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家治は治済こそが家基毒殺の首魁であるとの深谷盛朝の見立てを意次に納得させるべく、家基の最期の鷹狩りに随ったメンバー表を渡す

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「いや、意次おきつぐもうじょう一理いちりあり…」

 家治はそうげると、真後まうしろへと、黒塗くろぬりの御用ごよう箪笥たんすほうへといた。

 その黒塗くろぬりの御用ごよう箪笥たんすには目安箱めやすばことうじられた書状しょじょうおさめられており、家治はその箪笥たんす一段いちだんけるとなかから二通につう書状しょじょうした。

 そして家治はふたたび、意次おきつぐ意知おきともの方をくと手にした二通につう書状しょじょうのうち、まずは一通いっつう意次おきつぐしたので、意次おきつぐ叩頭こうとうしつつ、それも両手りょうてでもってうやうやしく、家治の手よりその書状しょじょうった。

「これは盛朝もりとも調しらべし、家基いえもと最期さいご放鷹ほうようしたがいし者たちの名ぞ…」

 家治は意次おきつぐ書状しょじょうると、そう註釈ちゅうしゃくをつけた。

 たしかにその書状しょじょうには名がズラリとならべられており、なかには意次おきつぐおぼえのある名もふくまれていた。

「されば家基いえもと最期さいご放鷹ほうようしたがいし者たちだが、重好しげよし、いや、清水しみず家とえにしがありし者がおおふくまれ、なかには田安たやす家や、さらには意次おきつぐよ、そなたとえにしがありし者もふくまれておるようだが、なれどすくなくとも一橋ひとつばし家とえにしがありし者は一人ひとりもおらなんだ…」

 家治がそうげたので、これには意次おきつぐおどろかされ、おもわず「えっ」と声を上げていた。

「さればたとえばそこに名のある小納戸こなんど頭取とうどりだが…」

 家治はそう切り出すと、意次おきつぐ手渡てわたした書状しょじょうしたためられてある小納戸こなんど頭取とうどりの名をげた。すなわち、

新見しんみ讃岐守さぬきのかみ正則まさのり

 家治がその名をげるや、意次おきつぐ今度こんどは「あっ」と声を上げた。

新見しんみ正則まさのり…、無論むろん意次おきつぐは、いや、意知おきともぞんじておろう?」

 無論むろんらないはずがなかった。

 何しろ意次おきつぐ実妹じつまい新見しんみ正則まさのり妻女さいじょであり、その上、正則まさのりとその実妹じつまいとのあいだまれた娘、それも長女ちょうじょ意次おきつぐおのれ養女ようじょとしてもらけ、意知おきともにとっては義理ぎりとは言え、いもうとたる。

もうすまでもなきことだが、小納戸こなんど頭取とうどり放鷹ほうよう仕切しきりし者にて…」

 家治の言う通りで、小納戸こなんど頭取とうどり鷹狩たかがりの現場げんばにおいて指揮しきる。

「いや、本来ほんらいなれば場掛ばがかり役目やくめぞ…」

 小納戸こなんど頭取とうどりは一人ではない。家基いえもとに、それも生前せいぜん最期さいごつかえていた小納戸こなんど頭取とうどりは4人おり、けてもその筆頭ひっとう御場掛おばがかり兼務けんむする。

 この、家治も口にした御場掛おばがかりとは鷹場たかばや、あるいは牧場ぼくじょう支配しはい管理かんり職掌しょくしょうとし、それゆえ鷹狩たかがりのさいに将軍に、あるいは次期じき将軍にしたが小納戸こなんど頭取とうどりと言えばこの筆頭ひっとうにして御場掛おばがかり兼務けんむする小納戸こなんど頭取とうどりであった。

 さて、家基いえもとの場合であるが、その生前せいぜん最期さいごつかえていた御場掛おばがかり兼務けんむする小納戸こなんど頭取とうどり新見しんみ正則まさのりではなく、押田おしだ信濃守しなののかみ岑勝みねかつであった。

 そうであれば押田おしだ岑勝みねかつ家基いえもと鷹狩たかがりに、最期さいご鷹狩たかがりにしたがい、その指揮しきるべきところであり、実際、それまではそうしていた。

 にもかかわらず、家基いえもと最期さいご鷹狩たかがりにかぎって何故なぜ新見しんみ正則まさのりしたがっていたとは、意次おきつぐにしろ意知おきともにしろくびかしげざるをなかった。

「いや、不審ふしんなる点はそれだけではないぞ…」

 家治はおもわせぶりにそうすと、新見しんみ正則まさのり補佐ほさとしておなじく小納戸こなんど頭取とうどり森川もりかわ伊勢守いせのかみ俊顕としあきら鷹狩たかがりにしたがったことをげたのであった。

 たしかに森川もりかわ俊顕としあきらの名もそこにはあった。

補佐ほさ、でござりまするか?」

 意次おきつぐおもわずかえしたほどである。それも無理むりからぬことであり、鷹狩たかがりにおいて指揮しき小納戸こなんど頭取とうどりは一人いれば十分じゅうぶんであり、補佐ほさなど聞いたこともないからだ。

「うむ。いや、これにはほかにもわけがあったそうな…」

 家治は深谷ふかや式部しきぶ盛朝もりともよりつたいたそのわけ意次おきつぐ意知おきともの二人にかたった。
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