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罠、そして大詰め
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【午後8時50分】
高橋査察管理課長との話し合いが一段落ついたところで、押田部長は立ち上がると、テレビのリモコンに手を伸ばし、そしてテレビをつけた。
テレビ画面には高島平警察署の映像が映し出された。と思ったらすぐにニューススタジオの映像に切り替わった。ニューススタジオのセットからして、何よりこの時間、このキャスターからしてNHKの首都圏ニュース845であるのは明らかであった。
『…繰り返しお伝えします。昨日、都の迷惑防止条例違反、痴漢の疑いで逮捕されました検察事務官の浅井光一さんが間もなく釈放されます。いわゆる痴漢冤罪の疑いがあることが東京地検特捜部の調べによって判明しました』
明らかに押田部長によるリークの賜物であろう。
『…この痴漢冤罪事件では既に、警視庁警備部、警護管理係長の田島康裕容疑者と会社員の草壁忍容疑者の両名がそれぞれ虚偽告訴の共謀共同正犯の容疑で東京地検特捜部によって逮捕されました。また当初、痴漢の被害者を装っていた草壁忍の供述調書を偽造した公文書偽造の容疑で高島平警察署の刑事組織犯罪対策課強行犯係の巡査部長、青木文夫容疑者も東京地検特捜部によって逮捕されました。なお、関係者からの情報によりますと青木容疑者の逮捕の際に刑事組織犯罪対策課長の石田正範容疑者も逮捕を妨害しようとした公務執行妨害の容疑で現行犯逮捕されました』
関係者が押田部長であるのは明らかであった。
やがて時刻が午後8時55分になると打ち合わせ通り、大川検事と中川事務官が浅井事務官を真ん中に挟んで署の玄関前から出て来た。それと同時に既に、署の前で生垣を作っていたマスコミ陣から一斉にフラッシュが焚かれた。
すると押田部長はTBSにチャンネルを合わせた。TBSでは午後8時55分からJNNフラッシュニュースが流れる。案の定、そのJNNフラッシュニュースでも高島平警察署の生中継の映像が流れた。
押田部長は思惑通り、NHKとTBSで特捜リークが流れたことで実に満足気な様子を浮かべた。
そして押田部長は高橋査察管理課長の存在に気付いたからでもないだろうが、テレビを消すと再び、俺の隣に座って高橋査察管理課長と向かい合った。
「失礼いたしました…」
押田部長は再び、高橋査察管理課長と向かい合うなりそう詫びの言葉を述べて頭を下げてみせた。それに対して高橋査察管理課長も、「いえ…」と応じて会釈した。
「この後、ここに浅井事務官が移送されてくる予定でして…」
押田部長は高橋査察管理課長にそんなことを告げて俺を驚かせた。
「官舎にでも送るんじゃないんですか?」
俺が尋ねると押田部長は頭を振った。
「浅井事務官には色々と聞かねばならないことが山ほどあるからな…」
「ああ…、藤川の横領の件ですね?」
「そうだ。さらに詳細に浅井事務官の供述を詰めた上で藤川の逮捕状を請求するつもりだ」
「それは…、少し待ってはもらえませんかねぇ…」
俺が急にそんなことを言い出したので、今度は押田部長が驚かされる番であった。まさかこの段になって変心でもするつもりかと、押田部長は今にもそう言いたげな表情を俺に向けて来た。
「いえね、このまま単なる横領で済ますのはいかにも勿体無いかな…、と思いましてね…」
俺は決して変心したわけではないと、そうアピールすべく意味ありげにそう告げた。
するとそれが押田部長にも通じたらしく、表情を一転、興味深げなものへと変わり、「どういうことだ?」といかにも興味津々といった体で尋ねた。
「マルサ…、高橋課長から藤川へと、マンションの購入について尋ねてもらう、なんてのはどうでしょうか…」
俺がそう言うと、高橋査察管理課長までが興味深そうな表情となった。
「マンションの購入の経緯について…、つまりは金の出処について尋ねろと?」
「ぶっちゃけそういうことです」
「それで?」
押田部長がうながした。
「藤川としては勿論、それが…、マンション購入費が調査活動費を横領して作った金だ、などとは口が裂けても言えないでしょうから、適当な口実をつけて…、まぁ、田島のように競馬で得た金だ、なんて下世話な言い逃れはしないでしょうが、ともあれ適当な口実をつけて逃れようとするはずです」
「そうだろうな」
「で、そこで高橋課長には…、まぁ、俺がわざわざ頼むまでもないですけど、そんな適当な口実を許さずに、マンションの購入費、6000万でしたっけ?それを雑所得とみなし、最高税率の55パーを徴収すると脅してくれませんか?つまり3300万ですか…」
「藤川はさぞかし仰天するだろうな…」
押田部長は実に愉快げな口調であった。
「ええ。そして高橋課長には追い討ちをかけて欲しいんですよ…」
「追い討ち?」
「ええ。実はマルサでは内々に、藤川を調査しており、その金…、マンションの購入費は実は検察の金を…、調査活動費とあんまりはっきりと指摘してしまうのはどうかと思いますから、ここは検察の金とぼかして…、で、その検察の金を着服したのではないか、とそんな噂を把握しており、仮に税金を納めていただけない場合には検察に尋ねても良いかと、そう脅してください」
「藤川は何としてでも納税しようとするだろうな…」
「でしょうね。ですが今の藤川は今まで通りの生活を維持するだけで精一杯…、まさか未だに調査活動費を懲りずに着服しているとも思えませんから…」
「だとしたら納税するにも一苦労ではないか…」
「ええ。ですからここは国見たちを頼るのではないかと…」
俺がそう示唆すると、俺の言わんとするところに押田部長も高橋査察管理課長もようやく気付いたらしい。
「まさか…、国見たちと藤川を贈収賄で嵌めようってか?」
「その通りです。藤川は自分の横領を見逃してもらうために、カジノ利権を検察から警察へと渡し、そして今、マルサにも自分の横領が嗅ぎ付けられそうになり、これを表沙汰にしないためには3300万もの納税が必要…、となれば3300万もの納税の必要性に迫られた藤川は何としてでも金を掻き集めるべく、しかし、まさか懲りずに調査活動費に手をつけるわけにもゆかず、そこで国見たちを、いえ、最初は国見を頼ろうとするはずです。何しろ国見はカジノ管理委員会委員長ポストに座れたわけですから、自分の横領のおかげで…」
「うむ」
「そうであれば藤川は国見に対してカジノ管理委員会委員長ポストの謝礼として3300万を肩代わりしてくれても良いじゃないかと泣き付き、それに対して国見もそれならと、3300万をくれてやる…、この場合、贈収賄が成立すると思うんですが、どうでしょう…」
一応、俺は法学部卒だが、それでも法律の専門家ではないので、果たして贈収賄が適用されるのか分からなかったものの、それでもものはためしとばかり押田部長に提案したのだ。
それに対して押田部長は、「なる」と即答してくれた。
「だが…、国見に関して言えば、脅されてやむなく金を出したと、そう言い逃れるかも知れない」
押田部長はそうも付け加えた。
「それでも…、その場合でも藤川には横領容疑に加えて恐喝容疑も加わるわけですから、悪い話じゃないでしょう。特捜部にとっては…」
俺がそう水を向けると、「それもそうだな…」と押田部長は応じ、そして、
「高橋さん、使いっ走りをさせるようで申し訳ないが…」
そう切り出した。すると高橋査察管理課長は押田部長に皆まで言わせなかった。
「分かっておりますよ。今夜にでも藤川のマンションを急襲して…、藤川は恐らくその愛人との密会用のマンションに入り浸っているでしょうから、そこを急襲して、マンションの購入費を突いてみますよ」
「今夜っ!?」
俺はさすがに驚いた。てっきり早くても明日だろうと思っていたからだ。
すると高橋査察管理課長はそんな俺の思いを察したかのように、「こういうことはスピードが大事ですから」と答えた。
「よろしくお願い致します」
押田部長が頭を下げたので、言いだしっぺの俺も勿論、頭を下げた。それも押田部長以上に。
それから押田部長は藤川のマンション…、愛人との密会用のマンションの所在地と、それに念のためにと、藤川の住まう官舎の住所についても高橋査察管理課長に教え、高橋査察管理課長はそれを手帳に書き留めると、
「それではこれで…」
意気揚々、特捜部長室をあとにした。
【午後9時49分】
浅井事務官が中川事務官の運転する車でここ霞ヶ関にある東京地検へと移送されてくると、それをマスコミ各社は車やバイク、果てはヘリまで飛ばして追いかけさせる始末であった。
浅井事務官を乗せた車が東京地検の門を潜ると、追いかけて来たマスコミ陣も地検前に殺到した。それだけ今回のこの痴漢冤罪事件をマスコミが注視している証とも言えた。
ともあれこのままマスコミ陣を地検前にたむろさせておくわけにはいかないので、押田部長は明日の午後7時頃に記者会見をする旨、総務部の検察広報官を通じて地検前にたむろするマスコミ陣に対して発表し、マスコミ陣にはひとまずお引取りを願った。マスコミ陣にしても既に、高島平警察署の前で絵となる素材は十分すぎるほど撮れた。それというのも、午後8時50分に高島平警察署より釈放された浅井事務官を、迎えに来た大川検事と中川事務官がそれこそ、
「心ゆくまで…」
高島平警察署の前にたむろしていたマスコミ陣に撮らせたからであった。だからマスコミ陣としてもとりあえず、今夜のところは検察の求めに応じて引き下がったのである。それに何より、今回の痴漢冤罪事件では検察側…、浅井事務官はあくまで被害者であり、それゆえマスコミ陣としても今度は加害者である警察側…、警視庁本部へと押しかけるべく、地検前をあとにすると、桜田門へと殺到したのであった。加害者である警察側…、警視庁本部としては被害者である検察側のように、明日記者会見するから引き取ってくれと、そんな方便ではそう簡単にはマスコミ陣は引き下がらないであろう。
【午後9時59分】
すっかりマスコミ陣の影が消え、再び元の静けさを取り戻した地検前に田林主任検事一行を乗せたワゴン車が滑り込み、そのまま一気に地検庁舎内へと消えた。
それから田林主任検事一行…、田林主任検事と徳間事務官、志貴と村野事務官は特捜部長室へと直行した。
「おお、どうだった?」
押田部長は田林主任検事たちが戻って来るなり、首尾を尋ねた。
それに対して田林主任検事が、「大釣果ですよ」と答えた。
「そうか」
押田部長は大きくうなずくと、詳しい説明を求め、それに対して田林主任検事はその役を志貴に譲った。
「やはり田島はあの、草壁忍を住まわせたアパート…、コーポ板橋にもう一室、草壁忍にも内緒で借りておりました」
「それじゃあその部屋に証拠品が?」
「ええ。と申しても、田島自身が証拠品を隠したわけではありません」
「と言うと?」
「田島が草壁忍に内緒で借りた部屋は101号室でして、草壁忍が住む102号室のすぐ隣の部屋です」
「それで?」
「その部屋…、101号室ですが、心理的瑕疵物件でした」
「しんりてきかしぶっけん?何だ?そりゃ…」
俺は堪らずに口を挟んだ。すると志貴は嫌な顔を見せずに教えてくれた。
「いわゆる事故物件、要はそこで自殺や殺しがあった物件だな」
「なるほど、で101号室では…」
「自殺があり、大家としても貸すに貸せずに困っていたそうです…」
「そこに田島が目をつけたと?」
「ええ。あのコーポ板橋は先述しました通り、不動産会社を介さずに直に、管理人を兼ねる大家との契約という形式を取っておりまして、しかし、そのアパートの101号室で自殺があったことはもう既に、周囲の知るところであり、誰も住まずで、大家も困っていたそうです…」
「自殺が発生したのは勿論、4年以上前だよな?草壁忍にそのアパートの、102号室を世話してやった4年よりも前ってことだよな?」
俺が確かめるように尋ねると、志貴は「ああ」とうなずいた。
「なら…、その自殺があった時はまだ、田島は高島平警察署に勤務しており、だからそこで自殺があったことも把握していた…、田島はその後、大友グループの御曹司の馬鹿孫がしでかした殺人事件を隠蔽してやり、その証拠である、すなわち大友グループを脅すネタの隠し場所として、その自殺が発生した101号室が最適だと考え、そこへ女子少年院を退院した草壁忍がてめぇの元に頼って来たので、田島はさも草壁忍のために部屋を見つけてやった風を装い、その実、その脅しのネタを隠す場所を確保した…、そういうことじゃね?」
俺がそう推測を並べ立てると、「俺もそう思う」と志貴は同意した。
「ところで…、田島自身が証拠品を隠したわけではない…、って話だったけど?」
俺は思い出すように尋ねた。
「ああ。田島はまず、大家の元に…、管理人を兼ねているだけあって、その大家は203号室に住んでいるんだが、その大家のところにまずネタを…、脅しのネタを宅急便で届け、そしてそれを…、脅しのネタを受け取った大家が田島が草壁忍にも内緒で借り受けた101号室に運んだんだよ」
「やはり公安を恐れてのことか?」
俺がそう尋ねると、志貴は頭を振った。
「いや、その時点での脅しのネタはあくまで大友グループに関することで…、大友グループの御曹司の馬鹿孫の殺人の証拠であり、公安に狙われる恐れはないだろう…」
志貴にそう言われて、俺は時系列を思い出した。すなわち、先に大友グループの件があり、その後に警視総監の小山の件があることに。
「そうだったな…、だが公安に狙われる心配はまだなかったとしても、大友グループから狙われる恐れがあるかも知れないと、それを案じた田島は念には念を入れて、そんな七面倒くさい方法で脅しのネタを隠したと、そういうわけか?」
俺がそう尋ねると、志貴は今度はうなずいた。
「それにしても大家もよくそんなわけの分からないことに協力したなぁ…」
俺がそんな感想を洩らすと、「それにも事情があるんだよ」との志貴の返答が聞かれた。
「事情?」
「ああ。さっきも言ったが、あの101号室は心理的瑕疵物件なんだよ」
「そういう話だったな…、自殺があったと…」
「ああ。しかも周囲にもそれがバレちまった、となればその部屋には借り手がよりつかない…」
「なるほど…、さしずめ田島は心理的瑕疵物件を承知の上で、店賃も今まで通り支払うから…、そんな好条件を大家に持ちかけたんだろ?」
俺がそう勘を働かせると、「その通り」と志貴は答えた。
「なぁる…、そういう事情があれば大家としても、その田島からの頼みとあらば、例えそれがわけのわからないものだとしても応じないわけにはいかないと、そういうことか…」
「ああ。大家もそのように供述したよ…」
「大家は何もかも語ってくれたのか?いや、だからこそこうして報告してくれているわけだろうが…」
「ああ。最初は俺たちの突然の訪問に大家も驚いたが、田島が逮捕されたとあらば、もうこれまで通りの家賃も見込めないだろう、なんてそんなことをブツブツ言っては、何もかも語ってくれたんだよ」
志貴の語るその大家のあまりにも現金な態度に俺は苦笑を禁じ得ず、それは押田部長にしても同様で、やれやれといった顔付きであった。
高橋査察管理課長との話し合いが一段落ついたところで、押田部長は立ち上がると、テレビのリモコンに手を伸ばし、そしてテレビをつけた。
テレビ画面には高島平警察署の映像が映し出された。と思ったらすぐにニューススタジオの映像に切り替わった。ニューススタジオのセットからして、何よりこの時間、このキャスターからしてNHKの首都圏ニュース845であるのは明らかであった。
『…繰り返しお伝えします。昨日、都の迷惑防止条例違反、痴漢の疑いで逮捕されました検察事務官の浅井光一さんが間もなく釈放されます。いわゆる痴漢冤罪の疑いがあることが東京地検特捜部の調べによって判明しました』
明らかに押田部長によるリークの賜物であろう。
『…この痴漢冤罪事件では既に、警視庁警備部、警護管理係長の田島康裕容疑者と会社員の草壁忍容疑者の両名がそれぞれ虚偽告訴の共謀共同正犯の容疑で東京地検特捜部によって逮捕されました。また当初、痴漢の被害者を装っていた草壁忍の供述調書を偽造した公文書偽造の容疑で高島平警察署の刑事組織犯罪対策課強行犯係の巡査部長、青木文夫容疑者も東京地検特捜部によって逮捕されました。なお、関係者からの情報によりますと青木容疑者の逮捕の際に刑事組織犯罪対策課長の石田正範容疑者も逮捕を妨害しようとした公務執行妨害の容疑で現行犯逮捕されました』
関係者が押田部長であるのは明らかであった。
やがて時刻が午後8時55分になると打ち合わせ通り、大川検事と中川事務官が浅井事務官を真ん中に挟んで署の玄関前から出て来た。それと同時に既に、署の前で生垣を作っていたマスコミ陣から一斉にフラッシュが焚かれた。
すると押田部長はTBSにチャンネルを合わせた。TBSでは午後8時55分からJNNフラッシュニュースが流れる。案の定、そのJNNフラッシュニュースでも高島平警察署の生中継の映像が流れた。
押田部長は思惑通り、NHKとTBSで特捜リークが流れたことで実に満足気な様子を浮かべた。
そして押田部長は高橋査察管理課長の存在に気付いたからでもないだろうが、テレビを消すと再び、俺の隣に座って高橋査察管理課長と向かい合った。
「失礼いたしました…」
押田部長は再び、高橋査察管理課長と向かい合うなりそう詫びの言葉を述べて頭を下げてみせた。それに対して高橋査察管理課長も、「いえ…」と応じて会釈した。
「この後、ここに浅井事務官が移送されてくる予定でして…」
押田部長は高橋査察管理課長にそんなことを告げて俺を驚かせた。
「官舎にでも送るんじゃないんですか?」
俺が尋ねると押田部長は頭を振った。
「浅井事務官には色々と聞かねばならないことが山ほどあるからな…」
「ああ…、藤川の横領の件ですね?」
「そうだ。さらに詳細に浅井事務官の供述を詰めた上で藤川の逮捕状を請求するつもりだ」
「それは…、少し待ってはもらえませんかねぇ…」
俺が急にそんなことを言い出したので、今度は押田部長が驚かされる番であった。まさかこの段になって変心でもするつもりかと、押田部長は今にもそう言いたげな表情を俺に向けて来た。
「いえね、このまま単なる横領で済ますのはいかにも勿体無いかな…、と思いましてね…」
俺は決して変心したわけではないと、そうアピールすべく意味ありげにそう告げた。
するとそれが押田部長にも通じたらしく、表情を一転、興味深げなものへと変わり、「どういうことだ?」といかにも興味津々といった体で尋ねた。
「マルサ…、高橋課長から藤川へと、マンションの購入について尋ねてもらう、なんてのはどうでしょうか…」
俺がそう言うと、高橋査察管理課長までが興味深そうな表情となった。
「マンションの購入の経緯について…、つまりは金の出処について尋ねろと?」
「ぶっちゃけそういうことです」
「それで?」
押田部長がうながした。
「藤川としては勿論、それが…、マンション購入費が調査活動費を横領して作った金だ、などとは口が裂けても言えないでしょうから、適当な口実をつけて…、まぁ、田島のように競馬で得た金だ、なんて下世話な言い逃れはしないでしょうが、ともあれ適当な口実をつけて逃れようとするはずです」
「そうだろうな」
「で、そこで高橋課長には…、まぁ、俺がわざわざ頼むまでもないですけど、そんな適当な口実を許さずに、マンションの購入費、6000万でしたっけ?それを雑所得とみなし、最高税率の55パーを徴収すると脅してくれませんか?つまり3300万ですか…」
「藤川はさぞかし仰天するだろうな…」
押田部長は実に愉快げな口調であった。
「ええ。そして高橋課長には追い討ちをかけて欲しいんですよ…」
「追い討ち?」
「ええ。実はマルサでは内々に、藤川を調査しており、その金…、マンションの購入費は実は検察の金を…、調査活動費とあんまりはっきりと指摘してしまうのはどうかと思いますから、ここは検察の金とぼかして…、で、その検察の金を着服したのではないか、とそんな噂を把握しており、仮に税金を納めていただけない場合には検察に尋ねても良いかと、そう脅してください」
「藤川は何としてでも納税しようとするだろうな…」
「でしょうね。ですが今の藤川は今まで通りの生活を維持するだけで精一杯…、まさか未だに調査活動費を懲りずに着服しているとも思えませんから…」
「だとしたら納税するにも一苦労ではないか…」
「ええ。ですからここは国見たちを頼るのではないかと…」
俺がそう示唆すると、俺の言わんとするところに押田部長も高橋査察管理課長もようやく気付いたらしい。
「まさか…、国見たちと藤川を贈収賄で嵌めようってか?」
「その通りです。藤川は自分の横領を見逃してもらうために、カジノ利権を検察から警察へと渡し、そして今、マルサにも自分の横領が嗅ぎ付けられそうになり、これを表沙汰にしないためには3300万もの納税が必要…、となれば3300万もの納税の必要性に迫られた藤川は何としてでも金を掻き集めるべく、しかし、まさか懲りずに調査活動費に手をつけるわけにもゆかず、そこで国見たちを、いえ、最初は国見を頼ろうとするはずです。何しろ国見はカジノ管理委員会委員長ポストに座れたわけですから、自分の横領のおかげで…」
「うむ」
「そうであれば藤川は国見に対してカジノ管理委員会委員長ポストの謝礼として3300万を肩代わりしてくれても良いじゃないかと泣き付き、それに対して国見もそれならと、3300万をくれてやる…、この場合、贈収賄が成立すると思うんですが、どうでしょう…」
一応、俺は法学部卒だが、それでも法律の専門家ではないので、果たして贈収賄が適用されるのか分からなかったものの、それでもものはためしとばかり押田部長に提案したのだ。
それに対して押田部長は、「なる」と即答してくれた。
「だが…、国見に関して言えば、脅されてやむなく金を出したと、そう言い逃れるかも知れない」
押田部長はそうも付け加えた。
「それでも…、その場合でも藤川には横領容疑に加えて恐喝容疑も加わるわけですから、悪い話じゃないでしょう。特捜部にとっては…」
俺がそう水を向けると、「それもそうだな…」と押田部長は応じ、そして、
「高橋さん、使いっ走りをさせるようで申し訳ないが…」
そう切り出した。すると高橋査察管理課長は押田部長に皆まで言わせなかった。
「分かっておりますよ。今夜にでも藤川のマンションを急襲して…、藤川は恐らくその愛人との密会用のマンションに入り浸っているでしょうから、そこを急襲して、マンションの購入費を突いてみますよ」
「今夜っ!?」
俺はさすがに驚いた。てっきり早くても明日だろうと思っていたからだ。
すると高橋査察管理課長はそんな俺の思いを察したかのように、「こういうことはスピードが大事ですから」と答えた。
「よろしくお願い致します」
押田部長が頭を下げたので、言いだしっぺの俺も勿論、頭を下げた。それも押田部長以上に。
それから押田部長は藤川のマンション…、愛人との密会用のマンションの所在地と、それに念のためにと、藤川の住まう官舎の住所についても高橋査察管理課長に教え、高橋査察管理課長はそれを手帳に書き留めると、
「それではこれで…」
意気揚々、特捜部長室をあとにした。
【午後9時49分】
浅井事務官が中川事務官の運転する車でここ霞ヶ関にある東京地検へと移送されてくると、それをマスコミ各社は車やバイク、果てはヘリまで飛ばして追いかけさせる始末であった。
浅井事務官を乗せた車が東京地検の門を潜ると、追いかけて来たマスコミ陣も地検前に殺到した。それだけ今回のこの痴漢冤罪事件をマスコミが注視している証とも言えた。
ともあれこのままマスコミ陣を地検前にたむろさせておくわけにはいかないので、押田部長は明日の午後7時頃に記者会見をする旨、総務部の検察広報官を通じて地検前にたむろするマスコミ陣に対して発表し、マスコミ陣にはひとまずお引取りを願った。マスコミ陣にしても既に、高島平警察署の前で絵となる素材は十分すぎるほど撮れた。それというのも、午後8時50分に高島平警察署より釈放された浅井事務官を、迎えに来た大川検事と中川事務官がそれこそ、
「心ゆくまで…」
高島平警察署の前にたむろしていたマスコミ陣に撮らせたからであった。だからマスコミ陣としてもとりあえず、今夜のところは検察の求めに応じて引き下がったのである。それに何より、今回の痴漢冤罪事件では検察側…、浅井事務官はあくまで被害者であり、それゆえマスコミ陣としても今度は加害者である警察側…、警視庁本部へと押しかけるべく、地検前をあとにすると、桜田門へと殺到したのであった。加害者である警察側…、警視庁本部としては被害者である検察側のように、明日記者会見するから引き取ってくれと、そんな方便ではそう簡単にはマスコミ陣は引き下がらないであろう。
【午後9時59分】
すっかりマスコミ陣の影が消え、再び元の静けさを取り戻した地検前に田林主任検事一行を乗せたワゴン車が滑り込み、そのまま一気に地検庁舎内へと消えた。
それから田林主任検事一行…、田林主任検事と徳間事務官、志貴と村野事務官は特捜部長室へと直行した。
「おお、どうだった?」
押田部長は田林主任検事たちが戻って来るなり、首尾を尋ねた。
それに対して田林主任検事が、「大釣果ですよ」と答えた。
「そうか」
押田部長は大きくうなずくと、詳しい説明を求め、それに対して田林主任検事はその役を志貴に譲った。
「やはり田島はあの、草壁忍を住まわせたアパート…、コーポ板橋にもう一室、草壁忍にも内緒で借りておりました」
「それじゃあその部屋に証拠品が?」
「ええ。と申しても、田島自身が証拠品を隠したわけではありません」
「と言うと?」
「田島が草壁忍に内緒で借りた部屋は101号室でして、草壁忍が住む102号室のすぐ隣の部屋です」
「それで?」
「その部屋…、101号室ですが、心理的瑕疵物件でした」
「しんりてきかしぶっけん?何だ?そりゃ…」
俺は堪らずに口を挟んだ。すると志貴は嫌な顔を見せずに教えてくれた。
「いわゆる事故物件、要はそこで自殺や殺しがあった物件だな」
「なるほど、で101号室では…」
「自殺があり、大家としても貸すに貸せずに困っていたそうです…」
「そこに田島が目をつけたと?」
「ええ。あのコーポ板橋は先述しました通り、不動産会社を介さずに直に、管理人を兼ねる大家との契約という形式を取っておりまして、しかし、そのアパートの101号室で自殺があったことはもう既に、周囲の知るところであり、誰も住まずで、大家も困っていたそうです…」
「自殺が発生したのは勿論、4年以上前だよな?草壁忍にそのアパートの、102号室を世話してやった4年よりも前ってことだよな?」
俺が確かめるように尋ねると、志貴は「ああ」とうなずいた。
「なら…、その自殺があった時はまだ、田島は高島平警察署に勤務しており、だからそこで自殺があったことも把握していた…、田島はその後、大友グループの御曹司の馬鹿孫がしでかした殺人事件を隠蔽してやり、その証拠である、すなわち大友グループを脅すネタの隠し場所として、その自殺が発生した101号室が最適だと考え、そこへ女子少年院を退院した草壁忍がてめぇの元に頼って来たので、田島はさも草壁忍のために部屋を見つけてやった風を装い、その実、その脅しのネタを隠す場所を確保した…、そういうことじゃね?」
俺がそう推測を並べ立てると、「俺もそう思う」と志貴は同意した。
「ところで…、田島自身が証拠品を隠したわけではない…、って話だったけど?」
俺は思い出すように尋ねた。
「ああ。田島はまず、大家の元に…、管理人を兼ねているだけあって、その大家は203号室に住んでいるんだが、その大家のところにまずネタを…、脅しのネタを宅急便で届け、そしてそれを…、脅しのネタを受け取った大家が田島が草壁忍にも内緒で借り受けた101号室に運んだんだよ」
「やはり公安を恐れてのことか?」
俺がそう尋ねると、志貴は頭を振った。
「いや、その時点での脅しのネタはあくまで大友グループに関することで…、大友グループの御曹司の馬鹿孫の殺人の証拠であり、公安に狙われる恐れはないだろう…」
志貴にそう言われて、俺は時系列を思い出した。すなわち、先に大友グループの件があり、その後に警視総監の小山の件があることに。
「そうだったな…、だが公安に狙われる心配はまだなかったとしても、大友グループから狙われる恐れがあるかも知れないと、それを案じた田島は念には念を入れて、そんな七面倒くさい方法で脅しのネタを隠したと、そういうわけか?」
俺がそう尋ねると、志貴は今度はうなずいた。
「それにしても大家もよくそんなわけの分からないことに協力したなぁ…」
俺がそんな感想を洩らすと、「それにも事情があるんだよ」との志貴の返答が聞かれた。
「事情?」
「ああ。さっきも言ったが、あの101号室は心理的瑕疵物件なんだよ」
「そういう話だったな…、自殺があったと…」
「ああ。しかも周囲にもそれがバレちまった、となればその部屋には借り手がよりつかない…」
「なるほど…、さしずめ田島は心理的瑕疵物件を承知の上で、店賃も今まで通り支払うから…、そんな好条件を大家に持ちかけたんだろ?」
俺がそう勘を働かせると、「その通り」と志貴は答えた。
「なぁる…、そういう事情があれば大家としても、その田島からの頼みとあらば、例えそれがわけのわからないものだとしても応じないわけにはいかないと、そういうことか…」
「ああ。大家もそのように供述したよ…」
「大家は何もかも語ってくれたのか?いや、だからこそこうして報告してくれているわけだろうが…」
「ああ。最初は俺たちの突然の訪問に大家も驚いたが、田島が逮捕されたとあらば、もうこれまで通りの家賃も見込めないだろう、なんてそんなことをブツブツ言っては、何もかも語ってくれたんだよ」
志貴の語るその大家のあまりにも現金な態度に俺は苦笑を禁じ得ず、それは押田部長にしても同様で、やれやれといった顔付きであった。
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キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
復讐の旋律
北川 悠
ミステリー
昨年、特別賞を頂きました【嗜食】は現在、非公開とさせていただいておりますが、改稿を加え、近いうち再搭載させていただきますので、よろしくお願いします。
復讐の旋律 あらすじ
田代香苗の目の前で、彼女の元恋人で無職のチンピラ、入谷健吾が無残に殺されるという事件が起きる。犯人からの通報によって田代は保護され、警察病院に入院した。
県警本部の北川警部が率いるチームが、その事件を担当するが、圧力がかかって捜査本部は解散。そんな時、川島という医師が、田代香苗の元同級生である三枝京子を連れて、面会にやってくる。
事件に進展がないまま、時が過ぎていくが、ある暴力団組長からホワイト興産という、謎の団体の噂を聞く。犯人は誰なのか? ホワイト興産とははたして何者なのか?
まあ、なんというか古典的な復讐ミステリーです……
よかったら読んでみてください。
ペルソナ・ハイスクール
回転饅頭。
ミステリー
私立加々谷橋高校
市内有数の進学校であるその学校は、かつてイジメによる自殺者が出ていた。
組織的なイジメを行う加害者グループ
真相を探る被害者保護者達
真相を揉み消そうとする教師グループ
進学校に潜む闇を巡る三つ巴の戦いが始まる。
死後の世界が科学的に証明された世界で。
智恵 理侘
ミステリー
二〇二五年九月七日。日本の研究者・橘紀之氏により、死後の世界――天国が科学的に証明された。
天国と繋がる事のできる装置――天国交信装置が発表されたのだ。その装置は世界中に広がりを見せた。
天国交信装置は天国と繋がった時点で、言葉に出来ないほどの開放感と快感を得られ、天国にいる者達との会話も可能である。亡くなった親しい友人や家族を呼ぶ者もいれば、中には過去の偉人を呼び出したり、宗教で名立たる者を呼んで話を聞いた者もいたもののいずれも彼らはその後に、自殺している。
世界中で自殺という死の連鎖が広がりつつあった。各国の政府は早々に動き出し、天国教団と名乗る団体との衝突も見られた。
この事件は天国事件と呼ばれ、その日から世界での最も多い死因は自殺となった。
そんな中、日本では特務という天国関連について担当する組織が実に早い段階で結成された。
事件から四年後、特務に所属する多比良圭介は部下と共にとある集団自殺事件の現場へと出向いた。
その現場で『heaven』という文字を発見し、天国交信装置にも同じ文字が書かれていた事から、彼は平輪市で何かが起きる気配を感じる。
すると現場の近くでは不審人物が保護されたとの報告がされる。その人物は、天国事件以降、否定される存在となった霊能力者であった。彼女曰く、集団自殺事件がこの近くで起こり、その幽霊が見えるという――
四次元残響の檻(おり)
葉羽
ミステリー
音響学の権威である変わり者の学者、阿座河燐太郎(あざかわ りんたろう)博士が、古びた洋館を改装した音響研究所の地下実験室で謎の死を遂げた。密室状態の実験室から博士の身体は消失し、物証は一切残されていない。警察は超常現象として捜査を打ち切ろうとするが、事件の報を聞きつけた神藤葉羽は、そこに論理的なトリックが隠されていると確信する。葉羽は、幼馴染の望月彩由美と共に、奇妙な音響装置が残された地下実験室を訪れる。そこで葉羽は、博士が四次元空間と共鳴現象を利用した前代未聞の殺人トリックを仕掛けた可能性に気づく。しかし、謎を解き明かそうとする葉羽と彩由美の周囲で、不可解な現象が次々と発生し、二人は見えない恐怖に追い詰められていく。四次元残響が引き起こす恐怖と、天才高校生・葉羽の推理が交錯する中、事件は想像を絶する結末へと向かっていく。
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
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