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橋本喜八郎は岩本正利を呼び出すべく、下三奉行の詰所へと足を運び、しかしそこで喜八郎は下三奉行から侮蔑が込められた視線を投げつけられる。
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「それが良い…」
忠休が「御前」への「メッセンジャー」として岩本正利を立てることに許しを与えるや否や、
「されば早速に岩本内膳をここへ…」
喜八郎がそう応じたので、これにはさしもの忠休も驚いた。
「今から、か?」
「左様…、されば善は急げと申しますゆえに…」
「なれど今はまだ、執務の最中ではあるまいか?」
若年寄としての執務をサボっている忠休は己のことは棚に上げてそう言った。
それは兎も角、確かに忠休の言う通りであった。
「されば今、普請奉行の詰所へとそなたが足を運んでは、相役に怪しまれるのではあるまいか?」
普請奉行の定員にしてもやはり二人であり、今は岩本正利とそれに青山但馬守成存の二人が普請奉行を勤めていた。
その岩本正利と青山成存が勤務している普請奉行の詰所だが、ここ新番所前溜からは大分に離れており、それゆえ喜八郎は忠休に前溜に残って貰った上で、その普請奉行の詰所へと足を運ぶことにした。
忠休を一人、新番所前溜に残したのは他でもない、少しの間だけでも新番所前溜を無人にしてしまうと、その間に他の誰かがやはり密談用に使われる恐れがあり得たからだ。
それに何より、これ程の重大事とあらば、やはり若年寄筆頭たる酒井忠休にも立ち会って貰った上で打ち明けた方が、話に信憑性が増すであろう、との判断が働いたからだ。
こうして喜八郎は一人、普請奉行の詰所へと足を運んだ。
普請奉行の詰所は下部屋のすぐ傍にあった。
下部屋とは登城してきた幕閣を始めとする諸役人が各々の詰所や、或いは殿中席へと向かうべく、殿中に上がる前に、衣服を整えたり、或いは一服したりする場所であり、謂わばロッカールーム、或いは喫茶室のような場所であった。
普請奉行の詰所はその下部屋とは、それも大廊下に面している奏者番の下部屋とは大廊下を挟んだ向かい側にあった。
いや、正確に言うと、普請奉行の詰所だけではなかった。
普請奉行の詰所…、岩本正利と青山成存が働いている場所の正式名称だが、
「御作事・御普請・小普請奉行御用詰所」
というのがそれであり、即ち、普請奉行のみならず、作事奉行や小普請奉行が謂わば、
「一塊となって…」
働いていたのであった。所謂、寺社・町・勘定の三奉行との対比で、作事・普請・小普請の三奉行は、
「下三奉行…」
そう称されており、この所謂、「下三奉行」は幕府の土木・建築を担う専門部署ということもあり、一塊にて執務をさせた方が、
「合理的…」
というものであり、それゆえ「下三奉行」はこうして一緒に働いていたのだ。
その「下三奉行」の執務室に喜八郎が足を踏み入れたので、そこで働いていた「下三奉行」の視線が喜八郎に集中した。
そしてその視線には侮蔑の色が含まれていた。
それはそうだろう。何しろそれまで奥右筆組頭として正に、
「権勢を誇っていた…」
その橋本喜八郎が今や、一介の留守居番に過ぎないのだから、
「零落れたものよ…」
下三奉行が喜八郎をそのように見下し、そしてそのような視線を注ぐのも当然であった。
いや、ただ零落れただけならば、下三奉行とて喜八郎にそのような、侮蔑を込めた視線など注がなかったであろう。精々、同情を込めた視線を注ぐ程度であったやも知れぬ。
それが侮蔑を込めた視線を注いだのはとりもなおさず、彼ら下三奉行は喜八郎のかつての「権勢」の謂わば、
「被害者」
であったからだ。
大名家に命じられる「御手伝」と称される工事だが、何れの大名家に如何なる工事を命ずるか、それを実質的に決定するのは下三奉行掛の奥右筆であり、更に言うなら彼ら奥右筆が下三奉行と談合の上、決定するのであった。
そうして決定された事項は全て、彼ら言ってみれば「ヒラ」の奥右筆を束ねる組頭へと上げられ、組頭から老中、或いは若年寄といった幕閣へと更に上げられる仕組みであるのだが、この際、組頭であった喜八郎が彼らの決定した事項をひっくり返すことが、
「屡…」
であり、それは「御手伝」についても例外ではなかった。
即ち、下三奉行掛の奥右筆が下三奉行と談合の上、決定したその「御手伝」の「割り振り」について、組頭の喜八郎が、
「罷りならん…」
その一言でひっくり返してはまた一から談合をやり直さなければならないということも屡であり、下三奉行掛の奥右筆の面子のみならず、下三奉行の面子さえも潰れた。
それと言うのも各大名家では「御手伝」を逃れたいばかりに、しかし、勝手の分からぬ、つまりは奥右筆の重要性の分からぬ江戸家老や留守居といった連中がただ単に、下三奉行のみに「付け届け」をすればそれで、「御手伝」から逃れられるであろうと、そう判断して、奥右筆、それも下三奉行掛の奥右筆には「付け届け」をせずに、下三奉行への「付け届け」だけで済まそうとする輩が結構いた。
そこで彼ら下三奉行はそのような輩に対しては、我ら下三奉行だけでなく、奥右筆組頭、それも謂わば、
「カウンターパート」
とも言うべき下三奉行掛の奥右筆と、更に彼ら「ヒラ」の奥右筆を束ねる組頭にも「付け届け」を怠らぬことが肝要と、そう教え諭した上で、彼ら奥右筆の名と住所、それにご丁寧にも「付け届け」の、
「相場…」
まで教えてやり、その「相場」に彼ら江戸家老や、或いは留守居といった連中は皆、目を剥いたものだが、しかし、「御手伝」を命じられることを考えればその「相場」たるや、正に、
「微々たるもの…」
というべきであり、その程度の出費で「御手伝」から逃れられるのならと、皆、下三奉行の「指導」に従ったものである。
ここまでは良いのだが、しかし、喜八郎の場合、そうして各大名家より「付け届け」を受け取っておきながら、いや、それだけでは飽き足らず、下三奉行の許へと届けられた賂にまで手を伸ばす始末であった。
「下三奉行の許へも付け届けがあったであろう。ちゃんと分かっているのだ。全部とは申さぬ、その半分を寄越せ。さもなくば、この儀、罷りならん…」
喜八郎は下三奉行をそう脅しつけ、結果、下三奉行もそんな喜八郎の「脅し」に屈する格好にて、各大名家より届けられた賂を喜八郎に、
「カツアゲ」
されたのであった。いや、断るという選択肢もあり得たが、しかし、従五位下の諸大夫役であり、幕府内の序列で言えば遠国奉行よりも上に位置づけられる下三奉行に辿り着いた者たちは皆、
「更なるキャリアアップ…」
つまりは更なる出世を目指しており、そんな彼らにしてみれば、人事においても隠然たる力を発揮する奥右筆組頭を怒らせるのは、
「タブー」
と言えた。それも絶対的な禁忌と言え、それゆえ彼ら下三奉行は本来、従六位の布衣役に過ぎない奥右筆組頭の橋本喜八郎に対して頭が上がらず、それゆえ、
「唯々諾々と…」
カツアゲされるより他になかったわけである。
このような事情があったために、喜八郎は…、既に奥右筆組頭ではなくなり、一介の留守居番へと棚上げされた喜八郎はそれまで散々、己が「カツアゲ」し尽くした下三奉行から侮蔑が込められた視線を注がれた、いや、投げつけられたわけである。
忠休が「御前」への「メッセンジャー」として岩本正利を立てることに許しを与えるや否や、
「されば早速に岩本内膳をここへ…」
喜八郎がそう応じたので、これにはさしもの忠休も驚いた。
「今から、か?」
「左様…、されば善は急げと申しますゆえに…」
「なれど今はまだ、執務の最中ではあるまいか?」
若年寄としての執務をサボっている忠休は己のことは棚に上げてそう言った。
それは兎も角、確かに忠休の言う通りであった。
「されば今、普請奉行の詰所へとそなたが足を運んでは、相役に怪しまれるのではあるまいか?」
普請奉行の定員にしてもやはり二人であり、今は岩本正利とそれに青山但馬守成存の二人が普請奉行を勤めていた。
その岩本正利と青山成存が勤務している普請奉行の詰所だが、ここ新番所前溜からは大分に離れており、それゆえ喜八郎は忠休に前溜に残って貰った上で、その普請奉行の詰所へと足を運ぶことにした。
忠休を一人、新番所前溜に残したのは他でもない、少しの間だけでも新番所前溜を無人にしてしまうと、その間に他の誰かがやはり密談用に使われる恐れがあり得たからだ。
それに何より、これ程の重大事とあらば、やはり若年寄筆頭たる酒井忠休にも立ち会って貰った上で打ち明けた方が、話に信憑性が増すであろう、との判断が働いたからだ。
こうして喜八郎は一人、普請奉行の詰所へと足を運んだ。
普請奉行の詰所は下部屋のすぐ傍にあった。
下部屋とは登城してきた幕閣を始めとする諸役人が各々の詰所や、或いは殿中席へと向かうべく、殿中に上がる前に、衣服を整えたり、或いは一服したりする場所であり、謂わばロッカールーム、或いは喫茶室のような場所であった。
普請奉行の詰所はその下部屋とは、それも大廊下に面している奏者番の下部屋とは大廊下を挟んだ向かい側にあった。
いや、正確に言うと、普請奉行の詰所だけではなかった。
普請奉行の詰所…、岩本正利と青山成存が働いている場所の正式名称だが、
「御作事・御普請・小普請奉行御用詰所」
というのがそれであり、即ち、普請奉行のみならず、作事奉行や小普請奉行が謂わば、
「一塊となって…」
働いていたのであった。所謂、寺社・町・勘定の三奉行との対比で、作事・普請・小普請の三奉行は、
「下三奉行…」
そう称されており、この所謂、「下三奉行」は幕府の土木・建築を担う専門部署ということもあり、一塊にて執務をさせた方が、
「合理的…」
というものであり、それゆえ「下三奉行」はこうして一緒に働いていたのだ。
その「下三奉行」の執務室に喜八郎が足を踏み入れたので、そこで働いていた「下三奉行」の視線が喜八郎に集中した。
そしてその視線には侮蔑の色が含まれていた。
それはそうだろう。何しろそれまで奥右筆組頭として正に、
「権勢を誇っていた…」
その橋本喜八郎が今や、一介の留守居番に過ぎないのだから、
「零落れたものよ…」
下三奉行が喜八郎をそのように見下し、そしてそのような視線を注ぐのも当然であった。
いや、ただ零落れただけならば、下三奉行とて喜八郎にそのような、侮蔑を込めた視線など注がなかったであろう。精々、同情を込めた視線を注ぐ程度であったやも知れぬ。
それが侮蔑を込めた視線を注いだのはとりもなおさず、彼ら下三奉行は喜八郎のかつての「権勢」の謂わば、
「被害者」
であったからだ。
大名家に命じられる「御手伝」と称される工事だが、何れの大名家に如何なる工事を命ずるか、それを実質的に決定するのは下三奉行掛の奥右筆であり、更に言うなら彼ら奥右筆が下三奉行と談合の上、決定するのであった。
そうして決定された事項は全て、彼ら言ってみれば「ヒラ」の奥右筆を束ねる組頭へと上げられ、組頭から老中、或いは若年寄といった幕閣へと更に上げられる仕組みであるのだが、この際、組頭であった喜八郎が彼らの決定した事項をひっくり返すことが、
「屡…」
であり、それは「御手伝」についても例外ではなかった。
即ち、下三奉行掛の奥右筆が下三奉行と談合の上、決定したその「御手伝」の「割り振り」について、組頭の喜八郎が、
「罷りならん…」
その一言でひっくり返してはまた一から談合をやり直さなければならないということも屡であり、下三奉行掛の奥右筆の面子のみならず、下三奉行の面子さえも潰れた。
それと言うのも各大名家では「御手伝」を逃れたいばかりに、しかし、勝手の分からぬ、つまりは奥右筆の重要性の分からぬ江戸家老や留守居といった連中がただ単に、下三奉行のみに「付け届け」をすればそれで、「御手伝」から逃れられるであろうと、そう判断して、奥右筆、それも下三奉行掛の奥右筆には「付け届け」をせずに、下三奉行への「付け届け」だけで済まそうとする輩が結構いた。
そこで彼ら下三奉行はそのような輩に対しては、我ら下三奉行だけでなく、奥右筆組頭、それも謂わば、
「カウンターパート」
とも言うべき下三奉行掛の奥右筆と、更に彼ら「ヒラ」の奥右筆を束ねる組頭にも「付け届け」を怠らぬことが肝要と、そう教え諭した上で、彼ら奥右筆の名と住所、それにご丁寧にも「付け届け」の、
「相場…」
まで教えてやり、その「相場」に彼ら江戸家老や、或いは留守居といった連中は皆、目を剥いたものだが、しかし、「御手伝」を命じられることを考えればその「相場」たるや、正に、
「微々たるもの…」
というべきであり、その程度の出費で「御手伝」から逃れられるのならと、皆、下三奉行の「指導」に従ったものである。
ここまでは良いのだが、しかし、喜八郎の場合、そうして各大名家より「付け届け」を受け取っておきながら、いや、それだけでは飽き足らず、下三奉行の許へと届けられた賂にまで手を伸ばす始末であった。
「下三奉行の許へも付け届けがあったであろう。ちゃんと分かっているのだ。全部とは申さぬ、その半分を寄越せ。さもなくば、この儀、罷りならん…」
喜八郎は下三奉行をそう脅しつけ、結果、下三奉行もそんな喜八郎の「脅し」に屈する格好にて、各大名家より届けられた賂を喜八郎に、
「カツアゲ」
されたのであった。いや、断るという選択肢もあり得たが、しかし、従五位下の諸大夫役であり、幕府内の序列で言えば遠国奉行よりも上に位置づけられる下三奉行に辿り着いた者たちは皆、
「更なるキャリアアップ…」
つまりは更なる出世を目指しており、そんな彼らにしてみれば、人事においても隠然たる力を発揮する奥右筆組頭を怒らせるのは、
「タブー」
と言えた。それも絶対的な禁忌と言え、それゆえ彼ら下三奉行は本来、従六位の布衣役に過ぎない奥右筆組頭の橋本喜八郎に対して頭が上がらず、それゆえ、
「唯々諾々と…」
カツアゲされるより他になかったわけである。
このような事情があったために、喜八郎は…、既に奥右筆組頭ではなくなり、一介の留守居番へと棚上げされた喜八郎はそれまで散々、己が「カツアゲ」し尽くした下三奉行から侮蔑が込められた視線を注がれた、いや、投げつけられたわけである。
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