泡沫のゆりかご 三部 ~獣王の溺愛~

丹砂 (あかさ)

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本編

第36話 熱情の痕 10

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「泣いていないか、心配した」

 風で乱れた髪を掻き上げて、露わになった頬にギガイが軽くキスをした。

「宮へ戻した時に、ひどく落ち込んでいただろう」
「えっと……はい。ギガイ様のお邪魔をして、怒らせてしまったと思ったので……」
「そうか。悲しませる真似をして、すまなかった」

 隠さずに、気持ちを伝えたレフラに、応えるギガイの声音が柔らかい。謝罪の言葉を告げるギガイの眼が、優しく見えたのも、きっと見間違いではないだろう。

 素直に気持ちを告げれば、喜んでくれるギガイに背を押されて、レフラは唇を尖らせた。

「でも、ギガイ様のせいで恥ずかしかったのに、あんな風に嫉妬して怒るなんて酷いです」

 拗ねた声音が、本気でギガイを責めていない事は伝わるだろう。でも、ギガイだけの御饌として存在しているレフラが、こんな風にハッキリと、ギガイの悋気を責めた事はこれまでなかった。レフラへ向いていたギガイの目が、ほんのわずかに大きくなる。ギガイとしても、それだけレフラの言葉が、意外だったと伝わった。

「えっ、違いましたか……?」
「いや、すまん。当たっている。確かに、お前が言うように、痕を晒したのは失敗だった。お前のああいった姿は、私のものだからな。おいそれと他の奴らに見せるような状況を、作るべきではなかった」

 それでも、ギガイなりに反省をしたのか。納得したように、レフラの言葉に頷き返した。

「どこまでなら、構わないんだ?」
「えっ?」
「お前はいつも、人前では止めてくれ、と言うだろう。どの辺りまでなら、平然としていられるんだ?」

 常識や、誰かの視線を意識して、譲歩をする気は全くない。だけど、ギガイが特別に抱え込んだ、レフラの柔らかな内面を、隠しておく為なら仕方がない。そんな考えが明け透けに伝わる、ギガイらしい言葉に、レフラはクスクスと笑ってしまう。

「手を繋ぐのは平気です」
「腕の中からは離さんぞ」
「じゃあ、抱擁までにしてください」
「頬へのキスもダメだと言うのか」

 ぐるぐると喉を鳴らす姿は、はっきりと不満だと訴えていた。そんなギガイの姿が、レフラにはたまらなく可愛かった。

(愛おしい、ってこういう気持ちも言うんでしょうか?)
 
 普通の者達にとっては、黒族長の不興など、猛獣の牙が首元に立てられているようなものだった。怯えに身体を震わせて、許しを請うのが当然だろう。
 でも、かつて同じように見えた姿が、いまのレフラには違って見えていた。本気の怒りを抱いた姿を知っているためか。それとも、ギガイがレフラを傷付けるはずがない、という信頼か。その両方なのかは分からない。だけどレフラにとっては、不満げに琥珀の目で覗き込んでくるギガイの姿は、もう大きいだけの獣が、拗ねているようにしか見えなかった。

「じゃあ、頬へのキスまでにして下さい」
「分かった……だが、いつものやつら相手なら、挨拶程度のキスには慣れて欲しいんだがな。何度も言うが、あいつらは、本当に気にしないぞ」

 ギガイが未練がましく、レフラの唇を指先でつつくもんだから、気持ちがますます擽ったくなる。

「それに、日々の中で、ささやかな癒やしが、私へもあって良いと思うが?」
「癒し、ですか……?」
「あぁ。以前、毎日頑張っている、とお前が言っていただろう。そんな私へも、癒しがあっても良いのではないか?」
「でも、人払いをされた時には、たまにでしたら私も……」

 以前約束したように、レフラだってギガイを癒せるように、頑張ってはいるのだ。

「あぁ、それは理解しているし、嬉しくも思っている。だが、毎回人払いをする訳にもいかないからな。毎日頑張っているのなら、その毎日へも、ささやかな癒しがあって欲しいと、思うのだが」
「……それが、キス、ですか……?」
「あぁ」

 ダメなのか、と拗ねるように見上げてくる眼差しに、レフラがうぅ、と首を引いた。もう即答で断りきれなかったことが、結局は答えということだった。

「それなら……あの……執務室で、あいさつの……き、すだけ、は……で、でも、他の場所では、だめです、よ!!」
「あぁ、分かった。約束しよう」

 顔を赤く染めたレフラを、機嫌が良さそうな声で応えながら、ギガイが胸元に抱き寄せる。口角を上げて満足げに笑うギガイの姿に、気が付かなかったのは、レフラにとっては幸か不幸か分からない。でも、取り繕われていないギガイの表情は、誰が見ても、幸せそうな表情だった。
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