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兄夫婦
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兄の家に着いた加奈子は、ぽんぽんとその辺に靴下やら上着を脱ぎ散らかしていく英介を唖然として見た。彼はノートパソコンを出してどっかと座ると、
「杏ちゃん、コーヒーね」
とまるで語尾にハートでも付いていそうな甘い声で、杏子におねだりする。それはいつものことらしく、杏子は平然と脱ぎ捨てられたものを拾いながら歩き、台所に向かう。杏子はコーヒーを食器棚から出しながら、
「加奈ちゃんもコーヒーで良い?」
と聞いた。それを聞いた英介がしまったという表情になる。どうやら加奈子が来ていることを忘れてついいつも通りの態度をとってしまったらしい。
「ええ、私も手伝うわ」
加奈子はそう言いながら台所に入り、
「ねぇ、兄さんっていつも家ではあんな感じなの?」
と小声で聞いた。
「そうだよ、それが何か?」
杏子は首を傾げながら頷く。
実家にいた頃はもうすこししゃきっとしていたはずだ。これではとても高校の数学教師で、生徒指導部『鬼の小橋』と呼ばれていたのと同一人物とは思えない。
パソコンの左側に大量の紙の束が置かれる。どうやら採点された結果を一覧表に落とし込む作業のようだ。高校生の陸と瞳が試験中なのである、当然英介の学校もそうなのだろう。
「ごめん、忙しい時に来ちゃったみたいね。杏子さんも気にしないでやっちゃってね」
加奈子がそう言って謝ると、
「気にしなくて良いわよ、英介君と違って私は初日だったから、粗方データ反映も終わってるの」
杏子はそう言いながら、コーヒーをセットしたサーバーにお湯を注ぐ。
杏子もまた、高校の教師だ。杏子がいた学校に英介が赴任してきたのが縁で結婚した。ちなみに杏子は英介より4歳年上だ。
そして、夫婦の寝室に加奈子と二人で寝ると言う杏子に、明らかにふくれっ面の英介。加奈子は思わず英介の歳を考える。自分より5つ年上だから、52歳になるはずだ。
「ねぇ杏子さん、兄さんのどこが良くて結婚したの?」
加奈子は寝室のドアを閉めたとたんに杏子にそう聞いた。
「どこがって、そうだなぁ……かわいいとこかな」
「かわいい……」
そして返ってきた答えに苦笑する。あの、強面の『鬼の小橋』のどこがかわいいのだろう。
「妹の加奈ちゃんには解んないかもね。英介君、結構モテたんだよ。若くてバイタリティーがあって、生徒にも慕われてたから。結婚が決まったとき、露骨に敵意を向けられたりしたもんね」
そう言って杏子は豪快に笑う。
「私ね、英介君が赴任してきたとき、ちょうど元カレと別れたばっかだったの。
その人とは大学在学中からつきあってた。所謂長い春ってやつよ。
教職にならずに一般企業に就職した彼とはぜんぜん生活時間が違うし、そのうち心もすれ違ってしまった。最終的には、その彼の、『俺と生徒とどっちが大事だ』って言葉でチョン。それが私にとっての地雷だって気づかなかったんだよね、あいつは」
教師の仕事は勤務時間があってないようなものだ。たとえば定期テストをとっても、生徒はただ受験するだけで済むが、教師はそれを作成し、採点し、評価しなければならない。しかもそれをするのは、だいたい英介のように学校が終わった時間だ。
それに運動系のクラブの顧問でもしようものなら、休みの日も休みではなくなる。そんな杏子の日常に、相手の男はしびれを切らせて、教師を辞めてもっと時間の自由の利く仕事をして欲しいと言ったのだ。教師以外考えられなかった杏子はその男と別れることを選んだ。
「杏ちゃん、コーヒーね」
とまるで語尾にハートでも付いていそうな甘い声で、杏子におねだりする。それはいつものことらしく、杏子は平然と脱ぎ捨てられたものを拾いながら歩き、台所に向かう。杏子はコーヒーを食器棚から出しながら、
「加奈ちゃんもコーヒーで良い?」
と聞いた。それを聞いた英介がしまったという表情になる。どうやら加奈子が来ていることを忘れてついいつも通りの態度をとってしまったらしい。
「ええ、私も手伝うわ」
加奈子はそう言いながら台所に入り、
「ねぇ、兄さんっていつも家ではあんな感じなの?」
と小声で聞いた。
「そうだよ、それが何か?」
杏子は首を傾げながら頷く。
実家にいた頃はもうすこししゃきっとしていたはずだ。これではとても高校の数学教師で、生徒指導部『鬼の小橋』と呼ばれていたのと同一人物とは思えない。
パソコンの左側に大量の紙の束が置かれる。どうやら採点された結果を一覧表に落とし込む作業のようだ。高校生の陸と瞳が試験中なのである、当然英介の学校もそうなのだろう。
「ごめん、忙しい時に来ちゃったみたいね。杏子さんも気にしないでやっちゃってね」
加奈子がそう言って謝ると、
「気にしなくて良いわよ、英介君と違って私は初日だったから、粗方データ反映も終わってるの」
杏子はそう言いながら、コーヒーをセットしたサーバーにお湯を注ぐ。
杏子もまた、高校の教師だ。杏子がいた学校に英介が赴任してきたのが縁で結婚した。ちなみに杏子は英介より4歳年上だ。
そして、夫婦の寝室に加奈子と二人で寝ると言う杏子に、明らかにふくれっ面の英介。加奈子は思わず英介の歳を考える。自分より5つ年上だから、52歳になるはずだ。
「ねぇ杏子さん、兄さんのどこが良くて結婚したの?」
加奈子は寝室のドアを閉めたとたんに杏子にそう聞いた。
「どこがって、そうだなぁ……かわいいとこかな」
「かわいい……」
そして返ってきた答えに苦笑する。あの、強面の『鬼の小橋』のどこがかわいいのだろう。
「妹の加奈ちゃんには解んないかもね。英介君、結構モテたんだよ。若くてバイタリティーがあって、生徒にも慕われてたから。結婚が決まったとき、露骨に敵意を向けられたりしたもんね」
そう言って杏子は豪快に笑う。
「私ね、英介君が赴任してきたとき、ちょうど元カレと別れたばっかだったの。
その人とは大学在学中からつきあってた。所謂長い春ってやつよ。
教職にならずに一般企業に就職した彼とはぜんぜん生活時間が違うし、そのうち心もすれ違ってしまった。最終的には、その彼の、『俺と生徒とどっちが大事だ』って言葉でチョン。それが私にとっての地雷だって気づかなかったんだよね、あいつは」
教師の仕事は勤務時間があってないようなものだ。たとえば定期テストをとっても、生徒はただ受験するだけで済むが、教師はそれを作成し、採点し、評価しなければならない。しかもそれをするのは、だいたい英介のように学校が終わった時間だ。
それに運動系のクラブの顧問でもしようものなら、休みの日も休みではなくなる。そんな杏子の日常に、相手の男はしびれを切らせて、教師を辞めてもっと時間の自由の利く仕事をして欲しいと言ったのだ。教師以外考えられなかった杏子はその男と別れることを選んだ。
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