上 下
22 / 24
白い痛み

22話

しおりを挟む
 神殿の大理石に投げ落とされた。ジュゥ、と焼けた鉄板のような音を発した大理石にセーレが蹲る。

「ぃ"ッ!!っ、ぐ……ぁが、ッ」
「なんで、なんでお前みたいな魔物のくせに、!」

 見下ろす魔法使いの視線は恨みがましく、身体を蹴り飛ばすと飛んだ黒布に素顔が晒される。一層忌々しいというように角を睨みつけた魔法使いに弱々しい悲鳴が掻き消える。その豹変した姿は双方の立場が逆転したようで魔物のように邪悪に歪んでいた。

「連れてくるのは容認しましたが、神殿での殺生は困りますねぇ」

「っ、ですが、」
「あなたがその魔物をどうしようがかまいませんけど、神殿が穢れた体液で汚されるのは加護できません」

 神殿内に響く呻きと叫声を遮るのは神官だった。その声色には神殿が汚れることへの嫌悪以外に存在せずセーレを庇う良心からの言葉でないことは明白だった。その証拠に戸惑いに硬直した魔法使いから少しでも逃れようと這いずるセーレによって広げられていく血液に眉を顰めている。男の、神を心酔し清楚とは程遠い性格は神だけにその身を捧げる神官という職に合っているとすらいえる。

「そちらよりも、あなたはその粗末な格好をどうにかしたらどうです?」

 あちこちがほつれた着衣は微かに泥が付着しており、魔法使いの錯乱状態を表すには相応しいが神官は冷ややかに見下した。普段ならば神殿に礼拝した者を如何なる格好であろうが少なくとも退けるような振る舞いはしないが、今回は神官が魔法使いに許可を出したとも言える状況で礼拝者ではないのだから大手を振った姿に神官の逆鱗を逆撫でた。

「おや、また二人きりになってしまいましたねぇ」

「安心してください。私は神に仕える身、この手が穢れるようなことはいたしません」

 慈悲を与えるとでもいうようにセーレを床に転がした神官は聖なる空間に苦しむ姿を眺めた。わざとらしく穢れない白魚のような指を揉んだ神官は民に与えるようにうっとりと微笑んで見せた。

「暇ですねぇ、雑談に付き合ってくださいますか?相槌はいらないので」

 魔法使いへの不快感を抜きにしても神官は微かにセーレに興味を抱いていた。あれだけ魔物を嫌悪していた勇者を虜にした魔物など好奇心の塊でしかない。虜の正体を知ればより、勇者に嫌がらせができると探る神官は蛇のように執拗にセーレを苛んでいく。

「しかし、あの勇者があなたにご執心なんて何をしたんです?」

「あの子とやらから乗り換えたんですかねぇ」
「、ぁ……」

 神官はあの子を知っている。無反応を貫き伏せた瞼がピク、と震えた。諦めると決めたはずなのに。聴覚に集中した脳内がぐるぐると自己嫌悪に包まれる。
 その微かな反応を見逃さない神官は口角を緩やかに上向かせる。簡単に挑発に反応してしまったセーレは揶揄い遊ぶ人物に最適だと愉快に心を満たしていく。その報酬というようにあの子の情報を伝えようと、どこからか出した長物を下顎に差し込み、顔を上げさせた。

「おや?あの子とやらのこと、知りたいですか?」
「っ……」
「知りたいくせに。強情なんですねぇ」

 知りたい。そんなの知りたいに決まっている。けれど、この神官に強請るなんて死にも等しいと精一杯噤んだ唇に痛みが走った。
 見上げた瞳の奥に揺れる羨望を鼻で笑う神官。あの子と発するだけで動揺に瞳孔が肥大する姿を存分に愉悦に浸ると饒舌に舌先を回し始める。

「この街に来たあいつはあの子、あの子って煩わしくて。大嫌いな私にまであの子を探してくれ、なんて頭を下げた姿は忘れられません」

「まあ、あの子を探すために魔物討伐を掲げたのには心底笑いましたねぇ」

 元は同村に暮らしていた勇者との関係を腐れ縁だと吐き捨てた神官はこの街に勇者が来た時の嫌悪感を隠そうともせず、如何に自分に頼み事をする勇者が愉快であったと、コロコロと機嫌を変え、セーレに語り聞かせていく。なりふり構わず懇願する勇者の姿を詳細に語れば、槍を降らし貫いたようにセーレが項垂れるものだから、より神官を上機嫌にさせていた。

「魔物に連れ去られたからまだ生きてるはず、なんて昔から馬鹿なんですよ。生きてるはずないじゃないですか」

「はぇ、つれさり?」

「おや。あの子は魔物に連れ去られて、あの村は魔物によって悪運強い勇者とブノワ以外全て殺され燃やされ、跡形もなく塵になったんです」

「おれ、おれたち、が」

「知らなかったんですか?えぇ、勇者の住む村をあなたたちが、その穢れた手で、燃やし殺し尽くしたんです」

 あの子を連れ去ったのは魔物で、勇者の村を燃やしたのも魔物で、村人を殺したのも魔物。全部が魔物の仕業で、自分は魔物を統べる魔王。
 祖父の諍いや気まぐれによって、人間との戦いが起こったのは知っていた。けれど、それを正しく認識していなかった。勇者がなぜ魔物討伐を行うのかも魔王城に襲撃した理由も何もかも考えずに、勇者を求めてしまうなんて魔物であり魔王であることの業を自覚していなかった。
 浅い呼吸に足りない酸素を求めて掌が触れた首筋に力が籠る。眩ゆい光の中でぐるぐると回る視線は定まらず、降り注ぐ痛みが贖罪のように焼け爛れる身体への抵抗が薄れていく。

「ふふ、苦しいですか?大好きな勇者の大好きなあの子を殺したのは魔物、村を燃やしたのも魔物。全部全部あなたたちがやったことです」
「ぜんぶ、おれのせい」
「ええ、魔物であるあなたの所為です」

 ブノワの寂しげな瞳は魔物に連れ去られたあの子がもう戻らないと知っていて、忘れてくれ、と呟いたのも魔物であるセーレへの気遣いであった。それを知らずに浅ましく嫉妬までして、釣り合うわけがなかった。
 頭を抱えて絶望に打ちひしがれる、その様子を愉しげに眺める神官は幼子が興味で仮死状態の虫を突くように、長物で身体をつつきそれにすら意識が向かない様子に高揚感を得ていた。有り体にいえばこの場の神官、ルベロという人物は人を虐げ歪んだ表情を好む癖を持ち合わせ、些か趣味が悪いともいえる行動は神官本来の性質であり、一般的な善人である勇者と対立したのも当然といえた。子供だけでつくられた集団ではルベロの行動も顕著に、咎めるナヴィという人物は不都合で両者が厭い、相性は最悪で険悪な仲も必然であった。

「まあ、暇つぶしの見返りに教えてあげますが。私は勇者が探すあの子は、茶髪の黒目ならレガの一族だと踏んでいるんですよねぇ。勇者のために探してあげては?」
「ぇ、魔物につれさられたって、」
「ええ、どうしようとかまいません。楽しい暇つぶしになったので僅かなお礼です。レガの一族は不気味な魔法を使うようなので、可能性に賭けるならそちらの方がマシでしょう?」

 魔物が連れ去るということは利用価値がその時点で生じていたからである。一人残らず村人を殺したのなら明確な滅絶命令が出ていたのは確実で、その状況なら連れ去るのが目的であった可能性すらある。祖父の考えは生まれて何百年経っても理解できないが、人の魔法や建物に興味を持っていたのは知っている。その噂を知って魔法を見るために孤立した一族の子供を連れ去ることもあり得る。けれど、魔王城に人間がいたなんて聞いたことがないし、物珍しいものは全て見せてくれた祖父からの記憶がないなら、輸送段階で逃走したと考えるのが普通で、生きているなら勇者に会わせてあげたい。
 償いなんて言葉では語れないけれど、あの子を見つけ出せれば最期に勇者の笑顔が見られるかもしれない。結局、私欲のために考えてしまう自分は心底邪悪な魔物だと勇者への隔たりを実感する。

「ああ、気が変わりました」
「っ、なにを、?」
「勇者への嫌がらせはこれが一番でしょうねぇ」

 崇拝という名の付き纏いを行う煩わしい魔法使いも自身とは正反対で滑稽に本心を隠す勇者にも、同時に嫌がらせを遂行する方法がある。神官にはこの魔物に対して何の感情もない、それどころか殺すには惜しい玩具だと気づいてしまった。今、この魔物には殺したい魔法使いと執着する勇者の二つ、価値が生じている、それならばどちらにも手が届かないようにしてしまえばいい。
 神官はその長物を天に掲げると先端に光を集めていく。持ち上げられた口角は幼児のように無邪気に好奇だけが占めていて、その行動と表情は相反したものであった。

「では、またの機会があれば」
「ッ、!?はぇ、ぇ!!?!!」


「は!?!まじでどこ!?そとなんだけど!!?!」


 頬を撫でる風と雲一つない空、周りを囲んだ森林は手が加えられていなく、魔物ではない生物も多く存在した、そこはグラスネスから程遠く離れた丘。長閑な風景には人の存在を感じられず、セーレの困惑に包まれた絶叫だけが響いた。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

第八皇子は人質王子を幸福にしたい

BL / 連載中 24h.ポイント:1,285pt お気に入り:1,050

貧乏な俺、お金持ち学校で総受け!?になる!

BL / 連載中 24h.ポイント:35pt お気に入り:31

俺の悪役チートは獣人殿下には通じない

BL / 連載中 24h.ポイント:6,501pt お気に入り:1,736

ミミからはじまる恋心

BL / 完結 24h.ポイント:49pt お気に入り:363

触手ネタ(エロのみなついったネタ)

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:56pt お気に入り:14

ずっと、君しか好きじゃない

BL / 連載中 24h.ポイント:7,413pt お気に入り:1,059

調教済み騎士団長さまのご帰還

BL / 完結 24h.ポイント:191pt お気に入り:95

【本編完結】イクと激弱になる喧嘩番長は皆に狙われる

BL / 連載中 24h.ポイント:184pt お気に入り:128

王妃となったアンゼリカ

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:130,382pt お気に入り:8,700

処理中です...