62 / 169
天明3年12月3日、木下川の邊(ほとり)の鷹狩り ~木下川村の淨光寺における昼餉の騒動~ 4
しおりを挟む
成程、大田善大夫の言分にも一理はあった。
即ち、これまで鷹狩りにおいて鳥を射止めた故に褒美を、時服を下賜される番士と言えば、通例は小姓組番士と書院番士、一人ずつ、或いはそれに新番士や小十人組番士がこれまた、各一人ずつ、といった具合であり、同じ番より、例えば小姓組番より複数、二人以上の番士が時服を下賜された例はなかった。
池田修理もそれ故に、四羽の雁のうち半分に当たる二羽もの雁を仕留めたのが新番の番士とあっては如何にも具合が悪い―、新番よりは4番組の森彌五郎定救の外に、3番組の佐野善左衛門までが見事、雁を仕留めたことにより、将軍・家治より褒美を、時服を下賜されることになり、それでは小十人組番士に悪いと考え、そこで本来、佐野善左衛門が仕留めた雁を小十人組番士が仕留めたことにし、そこで池田修理は小十人組番より、
「適当に…」
澤吉次郎の名を挙げたのではあるまいか…、均衡を考えて、とはつまりはそういうことであった。
すると池田修理も己の判断―、戦功認定に自信が持てなくなって来、大田善大夫もそうと察すると、それを良いことに、
「いや、佐野善左衛門…、見事なる腕前、流石に佐野越前守盛綱侯が嫡流だけある…」
大田善大夫は佐野善左衛門をそう持上げてみせたのであった。
大田善大夫のその「ヨイショ」は佐野善左衛門の自尊心を大いに擽るものであった。
「佐野越前守盛綱の嫡流である…」
それは佐野善左衛門にとって最大のアイデンティティであるからだ。寄る辺とも言えるであろう。
大田善大夫はその点を捉えて、もっと言えば佐野善左衛門のその「血筋」を持上げて、佐野善左衛門の弓の腕前を褒め上げてみせたものだから、佐野善左衛門が大いに自尊心を擽られたのも当然であった。
だが冷静に考えてみれば、血筋と弓矢の腕前とは何ら関連性はない。
由緒正しき血筋を誇ろうとも、弓矢の技量は、
「からっきし…」
という者は数多おり、その逆もまた然り、由緒正しき血筋は誇らずとも、弓矢の技量に秀でた者もこれまた、
「数多…」
であった。
松本岩次郎もその点を捉えて反論した。
「血筋と弓矢の技量とは何ら関係はござるまいて…」
松本岩次郎は呆れた様子でそう反論したかと思うと、
「それに…、血筋と申しても、佐野越前某なぞ、所詮は田舎侍ではござろう…、然様なる田舎侍の、それこそ黴臭い血筋が何だと申すのやら…」
そう追撃ちをかけたのであった。
松本岩次郎のその「追撃ち」は佐野善左衛門の自尊心を木端微塵、粉々にするものであった。
「今一度、申してみぃ…」
佐野善左衛門は松本岩次郎を睨み据えつつ、低い声でもって怒りのオーラを発した。
それで松本岩次郎を震え上がらせようとしたのやも知れぬが、しかし生憎と、佐野善左衛門のその様な「こけおどし」に松本岩次郎が震え上がることはなく、それどころか、
「何度でも申そう…、そこもとが誇る佐野越前某なぞ、黴臭い田舎侍に過ぎぬということよ…」
佐野善左衛門を更にそう侮辱したのであった。しかも外の番士たちの面前にて、謂わば、
「満座にて…」
佐野善左衛門を侮辱したのであった。
もし佐野善左衛門がこのまま黙ってこの場をやり過ごせば、
「臆病者…」
外の番士たちからその「レッテル」を貼られることとなり、それは番士にとっては正に、万死に値する。
佐野善左衛門が咄嗟に、それも、
「条件反射的に…」
刀の柄に手をやったのも、番士としては至極、当然のことであった。
それに対して、松本岩次郎もまた、刀の柄に手をやり、これもまた、
「至極、当然…」
であった。
これで―、佐野善左衛門に今にも斬られるやも知れぬと、それを怖れて前言撤回、これまでの佐野善左衛門に対する侮辱を詫びる様では、今度は逆に松本岩次郎が、
「臆病者…」
その「レッテル」を貼られることになるからだ。
斯して、佐野善左衛門と松本岩次郎は双方、刀の柄に手をやり、今にも斬り合いを演じようとしていたところに将軍・家治が意知や松平康郷たちを随えて駆け付けたということらしかった。
小納戸頭取の稲葉正存の話によればつまりはそういうことであった。
稲葉正存も外の番士たち―、小姓組番、書院番の両番頭や新番頭、小十人頭とその配下の組頭や番士たちと共に境内にて青空の下、昼餉を摂っていた為に、佐野善左衛門と松本岩次郎の諍い、否、斬り合い一歩手前の一部始終を目撃していたのだ。
稲葉正存は一橋治済と意を通ずる御側御用取次の稲葉正明の縁者、分家筋に当たり、それ故、稲葉正存は小納戸頭取という、中奥においては御側御用取次に次ぐ要職にあり乍、将軍・家治の食事には一切、関与させては貰えなかった。
それは今の様な鷹狩りでの昼餉においてもそうであった。
無論、鷹狩りには参加させて貰えるものの、昼餉においては将軍・家治の食する昼餉の毒見は元より、給仕や配膳に至るまで関与させて貰えなかったのだ。
家治は家基の件以来、まずは側近である、それも将軍たる己の食事に関与する可能性のある小納戸頭取や小姓頭取、小姓や小納戸に至る全ての「家系」を洗出し、
「僅かでも…」
一橋治済との「所縁」が見受けられようものなら、食事に関しては排除した。
稲葉正存もそうして将軍・家治に「排除」された一人であり、それ故、今の様に鷹狩りにおいて昼餉ともなると、外の表向の番士たちと昼餉を共にするしかなく、将軍・家治の昼餉に関しては一切、関与出来なかった。
否、それ故に、稲葉正存は佐野善左衛門と松本岩次郎の斯かる「諍い」の一部始終を目撃する機会に恵まれたとも言える。
即ち、これまで鷹狩りにおいて鳥を射止めた故に褒美を、時服を下賜される番士と言えば、通例は小姓組番士と書院番士、一人ずつ、或いはそれに新番士や小十人組番士がこれまた、各一人ずつ、といった具合であり、同じ番より、例えば小姓組番より複数、二人以上の番士が時服を下賜された例はなかった。
池田修理もそれ故に、四羽の雁のうち半分に当たる二羽もの雁を仕留めたのが新番の番士とあっては如何にも具合が悪い―、新番よりは4番組の森彌五郎定救の外に、3番組の佐野善左衛門までが見事、雁を仕留めたことにより、将軍・家治より褒美を、時服を下賜されることになり、それでは小十人組番士に悪いと考え、そこで本来、佐野善左衛門が仕留めた雁を小十人組番士が仕留めたことにし、そこで池田修理は小十人組番より、
「適当に…」
澤吉次郎の名を挙げたのではあるまいか…、均衡を考えて、とはつまりはそういうことであった。
すると池田修理も己の判断―、戦功認定に自信が持てなくなって来、大田善大夫もそうと察すると、それを良いことに、
「いや、佐野善左衛門…、見事なる腕前、流石に佐野越前守盛綱侯が嫡流だけある…」
大田善大夫は佐野善左衛門をそう持上げてみせたのであった。
大田善大夫のその「ヨイショ」は佐野善左衛門の自尊心を大いに擽るものであった。
「佐野越前守盛綱の嫡流である…」
それは佐野善左衛門にとって最大のアイデンティティであるからだ。寄る辺とも言えるであろう。
大田善大夫はその点を捉えて、もっと言えば佐野善左衛門のその「血筋」を持上げて、佐野善左衛門の弓の腕前を褒め上げてみせたものだから、佐野善左衛門が大いに自尊心を擽られたのも当然であった。
だが冷静に考えてみれば、血筋と弓矢の腕前とは何ら関連性はない。
由緒正しき血筋を誇ろうとも、弓矢の技量は、
「からっきし…」
という者は数多おり、その逆もまた然り、由緒正しき血筋は誇らずとも、弓矢の技量に秀でた者もこれまた、
「数多…」
であった。
松本岩次郎もその点を捉えて反論した。
「血筋と弓矢の技量とは何ら関係はござるまいて…」
松本岩次郎は呆れた様子でそう反論したかと思うと、
「それに…、血筋と申しても、佐野越前某なぞ、所詮は田舎侍ではござろう…、然様なる田舎侍の、それこそ黴臭い血筋が何だと申すのやら…」
そう追撃ちをかけたのであった。
松本岩次郎のその「追撃ち」は佐野善左衛門の自尊心を木端微塵、粉々にするものであった。
「今一度、申してみぃ…」
佐野善左衛門は松本岩次郎を睨み据えつつ、低い声でもって怒りのオーラを発した。
それで松本岩次郎を震え上がらせようとしたのやも知れぬが、しかし生憎と、佐野善左衛門のその様な「こけおどし」に松本岩次郎が震え上がることはなく、それどころか、
「何度でも申そう…、そこもとが誇る佐野越前某なぞ、黴臭い田舎侍に過ぎぬということよ…」
佐野善左衛門を更にそう侮辱したのであった。しかも外の番士たちの面前にて、謂わば、
「満座にて…」
佐野善左衛門を侮辱したのであった。
もし佐野善左衛門がこのまま黙ってこの場をやり過ごせば、
「臆病者…」
外の番士たちからその「レッテル」を貼られることとなり、それは番士にとっては正に、万死に値する。
佐野善左衛門が咄嗟に、それも、
「条件反射的に…」
刀の柄に手をやったのも、番士としては至極、当然のことであった。
それに対して、松本岩次郎もまた、刀の柄に手をやり、これもまた、
「至極、当然…」
であった。
これで―、佐野善左衛門に今にも斬られるやも知れぬと、それを怖れて前言撤回、これまでの佐野善左衛門に対する侮辱を詫びる様では、今度は逆に松本岩次郎が、
「臆病者…」
その「レッテル」を貼られることになるからだ。
斯して、佐野善左衛門と松本岩次郎は双方、刀の柄に手をやり、今にも斬り合いを演じようとしていたところに将軍・家治が意知や松平康郷たちを随えて駆け付けたということらしかった。
小納戸頭取の稲葉正存の話によればつまりはそういうことであった。
稲葉正存も外の番士たち―、小姓組番、書院番の両番頭や新番頭、小十人頭とその配下の組頭や番士たちと共に境内にて青空の下、昼餉を摂っていた為に、佐野善左衛門と松本岩次郎の諍い、否、斬り合い一歩手前の一部始終を目撃していたのだ。
稲葉正存は一橋治済と意を通ずる御側御用取次の稲葉正明の縁者、分家筋に当たり、それ故、稲葉正存は小納戸頭取という、中奥においては御側御用取次に次ぐ要職にあり乍、将軍・家治の食事には一切、関与させては貰えなかった。
それは今の様な鷹狩りでの昼餉においてもそうであった。
無論、鷹狩りには参加させて貰えるものの、昼餉においては将軍・家治の食する昼餉の毒見は元より、給仕や配膳に至るまで関与させて貰えなかったのだ。
家治は家基の件以来、まずは側近である、それも将軍たる己の食事に関与する可能性のある小納戸頭取や小姓頭取、小姓や小納戸に至る全ての「家系」を洗出し、
「僅かでも…」
一橋治済との「所縁」が見受けられようものなら、食事に関しては排除した。
稲葉正存もそうして将軍・家治に「排除」された一人であり、それ故、今の様に鷹狩りにおいて昼餉ともなると、外の表向の番士たちと昼餉を共にするしかなく、将軍・家治の昼餉に関しては一切、関与出来なかった。
否、それ故に、稲葉正存は佐野善左衛門と松本岩次郎の斯かる「諍い」の一部始終を目撃する機会に恵まれたとも言える。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
保健室の秘密...
とんすけ
大衆娯楽
僕のクラスには、保健室に登校している「吉田さん」という女の子がいた。
吉田さんは目が大きくてとても可愛らしく、いつも艶々な髪をなびかせていた。
吉田さんはクラスにあまりなじめておらず、朝のHRが終わると帰りの時間まで保健室で過ごしていた。
僕は吉田さんと話したことはなかったけれど、大人っぽさと綺麗な容姿を持つ吉田さんに密かに惹かれていた。
そんな吉田さんには、ある噂があった。
「授業中に保健室に行けば、性処理をしてくれる子がいる」
それが吉田さんだと、男子の間で噂になっていた。
小沢機動部隊
ypaaaaaaa
歴史・時代
1941年4月10日に世界初の本格的な機動部隊である第1航空艦隊の司令長官が任命された。
名は小沢治三郎。
年功序列で任命予定だった南雲忠一中将は”自分には不適任”として望んで第2艦隊司令長官に就いた。
ただ時局は引き返すことが出来ないほど悪化しており、小沢は戦いに身を投じていくことになる。
毎度同じようにこんなことがあったらなという願望を書き綴ったものです。
楽しんで頂ければ幸いです!
徳川家基、不本意!
克全
歴史・時代
幻の11代将軍、徳川家基が生き残っていたらどのような世の中になっていたのか?田沼意次に取立てられて、徳川家基の住む西之丸御納戸役となっていた長谷川平蔵が、田沼意次ではなく徳川家基に取り入って出世しようとしていたらどうなっていたのか?徳川家治が、次々と死んでいく自分の子供の死因に疑念を持っていたらどうなっていたのか、そのような事を考えて創作してみました。
よあけまえのキミへ
三咲ゆま
歴史・時代
時は幕末。二月前に父を亡くした少女、天野美湖(あまのみこ)は、ある日川辺で一枚の写真を拾った。
落とし主を探すべく奔走するうちに、拾い物が次々と縁をつなぎ、彼女の前にはやがて導かれるように六人の志士が集う。
広がる人脈に胸を弾ませていた美湖だったが、そんな日常は、やがてゆるやかに崩れ始めるのだった。
京の町を揺るがす不穏な連続放火事件を軸に、幕末に生きる人々の日常と非日常を描いた物語。
吉宗のさくら ~八代将軍へと至る道~
裏耕記
歴史・時代
破天荒な将軍 吉宗。民を導く将軍となれるのか
―――
将軍?捨て子?
貴公子として生まれ、捨て子として道に捨てられた。
その暮らしは長く続かない。兄の不審死。
呼び戻された吉宗は陰謀に巻き込まれ将軍位争いの旗頭に担ぎ上げられていく。
次第に明らかになる不審死の謎。
運命に導かれるようになりあがる吉宗。
将軍となった吉宗が隅田川にさくらを植えたのはなぜだろうか。
※※
暴れん坊将軍として有名な徳川吉宗。
低迷していた徳川幕府に再び力を持たせた。
民の味方とも呼ばれ人気を博した将軍でもある。
徳川家の序列でいくと、徳川宗家、尾張家、紀州家と三番目の家柄で四男坊。
本来ならば将軍どころか実家の家督も継げないはずの人生。
数奇な運命に付きまとわれ将軍になってしまった吉宗は何を思う。
本人の意思とはかけ離れた人生、権力の頂点に立つのは幸運か不運なのか……
突拍子もない政策や独創的な人事制度。かの有名なお庭番衆も彼が作った役職だ。
そして御三家を模倣した御三卿を作る。
決して旧来の物を破壊するだけではなかった。その効用を充分理解して変化させるのだ。
彼は前例主義に凝り固まった重臣や役人たちを相手取り、旧来の慣習を打ち破った。
そして独自の政策や改革を断行した。
いきなり有能な人間にはなれない。彼は失敗も多く完全無欠ではなかったのは歴史が証明している。
破天荒でありながら有能な将軍である徳川吉宗が、どうしてそのような将軍になったのか。
おそらく将軍に至るまでの若き日々の経験が彼を育てたのだろう。
その辺りを深堀して、将軍になる前の半生にスポットを当てたのがこの作品です。
本作品は、第9回歴史・時代小説大賞の参加作です。
投票やお気に入り追加をして頂けますと幸いです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる