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長益(ながます)と且元(かつもと)は影武者のことを家康に告げ口することにする。

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 一方、御小書院を後にした長益は且元が待機している筈の右筆部屋へと向かった。そこで且元は本来なれば、秀頼薨去を報せる家康宛の書状を認める筈であったが、秀頼と見目形が瓜二つの胡乱なる男が御濠より引き揚げられたということで、家康宛のその書状の作成は暫くの間、

「待った」

 がかけられていたのであった。無論、「待った」をかけたのは他ならぬ淀殿である。どうやら淀殿はその胡乱なる男、もとい秀頼に見目形が瓜二つの木下みつおなる者が御濠より引き揚げられたと、治長より知らされた時から、そのみつおなる者を影武者に仕立てようと考えていたのであろう。だからこそ、且元に対して、秀頼薨去を報せる家康宛の書状の作成に「待った」をかけたに違いない…、長益はそう思っていた。

 右筆部屋には且元が唯一人、黙然と座っていた。本来なれば右筆部屋には他にも役人がいたが、且元が追い出したのであった。これから己が認める書状の内容の重大性に鑑みてのことであった。

 その右筆部屋に長益が姿を見せるや、且元は早速、

「いかが相成りまして御座りまするか?」

 そう問いかけた。且元にしても淀殿がその秀頼に見目形が瓜二つの胡乱なる男が引き揚げられ、それと同時に淀殿より…、正確には治長を通じて書状の作成に「待った」がかけられてからというもの、淀殿がその者を影武者に仕立てるに違いないとは薄々だが勘付いていた。

「どうやら淀は本気じゃぞ…」

 長益は且元と向かい合って座るなり、うんざりした面持ちで告げた。

「なればまこと、その胡乱なる者を影武者に仕立てるおつもりで?」

「そのようじゃの…」

「左様で御座りまするか…」

 且元はそう答えると、筆や巻紙を片付けようとしたので、長益がそれを、「待て」と制すると、

「内府殿へ、秀頼ぎみ薨去の事実をしかとお報せ申し上げるのだ」

 そう告げた。

「えっ?なれど淀様は…」

「確かに淀はみつおを…、ああ、その胡乱なる者、木下みつおと申す者なのだが…、その者を影武者に仕立てるつもりのようであるが、なれど内府殿に左様な猿芝居が通用するとは、わしには到底、思えんのだ」

「内府殿に見破られると?」

「いかにも。そうなれば淀はいかな咎めを受けるやも知れず…、いや、淀は自業自得だとしても、影武者を仕立てることにつき、口を噤んでいた我らにまで累が及ぶは必定…」

「我らはあくまで影武者なぞ知らず、淀様が勝手になされたことと、言い訳されては?」

「左様な言い訳が通用すると思うか?我ら大坂の首脳が秀頼ぎみ薨去の事実を知らぬ筈がなかろう?にもかかわらず、秀頼ぎみを二条城に送り出した、となれば必然的にその秀頼ぎみは偽物にて、我らは偽物と知りつつ、二条城に送り出した、ということになるではないか」

 長益にそう反論されて、且元も押し黙った。いかにもその通りの話であったからだ。

「しからば内府殿に秀頼ぎみ薨去を報せる書状を認めよ」

「なれどそれでは…、淀様のご意向に反するのでは御座りますまいか?」

「だとしてもわしは淀の危険な火遊びに付き合うつもりは毛頭ない。だが、そなたがあくまで淀と心中したいと申すのであればそれでも良い。わしが自ら書状を認める故…」

 長益はそう言って、且元の手より筆と巻紙を奪おうとすると、且元は慌てて奪われまいと、

「いえ、決して左様なことは御座りませぬ。分かり申した。直ちに書状を認めまする…」

 そう言い切った。どうやら且元も淀殿と心中するつもりは更々ないらしい。長益はそんな且元の態度に自分を重ね合わせて苦笑しつつ、

「それと書状の末尾の名前だが、わしも署名する故、良いな?」

 そう付け加えることも忘れなかった。
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