上 下
11 / 169

序章 最終回前篇 安永8年2月21日 ~次期将軍・家基昇天までのカウントダウン~

しおりを挟む
【午前8時30頃、西之丸にしのまる奥之番おくのばんしゅう詰所つめしょ

ぜんにござります…」

 膳番ぜんばん小納戸こなんど石谷いしがや次郎左衛門じろうざえもん清定きよさだこえひびいた。

 すると部屋へやあるじとも言うべき奥之番おくのばん小納戸こなんど中野なかの虎之助とらのすけ清翰きよふでかおのぞかせ、石谷いしがや次郎左衛門じろうざえもんまえつと、

たしかに…」

 虎之助とらのすけ次郎左衛門じろうざえもんにそうげると、次郎左衛門じろうざえもん両手りょうてでもってうやうやしくかかげていたぜん次期じき将軍しょうぐん家基いえもとしょくするぜん受取うけとった。

 ちなみにいちぜん大奥おおおくにて用意よういされる。それと言うのもいちぜんはここ西之丸にしのまるにおける大奥おおおく女主おんなあるじとも言うべき、家基いえもと婚約者こんやくしゃ、さしずめ次期じき御台所みだいどころである種姫たねひめしょくするそれとおなじだからだ。

 だがぜんちがい、家基いえもとしょくするそれが吸物すいもの焼魚やきざかなであるのにたいして、種姫たねひめしょくするそれは豆腐とうふたまご汁物しるものたい焼物やきものであるからだ。

 そこで家基いえもと種姫たねひめともしょくするいちぜんすなわち、めししる刺身さしみもの向付むこうづけ煮物にものだけは大奥おおおく用意よういしてもらい、ぜんだけは膳番ぜんばん小納戸こなんど奥之番おくのばん小納戸こなんどかいして大奥おおおくへとはこばれる。

 奥之番おくのばん小納戸こなんど日頃ひごろより大奥おおおく奥女中おくじょちゅう、それも錠口じょうぐち打合うちあわせをするために、大奥おおおくとの接触せっしょくおおい。

 もっとも、その奥之番おくのばん小納戸こなんどにしても大奥おおおく殿向てんむき所謂いわゆる、「おんなその」にまであしれることは到底とうていゆるされず、その手前てまえ、それもはる手前てまえの、中奥なかおく大奥おおおくとをつなかみすず廊下ろうか、その廊下ろうかじょうにある鈴番所すずばんしょまでである。鈴番所すずばんしょ錠口じょうぐち詰所つめしょであり、そこで奥之番おくのばん小納戸こなんど錠口じょうぐち種々しゅじゅ打合うちあわせをおこなう。

 ちなみにいまよう家基いえもと大奥おおおくにてしょくするぜんについて、その移送いそうしもすず廊下ろうか使つかわれることになる。

 それと言うのも奥之番おくのばんしゅう詰所つめしょしもすず廊下ろうかちか場所ばしょしつらえられており、それ以上いじょうに、ぜんあたたなおしたり、盛付もりつなおしたりするおく膳所ぜんしょちかいから、という実際的じっさいてき理由りゆうによる。

「ふっ…、相変あいかわらずですな…」

 虎之助とらのすけ次郎左衛門じろうざえもんより受取うけとったぜん両手りょうてかかげながら、次郎左衛門じろうざえもんかおをまじまじとつめるや、そうげた。

 次郎左衛門じろざえもんにとって虎之助とらのすけのその言葉ことば予期よきせぬものであり、おもわず「なに」とこえあらげた。

「そのですよ」

おれ如何いかがいたしたともうすのだ?」

「まるでこのおれ大奥おおおくにて大納言だいなごんさまがお召上めしあがりになられるこのぜんどくでも仕込しこむのではないか…、そんな猜疑さいぎちたもうすものにて…」

 図星ずぼしであった。如何いかにも次郎左衛門じろうざえもんは「大納言だいなごんさま」こと家基いえもと大奥おおおくにてしょくするぜん虎之助とらのすけが、と言うよりは奥之番おくのばんしゅうならみな一服いっぷくるのではないかと、そううたがっていた。

 それと言うのも中野なかの虎之助とらのすけふくめて奥之番おくのばん小納戸こなんどみな三卿さんきょう一橋ひとつばしとはなんらかの所縁ゆかりものばかりであったからだ。

「どうやら図星ずぼしようですな…、まぁ、それほどまでにおうたがいでしたら、おれあとをついてまいられよ…」

「なに?」

無論むろんしもすず廊下ろうかまでですが、そこまでついてまいられよ…、このおれ大納言だいなごんさまがお召上めしあがりになられるぜんたして一服いっぷくるのかいなか、そのしか見届みとどけられたらよろしかろう…」


【午前8時45分頃、西之丸にしのまるしもすず廊下ろうか

 中野なかの虎之助とらのすけ石谷いしがや次郎左衛門じろうざえもんしたがえてしもすず廊下ろうかをゆっくりとすすんだ。その中程なかほどには次期じき将軍しょうぐん家基いえもと附属ふぞくする年寄としより初崎はつざき待受まちうけていた。

 家基いえもと大奥おおおくにて食事しょくじさいとく今日きょうよう鷹狩たかがりのあさかぎり、大奥おおおくにて朝餉あさげさいには、奥之番おくのばん小納戸こなんどはこんで朝餉あさげ、そのぜん受取うけと大奥側おおおくサイド奥女中おくじょちゅう初崎はつざきとの仕来しきたりが確立かくりつしていた。

 虎之助とらのすけ初崎はつざき手前てまえ立止たちどまると、両手りょうてうやうやしくかかげていたぜん初崎はつざきへとこれまたうやうやしく差出さしだした。

 それにたいして初崎はつざきもまた、「たしかに…」とげて虎之助とらのすけよりぜん受取うけとると、虎之助とらのすけ背後はいご次郎左衛門じろざえもんへと視線しせんてんじて、「ものは?」とたずねた。

 無論むろん初崎はつざきもそれが膳番ぜんばん小納戸こなんどである石谷いしがや次郎左衛門じろうざえもんであることは承知しょうちしており、初崎はつざきたずねているのは、

何故なにゆえ奥之番おくのばん小納戸こなんどしかとおることのゆるされてはいない、ここしもすず廊下ろうか膳番ぜんばん小納戸こなんどである石谷いしがや次郎左衛門じろうざえもん姿すがたがあるのか…」

 そのてんであった。

 虎之助とらのすけにしても初崎はつざきのその真意しんい読取よみとれたので、

「さればこれなる石谷殿いしがやどのはどうやら、この虎之助とらのすけめがおそおおくもここ大奥おおおくにて大納言だいなごんさまがお召上めしあがりになられしそれなる朝餉あさげ…、ぜん一服いっぷくるのではあるまいかと、斯様かよううたがわれているよしにて…、それなればと…」

 このおれ家基いえもと食事しょくじどくでもらないようしっかり監視かんししたらいだろうと、ついてようめいじたのだと、虎之助とらのすけ初崎はつざき打明うちあけたのであった。

左様さようであったか…」

 初崎はつざき合点がてんした。

「されば大奥おおおく法度はっとはんして石谷殿いしがやどのがこのしもすず廊下ろうか立入たちいりましたるつみひとえにこの虎之助とらのすけにありますれば、何卒なにとぞ石谷殿いしがやどのにはおとがめなきように…、あくまで大納言だいなごんさまへの忠義ちゅうぎこころよりたことなれば…」

 虎之助とらのすけ殊勝しゅしょうにもそう言ってのけた。いや、勿論もちろん厭味いやみであり、次郎左衛門じろうざえもんもそうと気付きづいてじつ苦々にがにがしげな表情ひょうじょうかべた。

「いや、大奥おおおく法度はっとはんしているとはもうせ、たかだかしもすず廊下ろうか立入たちいりし程度ていどのこと、殊更ことさら問題もんだいにするつもりはない…、ましてやそれが大納言だいなごんさまへの忠義ちゅうぎこころよりたことなれば尚更なおさらにのう…」

 初崎はつざきもまた、虎之助とらのすけけじと厭味いやみはなつと、次郎左衛門じろうざえもんへとてんじ、「だが、のう…、石谷殿いしがやどの…」と切出きりだし、

「この初崎はつざきおそおおくも大納言だいなごんさま乳母めのとつとめ、いまでは大納言だいなごんさまつかたてまつりし年寄としよりなればだれよりも大納言だいなごんさま上様うえさまに…、十一代じゅういちだいさまにおなりあそばされしことをのぞんでおり、虎之助とらのすけは…、これなる中野なかの虎之助とらのすけはそのわたくしめがおいぞ…、されば虎之助とらのすけもまた、大納言だいなごんさま十一代じゅういちだいさまにおなりあそばされることをだれよりものぞんでいようぞ…」

 初崎はつざき次郎左衛門じろうざえもんさとようにそうげたのであった。

 一方いっぽう次郎左衛門じろうざえもんとしてもそう言われればまさしくそのとおりであり、ぐうのなかった。

 初崎はつざき次郎左衛門じろうざえもんのその様子ようすると、

「まぁ…、その忠義ちゅうぎこころ本日ほんじつ大納言だいなごんさま放鷹ほうよう扈従こしょうされるがよろしかろう…」

 じつ勝誇かちほこった様子ようすでそう言放いいはなった。


【午前8時50分頃、おく膳所ぜんしょ

 家基いえもとがこれよりしょくすることになるぜんかかげた初崎はつざきあらわれると、砂野いさの笹岡ささおか二人ふたり叩頭こうとうしてこれを出迎でむかえた。

 砂野いさの笹岡ささおか家基いえもと附属ふぞくするきゃく応答あしらいであり、今朝けさように、あるいは昼食ちゅうしょく夕食ゆうしょく家基いえもとがここ大奥おおおくにて婚約者こんやくしゃである種姫たねひめとも場合ばあいには、御客おきゃく応答あしらい毒見どくみつとめる。

 ここおく膳所ぜんしょにてあたたなおされた料理りょうり中年寄ちゅうどしより毒見どくみになう。

 大奥おおおくにて台所だいどころをはじめとする姫君ひめぎみしょくする料理りょうり廣敷ひろしき膳所ぜんしょ台所だいどころにて調理ちょうりされ、出来上できあがった料理りょうりはまず、台所だいどころがしら大奥おおおく警備けいび部門ぶもんのトップである廣敷番ひろしきばんがしら監視下かんしか毒見どくみをするわけだが、ここおく膳所ぜんしょにおいて中年寄ちゅうどしよりにより、もう一度いちど、その料理りょうりあたたなおされることになるので、もう一度いちど毒見どくみをすることになり、それをになうのもまた中年寄ちゅうどしよりであった。

 だが中年寄ちゅうどしより姫君ひめぎみにのみ附属ふぞくし、将軍しょうぐんや、あるいは家基いえもとよう次期じき将軍しょうぐんにはそんしない役職ポストであった。

 そこで将軍しょうぐんや、あるいは次期じき将軍しょうぐん大奥おおおくにて食事しょくじさいにはきゃく応答あしらい毒見どくみになう。

 きゃく応答あしらい中年寄ちゅうどしよりとはぎゃくに、将軍しょうぐん次期じき将軍しょうぐんにのみ附属ふぞくし、また、職階しょっかいという観点かんてんからも、きゃく応答あしらい中年寄ちゅうどしより相当そうとうする。

 家基いえもとづききゃく応答あしらい現在げんざい砂野いさの笹岡ささおかふくめて4人おり、のこる2人は花川はなかわ山野やまのであり、花川はなかわ山野やまの二人ふたり今頃いまごろ大奥おおおくわたっているであろう家基いえもと接遇せつぐうたっているはずであった。

 きゃく応答あしらい職掌しょくしょうとしてまずげられるのは、将軍しょうぐん次期じき将軍しょうぐん大奥おおおくへとなりさい接遇せつぐうである。

 この西之丸にしのまる大奥おおおくにおいては、それも食事しょくじるべく大奥おおおくへとわたった次期じき将軍しょうぐんたる家基いえもと接遇せつぐうたるのは2人のきゃく応答あしらいであり、のこる2人のきゃく応答あしらい中奥なかおくよりはこばれてきた家基いえもと食事しょくじぜんあたたなおし、毒見どくみつとめることになっていた。

 それが今日きょう砂野いさの笹岡ささおか毒見どくみつとめることになっており、それを監視かんしするのが老女ろうじょ家基附いえもとづき年寄としより初崎はつざき仕事しごとであった。

 初崎はつざき砂野いさの目配めくばせすると、砂野いさのうなずき、懐中かいちゅうよりふたつの小壜こびん取出とりだした。それは昨日きのう薩摩藩さつまはん松平まつだいらこと島津しまづよりここ西之丸にしのまる大奥おおおくへと差向さしむけられた公儀こうぎおく女遣おんなづかい平野ひらのより差入さしいれられたものであった。

 御三家ごさんけ三卿さんきょうあるいは家門かもんつかえる女中じょちゅう公儀こうぎおく女遣おんなづかいとして大奥おおおくおとずれた場合ばあい、これを接遇せつぐうするのもまた、きゃく応答あしらい仕事しごとであった。

 薩摩藩さつまはん島津しまづ御三家ごさんけ三卿さんきょうでもなければ、家門かもんでもなく、本来ほんらいならば女中じょちゅう大奥おおおくへと差向さしむけることはゆるされない。

 女中じょちゅう公儀こうぎおく女遣おんなづかいとして大奥おおおく差向さしむけられるのはあくまで、御三家ごさんけ御三卿ごさんきょう、それに家門かもんかぎられていたからだ。

 だが薩摩藩さつまはんでは五代目ごだいめ繼豊つぐとよ八代はちだい将軍しょうぐん吉宗よしむね養女ようじょである竹姫たけひめ正室せいしつむかえたことから、家門かもんじゅんじたあつかいをけ、島津しまづつかえる女中じょちゅう公儀こうぎおく女遣おんなづかいとして大奥おおおく差向さしむけることがゆるされるようになった。

 ちなみに薩摩藩さつまはん島津しまづとは「対抗ライバル関係かんけいにある仙台藩せんだいはん松平まつだいらこと伊達家だてけもまた、先代せんだい宗村むねむらおなじく八代はちだい将軍しょうぐん吉宗よしむね養女ようじょである利根とねひめ正室せいしつとしてむかえたことから、仙台藩せんだいはんつかえる女中じょちゅう公儀こうぎおく女遣おんなづかいとして大奥おおおくへと差向さしむけられるようになった。

 ともあれ昨日きのう薩摩藩さつまはん島津しまづより平野ひらの公儀こうぎおく女遣おんなづかいとして西之丸にしのまる大奥おおおくおとずれ、接遇せつぐうたった山野やまのふたつの小壜こびんたくしたのであった。

 山野やまのはそれを今朝けさまで大事だいじつづけ、それを今朝けさ砂野いさのわたし、いまいたる。

 そのふたつの小壜こびんだが、片方かたほう粉末ふんまつ詰込つめこまれており、もう片方かたほうには液体えきたい詰込つめこまれていた。

 砂野いさの初崎はつざきからの目配めくばせをけ、囲炉裏いろりあたたなおしたぜん毒見どくみはせずに、そのわりに吸物すいものふたつの小壜こびん中身なかみ混入こんにゅう、それを笹岡ささおか黙過もっかした。


【午前9時15分頃、休息之間きゅうそくのま

 種姫たねひめまえにはすでいちぜんぜん用意よういされており、しかし、種姫たねひめとなりすわ家基いえもとまえにはいちぜんのみが用意よういされているだけで、ぜんはまだであった。

 するとそこへ、初崎はつざきぜんうやうやしく両手りょうてかかげた砂野いさの笹岡ささおか二人ふたりしたがえて姿すがたせた。

 初崎はつざき砂野いさの笹岡ささおかうながし、ぜん家基いえもとまえかせた。

 こうして家基いえもとぜん調ととのったところで、飯櫃めしびつふたけられた。

 湯気ゆげのぼなか、そのめしをよそうのは種姫たねひめ附属ふぞくする中年寄ちゅうどしよりはぎこと栲子たえこである。

 家基いえもと婚約者こんやくしゃである種姫たねひめはここ西之丸にしのまる大奥おおおくりをたすまえまでは生家せいかである田安たやすやかたにてらしており、そのさい種姫たねひめつかえていたのが栲子たえこであり、栲子たえこ種姫たねひめ次期じき将軍しょうぐん家基いえもと婚約者こんやくしゃとして西之丸にしのまる大奥おおおくりをたしたのにともない、栲子たえこもこれにしたがい、大奥おおおくにおいては栲子たえこ種姫附たねひめづきちゅう年寄どしより取立とりたてられたことから、栲子たえこからはぎへとあらためたのであった。

 そのはぎこと栲子たえこ中年寄ちゅうどしよりとして、種姫たねひめ食事しょくじ毒見どくみかたわら、給仕きゅうじをもになう。

 今日きょう家基いえもともおり、そこではぎはまず、家基いえもとめしからさきによそった。

「ああ、山盛やまもりにの…」

 めしをよそうはぎ種姫たねひめがそうこえをかけた。

鷹狩たかがりはいくさ同然どうぜんにて、さればはらごしらえをかしてはなりませぬ…」

 種姫たねひめじつ男勝おとこまさりな姫君ひめぎみであった。

心得こころえておりまする…」

 はぎ山盛やまもりにめしをよそうと、家基いえもといちぜんにそれをいた。

たね、おまえも、たんとわねばならぬぞ?」

 家基いえもと種姫たねひめにそうげることで、はぎ種姫たねひめめし山盛やまもりにするよううながした。

 すると陪席ばいせきしていた種姫附たねひめづき年寄としより向坂さきさかが、「それは無作法ぶさほうにて…」とせいした。

 向坂さきさかもまた、はぎおなじく田安たやすやかたにて、種姫たねひめ老女ろうじょとしてつかえていた。

 それが種姫たねひめ家基いえもと婚約者こんやくしゃとして西之丸にしのまる大奥おおおくりをたすことから、種姫たねひめ養母ようぼである寶蓮院ほうれんいんは、

信頼しんらいけるもの老女ろうじょに…」

 そうかんがえ、そこで向坂さきさかをそのまま、種姫附たねひめづき老女ろうじょとして大奥おおおくがらせることにしたのだ。

 なお、このとき―、種姫たねひめ次期じき将軍しょうぐん家基いえもと婚約者こんやくしゃとして、西之丸にしのまる大奥おおおくがるさい種姫たねひめしたがったもの向坂さきさかやそれにはぎとどまらない。

 いま種姫たねひめ老女ろうじょ年寄としよりとしてつかえているのは向坂さきさか一人ひとりであった。

 次期じき将軍しょうぐん婚約者こんやくしゃつかえる年寄としより一人ひとりとはいささか、すくぎるようにもおもわれ、一橋ひとつばし治済はるさだなどからは、

「もしよろしければ当家とうけより、年寄としよりしてもいぞ?」

 一橋ひとつばしやかた大奥おおおくつかえる奥女中おくじょちゅう種姫附たねひめづき年寄としよりとして派遣はけんしてやってもいぞと、なみだほど有難ありがた申出もうしで寶蓮院ほうれんいんになされ、それにたいして寶蓮院ほうれんいん即座そくざにこれを拒絶きょぜつしたという経緯いきさつもあった。

 寶蓮院ほうれんいんがそうまでして、種姫附たねひめづき年寄としよりを、それも実権じっけんのある武家ぶけけい年寄としより向坂さきさか一人ひとりしぼったのかと言うと、

少数しょうすう精鋭せいえい…」

 端的たんてきに言えばそれであった。

 寶蓮院ほうれんいんとしては大事だいじ養女ようじょ、いや、我子わがこ同然どうぜん種姫たねひめ大奥おおおくへと手放てばな以上いじょうは、大奥おおおくにて種姫たねひめつかえるものは、それも種姫たねひめまわりにてつかえるものおのれもっと信頼しんらいするものでなければならず、それゆえ一橋ひとつばしやかた大奥おおおくにてつかえる奥女中おくじょちゅうなど論外ろんがいである。

 そのため寶蓮院ほうれんいん田安たやすやかた大奥おおおくにて種姫たねひめつかえていたものたちを、御城えどじょう西之丸にしのまる大奥おおおくへとうつ種姫たねひめ奥女中おくじょちゅうとしてそのままつかえさせることとした。

 わば、田安たやすやかた大奥おおおく生抜はえぬき奥女中おくじょちゅう種姫たねひめ周囲しゅういかためることとし、それにえらばれたのが向坂さきさかはぎであり、また、笹本ささもと池原いけはら、それに峯野みねの勝野かつの和田わだ常見つねみ堀尾ほりお木本きもとといった面々めんめんであった。

 その向坂さきさか種姫たねひめ行儀ぎょうぎ指南しなんやくとして、その一挙手一投足いっきょしゅいっとうそくひからせていた。

 そのよう向坂さきさかであるので、種姫たねひめ山盛やまもりのめしらうなど、到底とうてい容認ようにん出来できぬところであった。

 姫君ひめぎみたるもの大食たいしょくなどもってのほか…、それが向坂さきさかの「常識じょうしき」であり、それは大奥おおおく仕来しきたりとも合致がっちする。

 だが家基いえもとはそんな大奥おおおく仕来しきたりがきではなかった。いや、はっきり言ってきらいであった。

「いや、おれたねには元気げんきでいてもらいたいのだ…、いずれはおれ子供ややんでもらわねばならぬでな…、それゆえたねにはたんと、ってもらいたいのだ…」

 家基いえもとのそのとし似合にあわぬ随分ずいぶん大人おとなびた発言はつげん種姫たねひめかおあからめた。

 いや、向坂さきさかはぎにしてもそれは同様どうようであった。

 向坂さきさかはぎ家基いえもとがよもやそんな大人おとなびた発言はつげんをしようとは予期よきしておらず、不意打ふいうちをらった格好かっこうであり、二人ふたりもまたおもわずかおあからめた。

 だからと言って、向坂さきさかとしても種姫たねひめ行儀ぎょうぎ指南しなんやくとして、引下ひきさがるわけにはゆかなかった。

「なれど、それは無作法ぶさほうもうすものにて…」

 向坂さきさか家基いえもとにそう繰返くりかえした。

 まさかたくなであり、家基いえもと向坂さきさかのそのようかたくなな態度たいどたりにして、大奥おおおく朝食ちょうしょくることになったときのことをおもした。

 すなわち、鷹狩たかがりのあさかぎって、家基いえもと大奥おおおくにて種姫たねひめ朝食ちょうしょくることについて、これに真向まっこうからとなえた、と言うよりは反対はんたいしてせたのはほかならぬ向坂さきさかであったからだ。このとき向坂さきさかは、

大納言だいなごんさま大奥おおおくにて朝餉あさげをおりあそばされますなど、おおよ前例ぜんれいがありませぬゆえ…」

 そう大奥おおおくにおける前例ぜんれい仕来しきたりといったものをたて反対はんたいした経緯いきさつがあり、このとき初崎はつざきなんとか向坂さきさか説伏ときふせた。

向坂さきさかよ…、おれまえではたねには腹一杯はらいっぱいってしい。遠慮えんりょするたね姿すがたたくはないのだ…、それゆえたのむ。たねには腹一杯はらいっぱいわせてやってくれ…」

 家基いえもと向坂さきさかあたままでげてたのんだのであった。

 これにはさしもの向坂さきさかあわてた。それはそうだろう。次期じき将軍しょうぐんあたまげさせるなど、それこそ行儀ぎょうぎはんするというものである。

 ともあれ家基いえもとにここまで言われては向坂さきさかとしても、これ以上いじょう反対はんたいすることは出来できなかった。

 はぎもそうとると、山盛やまもりにした。

「それではおうか…」

 はぎ種姫たねひめまえめし山盛やまもりにられた茶碗ちゃわんくと、家基いえもと種姫たねひめにそうげた。

「はい…」

 種姫たねひめじつうれしげにおうずると、本来ほんらいならばまずは汁物しるものしたぬめらせるべきところ、いきなり山盛やまもりのめしらいついた。

 かたまでもが男勝おとこまさりな種姫たねひめに、家基いえもとじつ清清すがすがしいものをかんじた。

たねともにする食事しょくじじつうまかんじられるものよ…」

 家基いえもと自然しぜんとそんな本音ほんねくちにしていた。

わたくしめも、貴方あなたさまとの食事しょくじ美味びみかんじられます…」

 種姫たねひめもきっぱりとした口調くちょうでそう断言だんげんした。種姫たねひめまさ明朗めいろうであり、家基いえもとはそのよう種姫たねひめおのれ婚約者こんやくしゃさだめてくれたちち家治いえはるおおいに感謝かんしゃした。

「そうか…、おお、そうだ。おれぜんうか?」

 家基いえもとはおかずをも種姫たねひめすすめようとしたが、するとそれは流石さすが大上臈おおじょうろう梅薗うめぞのせいした。

「それはあまりに無作法ぶさほう…」

 家基いえもともこの大上臈おおじょうろう梅薗うめぞのにはかなわない。

 それと言うのも梅薗うめぞの家基いえもと祖父そふ九代くだい将軍しょうぐん家重いえしげがまだ将軍しょうぐん世子せいしとしてこの西之丸にしのまるにてらしていたころより、家重いえしげ正室せいしつ増子ますこづき上臈じょうろう年寄どしよりとしてここ、西之丸にしのまる大奥おおおくにてつかえ、その西之丸にしのまるあるじ大御所おおごしょ吉宗よしむねわっても梅薗うめぞのはやはり、西之丸にしのまる大奥おおおく上臈じょうろう年寄どしよりとしてとどまりつづけ、いまいたる。

 それゆえ、さしもの家基いえもとも、いや、家基いえもとだけではない、おそらくは家治いえはるにしてもそうであろう、梅薗うめぞのこわ存在そんざいであった。

 その梅薗うめぞのに、「無作法ぶさほう」とだんじられては家基いえもととしてもおのれのおかずを婚約者こんやくしゃである種姫たねひめあたえるのは断念だんねんせざるをなかった。

 するとこの様子ようす初崎はつざき砂野いさの笹岡ささおか、それに花川はなかわ山野やまのもとより、家基附いえもとづきのもう一人ひとり年寄としよりである梅岡うめおかまでもがホッとした様子ようすかべた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

徳川家基、不本意!

克全
歴史・時代
幻の11代将軍、徳川家基が生き残っていたらどのような世の中になっていたのか?田沼意次に取立てられて、徳川家基の住む西之丸御納戸役となっていた長谷川平蔵が、田沼意次ではなく徳川家基に取り入って出世しようとしていたらどうなっていたのか?徳川家治が、次々と死んでいく自分の子供の死因に疑念を持っていたらどうなっていたのか、そのような事を考えて創作してみました。

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

♡ちょっとエッチなアンソロジー〜舐める編〜♡

x頭金x
大衆娯楽
♡ちょっとHなショートショートの詰め合わせ♡

♡ちょっとエッチなアンソロジー〜おぽこち編〜♡

x頭金x
現代文学
♡ちょっとHなショートショートの詰め合わせ♡

♡ちょっとエッチなアンソロジー〜アソコ編〜♡

x頭金x
大衆娯楽
♡ちょっとエッチなショートショートつめあわせ♡

♡ちょっとエッチなアンソロジー〜おしっこ編〜♡

x頭金x
大衆娯楽
♡ちょっとHなショートショートの詰め合わせ♡

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

処理中です...