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重村の暴走 ~ライバル・島津重豪より先んじて家格の上昇を狙う伊達重村は意知に味方する~ 治済実兄の重富への挑発 2

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 一方いっぽう意知おきともはここまで重村しげむら強気つよきにさせているのはやはり将軍・家治いえはるの「御墨付おすみつき」があってのことではないかと、そうにらんだ。

 すなわち、昨晩さくばん家治いえはる大奥おおおくにて千穂ちほ玉澤たまさわはじめとする奥女中おくじょちゅう相手あいてかたった意知おきとも若年寄わかどしよりへとすすませるけんにつき、家治いえはるみずから、千穂ちほ実弟じっていである津田つだ信之のぶゆきたいして、あるいは玉澤たまさわ実子じっし駒井こまい半蔵はんぞう従弟いとこ本田ほんだ頼母たのもたいして、伊達だて重村しげむらへとそのことをつたえるようにと、めいじたのではないか、そのさい家治いえはるはその意知おきとも若年寄わかどしよりへとすすませるけんをこの表向おもてむきにて吹聴ふいちょうし、ひろめるようにとも、そのようにあわせてめいじたのではないかと、意知おきともはそうにらんだのであった。そうでなければここまで重村しげむら強気つよきにさせていることの説明せつめいがつかない。

 あるいは家治いえはるさらに、重村しげむらのぞんでまない、

家格かかく向上こうじょう…」

 その「手形てがた」をもったのやもれず、それで重村しげむらきもはらめたのだろうとも、意知おきともにらんだ。

 さて、そく治好はるよしによってなかば、殿中でんちゅうせきである松之大廊下まつのおおろうか下之部屋しものへやへと押込おしこまれた格好かっこう重富しげとみはこのだんになってようやくにいかりの感情かんじょう込上こみあげてきた。それは無論むろん暴言ぼうげんいた重村しげむらたいするいかりであったが、しかしそれ以上いじょうに、そのような重村しげむらなにかえすことが出来できなかったおのれたいするいかりもふくまれており、なによりまさっていた。

 ねがわくばいまからでも白書院しろしょいん西にし入側いりがわへとかえし、そして帝鑑之間ていかんのま入側いりがわにてひかえている重村しげむらころしてやりたいところであった。

 だがそんなことをすれば福井ふくい30万石は改易かいえき、その切腹せっぷくとなろう。重富しげとみとしても浅野あさの内匠頭たくみのかみまいえんずるつもりはなかったので、それはこらえた。

 それならあばれるぐらいはゆるされるはずであり、これでいまこの松之大廊下まつのおおろうか下之部屋しものへや加賀かが前田まえだ家の治脩はるなが矢田やだ松平まつだいら家の榮松しげとし姿すがたがなければ発狂はっきょうあばまわっていたにちがいない。

 だが下之部屋しものへやには生憎あいにく前田まえだ治脩はるなが松平まつだいら榮松しげとし二人ふたり姿すがたがあったために、重富しげとみあばまわることも出来できなかった。

 それゆえ重富しげとみいかりをはらむよりほかになく、そのような重富しげとみたいして治脩はるなが榮松しげとし二人ふたり好奇こうきじった視線しせんそそぐものだから、重富しげとみとしては愈愈いよいよもってくるいそうであった。

 いや重富しげとみ最早もはや、将軍・家治いえはるへの拝謁はいえつませたのだから、下城げじょう勝手かって次第しだい、つまりは自由じゆうであった。重富しげとみいかりと屈辱くつじょくあまりにすっかりそのこと失念しつねんしていた。

 それでも重富しげとみ下城げじょう自由じゆうであることをおもすとそく治好はるよしれて下之部屋しものへやをあとにした。
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