上 下
48 / 48

夢の終わりと思いきや…。

しおりを挟む
 その時、みつおは一瞬、何が起こったのか理解できなかった。ただ急に体が重く感じられるようになった。やがて左の腹部が生暖かく感じられたので、そこで手を触れてみると滑(ぬめ)りが掌(てのひら)に感じられ、瞬間的に出血していることを悟(さと)ると、みつおはショックから気絶した。

 これで現代に帰ることになるかも知れない…、みつおは気絶する前、そんなことを思った。が、生憎(あいにく)、夢から覚めることはなかった。

 みつおが次に目覚めたのは激痛からであった。みつおは何と猿轡(さるぐつわ)をかまされ、ベッドらしき寝台(しんだい)に寝かされていた。のみならず、両手両足も拘束(こうそく)され、身動き出来ない状態で、腹部を切開(せっかい)されたのであった。無論、麻酔(ますい)など存在せず、麻酔(ますい)なしでメス…、などといった上等なものではなく短刀で切り裂かれたのであった。これで気絶してしまえば楽なのかも知れなかったが、生憎(あいにく)と言うべきか、そうそう都合良く気絶できるものではなかった。

 さっき…、最初に気絶した時からどれほどの時が経ったのか、それは分からないが、ともあれさっきは気絶できたものの、しかし今、体の皮膚を切り裂かれているこの瞬間は気絶できなかった。

 みつおの左腹部…、負傷(ふしょう)した左腹部を短刀で切り裂いているのはどうやら外科医らしい。無論、この時代にはまだ外科医という言葉はないのかも知れないが、ともあれ医者には違いないらしい。皮膚を切り裂いたかと思うと、銃弾を摘出(てきしゅつ)し、ズタズタになった腸を縫合(ほうごう)した…、そのことは後で知ったことであり、この時はみつおはそんなこととは露知らず、激痛でのた打ち回りたいところ、体が拘束(こうそく)されてそれも出来ず、今にも頭の血管がぶち切れそうであった。内臓は基本的に痛覚はないと、何かのものの本で読んだことがあるが、しかし、皮膚が切り裂かれた痛みを前にしては内蔵に痛覚があろうがなかろうが、関係なかった。

 さて、みつおが狙撃(そげき)され、重傷を負ったという知らせが江戸に届いたのはそれから一週間後の9月22日であった。江戸に留め置かれていた秀頼(ひでより)、もといみつおのSPである木村(きむら)重成(しげなり)は心底、激怒したものである。

 一方、秀忠はてっきり、みつおが射殺されたという知らせだと思っていたので、それが案に相違して重傷を負ったという知らせに暫(しば)し、言葉を失った。

「何やら、誤算があったようだのう…」

 家康は呆然(ぼうぜん)としている秀忠の元へと足を運ぶなり、秀忠にそう声をかけた。

「ちっ、父上…」

 秀忠は家康を見上げると、慌てて叩頭(こうとう)し、上座を譲(ゆず)った。家康はその上座に座り、秀忠はすぐ横に移動した。

「みつおが死ななかったのが、どうやら誤算であったようだのう…」

 父・家康にズバリそう指摘され、秀忠は再び、言葉を失った。

 が、すぐに秀忠は我に返ると、「正純(まさずみ)めが…、それとも宗矩(むねのり)めが…」と呻(うめ)くように尋ねた。正純(まさずみ)が告げ口したのか、それとも宗矩(むねのり)が…、それが質問の趣旨(しゅし)であり、それは家康にもすぐに察せられ、「勘違いするでない」と答えた。

「と申されますと…」

「お前の下をまずは正純(まさずみ)が、続いて宗矩(むねのり)が訪れしこと、既に把握(はあく)しておる。そこで二人を呼び出し、問い質(ただ)したところ、みつおの暗殺計画を知ったわけだが、仮に二人が何も答えずともいずれは分かったに違いない…」

 家康としては己の命を受け、みつおを殺さずに重傷にとどめた正純(まさずみ)と宗矩(むねのり)を庇(かば)ってやらねばとの思いから、二人を庇(かば)ってやったわけだ。

 一方、秀忠としては家康が既に正純(まさずみ)と宗矩(むねのり)と会っていた…、つまりは密談を交わしていたその事実を把握(はあく)していたことを思い知らされ、正純(まさずみ)と宗矩(むねのり)に対する怒りが消し去った。

「のう、秀忠よ。みつおは利用価値がある。殺すには惜しい、そうは思わんか?」

 父・家康にそう問われれば秀忠としても頷(うなず)くより他にない。

「はい…」

「それで良い…、それから正純(まさずみ)と宗矩(むねのり)を責めるでないぞ…」

 家康は釘を刺すようにそう告げ、秀忠を平伏(へいふく)させた。

 みつおは「手術」を受けてから二週間は陣の中で過ごし、それからさらに一週間後には大坂城内へと運ばれたのであった。「手術」を受けてから二週間は絶対安静であり、城まで…、すぐ目の前の大坂城まで動かすことさえ許されなかった。そこで二週間は「手術」を受けて陣の中で過ごし、そしてそれからさらに一週間が過ぎて容体(ようだい)が安定したところで大坂城へと運ばれたのであった。

 尤(もっと)も、みつおが大坂城へと運ばれる前に淀殿と千姫を城外へと出した。これは家康がかねて予定していた通りの動きであった。即(すなわ)ち、江戸にみつお重傷の報(しら)せが届いた9月22日、正純(まさずみ)は大坂(おおざか)へと出向き…、それも急行し、5日後の27日には大坂(おおざか)に到着、そこで正純(まさずみ)はみつおの狙撃(そげき)が大坂(おおざか)方による犯行だと断定し、大坂(おおざか)方を…、つまりは淀殿を責め立てたのであった。

 無論、淀殿は無実であり、淀殿の暴発を抑えていた正則と清正、幸長(よしなが)にしてもこの徳川方の言いがかりには心底、憤慨(ふんがい)したものである。

 しかし、その後で正純(まさずみ)が出した徳川方の条件…、即(すなわ)ち、無実だと主張するのであれば淀殿は千姫を連れて直ちに城外より立ち退(の)くように、そうでなければ宣戦布告とみなすと、そう伝えられるに及んで、正則たちもこれが家康が仕掛(しか)けたものだと悟(さと)り、大いに憤慨(ふんがい)したものだが、しかし、既に大坂城は濠(ほり)があらかた埋め尽くされ、裸城(はだかじろ)も同然である。戦をしたところで勝負は見えていた。

 結局、淀殿は正則たちの説得を前にして、漸(ようや)くに折れ、千姫を連れて城外へと出た。それに二日間も要したのであったが、誤算もあった。それは秀忠にとっての誤算と言えようか。

 絶対安静であったみつおであったが、いつまでも陣の中で過ごさせるのは衛生的な観点からも望ましいものではなく、そこで体を動かしても問題のない今、大坂城へと運ぶことを長安(ちょうあん)が正純(まさずみ)に進言(しんげん)したのであった。長安(ちょうあん)のライバルとも言うべき正純(まさずみ)が長安(ちょうあん)の申し出を受けるのは何とも癪(しゃく)ではあったが、しかし家康より、みつおは殺すなと、そう申し渡されていた正純(まさずみ)としては如何(いか)に長安(ちょうあん)が気に入らずとも、長安(ちょうあん)の申し出が家康の意思と合致(がっち)している以上、これを無視するわけにはゆかず、そこで渋々(しぶしぶ)ではあるものの、この申し出を受託(じゅたく)く、みつおを大坂城内に入れることを許したわけだが、ここで誤算が…、秀忠にとって誤算が起こった。

 何と淀殿と共に城外へと出た千姫が、「看病をしたい…」と申し出たのであった。これには正純(まさずみ)も長安(ちょうあん)も仰天(ぎょうてん)した。とりわけ千姫を保護するよう、これは秀忠より固く、きつく申し渡されていた正純(まさずみ)としては到底、受け入れられるものではなかった。が、千姫が正純(まさずみ)を押し切った。

「徳川家の陪臣(ばいしん)の分際で、私に指図(さしず)するでないっ!」

 千姫が正純(まさずみ)をそう一喝(いっかつ)したのであった。これには一喝(いっかつ)された当人である正純(まさずみ)は元より、傍(そば)で聞いていた長安(ちょうあん)にしても心底、驚いたものである。

 ともあれ、正純(まさずみ)としては千姫よりそう一喝(いっかつ)されれば、千姫の行動を止めることはできず、みつお共々(ともども)、大坂城へと入ることを黙認(もくにん)したのであった。ちなみにそれなれば私もと、淀殿までみつおや千姫と共について行く…、大坂城へと再び入城する動きを見せたので、これは正則たちが全力で阻止して、とりあえず秀吉の正室の高台院が住まう高台寺へと押し込めた。

 一方、長安(ちょうあん)に醜態(しゅうたい)を…、千姫(せんひめ)の一喝(いっかつ)を前にしてなす術(すべ)もなく、みつおと千姫たちを見送るしかできなかったその醜態(しゅうたい)を目撃された正純(まさずみ)はその屈辱(くつじょく)を振り払うかのように、みつおが狙撃(そげき)された件につき、「副指揮官」であった長安(ちょうあん)を責め立てた。

「そこもとがついていながらみすみす、みつお…、いや、秀頼(ひでより)君(ぎみ)の狙撃(そげき)を許すとは…、これもう、秀頼(ひでより)君(ぎみ)を守るのもその職掌(しょくしょう)であるそなたの責(せめ)なれば、その責(せめ)は到底、免れ得ぬぞ」

 正純(まさずみ)は自分で秀頼(ひでより)、もといみつおの狙撃(そげき)を計画しておきながら、ぬけぬけと言い放ったものである。一方、そうとは知らぬ長安(ちょうあん)としてはうな垂(だ)れるより他になかった。いや、薄々(うすうす)は自作自演…、徳川による自作自演で尚且(なおか)つ、己を嵌(は)めようとする正純(まさずみ)が計画したものに相違ないと、長安(ちょうあん)はそこまで察していたものの、しかし、確たる証拠がない今の段階では何も言えなかった。

 さて、大坂城へと運ばれ、そこで療養(りょうよう)することになったみつおの元に千姫が付き添った。

「ああ…、千姫様…」

 みつおはロクに水も飲まず…、腹膜炎を起こすとの理由から水を飲むことも許されず、喉(のど)がカラカラであり、ガラガラ声でそう言った。すると千姫は、「千とお呼び下さい…」とみつおにそう言って、みつおを驚かせた。

「そういうわけにはいきませんよ…、俺が秀頼(ひでより)ならともかく…」

 秀頼(ひでより)の遺骸(いがい)は淀殿と共に城外へと出され、豊国社へと運ばれ、そこに祀(まつ)られた。

「いえ、あなた様は何と申されようとも秀頼(ひでより)君(ぎみ)…、主(あるじ)殿(どの)にて…」

 千姫はどうやら愛する夫の死を受け入れられない様子であった。

「俺は秀頼(ひでより)ではありませんよ…」

 みつおは千姫に現実を突きつけた。

「存じております」

「それなら…」

「これからはあなたさまを秀頼(ひでより)君(ぎみ)としてお慕(した)い申し上げ度(たく)…」

「俺は…、秀頼(ひでより)の代用品ですか?」

 みつおは自嘲(じちょう)するようにそう言った。するとそれに対して千姫からは、「いけませぬか?」と切り返され、みつおは言葉を失った。果たして千姫からの申し出を受け入れるべきや否や、みつおはそれを思案すべく目を閉じ、いつしか深い眠りに落ちた。
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...