ヤマトナデシコはじめました。

織緒こん

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 王都に帰ると結婚式の準備が待っていた。

 ジーンスワークを発つ前に、るぅ姉と一緒にばあちゃんの家に行った。自宅二階のばあちゃんの寝室にある桐箪笥から、ばあちゃんと母さんが着た白無垢を引っ張り出すためだ。正直年代ものだから、正絹の黄ばみは仕方ないと思っていたけど、ばあちゃんの手入れがよほど良かったようだ。美しい光沢を放つ絹の着物は、素敵なアンティークだった。

 ロベルトさん、次女さんトリオと一緒に運び出して、岩城で王都に帰るための荷物に入れる。和服は平らに畳めるとは言え、花嫁衣装の一切合財はかなり嵩張る。天幕を運ぶ騎士さまに運んでもらうのは申し訳なかったけど、王太子の婚姻は国家行事なので、花嫁衣装を運ぶのは名誉だと言われた。

 るぅ姉はジーンスワークに残ることになった。一番の理由は草履が壊れていたことだ。ほら、フォーマル用の靴って、久しぶりに出したら革がダメになってることってあるよね。白無垢用の白い草履は、流石に六十年近く経って底が抜けていた。むしろ母さんの時、よく壊れてなかったなぁ。元々るぅ姉はジーンスワークの靴職人さんと草履の研究してたから、おれの婚儀に間に合うように運んでくれることになった。

 王都に帰って忙しく日々を過ごす中、カロージェロ伯爵はじめ、惑わしの森への襲撃に関わった人々は少しずつ証言を始めた。おれは尋問に関わることはないけど、当たり障りのないことだけ教えてもらっている。ブライトさまは侍女さんトリオや侍従さんたちに、生臭いことは聞かせないように指示を出している。

 カロージェロ伯爵、チェスター伯爵の両名は、王都がツァージャイルに墜ちた暁には、為政者として君臨する予定だったそうだ。国を手に入れる代わりに、食料や資源を無料ただ同然で支援する契約書にサインしていた。

 阿呆だろう。自分の乗っている船に火をつけるような真似して、が転覆するのがわかんないかな。大体ふたりして譲らないんじゃ、仲間割れも目前だったんじゃん。『船頭多くして船山に登る』って、教えてあげようかなぁ。

 カロージェロ伯爵の息子は甘ったれの親の脛齧りで、チェスター伯爵の息子(コンラッドだよ)は率先して少年少女を斡旋しつつ味見してたって。ガビーノ伯爵は幼い男の子と引き換えに、場所の提供してたとか。

 ツァージャイル共和国の密使は、美味しいところだけ摘んでトンズラしようとして失敗した。さっさと国に帰っていれば逃げられたのに、欲をかいてマウリーノさんの誘拐待ちなんてしてたから、とっ捕まってやんの。おかげでツァージャイルの情報がとても引き出しやすくなった。ザマァ見ろ。

 なんて話を王太子宮のサロンでしている。

 サロンには大きな鏡が運び込まれて、おれは着付けのリハーサルをされている。ばぁちゃん家から持ってきた昭和の美容学校の教本を繰ると、白黒印刷で解像度の粗い写真付きで花嫁衣装の着付けが解説されていた。

 白い衣装に囲まれて、殺伐とした会話をする。なんてシュールな⋯⋯。けど、何度かマネキンがわりに着付けを繰り返されると、現実逃避がしたくなるって言うか。

 ブライトさまに嫁ぐのは嬉しいけど、自分が白無垢を着るなんて半年前には思ってもいなかった。振袖だって着るとは思ってなかったけどさ。

「⋯⋯お苦しくないでしょうか?」

 モーリンさんが帯を締めながら言った。式の当日、るぅ姉は親族として自分も振袖を着る。おれの着付けはできないし、おれもるぅ姉を手伝えない。なので侍女さんトリオが張り切っている。

「苦しくないけど、疲れたかも」

「では、腰掛けてくださいませ」

 ささっとスツールが運ばれて、おれは真っ直ぐに腰を下ろした。袖が床につかないように、膝の上に畳んで乗せる。

 白無垢は挿し色に紅を使うこともあるけど、おれが着るのは白一色しろひといろだ。紗綾形の地紋の掛下(着物)に重ね襟、亀甲文様の丸帯、絞りの帯揚げも丸ぐけの帯締めも抱え帯も白い。

 無垢鼈甲の花嫁簪のセットは使わないことになった。だいぶ伸びたとは言え、おれの髪はまだまだ短いし、日本髪を誰も結えない。ワシントン条約の前の時代のもので、アンティークの価値も相まって日本円でいくらするのか恐ろしいので、使わなくなって安心した。

 座らせてもらったとは言え、休憩ではない。髪型と髪飾りを選ぶのと、花嫁メイクの色合わせをしなくちゃならない。昔の化粧品て白黒赤の三色しかなくて、白粉に眉墨のほかはべにで口紅と頬紅とアイシャドー、アイラインを賄っていた、と教本に書いてある。

 別に現代日本の花嫁さん、普通にメイクパレット使うと思うんだけど⋯⋯。なぜかサロンでおれを眺めながらお茶をしている王妃さまとご領主さまが、異世界風のこしらえに激しくこだわっている。特に花嫁の目元から頬にかけての紅のボカシを『恥じらい』というと知ると、俄然盛り上がっていた。ナチュラルメイクはしてもらえそうにない。

「レオン坊やが帰ってくる前に終えねばならぬ」

「そうね、花婿には見せてはいけないのよ」

 メイクを終えて髪型をセットして(ハーフアップで勘弁してもらった)、帯に懐剣と末広を差し、胸元に筥迫はこせこを入れる。そうして、白打掛を羽織ると、亀甲松菱双鶴紋が錦織の凹凸で光を受けて浮かび上がった。最後にシルクで作った牡丹を頭に挿して、マリアヴェールを着けて完成した。

「なんてこと⋯⋯」

「白がこんなに美しいなんて⋯⋯」

 美魔女がふたり、ため息を漏らした。美しいのはおれじゃなくて王妃さまとご領主さまだと思う。

「白なんて面白味がないと思っていたけど、織り模様が美しいわね。模様が浮き上がる生地など、初めて見ましたわ」

 前に着てた振袖も、地紋があったはずだけどな。染めた柄や金箔、刺繍のインパクトが強すぎて、地紋に気付いていなかったのかなぁ。

 シュザネットの花嫁は、自分の好きな色のドレスを着るんだって。花婿は自分の瞳の色のアクセサリーを贈るのが習わしなので、大体はそれが映える色を選ぶそうだ。

 おれは大きなサファイアのついた小ぶりなティアラをいただいたので、式の後のお披露目で着けることになっている。どこのプリンセスだよと思ったけど、和装に拘ったら頭以外に飾るところがない。これも価値が凄そうだけど、この世界で作ったものなら万が一壊れても修理ができるだろう⋯⋯と自分に言い聞かせている。

 色打掛の代わりの大振袖は、それに合わせて青地を選んだ。色打掛もちゃんとあったんだけど、赤地に鳳凰柄だったので、シェランディアの廃王を思い出してやめた⋯⋯。

「白は覚悟の色ですから」

「覚悟?」

 おれはブライトさまにも話したことのある、白無垢の由来を話した。一度死んで生まれ変わるための純白だ。そして、婚家の色に染まるため。

「まあ、まあ、まあ!」
「それはそれは」

 王妃さまが乙女のように頬を染め、ご領主さまは感心したように何度もうなずいている。

「だから式が終わった後に、ブライトさまの瞳の色のティアラで飾るのは⋯⋯染めてもらった証というか」

 ブライトさま、お披露目の時は騎士団の藍色の制服だから、青の大振袖ならほんとに色が移ったみたいに見える。おれは照れ臭くなって、最後の方は口の中でモニョモニョと呟いた。王妃さまたちだけでなく、侍女さんトリオもニコニコしている。⋯⋯男は着ないって言い出せないんだけど⋯⋯⋯⋯。

 白打掛を脱いで青系の大振袖を何枚か着比べて、最終的に遠目で見て華やぐものを選んだ。肩までびっしり模様が入ったものだ。

 全体に大きな熨斗目が肩から流れていて、隙間は絞りで埋められている。熨斗のひとひらごとに百花や縁起物が描かれて、ひとつひとつが吉祥柄だ。

ちょうちょう。幼虫から蛹、成虫へと変態する長寿と成長の象徴。まり魔離まり。悪しきものを引き離して物事を丸く治める。模様の全部に意味があるんですよ」

 人生の節目にさいわいあれと、いろんなものに意味を込める。日本は八百万の神の国だから。

「ぼくが身にまとう、最後の振袖に相応しいと思います」

「最後?」

「振袖⋯⋯振りが長いのは未婚の証です」

「そう言えば、ルーリィも言っていましたね」

 お披露目が終わって脱いだら、二度と着ることはない。もともと、男のおれが着るべきものじゃないんだ。初めて着たとき、ブライトさまにエスコートしてもらったなぁ。最後ももちろんブライトさまのエスコートだ。

 感慨にふけりながら着替える。衝立の陰で簡単なチュニックとパンツを身につけていると、仕事を終えたブライトさまから先触れがあった。王太子宮はブライトさまの住まいだから、先触れは特に必要ないんだけど、今日は王妃さまがいらっしゃるのと、しきたりで花婿は花嫁の支度を見てはいけないのがあって、ご様子伺いをしてくれた。

 侍女さんトリオがテキパキ片付けて、おれがソファーに落ち着いたタイミングで、ブライトさまが侍従長と一緒にやって来た。

「おかえりなさい」

「ただいま」

 ブライトさまが両手を広げてくれたので、立ち上がって腕の中に飛び込む。

「我が王子よ。異世界の華姫は本当に得難い花嫁です。我が国にここまでの覚悟があって嫁ぐ娘が、どれほどいるのでしょう」

 いえその、花嫁衣装の由来であって、おれがそうではないのだけれど。

「わかっています、母上。ルーリィ嬢とふたり肩を寄せ合って過ごして来たのです。わたしが迎えてしまっては唯一の家族とも離れ離れになってしまう。寂しさなど微塵も感じさせぬよう、大事に大事にいたします」

 ブライトさまの中で、おれってどんな繊細な乙女なんだろう。

「ねぇ、ブライトさま。ぼくのシュザネット語はロベルトさんに教えてもらったんです。日本語で話すときはもっと乱雑なので、ブライトさまが思うより庶民的だと思います。だから、真綿に包むようにしなくても大丈夫ですよ」

「ふふっ、可愛い」

 ほっぺたに小鳥のキスが落ちてきた。

「もう、わかってます? 大事にしすぎないで、ぼくが知らなくちゃいけないことは、きちんと話してくださいね。綺麗なモノだけに囲まれて生きていけるわけないんですから」

 人は清濁あわせ持って人だと思う。

 真面目に言ったらまた、王妃さまが「まあ、まあ、まあ!」と声を上げた。

「本当に得難い花嫁です!」

「⋯⋯レオン坊やにやるのが惜しゅうなって参ったわ。領地に誰か年頃の可愛い娘はおらなんだか」

「わたしには勿体ないのは同感ですが、カルロッタ殿は余計な世話です」

 ブライトさまは言いながら、おれの手のひらにキスを繰り返している。慣れって怖い。人前でお膝抱っこを経験してると、手のひらのキスくらいなら動揺しなくなった。⋯⋯ちょっと恥ずかしいけど。

「聖堂の下見に行こうかと思うんだ。母上、カルロッタ殿、玻璃を連れて行っても?」

「それはもちろんよ。でもお仕度はさせてあげなさいな。ハリー、男を待たせるのも恋の駆け引きよ。綺麗にしてもらっていらっしゃい」

 駆け引きはともかく、聖堂に行くなら服装は改めなきゃならない。神聖な場所だからね。王妃さま方にご挨拶をして退がり、侍女さんトリオに大急ぎで準備を手伝ってもらう。王妃さまは待たせろと言ったけど、待たせるって落ち着かない。
 
 銀鼠ぎんねずの文無し行儀(江戸小紋)に鱗柄の角帯、羽織は墨流し(染めの技法)にする。着るだけなら五分。男物は早い。髪の毛はマーサさんがハーフアップにしてくれた。

 体感で十五分ほどで支度を終えて、ブライトさまと馬車に乗った。

 聖堂は美しかった。

 夕方の薄闇の中、たくさんの魔硝石洋燈が内部を照らしている。天井がとても高く、重厚な彫刻や滑らかなアーチを描く梁。おれの感動のため息さえ響くほど。テレビで見るヨーロッパの教会みたい。語彙が足りなくて申し訳なくなる。自然にこうべを垂れたくなる、おごそかな佇まいだ。儀式で初めて訪れていたら、緊張しすぎて一歩も歩けなかったと思う。

「綺麗⋯⋯」

 他になんて言えばいいんだろう。こんな世界遺産的な聖堂で結婚式なんて、日本の田舎の都会に住む男子高校生には身に余る。でも隣に立つこの人は、シュザネット王国の王太子さまで、大シュザネット帝国の皇太子さまなんだ。

 十日後には婚姻の儀式が始まる。婚約式の時よりもはるかにたくさんのしきたりを経て、おれはブライトさまの妻になる。

「どうしたの、玻璃?」

 唇でほっぺたを拭われて、おれは涙を流していることに気付いた。

「⋯⋯綺麗すぎて。感動して勝手に涙が出できちゃいました」

 自分でびっくりだ。ブライトさまは柔らかく微笑んで、おれのほっぺたを両手で包んで顔を上げさせた。見下ろす彼の藍色の瞳と見つめ合う。

「玻璃はニホンでは、市井に暮らすドレスメーカーの息子だと言ったね。わたしに嫁ぐのは、たくさんのしがらみと重大な責務、他者からの謂れない悪意や殺意、普通に生活していたら背負うことのないものばかり背負わねばならない。⋯⋯それでもわたしは、玻璃を自由にしてやれない。玻璃以外の妻など要らぬ」

 穏やかに波紋が広がるように、ブライトさまの声が聖堂に響いた。

「ぼくは、ブライトさまが好きです。ブライトさまの側にいたい」

 ゲリラ豪雨にみまわれた、夏のあの日。

 青々と茂る森の木々と、美しい魔女さま。

 言葉もわからないおれたちは、ジーンスワークの人々に護られ、癒され、育てられた。

 王都に来て、酷い目に遭って、ブライトさまに救われて。

「ぼくの両手にあるものは、みんな借り物です。養い親の魔女さまもご領主さまの後見も、ぼくの後ろ盾になるものはぼく自身が掴み取ったものじゃなくて、周りの人々の善意と好意の賜物です。王家の得になるものは何も持たない、ただの『花柳玻璃』です」

 それでも⋯⋯。

「それでもぼくは、レオンブライト王太子殿下、あなたの隣に立ちたいのです」

 また涙が流れた。おれのほっぺたを包むブライトさまの手も濡れる。後から後から溢れて止まらない。

「なにを言っている? 君は国を救った英雄じゃないか。剣と魔法だけが、勇者の証ではないよ。この小さな体に魔硝石の魔力を取り込んで、破裂を食い止めたのは紛れもなく玻璃だ。玻璃がいなければ、今頃何万もの民が死に瀕して、瓦礫と煤の狭間はざまで喘いでいたことだろう」

 熱い唇がおれのと重なった。全体を大きく喰まれ、舌が唇の輪郭をなぞっていく。

「未だ情勢は落ち着かない。ルーリィ嬢の言う通り、ツァージャイルとの交渉は数年に及ぶだろう。シェランディアとて同様だ。わたしの隣にあって、辛く見たくもない出来事は多々あるだろう。それでも⋯⋯隣にいたいと言ってくれて、とても嬉しい」

 ふたり以外誰もいない厳かな聖堂で、もう一度キスが落とされた。今度は小鳥のキスで、まるで結婚式の誓いのようだった。

 王族の結婚式は大勢の人の前でする、謂わばパフォーマンスだ。おれは今この時が、本当の結婚式だったと後に思った。

 白無垢の覚悟もブライトさまに染まる決意も、他の誰が見ていなくても、おれの胸の中にある。

 ブライトさまは近い将来王さまになる。そのとき、おれは王妃に立てられるだろう。いつまでもその辺の男子高校生D Kでいるわけにはいかない。政治に明るくないおれは、出しゃばらない方がいい。やっぱり半歩下がって支えるべきだ。

 ほら、あれだ。

 日本の奥さまの力を、内助の功って言うじゃないか。

「愛しているよ、玻璃。一生、わたしの色にだけ染まっていて」

「⋯⋯はい、誓います」

 花柳玻璃、十七歳。

 おれなりに、ヤマトナデシコはじめました。




 〈おしまい〉
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