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第3章 カルセランド基地奪還作戦
第18話 『救済』
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「・・・良かったんですか、これで」
致命傷を負い、一歩も動けずにいた騎士、テンガ、彼は瀕死で虫の息ながらもジェリドンに見逃され、壁に背をつけながらそう呟いた。
「はぁはぁ、私は、私の気に入らないものを斬った、『フソウ』も、そんな私を褒めてくれています、だから、これで良かったんです」
──────────オウカは、ジェリドンに敗れた。
一矢報いて、ジェリドンに一撃を与える事に成功したが、ジェリドンは類まれなる集中力でもって、肉を切らせて骨を断ち、自身の片腕と引き換えにオウカの胸を貫いたのである。
此度の戦いで、全身に怪我を負っていたジェリドンにとっても、そのダメージは深手となったが、だがジェリドンは、満身創痍となりながらも、己の使命を果たす為にライアの下へと向かったのであった。
そんなジェリドンの姿を見て、敗北したオウカも、敵わないと自身の結末を受け入れざるを得なかった。
きっと彼は、本当に手足を折られても、骨だけになっても、魔族を殲滅する為に戦い続けるのだろう。
それが到達者である彼と自分の差だと理解して、オウカはこの結末を受け入れていたのであった。
「・・・すみませんね、第二席でありながら、私は彼の事を、何も理解出来ていなかった、せめて、私が、致命傷を与えられていたならば、貴方にも勝機はあった筈なのに・・・」
「はぁはぁ、げふっ、・・・よいのです、騎士でなくなった私など、構うほどのものでもありません、それに、運命が閣下を、生かすのだとしても、必ず、裁きの日は、訪れる筈ですから」
「・・・そう言えば、【勇者】、の下へ行くと言ってましたね、貴方はそれに心当たりが?」
「ええ・・・、彼ならきっと───────、「自分の気に入らないもの」を、断ち斬ってくれる筈です、だからきっと、閣下を斬るのは、私の役目では無かった、それだけの事、です・・・」
俺はベースキャンプで長旅になると思い多くの物資を回収した。
幸い無人だったので医療品なども拝借出きたので、粉砕骨折した左腕に自力でテーピングを施した。
少し時間はかかったが、これからの帝国までの旅路を考えれば必要な処置だったので、そこは横着出来なかった。
俺は物資を詰め込んだリュックを右肩に担いでクーの下へと帰還した。
「──────────え?」
目の前には片腕を失い全身から出血して血まみれのジェリドンがいた。
いや、その血は出血だけでは無い、夥しい量の返り血を浴びて、ジェリドンは血に染まっていたのだった。
そしてジェリドンの持つ剣は、一人の少女に突き刺さっていた。
それが何かを理解した時、俺は足が竦んで歩けなくなった。
「はぁはぁ、・・・誰だ、・・・ああ、【勇者】か、すまぬ、遅くなった、君に、殺しを背負わせるのは酷かと思い、私が手を下させて貰った、はぁはぁ、すまないな、君に、こんな役目を背負わせて」
過呼吸を繰り返すジェリドンはもう目がまともに見えていないのだろう、焦点はあっておらず、虚ろな瞳だった。
それなのにクーの居場所を探り当てるとは、恐ろしい執念としか言いようが無いが。
おかげで俺に角が生えてる事にも気付いてないようだ、服装だけで判別してるのだろう、視線は下に向いていた。
「・・・なんで、殺したんですか」
俺は震える声で訊ねた、いや、理由なんて分かりきっているが、それでも聞かずにはいられなかったからだ。
「・・・子供だろうと、魔族は悪魔だ、悪魔の芽は摘み取らねばなるまい、それが、私の使命だ、恨んでくれていい、気に入らなくば、【勇者】よ、君が私を殺せ」
「は・・・」
そう言ってジェリドンは息も絶え絶えに俺に首を差し出した。
既に致命傷を負っているのだろう、もう長くは無い事は見て取れた。
それなのにわざわざここまで来たのだとしたら、その執念の凄まじさは賞賛に値するものだった。
それだけ、魔族の少女を生かす事を許せなかったのか、それとも、俺が魔族の少女を持て余す事を見計らって、カタストロフを阻止する為に自ら手を汚す為にここに来たのか、どちらかは分からないが、貧弱な少女一人を殺す為に最期の命を使ったというのは、とても理解に苦しむ事だった。
「・・・もしも、【勇者】である君が魔族を許せというならば、君はこの首を手土産に和睦をすればいい、本来ならば君こそがこの国の玉座に座るべき者なのだから。
だが、どうか知って欲しい、この国に住む者達の嘆きを、君の代わりに犠牲になった者たちの無念を、それらを背負う私には、この〝道〟しか無かったのだ、全てを犠牲にしてでも果たさなければ報われない、そんな〝使命〟だったのだ。
陛下も、【勇者】が人間同士の争いに巻き込まれないようにと、自ら断頭台に登った、それ故に私は、全てを背負う事を誓ったのだ」
「・・・つまり、【勇者】の敵となるものを全て滅ぼして、【勇者】の背負う重荷を減らす、その為に戦争をしていた、という事ですか・・・?」
「はぁはぁ、この国にとって、【勇者】とは、最早呪いだ、【勇者】がいれば何をしても解決してくれるという、だから【勇者】は、たった一人で、この世界に蓄積した淀みや悪意、その全てを背負わなくてはならない。
それを支える為の王国だったが、今は、もうない、故に、誰にも手に負えない所にまで、我々は、悪意を育て過ぎた、だから私は、その全てを背負う事にした、陛下もまた、王として、その全てを背負って死ぬ事にした、ただ、それだけの事だ」
「・・・・・・」
ジェリドンの事を人でなしで最低のクズだと俺は思っていたが、その根底にあったものが、クズで構成された王国が蓄積させた悪意の清算だったとしたならば、ジェリドンが仮にクズだとしても、批判されるべきは王国でありジェリドンは〝役〟を被っただけの存在に過ぎない。
復讐が連鎖してしまうのは、それが社会のシステムになってしまっているからだ。
魔族の肉体を素材とする特効薬のように、他人の命で救えてしまう命があるのならば、理不尽や不条理は必然の存在となってしまうし、その復讐の被害を被る人間が存在するのも当然の事だろう。
だから、究極的に言えばジェリドンは加害者では無く被害者であり、俺はクーを殺したジェリドンを憎めないでいた。
俺は既に魔族の悪意も、人間の悪意も、そのとんでもない汚物の全て見せつけられていたから、だからジェリドンがやった行為も許せはしないが恨む気にはなれなかったのだ。
俺は今更だが、ここに来てようやくの事、この世にまともに【勇者】という役割を果たせる人間など、今は俺しかいないだろうという自覚を持っていた。
幸せなだけの人間が勇者になったならば、それは理想を押し付けるだけの、破綻した理想家にしかならなかっただろう。
愛を知る人間が勇者になったならば、この世界の理不尽さに耐え切れず、その愛はやがて憎しみに変わり、世界を憎む復讐者になっただろう。
ただの不幸な人間が勇者になったならば、自分の人生の意趣返しとして、ただ成り上がる為に権力への制圧と粛清を行う破壊者になっただろう。
戦争に浸かりすぎた人間が勇者になったならば、最初から命への敬意など持たず、敵となるものを全て葬るだけの独裁者になっただろう。
俺は幼少から地獄を見てきたからこそ生死感、倫理観がぶっ壊れていたし、理不尽にも慣れていた、だからこそ理不尽な悲劇に対しても中立だった。
仮に親がある日突然理不尽に殺されたとしても、死んだのが自分じゃなくてラッキーくらいの感覚だし、俺と双子の姉弟なのに天と地の差があるフエメの事は唯一の肉親でありながら今でも他人としか思ってない。
俺は全ての人間に対して中立だったし、誰も愛して無いからこそ、神と同じ視点で物事を判断する事が出来た。
そして世の中に厭世的になっていた怠け者だからこそ、世の中の悲劇に対しても積極的に感情移入し過ぎずに済んだ。
結論から言うと、この救い難い世を救うなんて俺には無理だ。
俺より優秀でやる気のある部下が100人いたら出来るかもしれないが、そんな可能性は有り得ないものだ。
だからこの場での出来事も、ただの救い難い悲劇としか思わなかった。
そしてそんな悲劇を、ひねくれ者の【勇者】である俺は、放置出来なかったのである。
俺はジェリドンに言ってやった。
「・・・貴方にとって、魔族を一人でも多く殺す事が人の為になると、【勇者】の為になると、そう思っているのかもしれませんが、それは間違いです」
「・・・だろうな、魔族の殲滅など、人に成し遂げられる事では無い、私のした事など、ただ徒に悪意を振り撒いて、世を混乱させただけなのだろうな、すまない」
「・・・いいえ、魔族の殲滅という着眼点は悪くありません、ですが、本当に魔族を滅ぼしてしまったら、魔族の体からしか作られない特効薬を永久に失う事になります、そうなれば人類にとっても大きな損失です」
「・・・いや、あれは、『天死病』の特効薬は、実は人間からでも作られる、ただ、倫理的な問題で、人間から作るのは規制されていただけだ、故に、人間と魔族、この世はどちらかの命を天秤に乗せて戦うしかないのだ」
「・・・そうだったんですか、でも、滅ぼすにしても、人類にとって得になる方法で滅ぼす必要があったんだと、俺は思います、要らない人間を兵士として消耗して、理不尽や圧政のはけ口を戦争と勇者で発散する今のシステムは、歪だけど理にかなってます。
ならば、その、システムを調整し、長期運用出来るように悪意を極限までカムフラージュする必要があったんだと、俺は思います。
例えば、今は貧乏人は貴族や領主に搾取されて徴兵で使い捨てられるしかありませんが、それを逆に、全ての国民が徴兵されるようにして、生き残ったものだけが農民になったり、【宣告】を受けれるようにすれば、全ての国民が徴兵よりはマシだと受け入れるようになりますし、理不尽に耐性が出来ているので、搾取されても文句は言わなくなります。
そして魔族には、一部の魔族にだけ王国の市民権を与えて支援し、武器と食料を売りつけ、手柄を立てた魔族を順次市民権を与えて取り立てる事で、内部分裂、民族浄化、そして帝国の優秀な人材の吸収を狙い、自然消滅させるのが良かったと思います」
それは、たまに政治について考える中で思いついた俺の考えだった。
魔族の作る帝国は亜人の集合国家であり、故に統率力は王国に比べて低く、プライドを捨てて市民権や爵位を与えるなどしてコントロールすれば人類にとって得になるとずっと思っていたのだ。
「・・・君は本当に勇者か?、まるで悪徳政治家のような邪悪な発想だ・・・」
「これは俺の持論なんですけど、いかめしい顔で剣を握ってる相手よりも、笑顔で手を握ってくる敵の方が100倍厄介で脅威なんですよ、だって敵なのに味方のフリして来たら、手の出しようがありませんからね、だから、そういう方向性で人類を、魔族をコントロールすれば、それが永久の繁栄に繋がるって、俺は思うんです」
その言葉を聞いて、ジェリドンはかつての記憶を回想する。
「俺はお嬢様の専属騎士のミシェル・テンペストだ、わざわざお嬢様の出産の護衛に来てくれるなんてご苦労さん、頼りにしてるぜ!!」
十六年前、ジェリドンはとある貴族の屋敷にて護衛の任務に着いていた。
若くして騎士のエリートコースである近衛騎士に任命され、王家から特命を受け、秘密裏に勇者の子孫を護衛する任務に着いていたのであった。
そしてそこで出会った一人の男、彼が新進気鋭にして順風満帆だったジェリドンの運命を大きく変えたのである。
彼が何者だったのかはジェリドンには分からなかったが、男はにこやかな笑顔からは想像もつかないような、とてつもない憎悪を秘めた人間であり、自身の主である筈の夫妻を殺害し、そして当時無敗だったジェリドンに初めての敗北という屈辱を植え付けたのだ。
ただ一つ分かる事は、男は魔族と内通していた事と、そして夫妻に対して尋常ならざる憎悪を抱いていたという事。
その後、ジェリドンは男を探して大陸中を放浪したが、結局消息は掴めずじまいで、ジェリドンも見つけるのは不可能と諦めていたが、しかし、今際の際に思い出した事で、ジェリドンは当時の憎悪が再び燃え上がったのだ。
「・・・くっ、そうだ、あいつだ、私は、必ず、あやつを斬らねばならぬのに、ぐふっ」
ジェリドンは怒りで呼吸が荒ぶるが、しかしジェリドンの体はもう完全に死に体だ、立ち上がる気力すらなかった。
「はぁはぁ、【勇者】よ、もし私を許してくれるのであれば、遺言を聞いて、くれまいか」
ジェリドンは片腕で胸を抑えるが、息は弱々しく、体は硬直して立ってはいられないようだった。
俺はジェリドンの体を支えて木に背をもたれさせると、ジェリドンに言った。
「多分、この世界で貴方を許せるのは、全てを背負える俺だけなのでしょう、でも、俺は許すとか許さないとかは無いです、だって貴方のしたことは、全部俺には関係の無い話ですから、なので後悔も懺悔も、地獄で勝手にしてください、でもここに立ち会った一人の人間として、遺言は聞きます、話してください・・・」
遺言、恐らくそれが重荷になる事は予想出来ていたが、知らずに後悔する事が多すぎたので、ならば知る事を横着せずにいようという思っただけだ。
俺はもう、ほぼほぼ【勇者】という運命に取り込まれてしまっていた。
ガチャでたまたま選ばれたと思い込んでいたあの頃とは違い、今は完全に、完膚無きまでに、日常を破壊されて、【勇者】という役割に絡め取られていた。
逃げ道はあった、でも、逃げるのも楽では無いのだ、時として進んだ方が楽な場合も多々存在する、今はその時という話である。
だから、今更その責務を拒絶しても、負債となって返ってくるだけだと理解していたのだ。
「・・・ミシェル・テンペストという男に気を付けろ、そやつが全ての元凶であり、勇者の末裔狩りの主犯だ、歳は生きてれば40手前くらいだ、それと、もし、我が娘に会う事があったら、「すまない、愛している」と、伝えて欲しい・・・」
「・・・娘が、いたんですか、それなのにこんな戦争を」
愛する者がいるならば、それを奪う罪深さも知るはずだと思ったが、娘すらも道具としか思っていなかったのだろうか。
その質問にジェリドンはか細い声で答えた。
「・・・娘は、16年前、末裔狩りで拾った子だ、大火傷の後遺症で、満足に歩く事も出来ない、娘の為にも、脅威は排除せねばならなかった」
もしその哀れな娘にジェリドンに残された人としての情を全て注ぎ込まれていたならば、確かに他人に分け与える分は無くて当然だったのかもしれない。
体の不自由な娘を見る度に、魔族への憎しみが沸き立つ事になったのだろうから。
「結局貴方のやろうとした事は全て、弱者の為だった、って事ですか・・・。
・・・やっぱり、俺は貴方を許しますよ、ええ、きっと地獄行きで、どれだけ懺悔した所で誰からも許されない罪でしょうけど、でも弱者だった者の代表として、貴方に感謝し、そして許します、今までありがとうございました、王国を守ってくれて」
俺はそう言って右手でジェリドンの手を握った。
ジェリドンの左手に刻まれた深い皺は、ジェリドンがどれだけの苦労と努力を積み上げてこの国を守ってくれていたかを如実に物語っていた。
ジェリドンは俺の手を握り返す余力も無く、段々と力が抜け落ちて、そのまま息絶えた。
俺はジェリドンの呼吸を確認した後、クーの容態を確認する。
剣で腹を一突きされているが、人間より強靭な魔族であれば、もしかしたら助かる可能性もあるかもしれなかったからだ。
だが、どう見ても出血が酷く手遅れだった。
ジェリドンとのやり取りを省いても助ける事は不可能だっただろう。
なまじ、魔族であるが故に生命力が強いせいで死ねずにいるのだろう、クーは両目から涙を流しながら呻きながらも、既に衰弱しきっていた。
命の危機が女神を呼ぶトリガーになるというのならば、この時点でマルシアスが乗り移ってない時点で召喚される事は無いだろう。
俺に出来る事は、この哀れな少女を介錯してやる事だけだった。
「一人くらいは殺す経験をしたいとは思っていたが、まさかこんな無力で哀れなガキを殺す事になるなんてな、ははっ、最低の勇者に相応しい、最低の仕事だな・・・」
どうやったら苦しまずに殺せるか、先ずはそれを考えたが、だが、ここには煉炭も青酸カリも無いし、撲殺や絞殺は普通に苦しいだろう。
それに、生まれてからずっと虐待されて来た彼女に最期に与えられるものが暴力というのも悲し過ぎる、俺はそこで、彼女が最初に言っていた言葉を思い出した。
「・・・確かブドウが好物だったな、最後の晩餐としては質素だが、ここにありそうなものと言えばそれしかないか、待ってろ」
俺は駆け足で山を駆け巡る、行軍している最中に山にはいくらかの木の実があるのは確認していたから、山葡萄や野いちごなどの木の実を俺は急いで採取する。
そして急いでクーのもとに戻ると、クーの息が残ってるのを確認して、クーの口の中に山葡萄を放り込んだ。
「これは・・・、キウイ?レモン?、とても酸っぱい、ですが、ちょっと甘くて、美味しいです、あはは、〝お仕事〟、頑張った、ご褒美ですか・・・?」
〝お仕事〟、彼女の言うそれが何か聞きたく無かったし、知りたくも無かった、なぜならそれは俺にとっても忘れられない痕だったから。
だから俺は黙々と、取ってきた果実をクーの口に放り込んで黙らせた。
「はむ、そんなに、いっぱい、食べられませんよ、はむ・・・」
噛む力が弱まっているのだろう、ぽろぽろと口から零すが、俺はクーの口が空くことの無いように絶え間無く果実を放り込む。
「はむ、今日は、いっぱい食べてもいいんですね、だったら、痛いのも我慢できまふ、ご主人様、ありがとうございまふ、・・・こんなにいっぱい食べたの、・・・生まれて初めてでふ、・・・はむ」
俺が採ってきた果実を全部食べさせる前に、クーは俺の腕の中で、静かに、息を引き取った。
俺は唾液で汚れたクーの口を持っていたハンカチで拭うと、ジェリドンの剣を使って穴を掘り、クーを埋葬した。
今、俺が感じてる感情が何なのか、俺はまだ分からない。
涙を流しているのだろうか。
どんな顔をしているのだろうか。
俺は彼女の全てを知っていたが、知っていたが故に未来が無い事も知っていた。
だから理不尽な死に様だったが、長く苦しむよりは幸せだったのだろうとも納得していた。
もし俺が彼女に同情し、怒るべき相手がいたとしたらそれはジェリドンでは無い。
彼女の目と耳を奪い、そして腐った食事を与えて臓物を腐らせた前の飼い主だ。
だがそいつも既に死んでいる以上、怒りの矛先はどこにも無いのである。
故に俺は、受け止めようの無い悲劇と、予定調和された喪失感に、ただ戸惑うしか無かった。
世の中には、覆せない事、どうにもならない悲劇が多過ぎる──────────。
余命1ヶ月の病人を救えないように、奴隷として生まれついた奴隷根性を矯正出来ないように、大罪を背負ってしまった俺が真っ当に生きられないように。
取り返しのつかない事ばかりで、結局【勇者】に救えるのなんて、簡単に手が届くレベルの、容易い命だけなのだ。
それに気付いた時、俺は何もしたく無かったし、どうせ既にある不幸が無くならないのなら【勇者】は何もするべきでは無いと俺は思った。
行動を起こさなければ、きっと、誰も傷つかなくて済むのだから。
だから本当は、全ての人間が怠惰に生きるべきなのだ、誰とも関わらずに、傷つけずに。
だが、人間はそれを受け入れる事は出来ない、他者に秩序と勤勉を強要する事を辞める事は出来ない、自然な死を受け入れる事は出来ない。
それは人間が抗う事で進化してきた生き物だからだ。
だからきっと、永遠の停滞と怠惰を望む俺の考えなど、誰からも支持されないものなのだろう。
そもそも自分の事しか考えていない俺が、何の為に戦う必要があるのか、それすら分からないものなのだから。
ただ一つ分かる事は、俺がこれからしなければならない事。
クーを看取った俺の体には、この世界に対する憎悪が、この世の全てを注ぎ込んだような憎悪が、火花を散らす程に、激しく渦巻いていた─────。
致命傷を負い、一歩も動けずにいた騎士、テンガ、彼は瀕死で虫の息ながらもジェリドンに見逃され、壁に背をつけながらそう呟いた。
「はぁはぁ、私は、私の気に入らないものを斬った、『フソウ』も、そんな私を褒めてくれています、だから、これで良かったんです」
──────────オウカは、ジェリドンに敗れた。
一矢報いて、ジェリドンに一撃を与える事に成功したが、ジェリドンは類まれなる集中力でもって、肉を切らせて骨を断ち、自身の片腕と引き換えにオウカの胸を貫いたのである。
此度の戦いで、全身に怪我を負っていたジェリドンにとっても、そのダメージは深手となったが、だがジェリドンは、満身創痍となりながらも、己の使命を果たす為にライアの下へと向かったのであった。
そんなジェリドンの姿を見て、敗北したオウカも、敵わないと自身の結末を受け入れざるを得なかった。
きっと彼は、本当に手足を折られても、骨だけになっても、魔族を殲滅する為に戦い続けるのだろう。
それが到達者である彼と自分の差だと理解して、オウカはこの結末を受け入れていたのであった。
「・・・すみませんね、第二席でありながら、私は彼の事を、何も理解出来ていなかった、せめて、私が、致命傷を与えられていたならば、貴方にも勝機はあった筈なのに・・・」
「はぁはぁ、げふっ、・・・よいのです、騎士でなくなった私など、構うほどのものでもありません、それに、運命が閣下を、生かすのだとしても、必ず、裁きの日は、訪れる筈ですから」
「・・・そう言えば、【勇者】、の下へ行くと言ってましたね、貴方はそれに心当たりが?」
「ええ・・・、彼ならきっと───────、「自分の気に入らないもの」を、断ち斬ってくれる筈です、だからきっと、閣下を斬るのは、私の役目では無かった、それだけの事、です・・・」
俺はベースキャンプで長旅になると思い多くの物資を回収した。
幸い無人だったので医療品なども拝借出きたので、粉砕骨折した左腕に自力でテーピングを施した。
少し時間はかかったが、これからの帝国までの旅路を考えれば必要な処置だったので、そこは横着出来なかった。
俺は物資を詰め込んだリュックを右肩に担いでクーの下へと帰還した。
「──────────え?」
目の前には片腕を失い全身から出血して血まみれのジェリドンがいた。
いや、その血は出血だけでは無い、夥しい量の返り血を浴びて、ジェリドンは血に染まっていたのだった。
そしてジェリドンの持つ剣は、一人の少女に突き刺さっていた。
それが何かを理解した時、俺は足が竦んで歩けなくなった。
「はぁはぁ、・・・誰だ、・・・ああ、【勇者】か、すまぬ、遅くなった、君に、殺しを背負わせるのは酷かと思い、私が手を下させて貰った、はぁはぁ、すまないな、君に、こんな役目を背負わせて」
過呼吸を繰り返すジェリドンはもう目がまともに見えていないのだろう、焦点はあっておらず、虚ろな瞳だった。
それなのにクーの居場所を探り当てるとは、恐ろしい執念としか言いようが無いが。
おかげで俺に角が生えてる事にも気付いてないようだ、服装だけで判別してるのだろう、視線は下に向いていた。
「・・・なんで、殺したんですか」
俺は震える声で訊ねた、いや、理由なんて分かりきっているが、それでも聞かずにはいられなかったからだ。
「・・・子供だろうと、魔族は悪魔だ、悪魔の芽は摘み取らねばなるまい、それが、私の使命だ、恨んでくれていい、気に入らなくば、【勇者】よ、君が私を殺せ」
「は・・・」
そう言ってジェリドンは息も絶え絶えに俺に首を差し出した。
既に致命傷を負っているのだろう、もう長くは無い事は見て取れた。
それなのにわざわざここまで来たのだとしたら、その執念の凄まじさは賞賛に値するものだった。
それだけ、魔族の少女を生かす事を許せなかったのか、それとも、俺が魔族の少女を持て余す事を見計らって、カタストロフを阻止する為に自ら手を汚す為にここに来たのか、どちらかは分からないが、貧弱な少女一人を殺す為に最期の命を使ったというのは、とても理解に苦しむ事だった。
「・・・もしも、【勇者】である君が魔族を許せというならば、君はこの首を手土産に和睦をすればいい、本来ならば君こそがこの国の玉座に座るべき者なのだから。
だが、どうか知って欲しい、この国に住む者達の嘆きを、君の代わりに犠牲になった者たちの無念を、それらを背負う私には、この〝道〟しか無かったのだ、全てを犠牲にしてでも果たさなければ報われない、そんな〝使命〟だったのだ。
陛下も、【勇者】が人間同士の争いに巻き込まれないようにと、自ら断頭台に登った、それ故に私は、全てを背負う事を誓ったのだ」
「・・・つまり、【勇者】の敵となるものを全て滅ぼして、【勇者】の背負う重荷を減らす、その為に戦争をしていた、という事ですか・・・?」
「はぁはぁ、この国にとって、【勇者】とは、最早呪いだ、【勇者】がいれば何をしても解決してくれるという、だから【勇者】は、たった一人で、この世界に蓄積した淀みや悪意、その全てを背負わなくてはならない。
それを支える為の王国だったが、今は、もうない、故に、誰にも手に負えない所にまで、我々は、悪意を育て過ぎた、だから私は、その全てを背負う事にした、陛下もまた、王として、その全てを背負って死ぬ事にした、ただ、それだけの事だ」
「・・・・・・」
ジェリドンの事を人でなしで最低のクズだと俺は思っていたが、その根底にあったものが、クズで構成された王国が蓄積させた悪意の清算だったとしたならば、ジェリドンが仮にクズだとしても、批判されるべきは王国でありジェリドンは〝役〟を被っただけの存在に過ぎない。
復讐が連鎖してしまうのは、それが社会のシステムになってしまっているからだ。
魔族の肉体を素材とする特効薬のように、他人の命で救えてしまう命があるのならば、理不尽や不条理は必然の存在となってしまうし、その復讐の被害を被る人間が存在するのも当然の事だろう。
だから、究極的に言えばジェリドンは加害者では無く被害者であり、俺はクーを殺したジェリドンを憎めないでいた。
俺は既に魔族の悪意も、人間の悪意も、そのとんでもない汚物の全て見せつけられていたから、だからジェリドンがやった行為も許せはしないが恨む気にはなれなかったのだ。
俺は今更だが、ここに来てようやくの事、この世にまともに【勇者】という役割を果たせる人間など、今は俺しかいないだろうという自覚を持っていた。
幸せなだけの人間が勇者になったならば、それは理想を押し付けるだけの、破綻した理想家にしかならなかっただろう。
愛を知る人間が勇者になったならば、この世界の理不尽さに耐え切れず、その愛はやがて憎しみに変わり、世界を憎む復讐者になっただろう。
ただの不幸な人間が勇者になったならば、自分の人生の意趣返しとして、ただ成り上がる為に権力への制圧と粛清を行う破壊者になっただろう。
戦争に浸かりすぎた人間が勇者になったならば、最初から命への敬意など持たず、敵となるものを全て葬るだけの独裁者になっただろう。
俺は幼少から地獄を見てきたからこそ生死感、倫理観がぶっ壊れていたし、理不尽にも慣れていた、だからこそ理不尽な悲劇に対しても中立だった。
仮に親がある日突然理不尽に殺されたとしても、死んだのが自分じゃなくてラッキーくらいの感覚だし、俺と双子の姉弟なのに天と地の差があるフエメの事は唯一の肉親でありながら今でも他人としか思ってない。
俺は全ての人間に対して中立だったし、誰も愛して無いからこそ、神と同じ視点で物事を判断する事が出来た。
そして世の中に厭世的になっていた怠け者だからこそ、世の中の悲劇に対しても積極的に感情移入し過ぎずに済んだ。
結論から言うと、この救い難い世を救うなんて俺には無理だ。
俺より優秀でやる気のある部下が100人いたら出来るかもしれないが、そんな可能性は有り得ないものだ。
だからこの場での出来事も、ただの救い難い悲劇としか思わなかった。
そしてそんな悲劇を、ひねくれ者の【勇者】である俺は、放置出来なかったのである。
俺はジェリドンに言ってやった。
「・・・貴方にとって、魔族を一人でも多く殺す事が人の為になると、【勇者】の為になると、そう思っているのかもしれませんが、それは間違いです」
「・・・だろうな、魔族の殲滅など、人に成し遂げられる事では無い、私のした事など、ただ徒に悪意を振り撒いて、世を混乱させただけなのだろうな、すまない」
「・・・いいえ、魔族の殲滅という着眼点は悪くありません、ですが、本当に魔族を滅ぼしてしまったら、魔族の体からしか作られない特効薬を永久に失う事になります、そうなれば人類にとっても大きな損失です」
「・・・いや、あれは、『天死病』の特効薬は、実は人間からでも作られる、ただ、倫理的な問題で、人間から作るのは規制されていただけだ、故に、人間と魔族、この世はどちらかの命を天秤に乗せて戦うしかないのだ」
「・・・そうだったんですか、でも、滅ぼすにしても、人類にとって得になる方法で滅ぼす必要があったんだと、俺は思います、要らない人間を兵士として消耗して、理不尽や圧政のはけ口を戦争と勇者で発散する今のシステムは、歪だけど理にかなってます。
ならば、その、システムを調整し、長期運用出来るように悪意を極限までカムフラージュする必要があったんだと、俺は思います。
例えば、今は貧乏人は貴族や領主に搾取されて徴兵で使い捨てられるしかありませんが、それを逆に、全ての国民が徴兵されるようにして、生き残ったものだけが農民になったり、【宣告】を受けれるようにすれば、全ての国民が徴兵よりはマシだと受け入れるようになりますし、理不尽に耐性が出来ているので、搾取されても文句は言わなくなります。
そして魔族には、一部の魔族にだけ王国の市民権を与えて支援し、武器と食料を売りつけ、手柄を立てた魔族を順次市民権を与えて取り立てる事で、内部分裂、民族浄化、そして帝国の優秀な人材の吸収を狙い、自然消滅させるのが良かったと思います」
それは、たまに政治について考える中で思いついた俺の考えだった。
魔族の作る帝国は亜人の集合国家であり、故に統率力は王国に比べて低く、プライドを捨てて市民権や爵位を与えるなどしてコントロールすれば人類にとって得になるとずっと思っていたのだ。
「・・・君は本当に勇者か?、まるで悪徳政治家のような邪悪な発想だ・・・」
「これは俺の持論なんですけど、いかめしい顔で剣を握ってる相手よりも、笑顔で手を握ってくる敵の方が100倍厄介で脅威なんですよ、だって敵なのに味方のフリして来たら、手の出しようがありませんからね、だから、そういう方向性で人類を、魔族をコントロールすれば、それが永久の繁栄に繋がるって、俺は思うんです」
その言葉を聞いて、ジェリドンはかつての記憶を回想する。
「俺はお嬢様の専属騎士のミシェル・テンペストだ、わざわざお嬢様の出産の護衛に来てくれるなんてご苦労さん、頼りにしてるぜ!!」
十六年前、ジェリドンはとある貴族の屋敷にて護衛の任務に着いていた。
若くして騎士のエリートコースである近衛騎士に任命され、王家から特命を受け、秘密裏に勇者の子孫を護衛する任務に着いていたのであった。
そしてそこで出会った一人の男、彼が新進気鋭にして順風満帆だったジェリドンの運命を大きく変えたのである。
彼が何者だったのかはジェリドンには分からなかったが、男はにこやかな笑顔からは想像もつかないような、とてつもない憎悪を秘めた人間であり、自身の主である筈の夫妻を殺害し、そして当時無敗だったジェリドンに初めての敗北という屈辱を植え付けたのだ。
ただ一つ分かる事は、男は魔族と内通していた事と、そして夫妻に対して尋常ならざる憎悪を抱いていたという事。
その後、ジェリドンは男を探して大陸中を放浪したが、結局消息は掴めずじまいで、ジェリドンも見つけるのは不可能と諦めていたが、しかし、今際の際に思い出した事で、ジェリドンは当時の憎悪が再び燃え上がったのだ。
「・・・くっ、そうだ、あいつだ、私は、必ず、あやつを斬らねばならぬのに、ぐふっ」
ジェリドンは怒りで呼吸が荒ぶるが、しかしジェリドンの体はもう完全に死に体だ、立ち上がる気力すらなかった。
「はぁはぁ、【勇者】よ、もし私を許してくれるのであれば、遺言を聞いて、くれまいか」
ジェリドンは片腕で胸を抑えるが、息は弱々しく、体は硬直して立ってはいられないようだった。
俺はジェリドンの体を支えて木に背をもたれさせると、ジェリドンに言った。
「多分、この世界で貴方を許せるのは、全てを背負える俺だけなのでしょう、でも、俺は許すとか許さないとかは無いです、だって貴方のしたことは、全部俺には関係の無い話ですから、なので後悔も懺悔も、地獄で勝手にしてください、でもここに立ち会った一人の人間として、遺言は聞きます、話してください・・・」
遺言、恐らくそれが重荷になる事は予想出来ていたが、知らずに後悔する事が多すぎたので、ならば知る事を横着せずにいようという思っただけだ。
俺はもう、ほぼほぼ【勇者】という運命に取り込まれてしまっていた。
ガチャでたまたま選ばれたと思い込んでいたあの頃とは違い、今は完全に、完膚無きまでに、日常を破壊されて、【勇者】という役割に絡め取られていた。
逃げ道はあった、でも、逃げるのも楽では無いのだ、時として進んだ方が楽な場合も多々存在する、今はその時という話である。
だから、今更その責務を拒絶しても、負債となって返ってくるだけだと理解していたのだ。
「・・・ミシェル・テンペストという男に気を付けろ、そやつが全ての元凶であり、勇者の末裔狩りの主犯だ、歳は生きてれば40手前くらいだ、それと、もし、我が娘に会う事があったら、「すまない、愛している」と、伝えて欲しい・・・」
「・・・娘が、いたんですか、それなのにこんな戦争を」
愛する者がいるならば、それを奪う罪深さも知るはずだと思ったが、娘すらも道具としか思っていなかったのだろうか。
その質問にジェリドンはか細い声で答えた。
「・・・娘は、16年前、末裔狩りで拾った子だ、大火傷の後遺症で、満足に歩く事も出来ない、娘の為にも、脅威は排除せねばならなかった」
もしその哀れな娘にジェリドンに残された人としての情を全て注ぎ込まれていたならば、確かに他人に分け与える分は無くて当然だったのかもしれない。
体の不自由な娘を見る度に、魔族への憎しみが沸き立つ事になったのだろうから。
「結局貴方のやろうとした事は全て、弱者の為だった、って事ですか・・・。
・・・やっぱり、俺は貴方を許しますよ、ええ、きっと地獄行きで、どれだけ懺悔した所で誰からも許されない罪でしょうけど、でも弱者だった者の代表として、貴方に感謝し、そして許します、今までありがとうございました、王国を守ってくれて」
俺はそう言って右手でジェリドンの手を握った。
ジェリドンの左手に刻まれた深い皺は、ジェリドンがどれだけの苦労と努力を積み上げてこの国を守ってくれていたかを如実に物語っていた。
ジェリドンは俺の手を握り返す余力も無く、段々と力が抜け落ちて、そのまま息絶えた。
俺はジェリドンの呼吸を確認した後、クーの容態を確認する。
剣で腹を一突きされているが、人間より強靭な魔族であれば、もしかしたら助かる可能性もあるかもしれなかったからだ。
だが、どう見ても出血が酷く手遅れだった。
ジェリドンとのやり取りを省いても助ける事は不可能だっただろう。
なまじ、魔族であるが故に生命力が強いせいで死ねずにいるのだろう、クーは両目から涙を流しながら呻きながらも、既に衰弱しきっていた。
命の危機が女神を呼ぶトリガーになるというのならば、この時点でマルシアスが乗り移ってない時点で召喚される事は無いだろう。
俺に出来る事は、この哀れな少女を介錯してやる事だけだった。
「一人くらいは殺す経験をしたいとは思っていたが、まさかこんな無力で哀れなガキを殺す事になるなんてな、ははっ、最低の勇者に相応しい、最低の仕事だな・・・」
どうやったら苦しまずに殺せるか、先ずはそれを考えたが、だが、ここには煉炭も青酸カリも無いし、撲殺や絞殺は普通に苦しいだろう。
それに、生まれてからずっと虐待されて来た彼女に最期に与えられるものが暴力というのも悲し過ぎる、俺はそこで、彼女が最初に言っていた言葉を思い出した。
「・・・確かブドウが好物だったな、最後の晩餐としては質素だが、ここにありそうなものと言えばそれしかないか、待ってろ」
俺は駆け足で山を駆け巡る、行軍している最中に山にはいくらかの木の実があるのは確認していたから、山葡萄や野いちごなどの木の実を俺は急いで採取する。
そして急いでクーのもとに戻ると、クーの息が残ってるのを確認して、クーの口の中に山葡萄を放り込んだ。
「これは・・・、キウイ?レモン?、とても酸っぱい、ですが、ちょっと甘くて、美味しいです、あはは、〝お仕事〟、頑張った、ご褒美ですか・・・?」
〝お仕事〟、彼女の言うそれが何か聞きたく無かったし、知りたくも無かった、なぜならそれは俺にとっても忘れられない痕だったから。
だから俺は黙々と、取ってきた果実をクーの口に放り込んで黙らせた。
「はむ、そんなに、いっぱい、食べられませんよ、はむ・・・」
噛む力が弱まっているのだろう、ぽろぽろと口から零すが、俺はクーの口が空くことの無いように絶え間無く果実を放り込む。
「はむ、今日は、いっぱい食べてもいいんですね、だったら、痛いのも我慢できまふ、ご主人様、ありがとうございまふ、・・・こんなにいっぱい食べたの、・・・生まれて初めてでふ、・・・はむ」
俺が採ってきた果実を全部食べさせる前に、クーは俺の腕の中で、静かに、息を引き取った。
俺は唾液で汚れたクーの口を持っていたハンカチで拭うと、ジェリドンの剣を使って穴を掘り、クーを埋葬した。
今、俺が感じてる感情が何なのか、俺はまだ分からない。
涙を流しているのだろうか。
どんな顔をしているのだろうか。
俺は彼女の全てを知っていたが、知っていたが故に未来が無い事も知っていた。
だから理不尽な死に様だったが、長く苦しむよりは幸せだったのだろうとも納得していた。
もし俺が彼女に同情し、怒るべき相手がいたとしたらそれはジェリドンでは無い。
彼女の目と耳を奪い、そして腐った食事を与えて臓物を腐らせた前の飼い主だ。
だがそいつも既に死んでいる以上、怒りの矛先はどこにも無いのである。
故に俺は、受け止めようの無い悲劇と、予定調和された喪失感に、ただ戸惑うしか無かった。
世の中には、覆せない事、どうにもならない悲劇が多過ぎる──────────。
余命1ヶ月の病人を救えないように、奴隷として生まれついた奴隷根性を矯正出来ないように、大罪を背負ってしまった俺が真っ当に生きられないように。
取り返しのつかない事ばかりで、結局【勇者】に救えるのなんて、簡単に手が届くレベルの、容易い命だけなのだ。
それに気付いた時、俺は何もしたく無かったし、どうせ既にある不幸が無くならないのなら【勇者】は何もするべきでは無いと俺は思った。
行動を起こさなければ、きっと、誰も傷つかなくて済むのだから。
だから本当は、全ての人間が怠惰に生きるべきなのだ、誰とも関わらずに、傷つけずに。
だが、人間はそれを受け入れる事は出来ない、他者に秩序と勤勉を強要する事を辞める事は出来ない、自然な死を受け入れる事は出来ない。
それは人間が抗う事で進化してきた生き物だからだ。
だからきっと、永遠の停滞と怠惰を望む俺の考えなど、誰からも支持されないものなのだろう。
そもそも自分の事しか考えていない俺が、何の為に戦う必要があるのか、それすら分からないものなのだから。
ただ一つ分かる事は、俺がこれからしなければならない事。
クーを看取った俺の体には、この世界に対する憎悪が、この世の全てを注ぎ込んだような憎悪が、火花を散らす程に、激しく渦巻いていた─────。
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