泡沫のゆりかご 三部 ~獣王の溺愛~

丹砂 (あかさ)

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本編

第8話 黒族の常識、非常識 3

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「エルフィル様も、笑ってないで、止めて下さい!!」
「ですが、あの程度は、武官ならば日常ですよ」
「それでもです!! ここでやるなら、腕相撲で!! あとは、外の鍛錬の時にして下さい!!」
「分かりました」

 レフラの剣幕に、一瞬圧されていたエルフィルだが、早々に気持ちを立て直したようだった。頷き返した神妙な顔は、いつもエルフィルが揶揄う時のように、どこか演技染みている。

「も~、これでも真剣に悩んでたんですよ」

 変わらないエルフィルに、怒りも気力も一気に削がれて、レフラはガクッと肩を落とした。

「アハハ、すみません。でも本当に、そんなに悩まなくても、大丈夫ですよ。先ほどお伝えしたように、ギガイ様のレフラ様への対応自体が、黒族である我々の普通から逸脱しすぎてますから。黒族の民にすれば何があっても、レフラ様相手なら、そういうものか、と終わってしまうと思いますよ」

 そう言われながら、促されて机に戻れば、真面目に腕相撲に取り組んでいた2人が、レフラを迎え入れるために席を立つ。ラクーシュがレフラの為にイスを引いている間に、リランがアイスペールから冷えたハーブ水をグラスに注いで、差し出した。

「喉は大丈夫ですか?」

 思わず怒鳴ってしまった相手に、かいがいしく世話を受けながら気遣われて、さっきの事が、少しずつ気まずくなっていく。しかも、今までこんな風に、声を張り上げた経験なんて、ほとんど無いレフラにすれば、慣れない行為も居たたまれない。

「……あっ、大丈夫です……」

 レフラは差し出されたグラスを受け取って、表面の雫を指先で拭った。

「あの……すみません……大きな声を出してしまって……」
「いえ、私達こそすみません。でも、良いことです。レフラ様はずっと気持ちを押し殺しがちでしたから。これからも、何かあれば、我慢せずに仰って下さい」

 ニコニコと笑いながら言ったリランが、手に持ったグラスを促した。つられてホッと息を吐いて、勧められるままにグラスへ口を付ければ、酸味とほのかな甘みが口の中に広がっていく。

「美味しい……」

 思わず口元が綻んで、言葉がポロリと零れ出た。

「お口に合って良かったです」
「これはリラン様が、ご準備されたんですか?」
「はい。作ったのは厨房ですが、お好きな味だと思って手配しました」
「ありがとうございます。嬉しいです」
「とんでもございません」
 
 そう言ったリランだけではなく、他の2人も、嬉しそうに笑うレフラに釣られて微笑んでいる。

「心配は、無くなりましたか?」
「……はい、少しは……」
「少しですか? でも、レフラ様。黒族の者にすれば、ギガイ様が平穏であれば、皆も穏やかに過ごせますから、お二人の仲が良いことは喜ばれていますよ」

 エルフィルへの答えを聞いたラクーシュが「大丈夫ですって!」と、またあっけらかんと笑い飛ばした。

「それに俺達にしても、お仕えしてるレフラ様が、お幸せなら別に良いと思ってますし。だから、日頃からあまり気にする事もないですよ」

 ついで、豪胆に言い添えられて、レフラは顔がまた熱くなるのを感じていた。そんな狼狽えるレフラに反して、リランやエルフィルも「その通りです」とあっさり頷いてくるのだから。 ギガイや3人が言うように、皆、レフラが思うほど、気にしていないのだろう。

「で、でも……やっぱり、恥ずかしいですよ……」

 レフラが幸せならば、それで良い。

 告げられた真っ直ぐな言葉にこそばゆさを感じながら、レフラがチラッと3人を見上げた。その視線に、おや?っと一瞬動きが止まった後、3人はハハハッと揃ったように笑い出した。

「それは、どうにか慣れて下さい」

 綺麗に重なった言葉だった。諦めろ、と突き放すような言葉でも、笑う3人の雰囲気は見守るように温かい。

(歳の離れた兄が居たら、こんな感じなんでしょうか?)

 跳び族の長子だったレフラには、沢山の弟や妹は居たけれど、彼らは皆、レフラが定めとして背負うべき存在だと思っていた。家族でさえもそうだったのだから。御饌という名の供物として、あり続けた日々の中では、レフラを見守る者どころか、寄り添う者は誰1人として居なかった。

 だけど、今はこうやって、かつて憧れた家族のように感じる人達がいるのだ。

「も~!」

 不満げに口を尖らせるレフラの周りには、今日もまた穏やかな空気が満ちていた。
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