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調子に乗ってみた。
天然素材は狼さんの腹の中。
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〈二等騎士×法務のお茶汲み〉
「頭がいたい⋯⋯」
泣きすぎた。ユリアンは腫れぼったい瞼を手の甲でコシコシする。ボンヤリする意識がゆっくり覚醒すると、体がギシギシ痛むのを感じた。変な体勢で眠ったらしい。
「おはよう」
「ひっ」
驚いて後ろにのけぞると、なにもない宙に体が投げ出される感覚がして息を飲む。それでも覚悟した衝撃は訪れなくて、反射的に閉じていた目を恐る恐る開いた。
そして再びのけぞった。
「大丈夫? 改めて、おはようさん」
大柄な騎士がユリアンの背中を支えて、後ろに倒れないように支えてくれている。しかし理解できないのは、ユリアンはソファーに座る彼の腿を跨ぐように、向かい合っていることだ。
「……どなた?」
その前に、腿の上から退かなければ。
あたふたと降りようとしたら、騎士が手助けしてくれる。ふたりとも立ち上がると、ユリアンは深々と頭を下げた。
「どなたか存じませんが、大変ご迷惑をおかけしたのでは?」
「迷惑というか……あんたに危機感はないのか?」
「法務の資料は大切なものはほとんど別棟にありますから、見られて困るものはありません。……困るものは、大臣が処分しているでしょうし」
「いや、そっちじゃないし」
二等騎士のヴォルフは内心で頭を抱えた。このかわい子ちゃんは、マジで危機感がないらしい。
「俺はヴォルフ、謁見の間で泣き崩れたアンタをここまで連れてきたんだけど、名前を聞いてもいいかい?」
「これはとんだ失礼を! ユリアン・ツェイザーと申します」
オタオタと慌てふためいて、あっさり本名を家名まで名乗る。ヴォルフは自分にならいいが、他でやらないか心配になった。……現時点では、ヴォルフにやらかすのも問題だろうけれど。
「お時間、大丈夫ですか? お詫びにもお礼にもなりませんが、お茶でも飲んでいってください。……あ、お仕事中ですか?」
ヴォルフの現在の仕事は、ユリアンを落ち着かせることである。ユリアンが寝落ちていた間、様子を見に来た同僚が上司の言葉を持ってきていた。法務の不幸な青年にいたく同情した上司は、発作的に自殺などしないよう気をつけてやれ、と言付けてきた。
「いや。もう、あがりだ」
本当は職務の真っ最中だが。
「よかった」
ふわんと微笑んで、ユリアンは「少しお待ちください」と言って部屋を出て行った。しばらくして小さなワゴンを押してくると、いい香りが漂った。
ユリアンの淹れたお茶はとんでもなく美味だった。
「僕、これしか能がなくて」
ぽつりぽつりと話し始めるに、あまりに引っ込み思案で頼りない跡取り息子に業を煮やした父親が、半ば強引に職場を見つけてきたのだそうだ。それが法務の事務で、最初は普通に業務をしていたのだという。
事務仕事の合間にたまたま淹れたお茶が、香り高く大層美味だったことから大臣の客にお茶を出す仕事は、ユリアンの役目になった。
「こんな僕でもお役に立てるんだって、嬉しかったんです」
それが、こんなことになるなんて。
ユリアンは情けなさそうに俯いた。
各省庁には侍女も女中も大勢いるのに、わざわざ法務省の職員にさせたのは、客を不特定多数にみせたくなかったのだろう。ヴォルフはそう結論づけた。
「こんなことになって、父から手紙が届きました。……僕を後継ぎから外して弟が家を継ぐと。前の法務大臣の部下なんて世間様に顔向けできないから、後継にはできないんだそうです」
もともと後継なんて重圧、耐えられませんでしたけど、と微笑んだ面はひどく頼りなかった。
「……ほとぼりが冷めるまで、家に寄り付くなって言われちゃいました」
ヴォルフは脳裏でなにかがぷちんと切れたのを感じた。まずは自己紹介をして食事でも誘おうと思っていたが、計画は変更だ。
「あんたは通いだろ? 王都の実家住まいじゃないのか?」
「……今朝までそうでしたけど」
領地の父からの手紙一通で、追い出されたようだ。ユリアンの実家、ツェイザー家に対する軽蔑と共に、ユリアンに対する庇護欲が膨れ上がった。
それにしてもユリアンは、神がかったほどの不幸体質である。自分の意思によらず波間に翻弄される小舟……いや、葉っぱ。瑞々しく色鮮やかであるだけに、放っておいたらどんな輩に踏み躙られるかわからない。
「あんまりお金を持ち出せなかったので、借家が借りれるまで何処か安宿を探します」
「……あんたはマジで危機感がない」
安い宿屋なんかに部屋をとったら、明日の朝には暴行事件の被害者になること請け合いだった。ジーンスワーク御一行様の、とんでもない美形の家令や継嗣に比べると控えめだが、ユリアンは優しげなかわい子ちゃんだ。
「借家が決まるまで俺ん家に来てよ」
そのままなし崩しに俺のものになりなよ。ヴォルフは心の中で、そう続けた。
「ええぇッ⁈ 駄目ですよ! だって僕、法務の職員ですよ!」
「前の法務大臣がクソだったからって、全員がそうじゃないだろう? ましてあんたはトバッチリだって、陛下も殿下も気の毒そうに見てたじゃないか」
更迭された前法務大臣とともに悪事を働いてきた者は、すでに獄中にある。どっちつかずの管理職のゲスとその腰巾着のクズは、さっさと退職手続きをして逃げた。残されたのは何も知らない新人と、コツコツ働いていた真面目な平民出身の職員だ。
ツェイザー家は男爵位で、残った職員の中ではユリアンが一番の高位だった。
誰が見ても、ユリアンはトバッチリの貧乏くじだ。
「だから俺はあんたを悪人だなんて思ってないから、安心してうちに来いよ」
言いながらヴォルフは、出会ったばかりの男に安心もクソもねぇと内心で突っ込んだ。それなのにユリアンはうるうると瞳を揺らして頬を赤く染めて言ったのだ。
「……ありがとうございます。出会ったばかりの僕を、信用してくださるんですね」
感謝と信頼の眼差しが痛い。自分の一言で本当に安心するなんて、マジで危機感がない。こんな危ないの、放って置けるわけがない。思わず抱きしめて口付けそうになって、ヴォルフは全霊を込めて押し止まった。
こうして二等騎士は、可愛い法務のお茶汲みを自宅に招くことに成功した。けれど大事に大事にしすぎるあまり、いつまで経っても狼にはなれないのだった。
〈おしまい〉
「頭がいたい⋯⋯」
泣きすぎた。ユリアンは腫れぼったい瞼を手の甲でコシコシする。ボンヤリする意識がゆっくり覚醒すると、体がギシギシ痛むのを感じた。変な体勢で眠ったらしい。
「おはよう」
「ひっ」
驚いて後ろにのけぞると、なにもない宙に体が投げ出される感覚がして息を飲む。それでも覚悟した衝撃は訪れなくて、反射的に閉じていた目を恐る恐る開いた。
そして再びのけぞった。
「大丈夫? 改めて、おはようさん」
大柄な騎士がユリアンの背中を支えて、後ろに倒れないように支えてくれている。しかし理解できないのは、ユリアンはソファーに座る彼の腿を跨ぐように、向かい合っていることだ。
「……どなた?」
その前に、腿の上から退かなければ。
あたふたと降りようとしたら、騎士が手助けしてくれる。ふたりとも立ち上がると、ユリアンは深々と頭を下げた。
「どなたか存じませんが、大変ご迷惑をおかけしたのでは?」
「迷惑というか……あんたに危機感はないのか?」
「法務の資料は大切なものはほとんど別棟にありますから、見られて困るものはありません。……困るものは、大臣が処分しているでしょうし」
「いや、そっちじゃないし」
二等騎士のヴォルフは内心で頭を抱えた。このかわい子ちゃんは、マジで危機感がないらしい。
「俺はヴォルフ、謁見の間で泣き崩れたアンタをここまで連れてきたんだけど、名前を聞いてもいいかい?」
「これはとんだ失礼を! ユリアン・ツェイザーと申します」
オタオタと慌てふためいて、あっさり本名を家名まで名乗る。ヴォルフは自分にならいいが、他でやらないか心配になった。……現時点では、ヴォルフにやらかすのも問題だろうけれど。
「お時間、大丈夫ですか? お詫びにもお礼にもなりませんが、お茶でも飲んでいってください。……あ、お仕事中ですか?」
ヴォルフの現在の仕事は、ユリアンを落ち着かせることである。ユリアンが寝落ちていた間、様子を見に来た同僚が上司の言葉を持ってきていた。法務の不幸な青年にいたく同情した上司は、発作的に自殺などしないよう気をつけてやれ、と言付けてきた。
「いや。もう、あがりだ」
本当は職務の真っ最中だが。
「よかった」
ふわんと微笑んで、ユリアンは「少しお待ちください」と言って部屋を出て行った。しばらくして小さなワゴンを押してくると、いい香りが漂った。
ユリアンの淹れたお茶はとんでもなく美味だった。
「僕、これしか能がなくて」
ぽつりぽつりと話し始めるに、あまりに引っ込み思案で頼りない跡取り息子に業を煮やした父親が、半ば強引に職場を見つけてきたのだそうだ。それが法務の事務で、最初は普通に業務をしていたのだという。
事務仕事の合間にたまたま淹れたお茶が、香り高く大層美味だったことから大臣の客にお茶を出す仕事は、ユリアンの役目になった。
「こんな僕でもお役に立てるんだって、嬉しかったんです」
それが、こんなことになるなんて。
ユリアンは情けなさそうに俯いた。
各省庁には侍女も女中も大勢いるのに、わざわざ法務省の職員にさせたのは、客を不特定多数にみせたくなかったのだろう。ヴォルフはそう結論づけた。
「こんなことになって、父から手紙が届きました。……僕を後継ぎから外して弟が家を継ぐと。前の法務大臣の部下なんて世間様に顔向けできないから、後継にはできないんだそうです」
もともと後継なんて重圧、耐えられませんでしたけど、と微笑んだ面はひどく頼りなかった。
「……ほとぼりが冷めるまで、家に寄り付くなって言われちゃいました」
ヴォルフは脳裏でなにかがぷちんと切れたのを感じた。まずは自己紹介をして食事でも誘おうと思っていたが、計画は変更だ。
「あんたは通いだろ? 王都の実家住まいじゃないのか?」
「……今朝までそうでしたけど」
領地の父からの手紙一通で、追い出されたようだ。ユリアンの実家、ツェイザー家に対する軽蔑と共に、ユリアンに対する庇護欲が膨れ上がった。
それにしてもユリアンは、神がかったほどの不幸体質である。自分の意思によらず波間に翻弄される小舟……いや、葉っぱ。瑞々しく色鮮やかであるだけに、放っておいたらどんな輩に踏み躙られるかわからない。
「あんまりお金を持ち出せなかったので、借家が借りれるまで何処か安宿を探します」
「……あんたはマジで危機感がない」
安い宿屋なんかに部屋をとったら、明日の朝には暴行事件の被害者になること請け合いだった。ジーンスワーク御一行様の、とんでもない美形の家令や継嗣に比べると控えめだが、ユリアンは優しげなかわい子ちゃんだ。
「借家が決まるまで俺ん家に来てよ」
そのままなし崩しに俺のものになりなよ。ヴォルフは心の中で、そう続けた。
「ええぇッ⁈ 駄目ですよ! だって僕、法務の職員ですよ!」
「前の法務大臣がクソだったからって、全員がそうじゃないだろう? ましてあんたはトバッチリだって、陛下も殿下も気の毒そうに見てたじゃないか」
更迭された前法務大臣とともに悪事を働いてきた者は、すでに獄中にある。どっちつかずの管理職のゲスとその腰巾着のクズは、さっさと退職手続きをして逃げた。残されたのは何も知らない新人と、コツコツ働いていた真面目な平民出身の職員だ。
ツェイザー家は男爵位で、残った職員の中ではユリアンが一番の高位だった。
誰が見ても、ユリアンはトバッチリの貧乏くじだ。
「だから俺はあんたを悪人だなんて思ってないから、安心してうちに来いよ」
言いながらヴォルフは、出会ったばかりの男に安心もクソもねぇと内心で突っ込んだ。それなのにユリアンはうるうると瞳を揺らして頬を赤く染めて言ったのだ。
「……ありがとうございます。出会ったばかりの僕を、信用してくださるんですね」
感謝と信頼の眼差しが痛い。自分の一言で本当に安心するなんて、マジで危機感がない。こんな危ないの、放って置けるわけがない。思わず抱きしめて口付けそうになって、ヴォルフは全霊を込めて押し止まった。
こうして二等騎士は、可愛い法務のお茶汲みを自宅に招くことに成功した。けれど大事に大事にしすぎるあまり、いつまで経っても狼にはなれないのだった。
〈おしまい〉
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