ヤマトナデシコはじめました。

織緒こん

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気になる人々のその後のはなし。

黒猫たちは爪を砥ぐ。✳︎

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 カナリー、モーリン、マーサは黒猫だ。

 王家には影と呼ばれる者がいる。慣例的に王の配下を猟犬と呼び、王妃の配下を黒猫と呼ぶ。彼女たちの両親は、ジーンスワーク辺境伯爵領より王妃の輿入れについて来た。故に、ジーンスワーク仕込みの腕の持ち主である。

 三人は王妃の命で王太子の伴侶になる、ハリー・ハナヤァギ・シュトーレンこと花柳玻璃の専属になった。いずれ王妃に立つときは、彼の財産として引き継がれるだろう。

 婚姻の儀式を無事に終えて、玻璃は正式に王太子妃に立った。婚姻からひと月は蜜月で、王太子も仕事をある程度免除される。今はふたりで甘い新婚の夢に浸っている時期だった。

 それを支えるのが、彼女たちである。

 彼女たちは、とても充実している。何しろ仕える主人は横柄とは程遠いし、なんなら礼まで言ってくれる。世話をされる事に慣れていないが、だんだんそのハードルが下がっている。原因は彼の良人おっとにある。

 今の時間、玻璃に侍っているのは小姓のエットーレアだ。彼が侍従候補なのは、男の婚約者がいるからだなんて玻璃は知らない。

「ねぇモーリン、ハリーさまは大丈夫そう? 疲労を緩和するハーブティー、新しいの調合したよ」

「まずは喉の炎症を抑えるお茶かしら」

 マーサが不寝番から戻ってきたモーリンに聞いた。モーリンの返事はゲンナリしている。

「あらぁ、いっぱいお可愛らしい声を上げられたのねぇ」

「殿下は少々過ぎますわね。カリア侍従長がハリーさまにご遠慮なさって、直接ご様子伺いに行かれないのをいいことに⋯⋯」

「二、三日勃たないよう、殿下に盛る?」

 それも復活したら反動で、三日三晩抱き潰されそうなので、カナリーはマーサを止めた。毒薬使いポイズンマスターは、可愛い顔をして過激で困る。

「今日はお世話は出来たの?」

「ご入浴の後、香油はお塗りしたわ」

 と言うことは、意識がなかったか。

 貴人に仕える侍女たちは、主人の裸に頓着しない。未婚の令嬢だって、殿方の視線は恐れるのに、無駄毛の手入れは侍女にさせるものだ。けれどマナーは完璧なくせに市井の感覚を持つ玻璃は、体の手入れを侍女にさせることを酷く恥ずかしがる。

 髪の毛の手入れは任せて貰えるようになった。手足のマッサージはお疲れの時だけ許してもらえる。本当はご入浴の度に、全身のお手入れをしたいところだ。夕方の入浴は、玻璃がひとりで全てをしてしまうので、着替えの準備しかさせてもらえない。

 閨の後に玻璃を入浴させるのは、基本的に王太子殿下だ。失神したように眠る人間はぐんにゃりして重くて大変だが、玻璃はとても小柄で軽い。王太子は軽々抱き上げて浴室へ向かう。

 その間に寝室を綺麗にしておくのだが、モーリンが不寝番を務めるのが多いのは水の魔法使いだからだ。シーツを換え帳を整えたら、寝室をミストで覆い、水蒸気に匂いや埃を吸着させて桶に集める。これで空気がさっぱりする。

 また人間の体は水をたくさん含んでいるので、水の魔法使いは医療に長ける。閨で万が一があったら、すぐに対処できるように、モーリンが不寝番をするのだ。

 深く眠る玻璃を脱衣所の寝椅子に横たえて、マーサが調合した専用の香油で全身を整える。ベタつかず、すぐに肌に吸収されるので、朝にはすべすべになる。

 膝を立てさせて奥を覗くと、菊座がぽってりと赤らんでいたので、軟膏を塗り込める。もちろんマーサの手製だ。

 これらの処置は玻璃には絶対悟られてはならない。朝になって肌の調子が良かったりするのは、王太子の魔力のせいだと言い聞かせているから、大丈夫だろう。

 玻璃の体の手入れが終わる頃、自分の入浴を終えた王太子が、裸のままの玻璃を抱いて寝台に連れて行く。もちろん本人も裸のまま、逞しいものを堂々と晒している。かしずかれることに慣れた者などこんなものだ。

 そうしてふたりは裸のまま眠り、朝になって時間があればもう一度戯れる。朝のもう一度がなければ、玻璃ももう少し昼間の活動が出来るはずだ。

 玻璃は仕事に行く王太子を見送ったあと、再び眠りに落ちた。小さな体で受け止め続けるのは大変なのだ。そろそろお目覚めなので、ハーブティーに蜂蜜をたっぷり入れたものを用意する。

 エットーレアからお目覚めの合図があって、カナリーとマーサはすぐに玻璃の元へ向かった。不寝番のモーリンはしばし休憩に入る。

「おはようございます、ハリーさま。お目覚めのお茶をどうぞ」

 寝台でクッションに背中を預ける玻璃に、ソーサーごとカップを差し出すと、ほんにゃり笑って受け取った。可愛らしい。

 コクリコクリとゆっくり飲み干すと、ほうっと息をついてカップを返す。

「ありがとう。落ち着きました」

 少し枯れているけれど、許容範囲内だ。カナリーが蜂蜜飴を差し出すと、嬉しげに口に入れる。食事もまだなのに、菓子を食べるのは良くないが、声が枯れているのだから仕方ない。蜂蜜は殺菌と保湿と炎症止めの効果がある。

「今日も朝昼兼用ブランチになっちゃった。ぼく、午前中はなにもできないのだけど、大丈夫?」

「ご安心ください。蜜月の間はご公務はありませんよ。現在、はじめてのご公務は王太子殿下が吟味中です」

 元々は、次代を作るための蜜月である。歴代の王族には、本当になにも仕事をしないで閨に籠った者もいる。玻璃は子供は産めないが、差別はない。皆平等に蜜月は与えられる。むしろ王太子が仕事に出かけるのが異例だ。

「お天気もようございます。テラスにお食事をご用意しますね」

 カナリーはドレッサールームに玻璃を導いた。

 程なくして玻璃は、パンツスタイルにジレを着て出てきた。すかさずマーサが髪の毛をハーフアップにした。襟足がだいぶ伸びて、セミロングになっている。マーサの希望はこのまま伸ばしていただいて、ジーンスワークのロベルトのような長髪になってもらうことだ。

 食事を終え、今日の過ごし方を提案する。玻璃は疲れているとは言え、少し陽に当たった方がいい。寝台の中でぐったり横になっていては、体力がつかない。玻璃を運動させるのも、専属侍女の役目だ。

「獣舎に参りませんか? 今日はステッラさまが騎士団の非番なのだそうです」

「行きます! モフモフちゃんたちに会いたいです!」

 玻璃の笑顔が輝いた。

 獣舎に着くとアルノルドが獣魔たちと待っていた。一緒にヴィンチ夫人のマウリーノもいる。ベンチに座って魔兎を膝に乗せていたが、玻璃に気付いて立ち上がった。

「アルノルドさん、こんにちは。マウリーノさんも来ていたんですね。会えて嬉しいです」

 アルノルドとマウリーノが臣下の礼を取った。侯爵夫人と男爵継嗣からの王太子妃への礼である。

 獣魔たちがいるから大丈夫だろうが、護衛対象が増えた。マウリーノは玻璃と同様、戦闘能力がない。

 騎士たちは王太子妃に無礼を働くことはないが、用心に越したことはない。

 芝生に敷物を敷いて、パラソルを立てる。三人は獣魔を侍らせて敷物に腰を落ち着けた。

「マウリーノさん、ロレッタ男爵家を継ぐことになったと聞きました」

「⋯⋯ありがたいことです」

 マウリーノが淡く笑んだ。

 マウリーノの犯罪歴が消えたので、身分剥奪もなくなった。ヴィンチとの婚姻は、ヴィンチが婿に入ることで将来的に男爵配に納まる事になった。

 跡取りは恩赦で還俗したイヴリンを程良い騎士爵に嫁がせたので、そこから養子をもらう手筈になっている。歳の離れたコブ付きの男寡おとこやもめの後妻だが、すでに跡取りはいるので産んだ子供を貰っても困らない。

 イヴリンのことは伏せて玻璃に伝えてある。

「ヴィンチ殿も騎士団に再入団して騎士爵を拝領したし、良かったね」

 アルノルドがニコニコして言った。彼は玻璃のたっての希望で、私的な空間では敬語を使わない。

 ヴィンチはマウリーノのために騎士に戻った。騎士になると傭兵と違って、自分の好きに時間が使えない。マウリーノのそばから離れたくないが、代わりに彼が獣魔のそばで過ごすことを打診されて折れたのだった。

「だから、会えたんだね。マウリーノさんもレアンちゃんに会えてよかった」

「ぼくも助かってるよ。この子たちマウリーノのこと可愛がってるから、大人しく世話されてくれるんだ」

 獣魔の方がマウリーノを可愛がっている。玻璃はピンと来ていないが、獣魔にとってマウリーノは庇護の対象なのだろう。カナリーはマウリーノを観察した。

 黒猫三人は王太子よりも先に、玻璃とマウリーノに出会っている。それこそ、すべての始まりと言える出来事だ。あの時、手段を間違えなくてよかったと、三人は今でも思う。

 王妃の黒猫である三人は、常に暗器を隠し持っている。部屋付き侍女に擬態して警備をしていたが、あの時、マウリーノとコンラッドを切る判断をしていたら今の光景はない。

 殺して死体を秘密裏に処理することは簡単だった。王妃から女辺境伯爵の被後見人のことは聞き及んでいたので、彼らに自分たちの正体がバレるのを避けただけだ。

 楽しそうに話す玻璃とアルノルドを、優しい眼差しで眺めるマウリーノ。眼福だ。

 会話は玻璃の髪の毛の艶が話題になっていた。マーサが加わって手入れの仕方を解説している。

「妃殿下のお許しがあれば、侯爵夫人のお肌に合わせた香油をお好きな香りで調合ブレンドいたしますよ」

「もちろん、いいよ。髪にも肌にもいいから、ぜひ作ってあげて。マウリーノさんにもダメかな?」

 マウリーノの背中には虐待の名残が残されている。背中一面に広がった鞭打ちの痕は、乾燥する季節は引き攣れて痛むだろう。マーサの香油なら、傷痕は消せないまでも、皮膚を柔らかくして痛みを緩和できるはずだ。

 玻璃は背中の傷のことは言わない。余計なことは言わず、マウリーノの心の負担を避ける。優しい彼は黒猫たちの得難い主人になるだろう。

「妃殿下がお使いのものは、全身にご使用していただけます。万一お口に入っても心配ございませんから」
「赤ちゃんじゃないから、舐めたりしないよ。ね、マウリーノさん⋯⋯え?」

 玻璃が真っ赤になって狼狽えるマウリーノを見て、同じように狼狽えた。

「なに? ぼく変なこと言った? シュザネットの赤ちゃん、なんでも口に入れないの?」

 あれだけ王太子に愛されてなお、こんなに初々しいなんて! カナリーもまた、内心で狼狽えた。

「ハリーさま、違うよ。ぼくたちの口じゃなくて、殿下やジョエルの口だよ。愛し合う時に前や後ろに使って、舐めたりされても大丈夫ってこと」

「アアアアアルノルドさんッ⁈」

「アが多いよ、ハリーさま」

 挙動不審になる玻璃と、微動だにしないが腕の中の魔兎を抱く腕に力の入るマウリーノ。魔兎のレアンが迷惑そうにプスっと鼻を鳴らした。

「ねぇ、マーサ。この間ジョエルがね、デザートのジュレをぼくの体に塗りたくったんだけどさ、食べ物を粗末にしちゃいけないと思うんだ。後からベタベタするし、植物かなにかでいいものつくれない?」

「それって、ローションプレイーーーーッ!」

「妃殿下、それもっと詳しく!」

 玻璃が真っ赤になって顔を覆った。耳が真っ赤だ。寄り掛かられている魔狼のユーリャが心配そうに見上げている。

 アルノルドとマーサ、ふたりがかりで根掘り葉掘り聞いたところによると、異世界の『ろーしょん』なるものは、ジュレのような粘液で、お肌の手入れやマッサージの時に使うものだと言う。

「マッサージ用の香油に、トロミのあるものがありますわ。肌を傷つけないよう滑らかにする目的で使いますが、なるほど。愛し合う時に使えば気持ちの良いものかもしれませんね」

「体温で溶けて香りがたつのなんて、イヤらしくてよくない?」

「侯爵夫人、それアリですわ! 調合いたしますので、試作品サンプルができましたら、お試しください。感想をお聞きして、よりよいものをおつくりしますわ!」

「マウリーノも一緒に試そうね!」

 いきなり巻き込まれたマウリーノがわずかに後退った。

 マーサは毒薬使いポイズンマスターの腕を、平和的に使えるのが嬉しくて仕方ない。玻璃は彼女の影としての役割を知らないから、真昼間からの際どい話しにひたすら狼狽えている。

 それぞれの夫君の耳元に、カナリーの風の魔法で三人の会話を届けている。誰からも待ったがかからないので、マーサがつくるジュレは近いうちに、寝室(あるいは浴室)に持ち込まれるだろう。

 愛し合うことはよいことだけれど、玻璃がまた、朝起きられないと落ち込むかもしれない。

 カナリーは淡く笑んで、三人の夫人が語らうのを見つめた。幸せな光景だ。

 玻璃の笑顔を守るために、これからも黒猫たちは爪を砥ぐ。
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