泡沫のゆりかご 三部 ~獣王の溺愛~

丹砂 (あかさ)

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本編

第31話 熱情の痕 5

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「何でもない、私は着替えてから戻る。お前はあいつらと先に行け」

 そう言って、抱え上げていたレフラを降ろしたギガイに、レフラは目を見開いた。視線を護衛の3人へ向けているせいで、レフラの位置からは、ギガイの表情は見えない。だから、1番にギガイの心情を語る目が、どんな色を浮かべているのか、レフラには全く分からない。でも。

(何でもない、と仰るなら、どうして腕から離されるんですか?)

 その上、いつもと違って、さっさと退出をするように、ギガイの手はレフラの背を押していた。

 さっき一瞬だけ絡んだ視線が、不快そうに歪んだように見えたのだ。見間違いであって欲しい。そう思っても、今のギガイの対応から、きっと勘違いではないだろう。

「ほら、さっさと向かえ」

 動き出さないレフラに焦れたのか、ギガイがもう1度そう言って、3人の方にレフラを押した。その力にレフラの脚が、2、3歩進む。そのまま歩き出すと疑わなかったのか、振り返ったギガイは、レフラにもう背を向けていた。そのまま控えたままの武官達の方へ歩き出そうとしたギガイの手を、レフラはとっさに掴んでいた。

 ギガイに背くつもりがあった訳じゃない。例え対等な番だとはいっても、黒族長であるギガイの領分といえる場所で、ギガイの面子を潰すような振る舞いや言動をする気はない。

 だが同時に、ギガイを怒らせたかった訳でもなかったのだ。だから、何かがギガイを不快にしてしまったのなら、少しでも早くそれを解消したい。レフラはそんな気持ちで焦っていた。

 ただ、離れていくギガイを引き留めようとした手が、たまたま掌に巻かれた包帯へ当たってしまったのは、不運だった。そして、その包帯が、鍛錬の中で緩んでおり、ハラリと解けてしまったのも、状況から判断すれば仕方なく。レフラにすれば、重なり合ってしまった、不運だった。

 解けた白い布が地面へ落ちるのに、かかった時間はほんのわずかだ。だが、黒族長であるギガイが怪我を負っている。それがわずかな傷であろうと、見える場所に巻かれた包帯への関心は、レフラの想像をはるかに凌いでいた。

「噛み傷……」

 ポツッと零れた音が、誰の呟きだったのかは分からない。離れた位置で控えた武官達の中から聞こえた事だけは、間違いなかった。鍛え上げられた優秀な武官故に、視力もだいぶ良かったのかもしれない。だが武官のせっかくの眼も、レフラの良く聞こえる耳も、今は何1つ良いようには役だっていなかった。

「ご、ごめんなさい。あっ、あの、包帯。あの、新しい物を」

 聞こえた声にカァァと一気に身体が熱くなり、動揺に言葉も裏返ってしまう。見られてしまったショックに加えて、こんな情事の痕が恥ずかしくて、レフラは震えた指でギガイの手を捕まえながら、ハクハクと唇を動かした。

「チッ! おい!」

 頭上からギガイの苛立ったような舌打ちが聞こえ、レフラの手から腕が奪い返される。そのままギガイの大きな掌が、レフラの顔を覆うように、頬へ添えられ動きを制した。

 そのままギガイが呼び掛けた声に、護衛の3人が間を詰める。

「このまま囲って宮へ戻れ」
「かしこまりました」

 そして言い放たれた冷たい声音に、3人が同時に返答した。

「待って下さい。ギガイ様、包帯は。それにこの後、執務室へ伺って良いと……」
「これぐらいの処置は私の方でする。執務室は今度にしろ。今日はもう宮へ戻れ」

 最近では殆どない、冷たい声音にレフラは跳ねそうになる身体を抑えた。ここはいつもの人達だけがいる、いつもの場所ではない。ギガイの面子を保つために、レフラにもそれなりの振る舞いが求められるような場所だった。

 レフラは湧き上がる不安を圧し殺して、口元をわずかに上げて柔らかく微笑んだ。下がった眉尻が相まって、申し訳なさそうな笑みには、しっかり見えるだろう。

 こういった取り繕った表情。よそ行き用だと称する顔を、ギガイが好まない事は知っている。でも、こんな場所でこれ以上の醜態は晒せなくて、レフラはその仮面の下にみっともない感情を押し隠した。
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