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一橋治済は今日の月次御礼の直前に中奥にて定溜の井伊直幸と出くわし、4ヶ月前の不快な出来事を思い出す。

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 治済はるさだふたたび、御三卿ごさんきょう詰所つめしょである控所ひかえじょへともどるべく、控所ひかえじょのある中奥なかおくへとあしみ入れるとそこでじつ不愉快ふゆかい人物じんぶつくわした。だれあろう、彦根ひこね藩主はんしゅ井伊いい掃部頭かもんのかみ直幸なおひでそのひとであった。

「これはこれは掃除かもんではあるまいか…」

 治済はるさだ最初さいしょに声をかけた。ただし、「かみ」はつけず、それも「殿との」という敬称けいしょうはぶいて「掃部かもん」とてにして、であり、無論むろんそこには、

御三卿ごさんきょうたるおのれの方が立場たちばうえである…」

 その意味いみめられており、つ、直幸なおひで当人とうにんもとより、周囲しゅういに対してもそれを「アピール」するねらいもあった。

 事実じじつ従三位じゅさんみ宰相さいしょうである御三卿ごさんきょうたる一橋ひとつばし治済はるさだの方が直幸なおひでよりも立場たちばが、この場合ばあい官位かんいうえであった。

 直幸なおひで譜代ふだいゆうたる彦根ひこね井伊いい家の当主とうしゅであるとは言え、官位かんい正四位上しょうしいのじょう左近衛さこのえ権中将ごんのちゅうじょうであり、従三位じゅさんみ宰相さいしょう治済はるさだよりも官位かんいひくかったからだ。

 だがそうは言っても、彦根ひこね井伊いい家と言えば大老たいろうしょく輩出はいしゅつする家柄いえがらであり、そして大老たいろうともなれば御三家ごさんけをして会釈えしゃくをさせるほど威勢いせいほこり、それゆえその井伊いい家の当主とうしゅたる直幸なおひでに対しては御三家ごさんけ鄭重ていちょう態度たいどっていた。例え、直幸なおひでいまだ、大老たいろうしょくにはいていないとしてもだ。

 そうであれば無論むろん御三家ごさんけ直幸なおひでのことを、

掃部かもん…」

 などとかもけずに略称りゃくしょうにててにすることは絶対ぜったいにと言っても良いほどにありなかった。

 にもかかわらず、御三卿ごさんきょうたる治済はるさだからは、

掃部かもん…」

 そのように略称りゃくしょうにててにされたことから、直幸なおひで内心ないしんおおいにムッとしたものの、しかしそれはおもてにはさずに平静へいせいさをよそおいつつ、

「これはこれは民部みんぶきょうさま…」

 直幸なおひではそうおうじるや、治済はるさだに対して一礼いちれいした。

 やはり御三家ごさんけであれば、いや、御三家ごさんけならずともひとかどの武士であれば、いや、武士ならずとも常識じょうしきわせていれば、一礼いちれいされれば返礼へんれいするのが常識じょうしき、それも最低限さいていげん常識じょうしきと言うものであろう。

 だが生憎あいにく治済はるさだ最低限さいていげん常識じょうしきさえわせてはいなかったようだ。

 治済はるさだ叩頭こうとうする直幸なおひでに対して、「うむ」とおうじたのみであった。

 いや、治済はるさだもここが中奥なかおくではなく表向おもてむきであったならばここまで非常識ひじょうしき態度たいどらなかったやもれぬ。

 それと言うのもここ中奥なかおく直幸なおひでって良い「スペース」ではないからだ。それはたとえ、直幸なおひで大老たいろうしょくいたとしてもだ。

 ここ中奥なかおくは将軍のわば「プライベートルーム」であると同時どうじに、将軍の「ファミリー」とも言うべき御三卿ごさんきょうにとっては「内輪うちわ空間くうかん」であった。

 それゆえその御三卿ごさんきょうたる治済はるさだにしてみれば、「内輪うちわ空間くうかん」ともぶべき中奥なかおく直幸なおひでが…、表向おもてむき溜之間たまりのまにてひかえていなければならぬ直幸なおひでがいることがおおいにらなかった。それこそ、

「何ゆえに部外者ぶがいしゃまぎんでいるのだ…」

 治済はるさだにしてみればそのような思いであり、そのような思い、さしずめ不快ふかいさが治済はるさだをして直幸なおひでに対して非常識ひじょうしきとも言える態度たいどらせていたのであった。

 一方いっぽう直幸なおひで治済はるさだのそのようなおもいをってからずか、不快ふかいさをかくしつつ頭を上げると、治済はるさだかいった。

 そして治済はるさだおのれ真正面まっしょうめんから見据みすえる直幸なおひでに対していよいよもって不快ふかいさをしつつ、つい4ヶ月ほどまえのことを思い出した。

 4ヶ月前の6月15日の月次つきなみ御礼おんれいにおいて、治済はるさだはそこではじめて中奥なかおくにて直幸なおひでくわしたのであった。

「ここは中奥なかおくぞ。なにゆえに部外者ぶがいしゃであるそなたがっておるのだ?」

 治済はるさだは4ヶ月前の月次つきなみ御礼おんれいおりにここ中奥なかおくにてくわした直幸なおひでに対してそのように苛立いらだちを「ストレート」にぶつけたものだった。

 だが直幸なおひでいたって平静へいせいそのもので、それどころかどこか不敵ふてきでさえあり、それがまた、治済はるさだ苛立いらだたせた。

「さればおそおおくも上様うえさま御旨ぎょしにて…」

 直幸なおひで薄笑うすわらいさえかべてそう答えたものだから、「なに?」と治済はるさだをいきりたせた。

「明日の月次つきなみ御礼おんれいはここ中奥なかおく御座之間ござのまにてえっするようにとの奉書ほうしょが…、老中ろうじゅう奉書ほうしょはっせられましたゆえ…」

馬鹿ばかな…、老中ろうじゅういえど表向おもてむき諸有司しょゆうしではあるまいか…」

 成程なるほど老中ろうじゅうと言えば表向おもてむきにおける最高さいこう長官ちょうかんではあるものの、しかしあくまで表向おもてむき諸有司しょゆうし…、諸役人しょやくにん一人ひとりぎず、そうであれば中奥なかおくかんすることは、たとえば今のように、

中奥なかおく御座之間ござのまにてえっするように…」

 そのような内容ないよう老中ろうじゅう奉書ほうしょ表向おもてむき最高さいこう長官ちょうかんたる老中ろうじゅうが、それも連署れんしょ…、老中ろうじゅう全員ぜんいん署名しょめい形式けいしきであったとしてもはっせられるはずがなかった。それがたとえ、将軍・家治の意向いこうであったとしてもだ。

 中奥なかおくかんすることであれば将軍はかならずや、中奥なかおく最高さいこう長官ちょうかんたる御側御用人おそばごようにん通称つうしょう側用人そばようにん副長官ふくちょうかんとも言うべき御側御用取次おそばごようとりつぎとも相談そうだんの上、そしてかれらの了承りょうしょうけたうえで、そのむね老中ろうじゅうめいじて奉書ほうしょとして発給はっきゅうさせることになる。

 そしてそれは直幸なおひでに対してはっせられた老中ろうじゅう奉書ほうしょすなわち、

明日あす月次つきなみ御礼おんれいにおいては中奥なかおく御座之間ござのまにておう…」

 将軍・家治のその意向いこうしたためられた老中ろうじゅう奉書ほうしょにしても勿論もちろん、その例外れいがいではなかった。

 そしてかりにそのようなうごきがあれば御側御用取次おそばごようとりつぎ一人ひとりである稲葉いなば正明まさあきらより治済はるさだへとつたわっているはずであった。

 だが実際じっさいには治済はるさだ正明まさあきらからそのような情報じょうほうつたえられてはいなかった。まさかに正明まさあきらつたわすれたともおもえなかった。

 だとするならば家治は稲葉いなば正明まさあきらまった排除はいじょしたなかで、そのような老中ろうじゅう奉書ほうしょ発給はっきゅうさせたと言うのか。

 いや、それは不可能ふかのうだと、治済はるさだ自問じもん自答じとうした。

 それと言うのも将軍が側用人そばようにん御側御用取次おそばごようとりつぎとの協議きょうぎにおいて、その場から御側御用取次おそばごようとりつぎの一人である稲葉いなば正明まさあきら排除はいじょすることなど、すくなくとも家治であれば到底とうてい、考えられないことであった。

 無論むろん最終的さいしゅうてき決裁権けっさいけんは将軍たる家治の手中しゅちゅうにある。それゆえ、

明日あす月次つきなみ御礼おんれいにおいて井伊いい直幸なおひでとは表向おもてむき黒書院くろしょいんではなく中奥なかおく御座之間ござのまにて会う…」

 家治がそのような意向いこう側用人そばようにん御側御用取次おそばごようとりつぎに対してしめし、それに対して御側御用取次おそばごようとりつぎ一人ひとりである稲葉いなば正明まさあきら反対はんたいしたところで、いや、正明まさあきら一人だけでなくみな反対はんたいしたところで、家治は将軍である以上いじょうみな反対はんたいってでもみずからのその意向いこう実現じつげんさせることが出来できた。

 だがその場合でもやはりそのようなうごきがあったと、治済はるさだに対して正明まさあきらよりもたらされるはずであった。

 だが実際じっさいにはそのような情報じょうほうさえももたらされてはいなかった。

 だとするならば将軍・家治は側用人そばようにん御側御用取次おそばごようとりつぎには内密ないみつに、直々じきじき老中ろうじゅうに対してその意向いこうしめし、老中ろうじゅう奉書ほうしょ作成さくせいめいじたということか。

 すると直幸なおひではそんな治済はるさだ胸中きょうちゅう見透みすかしたかのように、

「されば御人払おひとばらい御用ごようにて…」

 そうすや、

おそおおくも上様うえさまにおかせられましては身共みどもとそれに年寄としよりのみを御座之間ござのまへとされ、そこで明日あす…、本日ほんじつ月次つきなみ御礼おんれいにつきて…、されば上様うえさま身共みどもに対しまして、明日あす月次つきなみ御礼おんれいより御座之間ござのまにてえっするようにとの御旨ぎょしをおつたえあそばされ、その上で陪席ばいせきせし年寄としよりに対しましてはそのむね老中ろうじゅう奉書ほうしょとしてはっするようにと、左様さようにおめいじあそばされまして…」

 治済はるさだにそう「絵解えとき」をしてみせた。

 それに対して治済はるさだは「成程なるほど…」とおもったものである。

 成程なるほどたしかに「御人払おひとばらい御用ごよう」であれば側用人そばようにん御側御用取次おそばごようとりつぎには内密ないみつに、つまりはられることなく、

明日あす月次つきなみ御礼おんれいより直幸なおひでとは中奥なかおく御座之間ござのまにてう…」

 そのような内容ないよう老中ろうじゅう奉書ほうしょ作成さくせいめいじられるというものである。無論むろん当人とうにんとも言うべき直幸なおひでに対してもめいじられるというものだ。

 だがうらかえせば、側用人そばようにん御側御用取次おそばごようとりつぎ把握はあくしていないということであり、そこで治済はるさだは「最後さいご抵抗ていこう」とばかり、「悪足掻わるあがき」をこころみた。

「さればその側用人そばようにん取次とりつぎったなれば如何いかおもうであろうぞ…」

 事情じじょうらぬ側用人そばようにん御側御用取次おそばごようとりつぎ猛反対もうはんたいするのではないか…、治済はるさだはそう示唆しさした。

 だがそれに対しても直幸なおひでいささかもどうずる気配けはいせずにやはり薄笑うすわらいをかべる始末しまつであった。いや、今度こんど苦笑にがわらいであった。

ひとつ、もうわすれておりましたが、御座之間ござのまにての御人払おひとばらい御用ごようには側用人そばようにん水野みずの出羽でわ陪席ばいせきしておりましたゆえ…、その上で老中ろうじゅう奉書ほうしょ水野みずの出羽でわよりはっせられ…、身共みども城使しろづかい水野みずの出羽でわ屋敷やしきへとまいりてもうしましたゆえ…」

 直幸なおひでほこったようにそう言うと、懐中かいちゅうより老中ろうじゅう奉書ほうしょした。

 それに対して治済はるさだは二度目の「成程なるほど…」であった。

 成程なるほど老中ろうじゅう奉書ほうしょ本来ほんらい月番つきばん老中ろうじゅうより、たとえば直幸なおひでのように大名だいみょうあてのそれであればその大名だいみょうつかえる城使しろづかいこと江戸えど留守居るすいに対して手交しゅこう手渡てわたされるものである。

 だが今回こんかい中奥なかおくかんすることでもあり、そこでとく中奥なかおく最高さいこう長官ちょうかんにして老中ろうじゅう格式かくしき側用人そばようにんである水野みずの出羽でわこと出羽守でわのかみ忠友ただともより直幸なおひでつかえる留守居るすいへと手交しゅこう手渡てわたされたのであろう。そうすることで側用人そばようにんたる水野みずの忠友ただともの、

かおつ…」

 というものであった。

 水野みずの忠友ただとも従四位下じゅしいのげ侍従じじゅう老中ろうじゅうおな官位かんいではあるものの、しかしここ江戸城においてはあくまで、

老中ろうじゅう格式かくしき…」

 つまりは正式せいしき老中ろうじゅうではなかった。

 にもかかわらず、その忠友ただともに対して老中ろうじゅう奉書ほうしょ発給はっきゅう、それも月番つきばん老中ろうじゅう仕事しごとである手交しゅこうまかせることにより、

忠友ただとも正式せいしき老中ろうじゅうとしてあつかおう…」

 そのような意図いとが…、将軍・家治の意図いとれた。

 ともあれ井伊いい直幸なおひでとは明日あす…、本日ほんじつ月次つきなみ御礼おんれいより、

中奥なかおく御座之間ござのまにてえっする…」

 家治のその意向いこう側用人そばようにんたる水野みずの忠友ただとも把握はあくしているところであり、そうであれば御側御用取次おそばごようとりつぎ如何いか反対はんたいとなえようとも、それこそ、

無駄むだ足掻あがき…」

 というものであった。

 御側御用取次おそばごようとりつぎ稲葉いなば正明まさあきらほかにもう一人ひとり横田よこた筑後守ちくごのかみ準松のりとしがおり、さら御側御用取次おそばごようとりつぎ見習みならいとして本郷ほんごう伊勢守いせのかみ泰行やすゆきもおり、このうち横田よこた準松のりとし稲葉いなば正明まさあきらと「ライバル関係かんけい」にあり、本郷ほんごう泰行やすゆき横田よこた準松のりとしの「子分こぶん」であり、そのことは家治も把握はあくしているにちがいなく、それゆえ家治は横田よこた準松のりとし本郷ほんごう泰行やすゆきに対してはあらかじ直幸なおひでのことをつたえ、その内諾ないだくているやも知れず、そうであれば稲葉いなば正明まさあきら一人ひとり反対はんたいしたところでまさに、

無駄むだ足掻あがき…」

 それにほかならず、稲葉いなば正明まさあきら一人ひとりがることになるだろう。

御覧ごらんになられますかな…」

 直幸なおひでほこった様子ようすのまま、治済はるさだに対して懐中かいちゅうよりした老中ろうじゅう奉書ほうしょかかげてみせた。おそらくは直幸なおひで中奥なかおく表向おもてむきとのあいだにあってそのひと出入でいりを、とりわけ表向おもてむきから中奥なかおくへとはいろうとするものひからせている時斗之間とけいのま坊主ぼうずに対してもその老中ろうじゅう奉書ほうしょかかげてせることでここ中奥なかおくったに相違そういない。

 ともあれ治済はるさだ直幸なおひでかかげてせるその老中ろうじゅう奉書ほうしょあらためるような真似まねはせず、内心ないしん敗北感はいぼくかん直幸なおひでさとられまいと、直幸なおひでいてその場よりあとにした。おや、げるようにして控所ひかえじょへともどって行き、治済はるさだのそのような後姿うしろすがた直幸なおひでふたたび、苦笑にがわらいをかべて見送みおくった。

 それが4ヶ月前の出来事できごとであり、治済はるさだにとっては不快ふかいきわまりないそれにほかならず、直幸なおひで姿すがたを目にめてそれをおもしてしまったのだ。
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