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第1章 P勇者誕生の日
第7話 猫の姫君 ディメア
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「・・・あれ、ここは?」
何処だろうか、まるでおとぎ話に出てくるような絢爛豪華なお城、見覚えどころか本で読んだ記憶すら出てこないが。
なんて疑問は直ぐに、俺のよく知る人物が答えてくれた。
「何言ってるんですか兄さん、ここは私たちの住む王城、兄さんは魔王を倒してお姫様を救ってそれで婿養子になって王族として迎え入れられて、こうして幸せに暮らしている訳じゃないですか」
そう答えたのは俺の二つ下の妹、昔から甘えん坊でよく俺に懐いていた、少しおさなげな印象だが、それが愛嬌であり可愛い妹であるライムだった。
「魔王を倒して、か、確かにそれならこんな幸せな生活してても当然だな」
魔王を倒す、俺はその事に対して幾つかの疑問と違和感のような物を感じたが、それをはっきりと言葉に表すことが難しかったので捨て置いた。
それよりも俺が気にかける事は一つだけ。
「ライム、お前、生きていたんだな・・・」
そう、ライムは10年前に生き別れた妹である、その彼女が生きていた事は、俺の人生の全てを肯定する程の慶事であり、他には何も要らないと言えるほどに嬉しい出来事だった。
俺は成長した兄妹がするにはいささか不釣り合いな強さで妹を抱き締める。
まるで、もう二度と離さないと言い聞かせるように。
「やめてくださいよ兄さん、私だってもう14歳なんですから、それよりほら、お姉様が見てますよ」
「お姉様?」
と振り返ってみると、そこには残飯ゲロをした女がいた。
「王子様、国も平和になった事だし早速子作りに励みましょう、王族秘伝の房中術で朝から晩まで子作りしましょう、私、王子様の為にいっぱい子供産みますから」
そう言ってゲロ女は俺をライムから引き離すと、ベッドに押し倒した。
何をされてるのかは分からないけど、何となく幸せで気持ちのいいという雰囲気みたいなのが心を満たしてくれる。
「でも、何か忘れてる気が・・・、そうだクロは?あいつは何処にいるんだ?」
意外な事に、この全ての歯車が噛み合っていて、何も不都合が無い筈の状況で俺が気にかけたのは、俺にとっては天敵であり邪魔者に近かった筈のクロだった。
「クロ?誰の事?、ライムちゃん知ってる?」
「さぁ?、兄さん、クロさんとは何処の誰ですか」
そこで俺は思い至った。
ライムが生きているという事は、クロは救わなかったという事。
だからライムのいる世界にクロは存在しない。
そして、現実はそうじゃない、だからこれは夢なんだと。
俺はなんとか目覚めようとしたが、強烈な睡魔、肉体疲労の上での睡眠故に、明晰夢とあっても簡単には覚醒出来ないと知り、現実の肉体を無理矢理動かして目を開かせようとしたり、息を止めて無理矢理起きようとしたけれど、その試みは一つも成功しなかった。
「兄さん、何してるんですか、様子が変ですよ、兄さんはずっとここにいていいのだから、苦しまなくていいんですよ」
「王子様、ずっとここにいて、そして私と退廃的で淫らで淫猥で怠惰な生活をしましょう」
くっ、明晰夢故に、こいつらの発言の意図が明確に読めてしまう。
ライムは俺の求める救いを与え、甘やかす存在であり。
残飯ゲロ女は俺の密かでありふれた願望、欲望を叶える存在という訳だ。
恐らく昨日のキャパオーバーした過労により、俺の脳がストレスを緩和させる為に生み出した幻影という訳だろう。
別に明晰夢なのだからこの状況を自分の好きなように楽しんでもいいし、無理して否定する必要も無い筈だけど。
ゲロ女は好きにしてもいいとしても、ライムの事だけは正当化する事は許されない。
1度でも正当化すれば、俺の信念が揺らぎ、生き方が揺らぐからだ。
だから、俺は無理してでもこの夢を終わらせないといけない。
幻影のライムにこれ以上喋らせてはいけないし、ライムに話しかけてもいけないからだ。
俺は何度も何度も目を覚ますように己に訴えかけるが、努力は虚しく空回りするばかりだった。
「王子様、どうして逃げるんですか、このままじゃ一生童貞になっちゃいますよ」
「兄さん、もしかしてロリコンなんですか、だったら私も、小さい頃の姿に変身する事も出来ますよ」
俺がその明晰夢を明確に悪夢だと認識し始めたからか知らないが、今度は幼いライムが俺を束になって囲む様に増殖していた。
「被告人、ライア・ノストラダムス、兄さんは童貞ヘタレ罪で死刑です!」
「待ってください裁判長、王子様の事は私が必ず更生させますから、王家の性奴隷になって一生御奉仕する刑にしてください」
「しかしそれでは被告人の思う壷になりますよ、兄さんはMですからね」
「そうですね」
「間違いありません」
「兄さんはドMの変態です」
傍聴人席を埋め尽くす大軍のライムが、口々に俺を罵った。
「判決を言い渡します、では兄さんは、兄さんが望むだけの苦痛を与える刑です」
いつの間にか明晰夢は、まるで不思議の国のナンセンス文学のようなカオスへと変貌していた。
俺は距離を競う競技の大砲の弾にされたり、意味もなく火あぶりにされてその焼き加減を品評されたり、餅つきでただ手を叩かれる為に手を差し出したり。
おおよそ、人が考えつくには常軌を逸しているとしか言えない方法で、遊びとも拷問とも言えないような行為に参加させられる。
「どうですか兄さん、少しは悔い改める気になりましたか?」
ライムは俺を餌にして魚を釣るという行為に耽りながら、そんな風に尋ねてきた。
どれだけやってもこの悪夢から覚められないと知った俺は、もうどうにでもなれという心地で、ライムに言ってやった。
「俺の夢ならもう少し俺に優しくしてくれよ」
「・・・やっぱり兄さんにとって、私は要らない子ですか」
ウチがもっと裕福だったら、親が妹よりも俺に関心を持ってくれていたら、妹が俺にとって大切と思えるくらい放っておけない存在だったら。
なんてたらればは、全てが終わってしまった今になっては無意味だろう、だから答えは決まっているのだ。
「そうだよ、お前さえいなければ、お前さえ生まれてこなければ俺は・・・、いや違う・・・、こんな腐った世の中なら、誰もがみんな、生まれない方が幸せだったんだよ」
それが俺の答えだ、この世に生きる全ての命が等しく罪を背負っている。
罪を背負っていない人間は恵まれているだけ、だからそれを善とするのは欺瞞であり、俺には認められない事。
それが俺が【勇者】を否定する理由の全てであり、今を生きる理由の大半だった。
欺瞞だらけの世界だからこそ、俺は自身が詐欺師である事になんの罪悪感も抵抗も感じ無いし、それを肯定している。
いや、それよりもっと大きな十字架を背負っているから、人を騙す程度に感傷を持たなくなったというのが正しいか。
だから、俺は、自分自身にさえも、己は卑小で身勝手で最低な人間だと、騙すようになったのだ。
「・・・痛い」
耳を千切られるような強い痛みで目を覚ました。
すると昨夜の残飯ゲロ女が、俺の体の上に馬乗りになっていた。
「・・・えっと、うなされていたみたいだから、その・・・」
女は無理矢理起こしたことに対してそう不安そうに伺った。
「助かった、ありがとう、・・・悪夢を見ていたんだ、だから起こしてくれて本当に助かった」
そう言うと女は良かったという風にはにかんだ。
陽の当たる場所で改めて観察しても、女はそこらの平民ではとても真似出来ないほどの品があり、上玉だ。
とても残飯を貪り食うような人種には見えなかったが。
「それじゃあ、これで・・・」
と、ここで別れようとも思ったが、今は懐も潤っている訳だし、別にここで飯の一つでも奢ってもいいと、俺は思った。
それに、一度助けた相手だ、それを黙って野垂れ死や人さらいに売られるのを放っておくのも寝覚めが悪い。
そうなるくらいなら、あの場で死なせてやれという話なのだから。
俺は自身を偽善者と罵りながら、女に提案した。
「取り敢えず飯でも食うか?、腹減ってるんだろ、朝飯くらいなら奢るし、なんだったら仕事についても相談にのるぞ」
「いいんですか、ありがとうございます」
女は俺の提案に目を輝かせながら頷いた。
「はぐっ、はむ、はん、んぐ、はぐっ、はむ、はん、んぐっ・・・」
下級冒険者御用達の、一食300デンのモーニングセットが出る様な安い定食屋にて俺たちは朝食を摂る。
女はこちらの予算に構うこと無く、硬いパンと卵と肉の山を、ものすごい勢いで平らげていた。
都会の貴族がワインと美食を一日中嗜む事からも知れるように、健啖は貴族のステータスだ、故にこの女が貴族の令嬢である事はもはや疑いようも無かった。
まぁ周囲の奇異の目にさらされている事も気にせずに食事を勢いよく頬張る姿は些か品位に欠けてるとは思うものの、それでも彼女の輝く絹のような髪と、職人による刺繍が施されたドレスなどは、どう見ても彼女が貴ばれるべき存在である証だった。
「うわ、この肉下拵えすらして無くて獣クサくてマズいなぁ、この卵もロクな餌与えられてない鳥の卵だからコクもないし、しかも新鮮じゃないから雑味つよいですね、パンもパサパサで塩っぱいだけだし、これが平民の食事って奴なんですね、うーんお粗末様です」
マズいからと言っていちいち食レポしながら言葉に出すのはやめて欲しいが、文句を言う割には残さず平らげていた。
俺も一日ぶりの食事にありつきながら、静かに彼女に質問した。
「それで、君はどこの何者で、なんで路頭に迷っていたんだ」
その質問に彼女は、口に物を含んだまま、食事の手を止めずに応えた。
「その前に、えっと・・・」
「ライアだ、ライア・ノストラダムス、まぁ気軽にライアと呼んでくれ、16歳だ」
「分かりました、私は・・・ディメア、です、一応確認というか、ライア様は、私の事をどのように見えていられますか?」
「?、人となりの事か?、見た目は完全に貴族だし、話してみた感じ気品もあって容姿も優れているし、見た目だけなら10人中9人は振り返るレベルの、まるでお姫様みたいな女の子、かな」
質問の意図が分からなかったが、信用を得る為に俺は敢えて誠実に、お世辞抜きに率直な感想で答えた。
それを聞いてディメアは、まるで宝物を見つけたような笑みで目を輝かせて、俺に抱きついた。
「王子様!、あなたはやっぱり私の王子様だったんですね【勇者】様!」
「・・・!?、急にどうした、騒ぐな落ち着け迷惑だ」
急に【勇者】と呼ばれて動揺するが、詐欺師のプライドにかけて平静を装い対応する。
「どうしたもこうしたもございません、ようやく出会えました、私の王子様、そして私の王子様は【勇者】様以外には有り得ない、だからライア様は私の王子様なのです」
どうやら、俺の発言のどこかに、俺が彼女に「私の王子様」と錯覚させた原因があるらしいが、俺は彼女を助けて、その上で彼女の容姿を褒めただけ。
俺は一目で女を惑わすような絶世イケメンでは無いし、黙っていても女が寄ってくるようなモテ男でも無い。
ネクラ、陰キャ、低脳で無能な、オスとしての価値は若さ以外に取り柄が無いくらいには無い無い尽くしの人間だ。
もちろん、詐欺師としての俺ならば、セフレ直前くらいの関係性を構築する事は熟女限定で容易い。
しかし、素の俺に本気で惚れるくらいチョロい女とは今まで出会った事は無い、故にディメアのその王子様発言を俺は胡散臭く思ったし。
同時に、【勇者】と呼ばれた事に対する警戒心で、肝心な所から意識が外れてしまっていた。
「本気で言ってるのか?、俺なんて貴族のお前からすれば石ころやじゃがいもと同じ、そこらじゅうに転がってるような取るに足らない凡夫だぞ」
「この世に取るに足らない民などいません、それに、ライア様は私の姿をお姫様と仰ってくださいました、この呪われた体を見て私をお姫様だと思う人間は、【勇者】様以外にいませんから、だからライア様は私の王子様なのです」
そこで俺は思い至った、残飯を漁るような貴族の娘が、まともであるはずが無いと、つまり、彼女も何かしらの問題を抱えている異常者なんだと。
俺は先ず、最悪の可能性の排除から試みた。
「まさかお前、実は俺の生き別れの妹だったり、幽霊だったり、本当はオークのお姫様だったりはしないよな?」
「?、いえ、私はディメア・・・
────────アンデス王国の第3王女、ディメア・アンデスです、私の受けた呪いは、私の姿が【勇者】様以外には猫に見えるというものです」
「・・・え?」
猫に見えるって事はつまり、客観的には俺は猫に飯を食わせて会話してるって事か?。
どおりで飯を食い終わっても奇異の視線が無くならないと思っていたが、あれはディメアでは無く、俺に向けられていたという事だ。
「ちなみにお前って、俺以外の人間と会話する事って出来るの?」
「出来ません、私は【勇者】様だけをサポートする存在ですから、・・・王家は元々【勇者】様を援助する為の存在でしたが、此度の革命により王国が崩壊し、他の王族達は皆捉えられて処刑されてしまいました、しかし私は運良く宣告により【姫君】の役割を頂けたので、それで【勇者】様をサポート出来るようにと、魔女に呪いをかけてもらい、姿を猫に変える事で処刑を免れて、勇者探しの旅をしていたという訳です」
「そっか・・・」
大変だったんだな、という労いは言葉にしないでおく。
俺は俺以外には俺が猫と会話している変人として見られていると知って、これからは「ああ」とか「うん」みたいな適当な相槌だけで会話しようと思ったからだ。
しかし、王女ともあれば生粋の箱入り娘であり世間知らずだろうに、肉親を皆処刑されてなお、【勇者】探しの旅に何ヶ月も明け暮れていたとは普通に感心するし、不憫すぎる話でもあった。
てかつまり、俺にだけ猫に見えるという事は原理はよく分からないけれど、猫がじゃれついて来たり、抱きついてきたのを俺の妄想で美少女に変換しているような図式になるのだろうか。
もし仮に、ディメアの真の姿が俺が今見ている虚像と別物であったのなら、それは中々に悲劇的でショッキングな話だな、と今のうちに、真実を知る時のための心の防波堤を作っておいた。
でもまぁ、【勇者】と知られてどうなる事かと思いきや、猫相手なら問題無いだろう、そうと知られて一安心だ。
それに猫なら人間と違い、養うのも簡単だし、最悪の場合は村に野良として飼うか、フエメの家に預けるのもいいだろう。
人間の知性を持った猫なんて、皆珍しがって有難がるに決まっている、だから芸のひとつでも覚えさせれば皆有難がって餌付けしたくなるに違いないのだから。
そう考えればディメアの面倒を見るという問題も解決するし、むしろディメアが人間体ではなく猫である方が、俺にとっては何倍も好都合な事ばかりだ。
人間のままだったのならば魔王を倒すように急かされてそれで正体バレするに違いなかったのだから。
俺は会計を済ませると、ディメアを腕に抱えて店を出た。
俺の感じる重さは確実に50キロ近くある筈だが、他人からディメアがどのような猫に見えているのかは分からない為に、取り敢えずディメアを抱えた俺を見る周りの反応で伺ってみようという訳だ。
おおよその人間はディメアを抱っこしている俺を二度見していた、そしてその視線はお姫様に向けるような美しいものでは無く、魔物に向けるような有り得ないものに向ける視線だった。
だからきっと、周りから見たディメアの姿は虎に近いサイズなのだと推測出来た。
俺は抱き抱えるディメアの耳に顔を近づけると、小声で話しかける。
「それで、【姫君】って何が出来るの?、サポートするって言っても国は内乱だし、魔王軍は強大だし、正直戦うのは嫌だし、出来れば何もせずに平和を創造したいんだけど」
相手が猫ならば本音を知られても困らない、故に秘事の漏洩を恐れることなく、ディメアを自分色の思想に染める段取りで話しかけた。
「い、一応王国の歴史を一通り学んで、魔王城の結界の解き方や、不死の魔王を倒す方法など、冒険に役立つような知識は備えています」
残飯を漁っていたのも獣だからと考えれば、ディメア自身は優秀で高度な教育を受けていて世間知らずでは無くちゃんとした常識人でも不思議では無いが。
「ふーん、知識、ね、でもそれ、魔王がいきなり攻めて来たら役に立たないよね、そうじゃなくて命のやり取りになった時に、お前は何の役に立つのって話」
俺は高圧的な態度でディメアに詰問した、戦闘は【勇者】だからなんとかなる、ではこちらとしてはどうにもならない。
だからディメアが戦闘で役に立たないならそれを口実に魔王を討伐する事を諦めるように誘導しようとディメアを論理的に追い詰めようという訳だ。
「え、いや、えーと・・・」
「なんだ、やっぱり何も出来ないんだ、あのさぁ、難しい知識を蓄えるより先に、先ず自分の身を守って、ついでに俺の事も守ってくれるようにならないと、・・・俺もディメアも戦場に立ったら真っ先に死んじゃうよ、分かる?、君は今、お荷物なの、だから迂闊に魔王を倒すとか言葉にしない方がいいよ、恥ずかしいからさっ」
「ううっ、元の体だったら上級魔法に聖魔法、錬金術から製薬まで、一通りの事はこなせるのですが・・・」
「そんな自慢にもならない言い訳じゃ命守れないよ、お前それ、魔王に俺が襲われて死にそうになってても同じ事言えんの?」
「ううっ・・・」
俺の腕の中で涙目になるディメアの姿は、謝罪して、ごめん全部嘘、本当はディメアは優秀な子!と撫でてあげたい衝動に駆られるくらいに愛らしいが、今は心を鬼にして、ディメアが魔王討伐を考えないようにと言葉責めを続けた。
「取り敢えずさ、魔王の事は一旦忘れよ?、王国無くなってディメアも今はただの平民、いやただの猫だし、猫が世界を救うとか考えるのも変だしさ、まぁこれからは俺が【勇者】として責任もって世話してあげるから、だから先ずは命が救われた事に感謝して、穏やかに生きる事を目標に暮らそう?な?」
「でも、私には王女としての使命が・・・」
「は?王族がちゃんと王族の使命を果たしていたら、そもそも王国は滅んでいないでしょ?それなのにただの第3王女のディメアに一体なんの使命とか義務があるっていうワケ?、王族の使命とか言うなら魔王を倒すとか世迷言を言う前に先ず、餓死者や戦災孤児に謝罪する方が先なんと違うんじゃないの?」
にべもなく正論じみた嫌味でディメアに言葉責めを続けると、流石に何ヶ月も探した果てに出会った勇者にボロクソに貶されるのは堪えるのか、泣き出してしまった。
「・・・うぅ、ぐすっ、ひくっ、確かにそうかもしれませんけど、それでも私は、王国を滅ぼす原因になった魔王と魔族を許せません・・・っ」
「ふーん、それが本音って事か、なんだ結局は【勇者】利用して都合よく復讐したいだけじゃん、しかも復讐相手間違ってるし」
「・・・間違ってなどっ、魔族さえいなければ我々人間は平和に暮らし、そして王国が滅ぶ事も無かったのです、それは歴史を紐解いて考えても正しい事の筈です」
「だったら最初の勇者が魔族を一人残らず狩り殺して、それで滅ぼせばいい話じゃん、なんでそれをしなかったのか、魔族がかわいそうだから?、違う、そうしなかったのは王国が魔族を奴隷として利用したかったから、だから魔族は幾度となく反乱を起こしても、人間はそれを鎮圧し、弾圧し、支配する、本当に憎いなら一匹残らず狩り殺してやればいいのに、それをしなかったのは根本的には憎しみでは無く利益の為に戦争をしていたから、そうでしょ」
「・・・ではライア様は、魔族は悪くないと、そう仰るのですか」
「俺からすれば魔族も人間も同じだ、どちらも自分の為に生きて、同族を守る為に戦う、そこに違いは無い、だからこの世に悪があるとすれば貴族や聖職者のような、特権に寄生して欲の皮と面の皮を分厚く肥やした醜い生き物達の方がよっぽど醜悪で下劣だ、だから王国は滅んで当然のシステムだと思ってるし、もし貴族達が恨む相手がいるとするのならば、それは魔族では無く革命を主導した聖女であるべきだ、俺の言ってる事、何か間違ってるか?」
「・・・それでも王国は、お父様は、民を想い、最後まで民の為に戦おうとしていたのです、処刑されたのだって・・・」
仮にアンデス王国の国王が、真に国民を思う名君であり、内戦を避ける為に自ら断頭台に立ったのだとしても、王国の崩壊を招いた責任と、悪徳貴族を野放しにした結果の革命なのだから、処刑は妥当なものであり、不憫で同情の余地はあっても暗君の評価は覆せるものでは無いというのが俺の持論だ。
「知るか、理想だけを語って民の暮らしを見ず、民の苦しみを知らず、それ故に民を救おうとしない王など、民に見捨てられて当然の暗君だ、戦争も貧困も災害も知らずに王宮でままごとの妄想に耽けるだけの王なら、いない方が何倍もマシなんだよ」
「・・・・・・っ」
「だから王国が滅んだのは至極当然の結果であり、そしてそれを恨むなら革命の指導者である聖女だ、それ以外の意見を認めないし、魔族と復讐ごっこがしたいなら一人でやれ、俺を自己満足に巻き込むな、じゃないと・・・捨てるぞ」
ディメアが見たそのライアの目は、人情も仁義も捨て去った男の、何処までも冷たく、そして非情な瞳だった。
その瞳が映す闇は暗く昏く、光さえ映さない程に闇かった。
そう、ライアは最低の人間で、性根が腐り切っていた、だから他人を脅迫し、恫喝する事すらも平気で行える。
「捨てられたくなかったら、大人しくしてろ、お前が王女だと知られれば俺に危害が及ぶ、そうなったら俺はお前を容赦なく切り捨てるぞ」
そう脅しをかけるとディメアは、失望と絶望の闇に染まった瞳で、虚空を眺めるようにして黙り込んだ。
ディメアが王女であると知られれば、必然として俺が【勇者】であると疑われるだけでなく、反貴族派の人間からも反感を買ってしまう。
故にディメアはほとぼりが冷めるまで、王国に恨みを持つ人間の多くが死没するまでは猫のままでいてもらわなくては困る。
だから俺は今日まで頑張って来たであろうディメアの人生の全てを否定して、この場で猫としての人生を歩むことを強要をしたのだった。
それが自分の為の行動だと自分に言い聞かせるようにして、非情を演じたのだ。
何処だろうか、まるでおとぎ話に出てくるような絢爛豪華なお城、見覚えどころか本で読んだ記憶すら出てこないが。
なんて疑問は直ぐに、俺のよく知る人物が答えてくれた。
「何言ってるんですか兄さん、ここは私たちの住む王城、兄さんは魔王を倒してお姫様を救ってそれで婿養子になって王族として迎え入れられて、こうして幸せに暮らしている訳じゃないですか」
そう答えたのは俺の二つ下の妹、昔から甘えん坊でよく俺に懐いていた、少しおさなげな印象だが、それが愛嬌であり可愛い妹であるライムだった。
「魔王を倒して、か、確かにそれならこんな幸せな生活してても当然だな」
魔王を倒す、俺はその事に対して幾つかの疑問と違和感のような物を感じたが、それをはっきりと言葉に表すことが難しかったので捨て置いた。
それよりも俺が気にかける事は一つだけ。
「ライム、お前、生きていたんだな・・・」
そう、ライムは10年前に生き別れた妹である、その彼女が生きていた事は、俺の人生の全てを肯定する程の慶事であり、他には何も要らないと言えるほどに嬉しい出来事だった。
俺は成長した兄妹がするにはいささか不釣り合いな強さで妹を抱き締める。
まるで、もう二度と離さないと言い聞かせるように。
「やめてくださいよ兄さん、私だってもう14歳なんですから、それよりほら、お姉様が見てますよ」
「お姉様?」
と振り返ってみると、そこには残飯ゲロをした女がいた。
「王子様、国も平和になった事だし早速子作りに励みましょう、王族秘伝の房中術で朝から晩まで子作りしましょう、私、王子様の為にいっぱい子供産みますから」
そう言ってゲロ女は俺をライムから引き離すと、ベッドに押し倒した。
何をされてるのかは分からないけど、何となく幸せで気持ちのいいという雰囲気みたいなのが心を満たしてくれる。
「でも、何か忘れてる気が・・・、そうだクロは?あいつは何処にいるんだ?」
意外な事に、この全ての歯車が噛み合っていて、何も不都合が無い筈の状況で俺が気にかけたのは、俺にとっては天敵であり邪魔者に近かった筈のクロだった。
「クロ?誰の事?、ライムちゃん知ってる?」
「さぁ?、兄さん、クロさんとは何処の誰ですか」
そこで俺は思い至った。
ライムが生きているという事は、クロは救わなかったという事。
だからライムのいる世界にクロは存在しない。
そして、現実はそうじゃない、だからこれは夢なんだと。
俺はなんとか目覚めようとしたが、強烈な睡魔、肉体疲労の上での睡眠故に、明晰夢とあっても簡単には覚醒出来ないと知り、現実の肉体を無理矢理動かして目を開かせようとしたり、息を止めて無理矢理起きようとしたけれど、その試みは一つも成功しなかった。
「兄さん、何してるんですか、様子が変ですよ、兄さんはずっとここにいていいのだから、苦しまなくていいんですよ」
「王子様、ずっとここにいて、そして私と退廃的で淫らで淫猥で怠惰な生活をしましょう」
くっ、明晰夢故に、こいつらの発言の意図が明確に読めてしまう。
ライムは俺の求める救いを与え、甘やかす存在であり。
残飯ゲロ女は俺の密かでありふれた願望、欲望を叶える存在という訳だ。
恐らく昨日のキャパオーバーした過労により、俺の脳がストレスを緩和させる為に生み出した幻影という訳だろう。
別に明晰夢なのだからこの状況を自分の好きなように楽しんでもいいし、無理して否定する必要も無い筈だけど。
ゲロ女は好きにしてもいいとしても、ライムの事だけは正当化する事は許されない。
1度でも正当化すれば、俺の信念が揺らぎ、生き方が揺らぐからだ。
だから、俺は無理してでもこの夢を終わらせないといけない。
幻影のライムにこれ以上喋らせてはいけないし、ライムに話しかけてもいけないからだ。
俺は何度も何度も目を覚ますように己に訴えかけるが、努力は虚しく空回りするばかりだった。
「王子様、どうして逃げるんですか、このままじゃ一生童貞になっちゃいますよ」
「兄さん、もしかしてロリコンなんですか、だったら私も、小さい頃の姿に変身する事も出来ますよ」
俺がその明晰夢を明確に悪夢だと認識し始めたからか知らないが、今度は幼いライムが俺を束になって囲む様に増殖していた。
「被告人、ライア・ノストラダムス、兄さんは童貞ヘタレ罪で死刑です!」
「待ってください裁判長、王子様の事は私が必ず更生させますから、王家の性奴隷になって一生御奉仕する刑にしてください」
「しかしそれでは被告人の思う壷になりますよ、兄さんはMですからね」
「そうですね」
「間違いありません」
「兄さんはドMの変態です」
傍聴人席を埋め尽くす大軍のライムが、口々に俺を罵った。
「判決を言い渡します、では兄さんは、兄さんが望むだけの苦痛を与える刑です」
いつの間にか明晰夢は、まるで不思議の国のナンセンス文学のようなカオスへと変貌していた。
俺は距離を競う競技の大砲の弾にされたり、意味もなく火あぶりにされてその焼き加減を品評されたり、餅つきでただ手を叩かれる為に手を差し出したり。
おおよそ、人が考えつくには常軌を逸しているとしか言えない方法で、遊びとも拷問とも言えないような行為に参加させられる。
「どうですか兄さん、少しは悔い改める気になりましたか?」
ライムは俺を餌にして魚を釣るという行為に耽りながら、そんな風に尋ねてきた。
どれだけやってもこの悪夢から覚められないと知った俺は、もうどうにでもなれという心地で、ライムに言ってやった。
「俺の夢ならもう少し俺に優しくしてくれよ」
「・・・やっぱり兄さんにとって、私は要らない子ですか」
ウチがもっと裕福だったら、親が妹よりも俺に関心を持ってくれていたら、妹が俺にとって大切と思えるくらい放っておけない存在だったら。
なんてたらればは、全てが終わってしまった今になっては無意味だろう、だから答えは決まっているのだ。
「そうだよ、お前さえいなければ、お前さえ生まれてこなければ俺は・・・、いや違う・・・、こんな腐った世の中なら、誰もがみんな、生まれない方が幸せだったんだよ」
それが俺の答えだ、この世に生きる全ての命が等しく罪を背負っている。
罪を背負っていない人間は恵まれているだけ、だからそれを善とするのは欺瞞であり、俺には認められない事。
それが俺が【勇者】を否定する理由の全てであり、今を生きる理由の大半だった。
欺瞞だらけの世界だからこそ、俺は自身が詐欺師である事になんの罪悪感も抵抗も感じ無いし、それを肯定している。
いや、それよりもっと大きな十字架を背負っているから、人を騙す程度に感傷を持たなくなったというのが正しいか。
だから、俺は、自分自身にさえも、己は卑小で身勝手で最低な人間だと、騙すようになったのだ。
「・・・痛い」
耳を千切られるような強い痛みで目を覚ました。
すると昨夜の残飯ゲロ女が、俺の体の上に馬乗りになっていた。
「・・・えっと、うなされていたみたいだから、その・・・」
女は無理矢理起こしたことに対してそう不安そうに伺った。
「助かった、ありがとう、・・・悪夢を見ていたんだ、だから起こしてくれて本当に助かった」
そう言うと女は良かったという風にはにかんだ。
陽の当たる場所で改めて観察しても、女はそこらの平民ではとても真似出来ないほどの品があり、上玉だ。
とても残飯を貪り食うような人種には見えなかったが。
「それじゃあ、これで・・・」
と、ここで別れようとも思ったが、今は懐も潤っている訳だし、別にここで飯の一つでも奢ってもいいと、俺は思った。
それに、一度助けた相手だ、それを黙って野垂れ死や人さらいに売られるのを放っておくのも寝覚めが悪い。
そうなるくらいなら、あの場で死なせてやれという話なのだから。
俺は自身を偽善者と罵りながら、女に提案した。
「取り敢えず飯でも食うか?、腹減ってるんだろ、朝飯くらいなら奢るし、なんだったら仕事についても相談にのるぞ」
「いいんですか、ありがとうございます」
女は俺の提案に目を輝かせながら頷いた。
「はぐっ、はむ、はん、んぐ、はぐっ、はむ、はん、んぐっ・・・」
下級冒険者御用達の、一食300デンのモーニングセットが出る様な安い定食屋にて俺たちは朝食を摂る。
女はこちらの予算に構うこと無く、硬いパンと卵と肉の山を、ものすごい勢いで平らげていた。
都会の貴族がワインと美食を一日中嗜む事からも知れるように、健啖は貴族のステータスだ、故にこの女が貴族の令嬢である事はもはや疑いようも無かった。
まぁ周囲の奇異の目にさらされている事も気にせずに食事を勢いよく頬張る姿は些か品位に欠けてるとは思うものの、それでも彼女の輝く絹のような髪と、職人による刺繍が施されたドレスなどは、どう見ても彼女が貴ばれるべき存在である証だった。
「うわ、この肉下拵えすらして無くて獣クサくてマズいなぁ、この卵もロクな餌与えられてない鳥の卵だからコクもないし、しかも新鮮じゃないから雑味つよいですね、パンもパサパサで塩っぱいだけだし、これが平民の食事って奴なんですね、うーんお粗末様です」
マズいからと言っていちいち食レポしながら言葉に出すのはやめて欲しいが、文句を言う割には残さず平らげていた。
俺も一日ぶりの食事にありつきながら、静かに彼女に質問した。
「それで、君はどこの何者で、なんで路頭に迷っていたんだ」
その質問に彼女は、口に物を含んだまま、食事の手を止めずに応えた。
「その前に、えっと・・・」
「ライアだ、ライア・ノストラダムス、まぁ気軽にライアと呼んでくれ、16歳だ」
「分かりました、私は・・・ディメア、です、一応確認というか、ライア様は、私の事をどのように見えていられますか?」
「?、人となりの事か?、見た目は完全に貴族だし、話してみた感じ気品もあって容姿も優れているし、見た目だけなら10人中9人は振り返るレベルの、まるでお姫様みたいな女の子、かな」
質問の意図が分からなかったが、信用を得る為に俺は敢えて誠実に、お世辞抜きに率直な感想で答えた。
それを聞いてディメアは、まるで宝物を見つけたような笑みで目を輝かせて、俺に抱きついた。
「王子様!、あなたはやっぱり私の王子様だったんですね【勇者】様!」
「・・・!?、急にどうした、騒ぐな落ち着け迷惑だ」
急に【勇者】と呼ばれて動揺するが、詐欺師のプライドにかけて平静を装い対応する。
「どうしたもこうしたもございません、ようやく出会えました、私の王子様、そして私の王子様は【勇者】様以外には有り得ない、だからライア様は私の王子様なのです」
どうやら、俺の発言のどこかに、俺が彼女に「私の王子様」と錯覚させた原因があるらしいが、俺は彼女を助けて、その上で彼女の容姿を褒めただけ。
俺は一目で女を惑わすような絶世イケメンでは無いし、黙っていても女が寄ってくるようなモテ男でも無い。
ネクラ、陰キャ、低脳で無能な、オスとしての価値は若さ以外に取り柄が無いくらいには無い無い尽くしの人間だ。
もちろん、詐欺師としての俺ならば、セフレ直前くらいの関係性を構築する事は熟女限定で容易い。
しかし、素の俺に本気で惚れるくらいチョロい女とは今まで出会った事は無い、故にディメアのその王子様発言を俺は胡散臭く思ったし。
同時に、【勇者】と呼ばれた事に対する警戒心で、肝心な所から意識が外れてしまっていた。
「本気で言ってるのか?、俺なんて貴族のお前からすれば石ころやじゃがいもと同じ、そこらじゅうに転がってるような取るに足らない凡夫だぞ」
「この世に取るに足らない民などいません、それに、ライア様は私の姿をお姫様と仰ってくださいました、この呪われた体を見て私をお姫様だと思う人間は、【勇者】様以外にいませんから、だからライア様は私の王子様なのです」
そこで俺は思い至った、残飯を漁るような貴族の娘が、まともであるはずが無いと、つまり、彼女も何かしらの問題を抱えている異常者なんだと。
俺は先ず、最悪の可能性の排除から試みた。
「まさかお前、実は俺の生き別れの妹だったり、幽霊だったり、本当はオークのお姫様だったりはしないよな?」
「?、いえ、私はディメア・・・
────────アンデス王国の第3王女、ディメア・アンデスです、私の受けた呪いは、私の姿が【勇者】様以外には猫に見えるというものです」
「・・・え?」
猫に見えるって事はつまり、客観的には俺は猫に飯を食わせて会話してるって事か?。
どおりで飯を食い終わっても奇異の視線が無くならないと思っていたが、あれはディメアでは無く、俺に向けられていたという事だ。
「ちなみにお前って、俺以外の人間と会話する事って出来るの?」
「出来ません、私は【勇者】様だけをサポートする存在ですから、・・・王家は元々【勇者】様を援助する為の存在でしたが、此度の革命により王国が崩壊し、他の王族達は皆捉えられて処刑されてしまいました、しかし私は運良く宣告により【姫君】の役割を頂けたので、それで【勇者】様をサポート出来るようにと、魔女に呪いをかけてもらい、姿を猫に変える事で処刑を免れて、勇者探しの旅をしていたという訳です」
「そっか・・・」
大変だったんだな、という労いは言葉にしないでおく。
俺は俺以外には俺が猫と会話している変人として見られていると知って、これからは「ああ」とか「うん」みたいな適当な相槌だけで会話しようと思ったからだ。
しかし、王女ともあれば生粋の箱入り娘であり世間知らずだろうに、肉親を皆処刑されてなお、【勇者】探しの旅に何ヶ月も明け暮れていたとは普通に感心するし、不憫すぎる話でもあった。
てかつまり、俺にだけ猫に見えるという事は原理はよく分からないけれど、猫がじゃれついて来たり、抱きついてきたのを俺の妄想で美少女に変換しているような図式になるのだろうか。
もし仮に、ディメアの真の姿が俺が今見ている虚像と別物であったのなら、それは中々に悲劇的でショッキングな話だな、と今のうちに、真実を知る時のための心の防波堤を作っておいた。
でもまぁ、【勇者】と知られてどうなる事かと思いきや、猫相手なら問題無いだろう、そうと知られて一安心だ。
それに猫なら人間と違い、養うのも簡単だし、最悪の場合は村に野良として飼うか、フエメの家に預けるのもいいだろう。
人間の知性を持った猫なんて、皆珍しがって有難がるに決まっている、だから芸のひとつでも覚えさせれば皆有難がって餌付けしたくなるに違いないのだから。
そう考えればディメアの面倒を見るという問題も解決するし、むしろディメアが人間体ではなく猫である方が、俺にとっては何倍も好都合な事ばかりだ。
人間のままだったのならば魔王を倒すように急かされてそれで正体バレするに違いなかったのだから。
俺は会計を済ませると、ディメアを腕に抱えて店を出た。
俺の感じる重さは確実に50キロ近くある筈だが、他人からディメアがどのような猫に見えているのかは分からない為に、取り敢えずディメアを抱えた俺を見る周りの反応で伺ってみようという訳だ。
おおよその人間はディメアを抱っこしている俺を二度見していた、そしてその視線はお姫様に向けるような美しいものでは無く、魔物に向けるような有り得ないものに向ける視線だった。
だからきっと、周りから見たディメアの姿は虎に近いサイズなのだと推測出来た。
俺は抱き抱えるディメアの耳に顔を近づけると、小声で話しかける。
「それで、【姫君】って何が出来るの?、サポートするって言っても国は内乱だし、魔王軍は強大だし、正直戦うのは嫌だし、出来れば何もせずに平和を創造したいんだけど」
相手が猫ならば本音を知られても困らない、故に秘事の漏洩を恐れることなく、ディメアを自分色の思想に染める段取りで話しかけた。
「い、一応王国の歴史を一通り学んで、魔王城の結界の解き方や、不死の魔王を倒す方法など、冒険に役立つような知識は備えています」
残飯を漁っていたのも獣だからと考えれば、ディメア自身は優秀で高度な教育を受けていて世間知らずでは無くちゃんとした常識人でも不思議では無いが。
「ふーん、知識、ね、でもそれ、魔王がいきなり攻めて来たら役に立たないよね、そうじゃなくて命のやり取りになった時に、お前は何の役に立つのって話」
俺は高圧的な態度でディメアに詰問した、戦闘は【勇者】だからなんとかなる、ではこちらとしてはどうにもならない。
だからディメアが戦闘で役に立たないならそれを口実に魔王を討伐する事を諦めるように誘導しようとディメアを論理的に追い詰めようという訳だ。
「え、いや、えーと・・・」
「なんだ、やっぱり何も出来ないんだ、あのさぁ、難しい知識を蓄えるより先に、先ず自分の身を守って、ついでに俺の事も守ってくれるようにならないと、・・・俺もディメアも戦場に立ったら真っ先に死んじゃうよ、分かる?、君は今、お荷物なの、だから迂闊に魔王を倒すとか言葉にしない方がいいよ、恥ずかしいからさっ」
「ううっ、元の体だったら上級魔法に聖魔法、錬金術から製薬まで、一通りの事はこなせるのですが・・・」
「そんな自慢にもならない言い訳じゃ命守れないよ、お前それ、魔王に俺が襲われて死にそうになってても同じ事言えんの?」
「ううっ・・・」
俺の腕の中で涙目になるディメアの姿は、謝罪して、ごめん全部嘘、本当はディメアは優秀な子!と撫でてあげたい衝動に駆られるくらいに愛らしいが、今は心を鬼にして、ディメアが魔王討伐を考えないようにと言葉責めを続けた。
「取り敢えずさ、魔王の事は一旦忘れよ?、王国無くなってディメアも今はただの平民、いやただの猫だし、猫が世界を救うとか考えるのも変だしさ、まぁこれからは俺が【勇者】として責任もって世話してあげるから、だから先ずは命が救われた事に感謝して、穏やかに生きる事を目標に暮らそう?な?」
「でも、私には王女としての使命が・・・」
「は?王族がちゃんと王族の使命を果たしていたら、そもそも王国は滅んでいないでしょ?それなのにただの第3王女のディメアに一体なんの使命とか義務があるっていうワケ?、王族の使命とか言うなら魔王を倒すとか世迷言を言う前に先ず、餓死者や戦災孤児に謝罪する方が先なんと違うんじゃないの?」
にべもなく正論じみた嫌味でディメアに言葉責めを続けると、流石に何ヶ月も探した果てに出会った勇者にボロクソに貶されるのは堪えるのか、泣き出してしまった。
「・・・うぅ、ぐすっ、ひくっ、確かにそうかもしれませんけど、それでも私は、王国を滅ぼす原因になった魔王と魔族を許せません・・・っ」
「ふーん、それが本音って事か、なんだ結局は【勇者】利用して都合よく復讐したいだけじゃん、しかも復讐相手間違ってるし」
「・・・間違ってなどっ、魔族さえいなければ我々人間は平和に暮らし、そして王国が滅ぶ事も無かったのです、それは歴史を紐解いて考えても正しい事の筈です」
「だったら最初の勇者が魔族を一人残らず狩り殺して、それで滅ぼせばいい話じゃん、なんでそれをしなかったのか、魔族がかわいそうだから?、違う、そうしなかったのは王国が魔族を奴隷として利用したかったから、だから魔族は幾度となく反乱を起こしても、人間はそれを鎮圧し、弾圧し、支配する、本当に憎いなら一匹残らず狩り殺してやればいいのに、それをしなかったのは根本的には憎しみでは無く利益の為に戦争をしていたから、そうでしょ」
「・・・ではライア様は、魔族は悪くないと、そう仰るのですか」
「俺からすれば魔族も人間も同じだ、どちらも自分の為に生きて、同族を守る為に戦う、そこに違いは無い、だからこの世に悪があるとすれば貴族や聖職者のような、特権に寄生して欲の皮と面の皮を分厚く肥やした醜い生き物達の方がよっぽど醜悪で下劣だ、だから王国は滅んで当然のシステムだと思ってるし、もし貴族達が恨む相手がいるとするのならば、それは魔族では無く革命を主導した聖女であるべきだ、俺の言ってる事、何か間違ってるか?」
「・・・それでも王国は、お父様は、民を想い、最後まで民の為に戦おうとしていたのです、処刑されたのだって・・・」
仮にアンデス王国の国王が、真に国民を思う名君であり、内戦を避ける為に自ら断頭台に立ったのだとしても、王国の崩壊を招いた責任と、悪徳貴族を野放しにした結果の革命なのだから、処刑は妥当なものであり、不憫で同情の余地はあっても暗君の評価は覆せるものでは無いというのが俺の持論だ。
「知るか、理想だけを語って民の暮らしを見ず、民の苦しみを知らず、それ故に民を救おうとしない王など、民に見捨てられて当然の暗君だ、戦争も貧困も災害も知らずに王宮でままごとの妄想に耽けるだけの王なら、いない方が何倍もマシなんだよ」
「・・・・・・っ」
「だから王国が滅んだのは至極当然の結果であり、そしてそれを恨むなら革命の指導者である聖女だ、それ以外の意見を認めないし、魔族と復讐ごっこがしたいなら一人でやれ、俺を自己満足に巻き込むな、じゃないと・・・捨てるぞ」
ディメアが見たそのライアの目は、人情も仁義も捨て去った男の、何処までも冷たく、そして非情な瞳だった。
その瞳が映す闇は暗く昏く、光さえ映さない程に闇かった。
そう、ライアは最低の人間で、性根が腐り切っていた、だから他人を脅迫し、恫喝する事すらも平気で行える。
「捨てられたくなかったら、大人しくしてろ、お前が王女だと知られれば俺に危害が及ぶ、そうなったら俺はお前を容赦なく切り捨てるぞ」
そう脅しをかけるとディメアは、失望と絶望の闇に染まった瞳で、虚空を眺めるようにして黙り込んだ。
ディメアが王女であると知られれば、必然として俺が【勇者】であると疑われるだけでなく、反貴族派の人間からも反感を買ってしまう。
故にディメアはほとぼりが冷めるまで、王国に恨みを持つ人間の多くが死没するまでは猫のままでいてもらわなくては困る。
だから俺は今日まで頑張って来たであろうディメアの人生の全てを否定して、この場で猫としての人生を歩むことを強要をしたのだった。
それが自分の為の行動だと自分に言い聞かせるようにして、非情を演じたのだ。
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