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白い痛み

16話

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「ぃ、!?ゔぅッ、いったぃ!!ぁ、ッイタ、!」

 目が覚めると真っ先に身体中を針のような激痛が駆け巡った。どこもかしこも痛くて踠けば、掛け布が傷に障る。慌てて剥いだ掛け布に冷や汗を滲ませるとセーレはやっと、ここがブノワの酒屋であることに気づいた。ささくれが生えた木の天井は記憶に新しい。

「え、ぇえ?なんで俺ここに、?」

 バーウェアからすっぽりと記憶が抜け落ちている。何度も部屋を見回して、瞼の裏に刻まれた光を思い出した。魔法使いが怖くて、神官が不気味で、勇者に捕まって。途切れた記憶を思い出したセーレはハッと声をあげた。

「ゆ、勇者に……っ、逃げなきゃ、」

 危惧すべきは勇者から逃げたという事実である。神殿からは解放されたけれど、状況から見るに勇者からは解放されていない。今度こそ、逃亡した魔王に下されるのは死という名の極刑に違いない。怒っているに決まっている。

「ぃ、ぎッ……なんで、こんなぼろぼろなんだよ、!」

 ドッと分泌された興奮物質に気持ちは昂ったが、身体は満身創痍のままだった。都合よく傷が治るなんて性質は生憎と持ち合わせていない。ベッドから下ろした足が痛みで身体を支えられないままに縺れて、付いた手首が嫌な音を発した。

「降りたら……っ、ほんとに死んじゃう……」

 なんとか、ベッドに這い上がると光差す格子を覗き込んだ。ただでさえ整えられていない丘の上の酒屋なのだ。入口もあの様なのに裏口が整頓されているわけなく、横たわった樽が積み上がり刺々しい草が生えたそこは仮にも案として採用するにはお粗末だった。ぴぃー、なんて樽に止まった鳥が嘲るように樽の段を崩すと、ベッドに寝転んだ。樽を渡る度胸も草に刺される覚悟も二階から飛び降りる身体能力もセーレには足りない。

「アルヴァー大丈夫かな、カミラ怖いからな……」

 カミラが気づく前に戻るはずだったのに日を越している。憤慨するカミラの姿が目に浮かんだ。いっそ、俺なんていう魔王は無かったことにしてカミラが魔王になってしまえばいいのだ。勇者の実力に援軍を送ったところで敵わない。
 卑屈になった思考から抜け出せずに空虚を見つめると新たな音が鼓膜に届く。人の足音。それもカチャカチャと装備がぶつかる音も聞こえる。そんなの勇者しか居ないのだ。慌てて身体を起こした。

「ひ、ッ!?ぁ、いっつ、……!」
「っ!!すまない。驚かせた」

 傾いた身体は腕に支えられた。ドアが開け放たれて現れた勇者に目の前が歪んで駆け出した、はずだった。覗き込む勇者に喉が引き攣って変な音が響く。視界が酷く狭まる。
 殺される。今度こそ、殺される。

「傷に障ってしまう。お願いだから寝てくれないか」
「ぁ、は、はい……」

 酸素が消えたように息苦しさが部屋を包んだ。抱えられた身体がベッドに乗せられる。か細い返事に頷くと勇者は丁寧に掛け布を広げる。

「薬を持ってくるから」

 勇者が出ていった。罵倒も暴力もなく、まるで重病人にするようにふわりと掛け布を被せて部屋を後にした。セーレが困惑に何度も首を傾げて目を丸めているとまた、ドアが開く。

「薬だけだと身体に悪い、サンマリも持ってきた」

 二つの器を持つ勇者は薄い紫色をした粉の方を机に置いて、角切りにされた赤い物体を差し出した。フォークに刺さったそれは果汁が満ちて甘い香りを放つ。観察しているうちにそれが露店で売られている紅の果実だと気づいた。端の部分は丸く角がない様から切る前の球体を想像させる。
 背中に差し込まれた腕に上半身を起こされると勇者と向き合ってしまう。無表情な瞳が何を考えているかわからない。おろおろと視線が外れる。

「あー、」
「っぁ、ー?、んむ」

 発した音に釣られて、セーレも真似するように唇を開いた。か細く鳴いた無防備な口内に甘い果汁が触れる。反射で閉じた口内に置き去りの果実に勇者の目を見つめた。次の果実を刺して勇者が見つめ返す。
 これは、食べろということだろうか。セーレは口を引き結んだまま視線を迷わせる。
 とにかく口内のそれを処理しなければ進まない状況に毒も承知で咀嚼し、嚥下した。痺れも痛みも無い。ただの果実だったようでとろみのある果汁が喉を流れていく。微かに緩んだ頬にすぐさま引き締めた。笑える状況じゃないのだ。

「っ、?、ぇ、ぁむ、ッ!?」
「、はは」
「ぅ、んぐっ、……」

「あー、ん」
「ッん、?、ぅむ」

 次々と、口内に果実が放り込まれる。嚥下した瞬間に果実が迫って、圧に唇を少しだけ開けばすかさず入り込んでくる。噛んで、飲んで、噛んで、飲んで、時折水を挟んで、まるで雛鳥のように与えられる甘さに脳がバグり始めるのを感じた。視力までダメージを受けているのか、勇者の目尻が垂れて微笑んだと空目してしまって目を疑っているうちにも放られた果実に霧散していく。

「痛みが減るものと回復機能を引き上げるものをブノワが調合した薬だ」

 一つだけ残った果実を置いて勇者は粉の器を引き寄せた。トン、と粉を寄せると水を手渡される。そのまま水を飲み込んでしまうセーレに勇者は指先を顎に添えた。ビクリ、と跳ねたセーレを覗き込むと柔らかく頬を緩ませた。微笑みに呆気に取られる姿など気にせずに勇者は手際良く進めていく。

「そのまま含んで、飲んで」

 注がれた水を嚥下せずに待つ口内に薬が溶かされる。ゆっくりと下げられた顎に自然と喉は苦い液体を飲み込むとその苦さに密かに眉を顰めた。再度渡された水を洗うように飲み切ると勇者は頷き、最後の欠片を口に放り込んだ。甘さに動く口元を確認すると頭に手を添わせた。毛先まで降りる指先は毛並みを整えるように丁寧に頭を撫でて、往復を繰り返す。

「寝たら痛みも消えている」

 寝るまいと瞼に力を入れた。だが、体力消費は凄まじく、勇者にされるがままにベッドへ横たわってしまう。あまりの眠たさに薬が毒だったんじゃないかと疑心したが、寝返りを打っても刺してこない痛みに瞳は閉じていく。

「セーレ、おやすみ」

 柔らかな指先が頬を撫でた。一瞬、喉に感じた熱はすぐさま消え去って、気づけばドアが閉まる音が響く。
 どうせ殺されるのなら痛くない今、このまま死んでも構わないとすら朧げな意識で感じてしまう。けれど、沈んだ意識は消えることなく、鳥の囀りと眩しさに目を醒ますことをセーレは知らない。
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