まおうさまは勇者が怖くて仕方がない

黒弧 追兎

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グラスネス

8話

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 町外れの酒屋にある簡素な一室の寝床には魔王が無防備に寝息をあげていた。口を半開きにして牙を隠さず、角を枕に預けた姿は誰も魔王であると信じないであろう。
 推定Lv.28のゴーレムよりも弱いその魔王は現在、勇者の元で捕らわれの身である。

「……んぁ、?、」

 件の魔王、セーレはふかふかとは言えないが、包まれた心地よい感触に首を傾げた。寝室のベッドはもっとふかふかでカミラがこだわって絹のような手触りをしている。未だ眠りに入りかけている頭は違和感の正体に気づけず、数秒辺りを見回してやっと寝室ではないことを思い出した。
 そうだ、まだ魔王城に帰れていないんだった。微睡んだ寝起きから一変、思い出した現実に落胆を浮かべるセーレは現実逃避に目を瞑る。また寝たら寝室にいるなんてことはないだろうか。

「セーレ、おはよう」
「っ、ぉはよぅ、ござぃます……」

 再度の眠りに沈めた身体は開いた扉にびくっ、と波を打った。覗く勇者の姿に冷や汗を浮かべるセーレは寝ることを諦めて肩を縮こまらせる。無視する度量など持ち合わせていない小心者は小さくつぶやくと目線を伏せた。
 未だ勇者への恐怖心は薄れる気配どころか増幅していくばかりである。断片的に残った昨夜の勇者の揶揄いは精神的な命の危機を感じた。勇者の行動はどれも不可解で、意味不明で、得体の知れない恐怖にセーレは怯えることしかできない。

「パンが焼けてるから」
「ぱ、?ぁ、はい、」

 セーレが立ち上がるまで見ていた勇者はそう言い残して階段を下っていった。大人しくすることが一番安全だとここ数日で気づいたセーレは抵抗をせずに数秒遅れて足を進める。

「パンだ、簡単なものだがな」
「ぱん……」

 パンだと呼称された皿に乗る二つの丸い物体を眺めたセーレは一つを持ち上げる。見たことも聞いたこともない物体であるが、二人が口に含む姿に警戒は薄く、食べ物だと察している。以前とは考えられないとんでもない成長であるがこの場には気づく存在が欠落していた。

「食べれたか?」
「、はい」

 小動物のように詰め込んでもごもごと咀嚼したセーレはすっかりおとなしい。繭のように過保護に育てられた弊害で適応力だけは備わってしまったらしいセーレは人間の食べ物への抵抗感を捨てたようである。カミラに作ってもらおうとすら考えて、パンと単語を記憶していた。

「そこの人、水晶だ。買わないかい?」

 ブノワに送り出されて勇者とセーレはグラスネスを見物していた。勇者が歩くままに着いていくセーレは露天を眺めては首を傾げて、用途を予想して遊んでいる。果実ほどの大きさから小石ぐらいまでのまん丸な物体が色とりどりが揃っているそれらは装飾であることしか分からない。

「色に好みはあるか?」
「へ、ぇいろ?」

 いつのまにか足を止めていたセーレに勇者が問いかける。対して好きな色も存在しないが、勇者を無視するなどという命知らずは起こさないセーレは脳内で色の検索を掛けた。魔物といえば黒だけどそこまでではないし青は好きではないし、白は論外である。

「あか、?」
「わかった」

 結局、目についた赤を呟いた。とりあえず、答えられたことに安堵したが勇者の行動は本当によくわからない。勇者は頷いて先ほどの水晶の露天に向かって真っ赤な水晶を硬貨と引き換えていた。

「持っててくれないか」
「、?はい、」

 小石ほどの大きさのそれはセーレの掌に収まる。つるりとして冷たい水晶は引き取られずに町の見物が再開した。勇者の私物となれば下手なことができないのに持たされたままで混乱しながらセーレはぎゅ、と強く握りしめる。石畳の地面に落としたら欠けてしまって、欠けた代償に俺は粉々に砕かれてしまうだろう。

「……」

 緊張感が加わった見物にカク、とぎこちなくなるセーレを知らずに勇者は露天を見回す。
 勇者と黒布を被った不審者の違和感しかない二人組は自然と町の人々の目をひく。注目が集まっていることに気づかない勇者とそれどころではないセーレは一定の距離を開けて同行を続けていた。

「果実は好きだよな?」
「ぇ、はい」

 振り返った勇者が問いかける。
 赤いのも黄色いのも甘いから好きだ、魔王城では滅多に出ないから。素直に頷けば勇者はまた露天に足を進めた。一言二言交わして引き換えた二つは朝のパンと似ていた。網のように付いた模様の下に赤や黄色が見える。

「パイだ、果実を使っている」
「ぱ、パイ……ぱん、?パイ?」

 何が何だかわからない、人間は似た名前にするのが好きなのか。朝のパンと混合しながら差し出されるままに受け取った。力を加えれば軋む生地におどおどと持ち方を変えてしげしげと眺めては見つめてくる勇者の視線に怯える。
 なんで、この勇者見てくるんだろ、自分は持ってないし。
 騒がしい通りに居るのに冷え切った無言の空間に耐えきれず、齧りつけばとろみのついた甘いそれに頬が緩んだ。

「喜んでくれて嬉しい」

ぼろぼろと崩れる生地が口周りに散らばって勇者の指が攫っていく。案外優しい手つきを受け入れてパイを口に放り込む。
 未だ恐怖は消えないけれど、無条件に与えられる施しに布に隠れた尾がゆるりと弧を描いた。
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