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気になる人々のその後のはなし。
そこにあるは名もなき花々。
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アナタはいったいドナタですか?
モブ詰め込みました。
⁂ ⁂ ⁂ ⁂ ⁂
〈騎士×法務のお茶汲み〉
騎士団に所属するアルノルド・ステッラ一等騎士が誘拐された。異世界から落ちてきた華姫と呼ばれる王太子殿下の婚約者と間違われた、と言うのが真相のようだ。
対策会議の為、重苦しい空気の中、大臣たちが謁見の間に集まってくる。その中にひとり、場違いな若い文官がいた。
文官は大臣や秘書官たちの背後に隠れるように立ち、ブルブルと震えている。
謁見の間の扉を守護する任務を帯びた二等騎士は、その後ろ姿があまりにも頼りなくて、激しく庇護欲をそそられた。
文官は大臣を筆頭に多くの処分者が出た法務省に勤めていて、上が軒並み居なくなったせいで、自分がいちばんの上役になってしまったと言う、不幸な青年だった。
話が進んで、法務大臣の国家への裏切りが明らかになると、国王陛下と王太子殿下、居並ぶ国の政を動かす重鎮たちの前でひざまずき、涙を流して謝罪した。
人々は哀れな青年に同情し、国王陛下は彼の退出を許した。歩くことも儘ならぬほど泣き崩れるので、騎士がひとり、支えるために付き添った。
「泣くなや、文官さん。誰もあんたが悪いなんて思っちゃいないよ」
「でも⋯⋯うぇえぇぇ⋯⋯ぐすっ」
すらりとした細い体は、騎士のそれに比べてとても頼りない。それ以上に心労でよく眠れていないのだろう。目の下はクマで真っ黒になっていて、綺麗な顔を台無しにしている。
まるで泣き止む気配がないので結局、王城内にある法務省の控室まで送って行った。他の職員は別棟で仕事をしているのであろう。控室には誰もいない。
「あり⋯⋯ありがとう、ごじゃ⋯⋯ます」
しゃくり上げながら必死に礼を言う文官に、騎士は最初から刺激されまくりの庇護欲が、変な風に揺らぐのを自覚した。
「あぁもう、わかった。泣くだけ泣けや」
「ううーーーーッ」
抱き上げて、ソファーに腰を下ろす。膝に乗せたまま文官の背をトントンと叩くと、しばらくえぐえぐ泣いていたが、やがて小さな寝息が聞こえてきた。
「まいったな。一目惚れかよ、オレ」
寝入ってしまった不幸な青年は、優しい顔立ちをしている。クマが消えたらとても綺麗だろう。きっと笑顔は可愛いに違いない。
「しょうがねぇな。目が覚めたらとりあえず自己紹介して、手始めに飯でも誘うかな。覚悟しとけよ」
二等騎士は涙に濡れた文官の頬を、自身の指で拭ってやったのだった。
⁂ ⁂ ⁂ ⁂ ⁂
〈カリオ侍従長のつぶやき〉
カリオは王太子宮の侍従を統べる責任者である。三十代半ばの穏やかな紳士で、厳しく優しく後進の育成に励んでいる。
彼が仕えるレオンブライト王太子殿下が、この程お妃さまをおむかえになられた。カリオは妃殿下が快適にお過ごしになるように、万事整えるよう宮の全てに心を配っている。
残念ながら、妃殿下を直接お世話申し上げることはできない。それには理由があって、不埒者に乱暴されかかった妃殿下は、知らない男性を酷く恐れる時期があったためだ。
妃殿下はとても聡明で穏やかな人柄であるが、いかんせん見目が幼げで稚い。実年齢が十七歳と聞いて安心したが、王太子殿下の嗜好を一瞬疑ったのは胸の奥に留めて、墓まで持っていこうと決めている。
「侍従長さま、ハリーさまのお召し物ですが⋯⋯」
「エットーレア、妃殿下とお呼び申し上げなさい」
「あっ、申し訳ありません」
小姓のエットーレアは将来の侍従長候補として育てているが、まだまだ子どもだ。その幼さが妃殿下を安心させているので、大事に導いてやらねばならない。
エットーレアが捧げ持ってきた衣装は王太子殿下が十歳ごろにお召しになっていたもので、今の妃殿下にちょうど良い。妃殿下には少し凛々しすぎるデザインなので、レースを足すのも良いかもしれない。ジーンスワークにこの程、腕のいいお針子が雇われたので依頼するよう指示をした。
今朝も妃殿下は朝食を召し上がらなかったので、朝昼兼用の食事の手配を厨房に指示する。王妃陛下の黒猫は万事抜かりなく手配しているだろうが、少々過激である。しっかり見張っていないと妃殿下大事のあまり、他を蔑ろにしがちだ。まことに頭の痛いところである。
頭の痛いと言えば、王太子殿下だ。
仕事を疎かにはされていないが、妃殿下に夢中すぎていささか目の毒だ。表に出る黒猫たち、侍従のアントニオ、小姓のエットーレアあたりは問題ないが、かつての禁欲的な姿しか知らぬ若い者が浮き足立っている。
空になった香油壜を片付けていた侍従が、鼻血を垂らして大騒ぎになったものだ。⋯⋯一晩に何本お使いになるやら。小柄な妃殿下に一体何度挑まれていられるのか、そろそろ王太子殿下に説教が必要だろうか。黒猫のモーリンが不寝番を多く務めているので、今度話しを聞いておかなければ。
それでも、夫妻の仲が睦じいのが一番良い。
侍従長は穏やかに微笑んだ。
⁂ ⁂ ⁂ ⁂ ⁂
〈ハイネン一家物語〉
ハイネン子爵は、最近妻の死亡届を提出した。行方不明になって八年とちょっと、ようやくのことである。
彼は妻を探し続けた理由を考えた。
最初の一年は必死だった。乳飲み子だったメアリーに母の温もりを返してやりたかった。そのうち、メアリーが歩き出し、お喋りを始めると、ますます母親が必要だと思った。
雇っていた乳母は乳が出なくなると、そろそろ自分の子に兄弟を作ってやりたいと職を辞して、子供を連れて夫の元へ帰って行った。代わりにやって来たのは没落貴族の娘で、気の毒な身の上の少女だった。
少女は家庭教師として充分な教養を持ち、品がよく、出しゃばったところがなかった。母のように、姉のように、優しく時に厳しく指導する彼女に、メアリーは大層懐いた。
「ねぇ、パパ。先生のような方がママだったら素敵だと思うわ」
メアリーは五歳になる頃から、たびたびそんなことを言うようになった。確かに家庭教師は良い母親になるだろう。どこか良縁があれば、持参金を用意しても良いと思うほど、子爵は彼女に感謝していた。
そう、感謝だったのだ。
メアリーが魔法の掛けられた植物を使って誘拐された時、家庭教師はメアリーを助けようとして大怪我をした。腕の骨を折り、額を煉瓦の破片で切った姿を見たとき、子爵の胸にあったのは行方不明の妻ではなかった。
自分がメアリーを抱き上げ、それを傍で微笑んで見ているのは、いつも家庭教師だった。妻ではない。
八年、もう充分だ。子爵はそうして、妻の死亡届を提出したのだ。
王太子殿下とその婚約者がハイネン子爵領から去って、日常が戻ってきた。子爵は娘の学習を、ソワソワしながら見に行って、家庭教師にやんわり邪魔にされて落ち込んだ。実際邪魔をしているのだから、仕方がない。
「パパったら、わかりやすいわね。⋯⋯先生には全然伝わっていないけど」
「そうなのかい?」
親娘の会話は増えたようだ。家庭教師は離れた位置でニコニコしながら見ている。
「ねぇ、パパ。せっかくカッコいいんだから、痩せてみたらどうかしら。もっともっとカッコ良くなって、正面から堂々と告白してみたら?」
「痩せる⁈ カッコ良い⁈」
「そうよ」
超絶美少女のメアリーの元になったパーツの持ち主なのだ、お肉の中から救い出してやれば、美形なことは間違い無いだろう。寂しくなった髪の毛は、どうしようもないけれど。
それから一年、減量は成功したのだろうか?
メアリーは家庭教師⋯⋯否、母親のお腹に耳を当てて、ニコニコしながら言った。
「お姉ちゃんですよ。聞こえますか?⋯⋯っ、ぽこんって言ったわ!」
「お父さまより先に、赤ちゃんにご挨拶しちゃったわね」
「うふふ」
ハイネン子爵家は、暖かい日差しに包まれていた。
⁂ ⁂ ⁂ ⁂ ⁂
〈地図マニアさんはこんな人〉
崖っぷちが好きだ。
人生の崖っぷちでは無い。
地面が隆起して土肌が曝け出され、積み重なった帯状の模様に堪らなく興奮する。
彼は別に変態ではない。古い地図と新しい地図を並べて妄想することが好きで、その場に足を運んで堪能することが大好きな、ただの好事家だ。
古地図にある街道が廃れた理由を読み取ると、人間の勢力図が関わるものと、地形や天候に関わるものがある。国の歴史を学ぶのにも地図はとても重要だと思うが、なかなか仲間が現れない。
彼は貧乏貴族の三男坊で、食うに困って騎士団に入団した。稼いだ金では高価な地図を買い漁ることはできなくて、休日は図書館に通い詰めて地図を模写して過ごした。
また、見ただけで山の高さや川の幅を言い当てたり、常人には理解できない特技を持っていた。
それらは彼が個人で楽しむ他は、騎士団の平団員がすむ宿舎の中でも軽く気味悪がられる程度で、別になんてことない趣味だった。
彼の人生が変わったのは、獣王眼の持ち主が入団してきたときだ。彼は小柄で体力がなく剣の腕はからっきしと言う、騎士になり得るはずがない人物だった。しかし獣王眼という特殊技能が、彼を騎士たらしめた。⋯⋯知らない奴らのやっかみにもあったようだが。
地図が好きなだけの落ちこぼれ騎士は、獣王眼の持ち主を色眼鏡で見なかった。地図が好きすぎて人に興味がなかったせいで、嫌がらせに参加しなかったのだ。そのせいか獣王眼の持ち主は彼に気を許し、周りをうろちょろするようになった。
「それ、何?」
「俺が描いた地図」
「へぇ」
それから三日後、団長に呼ばれた。
総団長たる王太子殿下も居て、彼は生きた心地がしなかった。
「この地図をこの紙いっぱいに拡大して描けるか?」
団長に言われて胸に手を当てて、騎士の礼をとる。
「はっ」
「では、今ここで描いてみよ」
道具は揃っていた。緊張は、地図を前にして消え去った。枠を描いて倍率を計算して、目に入る情報をそのまま紙に写す。見たものをそのまま描ける能力は得難いものだが、彼はなんの疑問もなくそうだったので、他人ができないことが理解できなかった。
あっという間に地図を書き上げると、王太子殿下が満足したように頷いた。
そうしてあれよという間に宿舎の部屋が幹部の部屋のそばに移され、階級が上がり、機密事項の詰まった地図に囲まれて生活することになった。
訳がわからなかったが、すぐに気にしなくなった。
彼は地図が好きだ。沢山の地図に囲まれて、なんの文句があろうか。たまに演習で連れ出されて、みんなが訓練している時間に、じっくり崖を観察させてもらえるのも良い。
つまり、彼は今、幸福の絶頂にあるのだった。
⁂ ⁂ ⁂ ⁂ ⁂
〈イヴリン・ロレッタの嫁入り〉
イヴリン・ロレッタは王都から遠く離れた修道院で、そこそこ不自由なく生活していた。もちろん身の回りのことは自分でやらなければならなかったし、女中のひとりもつけられていなかったが、飢えずに寝台で眠れることが幸せだと思えるようになっていた。
母から欲しいものも欲しくないものも、沢山与えられる生活をしていた。けれど必要なものは驚くほど少ない。
王都で王太子殿下の婚儀が挙げられていた同じ時間、修道院では祝いのミサが行われた。イヴリンは素直な気持ちでそれに参加した。
彼女は修道院に来た当初は、とても我儘な少女だった。今となっては愚かな子供だったと思っている。
面会に来た父が、イヴリンが兄に救われていたことを教えてくれた。母に言われるまま、盲目的に愛して依存していた婚約者が、自分の貞操を盾に兄に酷いことをしていたと聞いて、目の前が真っ暗になった。
だから今、自分の倍ほども年齢のある騎士にされている求婚を、断ることはできない。
騎士は体が大きくて、陽に灼けて、傷だらけで、かつての婚約者コンラッドのような美しさはない。以前のイヴリンなら一目見て失神していたかもしれない。治療院への慰問と奉仕活動で、様々な人と交流したからこそ、微笑んで求婚を受け入れられる。
「俺は怪我をして、もう第一線には出られない。お役御免かと思ったが、後進の育成とやらに使っていただけている」
「はい」
「俺の跡取りは前の妻が産んでくれた。あんたは安心して、男爵家の跡取りを産んでくれ」
「⋯⋯はい」
恩赦の知らせを持ってきた騎士は、自分と娶って子を成すことが、修道院から出る条件だと言った。イヴリンは正直、修道院の生活にうまく馴染めたので、ここから出る必要もなかった。
けれど、兄のための跡取りを⋯⋯。
イヴリンのために何年も虐待に耐えてきたと言う兄に、恩返しをしなければならない。幸い、目の前の騎士は強面ではあるが、目尻に皺を寄せて優しく微笑んでいる。
「イヴリン・ロレッタと申します。騎士さまに心よりお仕えいたします」
イヴリンは丁寧に頭を下げた。
⁂ ⁂ ⁂ ⁂ ⁂
お茶汲みさんと地図マニアさん、お気に入りです。でも、アンタ誰?すぎてひとりで1ページは使えません(笑)。織緒的に気になる人々は回収いたしました。コンラッド、ザマァ? 需要なさそうですね~。「この人どうなった?」「この人、その後のさらにその後が読みたい」など感想お待ちしています。
その後のはなし。をもちまして一旦締めさせていただきます。忘れた頃に番外編投下するかもしれません。お読みいただきありがとうございました。
モブ詰め込みました。
⁂ ⁂ ⁂ ⁂ ⁂
〈騎士×法務のお茶汲み〉
騎士団に所属するアルノルド・ステッラ一等騎士が誘拐された。異世界から落ちてきた華姫と呼ばれる王太子殿下の婚約者と間違われた、と言うのが真相のようだ。
対策会議の為、重苦しい空気の中、大臣たちが謁見の間に集まってくる。その中にひとり、場違いな若い文官がいた。
文官は大臣や秘書官たちの背後に隠れるように立ち、ブルブルと震えている。
謁見の間の扉を守護する任務を帯びた二等騎士は、その後ろ姿があまりにも頼りなくて、激しく庇護欲をそそられた。
文官は大臣を筆頭に多くの処分者が出た法務省に勤めていて、上が軒並み居なくなったせいで、自分がいちばんの上役になってしまったと言う、不幸な青年だった。
話が進んで、法務大臣の国家への裏切りが明らかになると、国王陛下と王太子殿下、居並ぶ国の政を動かす重鎮たちの前でひざまずき、涙を流して謝罪した。
人々は哀れな青年に同情し、国王陛下は彼の退出を許した。歩くことも儘ならぬほど泣き崩れるので、騎士がひとり、支えるために付き添った。
「泣くなや、文官さん。誰もあんたが悪いなんて思っちゃいないよ」
「でも⋯⋯うぇえぇぇ⋯⋯ぐすっ」
すらりとした細い体は、騎士のそれに比べてとても頼りない。それ以上に心労でよく眠れていないのだろう。目の下はクマで真っ黒になっていて、綺麗な顔を台無しにしている。
まるで泣き止む気配がないので結局、王城内にある法務省の控室まで送って行った。他の職員は別棟で仕事をしているのであろう。控室には誰もいない。
「あり⋯⋯ありがとう、ごじゃ⋯⋯ます」
しゃくり上げながら必死に礼を言う文官に、騎士は最初から刺激されまくりの庇護欲が、変な風に揺らぐのを自覚した。
「あぁもう、わかった。泣くだけ泣けや」
「ううーーーーッ」
抱き上げて、ソファーに腰を下ろす。膝に乗せたまま文官の背をトントンと叩くと、しばらくえぐえぐ泣いていたが、やがて小さな寝息が聞こえてきた。
「まいったな。一目惚れかよ、オレ」
寝入ってしまった不幸な青年は、優しい顔立ちをしている。クマが消えたらとても綺麗だろう。きっと笑顔は可愛いに違いない。
「しょうがねぇな。目が覚めたらとりあえず自己紹介して、手始めに飯でも誘うかな。覚悟しとけよ」
二等騎士は涙に濡れた文官の頬を、自身の指で拭ってやったのだった。
⁂ ⁂ ⁂ ⁂ ⁂
〈カリオ侍従長のつぶやき〉
カリオは王太子宮の侍従を統べる責任者である。三十代半ばの穏やかな紳士で、厳しく優しく後進の育成に励んでいる。
彼が仕えるレオンブライト王太子殿下が、この程お妃さまをおむかえになられた。カリオは妃殿下が快適にお過ごしになるように、万事整えるよう宮の全てに心を配っている。
残念ながら、妃殿下を直接お世話申し上げることはできない。それには理由があって、不埒者に乱暴されかかった妃殿下は、知らない男性を酷く恐れる時期があったためだ。
妃殿下はとても聡明で穏やかな人柄であるが、いかんせん見目が幼げで稚い。実年齢が十七歳と聞いて安心したが、王太子殿下の嗜好を一瞬疑ったのは胸の奥に留めて、墓まで持っていこうと決めている。
「侍従長さま、ハリーさまのお召し物ですが⋯⋯」
「エットーレア、妃殿下とお呼び申し上げなさい」
「あっ、申し訳ありません」
小姓のエットーレアは将来の侍従長候補として育てているが、まだまだ子どもだ。その幼さが妃殿下を安心させているので、大事に導いてやらねばならない。
エットーレアが捧げ持ってきた衣装は王太子殿下が十歳ごろにお召しになっていたもので、今の妃殿下にちょうど良い。妃殿下には少し凛々しすぎるデザインなので、レースを足すのも良いかもしれない。ジーンスワークにこの程、腕のいいお針子が雇われたので依頼するよう指示をした。
今朝も妃殿下は朝食を召し上がらなかったので、朝昼兼用の食事の手配を厨房に指示する。王妃陛下の黒猫は万事抜かりなく手配しているだろうが、少々過激である。しっかり見張っていないと妃殿下大事のあまり、他を蔑ろにしがちだ。まことに頭の痛いところである。
頭の痛いと言えば、王太子殿下だ。
仕事を疎かにはされていないが、妃殿下に夢中すぎていささか目の毒だ。表に出る黒猫たち、侍従のアントニオ、小姓のエットーレアあたりは問題ないが、かつての禁欲的な姿しか知らぬ若い者が浮き足立っている。
空になった香油壜を片付けていた侍従が、鼻血を垂らして大騒ぎになったものだ。⋯⋯一晩に何本お使いになるやら。小柄な妃殿下に一体何度挑まれていられるのか、そろそろ王太子殿下に説教が必要だろうか。黒猫のモーリンが不寝番を多く務めているので、今度話しを聞いておかなければ。
それでも、夫妻の仲が睦じいのが一番良い。
侍従長は穏やかに微笑んだ。
⁂ ⁂ ⁂ ⁂ ⁂
〈ハイネン一家物語〉
ハイネン子爵は、最近妻の死亡届を提出した。行方不明になって八年とちょっと、ようやくのことである。
彼は妻を探し続けた理由を考えた。
最初の一年は必死だった。乳飲み子だったメアリーに母の温もりを返してやりたかった。そのうち、メアリーが歩き出し、お喋りを始めると、ますます母親が必要だと思った。
雇っていた乳母は乳が出なくなると、そろそろ自分の子に兄弟を作ってやりたいと職を辞して、子供を連れて夫の元へ帰って行った。代わりにやって来たのは没落貴族の娘で、気の毒な身の上の少女だった。
少女は家庭教師として充分な教養を持ち、品がよく、出しゃばったところがなかった。母のように、姉のように、優しく時に厳しく指導する彼女に、メアリーは大層懐いた。
「ねぇ、パパ。先生のような方がママだったら素敵だと思うわ」
メアリーは五歳になる頃から、たびたびそんなことを言うようになった。確かに家庭教師は良い母親になるだろう。どこか良縁があれば、持参金を用意しても良いと思うほど、子爵は彼女に感謝していた。
そう、感謝だったのだ。
メアリーが魔法の掛けられた植物を使って誘拐された時、家庭教師はメアリーを助けようとして大怪我をした。腕の骨を折り、額を煉瓦の破片で切った姿を見たとき、子爵の胸にあったのは行方不明の妻ではなかった。
自分がメアリーを抱き上げ、それを傍で微笑んで見ているのは、いつも家庭教師だった。妻ではない。
八年、もう充分だ。子爵はそうして、妻の死亡届を提出したのだ。
王太子殿下とその婚約者がハイネン子爵領から去って、日常が戻ってきた。子爵は娘の学習を、ソワソワしながら見に行って、家庭教師にやんわり邪魔にされて落ち込んだ。実際邪魔をしているのだから、仕方がない。
「パパったら、わかりやすいわね。⋯⋯先生には全然伝わっていないけど」
「そうなのかい?」
親娘の会話は増えたようだ。家庭教師は離れた位置でニコニコしながら見ている。
「ねぇ、パパ。せっかくカッコいいんだから、痩せてみたらどうかしら。もっともっとカッコ良くなって、正面から堂々と告白してみたら?」
「痩せる⁈ カッコ良い⁈」
「そうよ」
超絶美少女のメアリーの元になったパーツの持ち主なのだ、お肉の中から救い出してやれば、美形なことは間違い無いだろう。寂しくなった髪の毛は、どうしようもないけれど。
それから一年、減量は成功したのだろうか?
メアリーは家庭教師⋯⋯否、母親のお腹に耳を当てて、ニコニコしながら言った。
「お姉ちゃんですよ。聞こえますか?⋯⋯っ、ぽこんって言ったわ!」
「お父さまより先に、赤ちゃんにご挨拶しちゃったわね」
「うふふ」
ハイネン子爵家は、暖かい日差しに包まれていた。
⁂ ⁂ ⁂ ⁂ ⁂
〈地図マニアさんはこんな人〉
崖っぷちが好きだ。
人生の崖っぷちでは無い。
地面が隆起して土肌が曝け出され、積み重なった帯状の模様に堪らなく興奮する。
彼は別に変態ではない。古い地図と新しい地図を並べて妄想することが好きで、その場に足を運んで堪能することが大好きな、ただの好事家だ。
古地図にある街道が廃れた理由を読み取ると、人間の勢力図が関わるものと、地形や天候に関わるものがある。国の歴史を学ぶのにも地図はとても重要だと思うが、なかなか仲間が現れない。
彼は貧乏貴族の三男坊で、食うに困って騎士団に入団した。稼いだ金では高価な地図を買い漁ることはできなくて、休日は図書館に通い詰めて地図を模写して過ごした。
また、見ただけで山の高さや川の幅を言い当てたり、常人には理解できない特技を持っていた。
それらは彼が個人で楽しむ他は、騎士団の平団員がすむ宿舎の中でも軽く気味悪がられる程度で、別になんてことない趣味だった。
彼の人生が変わったのは、獣王眼の持ち主が入団してきたときだ。彼は小柄で体力がなく剣の腕はからっきしと言う、騎士になり得るはずがない人物だった。しかし獣王眼という特殊技能が、彼を騎士たらしめた。⋯⋯知らない奴らのやっかみにもあったようだが。
地図が好きなだけの落ちこぼれ騎士は、獣王眼の持ち主を色眼鏡で見なかった。地図が好きすぎて人に興味がなかったせいで、嫌がらせに参加しなかったのだ。そのせいか獣王眼の持ち主は彼に気を許し、周りをうろちょろするようになった。
「それ、何?」
「俺が描いた地図」
「へぇ」
それから三日後、団長に呼ばれた。
総団長たる王太子殿下も居て、彼は生きた心地がしなかった。
「この地図をこの紙いっぱいに拡大して描けるか?」
団長に言われて胸に手を当てて、騎士の礼をとる。
「はっ」
「では、今ここで描いてみよ」
道具は揃っていた。緊張は、地図を前にして消え去った。枠を描いて倍率を計算して、目に入る情報をそのまま紙に写す。見たものをそのまま描ける能力は得難いものだが、彼はなんの疑問もなくそうだったので、他人ができないことが理解できなかった。
あっという間に地図を書き上げると、王太子殿下が満足したように頷いた。
そうしてあれよという間に宿舎の部屋が幹部の部屋のそばに移され、階級が上がり、機密事項の詰まった地図に囲まれて生活することになった。
訳がわからなかったが、すぐに気にしなくなった。
彼は地図が好きだ。沢山の地図に囲まれて、なんの文句があろうか。たまに演習で連れ出されて、みんなが訓練している時間に、じっくり崖を観察させてもらえるのも良い。
つまり、彼は今、幸福の絶頂にあるのだった。
⁂ ⁂ ⁂ ⁂ ⁂
〈イヴリン・ロレッタの嫁入り〉
イヴリン・ロレッタは王都から遠く離れた修道院で、そこそこ不自由なく生活していた。もちろん身の回りのことは自分でやらなければならなかったし、女中のひとりもつけられていなかったが、飢えずに寝台で眠れることが幸せだと思えるようになっていた。
母から欲しいものも欲しくないものも、沢山与えられる生活をしていた。けれど必要なものは驚くほど少ない。
王都で王太子殿下の婚儀が挙げられていた同じ時間、修道院では祝いのミサが行われた。イヴリンは素直な気持ちでそれに参加した。
彼女は修道院に来た当初は、とても我儘な少女だった。今となっては愚かな子供だったと思っている。
面会に来た父が、イヴリンが兄に救われていたことを教えてくれた。母に言われるまま、盲目的に愛して依存していた婚約者が、自分の貞操を盾に兄に酷いことをしていたと聞いて、目の前が真っ暗になった。
だから今、自分の倍ほども年齢のある騎士にされている求婚を、断ることはできない。
騎士は体が大きくて、陽に灼けて、傷だらけで、かつての婚約者コンラッドのような美しさはない。以前のイヴリンなら一目見て失神していたかもしれない。治療院への慰問と奉仕活動で、様々な人と交流したからこそ、微笑んで求婚を受け入れられる。
「俺は怪我をして、もう第一線には出られない。お役御免かと思ったが、後進の育成とやらに使っていただけている」
「はい」
「俺の跡取りは前の妻が産んでくれた。あんたは安心して、男爵家の跡取りを産んでくれ」
「⋯⋯はい」
恩赦の知らせを持ってきた騎士は、自分と娶って子を成すことが、修道院から出る条件だと言った。イヴリンは正直、修道院の生活にうまく馴染めたので、ここから出る必要もなかった。
けれど、兄のための跡取りを⋯⋯。
イヴリンのために何年も虐待に耐えてきたと言う兄に、恩返しをしなければならない。幸い、目の前の騎士は強面ではあるが、目尻に皺を寄せて優しく微笑んでいる。
「イヴリン・ロレッタと申します。騎士さまに心よりお仕えいたします」
イヴリンは丁寧に頭を下げた。
⁂ ⁂ ⁂ ⁂ ⁂
お茶汲みさんと地図マニアさん、お気に入りです。でも、アンタ誰?すぎてひとりで1ページは使えません(笑)。織緒的に気になる人々は回収いたしました。コンラッド、ザマァ? 需要なさそうですね~。「この人どうなった?」「この人、その後のさらにその後が読みたい」など感想お待ちしています。
その後のはなし。をもちまして一旦締めさせていただきます。忘れた頃に番外編投下するかもしれません。お読みいただきありがとうございました。
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