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重村の暴走 ~ライバル・島津重豪より先んじて家格の上昇を狙う伊達重村は意知に味方する~ 4

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「それも意知おきとも殿どのおそおおくもいま大納言だいなごんさまがご薨去こうきょ真相しんそうさぐるべく、おん若年寄わかどしよりへとすすまれるそうで…、いや、おそおおくも上様うえさまにおかせられては、大納言だいなごんさまじつ病死びょうしではのうて、だれぞに一服いっぷくられたとおぼしの様子ようすにて…、いやもうこのさいはっきりもうすが、次期じき将軍のくらいねら御三卿ごさんきょうの、それも一橋ひとつばし民部みんぶ卿様きょうさま仕業しわざではないかと、左様さようおぼされ、それゆえに意知おきとも殿どのにその真偽しんぎたださせようと、つまりは探索たんさくさせようと、おん若年寄わかどしよりへとすすませあそばされたようで…」

 重村しげむら途中とちゅう意知おきとも言葉ことばはさませぬかのように一気いっきにそう言い切った。それゆえ意知おきとも重村しげむらすでに言うべきことを言い切った時点じてんようやくに、

中将ちゅうじょうさま、それ以上いじょうはもう…」

 そうくちはさむしかなかった。おそぎるくちばしと言えようか。

 それにしても重村しげむらおのれ若年寄わかどしより内定ないていしたことはもとより、その裏事情うらじじょうまで把握はあくしていたとは、当人とうにんたる意知おきともはそのことに心底しんそこおどろかされ、ましてやほか大広間おおひろまづめ帝鑑之間ていかんのまづめ諸侯しょこうらにいたっては意知おきとも以上いじょうおどろかされたものである。

 意知おきとも若年寄わかどしより内定ないていした背景はいけいにはまさかにそのような裏事情うらじじょうかくされていたとは、彼等かれら大広間おおひろまづめ帝鑑之間ていかんのまづめ諸侯しょこうにとってはまさに、

寝耳ねみみみず…」

 到底とうていおもいもよらぬことであったからだ。そしてそれはそのまま、彼等かれらつかえる江戸えど留守居るすいにもまることであった。

 意知おきとも若年寄わかどしよりへの昇進しょうしんにそのような裏事情うらじじょうかくされていたことを江戸えど留守居るすい把握はあくすれば、それをそのまま、主君しゅくんたる各々おのおの大広間おおひろまづめ帝鑑之間ていかんのまづめ諸侯しょこうつたえていたからだ。

 だが実際じっさいには大広間おおひろまづめ諸侯しょこうにしろ、帝鑑之間ていかんのまづめ諸侯しょこうにしろ、誰一人だれひとりとして家臣かしんである江戸えど留守居るすいからつたえられてはおらず、それゆえに仰天ぎょうてんしたのであり、つまりは江戸えど留守居るすい把握はあくしきれていなかったということだ。

 にもかかわらず、伊達だて重村しげむらはその意知おきとも若年寄わかどしよりへの昇進しょうしんかくされていた裏事情うらじじょう把握はあくしていたとなれば、重村しげむらつかえる江戸えど留守居るすいのみがそれを把握はあくし、主君しゅくんたる重村しげむらつたえたことになるが、しかしそれは、

到底とうていありぬこと…」

 そう断言だんげん出来できた。

 それと言うのも江戸えど留守居るすい留守居るすい組合くみあいもうけては留守居るすい同士どうし情報じょうほう交換こうかんいそしむ。

 それゆえ、あるはんつかえる一人ひとり江戸えど留守居るすい幕閣ばっかくよりなに幕政ばくせいじょうにおける重要じゅうよう情報じょうほうを「キャッチ」したとしても、それをみずからのはらなかにだけおさめ、あたためておのれ主君しゅくんにだけつたえるようなことは絶対ぜったいにありなかった。そのような抜駆ぬけがてき真似まねおよべば、以後いご、その江戸えど留守居るすいほかの、つまりは他藩たはん江戸えど留守居るすいから爪弾つまはじきにされ、勿論もちろん留守居るすい組合くみあいからも除名じょめいされるおそれがあった。

 そしてそうなれば、今後こんご他藩たはん江戸えど留守居るすいとの情報じょうほう交換こうかんふうじられ、江戸えど留守居るすいとしての仕事しごとまっと出来できなくなる。

 伊達だて重村しげむらつかえる江戸えど留守居るすいだけが意知おきとも若年寄わかどしよりへの昇進しょうしん裏事情うらじじょうを「キャッチ」し、それを他藩たはん江戸えど留守居るすいにはつたえずに、抜駆ぬけがてき主君しゅくんたる重村しげむらつたえた…、それが到底とうていありぬことはつまりはそういうわけであった。

 だが実際じっさい重村しげむら意知おきとも若年寄わかどしよりへの昇進しょうしん裏事情うらじじょう把握はあくしていた、となればそれは江戸えど留守居るすいかいしてではなく、重村しげむら個人こじんがツテをたよりに「キャッチ」したということになる。

「やはり大奥おおおくから、か…」

 意知おきともはそう直感ちょっかんした。

 意知おきとも今朝けさはいつもよりもはやめに登城とじょうした。今日きょう月次つきなみ御礼おんれいであり、奏者番そうじゃばんである意知おきともには「ホスト役」として大事だいじ仕事しごとんでおり、月次つきなみ御礼おんれいの「主催者しゅさいしゃ」とも言うべき将軍・家治いえはるとのわせもかせなかったからだ。

 すると家治いえはる意知おきとも二人ふたりだけで時間じかんつくり、意知おきともはそこで家治いえはるより昨晩さくばんのことをかされたのであった。

 すなわち、大奥おおおくサイドに対して意知おきとも若年寄わかどしよりへと昇進しょうしんさせるその真意しんいを、つまりは家基いえもといやった下手人げしゅにん探索たんさくさせるべく、意知おきとも若年寄わかどしよりすすませるだのと、そうぶちまけたのであった。

 のみならず、その下手人げしゅにん一橋ひとつばし治済はるさだではないかと、そうかんがえていることまで家治いえはるはぶちまけたそうで、

今日きょうにもそのことが中奥なかおくもとより、表向おもてむきにもつたわるであろうぞ…」

 家治いえはる意知おきともにそうげた。

「さればたして治済はるさだめは如何いか反応はんのうしめすか、それを見極みきわめたい…」

 それが家治いえはる大奥おおおくサイドに対して意知おきとも若年寄わかどしよりへと昇進しょうしんさせる真意しんいをぶちまけた動機どうきであり、

「それゆえ意知おきとももそのつもりでいてしい…」

 家治いえはる意知おきともにそうつたえたのであった。

 そしてその大奥おおおくサイドには家治いえはる愛妾あいしょうにして家基いえもと生母せいぼ千穂ちほや、千穂ちほつかえる年寄としより玉澤たまさわ姿すがたもあった。
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