗殺を嗾けさせても良かったのではないかと、雛はそう示唆したのであった。
これにはさしもの治済も苦笑させられた。
「相変わらず恐ろしい女子よのう、雛は…」
治済はまずは苦笑交じりにそう応ずると、
「昨日の段階でそこまで先走っては流石に佐野善左衛門めを尻込みさせるであろうし、何より、幸田源之助の真意を…、己に山城暗殺を嗾けんと欲せしその真意を疑うであろうぞ…」
諭す様な口調で雛にそう告げた。
「確かに…、今は…、昨日の段階では佐野善左衛門めには田沼山城殿への殺意…、とまでは行かずとも、悪感情を植付けられれば充分でござりましょう…」
用人の杉山嘉兵衛がそう口を挟み、治済を頷かせ、そして雛を納得させた。
「それにしても…、大田善大夫らは真、良き仕事をしてくれたものよ…」
治済はしみじみとそう口にすると、「クックッ」と嗤ってみせた。
昨日の鷹狩りにおける騒動―、木下川村の淨光寺における昼餉の騒動だが、将軍・家治はこの騒動について、
「これもまた、一橋治済めが仕業か…」
一瞬、そう思った。
しかし家治は直ぐに、
「牽強付会…」
何もかも、治済の所為にするのは良くないと、そう思い直すと、「下衆の勘繰り」であったと、そうも反省した。
だが実際にはそれは「牽強付会」でもなくば、「下衆の勘繰り」でもなかった。
即ち、
「これもまた、一橋治済めが仕業か…」
家治のその第一印象こそが正しかったのだ。
何しろ、昨日の騒ぎはあくまで「芝居」に過ぎず、その「芝居」の「脚本」から「演出」に至るまで、要は「プロデューサー」の役目を担ったのが外ならぬ一橋治済であるからだ。
騒動の元兇とも言うべき小姓組番士の大田善大夫だが、実は密かに―、家治も与り知らぬところで一橋治済と意を通じていたのだ。
それと言うのも大田善大夫には安次郎好行なる嫡子がおり、この安次郎が妻女はやはり一橋治済と意を通じている、と言うよりは治済の「共犯者」とも言うべき西之丸大奥老女の初崎の養女を―、初崎の姪孫を娶っており、しかもその間に初五郎好長なる子、善大夫にとっては嫡孫までもうけていたのだ。
それ故、大田善大夫は初崎を介して一橋治済と意を通ずる様になったのだ。
その大田善大夫が「騒動」を起こしたのは、即ち、
「四羽目の雁は佐野善左衛門が仕留めたもの…」
そう騒ぎ立てたのも勿論、一橋治済に嗾けられてのものである。
その大田善大夫に味方をしたのが小納戸にして次期将軍・家斉の叔父である岩本正五郎であり、これで終わっていれば、家治も或いは、
「やはり…、この騒動は一橋治済が仕業によるものか…」
再び、その様な「牽強付会」、「下衆の勘繰り」を復活させていたやも知れぬ。
だがここで、やはり一見、治済とは無関係と思しき同じく小姓組番士の戸田次郎左衛門が反対の声を上げ、それに小納戸の黒川内匠が与したことから、家治を困惑させた。
「四羽目の雁は佐野善左衛門が仕留めたものではなく、目附の池田修理が当初の見立て通り、澤吉次郎が仕留めしもの…」
戸田次郎左衛門がそう反論すれば、それに岩本正利の三女―、岩本正五郎の直ぐ上の姉を娶ってもいる黒川内匠も同調したのだ。
黒川内匠は岩本正五郎とは義理の兄弟に当たり、にもかかわらず、今回の「騒動」においては二手に分かれて争う格好となり、それ故、家治を困惑させたのだ。
何故なら、黒川内匠と岩本正五郎の義兄弟が争うということは一橋派内の争いに外ならず、家治もそれ故に、
「今回の騒ぎは一橋治済とは無関係…」
改めてその思いを強くした訳だが、しかし、それこそが治済の「狙い」であった。
実は大田善大夫・岩本正五郎の謂わば「連合軍」に最初に反論の「狼煙」を上げた戸田次郎左衛門もまた、一橋治済と意を通じていたのだ。
戸田次郎左衛門は嘗て西之丸新番士であった本多半三郎敏之が三男であり、それが嘗て西之丸小姓組番士であった戸田藤四郎光直の養嗣子に迎えられ、次郎左衛門は養父・藤四郎より戸田家の家督を継いで今に至るのだが、この戸田次郎左衛門の直ぐ上の実姉―、本多半三郎の一人娘こそが何を隠そう、今ここにいる―、一橋治済の側近中の側近、久田縫殿助長考の実母であるのだ。
戸田次郎左衛門が直ぐ上の実姉はやはりここ一橋家にて物頭を勤めていた久田縫殿助宣如に嫁ぎ、その間に久田縫殿助長考をもうけたのだ。
それ故、戸田次郎左衛門と久田縫殿助長考とは叔父と甥の関係にあり、
「一橋治済との所縁…」
その観点からすれば、戸田次郎左衛門は大田善大夫よりも、
「遥かに…」
一橋治済との所縁が深かった。
その戸田次郎左衛門が一橋治済の為に動くのは当然であり、戸田次郎左衛門が大田善大夫・岩本正五郎の「連合軍」に反論の「狼煙」を上げたのも勿論、一橋治済に嗾けられてのことであった。
大田善大夫と岩本正五郎の「連合軍」に対してまず、戸田次郎左衛門に反論の「狼煙」を上げさせ、その直後、岩本正五郎とは義兄弟の黒川内匠を戸田次郎左衛門に与させることで、家治を完全に困惑させ、ひいては、
「今回の騒ぎは一橋治済とは無関係…」
家治をそう誤導させるのが狙いであった。
治済としてはこの騒動をきっかけとして、佐野善左衛門に意知を討果たさせるつもりでおり、その様な治済にとって、
「これもまた、一橋治済めが仕業か…」
家治にそう気付かれるのは如何にも拙い。
そこで治済は「一橋派」である黒川内匠と岩本正五郎の義兄弟をも、敢えて争わせることで、
「今回の騒ぎは一橋治済とは無関係…」
家治をそう誤導させたのだ。
家治はその意味で治済の仕掛けた「罠」、もとい「芝居」にまんまと嵌められたと言えよう。
「否、我が愚息めも上様の為に働きとう存じまする…」
杉山嘉兵衛は同じく用人の久田縫殿助に対抗すべく、治済にそう主張するのを忘れなかった。
用人としての経歴で言えば杉山嘉兵衛の方が久田縫殿助よりも遥かに長い。だが、
「一橋治済の寵愛…」
それは久田縫殿助の方が杉山嘉兵衛よりも勝っており、そのことは杉山嘉兵衛自身が良く自覚するところであった。
何しろ杉山嘉兵衛はその身一代で一橋家に仕えているのに対して、久田縫殿助の場合―、縫殿助長考の場合、父・縫殿助宣如に続いて、つまりは、
「親子二代…」
一橋家に仕えていたのだ。
それ故、その身一代で一橋家に仕える杉山嘉兵衛よりも、父・縫殿助宣如に続いて一橋家に仕える久田縫殿助長考の方が治済の寵愛が篤いのも当然であった。
否、杉山嘉兵衛はだからこそ、久田縫殿助長考に、
「負けじと…」
治済に己の存在を主張することに余念がなかった。
治済もその様な杉山嘉兵衛の胸のうちは分かっており、杉山嘉兵衛のその「必死さ」には内心、苦笑を禁じ得なかったが、しかし、己の寵愛を巡って杉山嘉兵衛と久田縫殿助長考が互いに競い合うのは治済にとっては理想的とも言えた。
それ故、治済は久田縫殿助長考にも緊張感を持たせる意味から、敢えて杉山嘉兵衛の存在を、否、その息である杉山又四郎義制の存在を取上げ、持上げてみせた。
「分かっておるわ…、そなたが息、義制は余にとっては最後の砦であるによって、今はまだ温存しておきたいのよ…」
治済は敢えて杉山又四郎の諱を口にしてそう持上げた。
杉山嘉兵衛は大番家筋出身の旗本であり、本来ならば大番組か、或いは新番組に番入り、就職を果たすのが仕来りであり、実際、杉山嘉兵衛は一橋家にて、一橋家の始祖である宗尹に近習番として仕えるまでは大番士であった。
それは嫡子である杉山又四郎も同様であり、しかしその後、父・杉山嘉兵衛が一橋家にて順調に昇進を重ね、そして今から14年前の明和6(1769)年に遂に従六位布衣役である用人へと昇進を遂げるや、その子である杉山又四郎も、
「父の蔭により…」
大番より両番、それも小姓組番へと番替え、栄転を果たしたのであった。
杉山又四郎は小姓組番の中でも2番組に属しており、それ故、昨日の鷹狩りには扈従していなかったのだ。
昨日の鷹狩りには小姓組番よりは1番組と4番組が扈従した為に、それ故、2番組に属する杉山又四郎は昨日の鷹狩りにおいては「活躍」する余地がなかったのだ。
「否、杉山義制には最後の大一番にて活躍して貰わねばならぬ故、そなたも義制にも左様、心得ておく様に…」
治済は杉山嘉兵衛にそう囁くことで、杉山嘉兵衛を狂喜乱舞させた。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
徳川家基、不本意!
克全
歴史・時代
幻の11代将軍、徳川家基が生き残っていたらどのような世の中になっていたのか?田沼意次に取立てられて、徳川家基の住む西之丸御納戸役となっていた長谷川平蔵が、田沼意次ではなく徳川家基に取り入って出世しようとしていたらどうなっていたのか?徳川家治が、次々と死んでいく自分の子供の死因に疑念を持っていたらどうなっていたのか、そのような事を考えて創作してみました。
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子
ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。
Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる