ヤマトナデシコはじめました。

織緒こん

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 ジーンスワークの領主館は天然の岩を利用した岩城だ。王都にのぼる時に目にした、幾つかの領主館とは趣が異なる。辺境の国護くにもりだけあって、戦の装備は万全だった。

 ステッラ魔術師団副団長が伝令を飛ばし、王都におわす王さまに報告する。ターゲットは世襲とは言え王さまが任命した領主だ。王太子が勝手に討伐していいものじゃない。

 王都から早馬が来て、王城の書庫からガビーノ伯爵領の詳細な地図が届けられた。魔法での伝令は言葉しか伝えられないので、乗馬術を専門的に鍛えた騎士さまが携えて来たんだ。

 地図は戦略的に非常に価値の高い情報なので、他領には正確なものは渡さないらしい。何年かごとに測量して、自領と王城で保管するんだって。ただし、二心ある者が正しい地図を献上しているとは限らない。

 地図馬鹿の製図士さんが再び呼び出されて、王都からもたらされた地図を拡大して描き写し、何人かの間諜さんと何やらボソボソ話しながら、道や建物を追加していった。

 魔導砲の完成を防ぐため、領主館を制圧する。いきなり攻撃を仕掛けるんじゃなくて、初めは逮捕状みたいなのを持って正面から行くらしい。素直に認めて捕縛されるならよし、抵抗すれば騎士団が突入する。

 製図士さんが書き上げた地図には、領主館からの脱出口がカモフラージュされてるっぽい建物などに
印がついている。もちろんそこにも騎士を配置する。

 おれやるぅ姉は侍女さんトリオと岩城に残ることが決まった。他領への遠征になるので、ジーンスワークで捕物があるわけじゃない。単なるお留守番だ。

 マウリーノさんが安定しているので、ヴィンチさんも作戦に参加する。酷いフラッシュバックだったものの、今までの治療のおかげですぐに持ち直したんだ。ヴィンチさんはガビーノ伯爵をぶちのめす気満々だ。

 立てこもりなどなければ、三日でジーンスワークに帰ってくる。夜陰に乗じて邸を取り囲み、朝一番に踏み込む手筈とのことで、ジーンスワークを出るのは夜だ。朝一番って日本の警察のガサ入れみたいだな。

 ご領主さまは嬉々として参加したがったけど、ブライトさまが最高指揮官としていくので留守居になった。なんかアタマを張る人が多すぎると、指揮形態が混乱するらしい。騎士団総団長と、団長、さらに前任の団長までいたら、ピラミッドの頂点ががおかしなことになってしまう。

 るぅ姉の護衛をしているミカエレさまとジャコモさんも参加する。ロベルトさんはブライトさまに請われておれのそばに残るんだって。おれの護衛の意味もあるけど、ヴィンチさんがガビーノ伯爵をボコるのにロベルトさんも手を出しそうだって⋯⋯色々吐かせたいのに命がなくなりそうだから、岩城に置いてくって。ロベルトさんがめっちゃ不満そう。

 出発を翌日に控えた夜、ブライトさまに愛してもらった。自分では見えないけどピカピカに輝いているんだろう。お腹の奥がじんわり温かい。

 出兵じゃない。他国に戦に行くわけじゃないから、騎士団の取締りの範疇らしくて、想像していた出兵式みたいなのは無かった。

「いってらっしゃいませ」

 岩城の前でご領主さまと並んで、ブライトさまを見送る。るぅ姉とロベルトさんも、俺たちの後ろで一緒に見送りだ。どんなに時間がかかっても、十日は必要ないはずだと聞いた。

 見えなくなるまでその場にいて、その日は無事を祈って過ごすことしかできなかった。翌日は早くに目が覚めて早々にサロンに顔を出すと、すでにマウリーノさんが魔兎のレアンちゃんと寛いでいた。

「んぐっ」

 るぅ姉が変な声を出した。マウリーノさんの格好を見たら、まぁ、そうなるか。

 マウリーノさんはブカブカのチュニックの袖をたくし上げ、ウエストをベルトで絞っていた。どう見ても、ヴィンチさんの服だよね。⋯⋯気持ちはわかる。おれもブライトさまの上着を抱きしめて眠ってたし。

「いいですよ。座っていてください」

 おれたちを見て立ち上がろうとしたマウリーノさんを制する。膝のレアンちゃんが重いでしょ。

「おはようございます。皆さまから何か便りはありましたか?」

 揺れる瞳が儚い。王城で絡んできた時、顔はよく覚えていなかったけど、もっと荒んで投げやりな印象があったのに。

「まだですよ。ヴィンチさんの大活躍の知らせ、早く来るといいですね」

「バル兄さまの大活躍⋯⋯」

 おれの軽口にマウリーノさんはふんわりと頬を染めた。

 マウリーノさんは傭兵の妻で保護された一般人だから、細かい作戦は何も知らされていない。夫は護衛か捕物の仕事の依頼を受けて、泊まりがけの仕事に出ていると思っている。間違ってはいないけど、その辺の商人の護衛ってわけじゃない。国家レベルの問題だもんね。

 ロベルトさんと侍女さんトリオの給仕で朝食を摂り、食後のお茶を入れてもらっている時だった。

 ロベルトさんと侍女さんトリオが、突然ピクンと体を揺らした。言葉もなく宙を見据え、全身で何かの気配を探っているようだった。呼吸音すら邪魔になるとばかりに、息を潜めている。ただならぬ雰囲気を感じて、おれも動けなくなった。るぅ姉とマウリーノさんもロベルトさんたちをじっと見つめていた。

 ヴゥウォンーーーー。

「何っ?」

 アニメの効果音⋯⋯電子サーベルの起動音みたいな音がした。それか、台風の時の電線の風鳴り。気圧が変化した? ううん、ジェットコースターのてっぺんから急降下する瞬間の浮遊感みたいな。

 気持ちの悪さは一瞬で、おれはるぅ姉とマウリーノさんと目を合わせた。ロベルトさんたちの顔が真っ青だった。

「⋯⋯四方結界が解かれた⋯⋯⋯⋯」

 茫然と呟いたのはロベルトさん。

 四方結界って、シュザネットを護る守護の結界だよね。北は魔硝石の封印を利用した起点で、その他の三方は人口の封印石だかで起点を作っているっていう⋯⋯。魔法使いの四人は、おれたちにわからない何かを感じているんだ。

「ハリー、ルーリィ。魔女さまのもとへ行きます。ヴィンチ夫人は女中頭とともに我が主人ジーンスワーク女辺境伯爵のおそばに。ふたりは山歩きの格好で、半刻(一時間)後にホールへ来るように」

 口調がおれたちの先生だった頃のものになっている。

「北以外のどこかで結界石が壊されたんでしょう。魔女さまの元へ通信符が来るはずです」

 ロベルトさんの硬い表情カオで、事態が切迫していることを知った。マーサさんにマウリーノさんを一旦任せ、カナリーさんとモーリンさんにるぅ姉とそれぞれ支度を手伝ってもらって玄関ホールに走る。

 ロベルトさんと合流したところでご領主さまがやって来た。男装をして腰には剣をいている。

「リーノ坊やのことは案ずるな。ロブ、ハリーたちを連れてゆくは、シュトーレンに連なる者の務めであるか? ふたりはアレッシアの養い子ゆえ、わたくしは止める言葉を持たぬ」

 危ない場所に行かせたくないって意味に聞こえた。ロベルトさんを責めているような。

 ロベルトさんはジーンスワークの家令だけれど、魔女さまの遠い末裔すえだと聞いた。そしておれたちは魔女さまの養い子。惑わしの森は実家に等しい。

「ご領主さま、行ってまいります。何が起こっているのか、この目で確認して来ます」

 おれはご領主さまに頭を下げた。彼女は溜息をひとつこぼすとカナリーさんたちに、おれたちを頼むと言い添えた。おれとるぅ姉は自分で馬に乗れないので、侍女さんたちと相乗りで駆ける。

 辺境騎士が用意してくれた馬に分かれて騎乗して、森へ駆ける。おれを乗せてくれているカナリーさんは巧みに馬を操つっている。ブライトさまに乗せてもらったことがあるけれど、馬術にも個性があるみたいだ。ブライトさまは力強くてカナリーさんは軽やかだ。どちらもとても速いことに変わりはないけど。

 ジーンスワーク領内の移動なのでさほど時間は掛からない。前回るぅ姉とやって来た時はのんびり馬車で来たので、騎馬での移動はあっという間に思えた。

 以前と何も変わらないように見えるのに、とても静かだった。風は樹々を揺らすのに、生き物の気配がしない。るぅ姉も感じているようだし、魔法使いたちはもっと深刻そうだった。朝よりもずっとずっと青白い顔をしている。

 久しぶりに訪れた魔女さまの館は、清潔でこぢんまりとしている。ロベルトさんが門扉のノッカーを鳴らして合図をすると、魔女さまの声が「入って来やれ」と空気を震わせた。声だけ飛ばして来たんだ。

 ロベルトさんとるぅ姉は勝手知ったるとばかりに門扉を潜り、侍女さんトリオは遠慮がちに進んだ。
馬を門扉の内側に放つ。賢い子たちなので庭を荒らすことはないとロベルトさんが言った。

 いつも魔女さまが寛いでいる、サロンかガゼボに行くのかと思ったのに、ロベルトさんは玄関に向かわずに館の庭を突っ切って森の深みを目指した。

 森の浅いところは、何度か探検したことがある。森の奥は迷子になるのが恐くて、深くは踏み込まなかった。ロベルトさんは少年時代にブライトさまたちと肝試しに挑んだ経験があり、迷いもせずにどんどん進む。

しばらく行くと、樹々に囲まれた大きなガゼボがあった。魔女さまの館は柔らかで女性的な雰囲気なのに、ガゼボは無骨で荒々しかった。岩城に似ている。

「敷地の中にこんな場所が⋯⋯」

「館からは見えませんから。敷地の中と言うか、森全体が敷地といっていいのですが」

 ロベルトさん言うことはもっともだ。

 ガゼボは人が寛ぐ場所じゃなかった。館の薔薇園の傍にあるガゼボは、魔女さまがお茶を楽しむために可愛らしいテーブルセットが設えられている。けれどここは、魔硝石を祀る祠のようだった。

 四本の支柱が屋根を支えるだけの、石造りのガゼボ。屋根の下にはけいは四畳半ほどで高さは三メートルくらいあるだろうか、虹色の煌めきを発する魔硝石が神々しく座している。

「 Iceberg a head!」

 中学生の頃、英語の教科書に載っていたタイタニック。なんだかよくわからないけど、そのフレーズだけ耳に残っていて、クラスの男子みんなして大声で連呼した。何が楽しかったのかゲラゲラ笑って、女子にうるさいと怒鳴られた。

 目の前の魔硝石はまさに氷山の頭 Iceberg a headだ。たった四畳半ほどしか見えないのに、本体は東京ドーム何個分だよってほど大きい。東京ドーム行ったことないけど、なんとなく大きい単位はドーム換算したくなる。

「魔女さま、いらっしゃる?」

「こちらじゃ」

 るぅ姉が心配げに呼ばわると、魔硝石の後ろから魔女さまのいらえがあった。全員でガゼボを回ると、虹の煌めきを持つ乳白色の髪を揺らした魔女さまが、輝く鱗粉を散らす蝶を纏わりつかせて佇んでいた。伝令の蝶だ。

 るぅ姉とふたり、魔女さまに駆け寄る。ロベルトさんと侍女さんトリオはさっと姿勢を正した。

「魔力を持たぬ可愛い子らにはわからぬであろうが、国を覆う結界が崩された。蝶が言うておる。西と南の結界石が破壊されてしもうたようじゃ。東の石はひび割れて、張り直しに耐えられるかわからぬと」

 ひろひろと舞う蝶が三頭、砂が崩れるように消えた。前にも見たことがある。役目を終えて魔力を霧散させたんだ。

「結界石を新たに生み出さねばならぬ」

 しかも早急に。

「レオン坊やは西に飛んだ。ステッラは南に飛び、王都の魔術師団長も南と合流するそうじゃ。⋯⋯わたくしは東へ飛んで、新たな結界石を生んでまいる」

 魔女さまが森を離れる!

 何百年も惑わしの森を離れることがなかったという魔女さまが決断するほどの出来事なんだ。おれだけじゃない、るぅ姉もロベルトさんも侍女さんトリオも、なんと返事をしていいのか言葉に詰まった。簡単に「いってらっしゃい」なんて言えない。

「このガゼボは規模は小さいが、四方結界じゃ。魔硝石に害を与えるには、ガゼボを崩さねばならぬ。ロブ坊やと王妃の猫たちは、全力でガゼボを守護致せ。獣使いの坊やが応戦中じゃと野鼠が文を咥えて参ったわ」

 ブライトさまの懸念が現実になったんだ。四方結界の調和を崩すことで、惑わしの森に潜入しやすくしたんだ。マウリーノさんの言葉の通りながら、アルノルドさんが対峙しているのは放火の担当だろうか? アルノルドさん本人には戦闘能力はあまりないと聞いた。おれにできるのは、彼の無事を祈ることだ。

「⋯⋯魔女さま、ぼくは? 魔女さまの代わりに魔硝石から魔力を吸い出せばいい?」

 おれは魔法が使えない。ただ器に受け入れるだけだ。魔女さまは結界の維持に膨大な魔力を使うことで発散させているけど、おれは自然に漏れ出るのを待つことしかできない。魔女さまが帰ってくるまでに、おれの器がいっぱいになったら、おれごと破裂しないだろうか?

「シュトーレン伯爵さま、恐れながらハリーさまの御身に危険はございませんでしょうか」

 深く頭を下げて、マーサさんが言った。彼女はおれに何かあったら、ブライトさまが国を滅ぼすと言っていた。今もそれを考えているんだろう。

 でも今回、それは当てはまらないんじゃないかな。おれが破裂するってことはおれ自身が起爆剤になるってことで、そしたら魔硝石本体が破裂するんだろ? その時はブライトさまが何かをするまでもなく、国は壊滅状態だと思う。

「マーサさん、大丈夫。危険になる前に、魔女さまが帰って来てくれるから」

 それに魔女さまとブライトさま、事前に打ち合わせしているでしょ? でなきゃブライトさま、西にじゃなくて、ここに飛んできてると思う。あとね、ステッラ副団長だってアルノルドさんを放っておくはずがないもの。

「結界石さえ生成できれば、維持は常駐の魔術師で問題ないゆえ。三日じゃ、三日だけ耐えてくりゃれ。そなたの良人おっとになる男が、遠からず継ぐ国じゃ。次代の王の妃よ、惑わしの森の魔女たるわたくし養子むすこよ、伏して頼む」

 魔女さまが膝をついた。おれは慌てて魔女さまを引き起こす。るぅ姉もおれが取った反対の手を捕まえて、魔女さまを立ち上がらせるのを手伝ってくれた。国護の魔女を跪かせるなんて、なんて恐れ多い! 庶民の心臓は破裂しそうだ。

「魔女さま、ダメです。魔女さまは国護の要、惑わしの森の結界石を護る尊き御方おんかたです。わたしたちは魔女さまに拾われて、命をながらえさせました。微力ながら、わたしも手助けいたします」

「そうです、るぅ姉の言う通りです。魔硝石から魔力を吸い出すことしか出来ないけど⋯⋯」

「⋯⋯感謝する」

 魔女さまはホッと息をついた。

 とは言ったものの、おれは自分で魔力を動かすことができないから、魔女さまと同じようにはできない。ブライトさまから魔力を受け取る方法しか知らないけど、魔硝石相手にそんなことできるはずもないし、どんな変態だよって話だ。

 少し話して魔女さまに導きをしてもらうのがいいと結論づけて、魔硝石に触れた。魔女さまがおれの額に手を添えて魔力を流して道をつくり、それを魔硝石に繋げる。苦しくはないけど、体の中に熱が篭ったような、湯あたりしたような違和感がある。お腹の中だけじゃなくて、全身を熱が駆け巡っている。

「ルーリィ、ハリーの器を拡げてくりゃれ」

 るぅ姉が背中からハグして来た。あ、ちょっと熱っぽさが和らいだ気がする。

わたくしと違ってハリーは絶えず魔硝石に触れておらねばならぬ。三日、ここを動けぬ。猫たちよ、ふたりの世話も頼もうほどに」

 侍女さんトリオが深く頭を下げて、魔女さまの指示を受けた。魔女さまはおれたちをぐるっと見つめた後、なんの前触れもなく唐突に姿を消した。ブライトさまの風の魔法での飛行と違って、どんな原理なのかさっぱりわからない。

 それにしてもおれ、ここから動けないんだ。立ったまま両手の平を魔硝石にぺったりつけて、背中にるぅ姉がしがみついている。このままの姿勢では、とても三日は持たない。るぅ姉とふたり、あーだこーだと楽な姿勢を模索する。

 ブライトさまは西の結界石を生成したら、直ぐに帰って来てくれる。騎士団を放って、魔法で飛んでくる姿が想像できる。その時のことを思って、自然と笑いが溢れた。

 七十二時間耐久、やってやろうじゃないか。

 おれは自分に言い聞かせ、ぐっと下腹したはらに力を込めた。
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