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通貨統一を志向する意知は勘定方の懐柔に余念がなく、それとは逆に通貨統一に反対する酒井忠休は元・勘定奉行の大目付である松平忠郷と意を通ずる

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 ひるの九つ半(午後1時頃)、若年寄わかどしよりはいったん、ロッカールームとも言うべきしも部屋べやへと移動いどうする。

 このしも部屋べや老中ろうじゅう側用人そばようにん若年寄わかどしより寺社じしゃ奉行ぶぎょうそばしゅうなどの幕府ばくふ重職じゅうしょくしゃあたえられ、たとえば登城とじょうした老中ろうじゅうはそこで衣服いふくととのえ、あるいは一服いっぷくしたり、相役あいやく雑談ざつだんきょうじたりする。

 それは若年寄わかどしよりにしてもそうであり、こと若年寄わかどしより老中ろうじゅう通用口つうようぐちである納戸なんどぐち通称つうしょう老中ろうじゅうぐちくぐったところに若年寄わかどしより専用せんようしも部屋べやがあり、老中ろうじゅう専用せんようのそれとかい格好かっこう立並たちならんでいた。

 しも部屋べや独立どくりつした空間スペースであり、若年寄わかどしより場合ばあい老中ろうじゅうおなじく5人分にんぶんしも部屋べやしつらえられていた。

 これは老中ろうじゅう若年寄わかどしより両職りょうしょく最大さいだい定員ていいんが5人であるためで、いま若年寄わかどしより定員ていいんまさに5人である。

 もっとも、それは昨日きのう意知おきとも正式せいしき若年寄わかどしよりくわわったためであり、それまでは若年寄わかどしよりは4人であり、それゆえ、一人分のしも部屋べやあまっていた。

 いや、老中ろうじゅういたっては、意知おきとも岳父がくふにして首座しゅざ松平まつだいら康福やすよし意知おきとも実父じっぷ意次おきつぐ、それに久世くぜ大和守やまとのかみ廣明ひろあきらの3人しかおらず、二人分のしも部屋べやあまっていた。ちなみに老中ろうじゅう格式かくしき水野みずの忠友ただともには側用人そばようにんとしてのしも部屋べやあたえられており、老中ろうじゅうしも部屋べや使つかってはいなかった。

 ともあれ若年寄わかどしより場合ばあい、そのしも部屋べやにて昼食ちゅうしょくり、それゆえひるの九つ半(午後1時頃)に昼食ちゅうしょくるべく、執務室しつむしつであるつぎよう部屋べやからしも部屋べやへと移動いどうする。

 さて、しも部屋べやだが、各自かくじ割当わりあてられているとは言っても、やはり老中ろうじゅう執務室しつむしつであるうえよう部屋べや若年寄わかどしよりのそれであるつぎよう部屋べやおなじく、ふすま障子しょうじ仕切しきられているわけではなく、敷居しきいにて仕切しきられているにぎない。

 無論むろん、その敷居しきいふすま障子しょうじでも設置セッティングすれば立派りっぱ仕切しきりとなるが、

同僚どうりょうとしての一体感いったいかん醸成じょうせいするため…」

 よう友情ゆうじょうきずなはぐくむべく、あえてふすま障子しょうじなどの仕切しきりを取払とりはらっていたのだ。

 仕切しきりがなければ各々おのおのしも部屋べやにて、ほか相役あいやく同僚どうりょう雑談ざつだんにもきょうじられるからだ。

 それは若年寄わかどしよりにおいては昼食ちゅうしょくにおいてもまる。

 仕切しきりのない状態じょうたい昼食ちゅうしょくれば、それはまさしく、

おなかまめしう…」

 それであり、友情ゆうじょうきずなふかめることにする。

 さて、しも部屋べやだが、殿中でんちゅうちか場所ばしょほど格式かくしきたかく、若年寄わかどしより場合ばあい筆頭ひっとうである上席じょうせき酒井さかい忠休ただよしがその場所ばしょにあるしも部屋べや占領せんりょうしていた。

 以下いか殿中でんちゅうとは正反対せいはんたい通用口つうようぐちである納戸なんどぐち通称つうしょう老中ろうじゅうぐちかって、太田おおた資愛すけよし加納かのう久堅ひさかた米倉昌晴よねくらまさはるじゅんしもべや割当わりあてられており、意知おきとも一番いちばん新人ルーキーというわけで、一番いちばん通用口つうようぐちちかい、さしずめ「末席まっせき」とも言うべきしも部屋べや割当わりあてられた。

 いや、年次ねんじしたがうならば、酒井さかい忠休ただよしとなりしも部屋べやには忠休ただよし古株ふるかぶ加納かのう久堅ひさかたはいるべきところ、忠休ただよしの「独断どくだん」により、おのれとなりしも部屋べやにはおのれ忠実ちゅうじつな、と言うよりは尻尾しっぽ太田おおた資愛すけよし割当わりあてたのであった。

 そのため久堅ひさかたしも部屋べや本来ほんらいならば米倉昌晴よねくらまさはる割当わりあてられるはずであったしも部屋べやはいり、そして昌晴まさはるもそのあおりをけて本来ほんらいならば太田おおた資愛すけよし割当わりあてられるはずであったしも部屋べやはいらざるをなかった。

 いや、一番いちばんワリったのは昌晴まさはると言えよう。忠休ただよし無茶苦茶むちゃくちゃ差配さはいにより、意知おきともとなり、さしずめ、

「ビリから二番目にばんめ…」

 それに位置いちするしも部屋べやはいるざるをなくなったからだ。

 それでも昌晴まさはる意知当人おきともとうにんたいしては感謝かんしゃしていた。

 いや、それは昌晴まさはるだけではない、久堅ひさかたや、さらには忠休ただよしの「コバンザメ」であるはず資愛すけよしさえもあるいはそうかもれぬ。

 それと言うのも、昼食ちゅうしょくしつ格段かくだんくなったからだ。

 幕府ばくふ表向おもてむき役人やくにんきょうされる料理りょうりおもて台所だいどころにておもて台所だいどころ役人やくにん、それも台所人だいどころにん小間遣こまづかいによって調理ちょうりされるわけだが、実際じっさいにはとてもえた代物シロモノではなかった。

 いや、それで言過いいすぎならば、とても粗末そまつなものであった。

 それと言うのも、台所人だいどころにん小間遣こまづかい食材しょくざい着服ちゃくふくし、結果けっか表向おもてむき役人やくにんきょうされる料理りょうりのこったわずかな食材しょくざいにて調理ちょうりされたもの、ということになり、表向おもてむき役人やくにんきょうされる料理りょうり粗末そまつなのはかる事情じじょうによる。

 もっとも、食材しょくざい着服ちゃくふくする台所人だいどころにん小間遣こまづかいにも「言分いいぶん」があった。

 すなわち、台所人だいどころにん小間遣こまづかい元々もともと薄給はっきゅうであり、本給ほんきゅうだけではとても家族かぞくやしなえない。おのれひとりの生活せいかつ維持いじするだけで精一杯せいいっぱいであろう。

 それゆえ台所人だいどころにん小間遣こまづかい着服ちゃくふくした食材しょくざい使つかってみずから―、個人的こじんてき弁当べんとうこしらえ、それをあるいては家計かけいしにしていたのだ。

 本来ほんらい台所人だいどころにん小間遣こまづかいのそうした不正ふせいひからせるはずの、表台所おもてだいどころにおける、さしずめ「監察役かんさつやく」の表台所おもてだいどころあらためやくかる事情じじょう承知しょうちしていたので、不正ふせい黙認もくにんしていた。

 もっとも、そんな台所人だいどころにん小間遣こまづかいも、目付めつけきょうする料理りょうりについては予算よさん相当そうとう食材しょくざい使つかっていた。

 つまりは目付めつけしつ食事しょくじきょうされていたわけで、これは台所人だいどころにん小間遣こまづかい旗本はたもと御家人ごけにん全体ぜんたい監察かんさつする目付めつけ、それも本丸ほんまる目付めつけにはおそれざるをなかったからだ。

 本丸ほんまる目付めつけ台所だいどころにん小間遣こまづかいにとっては身内みうちとも言うべき表台所おもてだいどころあらためやくとはちがい、台所人だいどころにん小間遣こまづかい不正ふせいがあれば、それこそ、

仮借かしゃくなく…」

 如何いかなる事情じじょうがあろうとも、これを取締とりしまるからだ。

 台所人だいどころにん小間遣こまづかいもそれは心得こころえており、そこで目付めつけたいしては予算よさん相当そうとう食材しょくざいにて調理ちょうりをした料理りょうりきょうすることを心掛こころがけていた。

 また、いまときめく「顕職けんしょく」にたいしても同様どうように、予算よさん相当そうとう料理りょうりきょうされ、老中ろうじゅうがそうであった。

 いや、その老中ろうじゅうにしても、意次おきつぐ老中ろうじゅうくわわるまでは、やはり粗末そまつ料理りょうりきょうされていた。

 それが意次おきつぐ老中ろうじゅうくわわると、老中ろうじゅうきょうされる料理りょうりしつが、

格段かくだんに…」

 向上こうじょうした。これは意次おきつぐ将軍しょうぐん家治いえはるからの寵愛ちょうあいあついことに由来ゆらいする。

 つまりは意次おきつぐから将軍しょうぐん家治いえはるへと、台所人だいどころにん小間遣こまづかいによって調理ちょうりされる料理りょうりしつわるいと、そのように「告口つげぐち」されるのを台所人だいどころにん小間遣こまづかいおそれたためである。

 そしておなじことは若年寄わかどしよりにもそのまままり、意知おきとも若年寄わかどしよりくわわった昨日以前きのういぜん―、10月の晦日みそかまでは粗末そまつ料理りょうりきょうされていたのが、昨日きのう、11月朔日ついたち意知おきとも若年寄わかどしよりくわわると、まさに、

てのひらかえす…」

 格段かくだんしつ食事しょくじきょうされるようになったのだ。これもやはり、意知おきともから家治いえはるへと、「告口つげぐち」されるのを台所人だいどころにん小間遣こまづかいおそれたためである。

 先任せんにん若年寄わかどしよりである米倉昌晴よねくらまさはるたちが意知おきともに―、意知おきとも若年寄わかどしより一人ひとりとしてくわわったことに感謝かんしゃ感激かんげきしたのはかる事情じじょうによる。

 さて、意知おきともたち若年寄わかどしより各自かくじしも部屋べやこし落着おちつけると、それを見計みはからったかのように、表台所おもてだいどころ椀方わんかた六尺ろくしゃくぜんはこんでた。

 ぜんからはかぐわしいかおりが湯気ゆげとなって立上たちのぼり、出来立できたての料理りょうりであることがさっせられた。

「いや、山城殿やましろどの我等われら相役あいやくとなられたことで、料理りょうりしつ格段かくだんくなりもうした…」

 椀方わんかた六尺ろくしゃくによってかく若年寄わかどしよりまえぜんならべられると、意知おきともとなり米倉昌晴よねくらまさはるがまずはそう口火くちびった。

 すると、加納かのう久堅ひさかたもそれに同調どうちょうし、

まこと山城殿やましろどのには感謝かんしゃせねばならぬのう…」

 久堅ひさかたはそう「いの」をれた。

 久堅ひさかた粗末そまつ料理りょうりには心底しんそこ辟易へきえきしていたのだ。

 それは太田おおた資愛すけよし同様どうようであり、となりしも部屋べやには仏頂面ぶっちょうづら酒井さかい忠休ただよし鎮座ちんざしているために、忠休ただよしの「コバンザメ」、「腰巾着こしぎんちゃく」を自認じにんする資愛すけよしとしてはあからさまに同調どうちょう出来できないものの、それでも内心ないしんではやはり料理りょうりしつ向上こうじょうしたことをよろこんでおり、わずかながらもうなずいた。

 そんななかただ一人ひとり酒井さかい忠休ただよし不愉快ふゆかいでならなかった。

 成程なるほどたしかに料理りょうりしつ格段かくだん向上こうじょうしたが、それが、

意知おきともかげである…」

 という現実げんじつ忠休ただよし不愉快ふゆかいにさせ、昌晴まさはる久堅ひさかたによる意知おきともへの感謝かんしゃ賛美さんびがまた、

愈愈いよいよもって…」

 忠休ただよし不愉快ふゆかいにさせた。

 忠休ただよしつい我慢がまんがならず、立上たちあがると、乱暴らんぼう足音あしおとひびかせてしも部屋べやをあとにした。

 もっとも、いつぞやのごとく、流石さすがまえぜんばすことはなく、まだ湯気ゆげ立上たちのぼるぜん如何いかにも、

所在しょざいげ…」

 そのままのこされた。

石見守いわみのかみさま昼餉ひるげをお召上めしあがりにはなられぬのか…」

 意知おきともおもわずそうつぶやいた。

 意知おきともつぶやきに久堅ひさかたらは困惑こんわく表情ひょうじょうかべつつも、そのとおりであるのでみな

「やれやれ…」

 といった面持おももちでうなずいた。

「されば…」

 意知おきともはそうくちにするとこしげ、手付てつかずのぜんだけがのこされた忠休ただよししも部屋べやへとあしばし、そのぜん両手りょうてかかえると、しも部屋べやて、今度こんど御殿ごてんがり、勘定かんじょうしょ内坐ないざへとあしはこんだ。

 御殿ごてん勘定かんじょうしょ内坐ないざ勝手かってがた勘定かんじょう奉行ぶぎょう勘定かんじょう吟味ぎんみやく詰所つめしょであり、勝手かってがた勘定かんじょう奉行ぶぎょう勘定かんじょう吟味ぎんみやくはここ内坐ないざにて昼食ちゅうしょくる。

 その内坐ないざとなりにあるのが勘定かんじょう組頭くみがしら詰所つめしょである、組頭くみがしら控所ひかえじょであり、勘定かんじょう組頭くみがしらもやはり、その詰所つめしょである組頭くみがしら控所ひかえじょにて昼食ちゅうしょくる。

 意知おきとも内坐ないざあしはこぶと、ちょうど、勝手かってがた勘定かんじょう奉行ぶぎょう松本まつもと伊豆守いずのかみ秀持ひでもち赤井あかい越前守えちぜんのかみ忠皛ただあきら、それに勘定かんじょう吟味ぎんみやくいまにも昼飯ひるめしべようとしているころであった。

 そこへ意知おきとも姿すがたせたので、彼等かれらみなはしくと威儀いぎただそうとしたので、いや、彼等かれらだけではない、となり組頭くみがしら控所ひかえじょめていた勘定かんじょう組頭くみがしらにしてもそうであったので、意知おきともはそれをせいした。

「いや、そのまま…」

 意知おきとも彼等かれらにそうげると、内坐ないざ中心ちゅうしんこしろし、同時どうじに、両手りょうてかかえていたぜんまえいた。

「あの…、これは?」

 松本秀持まつもとひでもちがその代表だいひょうして意知おきともたずねた。

「いや、相役あいやく…、いやいや、先輩せんぱいもうすべきであろうな…、若年寄わかどしより上席じょうせき酒井さかい石見守いわみのかみさま召上めしあがるはずであったこの昼餉ひるげ石見守いわみのかみさまはどうにも気分きぶんすぐれぬ様子ようすにて、この昼餉ひるげけられず…、なれどこのままでは昼餉ひるげ廃棄はいきされてしまうによって、みなに…、勘定かんじょうがた貴殿きでんらに召上めしあがってもらおうとおもうて、こうして持参じさんした次第しだい…」

 意知おきとも一部いちぶ事実じじつ改変かいへんしてそうつたえた。

 いや、勘定かんじょう奉行ぶぎょうきょうされる食事しょくじともなると若年寄わかどしよりきょうされるそれとくらべると粗末そまつであった。

 従五位下じゅごいのげ諸大夫しょだいぶやく勘定かんじょう奉行ぶぎょうでさえそうなのだから、それより下位かい従六位じゅろくい布衣ほいやくである勘定かんじょう吟味ぎんみやくや、ては無位むい無官むかん勘定かんじょう組頭くみがしらともなると、そのきょうされる食事しょくじりょうたるや、さしずめとりえさであり、それゆえ勘定かんじょう吟味ぎんみやく勘定かんじょう組頭くみがしらべつ弁当べんとう持参じさんし、勘定かんじょう奉行ぶぎょうもそうであった。

 意知おきともはそんな彼等かれらため一人分ひとりぶんぜんぎないが、しかし、内容ないよう充実じゅうじつしているそのぜん持運もちはこんだというわけだ。

「さぁ、貴殿きでんらも…」

 意知おきとも組頭くみがしら控所ひかえじょめていた勘定かんじょう組頭くみがしら手招てまねきして、内坐ないざへと呼寄よびよせ、こうして彼等かれらぜんはしけさせた。

 松本秀持まつもとひでもち赤井あかい忠皛ただあきら奉行ぶぎょう筆頭ひっとうに、彼等かれら勘定かんじょうがた役人やくにんみな意知おきとも配慮はいりょ感謝かんしゃしたものである。

 それにたいして意知おきともはと言うと、たんなる厚意こういから彼等かれら勘定かんじょう方役人がたやくにんためぜん持運もちはこんだわけではない。

 意知おきとも実現じつげんせんとほっする銀本位制ぎんほんいせいについて、これを実際じっさい政策せいさくとして正式せいしき実行じっこううつそうとおもえば彼等かれら勘定かんじょう方役人がたやくにん協力きょうりょくかせず、そこで意知おきともいまのうちから彼等かれら手懐てなずけておこうとかんがえて、こうしてぜん持運もちはこんだ次第しだいである。

 一方いっぽう、そのころぜんけなかった酒井さかい忠休ただよしはと言うと、新番書前しんばんしょまえ廊下ろうかにあるまえだまりにて大目付おおめつけ松平まつだいら對馬守つしまのかみ忠郷たださと密談みつだんおよんでいた。

 いや、それは密談みつだんなどと、そのよう上等じょうとうなものではなく、意知おきともたいする、さしずめ悪口合戦わるぐちかっせんきょうじていたのだ。

 折角せっかくぜんにもけずに、荒々あらあらしい足取あしどりでしも部屋べやをあとにした忠休ただよし執務室しつむしつであるつぎよう部屋べやへともどるべく、その途次とじ桔梗之間ききょうのま差掛さしかかったところで、大目付おおめつけ松平まつだいら忠郷たださとくわしたのだ。

 いや、忠郷たださとだけではない、ほか大目付おおめつけ勿論もちろんのこと、留守居るすい町奉行まちぶぎょう公事くじがた勘定かんじょう奉行ぶぎょうともくわしたのだ。

 これは老中ろうじゅうによる、所謂いわゆる、「まわり」をえたためであった。

 すなわち、昼九つ(正午頃)になると、老中ろうじゅう表向おもてむきにあるかく部屋へや見廻みまわる、「まわり」なる行事ぎょうじおこなわれ、その「まわり」のコースじょうには中之間なかのまがあり、その中之間なかのまでは留守居るすい大目付おおめつけ町奉行まちぶぎょう勘定かんじょう奉行ぶぎょう、それに下三しもさん奉行ぶぎょうともしょうされる作事さくじ普請ふしん小普請こぶしん三奉行さんぶぎょうに、そして本丸ほんまる目附めつけ老中ろうじゅう待受まちうけ、そして姿すがたせた老中ろうじゅう挨拶あいさつするのであった。

 もっとも、その「まわり」も中之間なかのまかんして言えば、早々はやばやわるので、それゆえ激務げきむである月番つきばん町奉行まちぶぎょう勝手かってがた勘定かんじょう奉行ぶぎょう、それに下三しもさん奉行ぶぎょう目附めつけは「まわり」を、中之間なかのま見廻みまわりに老中ろうじゅう挨拶あいさつませたならば早々はやばや中之間なかのまをあとにし、各々おのおの持場もちばへともどる。

 それとはぎゃく比較的ひかくてきひま非番ひばんづき町奉行まちぶぎょう公事くじがた勘定かんじょう奉行ぶぎょう、それにまったくのひま閑職かんしょくだんじても差支さしつかえない留守居るすい大目付おおめつけ月番つきばん町奉行まちぶぎょうらが中之間なかのま退出たいしゅつしたあとしばらくのあいだ雑談ざつだんきょうじる。

 そしてその雑談ざつだん一段落いちだんらくついたので、そこでそろそろ中之間なかのま退出たいしゅつしようと、留守居るすいたちは中之間なかのまで、まずはそのとなり部屋へやである桔梗之間ききょうのまへとあしれ、ちょうどそこに執務室しつむしつへともど途中とちゅう酒井さかい忠休ただよし桔梗之間ききょうのまあしれたというわけだ。

 忠休ただよし彼等かれらくわしたのはかる事情じじょうによる。

「これはこれは…、酒井さかいさま…」

 まずは留守居るすい高井たかい土佐守とさのかみ直熈なおひろ一座いちざ代表だいひょうして忠休ただよしこえをかけると、じつ興味深きょうみぶかげな視線しせん寄越よこしてきた。

何故なにゆえ一人ひとりなのか…」

 高井たかい直熈なおひろはそういかけていた。

 無論むろん忠休ただよしとしてはそのようといこたえてやる、いや、好奇心こうきしんたしてやる義理ぎりもなければ義務ぎむもなかったので、忠休ただよし直熈なおひろ会釈えしゃくしてその立去たちさり、つぎよう部屋べやへといそいだ。

 するとその忠休ただよし背中せなかこえをかけるものがあり、それこそがほかならぬ大目付おおめつけ松平まつだいら忠郷たださとであったのだ。

僭越せんえつながら…、気分きぶんすぐれぬのではござりますまいか?」

 忠郷たださとすで留守居るすい高井たかい直熈なおひろたちが立去たちさったことを、つまりはおのれ以外いがいには周囲しゅういだれもいないことを忠休ただよし示唆アピールしつつ、ひかにそうたずねた。

 忠休ただよしもそこまで配慮はいりょのぞかせる忠郷たださとたいしては、直熈なおひろたいするよう無視むしすることは躊躇ためらわれたので、

「ああ…、ええ…、左様さよう…」

 そうおうじた。

「されば…、気分きぶんすぐれませぬ原因げんいんはあの成上なりあがりもの…、何処どこぞのうまほねともれぬ、盗賊とうぞく同然どうぜん下賤げせんなる成上なりあがりものめが小倅こせがれにござろう?」

 松平まつだいら忠郷たださと意知おきともを、いや、意知おきともだけではない、意知おきともちち意次おきつぐをも侮蔑的ぶべつてきにそう表現ひょうげんした。

 一方いっぽう忠休ただよしはと言うと、まさしくそのとおりであり、するときゅうにこの松平まつだいら忠郷たださとおのれ憤懣ふんまんを…、意知おきともたいする殺意さつい共有きょうゆうしたいとの思惑おもわくられ、そこで忠休ただよし密談みつだんにはもってこいの場所ばしょである新番所前しんばんしょまえ廊下ろうか前溜まえだまりへと忠郷たださといざなったのである。

 そうして忠休ただよし忠郷たださとかいうなり、おもいのたけ忠郷たださとにぶつけたのであった。

 すると忠郷たださともそれに理解りかいしめしたのであった。

成程なるほど…、國用出納こくようすいとうのことをつかさどりし酒井さかいさま差置さしおいて、國用出納こくようすいとうまさ一丁目いっちょうめ一番地いちばんちとももうせる貨幣かへい政策せいさくくちはさむなどとは、僭越せんえつきわまるはなしでござるな…」

 忠郷たださとはそうおうじて、忠休ただよしふかうなずかせたのであった。

 忠郷たださとはそれから忠休ただよしたいして、意次おきつぐへのうらみをぶつけたのだ。

「いや、この對馬つしまかつては勘定かんじょう奉行ぶぎょうしょくにあり、なれど田沼主殿たぬまとのも讒言ざんげんにより勘定かんじょう奉行ぶぎょうしょくわれもうした…」

 忠郷たださとのその言葉ことばで、忠休ただよしおもした。

 すなわち、松平まつだいら忠郷たださとは安永2(1773)年12月まで公事くじがた勘定かんじょう奉行ぶぎょうしょくにあったのだが、それが南鐐なんりょう二朱銀にしゅぎん鋳造ちゅうぞう発行はっこう強硬きょうこう反対はんたいしたのがたたって、大目付おおめつけへと棚上たなあげされた経緯けいいがあった。

 南鐐なんりょう二朱銀にしゅぎんもまた、通貨つうか統一とういつ志向しこうする意次おきつぐが、当時とうじ勝手かってがた勘定かんじょう奉行ぶぎょうであった川井かわい越前守えちぜんのかみ久敬ひさたかめいじて考案こうあんさせたものであり、これに松平まつだいら忠郷たださと噛付かみついた次第しだいであった。

金銀きんぎん交換こうかん比価ひかはその時々ときどき相場そうばしたがうべき…」

 それが松平まつだいら忠郷たださと意次おきつぐ志向しこうする通貨つうか統一とういつ反対はんたいした理由りゆうであり、それはまさ両替商りょうがえしょう言分いいぶんそのものであった。

 いや、実際じっさい忠郷たださとはその時点じてん両替商りょうがえしょうのさしずめ、「代弁者だいべんしゃ」としていた。

 忠郷たださと勘定かんじょう奉行ぶぎょうとはもうせ、民政みんせいつかさど公事くじがたであり、財政ざいせいつかさど勝手かってがたくらべると、どうしても勢威せいいおとり、それは「役得やくとく」のがくとして如実にょじつあらわれる。

 つまりは勝手かってがたほう公事くじがたよりもおおくの「役得やくとく」、つまりは「献金けんきん」が見込みこめるのだ。

 忠郷たださとはそれが我慢がまんがならず、そこで勝手かってがた川井かわい久敬ひさたか意次おきつぐけて、通貨つうか統一とういつつながる新貨幣しんかへい考案こうあんしているとるや、ひそかに両替商りょうがえしょうにこのことを「告口つげぐち」し、そのうえで、

通貨つうか統一とういつ実現じつげんすれば、両替商りょうがえしょういっぱぐれ、おまんまの食上くいあげであろう…、だがこの忠郷たださとならば、勘定かんじょう奉行ぶぎょうとして通貨つうか統一とういつつながる新貨幣しんかへい鋳造ちゅうぞう発行はっこう阻止出来そしできるぞ…」

 忠郷たださと両替商りょうがえしょうにそのようにもささやき、そのための「経費けいひ」として両替商りょうがえしょうから多額たがくの「献金けんきん」を巻上カツあげしたのであった。

 そして結果けっかはと言うと、両替商りょうがえしょうにとっては、

惨澹さんたんたる…」

 ものであり、巻上カツあげにあった両替商りょうがえしょうあいだでは忠郷たださとを「詐欺さぎ」でうったえようとするうごきもあったほどで、このまま忠郷たださと勘定かんじょう奉行ぶぎょうという顕職けんしょくとどまらせておくわけにはゆかないと、そこで意次おきつぐ忠郷たださと大目付おおめつけへと棚上たなあげした次第しだいであった。

 本来ほんらいならば、「おとがめ小普請こぶしん」でも案件あんけんであったが、忠郷たださとのその血筋ちすじ―、五井ごい松平まつだいらながれをむ、それも主筋しゅすじである松平まつだいら主計頭かずえのかみ忠一ただかず三男さんなんまれ、それが深溝ふかみぞ松平まつだいらながれを松平まつだいら庄九郎しょうくろう忠全ただたけ養嗣子ようししむかえられたという経緯いきさつ忠郷たださとたいして意次おきつぐ配慮はいりょをし、つまりは温情おんじょうから大目付おおめつけへと棚上たなあげすることで、事態じたい収拾しゅうしゅうはかったのである。

 いや、それ以上いじょうに、幕府ばくふ最高さいこう司法機関しほうきかんたる、さしずめ最高裁さいこうさい判事はんじかおあわ公事くじがた勘定かんじょう奉行ぶぎょうしょくにある忠郷たださとうったえられるようなことにでもなれば、洒落シャレではまない。幕府ばくふ権威けんいおおいに疵付きずつけることと相成あいなろう。

 無論むろん意次おきつぐ忠郷たださとから、両替商りょうがえしょうより巻上カツあげした「献金けんきん」は吐出はきださせ、りないぶん―、すで忠郷たださと費消ひしょうしたぶんについては意次おきつぐ私費ポケットマネーでこれを補填ほてんし、両替商りょうがえしょうへの被害ひがい弁済べんさいとした。

 松平まつだいら忠郷たださと公事くじがた勘定かんじょう奉行ぶぎょうから大目付おおめつけへと「棚上たなあげ」されたのはかる事情じじょうによる。

 それゆえ本来ほんらいならば忠郷たださと意次おきつぐ感謝かんしゃせねばならぬところ、生憎あいにく忠郷たださとはそのよう殊勝しゅしょうじんではなくー、いや、だからこそ両替商りょうがえしょうから「献金けんきん」というかたちかね巻上カツあげすることも朝飯前あさめしまえであったのであろうが、ともあれ、忠郷たださと意次おきつぐ感謝かんしゃするどころか、大目付おおめつけへと「棚上たなあげ」した意次おきつぐ逆恨さかうらみする始末しまつであった。

 そして両替商りょうがえしょうから「献金けんきん」というかたちかね巻上カツあげしているのは酒井さかい忠休ただよしにしてもまた、おなじであった。

若年寄わかどしより上席じょうせきとして、なにより國用出納こくようすいとうのことをつかさどものとして、これ以上いじょう通貨つうか統一とういつつながるよう新貨幣しんかへい鋳造ちゅうぞう発行はっこうにはらせない…」

 忠休ただよしもまた、両替商りょうがえしょうにそう、「アナウンス」して、両替商りょうがえしょうからやはりそのための「必要ひつよう経費けいひ」としてかね巻上カツあげしていたのだ。

 いや、両替商りょうがえしょうとしても、忠郷たださと一件いっけんから、忠休ただよしたいして献金けんきんすることに最初さいしょあしんだものだが、しかし、忠郷たださと一介いっかい勘定かんじょう奉行ぶぎょう、それも本来ほんらい財政ざいせいとは無関係むかんけい公事くじがた勘定かんじょう奉行ぶぎょうぎなかったのにたいして、忠休ただよしはと言うと、若年寄わかどしよりなかでも筆頭ひっとう上席じょうせきであると同時どうじに、國用出納こくようすいとうのことまでつかさどる、つまりは財政ざいせいにな勝手かってがかりをも兼務けんむしており、そのよう忠休ただよしの「機嫌きげん」をそこねては一大事いちだいじ最悪さいあく

通貨つうか統一とういつ邁進まいしんするやも…」

 両替商りょうがえしょうはそれをおそれて、そこで「保険ほけん」の意味いみ忠休ただよしたいしてすくなくないがくを「掛金かけきんよろしく献金けんきんしていたのだ。

 忠休ただよし若年寄わかどしより筆頭ひっとう上席じょうせきでありながら、その次席じせき兼務けんむポストにたる勝手かってがかりをもけっして手放てばなそうとしないのはそのためであり、そして、意知おきともとなえた通貨つうか統一とういつ、それも銀本位制ぎんほんいせいへの移行いこう反対はんたいした理由りゆうでもあった。

「いや、今後こんご情報じょうほう交換こうかんしようではござるまいか…」

 忠休ただよし忠郷たださとにそう持掛もちかけたのであった。

 それにたいして忠郷たださととしても異論いろんはなく、うなずいたのであった。
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