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寶蓮院は既に、種姫附の年寄である向坂を通じて意知が若年寄へと昇進する事実を把握しており、のみならずその真の理由も把握していた。

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 もっとも、栲子たえこはその時…、天明元(1781)年の時点じてんではまだ15にぎず、そこで栲子たえこしばらくのあいだ

老女ろうじょ見習みならい…」

 とした。それが幕府がくだした裁定さいていであり、めい老女ろうじょにしてやれなかった毛利もうり斎宮さいぐうへの配慮はいりょからであった。

 そして栲子たえこは今もって老女ろうじょ見習みならいであったが、しかし、寶蓮院ほうれんいんは今では幕府の裁定さいていにもかかわらず、栲子たえこ老女ろうじょとしてあつかっていた。

 その栲子たえこも今では17であるが、しかしいまだにおさない。にもかかわらず、

公儀こうぎおく女遣おんなづかい

 として大奥おおおくへとけることに小林こばやし左十郎さじゅうろう難色なんしょくしめしたわけである。

「さればこと田安たやすやかた浮沈ふちんにかかわること…、田沼たぬま山城守やましろのかみ様が若年寄わかどしよりへとすすまれしは御三卿ごさんきょうつぶしの一環いっかん…、田沼たぬま山城守やましろのかみ様を御三卿ごさんきょうつぶしの尖兵せんぺいとすべく若年寄わかどしよりへとすすませる御所存ごしょぞんか…、それもその手始てはじめに明屋形あきやかたであるこの田安たやすやかたから手をつけるのかいなか…、そのような政事せいじむきのことをおそれ多くも上様うえさまたずもうげてしいと、大奥おおおくりし向坂さきさかたのむに際して、そのつかいとして小娘こむすめぎぬ栲子たえこけようとは…」

 栲子たえこにはふくむところのある物頭ものがしら和田わだ三郎左衛門さぶろうざえもん小林こばやし左十郎さじゅうろう追従ついじゅうするようにそう言った。

 だがそれに対しては意外いがいにも小林こばやし左十郎さじゅうろうが、

言葉ことばぎようぞ…」

 和田わだ三郎左衛門さぶろうざえもん叱責しっせきした。

栲子たえこ寶蓮院ほうれんいん様が御自おんみずか老女ろうじょに、いや、老女ろうじょ見習みならいにんじられし者なれば、その栲子たえこ小娘こむすめなどと、ひかえよっ」

 それが叱責しっせき理由わけであり、それはまさしくその通りであり、和田わだ三郎左衛門さぶろうざえもん小林こばやし左十郎さじゅうろうにそう一喝いっかつされるや羞恥しゅうちあまり、思わず口をつぐみ、のみならずうつむいたほどであった。

「されば…、このむね…、栲子たえこ公儀こうぎおく女遣おんなづかいとして大奥おおおくへとけるけんにつき、まずは寶蓮院ほうれんいん様に相談そうだんもうげては如何いかがでござろうか?」

 杉浦すぎうら猪兵衛いへえ和田わだ三郎左衛門さぶろうざえもんだまんだところで、一気いっきたたけるようにそう言った。

 するとだれからも異論いろんが出なかったので、杉浦すぎうら猪兵衛いへえはかつての相役あいやく…、同僚どうりょうであった廣敷ひろしき用人ようにん竹本たけもと又八郎またはちろうただちにつなぎをった。

 今の廣敷ひろしき用人ようにん竹本たけもと又八郎またはちろう毛利もうり斎宮さいぐうほかに、廣敷ひろしき用人ようにんから八役はちやくである用人ようにんへと昇進しょうしんたした杉浦すぎうら猪兵衛いへえ後任こうにんとしてされた酒井さかい源左衛門げんざえもん忠元ただもとのやはり三人体制であり、この三人の廣敷ひろしき用人ようにんのうち、杉浦すぎうら猪兵衛いへえがそれこそ、

はらって…」

 話せる相手あいて竹本たけもと又八郎またはちろうであった。年齢としから言えば毛利もうり斎宮さいぐうあるいは酒井さかい源左衛門げんざえもんが一番、杉浦すぎうら猪兵衛いへえと近かったものの、杉浦すぎうら猪兵衛いへえはこの両者りょうしゃ苦手にがてとしており、とりわけ毛利もうり斎宮さいぐうは大の苦手にがてであり、畢竟ひっきょう杉浦すぎうら猪兵衛いへえつなぎをるべき相手あいて竹本たけもと又八郎またはちろうかぎられた。

 その杉浦すぎうら猪兵衛いへえよりこと次第しだいを聞いた竹本たけもと又八郎またはちろうただちに寶蓮院ほうれんいん御前ごぜんへと進み出て、今しがた杉浦すぎうら猪兵衛いへえよりたのまれた寶蓮院ほうれんいんへの言伝ことづてをそのまま伝えたのであった。

 するとそれを伝え聞いた寶蓮院ほうれんいんしばし、思案しあんしたものである。

 それと言うのも寶蓮院ほうれんいん意知おきとも若年寄わかどしよりへとすすむことを事前じぜん把握はあくしており、のみならず、その「理由わけ」についても把握はあくしていたからだ。

 だがそれを寶蓮院ほうれんいんはそれこそ、

「おくびにも…」

 出さなかった。例え、相手あいて栲子たえこの件で…、若年寄わかどしよりであった町田まちだではなくまだ15にぎなかった栲子たえこ老女ろうじょへと昇進しょうしんさせたけん世話せわになった竹本たけもと又八郎またはちろうであったとしてもだ。

 いや、さらくわえるならば、寶蓮院ほうれんいんは何ゆえに町田まちだではなく栲子たえこ老女ろうじょへと昇進しょうしんさせるのか、その「理由わけ」についても「真実しんじつ」をけてはいなかった。

 すなわち、寶蓮院ほうれんいん町田まちだではなく、栲子たえこ老女ろうじょへと昇進しょうしんさせる「理由わけ」について、

町田まちだはそのにんあらず…」

 竹本たけもと又八郎またはちろうにそうげたものだが、しかし、これはあくまで、

表向おもてむきの理由わけ…」

 それに過ぎなかった。いや、表向おもてむきとは言え、それもあった。

 それと言うのも町田まちだ老女ろうじょ若年寄わかどしよりであることにくわえて、叔父おじ斎宮さいぐう元卓もとなり廣敷ひろしき用人ようにんであることを鼻にかけては他の奥女中おくじょちゅうからけむたがられていたからだ。いや、はっきり言ってきらわれており、そのような者を奥女中おくじょちゅうたばね役である老女ろうじょへと昇進しょうしんさせることに寶蓮院ほうれんいん躊躇ちゅうちょおぼえざるをなかった。

 だがそれなれば若年寄わかどしより中年寄ちゅうどしより老女ろうじょへと昇進しょうしんさせる手もあった。

 にもかかわらず、寶蓮院ほうれんいんはそうはせず、15にぎない栲子たえこ老女ろうじょへと昇進しょうしんさせようとほっしたのは実は、此度こたび意知おきとも若年寄わかどしよりへと昇進しょうしんすることと「リンク」しており、寶蓮院ほうれんいん栲子たえこ老女ろうじょへと昇進しょうしんさせることにつき、

しん理由わけ…」

 それを把握はあくしている向坂さきさかより意知おきとも若年寄わかどしより内定ないてげられたのであった。そしてその意味するところも寶蓮院ほうれんいんはやはり向坂さきさかよりげられていた。

 だが、寶蓮院ほうれんいんはにもかかわらず、竹本たけもと又八郎またはちろうより杉浦すぎうら猪兵衛いへえよりの言伝ことづてとして、意知おきとも若年寄わかどしより内定ないていの事実が知らされるや、今はじめてくかのような素振そぶりを見せ、つ、大仰おおぎょうなまでにおどろいてみせたものである。

「何と…、山城やましろ殿が若年寄わかどしよりに…」

 寶蓮院ほうれんいんまるくしてそうかえした。

 それに対して竹本たけもと又八郎またはちろう寶蓮院ほうれんいん心中しんちゅうに気づくこともなく、それどころか寶蓮院ほうれんいんのその「擬態ぎたい」とも言うべき反応はんのうけつつ、「御意ぎょい」とこたえた。

 竹本たけもと又八郎またはちろうは続けて、何ゆえに部屋住へやずみぎぬ意知おきとも若年寄わかどしよりへとすすませるのか…、

「もしかして意知おきともかねむしである御三卿ごさんきょうつぶすための尖兵せんぺいとして若年寄わかどしよりへとすすませるのではあるまいか、そしてその手始てはじめに、当主とうしゅ不在ふざいである明屋形あきやかたのこの田安たやすやかたねらいをさだめているのではあるまいか…」

 そのことを向坂さきさかより将軍・家治にたしかめてもらうべく、公儀こうぎおく女遣おんなづかいとして栲子たえこ向坂さきさかもとへとけ、向坂さきさかにこのむね依頼いらいしてはと、寶蓮院ほうれんいんげたのであった。

 それを聞いた寶蓮院ほうれんいんしば思案しあんしたのであった。

 意知おきとも若年寄わかどしよりへと内定ないていしたその「しん理由わけ」を把握はあくしている寶蓮院ほうれんいんとしてはその必要性ひつようせいを感じられなかった。

 すなわち、意知おきともは決して、御三卿ごさんきょうつぶしの尖兵せんぺいとして若年寄わかどしより内定ないていしたわけではなく、そのことは寶蓮院ほうれんいんすで意知おきとも若年寄わかどしよりへの内定ないてい事実じじつとも把握はあくしていたからだ。

 いや、さらくわえるならば、栲子たえこ老女ろうじょへと大抜擢だいばってきした理由ともその「しん理由わけ」と大いに関係があった。

 ともあれ、それを竹本たけもと又八郎またはちろうに対してけてしまえば、

「それでは一体いったい意知おきともは何ゆえに若年寄わかどしよりへと内定ないていしたのか…」

 つまりは意知おきとも若年寄わかどしよりへとすすむ「しん理由わけ」を竹本たけもと又八郎またはちろうけねばならないことになり、寶蓮院ほうれんいんとしてはそれは絶対ぜったいけねばならないところであった。

 そこで寶蓮院ほうれんいんが出した結論けつろんはと言うと、

あいかった…、さればったことゆえ、栲子たえこにはこのしたためし書状しょじょうたせましょうぞ…」

 それであり、竹本たけもと又八郎またはちろうとしてもその結論けつろん異存いぞんはなく、「ははっ」とおうじたものである。

 それでも寶蓮院ほうれんいんは、

「さればその前に、毛利もうり斎宮さいぐう酒井さかい源左衛門げんざえもん意見いけんをもいておきましょうぞ…」

 毛利もうり斎宮さいぐう酒井さかい源左衛門げんざえもん両名りょうめいに対する配慮はいりょわすれなかった。

 こうして寶蓮院ほうれんいん竹本たけもと又八郎またはちろうに対して毛利もうり斎宮さいぐう酒井さかい源左衛門げんざえもんの両名をおのれの前へとれてさせるや、これまでの経緯けいい寶蓮院ほうれんいんみずから説明した上で、栲子たえこ公儀こうぎおく女遣おんなづかいとして向坂さきさかもとへと、それも向坂さきさかあて書状しょじょうたずさえさせてけることにつき、その意見を求めたのであった。

 それに対して毛利もうり斎宮さいぐうにしろ、酒井さかい源左衛門げんざえもんにしろ異論いろんはなかった。

 老女ろうじょの地位を栲子たえこさらわれた格好かっこう毛利もうり斎宮さいぐうにしても、田安たやすやかたつぶされるやも知れない事態じたい際会さいかいしては最早もはや、その栲子たえこ公儀こうぎおく女遣おんなづかいとして向坂さきさかへとけることに文句もんくを言ってはいられない様子ようすであった。例え、それでいよいよもって栲子たえこ正式せいしき田安たやすやかた老女ろうじょとして認められることにつながるとしてもだ。

 寶蓮院ほうれんいんはその上で、家老かろう戸川とがわ逵和みちともにもそのことを告げ、承諾しょうだくを求めた。戸川とがわ逵和みちとも典型的てんけいてきな、

「おかざり…」

 そうぶに相応ふさわしい家老かろうであったが、一応、すじだけはとおしておくべきであったからだ。

 さて、それに対して戸川とがわ逵和みちとも反応はんのうはと言うと、やはりと言うべきか、如何いかにも「おかざり」の家老かろうらしく、

寶蓮院ほうれんいん様の大御心おおみこころのままに…」

 つまりはどうぞご自由に、というものであった。
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