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橋本喜八郎は奥右筆組頭から留守居番へと棚上げされ、更に意知が若年寄へと進む背景に家基の死の真相を探らせようとする家治の意図を感じる。
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今から三月程前の7月24日、奥右筆組頭であった喜八郎は留守居番へと「昇進」を果たした。
留守居番も奥右筆組頭も共に、従六位の布衣役であり、幕府内の序列で言えば留守居番の方が奥右筆組頭の上に位置するので、成程、「昇進」には違いない。
だが実際には喜八郎が自嘲してみせた通り、それは棚上げに他ならなかった。
奥右筆組頭は確かに、幕府内の序列で言えば留守居番の下に位置付けられてはいたものの、しかし、その権力たるや老中や若年寄を凌ぐものがあり、将軍の側近として老中からも恐れられている御側御用取次と同等のものがあった。
即ち、奥右筆組頭は老中や若年寄の政務を補佐するさしずめ、
「秘書官…」
であった。いや、補佐すると言うよりは事実上、奥右筆が決めていたと言っても差し支えないであろう。
確かに、老中や若年寄が政務を担う。が、細々とした先例などともなると老中や若年寄にも分からず、そこで例えば老中や若年寄が新規施策を行うことを決したとして、その際には必ずと言って良い程に、その新規施策が果たして先例に反していないかどうか、それを調べる必要があり、その時、頼りになるのが奥右筆であった。
老中や若年寄は奥右筆組頭を通じてそれぞれ専門の奥右筆に先例を調べさせるのであった。例えば、財政政策であれば勘定掛の奥右筆、公共事業であれば作事掛や普請掛といった具合にである。
それゆえ老中や若年寄が決した政策に対して奥右筆組頭が、
「先例に反している…」
或いは、
「先例にない…」
として「ノー」を突きつけることも屡であり、その場合には如何に老中や若年寄と雖も引き下がらざるを得なかった。奥右筆組頭が老中や若年寄をも凌ぐ権力者たる所以であり、それゆえ奥右筆組頭には大名家からの、
「付け届け…」
それが絶えず、常に進物の山で溢れ返っていたと言っても過言ではない。
それと言うのも大名が最も恐れる、
「御手伝…」
そう称される、大名持ち出しによる普請…、工事もまた奥右筆、それも組頭の意見に左右されるからだ。
今年はどこの大名家に工事をやらせるか、それを決めるのは一応、老中ではあるものの、実際には奥右筆組頭の正に、
「腹ひとつ…」
であり、そこで大名家では藩財政を直撃しかねない、いや、破綻に直結するその、
「御手伝」
を免れるべく、挙って、それも競うようにして奥右筆組頭に付け届けをすることになる。
逆に言えば、奥右筆組頭への付け届けを怠った、要は、
「ケチった…」
大名家に「御手伝」が命じられるという寸法だ。それも見せしめのために大工事が…。
或いはまた、大名の官位昇進も奥右筆組頭の意見に左右され、それゆえ官位昇進を望む大名はやはり奥右筆組頭に付け届けをすることになる。
それゆえ奥右筆組頭は幕府内の序列で言えば留守居番の下に位置付けられてはいるものの、実際にはここ表向における事実上の権力者であり、その権勢たるや、単なる閑職と断じて良い、留守居の補佐役に過ぎぬ留守居番などその足元にさえも及ばぬであろう。
現に、喜八郎が三月程前に奥右筆組頭から留守居番へと「昇進」…、とは名ばかりの実際には棚上げ人事が発令されるや、それまで正に、
「引きも切らなかった…」
その進物の山がピタリと止んだものであった。全く現金なものである。
ともあれ、喜八郎は己が奥右筆組頭から留守居番へと棚上げされたことが、今にして思えば将軍・家治が愛息・家基の死の真相を探索らせる謂わば、
「号砲…」
それではなかったかと、そう思えてならず、忠休に対してそのことを打ち明けたのであった。
「何ゆえにそなたを留守居番へと棚上げせしことが、上様が今は亡き大納言様が死の真相を探索らせることに繋がるのだ?」
忠休は首を傾げてみせた。
「されば一言で申し上げますならば、それがしが奥右筆組頭のままでは探索の邪魔になると、左様に思し召されたのではござりますまいか?」
「上様が、か?」
「如何にも…、さればそれがしの人事は御側御用取次の横田筑後が主導せしものにて…」
奥右筆組頭は幕府内の人事においてもやはり隠然たる力を発揮するが、それ以上に力を発揮するのが何と言っても将軍の側近である御側御用取次であった。
奥右筆組頭を通じて…、奥右筆組頭が事実上決めた人事を、老中が将軍へと上申、しかし、それを御側御用取次がひっくり返すことも決して皆無ではなかった。
まして人事権者でもある奥右筆組頭、その奥右筆組頭自身の人事ともなると、御側御用取次の手に委ねられており、喜八郎の場合もそうであった。
即ち、喜八郎を奥右筆組頭から今の留守居番へと棚上げしたのは…、そのような人事を主導したのは御側御用取次の横田筑後こと筑後守準松であり、それにその子分である本郷伊勢守が同調したために、ただ一人、稲葉越前守正明の反対にもかかわらず、この棚上げ人事が強行されたと、喜八郎は後日、正明よりそっと耳打ちされたものである。
「その時は横田筑後めの姦計…、単なる姦計に過ぎぬと、然様に看做しており申しましたが…、なれど続けて田沼山城の若年寄への昇進人事までが強行されるとなりますると…」
「二つの人事には上様が大納言様が死の真相を探索らせる、その意思が込められていると申すか?」
「如何にも…、さればそれがしが奥右筆組頭のままでは探索に何かと差し障りがあり…」
確かにその通りであった。家基の死に実際に関与している者ともなれば、畢竟、西之丸にて家基に仕えていた者に絞られるであろう。
少なくとも将軍・家治はそう考えたに違いない。
そして探索の際には大前提として誰が家基に仕えていたかを把握する必要があり、そのためには西之丸にて家基に仕えていた者たちが克明に記録されている名簿を押さえる必要があり、この名簿だが、幕府の書記役とも言うべき表右筆が管理していた。
表右筆にしろ奥右筆にしろ、共に右筆…、事務職ではあるものの、実際には奥右筆の方が表右筆よりも遥かに権力があり、それゆえ本来ならば並列の関係にある筈の奥右筆と表右筆も実際には上下関係にあった。無論、奥右筆が上であり、表右筆が下であった。
そうであれば例え、将軍・家治が愛息・家基の死の真相を探索るべく、そのためには不可欠である家基に仕えていた者たちの名簿を表右筆に命じて差し出させようにも、奥右筆がそれを阻む恐れがあり得た。
いや、将軍よりの命ともあらば、如何に奥右筆組頭と雖も表右筆が将軍・家治に対して名簿を差し出すのを表立って阻むわけにはゆくまいが、それでもその前に名簿を改竄する程度の芸当なれば十分に可能であろう。
「待て。だとするならば、上様はそなたが大納言様の死に関与せしことに気づいていることになるのではあるまいか?」
そうでなければ喜八郎を棚上げしようなどと、そのような発想には至らないであろう。それどころか喜八郎に探索の協力を求める筈に違いない。
だが実際には喜八郎は奥右筆組頭から留守居番へと棚上げされ、仮に喜八郎の勘が正しいとして、即ち、家治が家基の死の真相を探索るつもりで、そのためにもまずは探索の障害になりそうな、いや、もっと言えば邪魔になりそうな奥右筆組頭の喜八郎を御側御用取次の横田準松とその子分の本郷泰行の両名を使嗾…、使って喜八郎のその棚上げ人事を強行したとするならば、それはとりもなおさず、家治が家基の死に喜八郎が関与していることに気づいていることに他ならなかった。
「また、奥右筆にしろ表右筆にしろ、御若年寄様がご支配にて…」
「そこで田沼山城めをも若年寄に加えようと…、上様は左様に思し召されてそれで…」
忠休は今までずっと、意知の若年寄への昇進人事は父・意次が望んだものと、そう信じて疑わなかった。
だがこうして喜八郎の話を聴くうちに、どうやらそうではないらしいと、思い始めた。
成程、意次という男はそれこそ、
「どこぞの馬の骨とも分からぬ、盗賊も同然の下賤なる成り上がり者…」
名族である忠休が最も毛嫌いする人種であるが、しかし、意次は息・意知とは違い、苦労人であるだけに少なくとも苦労知らずの意知以上に世事に長けており、そうであればそのような男がみすみす周囲の反撥、それも猛反撥を買うような息・意知の若年寄への昇進人事を望むとも思えなかった。
いや、ゆくゆくは意知を若年寄、更には老中へと進ませる腹積もりでいるのやも知れぬが、少なくとも今はまだその時ではない…、その程度のことが分からぬ意次とも思えなかった。
だとするならば意知を若年寄へと進ませるのを望んだのは他ならぬ将軍・家治自身であり、あの意次の拝辞は本物であったのだと、忠休はそう気づいた。
「実際に表右筆より名簿を差し出させます段とも相成れば、表右筆を支配されます御若年寄様を通じてと、相成るやも知れず、さればその過程においても或いは…」
名簿が改竄される…、若年寄の中にも名簿を改竄するような輩が潜んでいる…、それはとりもなおさず、
「若年寄の中にも家基の死に関与している者がいる…」
家治はそのことにも気づいているのではあるまいか…、もっと言えばそれが忠休であると、家治はそれにも気づいているのではあるまいかと、喜八郎は示唆したのであった。
一方、忠休も後ろめたいところがあるだけに、喜八郎のその示唆に直ぐに気づいて思わず呻き声を洩らした。
留守居番も奥右筆組頭も共に、従六位の布衣役であり、幕府内の序列で言えば留守居番の方が奥右筆組頭の上に位置するので、成程、「昇進」には違いない。
だが実際には喜八郎が自嘲してみせた通り、それは棚上げに他ならなかった。
奥右筆組頭は確かに、幕府内の序列で言えば留守居番の下に位置付けられてはいたものの、しかし、その権力たるや老中や若年寄を凌ぐものがあり、将軍の側近として老中からも恐れられている御側御用取次と同等のものがあった。
即ち、奥右筆組頭は老中や若年寄の政務を補佐するさしずめ、
「秘書官…」
であった。いや、補佐すると言うよりは事実上、奥右筆が決めていたと言っても差し支えないであろう。
確かに、老中や若年寄が政務を担う。が、細々とした先例などともなると老中や若年寄にも分からず、そこで例えば老中や若年寄が新規施策を行うことを決したとして、その際には必ずと言って良い程に、その新規施策が果たして先例に反していないかどうか、それを調べる必要があり、その時、頼りになるのが奥右筆であった。
老中や若年寄は奥右筆組頭を通じてそれぞれ専門の奥右筆に先例を調べさせるのであった。例えば、財政政策であれば勘定掛の奥右筆、公共事業であれば作事掛や普請掛といった具合にである。
それゆえ老中や若年寄が決した政策に対して奥右筆組頭が、
「先例に反している…」
或いは、
「先例にない…」
として「ノー」を突きつけることも屡であり、その場合には如何に老中や若年寄と雖も引き下がらざるを得なかった。奥右筆組頭が老中や若年寄をも凌ぐ権力者たる所以であり、それゆえ奥右筆組頭には大名家からの、
「付け届け…」
それが絶えず、常に進物の山で溢れ返っていたと言っても過言ではない。
それと言うのも大名が最も恐れる、
「御手伝…」
そう称される、大名持ち出しによる普請…、工事もまた奥右筆、それも組頭の意見に左右されるからだ。
今年はどこの大名家に工事をやらせるか、それを決めるのは一応、老中ではあるものの、実際には奥右筆組頭の正に、
「腹ひとつ…」
であり、そこで大名家では藩財政を直撃しかねない、いや、破綻に直結するその、
「御手伝」
を免れるべく、挙って、それも競うようにして奥右筆組頭に付け届けをすることになる。
逆に言えば、奥右筆組頭への付け届けを怠った、要は、
「ケチった…」
大名家に「御手伝」が命じられるという寸法だ。それも見せしめのために大工事が…。
或いはまた、大名の官位昇進も奥右筆組頭の意見に左右され、それゆえ官位昇進を望む大名はやはり奥右筆組頭に付け届けをすることになる。
それゆえ奥右筆組頭は幕府内の序列で言えば留守居番の下に位置付けられてはいるものの、実際にはここ表向における事実上の権力者であり、その権勢たるや、単なる閑職と断じて良い、留守居の補佐役に過ぎぬ留守居番などその足元にさえも及ばぬであろう。
現に、喜八郎が三月程前に奥右筆組頭から留守居番へと「昇進」…、とは名ばかりの実際には棚上げ人事が発令されるや、それまで正に、
「引きも切らなかった…」
その進物の山がピタリと止んだものであった。全く現金なものである。
ともあれ、喜八郎は己が奥右筆組頭から留守居番へと棚上げされたことが、今にして思えば将軍・家治が愛息・家基の死の真相を探索らせる謂わば、
「号砲…」
それではなかったかと、そう思えてならず、忠休に対してそのことを打ち明けたのであった。
「何ゆえにそなたを留守居番へと棚上げせしことが、上様が今は亡き大納言様が死の真相を探索らせることに繋がるのだ?」
忠休は首を傾げてみせた。
「されば一言で申し上げますならば、それがしが奥右筆組頭のままでは探索の邪魔になると、左様に思し召されたのではござりますまいか?」
「上様が、か?」
「如何にも…、さればそれがしの人事は御側御用取次の横田筑後が主導せしものにて…」
奥右筆組頭は幕府内の人事においてもやはり隠然たる力を発揮するが、それ以上に力を発揮するのが何と言っても将軍の側近である御側御用取次であった。
奥右筆組頭を通じて…、奥右筆組頭が事実上決めた人事を、老中が将軍へと上申、しかし、それを御側御用取次がひっくり返すことも決して皆無ではなかった。
まして人事権者でもある奥右筆組頭、その奥右筆組頭自身の人事ともなると、御側御用取次の手に委ねられており、喜八郎の場合もそうであった。
即ち、喜八郎を奥右筆組頭から今の留守居番へと棚上げしたのは…、そのような人事を主導したのは御側御用取次の横田筑後こと筑後守準松であり、それにその子分である本郷伊勢守が同調したために、ただ一人、稲葉越前守正明の反対にもかかわらず、この棚上げ人事が強行されたと、喜八郎は後日、正明よりそっと耳打ちされたものである。
「その時は横田筑後めの姦計…、単なる姦計に過ぎぬと、然様に看做しており申しましたが…、なれど続けて田沼山城の若年寄への昇進人事までが強行されるとなりますると…」
「二つの人事には上様が大納言様が死の真相を探索らせる、その意思が込められていると申すか?」
「如何にも…、さればそれがしが奥右筆組頭のままでは探索に何かと差し障りがあり…」
確かにその通りであった。家基の死に実際に関与している者ともなれば、畢竟、西之丸にて家基に仕えていた者に絞られるであろう。
少なくとも将軍・家治はそう考えたに違いない。
そして探索の際には大前提として誰が家基に仕えていたかを把握する必要があり、そのためには西之丸にて家基に仕えていた者たちが克明に記録されている名簿を押さえる必要があり、この名簿だが、幕府の書記役とも言うべき表右筆が管理していた。
表右筆にしろ奥右筆にしろ、共に右筆…、事務職ではあるものの、実際には奥右筆の方が表右筆よりも遥かに権力があり、それゆえ本来ならば並列の関係にある筈の奥右筆と表右筆も実際には上下関係にあった。無論、奥右筆が上であり、表右筆が下であった。
そうであれば例え、将軍・家治が愛息・家基の死の真相を探索るべく、そのためには不可欠である家基に仕えていた者たちの名簿を表右筆に命じて差し出させようにも、奥右筆がそれを阻む恐れがあり得た。
いや、将軍よりの命ともあらば、如何に奥右筆組頭と雖も表右筆が将軍・家治に対して名簿を差し出すのを表立って阻むわけにはゆくまいが、それでもその前に名簿を改竄する程度の芸当なれば十分に可能であろう。
「待て。だとするならば、上様はそなたが大納言様の死に関与せしことに気づいていることになるのではあるまいか?」
そうでなければ喜八郎を棚上げしようなどと、そのような発想には至らないであろう。それどころか喜八郎に探索の協力を求める筈に違いない。
だが実際には喜八郎は奥右筆組頭から留守居番へと棚上げされ、仮に喜八郎の勘が正しいとして、即ち、家治が家基の死の真相を探索るつもりで、そのためにもまずは探索の障害になりそうな、いや、もっと言えば邪魔になりそうな奥右筆組頭の喜八郎を御側御用取次の横田準松とその子分の本郷泰行の両名を使嗾…、使って喜八郎のその棚上げ人事を強行したとするならば、それはとりもなおさず、家治が家基の死に喜八郎が関与していることに気づいていることに他ならなかった。
「また、奥右筆にしろ表右筆にしろ、御若年寄様がご支配にて…」
「そこで田沼山城めをも若年寄に加えようと…、上様は左様に思し召されてそれで…」
忠休は今までずっと、意知の若年寄への昇進人事は父・意次が望んだものと、そう信じて疑わなかった。
だがこうして喜八郎の話を聴くうちに、どうやらそうではないらしいと、思い始めた。
成程、意次という男はそれこそ、
「どこぞの馬の骨とも分からぬ、盗賊も同然の下賤なる成り上がり者…」
名族である忠休が最も毛嫌いする人種であるが、しかし、意次は息・意知とは違い、苦労人であるだけに少なくとも苦労知らずの意知以上に世事に長けており、そうであればそのような男がみすみす周囲の反撥、それも猛反撥を買うような息・意知の若年寄への昇進人事を望むとも思えなかった。
いや、ゆくゆくは意知を若年寄、更には老中へと進ませる腹積もりでいるのやも知れぬが、少なくとも今はまだその時ではない…、その程度のことが分からぬ意次とも思えなかった。
だとするならば意知を若年寄へと進ませるのを望んだのは他ならぬ将軍・家治自身であり、あの意次の拝辞は本物であったのだと、忠休はそう気づいた。
「実際に表右筆より名簿を差し出させます段とも相成れば、表右筆を支配されます御若年寄様を通じてと、相成るやも知れず、さればその過程においても或いは…」
名簿が改竄される…、若年寄の中にも名簿を改竄するような輩が潜んでいる…、それはとりもなおさず、
「若年寄の中にも家基の死に関与している者がいる…」
家治はそのことにも気づいているのではあるまいか…、もっと言えばそれが忠休であると、家治はそれにも気づいているのではあるまいかと、喜八郎は示唆したのであった。
一方、忠休も後ろめたいところがあるだけに、喜八郎のその示唆に直ぐに気づいて思わず呻き声を洩らした。
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