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みつお、本丸御殿で暮らすことに窮屈を覚え、秀忠に本丸御殿を出たいとの意向を示し、そしてその夜、みつおは重成に本心を打ち明ける。

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 その夜、みつおは意外にも本丸御殿で一泊することが許された。それと言うのも慶長16(1611)年現在、江戸城は天守閣の他にはここ本丸御殿とそれに西之丸の御殿が存在するのみで、二ノ丸御殿や三ノ丸御殿はまだ建造されてはいなかったのだ。

 そこでみつおが寝起きする場所は必然的に本丸御殿と西之丸御殿に限られる。だが西之丸御殿には秀忠の愛息…、と言うよりはその正室・お江(ごう)の愛児である竹千代(たけちよ)と国松(くにまつ)が暮らしており、その西之丸でみつおが寝起きすることにつき、お江(ごう)が難色を示したのであった。いや、正確に言えば激しく拒否反応を示したのであった。

「みつおなる、どこぞの馬の骨とも知れぬ下賤(げせん)なる輩(やから)なぞ、西之丸に住まわせるわけにはまいりませぬっ!」

 秀忠はお江(ごう)に対し、みつおの身元について詳しく説明した後、西之丸御殿にて寝起きさせてやってはくれまいかと、下手(したて)に下手(したて)に頼んだのだが、お江(ごう)からあっさりと、それも激しく拒否反応を示され、それで終わりであった。それと言うのも秀忠は大の恐妻家、つまりはお江(ごう)にまったくと言っても良いほどに頭が上がらなかったのだ。

 そのような事情があったので、みつおは本丸御殿、それも将軍・秀忠のプライベートエリアである中奥(なかおく)で一泊することになったのである。

 だが、影武者の分際でいつまでも本丸御殿に住むわけにはいかなかった。いや、秀忠とそれに家康としてはみつおを本丸御殿に住まわせることについては何の異論もない様子であったが、とうの本人とも言うべきみつおが本丸御殿の暮らしに居心地の悪さを覚えていたのだ。

 ともあれ、みつおはその夜は本丸御殿の中奥(なかおく)の一室にて、重成(しげなり)と枕を並べた。重成(しげなり)はここでも、みつおのために寝ずの番をすると言い張ったものの、それをみつおがやっとの思いで制した。

「今夜ぐらいは…、いや、この先、ずっと寝ずの番は不要だよ…」

「何を仰せられますっ!」

 重成(しげなり)は憤慨した様子であった。確かに重成(しげなり)の立場からすれば無理からぬ反応ではあった。何しろここ江戸城は重成(しげなり)からしてみれば敵地も同然であり、その敵地で影武者とは言え、主君と仰ぐ秀頼が眠る以上、「ボディガード」とも言うべき己も一緒に高鼾(たかいびき)をかくわけにはゆかぬと、大方、そんな思いであるに違いなかった。

 だが、みつおの認識は少し違った。

「臣従の礼、だっけか?そいつが終わるまでは少なくとも俺を殺すような馬鹿な真似はしないと思うぜ?」

 みつおのその主張には重成(しげなり)も尤(もっと)もであると思ったらしく、言葉に詰まった様子を見せた。

「それに案外、夜中よりも日中の方が危ないかも知れないからさ、ここは、一緒に眠るとしようや…」

 日中の方が危ない、というのはみつおの完全なる口から出まかせであった。それでも重成(しげなり)を納得させるには充分であり、重成(しげなり)もそれで漸(ようや)くに折れた。

 こうして、みつおは重成(しげなり)と枕を並べたわけだが、その際、みつおは重成(しげなり)に対して己の偽らざる真情を打ち明けた。即(すなわ)ち、

「徳川家に臣従した後には何の責任も伴(ともな)わない上級武士として遊んで暮らしたい…」

 偽らざるその真情を打ち明けたのであった。さすがに重成(しげなり)は驚きこそしたものの、しかし、眉(まゆ)を顰(ひそ)めるような無作法はおかさなかった。いや、内心ではきっと眉(まゆ)を顰(ひそ)めたに違いない。

「悪いな…、俺は重成(しげなり)が思っているような立派な男じゃないんだよ…」

 みつおは重成(しげなり)を慰(なぐさ)めるようにそう告げた。

「みつお…、いえ、秀頼(ひでより)君(ぎみ)が例え、どのようなお方であろうとも、我が主君として誇りに思うておりまする」

 それが重成(しげなり)の答えであり、中々にふるっていた。これではみつおが自嘲(じちょう)した通り、立派な男でないと認めたも同然であった。みつおは思わず苦笑させられたが、しかし、事実である以上、仕方がない。

 いや、それどころかいつまでも重成(しげなり)に主君として仰ぎ見られるのは鬱陶(うっとう)しいことこの上なかった。だがそれをストレートに口に出すほど、みつおは無神経ではなかった。

「いや…、これからは…、この先は重成(しげなり)は自分のことだけを考えて欲しいんだ…」

「そは…、如何(いか)なる意味にて?」

「言葉通りの意味さ。これからは…、この先は俺を秀頼(ひでより)君(ぎみ)と仰ぎ見る必要はないんだ…」

「そんなっ…」

「いや、ほんと…、実は重成(しげなり)を大名として取り立てて欲しい、って家康と秀忠に頼んでおいたから…」

「なっ…」

 それまで天井を仰ぎ見ていた重成(しげなり)は思わずみつおの方へと振り返った。

「重成(しげなり)は俺よりも遥かに男前だ…、それに腕も立つ。そして頭も良いと正に三拍子(さんびょうし)揃った男だ。そんな男が俺のようなブ男で弱い、頭も悪い男の下にいつまでもついてちゃいけないよ…」

 みつおは自嘲(じちょう)気味にそう言ったものの、それも決して嘘ではなかった。いや、むしろこちらの方が重成(しげなり)を大名として独立させてやりたいとの思いの大半を占めていたと言っても良いだろう。

「みつお…」

 初めて重成(しげなり)が名を呼んだ。みつおはそんな重成(しげなり)の顔が正視できず、「おやすみ」と言って目を閉じた。

 翌朝、みつおは工事の音で目覚めた。江戸城では現在、西之丸御殿を守る西之丸の石垣の修築が行われていた。3月1日に起工し、西之丸下の辰ノ口から外桜田門、貝塚濠、半蔵門などに至るまでの大規模な修築で、東国の大名が「お手伝い」の名目で工事を担っていた。ちなみに西国(さいごく)の大名は去年…、慶長15(1610)年より、やはり「お手伝い」の名目で名古屋城の大規模な修築を担っており、ゆえに今回、江戸城の西之丸の石垣の修築については東国の大名に命ずることにしたわけだ。

 江戸城にて家康と秀忠父子に対して臣従の礼を取るべく、江戸城に来いとの通知について、江戸城の西之丸の石垣の修築を担っている東国の大名についてはわざわざ彼らの国許(くにもと)まで江戸城に来いとの通知を発する必要、つまりは遣(つか)いを走らせる必要はない。既にここ江戸城にて西之丸の修築の工事を担っており、彼ら東国の大名は江戸屋敷にて起居していたからだ。

 尤(もっと)も、すべての東国の大名が江戸城の西之丸の石垣の修築工事に参加しているわけではない。修築工事に参加せず…、お手伝いを命ぜられずに国許(くにもと)にて暮らしている大名もおり、その者たち…、東国の大名に対しては勿論、遣(つか)いを走らせる必要があり、また、西国(さいごく)の大名についても同じことが言え、名古屋城の修築工事に参加している彼ら西国(さいごく)の大名に対しては名古屋城に遣(つか)いを走らせ、そうではない…、お手伝いを命ぜられていない西国(さいごく)の大名に対してはやはり、彼らが暮らす国許(くにもと)に遣いを走らせることとなる。

 ともあれ、工事の音で目覚めたみつおは朝食時に胸のうちを打ち明けたのであった。

「やっぱり、影武者の分際で本丸御殿で寝起きしちゃいけないと思うんですよね…」

 みつおは目をこすりながらそう打ち明けた。

「ここでは不満と申すか?」

 秀忠が尋ねた。みつおはやはり秀忠とそれに家康と朝餉(あさげ)を共にした。

「いや、不満と言うより、申し訳なさです」

 みつおがそう答えると、秀忠は「ほう…」と声を上げた。

「意外と殊勝なことを申す…」

 秀忠は感心したようにそんな感想をもらした。いや、本当はただ窮屈(きゅうくつ)なだけであったのだが、それを言えば秀忠の不興(ふきょう)を買うだけだろうと、みつおはあえて表現を変えたのであった。

「されば至急、二ノ丸御殿を造営させるゆえ、それまでの間、どこぞに…、家臣の屋敷にでも逗留(とうりゅう)致すか?」

 秀忠はそんな提案をしてみせた。当初はみつおを江戸城内に住まわせることについて難色を示していた秀忠も今やみつおを二ノ丸御殿で住まわせる腹積もりまで心境が変化していた。みつおにとっては喜ぶべき展開であった。

 ともあれ徳川家の家臣の屋敷で居候(いそうろう)というのも中々に窮屈(きゅうくつ)なものがあろうが、それでもここ本丸御殿ほどには窮屈(きゅうくつ)さはないだろう。

「お願いできますか?」

 みつおは下手(したて)に出た。

「うむ。みつおさえ良ければ…、して、誰が良いか…」

 秀忠はみつおの居候(いそうろう)先について…、家臣の中で誰にみつおの面倒を見させるか、それを考えた。
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