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会見前夜

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 日付が変わって27日未明、二条城では家康が寝所にて侍女とたわむれていた。家康は今年でおんとし70だが、未だ精力絶倫であった。

 そこへ重臣、というよりは謀臣の本多正信が手燭を手にして姿を見せた。

「殿」

 正信が口にしたのはただその一言だけである。だがその一言で家康には正信が何か重大事を携えていることを、阿吽の呼吸でそれを悟ると、侍女を残して独り、寝所をあとにすると、正信を従えて別間へと移動した。

 正信は別間に置かれていた行燈に手燭の火を移し、部屋を照らすと…、といっても薄明かりだが…、家康と向き合った。

「いかが致した?」

 家康は正信と向き合うなり、単刀直入に尋ねた。する正信は懐中より一通の書状を取り出して、家康に差し出した。

「これは?」

「されば片桐且元が家人より届けられし書状にて…」

「且元の家人より届けられた書状とな?」

「御意」

 家康には書状を届けに来たのが豊臣家の家来ではなく、且元の家来という点が引っ掛かったようだ。

 とりあえず家康は封を解いて、中から綺麗に畳まれた書状を取り出して広げると、それに目を通し始めた。別間は薄明かりであったが、それでもあかりが灯っていたので、書状を読むのに支障はない。

「何と…、秀頼が死んだぞ…」

 家康は書状を読みながら、そうつぶやいた。

「えっ…」

 いついかなる時も冷静沈着が身上の正信も思わずそう声を上げた。

「しかも…、愚かなことに、豊臣方では身代わりを立てようと企んでおるぞ…」

 家康は書状を読み終えたらしく、正信にその書状をよこした。正信は家康より書状を受け取ると、速読した。

「なるほど…、それで豊臣家の臣ではのうて、且元が家人が届けに参ったので御座りまするな…」

「左様…、しかもその書状…、長益と且元めの必死さが何とも滲み出て来る書状ではあるまいか…」

 家康はクックッと失笑して見せた。

「末尾にありまする、二人の署名で御座りまするな?」

 正信が尋ねると、家康は頷いた。

「身代わりを内府殿に引き合わせることにつきては我らは無実、それが証にこの旨、内府殿にお報せ申し上げたと、まぁ大方、そんなところで御座りましょう」

 正信がそう解説してみせると、家康はまたしても頷いた。

「それにしても…、何とも頭の足りない連中よ…」

 家康はそうつぶやいてから、「されば明日の会見だが…」と切り出した。

「中止で御座りまするか?」

 そう尋ねる正信に対して家康は頭を振った。

「例え、偽物でも会う価値はある」

 家康はニヤリと笑って見せた。

「なるほど…、秀頼ぎみ薨去の事実を隠し、あまつさえ、身代わりを立てて殿に会わせんとたくらむはこれ、謀反の疑いあり…、格好の開戦理由で御座りまするな?」

 正信は口元を歪めてみせ、

「しかも今や、秀頼ぎみはもうない、となれば豊臣恩顧の諸大名も気兼ねのう殿に力を致しましょうぞ」

 そう続けて、家康を大いに頷かせた。

「されば明日の会見は予定通りということで…」

 正信がそう告げると、家康は頷いた。その上で、

「但しじゃ、高台院にはお越し願う必要はないでな…」

 高台院とは秀吉の未亡人である。今回の二条城会見の仲立ちをしたのはこの高台院であり、明日の会見でも陪席する予定であった。高台院は大坂城を出て、今はここ京都にある高台寺に隠棲していた。

「老婆に血を見せては心の臓に悪いからのう…」

 家康はそうつぶやくと、残忍な笑みを浮かべた。
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