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序章 最終回後篇 安永8年2月21日 ~次期将軍・家基昇天までのカウントダウン~
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【午前10時、西之丸御用部屋】
「本日の御放鷹を中止せよ、とな?」
部屋の主とも言うべき西之丸老中の阿部豊後守正允はそう問返した。
すると興正も「はい」とう首肯した。
興正はあれから―、信喜直筆による本日の家基の鷹狩りに同行する「メンバー表」を見てから、前例のない、書院番士や小姓組番士を|はじめとする大量欠席者の存在がどうしても気にかかり、
「居ても立っても居られず…」
そこで興正はここ、老中の執務室である御用部屋へと乗込んだ次第であった。部屋の主たる老中、それも唯一の西之丸老中の阿部正允に本日の鷹狩りの中止を進言する為であり、実際、興正はその旨、正允に進言をしたのであった。
だが、阿部正允の反応は鈍いものであった。
「今更、中止せよと申してもな…、斯かる違和感なれど…、話は分かったが、あくまで、そなたの勘に過ぎぬのであろう?」
興正は鷹狩りの中止を正允に進言するに際して、勿論、己が抱いた「違和感」、その正体である大量欠席者の存在についても説明した。
だが正允はそれを、興正の「勘」として一蹴してしまったのだ。
確かに勘、それも根拠のない勘に過ぎず、そう言われてしまえば興正としても返す言葉がなかった。
すると、それを見て取った若年寄の鳥居丹波守忠意が、
「左様、阿部殿が申された通りぞ」
正允に加勢したかと思うと、
「そなたのその様な、何の根拠もない勘、それも下衆の勘繰りにて大事なる御放鷹を中止になど出来ぬわ」
一気にそう畳掛けた。
ここ御用部屋は老中と、それに若年寄の執務室であった。
本丸とは違い、ここ西之丸には老中は阿部正允唯一人で、若年寄も鳥居忠意とそれに酒井飛騨守忠香の二人だけで、老中と若年寄を足しても僅か三人に過ぎず、それ故、老中の執務室と若年寄の執務室が分かれている本丸とは違い、老中の執務室と若年寄の執務室が一緒であり、老中の阿部正允の外にも鳥居忠意の姿があったのはその為であった。
その忠意は興正の「中止論」を下衆の勘繰りとして片付けるや、興正の反論を許す暇を与えまいとするかの様に立上がると、御用部屋より退出した。
後に残されたのは正允と興正の外に、忠意の相役、同僚の若年寄である酒井忠香であった。
その酒井忠香も、「止むを得まい…」と正允や、更に忠意に同調した。
「最早、御放鷹まで…、大納言様が御出馬まで四半刻(約30分)を切っておるわ…、その段階でそなたの勘だけで中止する訳にはゆくまいて…」
忠香は忠意とは違い、慰める様にそう告げたのだ。忠香はその上で、
「されば鳥居殿は本日の御放鷹を殊の外、楽しみにされており…」
忠意が興正の「中止論」を下衆の勘繰りとして一蹴した理由を打明けたのであった。
それで興正も「成程…」と合点した。
即ち、本日の鷹狩りには若年寄も随うのだが、今日は鳥居忠意が随う予定であり、そしてこれもまた不自然であり、興正に「違和感」を抱かせた。
それと言うのも、家基の鷹狩りに随う若年寄と言えば、酒井忠香と鳥居忠意の二人だけであり、それ故、交互に鷹狩りに随い、片方が留守を預かるというのが不文律であった。
前回、2月4日の目黒のほとりへの鷹狩りの際には鳥居忠意が随ったので、本来ならば今回は、今日の新井宿のほとりへの鷹狩りには酒井忠香が随い、忠意は「お留守番」の筈であった。
それが実際には忠意が前回に引続いて、今回もまた、鷹狩りに随い、裏を返せば忠香は謂わば、
「二週連続で…」
お留守番を務めることになり、明らかに不自然と言えた。
「酒井殿はそれで真、宜しいので?」
興正は二週連続で「お留守番」を務めさせられることになった忠香にその点を糺した。
もっと言えば、その様な「采配」を振るった信喜について、その「采配」ぶりについて問うていたのだ。
忠香には二週連続で「お留守番を務めさせる…、それもまた、信喜の「采配」によるからだ。
「いや…、身共はこの通り、とうの昔に還暦を過ぎておる故に、御放鷹への扈従も…、余り大きなる声では申せぬが億劫での…」
だから「留守番」をしている方が気が楽なのだと、忠香は苦笑交じりにそう示唆したのだ。
それに対して興正はそれを額面通りには受取らず、それどころか一種の「韜晦の姿勢」に過ぎないと、そう受取ったのだ。
成程、正徳5(1715)年生まれの忠香は今年、安永8(1779)年で数えで65となり、還暦は、
「とうの昔に…」
過ぎていた。
だが忠香は矍鑠としており、鷹狩りに随うのが億劫であるとは、とても思えなかった。
それに鳥居忠意とて、忠香とは二つしか違わず、つまりは忠意も忠香より2歳年下であるに過ぎず、忠香同様、還暦であることに変わりはない。
詰まるところ、信喜が忠香を舐めてかかった…、それに尽き様。
忠香は温厚な仁であり、それで信喜もその様な忠香ならば、
「二週続けて…」
お留守番をさせても問題あるまいと、そうタカをくくったに相違あるまい。
興正がそう考えていると、忠香にもそれが通じたらしく、
「いや、小笠原若狭よりは事前に話があったがの…」
忠香は己が決して、信喜に舐められている訳ではないと、興正にそう主張したのであった。
それに対して興正はと言うと、
「実に聞捨てならぬ…」
そう感じたのであった。
「事前に話があった…、と?」
興正は思わずそう問返していた。
「如何にも…」
「そは…、若狭が酒井殿に対して、前回の御放鷹に引続き、今回の御放鷹…、今日の御放鷹についても、酒井殿を大納言様に随い奉らせずに、御城にて留守を預からせることについて、話が…、申開きがあった、と?」
興正は更にそう、念を押す様に尋ねた。それが興正に「聞捨てならぬ…」と思わせた正体である。
一方、忠香は「如何にも」と即答するや、
「されば此度…、本日の御放鷹は鳥居殿には格別のものとなるによって…、いや、若狭は左様に申して、この飛騨に此度もまた留守をしてくれる様、つまりは鳥居殿に扈従を譲ってくれる様に頼まれての…」
その様な「裏事情」を打明けた。
「鳥居殿にとって格別、と?」
興正は訳が分からずに首を傾げた。
すると忠香はそんな興正の為に詳しい経緯をも打明けた。
即ち、御側衆、それも平御側の中からも一名が鷹狩りに随い、しかし今回、今日の鷹狩りに限って、人選を担当する信喜はここでもまた、
「不自然極まりない…」
采配ぶりを発揮し、二人の平御側を随わせることとし、大久保下野守忠恕と同じく大久保志摩守忠翰の二人を選び、その内、大久保忠翰が実は鳥居忠意の実弟に当たるのだ。
「鳥居殿にとっては、実の弟と大納言様の御放鷹に扈従出来ると申すものにて…」
それこそが信喜の言うところの「格別」の正体であるらしい。
「それに、大納言様にとっても扈従せし側衆が大久保兄弟なれば気が楽であろう…」
忠香の言う通り、家基は御側衆の中でもとりわけ、「大久保兄弟」こと、大久保忠恕と大久保忠翰の二人が「お気に入り」であった。
忠恕と忠翰は正しくは兄弟ではないものの、大久保一族として揃って、家基の寵愛を受けているところから、
「大久保兄弟…」
そんな愛称を奉られていた。
その内、忠翰の実兄が若年寄の鳥居忠意であり、しかも忠意は眉目秀麗ということも手伝って、これまた家基の「お気に入り」であった。
「また、扈従せし目付が小野次郎右衛門ともなれば尚更にのう…」
目付もまた、軍監として鷹狩りに随う。鷹狩りは軍事訓練としての側面もあるからだ。
尤も、それは建前であり、天下泰平の御代、鷹狩りは最早、遊戯と化しており、にもかかわらず目付を随わせるのは、
「鷹狩りとは軍事訓練である…」
その建前を維持する為であり、目付にしてもそれが分かっていたので、軍監とは言っても、実際には鷹狩りを遊戯として大いに楽しんだ。
いや、目付の中にも、
「鷹狩りはあくまで、軍事訓練である…」
その建前を貫き、鷹狩りを遊戯として楽しむではなく、軍監としての己の職分を全うしようとする硬骨漢もおり、ここ西之丸にて家基に仕える目付の中でも、深谷十郎左衛門盛朝がそうであった。
一方、それとは対極に位置するのが小野次郎右衛門こと次郎右衛門忠喜であった。
小野次郎右衛門は目付の中でも一番の新人ではあるが、齢は数えで47で、46の深谷十郎左衛門よりも一つしか違わず、にもかかわらず、小野次郎右衛門は深谷十郎左衛門よりも柔軟で、こなれていた。
それ故、家基も深谷十郎左衛門が「軍監」として鷹狩りに随う時には大分、緊張を強いられる。いや、家基のみならず、家基に随う家臣一同にも当て嵌まることであった。
その点、小野次郎右衛門の場合は深谷十郎左衛門の様に鷹狩りを厳格に「軍事訓練」としては捉えずに、それどころか自ら率先して、鷹狩りを遊戯として楽しむので、家基をはじめ、誰もが気が楽であった。
「とりわけ、大久保兄弟はそうであろうな…」
忠香はしみじみそう呟いたので、興正も、「あっ」と声を上げた。あることを思い出したのだ。
それに対して、忠香もそうと察したらしく、「左様」と応ずると、
「されば大久保兄弟…、と申すよりは大久保一族は御三卿の中でも清水宮内卿様との所縁が深く、一方、小野次郎右衛門もその弟が清水家中…、それも物頭を務めているによって…」
そこで小野次郎右衛門は、同じく清水家臣を縁者に持つ、それも叔父が清水家臣である小姓の大久保靱負忠俶に目を付け、まずは大久保靱負と親しくすることで、謂わば大久保靱負を足掛かりに、同族の「大久保兄弟」へと接近、結果、今では小野次郎右衛門の目論見通り、次郎右衛門は「大久保兄弟」と親しく付合う間柄となっていた…、忠香は興正が思い出したことを解説してみせた。
確かにその通りで、このことは西之丸においても知られた話であり、興正も勿論、把握していたものの、しかし信喜の余りに滅茶苦茶な人選に憤慨してつい、失念していたのだ。
だが興正はそのことを思い出すと、信喜の人選に抱いた違和感の正体、それも真の正体に気付いた。
「清水家と所縁のある者が多過ぎる…」
それであった。
いや、もっとに早くに気付くべきであった。それと言うのも随行する鷹匠衆の中には驚くべきことに、清水家臣の仙波市左衛門永春の名まであったからだ。
仙波市左衛門永春もまた、「欠席者」の代替要員として信喜に選ばれた一人であった。
その仙波市左衛門永春は鷹を操る技量にかけては天下一と言っても過言ではなく、その名は幕臣の間にまで轟いていた。
興正も勿論、その名声ならば把握していたので、
「仙波市左衛門ならば…」
興正は仙波市左衛門永春が鷹匠である前に清水家臣であることをすっかり失念して、代替要員として適任と、すっかり、それもうっかり受流していたのだ。
だが、忠香より指摘を受けたことで、興正も漸くに今日の鷹狩りに清水家と所縁のある者で占められていることに気付いたのであった。
だがそれは最早、遅過ぎた発見と言えよう。
この段になっては最早、興正を以ってしても、如何ともし難かったからだ。
【午前10時30分頃、西之丸大手御門前】
「大納言様、これを…」
家基が「全軍」を随えて、新井宿へと出行する直前、軍監を務める目付の小野次郎右衛門が滋養強壮の為の丸薬を勧めた。
「左様か…」
家基がその丸薬を手に取ろうとした瞬間、御膳番の小納戸の石谷次郎左衛門が割って入った。
「その丸薬は?」
石谷次郎左衛門は家基の前に立塞がり、まるで家基にその丸薬を呑ませないかの様な姿勢を取った。
事実、石谷次郎左衛門は小野次郎右衛門から納得のいく答えが得られなければ、家基に丸薬を呑ませないつもりであった。
「さればこれは奥医の法印の吉田桃源院に命じて調ぜさせし丸薬にて…」
小野次郎右衛門は「法印」にアクセントを置いた。法印は医師の中でも最高ランクに位置する。
それ故、その法印の地位にある吉田桃源院こと吉田善正の調合した薬ならば、
「万に一つ…」
間違いはあるまいと、小野次郎右衛門は示唆したのだ。法印の称号を持出せば、さしもの石谷次郎左衛門も引下がるに相違あるまいと、次郎右衛門がそう判断してのことであった。
いや、それだけではない。同じく西之丸奥医師の森養春院當定の「援護射撃」も期待出来ると見込んでのことである。
事実、小野次郎右衛門が吉田善正の名を出すや、真先に反応したのは森當定であり、
「吉田桃源院殿が調進せし丸薬なれば問題はござるまい…」
當定は次郎右衛門が期待した通りの「働きぶり」を示してくれた。
森當定は愛娘の哲を田安家臣の石寺伊織章貞の許へと嫁がせており、しかもその間に生まれた桃菴瑧は吉田善正の養嗣子に迎えられているのだ。
つまり、當定は大事な外孫を善正の養嗣子としている故に、その外孫の岳父に当たる吉田善正が調合した丸薬ともなれば、
「問題ない…」
當定がそう太鼓判を押すのは目に見えていた。
小野次郎右衛門は斯かる「閨閥」を把握していればこそ、吉田善正に丸薬を調合させ、そして今、この場面でその名を持出したのであった。
だが、森當定の「援護射撃」にもかかわらず、石谷次郎左衛門は引下がらなかった。
「その丸薬も毒見申さぬうちは、大納言様に差上ること適わず…」
次郎左衛門はあくまで、御膳番としての己の職務を全うしようとした。
「それに…、その丸薬とて真、吉田桃源院が調進せし丸薬かどうか、分かり申さず…」
次郎左衛門は丸薬そのものにまで、疑いの目を向けたのだ。
これには小野次郎右衛門も黙ってはいなかった。
「然らばこの次郎右衛門が畏れ多くも大納言様に毒薬を差上げようとしているとでも申されるのかっ!」
如何にも次郎左衛門の疑いはそれを示唆するものであり、当然、次郎右衛門は激昂した。いや、正確には激昂してみせたと言うべきであろう。実際には丸薬にばかり焦点が当てられていたからだ。
ともあれ次郎左衛門も次郎右衛門の激昂に怯む様子など微塵もなく、
「出所が分からぬものについては、全ての可能性を疑う…、それが御膳番としての…、大納言様が御命を預かり奉りし者たる責務にて…」
次郎左衛門は平然とそう繰返した。
家基の前で、それも家基を間に挟んで、次郎左衛門と次郎右衛門が「バトル」を繰広げるものだから、家基も困惑した。どちらの味方をする訳にもゆかないからだ。
するとそんな家基を救ったのが、やはり医師、それも本丸奥医師の池原良誠であり、良誠は「畏れながら…」と割って入ったかと思うと、
「この際、吉田桃源院に確かめましては如何でござりましょうや…」
そう提案したのであった。
良誠の提案に、次郎左衛門と次郎右衛門は「一時休戦」したことから、家基は心底、ホッとした表情を浮かべた。
「それが良い…」
家基は良誠の提案を了とするや、それを受けて次郎右衛門がこの場に吉田善正を連れて来ることを提案したのだ。
家基の前で直に吉田善正に対して、真に善正が調合した丸薬かどうか、確かめさせようとの腹積もりであり、すると森當定が「使者」の役目を引受け、當定によって善正が連れて来られた。
石谷次郎左衛門は早速、吉田善正に対して、己が調合した丸薬かどうか、その点を糺した。
「はい、如何にもこの丸薬は手前が調進せし丸薬に相違なく…、されば小野次郎右衛門殿が命により…」
善正がそう認めたので、次郎右衛門は、
「さぁ、どうだ。参ったか…」
如何にもそう言いたげな様子で胸を張ってみせた。
だが次郎左衛門はそれを黙殺すると、
「されば毒見申上げる…」
何事もなかったかの様にそう告げたのだ。
だがそれに次郎右衛門が待ったをかけた。
「いや、そなたにばかり良い顔をされては、この次郎右衛門の立場がない。されば毒見は手前が仕ろうぞ…」
次郎右衛門が丸薬を毒見すると言うので、次郎左衛門は当然、反撥した。
「いや、毒見なれば御膳番たる手前の職掌にて…」
次郎左衛門は御膳番を兼ねていることを盾にして譲ろうとはしなかった。
「己にありもせぬ疑いを…、畏れ多くも大納言様を毒薬にて毒殺せんとしようとしているなどと、斯かる疑いをかけておきながら、その上、毒見まで担おうとは、虫が好すぎるぞっ!人を虚仮にするのも大概にせいよっ!」
次郎右衛門は再び激昂してみせると、今度は何と脇差に手をかけたのだ。これにはさしもの次郎左衛門もギョッとさせられた。
仮に次郎右衛門が脇差を抜いたならば、次郎左衛門も脇差を抜いて応戦せねばならぬ。
だがそれでは「喧嘩両成敗」の原則が適用され、次郎右衛門は元より、応戦した次郎左衛門も罰せられることになる。
勿論、脇差を抜かずに、つまりは、
「刀を抜き合わさず…」
ただ逃惑うという選択肢もあろうが、百姓、町人ならばいざ知らず、次郎左衛門は武士であり、武士たる身でありながら、「喧嘩両成敗」を恐れて刀を抜き合わすこともなく、ただうろうろと逃惑ったとなれば、仮令、それで罰せられずとも、嘲笑の的となるのは避けられまい。いや、それ以上に、家基から大いに不興を買うのは避けられまい。
そこで第三の道として、脇差の鞘で応戦するという選択肢があった。脇差を抜かずに、鞘で応戦すれば、「喧嘩両成敗」の原則は適用されず、且つ、逃惑う訳ではないので、家基から不興を買うこともなければ、嘲笑の的となることもない…、次郎左衛門がその様な想像を頭の中で廻らしていると、
「毒見は次郎右衛門に頼もう…」
家基がそう裁断を下したので、次郎左衛門は急に現実に、それも不愉快な現実に引戻された。
次郎左衛門は家基の裁断に抗議しようとしたものの、家基がそれを右手を掲げて制した。
「次郎右衛門が顔も少しくは立ててやろうぞ…」
家基がそう告げたので、次郎左衛門としてもこの上の抗議は出来なかった。
一方、次郎右衛門はそれとは正反対に如何にも勝誇ったかの様な表情を覗かせたかと思うと、先程、家基の為に袋から取出したその丸薬を再び、袋の中に仕舞い、その袋をそのまま、次郎左衛門へと押付けたのであった。
「毒見すべき丸薬はそなたが選で良いぞ?それなれば、御膳番とやらの御大層なる御役目を果たしたことになるであろうぞ?」
次郎右衛門は厭味を込めてそうぶちまけたのだ。
これには次郎左衛門も心底、憎悪の感情が湧上がったものの、それを噴出させる様な愚かな真似はせずに、その代わりに家基の顔を見た。
すると家基も次郎左衛門の視線に気付き、頷いて見せたので、次郎左衛門はそれで漸くに次郎右衛門から袋を受取ると、数粒の丸薬が入ったその袋に右手を差込み、中から一粒の丸薬を取出し、それをそのまま次郎右衛門に突付けた。
次郎右衛門は次郎左衛門のその所作から、次郎右衛門が腹の中では煮え繰り返っていることが察せられたので、今にも嗤い出したい衝動に駆られた程である。
無論、次郎右衛門が実際に嗤い出すことはなく、いや、必死に堪えたからだが、ともあれ、次郎右衛門は嗤う代わりに次郎左衛門より受取ったその丸薬を口に含むと、これもまたやはり家基に呑ませるべく用意しておいた竹筒の水でもって、丸薬を胃に流し込んだ。
いや、次郎左衛門が実際に胃に流し込んだのは丸薬のみであり、水に関しては呑むフリをしただけであった。
これでいつもの、冷静沈着なる次郎左衛門であれば、次郎右衛門のその様な「三文芝居」など直ぐに見破ったであろう。
だが今の、すっかり憎悪の感情に憑かれてしまった次郎左衛門はそれ故に、その「三文芝居」を見破れなかった。
次郎右衛門は次郎左衛門と家基、交互に舌を出して見せた。それは丸薬と共に、水も呑んだことを主張するものだった。
次郎右衛門のその主張に対して、次郎左衛門も納得してしまい、家基に叩頭すると、丸薬の入った袋を家基へと差出した。
家基は次郎左衛門よりその袋を受取ると、袋の中からやはり一粒の丸薬を取出し、次郎右衛門がそうした様にその丸薬を口に含んだ。
すると今度は次郎右衛門が家基へと竹筒を差出し、家基が左手で摑んでいた袋とその竹筒を交換した。
そして家基は次郎右衛門より受取った竹筒の水と共に丸薬を胃に流し込んだのであった。但し、その点だけは、
「次郎右衛門がそうした様に…」
という訳ではなかった。
【午後4時頃、薩摩藩品川下屋敷】
「少しは落着かれては如何で御座ろう…」
遊佐卜庵信庭は目の前にてウロウロと歩き廻る市田勘解由教国に窘める様に声をかけた。
遊佐信庭は公儀、幕府に仕える医官、それも表番医師であり、一方、市田勘解由はこの屋敷の住人、即ち、薩摩藩士であった。ちなみに遊佐信庭は今日は非番である。
それにしても幕府の表番医師と薩摩藩士、何とも妙な取合わせであったが、そこには理由があった。
「これが落着いていられるかっ」
市田勘解由は立止まると、そう反論した。
確かに市田勘解由の気持ちも分からないではなかった。
何しろ、ここ品川にある薩摩藩の下屋敷は東海寺の目と鼻の先にあり、間もなくその東海寺に鷹狩りを終えた家基一行が、それも家基が立寄ることを思えば成程、市田勘解由がウロウロと歩き廻りたくなるのも致し方ない。
「真に、上手くいくのであろうな?」
市田勘解由は既に幾度となく浴びせかけた問いをここでもまた、口にした。
するとこれには同じく医者、とは言っても幕府の医官ではなく、町医者の小野玄養章以が答えた。
妙な取合わせは市田勘解由と遊佐信庭だけではなかったのだ。もう一人、その小野章以がおり、
「必ずや大願成就と相成りましょうぞ…」
小野章以はそう太鼓判を押したのであった。
すると遊佐信庭も小野章以に加勢するかの様に、「左様」と言葉を重ねるや、
「されば幾度も実験を重ねましたる故に、万に一つも失敗る様なことはあり得ませぬ」
遊佐信庭もこれまた、大見得を切ってみせたのであった。
それで市田勘解由も漸くに落着きを取戻す…、これもまた幾度も繰返されたパターンと言えた。
するとそこへ、「申上げますっ」という若々しい声が聞かれた。声の主は仙波市左衛門永昌であった。
市田勘解由は仙波永昌の声を聞いた途端、目を輝かせた。
「遂に参ったかっ!」
市田勘解由は仙波永昌にそう声をかけると、永昌も「ははっ」と首肯して、手にしていた書付を勘解由に恭しく手渡した。
このやり取りだけで判断するならば、まるで主従の様な間柄に見えるであろう。或いは上役とその部下の様なそれにも見えるやも知れず、何れにしろ、仙波永昌もまた、市田勘解由と同じく、薩摩藩士には間違いないと思われるやも知れぬが、しかし実際には永昌は薩摩藩士ではなく、それどころか御三卿の清水家に鷹匠として仕える家臣であり、父、仙波市左衛門永春もまた清水家臣で、それも鷹匠頭として仕えていた。
そして永昌が今、市田勘解由に手渡した書付は父、永春より届けられたそれであった。いや、正確には鷹が届けた書付と言うべきであろう。
その書付には市田勘解由がそれこそ、
「待ちに待った…」
その様な文面が認められており、その意味で正しく吉報と言えた。
小野章以も遊佐信庭も、実に嬉しげにその書付に目を落とす市田勘解由の姿を目の当たりにして、「大願成就」を果たしたことを確信したものだが、それでも遊佐信庭が念の為に、「如何で?」と尋ねた。
すると市田勘解由は愈愈、目を、それも爛爛と輝かせて、章以や信庭が予期した通りの答えを返した。
「されば大納言様が東海寺にて俄かに御発病、それも腹痛で斃れられたそうだっ!」
「本日の御放鷹を中止せよ、とな?」
部屋の主とも言うべき西之丸老中の阿部豊後守正允はそう問返した。
すると興正も「はい」とう首肯した。
興正はあれから―、信喜直筆による本日の家基の鷹狩りに同行する「メンバー表」を見てから、前例のない、書院番士や小姓組番士を|はじめとする大量欠席者の存在がどうしても気にかかり、
「居ても立っても居られず…」
そこで興正はここ、老中の執務室である御用部屋へと乗込んだ次第であった。部屋の主たる老中、それも唯一の西之丸老中の阿部正允に本日の鷹狩りの中止を進言する為であり、実際、興正はその旨、正允に進言をしたのであった。
だが、阿部正允の反応は鈍いものであった。
「今更、中止せよと申してもな…、斯かる違和感なれど…、話は分かったが、あくまで、そなたの勘に過ぎぬのであろう?」
興正は鷹狩りの中止を正允に進言するに際して、勿論、己が抱いた「違和感」、その正体である大量欠席者の存在についても説明した。
だが正允はそれを、興正の「勘」として一蹴してしまったのだ。
確かに勘、それも根拠のない勘に過ぎず、そう言われてしまえば興正としても返す言葉がなかった。
すると、それを見て取った若年寄の鳥居丹波守忠意が、
「左様、阿部殿が申された通りぞ」
正允に加勢したかと思うと、
「そなたのその様な、何の根拠もない勘、それも下衆の勘繰りにて大事なる御放鷹を中止になど出来ぬわ」
一気にそう畳掛けた。
ここ御用部屋は老中と、それに若年寄の執務室であった。
本丸とは違い、ここ西之丸には老中は阿部正允唯一人で、若年寄も鳥居忠意とそれに酒井飛騨守忠香の二人だけで、老中と若年寄を足しても僅か三人に過ぎず、それ故、老中の執務室と若年寄の執務室が分かれている本丸とは違い、老中の執務室と若年寄の執務室が一緒であり、老中の阿部正允の外にも鳥居忠意の姿があったのはその為であった。
その忠意は興正の「中止論」を下衆の勘繰りとして片付けるや、興正の反論を許す暇を与えまいとするかの様に立上がると、御用部屋より退出した。
後に残されたのは正允と興正の外に、忠意の相役、同僚の若年寄である酒井忠香であった。
その酒井忠香も、「止むを得まい…」と正允や、更に忠意に同調した。
「最早、御放鷹まで…、大納言様が御出馬まで四半刻(約30分)を切っておるわ…、その段階でそなたの勘だけで中止する訳にはゆくまいて…」
忠香は忠意とは違い、慰める様にそう告げたのだ。忠香はその上で、
「されば鳥居殿は本日の御放鷹を殊の外、楽しみにされており…」
忠意が興正の「中止論」を下衆の勘繰りとして一蹴した理由を打明けたのであった。
それで興正も「成程…」と合点した。
即ち、本日の鷹狩りには若年寄も随うのだが、今日は鳥居忠意が随う予定であり、そしてこれもまた不自然であり、興正に「違和感」を抱かせた。
それと言うのも、家基の鷹狩りに随う若年寄と言えば、酒井忠香と鳥居忠意の二人だけであり、それ故、交互に鷹狩りに随い、片方が留守を預かるというのが不文律であった。
前回、2月4日の目黒のほとりへの鷹狩りの際には鳥居忠意が随ったので、本来ならば今回は、今日の新井宿のほとりへの鷹狩りには酒井忠香が随い、忠意は「お留守番」の筈であった。
それが実際には忠意が前回に引続いて、今回もまた、鷹狩りに随い、裏を返せば忠香は謂わば、
「二週連続で…」
お留守番を務めることになり、明らかに不自然と言えた。
「酒井殿はそれで真、宜しいので?」
興正は二週連続で「お留守番」を務めさせられることになった忠香にその点を糺した。
もっと言えば、その様な「采配」を振るった信喜について、その「采配」ぶりについて問うていたのだ。
忠香には二週連続で「お留守番を務めさせる…、それもまた、信喜の「采配」によるからだ。
「いや…、身共はこの通り、とうの昔に還暦を過ぎておる故に、御放鷹への扈従も…、余り大きなる声では申せぬが億劫での…」
だから「留守番」をしている方が気が楽なのだと、忠香は苦笑交じりにそう示唆したのだ。
それに対して興正はそれを額面通りには受取らず、それどころか一種の「韜晦の姿勢」に過ぎないと、そう受取ったのだ。
成程、正徳5(1715)年生まれの忠香は今年、安永8(1779)年で数えで65となり、還暦は、
「とうの昔に…」
過ぎていた。
だが忠香は矍鑠としており、鷹狩りに随うのが億劫であるとは、とても思えなかった。
それに鳥居忠意とて、忠香とは二つしか違わず、つまりは忠意も忠香より2歳年下であるに過ぎず、忠香同様、還暦であることに変わりはない。
詰まるところ、信喜が忠香を舐めてかかった…、それに尽き様。
忠香は温厚な仁であり、それで信喜もその様な忠香ならば、
「二週続けて…」
お留守番をさせても問題あるまいと、そうタカをくくったに相違あるまい。
興正がそう考えていると、忠香にもそれが通じたらしく、
「いや、小笠原若狭よりは事前に話があったがの…」
忠香は己が決して、信喜に舐められている訳ではないと、興正にそう主張したのであった。
それに対して興正はと言うと、
「実に聞捨てならぬ…」
そう感じたのであった。
「事前に話があった…、と?」
興正は思わずそう問返していた。
「如何にも…」
「そは…、若狭が酒井殿に対して、前回の御放鷹に引続き、今回の御放鷹…、今日の御放鷹についても、酒井殿を大納言様に随い奉らせずに、御城にて留守を預からせることについて、話が…、申開きがあった、と?」
興正は更にそう、念を押す様に尋ねた。それが興正に「聞捨てならぬ…」と思わせた正体である。
一方、忠香は「如何にも」と即答するや、
「されば此度…、本日の御放鷹は鳥居殿には格別のものとなるによって…、いや、若狭は左様に申して、この飛騨に此度もまた留守をしてくれる様、つまりは鳥居殿に扈従を譲ってくれる様に頼まれての…」
その様な「裏事情」を打明けた。
「鳥居殿にとって格別、と?」
興正は訳が分からずに首を傾げた。
すると忠香はそんな興正の為に詳しい経緯をも打明けた。
即ち、御側衆、それも平御側の中からも一名が鷹狩りに随い、しかし今回、今日の鷹狩りに限って、人選を担当する信喜はここでもまた、
「不自然極まりない…」
采配ぶりを発揮し、二人の平御側を随わせることとし、大久保下野守忠恕と同じく大久保志摩守忠翰の二人を選び、その内、大久保忠翰が実は鳥居忠意の実弟に当たるのだ。
「鳥居殿にとっては、実の弟と大納言様の御放鷹に扈従出来ると申すものにて…」
それこそが信喜の言うところの「格別」の正体であるらしい。
「それに、大納言様にとっても扈従せし側衆が大久保兄弟なれば気が楽であろう…」
忠香の言う通り、家基は御側衆の中でもとりわけ、「大久保兄弟」こと、大久保忠恕と大久保忠翰の二人が「お気に入り」であった。
忠恕と忠翰は正しくは兄弟ではないものの、大久保一族として揃って、家基の寵愛を受けているところから、
「大久保兄弟…」
そんな愛称を奉られていた。
その内、忠翰の実兄が若年寄の鳥居忠意であり、しかも忠意は眉目秀麗ということも手伝って、これまた家基の「お気に入り」であった。
「また、扈従せし目付が小野次郎右衛門ともなれば尚更にのう…」
目付もまた、軍監として鷹狩りに随う。鷹狩りは軍事訓練としての側面もあるからだ。
尤も、それは建前であり、天下泰平の御代、鷹狩りは最早、遊戯と化しており、にもかかわらず目付を随わせるのは、
「鷹狩りとは軍事訓練である…」
その建前を維持する為であり、目付にしてもそれが分かっていたので、軍監とは言っても、実際には鷹狩りを遊戯として大いに楽しんだ。
いや、目付の中にも、
「鷹狩りはあくまで、軍事訓練である…」
その建前を貫き、鷹狩りを遊戯として楽しむではなく、軍監としての己の職分を全うしようとする硬骨漢もおり、ここ西之丸にて家基に仕える目付の中でも、深谷十郎左衛門盛朝がそうであった。
一方、それとは対極に位置するのが小野次郎右衛門こと次郎右衛門忠喜であった。
小野次郎右衛門は目付の中でも一番の新人ではあるが、齢は数えで47で、46の深谷十郎左衛門よりも一つしか違わず、にもかかわらず、小野次郎右衛門は深谷十郎左衛門よりも柔軟で、こなれていた。
それ故、家基も深谷十郎左衛門が「軍監」として鷹狩りに随う時には大分、緊張を強いられる。いや、家基のみならず、家基に随う家臣一同にも当て嵌まることであった。
その点、小野次郎右衛門の場合は深谷十郎左衛門の様に鷹狩りを厳格に「軍事訓練」としては捉えずに、それどころか自ら率先して、鷹狩りを遊戯として楽しむので、家基をはじめ、誰もが気が楽であった。
「とりわけ、大久保兄弟はそうであろうな…」
忠香はしみじみそう呟いたので、興正も、「あっ」と声を上げた。あることを思い出したのだ。
それに対して、忠香もそうと察したらしく、「左様」と応ずると、
「されば大久保兄弟…、と申すよりは大久保一族は御三卿の中でも清水宮内卿様との所縁が深く、一方、小野次郎右衛門もその弟が清水家中…、それも物頭を務めているによって…」
そこで小野次郎右衛門は、同じく清水家臣を縁者に持つ、それも叔父が清水家臣である小姓の大久保靱負忠俶に目を付け、まずは大久保靱負と親しくすることで、謂わば大久保靱負を足掛かりに、同族の「大久保兄弟」へと接近、結果、今では小野次郎右衛門の目論見通り、次郎右衛門は「大久保兄弟」と親しく付合う間柄となっていた…、忠香は興正が思い出したことを解説してみせた。
確かにその通りで、このことは西之丸においても知られた話であり、興正も勿論、把握していたものの、しかし信喜の余りに滅茶苦茶な人選に憤慨してつい、失念していたのだ。
だが興正はそのことを思い出すと、信喜の人選に抱いた違和感の正体、それも真の正体に気付いた。
「清水家と所縁のある者が多過ぎる…」
それであった。
いや、もっとに早くに気付くべきであった。それと言うのも随行する鷹匠衆の中には驚くべきことに、清水家臣の仙波市左衛門永春の名まであったからだ。
仙波市左衛門永春もまた、「欠席者」の代替要員として信喜に選ばれた一人であった。
その仙波市左衛門永春は鷹を操る技量にかけては天下一と言っても過言ではなく、その名は幕臣の間にまで轟いていた。
興正も勿論、その名声ならば把握していたので、
「仙波市左衛門ならば…」
興正は仙波市左衛門永春が鷹匠である前に清水家臣であることをすっかり失念して、代替要員として適任と、すっかり、それもうっかり受流していたのだ。
だが、忠香より指摘を受けたことで、興正も漸くに今日の鷹狩りに清水家と所縁のある者で占められていることに気付いたのであった。
だがそれは最早、遅過ぎた発見と言えよう。
この段になっては最早、興正を以ってしても、如何ともし難かったからだ。
【午前10時30分頃、西之丸大手御門前】
「大納言様、これを…」
家基が「全軍」を随えて、新井宿へと出行する直前、軍監を務める目付の小野次郎右衛門が滋養強壮の為の丸薬を勧めた。
「左様か…」
家基がその丸薬を手に取ろうとした瞬間、御膳番の小納戸の石谷次郎左衛門が割って入った。
「その丸薬は?」
石谷次郎左衛門は家基の前に立塞がり、まるで家基にその丸薬を呑ませないかの様な姿勢を取った。
事実、石谷次郎左衛門は小野次郎右衛門から納得のいく答えが得られなければ、家基に丸薬を呑ませないつもりであった。
「さればこれは奥医の法印の吉田桃源院に命じて調ぜさせし丸薬にて…」
小野次郎右衛門は「法印」にアクセントを置いた。法印は医師の中でも最高ランクに位置する。
それ故、その法印の地位にある吉田桃源院こと吉田善正の調合した薬ならば、
「万に一つ…」
間違いはあるまいと、小野次郎右衛門は示唆したのだ。法印の称号を持出せば、さしもの石谷次郎左衛門も引下がるに相違あるまいと、次郎右衛門がそう判断してのことであった。
いや、それだけではない。同じく西之丸奥医師の森養春院當定の「援護射撃」も期待出来ると見込んでのことである。
事実、小野次郎右衛門が吉田善正の名を出すや、真先に反応したのは森當定であり、
「吉田桃源院殿が調進せし丸薬なれば問題はござるまい…」
當定は次郎右衛門が期待した通りの「働きぶり」を示してくれた。
森當定は愛娘の哲を田安家臣の石寺伊織章貞の許へと嫁がせており、しかもその間に生まれた桃菴瑧は吉田善正の養嗣子に迎えられているのだ。
つまり、當定は大事な外孫を善正の養嗣子としている故に、その外孫の岳父に当たる吉田善正が調合した丸薬ともなれば、
「問題ない…」
當定がそう太鼓判を押すのは目に見えていた。
小野次郎右衛門は斯かる「閨閥」を把握していればこそ、吉田善正に丸薬を調合させ、そして今、この場面でその名を持出したのであった。
だが、森當定の「援護射撃」にもかかわらず、石谷次郎左衛門は引下がらなかった。
「その丸薬も毒見申さぬうちは、大納言様に差上ること適わず…」
次郎左衛門はあくまで、御膳番としての己の職務を全うしようとした。
「それに…、その丸薬とて真、吉田桃源院が調進せし丸薬かどうか、分かり申さず…」
次郎左衛門は丸薬そのものにまで、疑いの目を向けたのだ。
これには小野次郎右衛門も黙ってはいなかった。
「然らばこの次郎右衛門が畏れ多くも大納言様に毒薬を差上げようとしているとでも申されるのかっ!」
如何にも次郎左衛門の疑いはそれを示唆するものであり、当然、次郎右衛門は激昂した。いや、正確には激昂してみせたと言うべきであろう。実際には丸薬にばかり焦点が当てられていたからだ。
ともあれ次郎左衛門も次郎右衛門の激昂に怯む様子など微塵もなく、
「出所が分からぬものについては、全ての可能性を疑う…、それが御膳番としての…、大納言様が御命を預かり奉りし者たる責務にて…」
次郎左衛門は平然とそう繰返した。
家基の前で、それも家基を間に挟んで、次郎左衛門と次郎右衛門が「バトル」を繰広げるものだから、家基も困惑した。どちらの味方をする訳にもゆかないからだ。
するとそんな家基を救ったのが、やはり医師、それも本丸奥医師の池原良誠であり、良誠は「畏れながら…」と割って入ったかと思うと、
「この際、吉田桃源院に確かめましては如何でござりましょうや…」
そう提案したのであった。
良誠の提案に、次郎左衛門と次郎右衛門は「一時休戦」したことから、家基は心底、ホッとした表情を浮かべた。
「それが良い…」
家基は良誠の提案を了とするや、それを受けて次郎右衛門がこの場に吉田善正を連れて来ることを提案したのだ。
家基の前で直に吉田善正に対して、真に善正が調合した丸薬かどうか、確かめさせようとの腹積もりであり、すると森當定が「使者」の役目を引受け、當定によって善正が連れて来られた。
石谷次郎左衛門は早速、吉田善正に対して、己が調合した丸薬かどうか、その点を糺した。
「はい、如何にもこの丸薬は手前が調進せし丸薬に相違なく…、されば小野次郎右衛門殿が命により…」
善正がそう認めたので、次郎右衛門は、
「さぁ、どうだ。参ったか…」
如何にもそう言いたげな様子で胸を張ってみせた。
だが次郎左衛門はそれを黙殺すると、
「されば毒見申上げる…」
何事もなかったかの様にそう告げたのだ。
だがそれに次郎右衛門が待ったをかけた。
「いや、そなたにばかり良い顔をされては、この次郎右衛門の立場がない。されば毒見は手前が仕ろうぞ…」
次郎右衛門が丸薬を毒見すると言うので、次郎左衛門は当然、反撥した。
「いや、毒見なれば御膳番たる手前の職掌にて…」
次郎左衛門は御膳番を兼ねていることを盾にして譲ろうとはしなかった。
「己にありもせぬ疑いを…、畏れ多くも大納言様を毒薬にて毒殺せんとしようとしているなどと、斯かる疑いをかけておきながら、その上、毒見まで担おうとは、虫が好すぎるぞっ!人を虚仮にするのも大概にせいよっ!」
次郎右衛門は再び激昂してみせると、今度は何と脇差に手をかけたのだ。これにはさしもの次郎左衛門もギョッとさせられた。
仮に次郎右衛門が脇差を抜いたならば、次郎左衛門も脇差を抜いて応戦せねばならぬ。
だがそれでは「喧嘩両成敗」の原則が適用され、次郎右衛門は元より、応戦した次郎左衛門も罰せられることになる。
勿論、脇差を抜かずに、つまりは、
「刀を抜き合わさず…」
ただ逃惑うという選択肢もあろうが、百姓、町人ならばいざ知らず、次郎左衛門は武士であり、武士たる身でありながら、「喧嘩両成敗」を恐れて刀を抜き合わすこともなく、ただうろうろと逃惑ったとなれば、仮令、それで罰せられずとも、嘲笑の的となるのは避けられまい。いや、それ以上に、家基から大いに不興を買うのは避けられまい。
そこで第三の道として、脇差の鞘で応戦するという選択肢があった。脇差を抜かずに、鞘で応戦すれば、「喧嘩両成敗」の原則は適用されず、且つ、逃惑う訳ではないので、家基から不興を買うこともなければ、嘲笑の的となることもない…、次郎左衛門がその様な想像を頭の中で廻らしていると、
「毒見は次郎右衛門に頼もう…」
家基がそう裁断を下したので、次郎左衛門は急に現実に、それも不愉快な現実に引戻された。
次郎左衛門は家基の裁断に抗議しようとしたものの、家基がそれを右手を掲げて制した。
「次郎右衛門が顔も少しくは立ててやろうぞ…」
家基がそう告げたので、次郎左衛門としてもこの上の抗議は出来なかった。
一方、次郎右衛門はそれとは正反対に如何にも勝誇ったかの様な表情を覗かせたかと思うと、先程、家基の為に袋から取出したその丸薬を再び、袋の中に仕舞い、その袋をそのまま、次郎左衛門へと押付けたのであった。
「毒見すべき丸薬はそなたが選で良いぞ?それなれば、御膳番とやらの御大層なる御役目を果たしたことになるであろうぞ?」
次郎右衛門は厭味を込めてそうぶちまけたのだ。
これには次郎左衛門も心底、憎悪の感情が湧上がったものの、それを噴出させる様な愚かな真似はせずに、その代わりに家基の顔を見た。
すると家基も次郎左衛門の視線に気付き、頷いて見せたので、次郎左衛門はそれで漸くに次郎右衛門から袋を受取ると、数粒の丸薬が入ったその袋に右手を差込み、中から一粒の丸薬を取出し、それをそのまま次郎右衛門に突付けた。
次郎右衛門は次郎左衛門のその所作から、次郎右衛門が腹の中では煮え繰り返っていることが察せられたので、今にも嗤い出したい衝動に駆られた程である。
無論、次郎右衛門が実際に嗤い出すことはなく、いや、必死に堪えたからだが、ともあれ、次郎右衛門は嗤う代わりに次郎左衛門より受取ったその丸薬を口に含むと、これもまたやはり家基に呑ませるべく用意しておいた竹筒の水でもって、丸薬を胃に流し込んだ。
いや、次郎左衛門が実際に胃に流し込んだのは丸薬のみであり、水に関しては呑むフリをしただけであった。
これでいつもの、冷静沈着なる次郎左衛門であれば、次郎右衛門のその様な「三文芝居」など直ぐに見破ったであろう。
だが今の、すっかり憎悪の感情に憑かれてしまった次郎左衛門はそれ故に、その「三文芝居」を見破れなかった。
次郎右衛門は次郎左衛門と家基、交互に舌を出して見せた。それは丸薬と共に、水も呑んだことを主張するものだった。
次郎右衛門のその主張に対して、次郎左衛門も納得してしまい、家基に叩頭すると、丸薬の入った袋を家基へと差出した。
家基は次郎左衛門よりその袋を受取ると、袋の中からやはり一粒の丸薬を取出し、次郎右衛門がそうした様にその丸薬を口に含んだ。
すると今度は次郎右衛門が家基へと竹筒を差出し、家基が左手で摑んでいた袋とその竹筒を交換した。
そして家基は次郎右衛門より受取った竹筒の水と共に丸薬を胃に流し込んだのであった。但し、その点だけは、
「次郎右衛門がそうした様に…」
という訳ではなかった。
【午後4時頃、薩摩藩品川下屋敷】
「少しは落着かれては如何で御座ろう…」
遊佐卜庵信庭は目の前にてウロウロと歩き廻る市田勘解由教国に窘める様に声をかけた。
遊佐信庭は公儀、幕府に仕える医官、それも表番医師であり、一方、市田勘解由はこの屋敷の住人、即ち、薩摩藩士であった。ちなみに遊佐信庭は今日は非番である。
それにしても幕府の表番医師と薩摩藩士、何とも妙な取合わせであったが、そこには理由があった。
「これが落着いていられるかっ」
市田勘解由は立止まると、そう反論した。
確かに市田勘解由の気持ちも分からないではなかった。
何しろ、ここ品川にある薩摩藩の下屋敷は東海寺の目と鼻の先にあり、間もなくその東海寺に鷹狩りを終えた家基一行が、それも家基が立寄ることを思えば成程、市田勘解由がウロウロと歩き廻りたくなるのも致し方ない。
「真に、上手くいくのであろうな?」
市田勘解由は既に幾度となく浴びせかけた問いをここでもまた、口にした。
するとこれには同じく医者、とは言っても幕府の医官ではなく、町医者の小野玄養章以が答えた。
妙な取合わせは市田勘解由と遊佐信庭だけではなかったのだ。もう一人、その小野章以がおり、
「必ずや大願成就と相成りましょうぞ…」
小野章以はそう太鼓判を押したのであった。
すると遊佐信庭も小野章以に加勢するかの様に、「左様」と言葉を重ねるや、
「されば幾度も実験を重ねましたる故に、万に一つも失敗る様なことはあり得ませぬ」
遊佐信庭もこれまた、大見得を切ってみせたのであった。
それで市田勘解由も漸くに落着きを取戻す…、これもまた幾度も繰返されたパターンと言えた。
するとそこへ、「申上げますっ」という若々しい声が聞かれた。声の主は仙波市左衛門永昌であった。
市田勘解由は仙波永昌の声を聞いた途端、目を輝かせた。
「遂に参ったかっ!」
市田勘解由は仙波永昌にそう声をかけると、永昌も「ははっ」と首肯して、手にしていた書付を勘解由に恭しく手渡した。
このやり取りだけで判断するならば、まるで主従の様な間柄に見えるであろう。或いは上役とその部下の様なそれにも見えるやも知れず、何れにしろ、仙波永昌もまた、市田勘解由と同じく、薩摩藩士には間違いないと思われるやも知れぬが、しかし実際には永昌は薩摩藩士ではなく、それどころか御三卿の清水家に鷹匠として仕える家臣であり、父、仙波市左衛門永春もまた清水家臣で、それも鷹匠頭として仕えていた。
そして永昌が今、市田勘解由に手渡した書付は父、永春より届けられたそれであった。いや、正確には鷹が届けた書付と言うべきであろう。
その書付には市田勘解由がそれこそ、
「待ちに待った…」
その様な文面が認められており、その意味で正しく吉報と言えた。
小野章以も遊佐信庭も、実に嬉しげにその書付に目を落とす市田勘解由の姿を目の当たりにして、「大願成就」を果たしたことを確信したものだが、それでも遊佐信庭が念の為に、「如何で?」と尋ねた。
すると市田勘解由は愈愈、目を、それも爛爛と輝かせて、章以や信庭が予期した通りの答えを返した。
「されば大納言様が東海寺にて俄かに御発病、それも腹痛で斃れられたそうだっ!」
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