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重村の暴走 ~ライバル・島津重豪より先んじて家格の上昇を狙う伊達重村は意知に味方する~ 溜之間の事情 2

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 だとするならばのこるは桑名くわな松平まつだいら家の忠啓ただひら去就きょしゅう注目ちゅうもくされるが、しかし、忠啓ただひらもまた、定國さだくに同様どうよう一代いちだいかぎりで溜之間たまりのまめることがみとめられたであり、しかも定國さだくにのような御三卿ごさんきょう出身しゅっしんという、つまりは桁外けたはずれな名門めいもん出身しゅっしんというわけでもなく、あくまで意次おきつぐとの個人的こじんてきつながりにより、よう意次おきつぐしたしいために一代いちだいかぎりではあるが溜之間たまりのまりをたすことがかなったのだ。

 そのような忠啓ただひらであるので、定溜じょうだまりである会津あいづ松平まつだいら家の容頌かたのぶ定國さだくに二人ふたり薩摩さつま島津しまづ家の家格かかく向上こうじょうみとめたならば、大勢たいせい順応じゅんのう忠啓ただひらもそれにしたがわざるをないだろう。

 そうなれば溜之間たまりのまづめ諸侯しょこうにおいては薩摩さつま島津しまづ家の家格かかく向上こうじょうみとめると、そのように意思いし統一とういつはかられ、老中ろうじゅうとしても溜之間たまりのまづめ諸侯しょこう薩摩さつま島津しまづ家の家格かかく向上こうじょうみとめたとなれば、その意思いし尊重そんちょうして、やはり将軍・家治いえはるに対してそのむね上申じょうしんするにちがいなかった。

 それに対して将軍・家治いえはるはと言えば、薩摩さつま島津しまづ家の家格かかく向上こうじょうともなれば、薩摩さつま島津しまづ家の当主とうしゅたる重豪しげひではあくまで、次期じき将軍たる家斉いえなり婚約者こんやくしゃである茂姫しげひめ実父じっぷであり、将軍・家治いえはるとはなんつながりもなく、それゆえそのような重豪しげひで当主とうしゅつとめる薩摩さつま島津しまづ家の家格かかく向上こうじょうさせるかいなか、それは公的こうてき部類ぶるいぞくするやもれなかった。

 いや、たとつながりこそないものの、しかし家斉いえなりいま家治いえはるの「養君ようくん」、つまりは養嗣子ようししであり、重豪しげひで家治いえはる養嗣子ようししである家斉いえなり将来しょうらいしゅうとになる相手あいてともなれば、家治いえはるとも完全かんぜんあか他人たにんることも出来できず、その意味いみでは私的してき部類ぶるいぞくするとかんがえられなくもなかった。

 つまり、家治いえはるにとって薩摩さつま島津しまづ家の家格かかく向上こうじょう公私こうしがちょうど半々はんはんじった問題もんだいであり、だとするならばこの場合ばあいもやはり家治いえはるは「バカ殿との」にてっして幕閣ばっかく意見いけん尊重そんちょうするであろう。

 だとするならば辰年たつどしである来年らいねんになれば、薩摩さつま島津しまづ家の家格かかく向上こうじょう最早もはやまったも同然どうぜんと言ってもつかえあるまい。

 重豪しげひでの「ライバル」たる伊達だて重村しげむらとしてはそれゆえ、井伊いい直幸なおひでの「ライバル」たる会津あいづ松平まつだいら家の容頌かたのぶやそれに松山まつやま松平まつだいら家の定國さだくに桑名くわな松平まつだいら家の忠啓ただひらいま国許くにもとにいる、つまりはこの江戸えど不在ふざい溜之間たまりのまにいない今年ことしのうちに、重豪しげひでよりもはやくにおのれ当主とうしゅつとめる仙台せんだい伊達だて家の家格かかく向上こうじょうさせたいところであった。

 それゆえ重村しげむら幕閣ばっかくもとより、大奥おおおくに対しても派手はでな「運動うんどう」をひろげていた。

 すなわち、大奥おおおくにおける「運動うんどう」の対象たいしょうだが、従四位上じゅしいのじょう左近衛さこのえ権中将ごんのちゅうじょうへと昇叙しょうじょした明和4(1767)年につづき、今回こんかいもまた将軍・家治いえはるづき年寄としよりである高岳たかおかは言うまでもなく、あらたに家治いえはる愛妾あいしょう千穂ちほ千穂ちほつかえる年寄としより玉澤たまさわくわわったのだ。
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