Future

神山 備

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番外編

運命の味 -Chiffonside

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 穂波が、カナダから留学生と友達になったと聞いたのは、つい二週間ほど前のことだった。

「お母様、来週アンを呼んで良い?」
 日本の学期に合わせて来た彼女は、早速訪れた大型連休《ゴールデンウイーク》をどう過ごそうかと、頭を悩ませているという。
 日本は世界でも一二を争う物価の高い国である。しかも、大型連休ともなればそれを見越して観光地などは軒並み価格を吊り上げる。夏休みであれば、そんな観光地でバイトという裏技もあるのだが、長くて10日のゴールデンウイークではそうもいかないし、留学生の彼女には言葉の問題もある。ならばと、穂波は、
「ウチにおいでよ」
と結城家にその留学生を招待したいというのだ。別に断る理由もないので、私はそれを承諾したのだが……

 当日現れたその留学生に、
「あ、アン……」
私は飛び上がるほどびっくりした。
「ハウ ドゥ ユー ドゥ,マイ ネーム イズ アンジェリーヌ・デュラン。ナイス トゥ ミート ユー」
そう、そこにいたのは、もう一人の私の娘、アンヌちゃんだった。いくらカナダのトロントからでアンという名前でも、フルネームで聞いてなかった私には結びついていなかった。だって、アンなんて名前、トロント中に何人いると思う? あの有名な「赤毛のアン」だって、カナダのお話だし。
 それでも、高鳴る胸を必死で抑えて、
「ナイス トゥ ミート ユー」
と返した私は、早速お茶の用意を始めた。そして、思い立ってビスコッティーを焼く。これは、あっちの子供たち(アンジェリーヌ・テオドール)の実の母親が遺したレシピを元にあっちの私が二人に初めて作ったお菓子で、あっちの私の人生を変えた、謂わば幸せのお菓子だ。こっちのアンヌちゃんも幸せになってほしいという願いを込めて焼く。

 あっちの私がトロントに行った当時、アンヌとテオの父親であるジェラール・デュランは、仕事と子育てに疲れ切っていた。
 奥さんが急逝し、頼んだ年輩で厳格なベビーシッターに子供たちが懐かないのだ。特にまだ4歳になったばかりのテオは、母の味を恋しがり、何も食べずに泣くばかり。かろうじて飲料類は口にしているので、事なきを得てはいるが、幼児期の子供が長いこと固形物を口にしないのは、成長の多大な妨げになる。そんなことを考え始めると、全く仕事にならない。
 頭を抱えるジェラールに
【奥様の得意料理って何ですか】
と聞いてきたのが、同じ奥さんの死で採用したあっちの私だったのだ。ジェラールは元々料理好きだった奥さんの遺品からレシピ集を見つけ、あっちの私はその中で一番食べやすいビスコッティーを作って、祈るような気持ちで差し出した。それをテオは、
【ママンの味】
と言いながら、瞬く間に一個完食。もっともっとと強請るのを今度は抑えるのに困るほどだった。
 以後、あっちの私は乞われるまま子供たちに『母の味』を再現し、すっかり懐かれてついには一緒に住むように。
 とは言え、夢では何度も作っているんだけど、現実では初めてだったから、上手くできるかは不安だったんだけどね。
 それを、
【あなたのママンのように上手くできてないとは思うけど】
と言って差し出す。
【ビスコッティー? ありがとう、大好きなんです】
と笑顔になったアンヌちゃんは、それを口に入れた途端、涙目になり、
【な、何で……ママンの味……
あたし、作ってもいつもどっか違うのに……】
と言われて慌てた。まさか、泣かれるなんて思わなかったもの。
 聞けば、こっちのジェラールはそのまま一人でいるようだ。で、食べなくなったテオにはジェラールとアンヌちゃんの二人で、あのビスコッティーを作ったのだという。テオは何とかそれを食べてくれて、それから少しずつ他の物を食べるようになったのだとか。それ以来、幾度となくビスコッティーを作っているが、どこか母の味にはならなかったと言うのだ。それを見ず知らずの私がいとも簡単に『再現』してみせたもんだから、ちょっと悔しかったらしい。
【だって、私も母だもの。母のエッセンスでも入ってるんじゃない?】 
と何か妙な言い回しで誤魔化しておいたけど。

 でも、私はこの時、ビスコッティーを作ること以外にも、もう一つとんでもないことをしでかしていたのだった。

 その日の夜、台所で片づけをしていると、いつもは台所になんか入ってこない龍也やってきた。
「母様、あの子のこと、知ってるの?」
といきなりそう聞かれて、ぎくりとしながらも、
「ううん、初対面だわ」
と返した。でも龍也はそれを聞いて、
「嘘つき」
と言った。顔も怒っている。
「ホントよ、今日初めて会ったのよ」
私はそういうしかない。だって、こちらの彼女に会ったのは正真正銘今日が初めてなんだから。でもどうして、私がアンヌちゃんを知っていることが分かったんだろうと思っていると、龍也が、
「だったらどうしてあの子にフランス語で話しかけたの」
普通、カナダって言えば英語でしょ? と続けたので、
「あ……」
一瞬にして血の気が引いた。うわっ、私ったらあっちの家にいるようなつもりで、フランス語で会話してた! そう言えば龍也の第二外国語ってフランス語だったっけ。あんまり難しい会話じゃなかったから、意味分かっちゃったのね。やっちゃった……。
「しかも、ネイティブ並みに流暢ってどういうことなのさ。
母様はフランスにいたことでもあったの?
それより何より、あの子がフランス語をしゃべれるってどうして分かったの?」
龍也の矢継ぎ早の質問に、私は項垂れるしかなかった。

 そう、デュラン家はフランスからの移民で、家庭での会話はほぼフランス語なのだ。あっちの私はアンヌちゃんとテオ君にフランス語を習ったと言っても過言じゃない。
 そして、それを夢でつぶさに睡眠学習し続けた私は、いつの間にかあっちの私と同じくフランス語が話せるようになっていたようだ。

 にしても、この状況じゃ、正直に話さないとダメだよね。とは言え、正直に話しても信じてもらえるなんて思えないけど……
「ねぇ、茶化さないで聞いてくれる?」

 私は、夢でパラレルワールドとつながっていること、その世界で私はカナダでアンヌちゃんの母親であることをかいつまんで説明した。龍也は信じないどころか、
「ふーん、それってめちゃくちゃ面白いじゃん。
ねぇ、母様それ、僕が小説にしても良い?」
と言いだした。確かに龍也はものを書くのが好きで、ちょこちょこと書いているのは知ってるが、あんたが書いてるのは経済小説だよね。全然畑違うじゃん。
 もっと詳しく教えてよと言う龍也に、
「ダメよ! ダメダメ!! 小説はもうあっちで私が書いちゃってるわ」
と私は頭を振ったが、
「それ、パラレルワールドでの話だよね? じゃぁ、面を揃えるためにも尚更こっちの書き手がいるじゃん。
母様が書かないなら、僕が書くしかないでしょ」
と頑として引き下がらない龍也。
 確かに残しておきたい気はしないでもないけどさ……
 そうなると、秀一郎さんがお義父様の実の息子でないことまで話さなきゃならなくなるんだよね。それって、龍也にとっても、けっこうキツいんじゃないかな。
 もちろん、その部分だけを隠すことはできるけど、同じ書いてもらうのなら、全部残しておきたいじゃない。
 
 結局私は、龍也に洗いざらい話した。父親の出生の秘密にはさすがにショックを隠せなかったようだけど、
「だからこそ聞いて良かった。みんなの想いを形にできて僕は幸せ者だ」
と言い、大学3年の時に企業ミステリーで小説賞を取った龍也は、大学卒業後デビューし、その後その伝手を使って、別名でこっそり上梓した。あっちみたいに大ヒットはしなかったけど、それなりに売れているみたいだ。
 
 で、こっちでもアンヌちゃんは龍也と結婚した。こっちは日本が好きで、龍也が好きでの、押し掛け女房だ。あっちとまるで逆のパターン。
 少し条件が変わるだけで、全く違ってしまう未来Futureだけど、ある程度の運命はあるのかもしれないなと、思う今日この頃だ。
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