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福島正則は精緻な頭脳を持ち合わせていた。

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 会見当日、みつおはそれらしい衣服を身にまとい、そしてかつらをかぶると、秀頼になりきった。但し、声を出してはならないと、治長から念を押された。みつおとしても元よりそのつもりであった。

 みつおが大坂城を出る前、福島正則が城に駆けつけた。聞けば正則は秀頼…、今はみるおが大坂城不在の間、留守を預かるとのことであった。

 この正則に対して淀殿は秀頼薨去の事実と身代わりを立てたことを打ち明けた。それというのも正則は家康とは違い、直近、生前の、それも直近の秀頼を目にしており、当然、秀頼が高身長であることも承知しており、当然、本物の秀頼よりも背が低い、みつおの姿を見れば、たちどころに偽物だと見破るであろう。それ故、淀殿は正則に対して秀頼薨去の事実と身代わりを…、木下みつおなる未来よりやって来たと申す身代わりを立てたことを打ち明けたのであった。

 正則は淀殿の話を目を丸くして聞いていた。それはそうだろう。にわかには信じられない話である。だが正則は淀殿の話を信じたらしい。いや、信じるしかない、といった方が正確であろうか。

 正則はみつおの顔を凝視した。

「なるほど…、確かに秀頼ぎみに瓜二つで御座りまするなぁ…」

 秀頼と接する機会の多い、そして淀殿と比べて第三者の視点を持ち合わせる正則にそう太鼓判を押されたのである。これは秀頼と本当に似ていると信じて良いだろう。

「惜しむらくは低身長なれど…、まぁ何とか誤魔化しが利くで御座ろう…」

 正則はそうつぶやいた。

 一方、みつおは初めて目にする正則の姿に戸惑いを覚えた。それというのも明らかにイメージと違っていたからだ。みつおの持つ正則のイメージというのは、

「毛むくじゃらの猪武者」

 というものであった。だが今、目の前にいる男はそれとは明らかに正反対であった。非常に童顔であったからだ。ベビーフェイスというヤツであり、頬はリンゴのように赤かった。とても猪武者には見えなかった。いや、実際には猪武者の面も持ち合わせてはいるのであろうが、しかしそれだけではないように思えた。

「さればそれがしのみならず、清正と幸長、高虎や輝政にもこの儀、伝えておいた方がよろしゅう御座りましょう」

 清正と高虎、輝政は名前ぐらいは知っているが、よしながは誰だっけ、とみつおは首をかしげた。するとみつおの無知を悟ったらしい正則が、

「加藤清正と浅野幸長、藤堂高虎と池田輝政の四名がそなたを…、いや、秀頼ぎみを鳥羽の港にて出迎え申す」

 そう説明してくれた。だが清正にしろ幸長にしろ、まして高虎にしろ輝政にしろ、みつおは当たり前だがこれまで彼れらに会ったことすらないので、いまいち実感が湧かず、「ああ、そうですか…」と気のない返事しか出来なかった。






「清正殿も幸長殿も、高虎殿も輝政殿も皆、やはり本物の秀頼ぎみの身のたけを把握しておりますれば、みつおがいかに秀頼ぎみと瓜二つとは申せ、身のたけですぐに見破るでありましょうぞ、偽物だと…。さればこの儀、清正殿らにらに伝えておいた方がよろしゅう御座る」

 治長は淀殿にそうすすめた。

「なれどいかにして?」

「されば書状を認めて、その書状をみつおに持たせて…」

「鳥羽の港に降り立ち、清正らに渡すと?」

 淀殿が先回りして尋ねると、「御意」と治長は答えた。

「いや、待って下さいよ」

 みつおがそこで異議を申し立てた。

「何だ?」

「俺…、清正らの顔を知りませんよ」

「それはまずいな…」

 治長は役立たずとでも言いたげな表情でもってそうつぶやいた。

「鳥羽の港には徳川方も出迎えに参りますれば、みつおが間違って徳川方に書状でも渡した折には目も当てられぬ事態と相成りまするな…」

 治長は気に入らない野郎であったが、言っていることは正論であった。みつおにしても自分の能力は心得ているつもりだ。すなわち、

「凡ミスをやらかすに違いない…」

 そう分かっていたので、治長の意見に頷いた。

「さればそれがしも、みつおと共に乗船致す」

 正則が次善の策としてそんなことを言い出した。

「そなたの口から清正殿らに、ということかえ?」

 淀殿が尋ねた。

「いえ、それがしの口から申さずとも、それがしが秀頼ぎみ…、に扮せしこれな影武者と共に鳥羽の港に降り立ちますれば、清正らにしても例え、影武者だと気づいても、それがしの姿を目の当たりに致しますれば、何か仔細あってのことに違いないと察する筈にて…」

「なるほど…、正則の存在こそが、清正らを頷かせると?影武者であろうとも…」

「御意」

 みつおもそれには賛成であった。

「なれどその間、この城には…」

 淀殿は不安そうな面持ちでそう言った。どうやら正則がいないと不安であるらしい。

「ご案じめされまするな。内府殿もよもや秀頼ぎみを二条城におびき出し、その機に乗じて大坂に攻め上ろうなぞとは思いますまいて…」

「そうかのう…」

「左様ですとも」

 正則は淀殿を安心させるように言った。正則はそこまで考えていたのかと、みつおはまたしても正則の評価を改めた。

「ときに…、長益様と且元の姿が見えぬようで御座りまするが…」

 正則は思い出したようにそう言った。

「それなれば先に乗船して、みつお…、いや、拾…、いや秀頼を待つとのことであったわ」

 淀殿が何気なくそう答えると、正則は表情を曇らせた。

「いかが致したのだ?」

 淀殿は正則の表情の変化に気づいたらしく、尋ねた。

「長益様も且元めも、当然にこのこと…、秀頼ぎみの薨去とこれな、木下みつおなる身代わりを立てたることを御存知で?」

 正則は確かめるように尋ねた。

「無論のこと。且元がひろ…、秀頼の死を内府殿に報せんがための書状を認めておったが、慌ててそれを止めさせたぞよ」

 淀殿は正則が何を不安に思っているのか…、秀頼の死が既に二条城にいる家康の耳に届いたのではないかと、それを案じているに違いないと察して、自信満々にそう答えた。

「左様で御座りまするか…」

 正則は一応、納得した様子を見せたものの、内心の不安を拭うことは出来なかった。それというのも今、この場に長益と且元が不在であったからだ。一応、先に船に乗って秀頼、もといみつおの乗船を待ち受けるとの口実らしいが、本当は家康に内通しており、その後ろめたさから二人はこの場にいないのではないか…、正則にはそう思えてならなかった。

 一方、みつおにしても正則と同じことを考えていた。もっとも、正則ほど、精緻に考えていたわけではなく、ただ何となくだが、みつおには長益と且元…、とりわけ長益が信じられなかった。それというのも今朝、目を覚まして長益と且元と出くわすと、二人はまるでまずいものでも見たと言わんばかりの表情で自分を見つめ、コソコソ逃げるようにしてその場を後にしたからだ。だがそれを今、口にして淀殿をこれ以上、不安に陥らせてはまずいだろうとの判断がみつおには働き、黙っていたのだ。
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