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家康と正信、高虎の悪だくみ

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「それと…、清正らにはこのことを伝えるべきで御座りましょうや?」

 正信がそう尋ねると、「そうよのう…」と家康はつぶやいた。

 今、この二条城には家康らの他に、加藤清正、浅野幸長、藤堂高虎、池田輝政とその家臣らも逗留していた。彼らも皆、豊臣恩顧の諸大名であり、彼らは明日、鳥羽の港に到着予定の秀頼一行を乗せた船を出迎えるべく、先日来、この二条城に家康らと共に逗留していたのだ。

「恐れながら、高虎めにはこのこと、伝えるべきやに存じますが…」

 正信がそう進言すると、家康は頷いたので、正信は家康に一礼してから手元に置いた手燭を手にして立ち上がり、いったん部屋を後にした。

 それにしても正信はどうして高虎にのみこのことを…、秀頼が既に薨去し、大坂方では淀殿の鶴の一声で影武者を二条城に送り込むつもりであることを伝えるべきであると進言したのかと言うと、それは高虎が豊臣恩顧でありながら今では徳川方の準譜代的な立場にあったからだ。

 高虎は豊臣恩顧の諸大名の中でも群を抜いて機を見るに敏な男であり、秀吉亡き後、次の権力者が家康であると見抜き、豊臣恩顧の諸大名の中でも誰よりも早く家康になびき、家康に忠勤を励んでいた。家康もそんな高虎をめで、準譜代として遇していたのだ。正信はそのことを当然、知っていたので、それ故、高虎にのみ秘事を打ち明けるべしと家康に進言したのであった。

 それから間もなくして、正信は高虎を連れて戻って来た。高虎は寝間着であった。高虎は寝間着姿を家康にさらすことを躊躇していたが、「構わぬ」と正信に押し切られた格好であった。

 高虎は家康と向かい合うと、平伏しようとして、家康に制された。

「構わぬ。それよりも今は時が惜しい。まぁ、これを読め…」

 家康はそう言って高虎に秘事が認められた書状を高虎によこした。高虎は家康の手よりうやうやしく書状を受け取ると、それに目を通し始めた。

「これは…、驚きましたな…」

 高虎は書状を読み進めていくうち、そう唸り声を上げた。

 やがて高虎は書状を読み終えると、その書状を折り目にそって綺麗にたたみ、家康に返した。

「これは…、立派な口実になりまするな」

 高虎は書状を家康に返すなり、そう言った。高虎が口にした、「立派な口実」とは勿論、「戦の口実」であることを指しているのは明らかであり、家康も勿論、それを承知していたからこそ頷いた。

「されば二条城にて影武者を血祭りに上げ、それをもって大坂を攻める合図とする」

「なるほど…、なれど明日はそれがしと共に清正や幸長、輝政らが鳥羽の港まで秀頼…、にふんせし影武者一行を出迎えますれば、その折、港に降り立ちし秀頼が影武者であること、清正らは当然に見破るものかと…」

 高虎がそこまで言うと、

「されば港にて清正らが影武者だと見抜いて、その影武者を詰問、或いは斬り捨てると申されるか?」

 正信がそう口を挟んだ。

「左様。もしそうなればいかが、致しましょうぞ?」

「そうなったらそうなったで、わざわざ、この二条城を血で汚す手間が省けると申すもので、好都合ぞ」

 家康はニヤリと笑みを浮かべた。

「なるほど…、されば清正らにはこのこと、伝えずともよろしゅう御座りまするな?」

「そういうことぞ。特に清正にはな。下手に清正の耳にでも入れれば、清正のことじゃ。ことの真偽を確かめるべく大坂方につなぎを、なぞと余計なことを言い出しかねぬでな…」

 一刻も早く大坂方を攻めたい家康としては余計な手間は省きたかった。

「確かに…、なれど輝政にのみこのこと、伝えるべきやに存じまするが…」

 輝政は高虎ほどには家康に忠勤を励んでいたわけではないが、それでも輝政は家康の次女、それも実の娘を娶っていた関係で、今ではやはり「親徳川」の旗幟を鮮明にしていた。

「うむ…、なれど明日の朝で良い。今晩、こうして夜半にそなたを呼び出しただけでも危ないと申すものにて…、なれどここには清正も逗留しておるでな。そなたに続いて輝政も呼びつければ、清正に気取られるやも知れぬ。さすれば清正が不審がるやも知れぬでな…」

「確かにその通りで御座りまするな。されば明日の朝一番にて輝政にのみ、このことを伝え申し上げまする」

「うむ。頼むぞ。ああ、それと申すまでもなきことだが、幸長めの耳にも入れるなよ?」

 家康は念を押すように言った。それというのも幸長は高虎や輝政と違って、「親徳川」ではなかったからだ。それどころか今でも豊臣に心を寄せており、清正と共鳴するところがあった。その幸長の耳にでも入れれば、即、清正に伝わるのは必定であり、それ故、家康は念を押したのであった。無論、高虎にしてもそのことは充分に把握していたので、「御意」と答えると、正信共々、部屋を後にした。

 高虎が再び己の寝所へと、手燭を掲げた正信の案内にて戻ろうとしたその道すがら、何と清正と遭遇した。これにはさしもの正信も高虎も内心、肝を潰したものであるが、そこは二人共、百戦錬磨である。ポーカーフェイスを装った。

「これはこれは加藤殿…」

 まずは正信が挨拶した。

「ああ。本多殿、それに高虎も…。こんな夜更けに一体、いかが致したのだ?」

 当然の疑問であったが、それに対して高虎は、

「なに、明日の秀頼ぎみのお出迎えについてのうち合わせぞ」

 平然とそう答えたものである。

「さればわしも…、いや、わしや幸長、輝政と共に聞いておかねばならぬのではあるまいか?」

 清正らも高虎と共に秀頼を出迎えるわけだから、当然の主張であった。

「いや。内府殿はつもる話もある故にと、わしだけに、のう…」

 高虎は平然とそう主張すると、目を細めた。

「つまり、わしは目障りと申すか?」

 清正は挑発するようにそう尋ねた。だが敵もさるものとはこのことである。高虎はこれまた平然と、「いかにもその通りぞ」と答えたのだ。これには清正も呆れてものが言えなかった。

「さればこれにて御免」

 高虎は清正に会釈すると、正信と共に寝所の方へと消えていった。一方、清正は高虎の背中が消えるまで見つめた。
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