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いわゆる痴漢被害者の草壁忍への訊問 2

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「それじゃあ聞かせてもらおうじゃねぇか…、痴漢冤罪の根拠をな…」

 草壁忍は折り畳み式の座卓を前にしてあぐらをかくと、座卓越しに居並ぶ俺たちに男言葉で尋ねた。無論、茶が振舞われることもなかった。

「根拠は他でもありません、あなたが東上線車内で被害に遭われた、ということです」

 志貴が口火を切った。

「それが何だっつうんだよっ!」

「あなたは高島平警察署で行われた聴取に対してこう供述されていますね。帰宅途中の小川町行きの急行列車内の中で痴漢の被害にあった、と…」

 志貴は被害者・草壁忍の供述調書をメモしたページを繰りながらそう言った。

「そっ、それが何だっつうんだよっ!ってか何で俺の調書の中身を知ってんだ?」

 俺ときたよ…、俺は心底、呆れた。それは志貴も同じであっただろうが、志貴は俺とは違って顔には出さずに淡々と説明した。

「無論、あなたの事件を取り扱った高島平警察署に問い合わせた結果です。私が自ら、問い合わせた結果、高島平警察署より被害者供述調書…、すなわちあなたの調書を開示してもらった結果です。ちなみに住所もその調書に明記されていたためにこうしてうかがった次第でして…、嘘だとお思いならどうぞ、高島平警察署に問い合わせてもらって構いませんよ…」

 志貴は先手を打つ格好でそう告げると、草壁忍にしてもどうやらそれが本当だと、決してブラフでないことを察したようで、口惜しげに唇を噛み締めるだけであった。

「…続けますが、あなたの住所はここ板橋区です。ところがあなたは警察の聴取でこう供述している。下赤塚駅を通過して成増駅に到着する頃に後ろにたっていた男、これは被疑者の浅井光一のことですが、その被疑者に服の上から下半身、つまり尻を触られた、と…」

「だからそれが何だっつうんだよっ!」

 草壁忍は苛立たしげに言った。

「あなたは今も申し上げた通り、板橋区在住の会社員で普段から東武東上線を通勤列車として使っていた、と仮定するならば急行列車ではなく普通列車、つまり各駅停車に乗らなければならない筈です」

「あっ!?」

「これはこれは東武東上線を通勤列車として使われている人間の発言…、いや、雄叫びとも思えませんが…」

 志貴はそんな嫌味を絡ませた。やはり俺以上にしたたかになったようだ。

「…良いでしょう、教えて差し上げましょう。東武東上線の走る板橋区内沿線にある駅と言えば大山、中板橋、ときわ台、上板橋、東武練馬、ぎりぎり下赤塚駅までなんですよ」

「それが何だと…」

 草壁忍は先ほどから同じような反応しか示さないものの、しかし今、その声は微かに震えていた。

「今、申し上げた大山、中板橋、ときわ台、上板橋、東武練馬、下赤塚の各駅には急行列車は停まらないんですよ」

「えっ…」

「御存知ありませんでしたか…。おかしいですねぇ。東武東上線を普段から使用されているならば当然、知っていておかしくはない筈なんですがねぇ…」

「そ、それぐらい知ってるよ…」

「そうですよねぇ。東武東上線を普段から通勤列車に使用されているあなたなら当然、御存知の筈ですよね?」

「あっ…、ああ、勿論…」

「それならばあなたはどうして急行列車に乗られたんですか?」

「あっ?」

「あなたがここ板橋区内に在住し、尚且つ、東武東上線の沿線にある駅を最寄駅として普段から乗り降りされているならば今、申し上げた大山、中板橋、ときわ台、上板橋、東武練馬、下赤塚の各駅のいずれかがあなたが普段から最寄駅として乗り降りされている駅の筈です。ですが今も申し上げた通り、これらの駅には急行列車は停まりません。もっと申し上げるならば各駅停車しか停まらないんですよ。つまりあなたの供述通り、普段から東武東上線を通勤列車として使われているならばあなたは各駅停車に乗らなければならないんですよ。それがどうして痴漢に遭われた日に限って急行列車に乗られたんですか?」

「それは…」

「それは何ですか?」

「だからそれは…、あれだ、勘違いで…」

 押田部長が予期した通り、草壁忍は「勘違い」で押し通そうとした。

「勘違い?勘違いで各駅停車には乗らずに急行列車に乗ってしまった…、そういうことですか?」

「そっ、そうなんだよっ!」

「ではお尋ねしますがあなたはこの会社に入社されて何年経ちますか?」

「あっ?」

「勤務歴をお尋ねしているんですよ」

「4年だけど…」

「4年…、つまりあなたは4年間、東上線の急行列車に乗って池袋は明治通り沿いにある大友商事に勤務されてきたということですね?」

 草壁忍の勤務先が池袋の明治通り沿いにある大友商事なる会社であることも、やはり被害者供述調書に明記されていた。

「あなたが板橋区に在住しており、尚且つ、普段から東上線を通勤列車に使用していた、というあなたの供述が本当だと仮定した場合の話ですが…」

「何だよっ!何が言いたいんだよっ!」

「もういい加減、嘘をつくのは止しませんか?」

 志貴は諭すような口調でそう告げた。

「うっ、嘘って何だよっ!」

「それは誰よりもあなたが一番、御存知の筈では?」

「わっ、分からねぇよっ!」

「そうですか。それなら私の方から教えて差し上げますが、あなたが普段から通勤列車として使用されている列車は東武東上線ではない。埼京線です」

「なっ…」

「あなたの現住所はここ板橋区一丁目47-×、コーポ板橋102号室…、ならば最寄駅は埼京線板橋駅であって、東武東上線沿線にある駅が最寄駅では有り得ないんですよ。そんなあなたがどうしてわざわざ事件があったとする昨晩、東武東上線に乗られたんですか?」

 草壁忍は何も答えなかった。いや、答えられない様子であった。

「何もお答えにはならない御様子なので我々としては粛々と捜査を進めます」

 志貴はそう言うと立ち上がった。

「ちょ、ちょっと、捜査って…」

 どうやら志貴の発した捜査、という言葉に草壁忍はいたく刺激された様子であった。

「虚偽告訴の容疑事案での捜査ですよ」

 決まっているではないかと、志貴の口調はそう言わんばかりであった。

「きょぎこくそ?何よ、それ…」

「ありもしない痴漢をでっち上げたあなたの容疑事案での捜査ですよ」

「ちょっと待てよっ!」

「何ですか?」

 志貴にしては珍しく、本当に珍しく冷たく応じた。

「虚偽告訴、って何だよ…、捜査、って何だよ…。俺を逮捕するつもりか?あっ?」

「捜査の結果、あなたの容疑性が濃厚となれば当然、身柄拘束、即ち、逮捕ということも有り得ます」

「冗談じゃねぇよっ!どうして俺が逮捕されなくちゃならねぇんだよっ!」

「冗談じゃないのはあなたに痴漢の濡れ衣を着せられた浅井光一事務官の方ですよ。きっと彼もなぜ自分が逮捕されなければならないのか、そう思ったはずです」

 志貴の口調こそ丁寧そのものであったが、その表情は今までに見たこともないほどに厳しいものであった。

「それは…」

「それは何ですか?」

 いい加減な言い逃れは許さない…、そんな強い意思が志貴の言葉から察せられた。

「逮捕なんて出来る筈ないじゃない…」

 草壁忍はそこで再び、女言葉に戻った。

「どうしてですか?」

「だって…、だって既にその浅井光一、ってオッサンが痴漢容疑で逮捕されたんだから今更、この私を逮捕するなんてそんなこと、出来るはず…」

 ないじゃない…、そう言おうとした草壁忍を遮るかのように、「それが出来るんですよ」と志貴は答えた。

「えっ?」

「確かに逮捕は警察の領分かも知れませんが…、尤も検事逮捕も可能なので逮捕も検察の領分と言えますが、それは兎も角、起訴は検察だけに認められた権利、これを起訴独占主義と言いますが、検察だけが起訴出来る、ということなんですよ」

 志貴は草壁忍に対して暗に田島たちが…、俺に田島という名を口走った草壁忍に対して田島たちが刑事だろうと、そう尋ねたのであった。

 一方、そうとは気付かぬ草壁忍は

「それが何よっ!」

 暗に田島たちが刑事であることを認めるような答え方をした。

「端的に申し上げるならば痴漢を働いたとして逮捕された浅井光一事務官を不起訴処分として釈放し、その上であなたを虚偽告訴の被疑事実により逮捕、起訴することが可能、ということですよ」

「なっ、何ですってっ!?聞いていないわよっ!そんなこと…」

「聞いていない、とは何ですか?」

「それは…」

「それは何ですか?誰に何を聞いてない、と仰るんですか?」

 志貴は畳み掛けるように草壁忍に尋ねたものの、またしても草壁忍からの答えは聞かれなかった。

「良いでしょう。それでは我々はこれで…」

 志貴は再び、立ち上がろうとした。村野事務官もそれに俺もそのあとに続いて立ち上りかけると、

「待ってっ!」

 という草壁忍の金切り声が聞こえた。

「何か?」

 志貴は草壁忍を見下ろしながら尋ねた。

「分かったよ…」

 草壁忍は「チッ」と舌打ちした。どうやら諦めたらしい。

「それでは全て話してもらいましょうか?」

 志貴は再び、腰をおろして尋ねた。

「…命令されたんだよ…」

「誰に何を命令されたんですか?」

「それは…」

「何もかも話してもらえるんでしょう?」

 だが草壁忍はまだ逡巡している様子であった。だから今度は俺の出番、というわけでもないが、俺は草壁忍の口を軽くしてやるべく、まずは田島の名を出すことにした。それが当たりであった。

「田島に命じられたんだろ?」

「どうしてその名を…」

 草壁忍は目を丸くして問い返した。

 俺はそれには答えずに続けた。

「田島は刑事であんたに、浅井さんを痴漢冤罪で嵌めるよう命じた…、そういうことだな?」

 俺は改めてそう尋ねた。

「ああ、そうだよ」

「そこで分からないことがあるんだが、あんたと田島は一体、どういう関係なんだ?」

「私がまだ、ヤンチャしていた時分に世話になったデカだよ…」

 ヤンチャしていた…、やはりそうかと、俺は思った。要するにこの馬鹿女も元ヤンキーの類なのである。もういい加減にしてくれと言いたかったが、俺はその言葉がグッと堪えて飲み込むと、先を続けた。

「ってことはだ、田島はさしずめ、少年課の刑事ってところか?」

「少年係の刑事…、それも係長だったんだ…、高島平警察署の…」

「えっ…、それじゃあ高島平警察署はさしずめ…、田島にとってはホームグラウンドのような場所ってところか?」

 俺が勢い込んで尋ねると、草壁忍は意外にも素直に頷いた。

「だがそれは…、田島との関係はあんたが若い頃にヤンチャしていた話だろ?にもかかわらず、もうすっかり足を洗った…、ような今でも田島と付き合いがあるのか?」

「世話になったからな…」

「いや…、いくらなんでもヤンチャしていた頃に世話になったってだけで…」

「そうじゃねぇよ…」

「えっ?」

「私、関東女子学院に収容されてたんだけどさ…」

 関東女子学院…、まるでどこぞの私立の女子大か女子高を連想させる響きだが、それが決して私立の女子大や女子高でないことは「収容」との言葉からも容易に察せられ、要は女子の少年院だろうと、俺は想像し、「それで?」と先を促した。

「出所した時に出迎えてくれたのが…」

 出所という言葉からも女子の少年院であることが裏付けられた。ともあれ俺は、

「それが田島だというのか?」

 そう先回りして尋ね、草壁忍を頷かせた。

「普通は親が迎えにいくものじゃないのか?」

「私、親に棄てられたから」

 草壁忍は何の気負いもなく、サラリと言ってのけた。別に同情を買おうするわけでもないようなサラリとしたその口調は俺の草壁忍に対する嫌悪感を幾分、緩和、中和させた。

「それで田島があんたの親代わりになってあんたを迎えに来たと、そういわけか?」

「ああ…」

「それで…、田島はただ、迎えに来てくれただけなのか?それとも…」

「衣食住まで提供してくれたんだよ…」

 草壁忍の口調たるや、分かりきったことを一々、聞くなと言わんばかりのそれであったが、確かにその通りであったかも知れない。

 それでも俺としては念を押さずにはいられなかった。いや、今やギャラリーと化した志貴や村野事務官にしても同じであろう。

「つまりこのアパートも、それに大友商事だっけか?その職場にしても、田島が世話をしてくれた…、用意してくれたってことだな?」

 俺が念押しするように尋ねると、草壁忍は煩げな表情をのぞかせたものの、「ああ」と素直に答えた。
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