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朝ごはん、食べそびれた。なんならお昼ごはんも。ブライトさまの嘘つき。朝ごはんがたくさん食べられるくらいまで回復するって言ったのに⋯⋯。
ご満悦なブライトさまのお膝抱っこで、午後のティータイムの支度を待つ。目が覚めたら正午もとうに回っていて、半日無駄にしたことに驚愕した。
目眩や吐き気は確かにすっかり良くなったけど、全身の強烈な怠さと股関節の痛みは、完全にブライトさまのせいだよね!
「なんでそんなにニコニコしているんですか!」
おれは怒っているアピールをする。駄目だ、暖簾に腕押し、糠に釘。ちっとも響いてないじゃないか。
「玻璃がわたしの魔力だけに染まったからね。取り戻したみたいで嬉しいのさ」
⋯⋯独占欲は嬉しいけどさ。
出張してきた岩城の女中さんたちと侍女さんトリオが、ワゴンを押してきた。丸テーブルに三段のケーキスタンドが置かれて、サンドウィッチ、スコーン、ケーキがキラキラ輝いている。朝から食事をしていないのを考慮してか、アミューズ(おまけの軽食)にサラダとスープが用意された。お茶の様式なので、食後でなく最初からティーカップが供される。
腰が立たないのでブライトさまに支えてもらって、カップに手を伸ばした。胡瓜サンドウィッチも美味しい。もぐもぐ。吐き気がないって、なんて素晴らしいんだ!
「玻璃は本当に美しく食事をするね。ニホンの教育は素晴らしいよ」
「お客さまにお茶会に誘っていただいただけですよ」
とは言え、お膝抱っこではマナーもへったくれもない。今日は勘弁してほしい。
「食事が済んだら岩城へ帰るよ。カルロッタ殿が岩城の書庫で、興味深い資料を見つけたらしい」
「ではその前に、魔女さまにご挨拶に参ります」
るぅ姉は午前中のうちにロベルトさんと岩城に帰ったらしい。ガビーノ伯爵領から騎士団と一緒に、ミカエレさまとマリクさんが戻ってきたので、遣いが呼び戻しに来たんだって。⋯⋯マリクさんはともかく、ミカエレさまここまで来そうだもんね。
胃が驚くと大変なことになるので、スコーンとケーキは遠慮して、サンドウィッチとサラダをいただいた。プチケーキがどうしても気になって悩んでいたら、ブライトさまが半分食べてくれた。満足して食事を終える。
着替えはブライトさまが手伝ってくれて(準備とかは侍女さんトリオだよ)、なんとか魔女さまに挨拶するだけの体裁を整える。魔女さまはガゼボの傍の天幕にいて、二、三日して結界が落ち着いたら館に戻るそうだ。
「妾の愛しい子。無事で良かった。落ち着いたら、また遊びに来やれ」
ハグしてほっぺたを擦り合わせる。
どうなることかと思ったけど、全てが元に戻りそうだ。
魔女さまに挨拶を終えると馬車で岩城に帰り、ご領主さまに労われた。ご領主さまの元にはおれの体調が逐一報告されていて、意識がなくなってから随分心配をさせてしまったようだ。
「⋯⋯無事で何よりじゃが、何やら別の意味で足腰が弱っておるようじゃ。傍らの馬鹿弟子が、妙に機嫌が良いのが腹立たしいの」
ご領主さまはおれをハグしながら、ブライトさまを睨め付けた。
「玻璃、おいで。立つのが辛いなら抱き上げてあげるよ」
ブライトさまも良い笑顔だ。
ご領主さまはブライトさまの剣の師だと聞いたけど、現在はどっちが強いんだろう。
おれの疑問はさて置き、ブライトさまが言っていた『面白い資料』とやらが気になって仕方がない。ご領主さまに促されてサロンに向かうと、三度登場の地図マニアの騎士さまが、書庫から運び出してきたという資料と共に待っていた。
るぅ姉とエスコートのミカエレさま、ヴァーリ騎士団長、ステッラ魔術師副団長など、事件に尽力している面子も揃っている。おれたち三人を待って、ロベルトさんとマリクさんがお茶をサーブしてくれた。お茶菓子のマカロンがキラキラしている。
魔女さまの館でサンドウィッチを食べてきたので、お腹は空いていない。おれはお茶だけもらって香りを楽しんだ。
全員が落ち着くと、ご領主さまが姿勢を楽にして要件を話し始めた。
「ハリーが提言した地震と魔硝石の関係じゃが、我が祖先が残した研究資料が見つかったのじゃ」
積み上げられた古い書物と地図、それと古ぼけた大きな箱。箱は木でできていて、縦横の割に高さが低い。一畳くらいの大きさがあるのに高さは三十センチほどだった。異様な存在感を放っている。
ヴァーリ団長とステッラ副団長が二人がかりで蓋を開けた。地図マニアさんが手伝おうと手を出しかけて、右往左往している。明らかに一番下っ端なので、雑務を奪われて狼狽えている。
現れたのは立体地図。地層模型ってヤツだね。ジーンスワークの地形だろうか。所々継ぎ目があって、取り外しできそうに見える。実際ヴァーリ団長は岩城があるあたりの継ぎ目を探って、地面をカパッと持ち上げた。
「魔硝石と断層だ」
立体的な断面図だ。魔硝石を模した水晶の塊が、でかでかと地中を埋め、地下断層にめり込んでいる。
地図マニアさんが書物を引き寄せてページを繰った。しおりが挟んであったそこには、地層模型を写した図があって、沢山の書き込みがあった。書物と言うか、分厚い帳面のようだ。罫線はない。シュザネットの印刷技術は辛うじて版画なので手書きだ。
文字はおれには読めない。シュザネット公用語は習ったけど、なんか違う。
「古語体です。しかも、ものすごい悪筆です」
そりゃ読めないわ。日本人だって戦国武将の手紙は読めない。
「三百年前の当主の兄の研究じゃ。研究に没頭しすぎて、弟に当主の座を譲った偏屈であったと伝えられておる」
「こちらの日記には『三十年~五十年先に南の火山あたりで地震が起きるかもしれない』と記してありますね」
三百年前の日記で五十年先なら、二百五十年前の火山の噴火と地震で決まりじゃないか。地層学者で地震学者だったんだ。
ただただ、自分が納得できるまで研究して、それを発表することなど、思いもよらない人物だったらしい。⋯⋯なんて迷惑な人なんだろう。発表しておいてくれたら、断層とか地震とか火山とか、もっと知られていたはずなのに。とは言え、三百年前は異端の研究だったんだろう。ジーンスワークでは『偏屈』『変わり者』で済んだけど、保守的な土地なら審問にかけられて、最悪処刑だよね。
「で、この辺りに書いてあるのはですね⋯⋯」
地図マニアさんが書物の図を指差した。古地図の解読のために古語を勉強したらしく、たどたどしくではあるけれどきちんと読めている。
魔硝石に強い力が加わると、同じ断層の上にある土地では地震が起こる。
「ハリーの説明と、ほとんど同じじゃ」
「⋯⋯そうですね」
三百年も忘れ去られていたもの、よく思い出して見つけたね。と思ったらこのご先祖さま、古地図マニアの間では憧れの偉人で、地図マニアさんもファンなんだって。異世界にもニッチな趣味の人っているんだね。
「日記によると当時のツァージャイル帝国の伯爵と、酒を飲みながら語り合ったそうです」
三百年前は帝国だったツァージャイルも、今では解体されて連邦国家になっている。ツァージャイルが帝国だった頃は、シュザネットは大シュザネット帝国の宗主国でなく、ただのシュザネット王国だった。革命とか侵略とかで、地図は大きく書き換えられたわけだ。
「なるほど、ツァージャイルに帰った伯爵とやらが残した手記かなにかが、今回の騒動の下地にあるかもしれませんね」
友と酒を酌み交わしながら議論した、たわいもない日常の一コマ。伯爵が国に帰るのを惜しんで、寂寥を滲ませた一文もある。
「ツァージャイルとシュザネットって、昔は仲良しだったのね」
「そうだね、るぅ姉。国交はあったってことでしょ」
地球だってそうだけど、どこの世界でも戦争ってなくならないんだなぁ。
「それでじゃ、この当主の兄、弟に家督を譲ったあとシュトーレン伯爵家を興し、異国の孤児であったアナカ・ショーザワを妻に迎えたのじゃ」
「⋯⋯それってハナカ・シオザワ、魔女さまのお母さま?」
ご領主さま、ぶっ込みすぎです!
魔女さまが封印の魔女なのは、お父さまの研究を踏まえてなの?
て言うか、魔女さま三百歳?
ジーンスワーク家の人と異世界人が結婚したら、封印の魔女並みの子供が生まれるかもってこと?
ご領主さまの一言で、いろんな事実やら可能性やらがぐるぐるして、頭がパンクしそうだ。
「魔女さまこの間、お父さまのことはなにも仰ってなかったわよね」
「うん、お母さまが異世界人って話だけだったよ」
魔女さまのお父さま、ほんとに『偏屈』で『変わり者』だったんだね。娘に魔硝石の結界を守らせておいて、その理由も伝えていないなんて。魔女さまもそんな曖昧な状態で、三百年も魔硝石から魔力を吸い出し続けるなんて、凄い忍耐だよ。
「なんと、アレッシアの母御は異世界よりの迷い子だったのかや?」
そこに食いつきますか。魔女さまも確証はなかったみたいだし、しょうがないか。
「ニホン語で書かれた名札を見せてもらったし、間違いないと思います」
それにしても、地層模型が正しい測量で作られているんだとしたら、水晶のサイズから言って、魔硝石は相当に大きい。魔力飽和で破裂したら、食い込まれた断層が確実にずれる。この辺り一帯は普通に爆発に巻き込まれて吹っ飛ぶけど、王都の方まで揺れるだろうし、震源地に近い北の山脈も危ない。
「書物と模型は王都に送り、陛下に奏上して新たな研究者を育てて行くべきじゃな」
「地震や火山の噴火が予知できれば、被害を抑えられる」
ご領主さまとブライトさまが、ひとまず締め括った。
「さて、ガビーノ伯爵じゃ」
手にした扇を掌にぱしんと打ち付けて、ご領主さまが空気を変えた。
「孫共々、捉えて王都に送りました。鉄の箱馬車にとじこめましたので、逃亡は無理でしょう。もっとも、剣術の嗜みもない肥えた老人ですので、自力での逃走は不可能です」
鉄の箱馬車⋯⋯護送車みたいなの?
ヴァーリ団長が続けた。
「一緒にツァージャイルの密使も捕縛しました。密入国の現行犯ですね。ガビーノ伯爵は武器の密輸入と国家反逆罪です。不正に輸入した武器を使って、国を脅かそうとしましから」
ツァージャイル主導かもしれないけど、拠点を貸してる時点で共謀だもんね。
「伯爵も密使も戦闘能力は皆無でした。配下も腕のあるものは各地の襲撃に向かっていたので、まったく手応えがありませんでしたよ。⋯⋯むしろヴィンチを止めるのが大変で⋯⋯⋯⋯」
ガビーノ伯爵はマウリーノさんを虐待していたと思われる人物だ。密使は彼をツァージャイルに連れ去ろうとしていたんだしね。
「ルーリィ嬢に魔法の言葉を授かっていなければ、ふたりの命はなかったでしょう」
「魔法の言葉?」
それ、おれも気になった。
「ふふ、覿面だったでしょ」
るぅ姉がにっこり笑った。なに言ったんだろう、と思っていたら。
「死ぬより辛い罰をゆっくり考えましょう、だよ」
ブライトさまが小さい声で教えてくれた。現場にまだ居たんだね。あらかた捕物を終えて、物的証拠を捜索しているとき、四方結界が消滅したのを感じたんだって。魔法の素養のある人は、だいたい感じたらしい。
結界の再構築のために必要な結界石は、高位の魔法使いしか作れない。そのためブライトさまとステッラ副団長が飛んで行って(魔法すごい!)、突貫で作ったらしい。まだ代替え品だから、時間をかけてちゃんとしたのを作るんだって。なんか、車の修理するときの代車みたい。
「簡単に尋問した限りでは、シュザネット国内に侵入していた者は、捕縛されたようです。あとは王都で尋問の専門家に任せましょう。全部吐かせるまで、少し時間がかかると思います」
まずはなにも知らない、あるいは騙されて参加していた人を選別するところから。
「もう安全ですか?」
「全てが⋯⋯とは言えないけど、襲撃はしばらくないだろう。取り調べを終えて、ツァージャイルとの交渉⋯⋯抗議の申し入れと責任の追及、賠償方法の折衝などだな」
それは高度に政治的な問題だね。
「相手も最初はシラを切ると思うから、年単位での交渉になるでしょうね」
「そうなの?」
るぅ姉がため息まじりに言ったので、おれはびっくりして声を上げた。
「日本だって半島の北の国と、どんだけ長い間交渉してると思ってるの」
確かに。
「ルリは平民だと言っていたけど、やはり貴族に嫁ぐよう教育されてきたのではないか? 政事に随分と詳しいようだ」
「ニホンでは開示されますのよ。新聞⋯⋯っと触書(?)は各家庭で購入できますし、議会の様子を国民が見ることもできます」
テレビの国会中継のことかな。
ミカエレさまは感心してるぅ姉を見つめている。だんだん視線に篭る熱が高くなってるけど、いつものことだから誰も突っ込まない。
「魔導砲もすべて回収できたし、シュザネット国内には脅威は残っていないだろう。増援の騎士がやって来たら、捕縛した襲撃者を移送がてら王都に戻ることになる」
⋯⋯随分長かった気がする。一ヶ月に満たない出来事が、ものすごく濃かった。最後の一週間は、魔力酔いと気絶で生きた心地がしなかった。
ブライトさまが、ここにいるんだなぁ。
離れていると、不安で、切なくて、寂しかった。あとは外交官とかの仕事になるのかな。日本でも首脳会談とかあったから、ブライトさまも出張るだろうけど。
すりっ。
「玻璃?」
「え?」
おれ、なにした?
「人前ではーちゃんからイチャイチャするなんて、どしたのよ」
「え?」
イチャイチャ?
ボボボーーッて、音がした。空耳か?
自分がしでかしたことに気づいて、顔に火が集まった。なにやってるの、おれ⁈ 寂しかったなぁって思ったら、ついブライトさまにすり寄ってしまった!
「⋯⋯まだ病み上がりだ。疲れてしまったな。話はほとんど終わっている。先に失礼しよう」
ぎゃーッ!
抱き上げないで!
顳顬にチュウしないで!
ブライトさまは誰の返事も待たず立ち上がった。うん、この場で一番高位の王太子殿下だもんね。文句を言う人なんていやしない。生温い眼差しで見送られながら、颯爽とサロンを立ち去った。
昨夜いっぱいしたじゃん!
もう、無理無理無理!
心の中で散々喚いてみたものの、ブライトさまが優しく微笑むから⋯⋯。
結局おれは、ブライトさまに抱き上げられたまま、ベッドに直行したのだった。
ご満悦なブライトさまのお膝抱っこで、午後のティータイムの支度を待つ。目が覚めたら正午もとうに回っていて、半日無駄にしたことに驚愕した。
目眩や吐き気は確かにすっかり良くなったけど、全身の強烈な怠さと股関節の痛みは、完全にブライトさまのせいだよね!
「なんでそんなにニコニコしているんですか!」
おれは怒っているアピールをする。駄目だ、暖簾に腕押し、糠に釘。ちっとも響いてないじゃないか。
「玻璃がわたしの魔力だけに染まったからね。取り戻したみたいで嬉しいのさ」
⋯⋯独占欲は嬉しいけどさ。
出張してきた岩城の女中さんたちと侍女さんトリオが、ワゴンを押してきた。丸テーブルに三段のケーキスタンドが置かれて、サンドウィッチ、スコーン、ケーキがキラキラ輝いている。朝から食事をしていないのを考慮してか、アミューズ(おまけの軽食)にサラダとスープが用意された。お茶の様式なので、食後でなく最初からティーカップが供される。
腰が立たないのでブライトさまに支えてもらって、カップに手を伸ばした。胡瓜サンドウィッチも美味しい。もぐもぐ。吐き気がないって、なんて素晴らしいんだ!
「玻璃は本当に美しく食事をするね。ニホンの教育は素晴らしいよ」
「お客さまにお茶会に誘っていただいただけですよ」
とは言え、お膝抱っこではマナーもへったくれもない。今日は勘弁してほしい。
「食事が済んだら岩城へ帰るよ。カルロッタ殿が岩城の書庫で、興味深い資料を見つけたらしい」
「ではその前に、魔女さまにご挨拶に参ります」
るぅ姉は午前中のうちにロベルトさんと岩城に帰ったらしい。ガビーノ伯爵領から騎士団と一緒に、ミカエレさまとマリクさんが戻ってきたので、遣いが呼び戻しに来たんだって。⋯⋯マリクさんはともかく、ミカエレさまここまで来そうだもんね。
胃が驚くと大変なことになるので、スコーンとケーキは遠慮して、サンドウィッチとサラダをいただいた。プチケーキがどうしても気になって悩んでいたら、ブライトさまが半分食べてくれた。満足して食事を終える。
着替えはブライトさまが手伝ってくれて(準備とかは侍女さんトリオだよ)、なんとか魔女さまに挨拶するだけの体裁を整える。魔女さまはガゼボの傍の天幕にいて、二、三日して結界が落ち着いたら館に戻るそうだ。
「妾の愛しい子。無事で良かった。落ち着いたら、また遊びに来やれ」
ハグしてほっぺたを擦り合わせる。
どうなることかと思ったけど、全てが元に戻りそうだ。
魔女さまに挨拶を終えると馬車で岩城に帰り、ご領主さまに労われた。ご領主さまの元にはおれの体調が逐一報告されていて、意識がなくなってから随分心配をさせてしまったようだ。
「⋯⋯無事で何よりじゃが、何やら別の意味で足腰が弱っておるようじゃ。傍らの馬鹿弟子が、妙に機嫌が良いのが腹立たしいの」
ご領主さまはおれをハグしながら、ブライトさまを睨め付けた。
「玻璃、おいで。立つのが辛いなら抱き上げてあげるよ」
ブライトさまも良い笑顔だ。
ご領主さまはブライトさまの剣の師だと聞いたけど、現在はどっちが強いんだろう。
おれの疑問はさて置き、ブライトさまが言っていた『面白い資料』とやらが気になって仕方がない。ご領主さまに促されてサロンに向かうと、三度登場の地図マニアの騎士さまが、書庫から運び出してきたという資料と共に待っていた。
るぅ姉とエスコートのミカエレさま、ヴァーリ騎士団長、ステッラ魔術師副団長など、事件に尽力している面子も揃っている。おれたち三人を待って、ロベルトさんとマリクさんがお茶をサーブしてくれた。お茶菓子のマカロンがキラキラしている。
魔女さまの館でサンドウィッチを食べてきたので、お腹は空いていない。おれはお茶だけもらって香りを楽しんだ。
全員が落ち着くと、ご領主さまが姿勢を楽にして要件を話し始めた。
「ハリーが提言した地震と魔硝石の関係じゃが、我が祖先が残した研究資料が見つかったのじゃ」
積み上げられた古い書物と地図、それと古ぼけた大きな箱。箱は木でできていて、縦横の割に高さが低い。一畳くらいの大きさがあるのに高さは三十センチほどだった。異様な存在感を放っている。
ヴァーリ団長とステッラ副団長が二人がかりで蓋を開けた。地図マニアさんが手伝おうと手を出しかけて、右往左往している。明らかに一番下っ端なので、雑務を奪われて狼狽えている。
現れたのは立体地図。地層模型ってヤツだね。ジーンスワークの地形だろうか。所々継ぎ目があって、取り外しできそうに見える。実際ヴァーリ団長は岩城があるあたりの継ぎ目を探って、地面をカパッと持ち上げた。
「魔硝石と断層だ」
立体的な断面図だ。魔硝石を模した水晶の塊が、でかでかと地中を埋め、地下断層にめり込んでいる。
地図マニアさんが書物を引き寄せてページを繰った。しおりが挟んであったそこには、地層模型を写した図があって、沢山の書き込みがあった。書物と言うか、分厚い帳面のようだ。罫線はない。シュザネットの印刷技術は辛うじて版画なので手書きだ。
文字はおれには読めない。シュザネット公用語は習ったけど、なんか違う。
「古語体です。しかも、ものすごい悪筆です」
そりゃ読めないわ。日本人だって戦国武将の手紙は読めない。
「三百年前の当主の兄の研究じゃ。研究に没頭しすぎて、弟に当主の座を譲った偏屈であったと伝えられておる」
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三百年前の日記で五十年先なら、二百五十年前の火山の噴火と地震で決まりじゃないか。地層学者で地震学者だったんだ。
ただただ、自分が納得できるまで研究して、それを発表することなど、思いもよらない人物だったらしい。⋯⋯なんて迷惑な人なんだろう。発表しておいてくれたら、断層とか地震とか火山とか、もっと知られていたはずなのに。とは言え、三百年前は異端の研究だったんだろう。ジーンスワークでは『偏屈』『変わり者』で済んだけど、保守的な土地なら審問にかけられて、最悪処刑だよね。
「で、この辺りに書いてあるのはですね⋯⋯」
地図マニアさんが書物の図を指差した。古地図の解読のために古語を勉強したらしく、たどたどしくではあるけれどきちんと読めている。
魔硝石に強い力が加わると、同じ断層の上にある土地では地震が起こる。
「ハリーの説明と、ほとんど同じじゃ」
「⋯⋯そうですね」
三百年も忘れ去られていたもの、よく思い出して見つけたね。と思ったらこのご先祖さま、古地図マニアの間では憧れの偉人で、地図マニアさんもファンなんだって。異世界にもニッチな趣味の人っているんだね。
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「なるほど、ツァージャイルに帰った伯爵とやらが残した手記かなにかが、今回の騒動の下地にあるかもしれませんね」
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「ツァージャイルとシュザネットって、昔は仲良しだったのね」
「そうだね、るぅ姉。国交はあったってことでしょ」
地球だってそうだけど、どこの世界でも戦争ってなくならないんだなぁ。
「それでじゃ、この当主の兄、弟に家督を譲ったあとシュトーレン伯爵家を興し、異国の孤児であったアナカ・ショーザワを妻に迎えたのじゃ」
「⋯⋯それってハナカ・シオザワ、魔女さまのお母さま?」
ご領主さま、ぶっ込みすぎです!
魔女さまが封印の魔女なのは、お父さまの研究を踏まえてなの?
て言うか、魔女さま三百歳?
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ご領主さまの一言で、いろんな事実やら可能性やらがぐるぐるして、頭がパンクしそうだ。
「魔女さまこの間、お父さまのことはなにも仰ってなかったわよね」
「うん、お母さまが異世界人って話だけだったよ」
魔女さまのお父さま、ほんとに『偏屈』で『変わり者』だったんだね。娘に魔硝石の結界を守らせておいて、その理由も伝えていないなんて。魔女さまもそんな曖昧な状態で、三百年も魔硝石から魔力を吸い出し続けるなんて、凄い忍耐だよ。
「なんと、アレッシアの母御は異世界よりの迷い子だったのかや?」
そこに食いつきますか。魔女さまも確証はなかったみたいだし、しょうがないか。
「ニホン語で書かれた名札を見せてもらったし、間違いないと思います」
それにしても、地層模型が正しい測量で作られているんだとしたら、水晶のサイズから言って、魔硝石は相当に大きい。魔力飽和で破裂したら、食い込まれた断層が確実にずれる。この辺り一帯は普通に爆発に巻き込まれて吹っ飛ぶけど、王都の方まで揺れるだろうし、震源地に近い北の山脈も危ない。
「書物と模型は王都に送り、陛下に奏上して新たな研究者を育てて行くべきじゃな」
「地震や火山の噴火が予知できれば、被害を抑えられる」
ご領主さまとブライトさまが、ひとまず締め括った。
「さて、ガビーノ伯爵じゃ」
手にした扇を掌にぱしんと打ち付けて、ご領主さまが空気を変えた。
「孫共々、捉えて王都に送りました。鉄の箱馬車にとじこめましたので、逃亡は無理でしょう。もっとも、剣術の嗜みもない肥えた老人ですので、自力での逃走は不可能です」
鉄の箱馬車⋯⋯護送車みたいなの?
ヴァーリ団長が続けた。
「一緒にツァージャイルの密使も捕縛しました。密入国の現行犯ですね。ガビーノ伯爵は武器の密輸入と国家反逆罪です。不正に輸入した武器を使って、国を脅かそうとしましから」
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「伯爵も密使も戦闘能力は皆無でした。配下も腕のあるものは各地の襲撃に向かっていたので、まったく手応えがありませんでしたよ。⋯⋯むしろヴィンチを止めるのが大変で⋯⋯⋯⋯」
ガビーノ伯爵はマウリーノさんを虐待していたと思われる人物だ。密使は彼をツァージャイルに連れ去ろうとしていたんだしね。
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「魔法の言葉?」
それ、おれも気になった。
「ふふ、覿面だったでしょ」
るぅ姉がにっこり笑った。なに言ったんだろう、と思っていたら。
「死ぬより辛い罰をゆっくり考えましょう、だよ」
ブライトさまが小さい声で教えてくれた。現場にまだ居たんだね。あらかた捕物を終えて、物的証拠を捜索しているとき、四方結界が消滅したのを感じたんだって。魔法の素養のある人は、だいたい感じたらしい。
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「相手も最初はシラを切ると思うから、年単位での交渉になるでしょうね」
「そうなの?」
るぅ姉がため息まじりに言ったので、おれはびっくりして声を上げた。
「日本だって半島の北の国と、どんだけ長い間交渉してると思ってるの」
確かに。
「ルリは平民だと言っていたけど、やはり貴族に嫁ぐよう教育されてきたのではないか? 政事に随分と詳しいようだ」
「ニホンでは開示されますのよ。新聞⋯⋯っと触書(?)は各家庭で購入できますし、議会の様子を国民が見ることもできます」
テレビの国会中継のことかな。
ミカエレさまは感心してるぅ姉を見つめている。だんだん視線に篭る熱が高くなってるけど、いつものことだから誰も突っ込まない。
「魔導砲もすべて回収できたし、シュザネット国内には脅威は残っていないだろう。増援の騎士がやって来たら、捕縛した襲撃者を移送がてら王都に戻ることになる」
⋯⋯随分長かった気がする。一ヶ月に満たない出来事が、ものすごく濃かった。最後の一週間は、魔力酔いと気絶で生きた心地がしなかった。
ブライトさまが、ここにいるんだなぁ。
離れていると、不安で、切なくて、寂しかった。あとは外交官とかの仕事になるのかな。日本でも首脳会談とかあったから、ブライトさまも出張るだろうけど。
すりっ。
「玻璃?」
「え?」
おれ、なにした?
「人前ではーちゃんからイチャイチャするなんて、どしたのよ」
「え?」
イチャイチャ?
ボボボーーッて、音がした。空耳か?
自分がしでかしたことに気づいて、顔に火が集まった。なにやってるの、おれ⁈ 寂しかったなぁって思ったら、ついブライトさまにすり寄ってしまった!
「⋯⋯まだ病み上がりだ。疲れてしまったな。話はほとんど終わっている。先に失礼しよう」
ぎゃーッ!
抱き上げないで!
顳顬にチュウしないで!
ブライトさまは誰の返事も待たず立ち上がった。うん、この場で一番高位の王太子殿下だもんね。文句を言う人なんていやしない。生温い眼差しで見送られながら、颯爽とサロンを立ち去った。
昨夜いっぱいしたじゃん!
もう、無理無理無理!
心の中で散々喚いてみたものの、ブライトさまが優しく微笑むから⋯⋯。
結局おれは、ブライトさまに抱き上げられたまま、ベッドに直行したのだった。
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おっと、俺の自己紹介忘れてた!俺の、名前は坂田春人高校二年、別世界にウィル王子の身体に入っていたんだ!兄王子に振り回されて、俺大丈夫か?!
涙脆く可愛い系に弱い春人の兄王子達に振り回され護衛騎士に迫って慌てていっもハラハラドキドキたまにはバカな事を言ったりとしている主人公春人の話を楽しんでくれたら嬉しいです。
1日の話しが長い物語です。
誤字脱字には気をつけてはいますが、余り気にしないよ~と言う方がいましたら嬉しいです。
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