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田安家の壽桂尼の「訓戒」 ~寶蓮院は「我が子」である松平定信に若年寄の田沼意知の暗殺を断念させる~
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さて、田安屋敷の大奥にある一室、奥座敷にて定邦が「女主」の寶蓮院と向かい合うなり、ここでもやはり定邦は不意の訪問を詫びた。
それから定邦は早速、本題に入った。
即ち、昨日の一橋治済が主催の茶会に出席した定信がその席にて、やはり治済によって招かれていた意知が治済によって、
「部屋住の身のまま、若年寄から更に老中へと進まれる…」
そう持上げられたことから、定信は意知の暗殺を決意し、あまつさえ、己の手を汚してでもと、その気構えでおり、
「このままでは白河11万石も危うく…」
下手をすれば白河松平家が取潰されるやも知れず、非常に難儀しており、
「そこで寶蓮院様より定信をお諫めして下さり度…」
定邦は目の前に端座する寶蓮院にそう泣付いたのであった。
それに対して寶蓮院も「承りましてござる」と応じてくれたので、
「然らば早速にも定信を…」
定邦が養子・定信をここ、寶蓮院の前に連れて来るべく腰を浮かしかけたところで、
「なりませぬ」
寶蓮院から結構な強い調子でそれを制せられた。
「貴方様は仮にも定信が親なれば、親の身で子の案内役などを務めましては子に侮られましょう…」
それが寶蓮院が定邦を制した理由であった。
だが、寶蓮院に定信を諫めて貰うには、当たり前だが、定信を寶蓮院の前に連れて来る必要があった。
まさかに寶蓮院が定信の許へと足を運ぶ訳にもゆくまい。
何しろ、寶蓮院もまた、定信の親、もう一人の母親なのである。
その様な寶蓮院が子である定信を諫めるべく、態々、親である寶蓮院が定信の許へと足を運んではそれこそ、侮られる元となる。
寶蓮院もそれは承知していたので、そこでもう一人の廣敷用人である竹本又八郎を北八丁堀にある白河藩上屋敷へと差向けた。
定信がここ田安屋敷の大奥にて暮らしていた頃、その大奥に仕える男子役人である廣敷用人は今と同じく、杉浦猪兵衛と竹本又八郎、毛利斎宮の3人であり、定信はその中でも竹本又八郎を一番ひいきにしていた。
それは恐らくは、「竹本」なる姓に由来するに違いなかった。
即ち、定信が父にして、田安徳川家の始祖である宗武が母堂、つまりは定信の祖母の古牟は竹本茂兵衛正長の長女であったのだ。
ちなみに松平定邦が定信を養嗣子に貰い受けるべく、定信の養母である寶蓮院との交渉の為に田安屋敷に通っていた頃、番頭を務めていた竹本要人はその縁者―、古牟の実弟である竹本茂兵衛正堅が嫡男、つまりは甥に当たる。
尤も、廣敷用人の竹本又八郎は古牟とは無関係であり、偶々、苗字が同じというだけに過ぎなかった。
それは定信も勿論、承知していたが、しかし、偶々とは申せ、己が祖母である古牟の実家の姓と同じくする竹本又八郎に対して、定信は大いにシンパシーを感じた様で、それ故、定信は竹本又八郎を贔屓にしていたのだ。
寶蓮院もそのことは定信の養母、育ての親として具に定信を目の当たりにしてきただけに、良く承知していた。
そこで定信を連れて来させるならば、竹本又八郎が一番適任であろうと、寶蓮院はそう判断して、竹本又八郎を定信の許へと差向け、定信を連れて来させることにしたのであった。
それから半刻(約1時間程)が経った頃であろうか、竹本又八郎が寶蓮院の許に、いや、今は寶蓮院と共に並んで着座する定邦の許にも定信を連れて来た。
その定信だが、寶蓮院に呼出された時より―、竹本又八郎より寶蓮院が呼んでいると告げられた頃より、その理由、己が寶蓮院に呼出される理由に察しが付いた。
「田沼意知の暗殺など止めよ…」
養母上はそれを命じるべく、己を呼出したに相違あるまいと、定信は直感した
そしてその「直感」を裏付ける様に、寶蓮院の隣には養父の定邦が実に居心地悪そうに座っていた。
「さては養父上が養母上に泣付かれたか…」
定信は寶蓮院と定邦を前にすると、そうも直感した。
事実、その通りであり、寶蓮院は定信を前にすると、意知暗殺などと、
「馬鹿な真似は考えるでない」
まずは定信をそう一喝してみせた。
寶蓮院は女であり、そうである以上、定信の意識としては、いや、定信のみならず、この時代における武士全体の意識でもあろうが、
「女が男の世界に口を挟むでないっ」
といったところであろうが、しかし寶蓮院は女であると同時に定信の養母、育ての親でもあった。
それ故、定信は寶蓮院を前にしてはそれこそ、
「借りてきた猫のよう…」
本能的に大人しくなった。
寶蓮院はそうして定信を大人しくさせたところで、口調を和らげた。
「宜しいか?賢丸殿…」
寶蓮院は敢えて定信の幼名を口にした。育ての母であることを、その母よりの諫言、忠言であるということを定信に認識させる為であった。
「そなたは一橋民部殿に…、治済殿に操られているのですよ?」
「えっ?この定信が操られている、と?」
「左様…、ここで仮に賢丸殿が短慮を起こさば…、田沼山城を打果たしたところで、誰が一番喜ぶと…、言うなれば得をすると思われるか?」
「それは…」
「治済殿よ…」
「そは…、また何故にて?」
「良いか?治済殿は将軍家御養君…、次期将軍たる家斉公が父君にて、されば家斉公が晴れて将軍と…、上様となりし暁には治済殿は上様の父君として、今まで以上に権勢を振るおうと思うておられる筈…」
「確かに…」
「その様な時に、治済殿にとって目障りとなるのが田沼山城…、と申すよりは田沼主殿・山城父子に、そして賢丸殿、貴方なのですよ」
「えっ!?」
「治済殿が権勢を振るうには、まず、前代に仕えし…、家治公に近侍せし者を一掃せねばならず…」
仮に家斉が家治を継いで新将軍となり、治済も新将軍となった倅・家斉の実父として大いに権勢を振るうに際して、成程、先代の家治に仕えていた、それも側近くに仕えていた者は目障り以外の何物でもなかろう。
治済が新将軍の実父として大いに権勢を振るうには自らが選んだ者たちで新将軍、即ち、倅・家斉の側近くを固めさせた方が何かと都合が良いからだ。
先代からの遺物、いや、異物とも言うべき家治の側近くに仕えていた者たち、とりわけ、田沼父子などは治済にとっては今や…、倅・家斉が次期将軍に選ばれた今となっては最早、目障りな存在であった。
仮令、その田沼父子、ことに父親である意次が家斉を次期将軍に推挙してくれた、正に治済にとっては恩人であったとしてもだ。
寶蓮院はその点を指摘し、定信を大いに頷かせた。
「田沼父子が治済殿にとって目障りな存在と化していることは分かり申したが、何故にこの定信までが治済殿にとって目障りな存在に?」
定信は首を傾げた。
「定信とて、治済殿と同じく、八代様の孫だと申すに…」
同じ八代将軍・吉宗の孫同士、治済が何故に己を目障りに思うのか、それが定信には分からなかった。
「それは、さればこそ、ですよ」
「えっ?」
「治済殿は賢丸殿、そなたとは同じく八代様の孫故に、そなたを目障りに思うのですよ…」
「そは一体…」
「宜しいか?仮に、治済殿が上様の父君として大いに権勢を振るう上で一番の脅威となるのは…、治済殿の前に壁として立ちはだかるは誰だと思われるか?」
「それは…」
「賢丸殿、そなたよ…」
「えっ?この定信が?」
「左様…、治済殿が大いに権勢を振るおうにも、同じく八代様の孫である賢丸殿がおられれば…、それこそ賢丸殿が目を光らせておれば、治済殿とて、そう、おいそれとは権勢を振るえず…」
「この定信が目を光らせるなどとは…」
「いえ、仮令、賢丸殿、貴方にそのつもりがなくとも、治済殿にしてみれば、賢丸殿が目が光っておると…、つまりは賢丸殿の存在を恐れているのですよ」
「治済殿がこの定信を恐れている、と?」
「左様…、治済殿が権勢を…、悪く申さば跳梁を掣肘出来る唯一の存在が治済殿と同じく、八代様の孫である賢丸殿、そなただからですよ…」
「そは…、治済殿が左様に思われている、と?」
「左様…」
「いや、なれど…、八代様の孫なれば、この定信の外にもおられましょう…」
「確かに…、上様…、今の上様であらせられし家治公が御舎弟の清水宮内卿様を筆頭に、豊丸殿…、定國殿や松平越前殿がおられましょう…」
清水宮内卿重好や豊丸殿こと伊豫松山藩主である松平隠岐守定國、そして越前殿こと福井藩主の松平越前守重富の3人もまた、八代将軍・吉宗の孫であった。
「なれど清水宮内卿様は柔弱なところがあり些か…、一橋民部殿が跳梁を掣肘するには些か心許無く…」
確かに、清水重好には柔弱なところがあり、到底、一橋治済の「壁」とはならないだろう。
「また、定國殿は些か、粗忽…」
定國は定信の実兄、それも同母兄であり、定國もやはり寶蓮院によって育てられた。
それ故、寶蓮院は思わず、「豊丸」と定國を手許にて育てていた頃の癖で、その折に散々口にした幼名をつい口にしたもので、また、寶蓮院は定國の育ての親だけあって、定國のその気性を熟知していた。
つまりは定國は粗忽、要は「おっちょこちょい」であり、これではやはり治済の「壁」とはならず、治済に軽くあしらわれるのがオチであろう。
そして松平重富に至っては、治済の実兄であり、家斉にとっては伯父に当たるので、その様な重富が元より治済の「壁」になどなろう筈もなく、それどころか家斉の伯父という立場を利用して、治済と共に跳梁を恣にするに違いない。
それ故、八代将軍・吉宗の孫の中で、治済の「壁」となりそうなのは、その跳梁を阻止出来そうなのは定信を措いて外にはなく、そのことは誰よりも治済自身が一番良く分かっているに相違ない。
寶蓮院からそう諭されて、定信も漸くに事態が呑込めた。
「されば一橋殿はこの定信を嗾けて、田沼山城めと相討ちにさせようと企んでいる、と?」
定信が確かめる様に尋ねると、寶蓮院も頷いた。
「賢丸殿が田沼山城と相討ちに…、共倒れと相成れば、治済殿にとってはこれ程、都合が良いことは外にはござるまいて…」
寶蓮院はそう補足した。
「成程…、それにしても何故に父親の田沼主殿めではなく、その息の田沼山城めにて?」
治済は何故に田沼意次ではなく、その倅である意知を己と相討ち、共倒れにさせようと欲するのか、それが定信には分からなかった。
己との共倒れを狙うとすれば、意知ではなく、父・意次の方が良さそうに思えたからだ。
「父・主殿を賢丸殿と相討ち、共倒れにさせたところで、山城が父・主殿を引継いで治済殿が壁となるだけのこと…、何しろ山城はこれからの御仁…、言うなれば将来性があり…、翻って主殿は最早、壮年にて倅、山城とは異なり、後は下り坂にて…、されば山城を賢丸殿と相討ち、共倒れに出来れば、主殿に決定的な打撃を与えることが出来申す…、いや、嫡子を喪わせることになる故に、田沼家そのものに決定的な打撃を与えることにも…」
意知が将来性があるとは、定信はその点は些か、承服出来かねたが、それは兎も角、成程と頷かされた。
意次よりも意知を己を相討ち、共倒れにさせれば、意次にしてみれば期待していた嫡子を喪うことを意味し、決定的な打撃をも与えられよう。
「さればそれ故に、主殿も落胆し、治済殿が壁として立ちはだかるだけの気力をも喪わせましょう…」
意知に先立たれれば、意次の気力をも喪わせることが出来るので、治済にとっては一石二鳥という訳だ。
いや、定信が現職の若年寄である意知を討果たしたとあらば、定信さえも破滅させることが出来、そうなれば治済は思う存分、権勢が振るえる、要はやりたい放題、し放題が約束されるという訳で、一石二鳥どころか三鳥、いや、四鳥もの効果が見込めよう。
尤も、それはあくまで表向きの理由に過ぎない。
治済が定信に意知を討果たさせようとしている真の理由は別にあり、
「若年寄として家基の死の真相の探索の指揮を執る意知が目障りになったから…」
それこそが治済が意知を暗殺しようと、それも定信に討果たさせようとしている真の理由に相違なかった。
寶蓮院もまた、家治より密かに、意知に家基の死の真相を探索させるべく、その指揮を執らせるべく若年寄へと進ませたことを耳打うちされていたのだ。
無論、その後の探索の状況についてまでは寶蓮院も知らないが、治済が意知の暗殺を決意したということは、治済は意知が若年寄へと進んだ真の理由に勘付き、のみならず、その意知が家基の死の真相に近付きつつあるからではないか…、寶蓮院は定邦より定信が治済に唆されて、意知を暗殺しようとしているので何とかして欲しいと泣付かれた時、直ぐにそうと気付いた。
だが定信は元より定邦さえも、意知が家基の死の真相を探っていることは知らない。
それ故、寶蓮院としても定信に意知暗殺を断念させるに当たってそのことを、治済が意知を暗殺しようとしている真の理由を定邦や定信の前で口にする訳にはゆかず、そこで替わりに、
「治済が将軍・家斉の実父として権勢を振るおうとしており、それには意知と定信が邪魔である云々…」
その様な口実をもうけたのだ。
いや、これとてあながち間違いではなかろう。治済のことである。仮令、意知が家基の死の真相の探索という「密命」を帯びておらずとも、いずれは、それも晴れて我が子・家斉が新将軍となった暁には田沼父子と定信をまとめて始末しようと考えるに相違なかった。
将軍の実父として権勢を振るうには、やりたい放題、し放題、その限りを尽くすには必ずや田沼父子とそれに定信が目障りとなるからだ。
ともあれ定信は今や、漸くに目が醒めたらしく、
「養母上のお話、良く分かり申した…」
定信は寶蓮院を前にして、畳に両手を突いてそう応じたのであった。
それは定信も意知暗殺を完全に断念した瞬間であった。
それから定邦は早速、本題に入った。
即ち、昨日の一橋治済が主催の茶会に出席した定信がその席にて、やはり治済によって招かれていた意知が治済によって、
「部屋住の身のまま、若年寄から更に老中へと進まれる…」
そう持上げられたことから、定信は意知の暗殺を決意し、あまつさえ、己の手を汚してでもと、その気構えでおり、
「このままでは白河11万石も危うく…」
下手をすれば白河松平家が取潰されるやも知れず、非常に難儀しており、
「そこで寶蓮院様より定信をお諫めして下さり度…」
定邦は目の前に端座する寶蓮院にそう泣付いたのであった。
それに対して寶蓮院も「承りましてござる」と応じてくれたので、
「然らば早速にも定信を…」
定邦が養子・定信をここ、寶蓮院の前に連れて来るべく腰を浮かしかけたところで、
「なりませぬ」
寶蓮院から結構な強い調子でそれを制せられた。
「貴方様は仮にも定信が親なれば、親の身で子の案内役などを務めましては子に侮られましょう…」
それが寶蓮院が定邦を制した理由であった。
だが、寶蓮院に定信を諫めて貰うには、当たり前だが、定信を寶蓮院の前に連れて来る必要があった。
まさかに寶蓮院が定信の許へと足を運ぶ訳にもゆくまい。
何しろ、寶蓮院もまた、定信の親、もう一人の母親なのである。
その様な寶蓮院が子である定信を諫めるべく、態々、親である寶蓮院が定信の許へと足を運んではそれこそ、侮られる元となる。
寶蓮院もそれは承知していたので、そこでもう一人の廣敷用人である竹本又八郎を北八丁堀にある白河藩上屋敷へと差向けた。
定信がここ田安屋敷の大奥にて暮らしていた頃、その大奥に仕える男子役人である廣敷用人は今と同じく、杉浦猪兵衛と竹本又八郎、毛利斎宮の3人であり、定信はその中でも竹本又八郎を一番ひいきにしていた。
それは恐らくは、「竹本」なる姓に由来するに違いなかった。
即ち、定信が父にして、田安徳川家の始祖である宗武が母堂、つまりは定信の祖母の古牟は竹本茂兵衛正長の長女であったのだ。
ちなみに松平定邦が定信を養嗣子に貰い受けるべく、定信の養母である寶蓮院との交渉の為に田安屋敷に通っていた頃、番頭を務めていた竹本要人はその縁者―、古牟の実弟である竹本茂兵衛正堅が嫡男、つまりは甥に当たる。
尤も、廣敷用人の竹本又八郎は古牟とは無関係であり、偶々、苗字が同じというだけに過ぎなかった。
それは定信も勿論、承知していたが、しかし、偶々とは申せ、己が祖母である古牟の実家の姓と同じくする竹本又八郎に対して、定信は大いにシンパシーを感じた様で、それ故、定信は竹本又八郎を贔屓にしていたのだ。
寶蓮院もそのことは定信の養母、育ての親として具に定信を目の当たりにしてきただけに、良く承知していた。
そこで定信を連れて来させるならば、竹本又八郎が一番適任であろうと、寶蓮院はそう判断して、竹本又八郎を定信の許へと差向け、定信を連れて来させることにしたのであった。
それから半刻(約1時間程)が経った頃であろうか、竹本又八郎が寶蓮院の許に、いや、今は寶蓮院と共に並んで着座する定邦の許にも定信を連れて来た。
その定信だが、寶蓮院に呼出された時より―、竹本又八郎より寶蓮院が呼んでいると告げられた頃より、その理由、己が寶蓮院に呼出される理由に察しが付いた。
「田沼意知の暗殺など止めよ…」
養母上はそれを命じるべく、己を呼出したに相違あるまいと、定信は直感した
そしてその「直感」を裏付ける様に、寶蓮院の隣には養父の定邦が実に居心地悪そうに座っていた。
「さては養父上が養母上に泣付かれたか…」
定信は寶蓮院と定邦を前にすると、そうも直感した。
事実、その通りであり、寶蓮院は定信を前にすると、意知暗殺などと、
「馬鹿な真似は考えるでない」
まずは定信をそう一喝してみせた。
寶蓮院は女であり、そうである以上、定信の意識としては、いや、定信のみならず、この時代における武士全体の意識でもあろうが、
「女が男の世界に口を挟むでないっ」
といったところであろうが、しかし寶蓮院は女であると同時に定信の養母、育ての親でもあった。
それ故、定信は寶蓮院を前にしてはそれこそ、
「借りてきた猫のよう…」
本能的に大人しくなった。
寶蓮院はそうして定信を大人しくさせたところで、口調を和らげた。
「宜しいか?賢丸殿…」
寶蓮院は敢えて定信の幼名を口にした。育ての母であることを、その母よりの諫言、忠言であるということを定信に認識させる為であった。
「そなたは一橋民部殿に…、治済殿に操られているのですよ?」
「えっ?この定信が操られている、と?」
「左様…、ここで仮に賢丸殿が短慮を起こさば…、田沼山城を打果たしたところで、誰が一番喜ぶと…、言うなれば得をすると思われるか?」
「それは…」
「治済殿よ…」
「そは…、また何故にて?」
「良いか?治済殿は将軍家御養君…、次期将軍たる家斉公が父君にて、されば家斉公が晴れて将軍と…、上様となりし暁には治済殿は上様の父君として、今まで以上に権勢を振るおうと思うておられる筈…」
「確かに…」
「その様な時に、治済殿にとって目障りとなるのが田沼山城…、と申すよりは田沼主殿・山城父子に、そして賢丸殿、貴方なのですよ」
「えっ!?」
「治済殿が権勢を振るうには、まず、前代に仕えし…、家治公に近侍せし者を一掃せねばならず…」
仮に家斉が家治を継いで新将軍となり、治済も新将軍となった倅・家斉の実父として大いに権勢を振るうに際して、成程、先代の家治に仕えていた、それも側近くに仕えていた者は目障り以外の何物でもなかろう。
治済が新将軍の実父として大いに権勢を振るうには自らが選んだ者たちで新将軍、即ち、倅・家斉の側近くを固めさせた方が何かと都合が良いからだ。
先代からの遺物、いや、異物とも言うべき家治の側近くに仕えていた者たち、とりわけ、田沼父子などは治済にとっては今や…、倅・家斉が次期将軍に選ばれた今となっては最早、目障りな存在であった。
仮令、その田沼父子、ことに父親である意次が家斉を次期将軍に推挙してくれた、正に治済にとっては恩人であったとしてもだ。
寶蓮院はその点を指摘し、定信を大いに頷かせた。
「田沼父子が治済殿にとって目障りな存在と化していることは分かり申したが、何故にこの定信までが治済殿にとって目障りな存在に?」
定信は首を傾げた。
「定信とて、治済殿と同じく、八代様の孫だと申すに…」
同じ八代将軍・吉宗の孫同士、治済が何故に己を目障りに思うのか、それが定信には分からなかった。
「それは、さればこそ、ですよ」
「えっ?」
「治済殿は賢丸殿、そなたとは同じく八代様の孫故に、そなたを目障りに思うのですよ…」
「そは一体…」
「宜しいか?仮に、治済殿が上様の父君として大いに権勢を振るう上で一番の脅威となるのは…、治済殿の前に壁として立ちはだかるは誰だと思われるか?」
「それは…」
「賢丸殿、そなたよ…」
「えっ?この定信が?」
「左様…、治済殿が大いに権勢を振るおうにも、同じく八代様の孫である賢丸殿がおられれば…、それこそ賢丸殿が目を光らせておれば、治済殿とて、そう、おいそれとは権勢を振るえず…」
「この定信が目を光らせるなどとは…」
「いえ、仮令、賢丸殿、貴方にそのつもりがなくとも、治済殿にしてみれば、賢丸殿が目が光っておると…、つまりは賢丸殿の存在を恐れているのですよ」
「治済殿がこの定信を恐れている、と?」
「左様…、治済殿が権勢を…、悪く申さば跳梁を掣肘出来る唯一の存在が治済殿と同じく、八代様の孫である賢丸殿、そなただからですよ…」
「そは…、治済殿が左様に思われている、と?」
「左様…」
「いや、なれど…、八代様の孫なれば、この定信の外にもおられましょう…」
「確かに…、上様…、今の上様であらせられし家治公が御舎弟の清水宮内卿様を筆頭に、豊丸殿…、定國殿や松平越前殿がおられましょう…」
清水宮内卿重好や豊丸殿こと伊豫松山藩主である松平隠岐守定國、そして越前殿こと福井藩主の松平越前守重富の3人もまた、八代将軍・吉宗の孫であった。
「なれど清水宮内卿様は柔弱なところがあり些か…、一橋民部殿が跳梁を掣肘するには些か心許無く…」
確かに、清水重好には柔弱なところがあり、到底、一橋治済の「壁」とはならないだろう。
「また、定國殿は些か、粗忽…」
定國は定信の実兄、それも同母兄であり、定國もやはり寶蓮院によって育てられた。
それ故、寶蓮院は思わず、「豊丸」と定國を手許にて育てていた頃の癖で、その折に散々口にした幼名をつい口にしたもので、また、寶蓮院は定國の育ての親だけあって、定國のその気性を熟知していた。
つまりは定國は粗忽、要は「おっちょこちょい」であり、これではやはり治済の「壁」とはならず、治済に軽くあしらわれるのがオチであろう。
そして松平重富に至っては、治済の実兄であり、家斉にとっては伯父に当たるので、その様な重富が元より治済の「壁」になどなろう筈もなく、それどころか家斉の伯父という立場を利用して、治済と共に跳梁を恣にするに違いない。
それ故、八代将軍・吉宗の孫の中で、治済の「壁」となりそうなのは、その跳梁を阻止出来そうなのは定信を措いて外にはなく、そのことは誰よりも治済自身が一番良く分かっているに相違ない。
寶蓮院からそう諭されて、定信も漸くに事態が呑込めた。
「されば一橋殿はこの定信を嗾けて、田沼山城めと相討ちにさせようと企んでいる、と?」
定信が確かめる様に尋ねると、寶蓮院も頷いた。
「賢丸殿が田沼山城と相討ちに…、共倒れと相成れば、治済殿にとってはこれ程、都合が良いことは外にはござるまいて…」
寶蓮院はそう補足した。
「成程…、それにしても何故に父親の田沼主殿めではなく、その息の田沼山城めにて?」
治済は何故に田沼意次ではなく、その倅である意知を己と相討ち、共倒れにさせようと欲するのか、それが定信には分からなかった。
己との共倒れを狙うとすれば、意知ではなく、父・意次の方が良さそうに思えたからだ。
「父・主殿を賢丸殿と相討ち、共倒れにさせたところで、山城が父・主殿を引継いで治済殿が壁となるだけのこと…、何しろ山城はこれからの御仁…、言うなれば将来性があり…、翻って主殿は最早、壮年にて倅、山城とは異なり、後は下り坂にて…、されば山城を賢丸殿と相討ち、共倒れに出来れば、主殿に決定的な打撃を与えることが出来申す…、いや、嫡子を喪わせることになる故に、田沼家そのものに決定的な打撃を与えることにも…」
意知が将来性があるとは、定信はその点は些か、承服出来かねたが、それは兎も角、成程と頷かされた。
意次よりも意知を己を相討ち、共倒れにさせれば、意次にしてみれば期待していた嫡子を喪うことを意味し、決定的な打撃をも与えられよう。
「さればそれ故に、主殿も落胆し、治済殿が壁として立ちはだかるだけの気力をも喪わせましょう…」
意知に先立たれれば、意次の気力をも喪わせることが出来るので、治済にとっては一石二鳥という訳だ。
いや、定信が現職の若年寄である意知を討果たしたとあらば、定信さえも破滅させることが出来、そうなれば治済は思う存分、権勢が振るえる、要はやりたい放題、し放題が約束されるという訳で、一石二鳥どころか三鳥、いや、四鳥もの効果が見込めよう。
尤も、それはあくまで表向きの理由に過ぎない。
治済が定信に意知を討果たさせようとしている真の理由は別にあり、
「若年寄として家基の死の真相の探索の指揮を執る意知が目障りになったから…」
それこそが治済が意知を暗殺しようと、それも定信に討果たさせようとしている真の理由に相違なかった。
寶蓮院もまた、家治より密かに、意知に家基の死の真相を探索させるべく、その指揮を執らせるべく若年寄へと進ませたことを耳打うちされていたのだ。
無論、その後の探索の状況についてまでは寶蓮院も知らないが、治済が意知の暗殺を決意したということは、治済は意知が若年寄へと進んだ真の理由に勘付き、のみならず、その意知が家基の死の真相に近付きつつあるからではないか…、寶蓮院は定邦より定信が治済に唆されて、意知を暗殺しようとしているので何とかして欲しいと泣付かれた時、直ぐにそうと気付いた。
だが定信は元より定邦さえも、意知が家基の死の真相を探っていることは知らない。
それ故、寶蓮院としても定信に意知暗殺を断念させるに当たってそのことを、治済が意知を暗殺しようとしている真の理由を定邦や定信の前で口にする訳にはゆかず、そこで替わりに、
「治済が将軍・家斉の実父として権勢を振るおうとしており、それには意知と定信が邪魔である云々…」
その様な口実をもうけたのだ。
いや、これとてあながち間違いではなかろう。治済のことである。仮令、意知が家基の死の真相の探索という「密命」を帯びておらずとも、いずれは、それも晴れて我が子・家斉が新将軍となった暁には田沼父子と定信をまとめて始末しようと考えるに相違なかった。
将軍の実父として権勢を振るうには、やりたい放題、し放題、その限りを尽くすには必ずや田沼父子とそれに定信が目障りとなるからだ。
ともあれ定信は今や、漸くに目が醒めたらしく、
「養母上のお話、良く分かり申した…」
定信は寶蓮院を前にして、畳に両手を突いてそう応じたのであった。
それは定信も意知暗殺を完全に断念した瞬間であった。
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大衆娯楽
僕のクラスには、保健室に登校している「吉田さん」という女の子がいた。
吉田さんは目が大きくてとても可愛らしく、いつも艶々な髪をなびかせていた。
吉田さんはクラスにあまりなじめておらず、朝のHRが終わると帰りの時間まで保健室で過ごしていた。
僕は吉田さんと話したことはなかったけれど、大人っぽさと綺麗な容姿を持つ吉田さんに密かに惹かれていた。
そんな吉田さんには、ある噂があった。
「授業中に保健室に行けば、性処理をしてくれる子がいる」
それが吉田さんだと、男子の間で噂になっていた。
小沢機動部隊
ypaaaaaaa
歴史・時代
1941年4月10日に世界初の本格的な機動部隊である第1航空艦隊の司令長官が任命された。
名は小沢治三郎。
年功序列で任命予定だった南雲忠一中将は”自分には不適任”として望んで第2艦隊司令長官に就いた。
ただ時局は引き返すことが出来ないほど悪化しており、小沢は戦いに身を投じていくことになる。
毎度同じようにこんなことがあったらなという願望を書き綴ったものです。
楽しんで頂ければ幸いです!
吉宗のさくら ~八代将軍へと至る道~
裏耕記
歴史・時代
破天荒な将軍 吉宗。民を導く将軍となれるのか
―――
将軍?捨て子?
貴公子として生まれ、捨て子として道に捨てられた。
その暮らしは長く続かない。兄の不審死。
呼び戻された吉宗は陰謀に巻き込まれ将軍位争いの旗頭に担ぎ上げられていく。
次第に明らかになる不審死の謎。
運命に導かれるようになりあがる吉宗。
将軍となった吉宗が隅田川にさくらを植えたのはなぜだろうか。
※※
暴れん坊将軍として有名な徳川吉宗。
低迷していた徳川幕府に再び力を持たせた。
民の味方とも呼ばれ人気を博した将軍でもある。
徳川家の序列でいくと、徳川宗家、尾張家、紀州家と三番目の家柄で四男坊。
本来ならば将軍どころか実家の家督も継げないはずの人生。
数奇な運命に付きまとわれ将軍になってしまった吉宗は何を思う。
本人の意思とはかけ離れた人生、権力の頂点に立つのは幸運か不運なのか……
突拍子もない政策や独創的な人事制度。かの有名なお庭番衆も彼が作った役職だ。
そして御三家を模倣した御三卿を作る。
決して旧来の物を破壊するだけではなかった。その効用を充分理解して変化させるのだ。
彼は前例主義に凝り固まった重臣や役人たちを相手取り、旧来の慣習を打ち破った。
そして独自の政策や改革を断行した。
いきなり有能な人間にはなれない。彼は失敗も多く完全無欠ではなかったのは歴史が証明している。
破天荒でありながら有能な将軍である徳川吉宗が、どうしてそのような将軍になったのか。
おそらく将軍に至るまでの若き日々の経験が彼を育てたのだろう。
その辺りを深堀して、将軍になる前の半生にスポットを当てたのがこの作品です。
本作品は、第9回歴史・時代小説大賞の参加作です。
投票やお気に入り追加をして頂けますと幸いです。
徳川家基、不本意!
克全
歴史・時代
幻の11代将軍、徳川家基が生き残っていたらどのような世の中になっていたのか?田沼意次に取立てられて、徳川家基の住む西之丸御納戸役となっていた長谷川平蔵が、田沼意次ではなく徳川家基に取り入って出世しようとしていたらどうなっていたのか?徳川家治が、次々と死んでいく自分の子供の死因に疑念を持っていたらどうなっていたのか、そのような事を考えて創作してみました。
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