10 / 65
第2話 最強ライバル登場!?
Chapter-09
しおりを挟む
「このように予め規定しきれない動作が想定される場合、ERFPGAはデータストリームの変更だけで柔軟に対応できるという点で優れており、むしろフローウェア化の恩恵が大きいのはシーケンサ制御系であることが解るかと思います」
弘介が、プロジェクターに示された構成図を示しつつ、その解説を入れていく。
2000年代初頭、朱鷺光の実母・左文字みのる──旧姓・日高──が提言した、FPGAを用いた再構成可能コンピューティングによるニューラルネットワークコンピュータ、「Mother Artificial - intelligence and Modernism - computing」、通称「MAaMモデル」の登場で、A.I.の開発は急速に進歩し、自律型ロボットの出現を促した。
荷役作業用ロボットや接客作業補助用ロボットの登場は、それまでも人員の不足を来していた分野において大きく貢献したとされる。
しかし、その左文字みのるは、それから5年後に事故死。
それによって自律型A.I.の開発は停滞し、「人工知能の失われた15年」と呼ばれる。
さらにそれから5年後、朱鷺光がR-2[THETA]を発表する。
だが、そのA.I.はMAaMとは逆行する、プログラム内蔵型コンピュータにソフトウェア実装される疑似ニューラルネットワークによって実現されていた。
例えば「白い箱があって、それを開ける」とする。
まず「白い箱」という判定をしなければならない。
そのためにはまず「立体物が存在する」という認識をする。
次にそれが「1.白い色をしている」という認識をする。
次にそれが「2.開閉可能な構造をしている」という認識をする。
次にそれが「3.自身が開閉可能である」という認識をする。
だが、例えば1.の問題の際に、「健全に育成された人間」であれば白い箱として認識して構わない存在であっても、ほんの少しでも別の色が塗られている、文字が書き込まれている、などすれば、純粋に生まれたばかりの知能は1.の認識ができなくなってしまう。
そこで、それを「白い箱」と認識するために、例えば先程の「少しだけ別の色が塗られている場合」「文字が書き込まれている場合」などと言った要素を、別に判定する新たな認識が必要となる。
この“認識”が人間の神経シナプスのように広がりながら、互いに繋がり合って構成されていくものがニューラルネットワークである。一方、認識に必要な要素が爆発的に増えていき、天文学的レベルの数になってしまい、バーストしてしまうことをフレーミング問題と言う。
「左文字みのるのMAaMモデル」はハードウェアレベルでニューラルネットワークを具現化する、脱・ノイマン型コンピュータの理想形とされた。
一方で「左文字朱鷺光のR-System」は、64bitマイクロプロセッサの登場とそれによる広大なメモリ空間を使い、人間の神経がまったく同時に判定している認識の要素を超高速で順番に処理していくというものだ。
さらにフレーミング問題を、メインフレームを使ったディープ・ラーニングという“力技”で、A.I.が自立できるまでに育ててしまうという手法だ。これはむしろ、「より高性能なノイマン型コンピュータ」を要する。
「MAaMモデル」と「R-System」は世界の人工知能学会を真っ二つに分けた。
すなわち、あくまで人工ニューラルネットワークの構築に拘る派閥と、疑似ニューラルネットワークの拡充を目指す派閥である。
この2派閥の確執を確定的にしたものは、朱鷺光のシータに関する発言だった。
「この娘には“心”があるのかって? んなもん、あるに決まってるだろう、俺がそう設計したんだから」
朱鷺光は、弘介の講演を観衆に混じって見ていたが、携帯電話のバイブレーションが作動したのを感じて、静かに席を外した。
胸ポケットから取り出したのは、KED製のテンキー付きスマートフォンだ。世界に派手に輸出している「日の丸スマホ」の1台である。
OSの「HerOS」は国産OS「TRON」の中枢部「μT-Kernel 3.0」のカーネル・テクノロジ・ルールに則ったOSで、iOS、Androidに続く「第3のモバイルOS」と呼ばれた。
その開発初期にはきっちり朱鷺光が関わっていたりする。Android互換API「Robots」を搭載し、Android向けアプリは基本的に動作できる。
外部の大容量ストレージでのアプリ運用に初期から対応していて、「HerOS」スマホには外部S-ATA端子を持つ個体が多かった。
閑話休題、コールしていたスマートフォンを、朱鷺光は通話ボタンを押して着信を受けた。
「もしもし、なんだよシータ」
画面に表示されていたとおり、シータのスマートフォンからの着信だった。
だが、その声を聞いて、朱鷺光は一瞬、絶句する。
「解った、すぐ行く」
朱鷺光はそう言って、通話を切って、スマホをしまいながら慌ただしく動き始める。
「ファイ、ヤバいことになってる、行くぞ」
「え、でも弘介さんが」
「その弘介に任せとけ!」
一瞬、戸惑ったように声を上げたファイに対し、朱鷺光は厳しい口調で言った。
「すみません、どうしても行かなければならない事態になってしまいました。私はこれで失礼させてもらいます」
カンファレンスの受付に慌ただしくもそう言うと、朱鷺光はその会場になっていた講堂から飛び出す。
ファイと共に駆けていき、駐車場に駐めてあるドミンゴに飛び乗った。
エンジンを始動させると、暖気もそこそこに、ターボのブースト音を響かせながら飛び出していった。
少し時系列が錯綜することをお許し願いたい。
オムリンが、荒川沖駅ビルの屋上で、その相手を迎え撃つべく、構えていると、相手も塔屋部から姿を現した。
その顔、髪型は、オムリンにそっくりだった。アンテナ/センサーユニットも、オムリンと同じものだ。ただ、体格は、シータ並にある感じだった。
さらに、その身体には、朱鷺光純正のR.Seriesにはない装備が取り付けられていた。
右腕には、FRPの格納部を持つ可動格納式の刀具。
左腕には、おそらく強化ポリカーボネイトであろう白いシールド。
そして、左の眉毛に紛れるようにして、小さなレンズが覗いているのが解った。
「DR29号……波田町直也教授の作品か?」
「そうだ」
オムリンの問いかけに、DR29号、PATIAは、短くハッキリと答える。
その口調も、自分そっくりだった。
「それなら、目的も、私を倒すこと、だな?」
「そうだ」
オムリンの問いかけに、やはり、パティアが答える。
R.Seriesのデッドコピー品……
とは言え、オムリンは、負けているとは思わなかった。それが、自分が万全な状態ならば。
パティアとやり取りしながら、セルフコンディションチェックをかける。
電源制御系適正値内、演算システムに異常なし。空気圧縮機、第1第2とも正常圧。超音波モーター、異常個体なし。潤滑油油圧正常──
油温がやや適正値を超えていた。2基のオイル循環ポンプ、オイルクーラーは正常作動。問題は別のところだった。
第2冷却ポンプ、流量低下。適正下限を大幅に割っている。
幸いにして第1冷却ポンプに異常はなかった。冷却液温度、適正上限ギリギリ。
──短時間で決着をつけるしかない。
オムリンは、そう考え、大きく息を吸い込んだ。
R.Seriesは、もちろん酸素を取り入れる必要はない。
人間の肺に当たる部分には冷却系が収まっており、放熱のために呼吸している。
ガッ
屋上の床面を蹴って、オムリンの方から仕掛けた。パティアはそれを正面から受け止める。
オムリンが上段から打ち下ろす。
パティアはそれをシールドで受け止める。
オムリンはクイックに最短動作で、横から胴を薙ごうとする。
パティアは、それをブレードで受け止めた。
わずかに間合いが開いたところへ、オムリンが鋭い蹴りを入れる。
パティアがそれを、身体をひねって躱した。
「!」
オムリンのアンテナに高い電位の発振が捉えられる。
オムリンは次の瞬間、左に体をひねって躱した。
一瞬前までオムリンがいたところを、礫のように短い、断続的な赤い光線が迸った。
それは床に着弾し、コンクリートを焦がし、わずかに溶かした。
兵器級の大出力パルスレーザーとその照準用補助カメラ、それがパティアの左眉に仕込まれたレンズの正体だった。
「飛び道具まで仕込んでいるとは……」
らしくなく、オムリンは呟いていた。
公式なレギュレーションのある試合などならともかく、こうした場で格闘用ロボットの戦闘に反則などない、むしろそれはオムリンの信念でもあった。
オムリンは、一旦パティアとの間合いを取り直す。
──次で仕留める。
そう思い、仕掛けようとしたときだった。
「!?」
ブシューッ
腰部左側の緊急時リリースドアが開き、そこから、潤滑油の油煙と気泡の塊が吹き出した。
オムリンの身体が、ぐらりと左に傾く。
腰部には電源系が収められており、EMP対策で電流制御には真空管が使われている。
本来なら冷却液のジャケットで周囲に影響がないようになっているはずだったが、冷却ポンプがダウンしかけていたことで、傍を通る潤滑油パイプの方が過熱してしまっていた。
「しまった……」
「R-1?」
崩れ落ちかけるオムリンに対し、パティアは、驚いたように声をかける。
その時だった。
「こらぁっ! こっち向けぇっ!」
と、パティアの背後から、怒鳴り声がかけられてきた。
「R-2?」
そこにシータが立っていた。
「アンタみたいなパチもんに、姉さんをやらせるかぁっ!」
シータは、自身を緊急出力モードに入れる。
体内の超高密度ニッケル水素電池のセルが、全て直列となり、コンプレッサーに接続された。
コンプレッサーが、普段は外部には聞こえてこない唸りを上げる。
シータは、その力でもってパティアに突進した。
「このぉっ!」
パティアを押しながら、シータはなおも突進し、屋上のフェンスに、パティアを自身ごと叩きつけ、さらに押し付ける。
「姉さん!」
パティアに続いて、イプシロンが屋上に姿を表した。
「イプシロン、私は……」
「黙ってて、離脱するから!」
小柄な姉がなにか言いかけるのを、イプシロンは遮って、オムリンを抱えて、パティアがシータに押されていった方とは別の方角へと走り、その正面のフェンスを、跳躍して飛び越えた。
そのまま落下するかに見えたが、空中でオムリンを抱えたままくるりと振り返ると、ズボンのベルトに隠してあったワイヤーアンカーを投擲するように伸ばし、フェンスに巻きつける。
支点に引っ張られたことで、イプシロンとオムリンの飛ばされる方向が変わり、引き寄せられるように、ビルの13階の窓へと向かう。イプシロンはそのガラス窓を蹴破って、中に着地した。
「え、うわぁっ!」
パティアは、声もなくシータを、すくい上げるように上へと放り投げた。
自らの力のベクトルの方向を変えられ、シータは、フェンスに背中から激突する。
そのまま、シータは屋上の床に落下し、転がった。
「あちゃ……まずいか……」
シータはコンプレッサーと電流制御系が音を上げてしまい、身体の自由を失っていた。
一方のパティアは、実際には大したダメージもないかのように、立っている。
「R-1は、不調だったのか」
「みたいね。朱鷺光がサボりでもしたのかしら。冷却系のテンションが落ちてたみたい」
パティアに問われ、どうすることもできないシータは、仰向けに転がったまま、そう答えた。
「それならそう言えばいいのに。不調のR-1を倒しても、教授の目的は達成できないのだ」
「そっか……考えてみたらそうよね」
パティアの言葉に、シータは苦笑した。
「今度、また、R-1が万全の状態のときに、相見えよう」
パティアはそう言うと、その場から静かに去っていった。
取り残されたシータは、カランカランと嫌な音を立てるコンプレッサーと、その暴力によって損傷した末端関節部超音波モーター、各々の最後の力を使って、ポシェットから、スマートフォンを取り出し、最後の通話履歴の相手に対し、発信した。
『シータ姉さん、大丈夫なんですか!?』
ドミンゴでぶっ飛ばしているのだろう、朱鷺光ではなく、ファイが通話に出た。
「イプシロンがね、丁度いてくれたおかげで、なんとか回収はしたわ。ただ、私の方が動けない感じ、緊急出力、使ったから」
『緊急出力!? それで、それでシータ姉さんは大丈夫なんですか?』
「うん、もう、相手は行っちゃったわ。波田町教授のロボットだったの、私には見向きもしなかったみたい」
シータは、耳元に置いたスマホにそう言って苦笑した。身動きはもう、取れなかった。
「とりあえず、早く迎えに来てくれると、助かるかなぁって……」
空は晴れていた。降雨の心配はなさそうだった。
弘介が、プロジェクターに示された構成図を示しつつ、その解説を入れていく。
2000年代初頭、朱鷺光の実母・左文字みのる──旧姓・日高──が提言した、FPGAを用いた再構成可能コンピューティングによるニューラルネットワークコンピュータ、「Mother Artificial - intelligence and Modernism - computing」、通称「MAaMモデル」の登場で、A.I.の開発は急速に進歩し、自律型ロボットの出現を促した。
荷役作業用ロボットや接客作業補助用ロボットの登場は、それまでも人員の不足を来していた分野において大きく貢献したとされる。
しかし、その左文字みのるは、それから5年後に事故死。
それによって自律型A.I.の開発は停滞し、「人工知能の失われた15年」と呼ばれる。
さらにそれから5年後、朱鷺光がR-2[THETA]を発表する。
だが、そのA.I.はMAaMとは逆行する、プログラム内蔵型コンピュータにソフトウェア実装される疑似ニューラルネットワークによって実現されていた。
例えば「白い箱があって、それを開ける」とする。
まず「白い箱」という判定をしなければならない。
そのためにはまず「立体物が存在する」という認識をする。
次にそれが「1.白い色をしている」という認識をする。
次にそれが「2.開閉可能な構造をしている」という認識をする。
次にそれが「3.自身が開閉可能である」という認識をする。
だが、例えば1.の問題の際に、「健全に育成された人間」であれば白い箱として認識して構わない存在であっても、ほんの少しでも別の色が塗られている、文字が書き込まれている、などすれば、純粋に生まれたばかりの知能は1.の認識ができなくなってしまう。
そこで、それを「白い箱」と認識するために、例えば先程の「少しだけ別の色が塗られている場合」「文字が書き込まれている場合」などと言った要素を、別に判定する新たな認識が必要となる。
この“認識”が人間の神経シナプスのように広がりながら、互いに繋がり合って構成されていくものがニューラルネットワークである。一方、認識に必要な要素が爆発的に増えていき、天文学的レベルの数になってしまい、バーストしてしまうことをフレーミング問題と言う。
「左文字みのるのMAaMモデル」はハードウェアレベルでニューラルネットワークを具現化する、脱・ノイマン型コンピュータの理想形とされた。
一方で「左文字朱鷺光のR-System」は、64bitマイクロプロセッサの登場とそれによる広大なメモリ空間を使い、人間の神経がまったく同時に判定している認識の要素を超高速で順番に処理していくというものだ。
さらにフレーミング問題を、メインフレームを使ったディープ・ラーニングという“力技”で、A.I.が自立できるまでに育ててしまうという手法だ。これはむしろ、「より高性能なノイマン型コンピュータ」を要する。
「MAaMモデル」と「R-System」は世界の人工知能学会を真っ二つに分けた。
すなわち、あくまで人工ニューラルネットワークの構築に拘る派閥と、疑似ニューラルネットワークの拡充を目指す派閥である。
この2派閥の確執を確定的にしたものは、朱鷺光のシータに関する発言だった。
「この娘には“心”があるのかって? んなもん、あるに決まってるだろう、俺がそう設計したんだから」
朱鷺光は、弘介の講演を観衆に混じって見ていたが、携帯電話のバイブレーションが作動したのを感じて、静かに席を外した。
胸ポケットから取り出したのは、KED製のテンキー付きスマートフォンだ。世界に派手に輸出している「日の丸スマホ」の1台である。
OSの「HerOS」は国産OS「TRON」の中枢部「μT-Kernel 3.0」のカーネル・テクノロジ・ルールに則ったOSで、iOS、Androidに続く「第3のモバイルOS」と呼ばれた。
その開発初期にはきっちり朱鷺光が関わっていたりする。Android互換API「Robots」を搭載し、Android向けアプリは基本的に動作できる。
外部の大容量ストレージでのアプリ運用に初期から対応していて、「HerOS」スマホには外部S-ATA端子を持つ個体が多かった。
閑話休題、コールしていたスマートフォンを、朱鷺光は通話ボタンを押して着信を受けた。
「もしもし、なんだよシータ」
画面に表示されていたとおり、シータのスマートフォンからの着信だった。
だが、その声を聞いて、朱鷺光は一瞬、絶句する。
「解った、すぐ行く」
朱鷺光はそう言って、通話を切って、スマホをしまいながら慌ただしく動き始める。
「ファイ、ヤバいことになってる、行くぞ」
「え、でも弘介さんが」
「その弘介に任せとけ!」
一瞬、戸惑ったように声を上げたファイに対し、朱鷺光は厳しい口調で言った。
「すみません、どうしても行かなければならない事態になってしまいました。私はこれで失礼させてもらいます」
カンファレンスの受付に慌ただしくもそう言うと、朱鷺光はその会場になっていた講堂から飛び出す。
ファイと共に駆けていき、駐車場に駐めてあるドミンゴに飛び乗った。
エンジンを始動させると、暖気もそこそこに、ターボのブースト音を響かせながら飛び出していった。
少し時系列が錯綜することをお許し願いたい。
オムリンが、荒川沖駅ビルの屋上で、その相手を迎え撃つべく、構えていると、相手も塔屋部から姿を現した。
その顔、髪型は、オムリンにそっくりだった。アンテナ/センサーユニットも、オムリンと同じものだ。ただ、体格は、シータ並にある感じだった。
さらに、その身体には、朱鷺光純正のR.Seriesにはない装備が取り付けられていた。
右腕には、FRPの格納部を持つ可動格納式の刀具。
左腕には、おそらく強化ポリカーボネイトであろう白いシールド。
そして、左の眉毛に紛れるようにして、小さなレンズが覗いているのが解った。
「DR29号……波田町直也教授の作品か?」
「そうだ」
オムリンの問いかけに、DR29号、PATIAは、短くハッキリと答える。
その口調も、自分そっくりだった。
「それなら、目的も、私を倒すこと、だな?」
「そうだ」
オムリンの問いかけに、やはり、パティアが答える。
R.Seriesのデッドコピー品……
とは言え、オムリンは、負けているとは思わなかった。それが、自分が万全な状態ならば。
パティアとやり取りしながら、セルフコンディションチェックをかける。
電源制御系適正値内、演算システムに異常なし。空気圧縮機、第1第2とも正常圧。超音波モーター、異常個体なし。潤滑油油圧正常──
油温がやや適正値を超えていた。2基のオイル循環ポンプ、オイルクーラーは正常作動。問題は別のところだった。
第2冷却ポンプ、流量低下。適正下限を大幅に割っている。
幸いにして第1冷却ポンプに異常はなかった。冷却液温度、適正上限ギリギリ。
──短時間で決着をつけるしかない。
オムリンは、そう考え、大きく息を吸い込んだ。
R.Seriesは、もちろん酸素を取り入れる必要はない。
人間の肺に当たる部分には冷却系が収まっており、放熱のために呼吸している。
ガッ
屋上の床面を蹴って、オムリンの方から仕掛けた。パティアはそれを正面から受け止める。
オムリンが上段から打ち下ろす。
パティアはそれをシールドで受け止める。
オムリンはクイックに最短動作で、横から胴を薙ごうとする。
パティアは、それをブレードで受け止めた。
わずかに間合いが開いたところへ、オムリンが鋭い蹴りを入れる。
パティアがそれを、身体をひねって躱した。
「!」
オムリンのアンテナに高い電位の発振が捉えられる。
オムリンは次の瞬間、左に体をひねって躱した。
一瞬前までオムリンがいたところを、礫のように短い、断続的な赤い光線が迸った。
それは床に着弾し、コンクリートを焦がし、わずかに溶かした。
兵器級の大出力パルスレーザーとその照準用補助カメラ、それがパティアの左眉に仕込まれたレンズの正体だった。
「飛び道具まで仕込んでいるとは……」
らしくなく、オムリンは呟いていた。
公式なレギュレーションのある試合などならともかく、こうした場で格闘用ロボットの戦闘に反則などない、むしろそれはオムリンの信念でもあった。
オムリンは、一旦パティアとの間合いを取り直す。
──次で仕留める。
そう思い、仕掛けようとしたときだった。
「!?」
ブシューッ
腰部左側の緊急時リリースドアが開き、そこから、潤滑油の油煙と気泡の塊が吹き出した。
オムリンの身体が、ぐらりと左に傾く。
腰部には電源系が収められており、EMP対策で電流制御には真空管が使われている。
本来なら冷却液のジャケットで周囲に影響がないようになっているはずだったが、冷却ポンプがダウンしかけていたことで、傍を通る潤滑油パイプの方が過熱してしまっていた。
「しまった……」
「R-1?」
崩れ落ちかけるオムリンに対し、パティアは、驚いたように声をかける。
その時だった。
「こらぁっ! こっち向けぇっ!」
と、パティアの背後から、怒鳴り声がかけられてきた。
「R-2?」
そこにシータが立っていた。
「アンタみたいなパチもんに、姉さんをやらせるかぁっ!」
シータは、自身を緊急出力モードに入れる。
体内の超高密度ニッケル水素電池のセルが、全て直列となり、コンプレッサーに接続された。
コンプレッサーが、普段は外部には聞こえてこない唸りを上げる。
シータは、その力でもってパティアに突進した。
「このぉっ!」
パティアを押しながら、シータはなおも突進し、屋上のフェンスに、パティアを自身ごと叩きつけ、さらに押し付ける。
「姉さん!」
パティアに続いて、イプシロンが屋上に姿を表した。
「イプシロン、私は……」
「黙ってて、離脱するから!」
小柄な姉がなにか言いかけるのを、イプシロンは遮って、オムリンを抱えて、パティアがシータに押されていった方とは別の方角へと走り、その正面のフェンスを、跳躍して飛び越えた。
そのまま落下するかに見えたが、空中でオムリンを抱えたままくるりと振り返ると、ズボンのベルトに隠してあったワイヤーアンカーを投擲するように伸ばし、フェンスに巻きつける。
支点に引っ張られたことで、イプシロンとオムリンの飛ばされる方向が変わり、引き寄せられるように、ビルの13階の窓へと向かう。イプシロンはそのガラス窓を蹴破って、中に着地した。
「え、うわぁっ!」
パティアは、声もなくシータを、すくい上げるように上へと放り投げた。
自らの力のベクトルの方向を変えられ、シータは、フェンスに背中から激突する。
そのまま、シータは屋上の床に落下し、転がった。
「あちゃ……まずいか……」
シータはコンプレッサーと電流制御系が音を上げてしまい、身体の自由を失っていた。
一方のパティアは、実際には大したダメージもないかのように、立っている。
「R-1は、不調だったのか」
「みたいね。朱鷺光がサボりでもしたのかしら。冷却系のテンションが落ちてたみたい」
パティアに問われ、どうすることもできないシータは、仰向けに転がったまま、そう答えた。
「それならそう言えばいいのに。不調のR-1を倒しても、教授の目的は達成できないのだ」
「そっか……考えてみたらそうよね」
パティアの言葉に、シータは苦笑した。
「今度、また、R-1が万全の状態のときに、相見えよう」
パティアはそう言うと、その場から静かに去っていった。
取り残されたシータは、カランカランと嫌な音を立てるコンプレッサーと、その暴力によって損傷した末端関節部超音波モーター、各々の最後の力を使って、ポシェットから、スマートフォンを取り出し、最後の通話履歴の相手に対し、発信した。
『シータ姉さん、大丈夫なんですか!?』
ドミンゴでぶっ飛ばしているのだろう、朱鷺光ではなく、ファイが通話に出た。
「イプシロンがね、丁度いてくれたおかげで、なんとか回収はしたわ。ただ、私の方が動けない感じ、緊急出力、使ったから」
『緊急出力!? それで、それでシータ姉さんは大丈夫なんですか?』
「うん、もう、相手は行っちゃったわ。波田町教授のロボットだったの、私には見向きもしなかったみたい」
シータは、耳元に置いたスマホにそう言って苦笑した。身動きはもう、取れなかった。
「とりあえず、早く迎えに来てくれると、助かるかなぁって……」
空は晴れていた。降雨の心配はなさそうだった。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

【VRMMO】イースターエッグ・オンライン【RPG】
一樹
SF
ちょっと色々あって、オンラインゲームを始めることとなった主人公。
しかし、オンラインゲームのことなんてほとんど知らない主人公は、スレ立てをしてオススメのオンラインゲームを、スレ民に聞くのだった。
ゲーム初心者の活字中毒高校生が、オンラインゲームをする話です。
以前投稿した短編
【緩募】ゲーム初心者にもオススメのオンラインゲーム教えて
の連載版です。
連載するにあたり、短編は削除しました。
続・歴史改変戦記「北のまほろば」
高木一優
SF
この物語は『歴史改変戦記「信長、中国を攻めるってよ」』の続編になります。正編のあらすじは序章で説明されますので、続編から読み始めても問題ありません。
タイム・マシンが実用化された近未来、歴史学者である私の論文が中国政府に採用され歴史改変実験「碧海作戦」が発動される。私の秘書官・戸部典子は歴女の知識を活用して戦国武将たちを支援する。歴史改変により織田信長は中国本土に攻め入り中華帝国を築き上げたのだが、日本国は帝国に飲み込まれて消滅してしまった。信長の中華帝国は殷賑を極め、世界の富を集める経済大国へと成長する。やがて西欧の勢力が帝国を襲い、私と戸部典子は真田信繁と伊達政宗を助けて西欧艦隊の攻撃を退け、ローマ教皇の領土的野心を砕く。平和が訪れたのもつかの間、十七世紀の帝国の北方では再び戦乱が巻き起ころうとしていた。歴史を思考実験するポリティカル歴史改変コメディー。
【なろう440万pv!】船が沈没して大海原に取り残されたオッサンと女子高生の漂流サバイバル&スローライフ
海凪ととかる
SF
離島に向かうフェリーでたまたま一緒になった一人旅のオッサン、岳人《がくと》と帰省途中の女子高生、美岬《みさき》。 二人は船を降りればそれっきりになるはずだった。しかし、運命はそれを許さなかった。
衝突事故により沈没するフェリー。乗員乗客が救命ボートで船から逃げ出す中、衝突の衝撃で海に転落した美岬と、そんな美岬を助けようと海に飛び込んでいた岳人は救命ボートに気づいてもらえず、サメの徘徊する大海原に取り残されてしまう。
絶体絶命のピンチ! しかし岳人はアウトドア業界ではサバイバルマスターの通り名で有名なサバイバルの専門家だった。
ありあわせの材料で筏を作り、漂流物で筏を補強し、雨水を集め、太陽熱で真水を蒸留し、プランクトンでビタミンを補給し、捕まえた魚を保存食に加工し……なんとか生き延びようと創意工夫する岳人と美岬。
大海原の筏というある意味密室空間で共に過ごし、語り合い、力を合わせて極限状態に立ち向かううちに二人の間に特別な感情が芽生え始め……。
はたして二人は絶体絶命のピンチを生き延びて社会復帰することができるのか?
小説家になろうSF(パニック)部門にて400万pv達成、日間/週間/月間1位、四半期2位、年間/累計3位の実績あり。
カクヨムのSF部門においても高評価いただき80万pv達成、最高週間2位、月間3位の実績あり。

メトロポリス社へようこそ! ~「役立たずだ」とクビにされたおっさんの就職先は大企業の宇宙船を守る護衛官でした~
アンジェロ岩井
SF
「えっ、クビですか?」
中企業アナハイニム社の事務課に勤める大津修也(おおつしゅうや)は会社の都合によってクビを切られてしまう。
ろくなスキルも身に付けていない修也にとって再転職は絶望的だと思われたが、大企業『メトロポリス』からの使者が現れた。
『メトロポリス』からの使者によれば自身の商品を宇宙の植民星に運ぶ際に宇宙生物に襲われるという事態が幾度も発生しており、そのための護衛役として会社の顧問役である人工頭脳『マリア』が護衛役を務める適任者として選び出したのだという。
宇宙生物との戦いに用いるロトワングというパワードスーツには適性があり、その適性が見出されたのが大津修也だ。
大津にとっては他に就職の選択肢がなかったので『メトロポリス』からの選択肢を受けざるを得なかった。
『メトロポリス』の宇宙船に乗り込み、宇宙生物との戦いに明け暮れる中で、彼は護衛アンドロイドであるシュウジとサヤカと共に過ごし、絆を育んでいくうちに地球上にてアンドロイドが使用人としての扱いしか受けていないことを思い出す。
修也は戦いの中でアンドロイドと人間が対等な関係を築き、共存を行うことができればいいと考えたが、『メトロポリス』では修也とは対照的に人類との共存ではなく支配という名目で動き出そうとしていた。
日本国転生
北乃大空
SF
女神ガイアは神族と呼ばれる宇宙管理者であり、地球を含む太陽系を管理して人類の歴史を見守ってきた。
或る日、ガイアは地球上の人類未来についてのシミュレーションを実施し、その結果は22世紀まで確実に人類が滅亡するシナリオで、何度実施しても滅亡する確率は99.999%であった。
ガイアは人類滅亡シミュレーション結果を中央管理局に提出、事態を重くみた中央管理局はガイアに人類滅亡の回避指令を出した。
その指令内容は地球人類の歴史改変で、現代地球とは別のパラレルワールド上に存在するもう一つの地球に干渉して歴史改変するものであった。
ガイアが取った歴史改変方法は、国家丸ごと転移するもので転移する国家は何と現代日本であり、その転移先は太平洋戦争開戦1年前の日本で、そこに国土ごと上書きするというものであった。
その転移先で日本が世界各国と開戦し、そこで起こる様々な出来事を超人的な能力を持つ女神と天使達の手助けで日本が覇権国家になり、人類滅亡を回避させて行くのであった。
日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー
黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた!
あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。
さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。
この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。
さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる